すごく大事な記事だったかといえば
全然そういうものではなく、
むしろ消えてくれて良かった…な感じの記事でしたけれど、
エントリーの失敗時に下書き保存のように残っているものさえなく
なんか書いていた時間を損した気分のsachiakiです。
実際どんな記事を書いていたかといえば
涼宮ハルヒの休日を見ていたせいで
古の腐女子心が持ち上がり、ついつい「古キョン」で検索し、
果てには「公式が病気」の単語でとんでもない
公式のゲームを見つけたってことだったので
まぁ別に残すものでもないやな…って
スパッと未練がない感じであります。
それよりも今日は自死というワードをガンガンに見せつけられ、
色んな人の想いがあるもんだなぁって気分と、
そうはいうても結局どうにかなるもんではなかっただろうし、
なんとかできたと思う人はだいぶ神様気取りで
どっかがおかしんじゃないかな?なんて気持ちになっていたりしました。
ていうか、ちょっと前までの自分が割とそういう気持ちになりやすく
私と友達にさえなってくれていたなら……
とか、そういったことを思ったりもしてたんですけどね。
まぁ気づけませんよ。
人が思い詰めていることなんて。
そして、それに気づいたところで
介入するのが吉なのか、見守るのが吉なのかも人それぞれですからね。
結局できることの一つとして、
できるだけ”どんなバカな妄想話でもこの人になら吐き出せる”
そういったポジションになれることだけが
唯一できることの一つなんじゃないでしょうかね。
お説教されたり、なにか助けようとしたり、
そういったことをされないで済む、
そういった存在になる。
もちろん、助けられるだけの力を持って
ガッチリとその人の人生を背負えるだけの強さを持てたら
もっと別の方法もあると思うんですけれど。
徒然日記の作者である吉田兼好によると
死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
ー第155段 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし 。より
だそうだ。
死というものは前から来るのではなく、
かねてより後ろに迫っていて、
みんなそのことを知っているはずなのに
待つよりも先に急に来るというのだ。
だから死を待つようにして
真っ当に準備して迎えられる人などごくわずかで
ほとんどの場合、驚くようにその日が来るってことなんだと思う。
”磯より潮の満つるが如し”なのだから。
自死は自分で選んだものだろう?
という人もいるかもしれない。
けれど、そこまで張り詰めたものがあり、
”そこ”に満ちてしまった時には
それはその人が選ぶというよりも
やはり死というものに背中を押されてのものなのだと
私は思う。
どんな人だって一度や二度は「死んで楽になろう」と思ったことがあるだろうけれど
そんな悠長なものではなく
それは突然やってくるのだと思う。
だからこそ、大事な人で手放したくないと思うのであれば
それが”満ちないよう”手引きをしていくより他がないでしょうね。
祈るような気持ちで。
そんなことを思いました。
さてもうけっこういい時間。
とはいえ、今日はたぶん徹夜だと思っているので頑張ります。
そんじゃまた。モイモイ
全然そういうものではなく、
むしろ消えてくれて良かった…な感じの記事でしたけれど、
エントリーの失敗時に下書き保存のように残っているものさえなく
なんか書いていた時間を損した気分のsachiakiです。
実際どんな記事を書いていたかといえば
涼宮ハルヒの休日を見ていたせいで
古の腐女子心が持ち上がり、ついつい「古キョン」で検索し、
果てには「公式が病気」の単語でとんでもない
公式のゲームを見つけたってことだったので
まぁ別に残すものでもないやな…って
スパッと未練がない感じであります。
それよりも今日は自死というワードをガンガンに見せつけられ、
色んな人の想いがあるもんだなぁって気分と、
そうはいうても結局どうにかなるもんではなかっただろうし、
なんとかできたと思う人はだいぶ神様気取りで
どっかがおかしんじゃないかな?なんて気持ちになっていたりしました。
ていうか、ちょっと前までの自分が割とそういう気持ちになりやすく
私と友達にさえなってくれていたなら……
とか、そういったことを思ったりもしてたんですけどね。
まぁ気づけませんよ。
人が思い詰めていることなんて。
そして、それに気づいたところで
介入するのが吉なのか、見守るのが吉なのかも人それぞれですからね。
結局できることの一つとして、
できるだけ”どんなバカな妄想話でもこの人になら吐き出せる”
そういったポジションになれることだけが
唯一できることの一つなんじゃないでしょうかね。
お説教されたり、なにか助けようとしたり、
そういったことをされないで済む、
そういった存在になる。
もちろん、助けられるだけの力を持って
ガッチリとその人の人生を背負えるだけの強さを持てたら
もっと別の方法もあると思うんですけれど。
徒然日記の作者である吉田兼好によると
死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
ー第155段 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし 。より
だそうだ。
死というものは前から来るのではなく、
かねてより後ろに迫っていて、
みんなそのことを知っているはずなのに
待つよりも先に急に来るというのだ。
だから死を待つようにして
真っ当に準備して迎えられる人などごくわずかで
ほとんどの場合、驚くようにその日が来るってことなんだと思う。
”磯より潮の満つるが如し”なのだから。
自死は自分で選んだものだろう?
という人もいるかもしれない。
けれど、そこまで張り詰めたものがあり、
”そこ”に満ちてしまった時には
それはその人が選ぶというよりも
やはり死というものに背中を押されてのものなのだと
私は思う。
どんな人だって一度や二度は「死んで楽になろう」と思ったことがあるだろうけれど
そんな悠長なものではなく
それは突然やってくるのだと思う。
だからこそ、大事な人で手放したくないと思うのであれば
それが”満ちないよう”手引きをしていくより他がないでしょうね。
祈るような気持ちで。
そんなことを思いました。
さてもうけっこういい時間。
とはいえ、今日はたぶん徹夜だと思っているので頑張ります。
そんじゃまた。モイモイ