水曜日恒例のサロン夜学を開きに、
湯島までお出かけしていたsachiakiです。
「サロン」と名付けたことを今更少し後悔していることは
ちょっとした秘密なんだぜ。
ーまさか「サロン」と名付けてお金を巻き上げる仕組みが
こんなにも一世風靡するとは思ってなかったんです。
もともと「応接室」って意味ぐらいにしか捉えてなくて
イメージ的にハリーポッターの世界にある
暖炉がある人々がなんとなく居合わせる場所
ってぐらいの意味で付けていたので……。
「夜学の居間」とかにしておけばよかったかなぁ。トホトホトホ
まぁ気を取り直して。
「サロン」と名付けてはいるけれど、
今日いらしてくれていたお客様たちに話していたように
私は自分が無教養な環境にしたことをとても悔いているのです。
(「文学」ってなんか暗くて読みたくない…とかね)
それは自分の出自となる環境が「教養」と触れ合えるところになかったからで
大人になって初めて「教養」がとても大切なのだと痛感させられたわけです。
そういったものが大切だなんて知ることのできなかった環境は
いわば世界を狭めるものであって、
「自由」とは遠いところのあるんですよね。
親のルールが絶対だったり、共同体の慣習が当たり前だったり。
そういったものから逃げられないと
窮屈になって精神的な死だけでなく、
最悪の場合、本当の境を超えてしまったりします。
もちろん、がんじがらめルールに則っていった方が
生きやすいルートを握ることもあるけれど、
世界が狭いままでは誰かを傷つけることにも気づかない
鈍感な人間になってしまったりします。
未来というものはいつだって後陣のためにあり、
その未来を作るための礎でありたいと思うわけです。
というわけで、私のように無教養であることを恥ずかしいと
気づいた段階で、それに触れることができる場所、
「教養」でなくとも、世界を広げるためになるものであること、
そういったものを目指して
これからも”お店”という体を使いながらやっていきたいと思うのでした。
それにしても、今日も優しい人たちと良い時間を過ごせて
大変良い1日でした。
あとは文化庁からの「文化芸術活動の継続支援」の
持続給付をぶんどりたいわ。
面倒臭そうだけど頑張ろう。
コロナ禍で色々とできなくなってモニョモニョしているけれど
この辺にて。モイモイ
湯島までお出かけしていたsachiakiです。
「サロン」と名付けたことを今更少し後悔していることは
ちょっとした秘密なんだぜ。
ーまさか「サロン」と名付けてお金を巻き上げる仕組みが
こんなにも一世風靡するとは思ってなかったんです。
もともと「応接室」って意味ぐらいにしか捉えてなくて
イメージ的にハリーポッターの世界にある
暖炉がある人々がなんとなく居合わせる場所
ってぐらいの意味で付けていたので……。
「夜学の居間」とかにしておけばよかったかなぁ。トホトホトホ
まぁ気を取り直して。
「サロン」と名付けてはいるけれど、
今日いらしてくれていたお客様たちに話していたように
私は自分が無教養な環境にしたことをとても悔いているのです。
(「文学」ってなんか暗くて読みたくない…とかね)
それは自分の出自となる環境が「教養」と触れ合えるところになかったからで
大人になって初めて「教養」がとても大切なのだと痛感させられたわけです。
そういったものが大切だなんて知ることのできなかった環境は
いわば世界を狭めるものであって、
「自由」とは遠いところのあるんですよね。
親のルールが絶対だったり、共同体の慣習が当たり前だったり。
そういったものから逃げられないと
窮屈になって精神的な死だけでなく、
最悪の場合、本当の境を超えてしまったりします。
もちろん、がんじがらめルールに則っていった方が
生きやすいルートを握ることもあるけれど、
世界が狭いままでは誰かを傷つけることにも気づかない
鈍感な人間になってしまったりします。
未来というものはいつだって後陣のためにあり、
その未来を作るための礎でありたいと思うわけです。
というわけで、私のように無教養であることを恥ずかしいと
気づいた段階で、それに触れることができる場所、
「教養」でなくとも、世界を広げるためになるものであること、
そういったものを目指して
これからも”お店”という体を使いながらやっていきたいと思うのでした。
それにしても、今日も優しい人たちと良い時間を過ごせて
大変良い1日でした。
あとは文化庁からの「文化芸術活動の継続支援」の
持続給付をぶんどりたいわ。
面倒臭そうだけど頑張ろう。
コロナ禍で色々とできなくなってモニョモニョしているけれど
この辺にて。モイモイ