あいちトリエンアーレのさ、思っている以上に燃え広がっていて
なんかもー……展示のセンスのなさとかそういうのはさておいて、
みんな仲良くしようよ。
10月には消費税上がったりとか、
そうでなくても大変なこといっぱいあるんだから
ギスギスしてる場合じゃないじゃん、もうウンザリなんだよ。
なんてゲンナリしているsachiakiです。
いきなり冒頭でブッ飛ばしたこと(センスのなさ)とか書いてるけれど
作家さん自体を批判しているんじゃなくて
なにかに不満を持ったり抗議のために作品を作ったり、
技術が拙かったりする作品だったりしても
私はそれを展示する自由があると思うし、
自分自身もセンスなんちゅうもんがあるのかどうかもわからんので
人様の作品に対してどうというつもりはないです。
だけど、ある一つの方向へ向けて様々なアーティストの作品を集め
あたかも人々を別の思考へと分断しようとする
そのセンスは最低だって思ってるわけです。
しかもその分断しようとする意識にしっかりと乗って差し上げて、
脅迫をするようなものがいたり、
展示の中止を権力側が振るおうとしたりして
ハァ!?ってなることばかりであります。
よしんば抗議が殺到してしまうのは仕方がないと思う。
あの内容だもの。
それでも抗議はあっても見に行く人の自由は守られなくちゃならないし、
個人が個人で批難したり擁護したりするのは構わないと思う。
それこそ以前『エスパー魔美』で描かれていた話が正論だよなって
いつも肝に銘じておかなくちゃと思うわけです。
人を不快にすることが予測できる作品でも展示できる。
私はそういったものは好きではないけれど、
それは私の思想であって他の人にはどう映るかわからないものには
批判はすれども中止しろとは言わない。
ー明らかに人の名誉を傷つけるものであったり、
悪意だけをぶつけてくるものに関しては中止して欲しい言うけれど。
私だって※リョナの軽度のものは嫌いじゃないし、
そもそもスプラッター映画が好きな人はたくさんいるでしょう?
だから誰がどんな風に不快に思うかは定められないし、
少なくとも表現の段階では故意に誰かを傷つけるものではないわけですし。
そういうわけでどんだけ炎上して吹き荒れようとも
マーケティングの勝利的なダサさを感じたりしても
ふーんで済んでしまえば良いものを
なぜ公的権力が個人の自由を奪おうとするのか
ここが一番解せないわけです。
憲法21条にだって
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
こうしっかり明記されているわけです。
こういった基本的人権の自由があるからこそ
私たちは好きなものを好きだと言えるし、
嫌なものを嫌と言えるわけです。
というわけで、諸々を考えてみてもこんな最悪な時期に
公的権力まで噛み付いてくると計算できなかったのは痛恨の極みとはいえ、
この展示は色々と失敗してるよなぁって思うわけ。
せっかくなら友好を喚起するものにして
それでも抗議する人がいたら、
「ほら、好きなものも好きと言えない」っていうことも出来ただろうし、
全体的な方向性もだいぶ色が変わったんじゃないかと妄想してしまうわけです。
いずれにしても展示を中止に追い込むような脅迫をしてきた人間には
厳しく当たってもらいたいし(かといって、更生ができないなんて考えてないよ!)
公的権力に対しては強く非難した方が良いなって思います。
それにしてもなんでアジテートしようとする人たちって
対立軸を作って盛り上がろうとするんだろう……。
私たちに敵なんていないよ。
時にぶつかることがあったり、意見が違うことがあるけれど
そんなことは恐ろしく瑣末なことだよ。
生活レベルまで落とし込んだ話をすると
瑣末な問題が大きくなって友達でいられなくなることとかはあるだろうけれど、
それでも私たちは個人個人を大切にした方が良い。
「○○人はダメだ」「だから男って(女って)」とか
そういう言い方をしないように
みんな仲良く!
