あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

文化を大事にしたいから〜〜〜〜

2020-09-29 | from:sachiaki
というような大仰なことをタイトルにしてみたけれど
自分が文化の担い手なのか?と言われると
甚だ疑問なsachiakiです。

ただ、文化というものが「本気の遊び」を基にしているというならば
本気でしか遊んでいないので
かなり文化に対して深く関わっている気がしています。

ただ、「本気」とはいえ「真剣」なのか?と聞かれると
ちょっと微妙なのかな?
なんて気もしたりしています。

私が行っている夜学にしろ、赤鬼ちゃんの哲学地獄にしろ、
そこにかけているものはそれなりに本気だし、
準備も含めたりするとめちゃくちゃ大変で
何が楽しくてこんなことしてるんだ?っていえば
私はその行為自体が好きだし、
色んな人と関わっていきたいんだよね〜って感じだったりするのです。
頑張り方のベクトルとか、自分は注目されなくない、とか
そういったものが多少足を引っ張っているので
なんとなく本気度は低いのかと自分でも感じてしまったりするのですけれど
なにかよく分からないものに背中を押されるようにして
自ら飛び込んでいっている感覚はあります。

と、いうわけで2月が終わってからというもの
コロコロコロナ(新型)ちゃんのおかげで
全然できていない哲学地獄とかね、
すごく次をやりたい気持ちもあるし、
やるならもっとガチッとやりたいってこともあって
とりあえず申請だけはしてみましたよ。
文化芸術活動の継続支援事業補助金ちょうだいって。

必要な書類が足りているのかいないのか、
ちょっと微妙だな〜って思うところがあるので
もらえなかったらガッカリだけど、
少しでも手に入るなら機材とかガッチリ揃えて
次に進むぜ!!!って気持ちでいるのです。

先日会っていた友達には動画作る方が好きで、
配信自体はそれほど興味がない
って友達に言ってのけたのだけれど、
これからの時代、相互作用のないものっていうのは
少し弱いコンテンツになるのかもしれないし、
この辺で少し慣れておくか、って気もしているのです。

とはいえ、また別の友人とおしゃべりしていたところ
配信界隈はすでに人がいっぱいで
1,000人程度のファンを作るのは大したことではないと聞かされ
なんかすごい脱力してしまってやる気が削がれたりしてしまったのですよね(ぉぃw
「1,000人のファンは雑作もなく作れる」というような人がいる世界に
飛び込むのって正気の沙汰じゃないよなーって。
チャンネルを作ってみたものの100人も登録されていないし、
一回の動画もそんなに見られているわけでもないし、
イベントだって人数がいっぱいきてしまうこともしていない。
基本的に知り合いしか来てくれない。
そんな中で、いったいどうしてくれようか……。
なんて気分になってしまったり。

とはいえ、結局のところ自分の胸の内にある声に従い
やりたいことを心底楽しんでいれば
その楽しさに人は惹かれて寄ってくるってなもんで
とにかく楽しんでいこう。
なんてことを思ったりし直していたのでした。(何度目だ)

ちなみに自分の中の内なる声の中でも自己否定を含むものっていうのは
人から聞いた些細なマイナスポイントを増幅して自分自身を凹ませようとするらしく
1つのネガティブな声から立ち直るには5つのポジティブな声が必要だそうだ。

正直自分に5つも良い面があるとは思えないので
かなりキツイなぁって思うのだけれど、
人に「私の良い面はなんですか?」って聞いてみると良いらしいです。
こんなもん聞くのって、マジでしんどいわwww
とはいえ、ネガに落ち込み過ぎるとポジ反転しにくくなって
気づくと鬱などのサイクルに陥ってしまうそうなので
もう無理、って時には反応を引き出すのも手かもしれません。

そんでもって、もらった賛辞に対して
「運が良かった」とか「たくさんの人に助けてもらえたからです」などという
自分を卑下してしまうことを一旦留め置いた方が良いようです。
謙虚であることは美しいけれど、調子こいてるわけじゃない時は
その賛辞についてもっと深く掘り下げて理解するようにすると良いみたい。
体が痒くなってしまうから、これもシンドイけどねwww

そして肯定的な意見を信じて、それが本当のように立ち振る舞うことで
自分のポジティブな面が生き返ってくるそうなので
ネガティブからの脱却ができるそうですよ。

否定されることが怖いって思うけれど
だいたいの場合、自分が自分に対して行っている否定だから
とりあえず恐れずやっちまえってことでしょう。

というわけで、あたいも頑張るから
これを読んでる誰かも頑張れよ。

頑張るっていい言葉じゃないように使われてきてるし
実際それを言われて辛い人もいるけれど、
やっぱ踏ん張る時ってのはあるし、
それが生活の緩急を作ってリズムになるんだと思う。
良いリズムを刻んでいこうなんだぜ!