仲良くできないこともある。
そういうのは自分だけがその個人との付き合いを変えれば良い。
他の人にまで伝播させちゃダメだ。
私はそう思う。
と、だいぶ熱い話を展開してしまった気がするけれど
今日はこの辺まで。そんじゃまた!モイ
※リョナは他者が物理的な暴力や拷問などの苦痛に晒されて
苦悶の表情を浮かべたり性的なニュアンスの悲鳴を上げる
シチュエーションに対する性的嗜好を指すインターネットスラングである。
なんかもー……展示のセンスのなさとかそういうのはさておいて、
みんな仲良くしようよ。
10月には消費税上がったりとか、
そうでなくても大変なこといっぱいあるんだから
ギスギスしてる場合じゃないじゃん、もうウンザリなんだよ。
なんてゲンナリしているsachiakiです。
いきなり冒頭でブッ飛ばしたこと(センスのなさ)とか書いてるけれど
作家さん自体を批判しているんじゃなくて
なにかに不満を持ったり抗議のために作品を作ったり、
技術が拙かったりする作品だったりしても
私はそれを展示する自由があると思うし、
自分自身もセンスなんちゅうもんがあるのかどうかもわからんので
人様の作品に対してどうというつもりはないです。
だけど、ある一つの方向へ向けて様々なアーティストの作品を集め
あたかも人々を別の思考へと分断しようとする
そのセンスは最低だって思ってるわけです。
しかもその分断しようとする意識にしっかりと乗って差し上げて、
脅迫をするようなものがいたり、
展示の中止を権力側が振るおうとしたりして
ハァ!?ってなることばかりであります。
よしんば抗議が殺到してしまうのは仕方がないと思う。
あの内容だもの。
それでも抗議はあっても見に行く人の自由は守られなくちゃならないし、
個人が個人で批難したり擁護したりするのは構わないと思う。
それこそ以前『エスパー魔美』で描かれていた話が正論だよなって
いつも肝に銘じておかなくちゃと思うわけです。
人を不快にすることが予測できる作品でも展示できる。
私はそういったものは好きではないけれど、
それは私の思想であって他の人にはどう映るかわからないものには
批判はすれども中止しろとは言わない。
ー明らかに人の名誉を傷つけるものであったり、
悪意だけをぶつけてくるものに関しては中止して欲しい言うけれど。
私だって※リョナの軽度のものは嫌いじゃないし、
そもそもスプラッター映画が好きな人はたくさんいるでしょう?
だから誰がどんな風に不快に思うかは定められないし、
少なくとも表現の段階では故意に誰かを傷つけるものではないわけですし。
そういうわけでどんだけ炎上して吹き荒れようとも
マーケティングの勝利的なダサさを感じたりしても
ふーんで済んでしまえば良いものを
なぜ公的権力が個人の自由を奪おうとするのか
ここが一番解せないわけです。
憲法21条にだって
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
こうしっかり明記されているわけです。
こういった基本的人権の自由があるからこそ
私たちは好きなものを好きだと言えるし、
嫌なものを嫌と言えるわけです。
というわけで、諸々を考えてみてもこんな最悪な時期に
公的権力まで噛み付いてくると計算できなかったのは痛恨の極みとはいえ、
この展示は色々と失敗してるよなぁって思うわけ。
せっかくなら友好を喚起するものにして
それでも抗議する人がいたら、
「ほら、好きなものも好きと言えない」っていうことも出来ただろうし、
全体的な方向性もだいぶ色が変わったんじゃないかと妄想してしまうわけです。
いずれにしても展示を中止に追い込むような脅迫をしてきた人間には
厳しく当たってもらいたいし(かといって、更生ができないなんて考えてないよ!)
公的権力に対しては強く非難した方が良いなって思います。
それにしてもなんでアジテートしようとする人たちって
対立軸を作って盛り上がろうとするんだろう……。
私たちに敵なんていないよ。
時にぶつかることがあったり、意見が違うことがあるけれど
そんなことは恐ろしく瑣末なことだよ。
生活レベルまで落とし込んだ話をすると
瑣末な問題が大きくなって友達でいられなくなることとかはあるだろうけれど、
それでも私たちは個人個人を大切にした方が良い。
「○○人はダメだ」「だから男って(女って)」とか
そういう言い方をしないように
みんな仲良く!
仲良くできないこともある。
そういうのは自分だけがその個人との付き合いを変えれば良い。
他の人にまで伝播させちゃダメだ。
私はそう思う。
と、だいぶ熱い話を展開してしまった気がするけれど
今日はこの辺まで。そんじゃまた!モイ
※リョナは他者が物理的な暴力や拷問などの苦痛に晒されて
苦悶の表情を浮かべたり性的なニュアンスの悲鳴を上げる
シチュエーションに対する性的嗜好を指すインターネットスラングである。