そんじゃ今日はこの辺にて。モイモイ
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落語を聞き続けていたよ

2020-09-29 | from:sachiaki
秋口は気温が下がってくるので
気づくとちょっと気が滅入ったりしやすいものですよね。
人間、体を冷やすとどうもいい考えにはならず
ドンヨリしやすいのでセンチメンタルに気持ちよくひたれる強さがない時は
なるたけ暖かくして笑えるものを用意しておくのが良いかと思います。
そんなわけで今日は落語を聞き続けていたsachiakiです。

いうほどダメージがあるわけじゃないし
今日なんかは暖かい方だったので
別に落語を聞いて笑って過ごさないとイカンほど
ヤバイ日というわけじゃないんだけど
昨日今日ずっと自死についての文字を何度も見せられていたので
ただでさえ滅入りやすいこの時期に
こんな文字が踊っていると誘われちゃうわよね……
この世の縁とあちらの縁の間際にさ。
そんなことを思ったりしたわけです。

何の因果か、選んだ演目の一つが「文七元結」で
お使いで預かっていた大金をスられたと勘違いした文七が
大橋の欄干(あづま橋)から身投げをしようとしていると、
これまた自分の博打がたたってできた借金を見かねた娘が
身売りした大金をお店から借り受けてきた親父がみつけ
「死んだって仕方がない、死んで花実が咲くものか」と諭すシーンにて
そうなんだよなぁ……なんて改めてボンヤリとしてしまったのでした。
どうにもならねぇ……って思っても
たしかに死ぬよりはマシだったりするんだろうな。とかとか。

とはいえ、本当に思いつめている時には
生きていること自体が苦痛の連続なわけで
「死ぬ」以外の二文字は見えづらく
なんもどうにもならなかったりするんですよな。
あと、苦痛が苦痛なのと違うやつ。
BIGISSUE on lineの記事にあったけれど、

人間には生まれながらにして自分がしていることに意味や目的を持ちたい欲求があります。しかし、常に管理された状態にあると、自主性が持てず、自分がやっていることに意味を見いだせず、自身がつまらない存在に思えてきます。


また、こうもありました。

これは現在起きていることとも似ています。人が欲しがるものはすべて手に入れた、なのに鬱状態になる人がたくさんいますから。「文化基準」に照らし合わせたものと、その人が本当に必要なものは異なるのです。


私も21-23歳の時、普通に考えればバイト先の人間関係も順調
好きなことを仕事にできている、同棲している人とも
時折喧嘩はしても良好、友達もいるし、かなり順調。
それなのになぜかシンドイ。
これがなぜなのかがずっと分からないままでいて
気づいたら25歳あたりを境に
綺麗さっぱり悶々としたものから切り抜けられたのですよね。

今思い起こせば25歳あたりはフリーペーパーを作るのが楽しく
30歳あたりには自立したいというボンヤリとした目標もできて
自分で自分の道を歩もうって思い始めた頃だった気もします。

それまでもずいぶんとマイペースにやってきていたけれど
それでもまだそこまでマイペースじゃなかったということなのかもしれません。

今もずいぶんと自分勝手に生きてきたけれど
どこかでまだ気を使ったりしていて
勝手に傷ついたりしているので
まだまだ真のマイペースにたどり着けるのは難しそうな予感です。
もっと愉快に生きていきたいものですね。

とりあえず今日聞いていた落語のリストはこちらです。

柳家喬太郎師匠
・初音の鼓
・お菊の皿
・歌う井戸の茶碗
・ハンバーグができるまで
・文七元結
・スナックしおり

三遊亭圓生師匠
・品川心中

古典が好きだったのですけれど、
喬太郎師匠のおかげですっかり新作落語も好きになりましたw
ちなみに私が死ぬほど笑った落語の枕となった話は「コロッケそば」ですw
知らない人はほとんどいないと思われる「時そば」の枕になっている落語です。
本当に抱腹絶倒ものなので元気がない方など
ぜひ聞いてみてくださいなw

柳家喬太郎 時そば - コロッケそば


落語ってこんなにも表現が広いんだ!って驚くこと請け合いです。

さて、最後にコロッケそばをもう一度見たら寝るかね。
そんじゃまた。モイモイ
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