例によって例のごとく面倒くさい話をされていて
口元まで出かかっている
「世の中がつまらないのはお前がつまらないからやぞ」
を飲み込んで消化不良になっているsachiakiです。
まぁね。
齢30年も重ねたらね、
「あ!ここ赤ペン先生で見た!」
っていうような、どこかで経験したこと
経験してなくても見聞きしていることってのが増えていって、
予測がつきやすくなるし
しかもそれが概ね外れにくくなっていって
「やっぱね」ってなるからつまんないなーって
思ってしまうのもわからんでもないけれど、
そんなのは
不遜
ってもんなんですよ!
世の中呆れるほど予想通りにならないことの方が多い。
予想通りって思うんだったら
予想の範囲という安全圏内で
ウダウダしているチキン野郎なだけなんですよ!
齢30年ぐらいだったら、
まぁお子様などもお迎えされたりして
日常というのは予測がつかないものだ
っていう経験をされている人も多いのでしょうけれど、
うちみたいに残念ながら恵まれませんでした。
みたいな人もいれば、そもそも望んでなかったり
もっと前の段階の人だったりもいるだろうし
それぞれに違った30代以上ってのが現代ってもんですけれど
そういった人だって
非日常を味わうのはそんなに難しいことじゃないんですよ。
普段は買わない花を買ってみるとか、
滅多に行かない側の路地にあるカフェなどに入ってみるとか、
10年ぐらい会ってない友人にメールをしてみるとか、
結構簡単に日常とは別のものを味わえるんですよ。
恋をしなくたって、子供がいなくたって
なにかペットを飼っていなくたって
クリエイトしていることがなくたって
自分が全力で自分の人生にコミットすれば
案外おもしろく回っていくもんなんですよっっっっ。
ってことをね、言いたくなる案件がありまして。
ていうか、そういった提案をしていたんですけれど
「そんなに変わらなかった」とか言いよるんで
じゃぁもういますぐインド行けよって口元まで出た次第です。
とはいえ、自分で「面白い」「楽しい」っていうのを
みつけられないようなメンタルでは
インドに行っても「予想通りでした」とか言いそうだな。
そして予想通りじゃなかったものは全て「不快」って感情で処理してそう。
まぁ「不快」でもいいんだけど、
そしたらその「不快」をどうして感じたのか
それはどうしたら感じずに済んだのかなど考えて
次に活かすことができれば「不快」に感じる頻度は減るんじゃなかろうか。
とかgdgd考えていました。
まぁね、成果の出ないチャレンジを続けるのはしんどいですわ。
だからこそ「成果を与えないこんな世界はクソ」
って思う気持ちもわからんでもないよ。
私もなにかを作るたびに評価には繋がらなくって
こんなもんだよなぁって思って「もうやめようかな」
なんてことも沢山あるし、
アプローチや環境って大事だけど
新しい方法や場所なんて簡単には見つからないぶん
壁に行き詰まってるってことはあるけどさ
腐ってたってしょうがないじゃんよ。
と、自分にも言い聞かせてみたり。
ふてくされてばかりの10代をすぎ
分別もついて齢をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく
とオザケンも歌ってたことですし。
夢の中にいるのと変わらない
酔っ払った状態でいるのが現実ってもんで
せっかくならキラキラとした悪夢でも見続けましょうさ。
なんてことを思ってみたり。
とりあえず辞めるのも進むのも自分次第。
自分の胸に耳を傾けてみましょ。
たぶん「辞めたい」とか「まだやりたい」とか
どこかで言ってるはずだから。
と、書いたところで入稿データを作らないとなので
この辺にて。モイモイ。
口元まで出かかっている
「世の中がつまらないのはお前がつまらないからやぞ」
を飲み込んで消化不良になっているsachiakiです。
まぁね。
齢30年も重ねたらね、
「あ!ここ赤ペン先生で見た!」
っていうような、どこかで経験したこと
経験してなくても見聞きしていることってのが増えていって、
予測がつきやすくなるし
しかもそれが概ね外れにくくなっていって
「やっぱね」ってなるからつまんないなーって
思ってしまうのもわからんでもないけれど、
そんなのは
不遜
ってもんなんですよ!
世の中呆れるほど予想通りにならないことの方が多い。
予想通りって思うんだったら
予想の範囲という安全圏内で
ウダウダしているチキン野郎なだけなんですよ!
齢30年ぐらいだったら、
まぁお子様などもお迎えされたりして
日常というのは予測がつかないものだ
っていう経験をされている人も多いのでしょうけれど、
うちみたいに残念ながら恵まれませんでした。
みたいな人もいれば、そもそも望んでなかったり
もっと前の段階の人だったりもいるだろうし
それぞれに違った30代以上ってのが現代ってもんですけれど
そういった人だって
非日常を味わうのはそんなに難しいことじゃないんですよ。
普段は買わない花を買ってみるとか、
滅多に行かない側の路地にあるカフェなどに入ってみるとか、
10年ぐらい会ってない友人にメールをしてみるとか、
結構簡単に日常とは別のものを味わえるんですよ。
恋をしなくたって、子供がいなくたって
なにかペットを飼っていなくたって
クリエイトしていることがなくたって
自分が全力で自分の人生にコミットすれば
案外おもしろく回っていくもんなんですよっっっっ。
ってことをね、言いたくなる案件がありまして。
ていうか、そういった提案をしていたんですけれど
「そんなに変わらなかった」とか言いよるんで
じゃぁもういますぐインド行けよって口元まで出た次第です。
とはいえ、自分で「面白い」「楽しい」っていうのを
みつけられないようなメンタルでは
インドに行っても「予想通りでした」とか言いそうだな。
そして予想通りじゃなかったものは全て「不快」って感情で処理してそう。
まぁ「不快」でもいいんだけど、
そしたらその「不快」をどうして感じたのか
それはどうしたら感じずに済んだのかなど考えて
次に活かすことができれば「不快」に感じる頻度は減るんじゃなかろうか。
とかgdgd考えていました。
まぁね、成果の出ないチャレンジを続けるのはしんどいですわ。
だからこそ「成果を与えないこんな世界はクソ」
って思う気持ちもわからんでもないよ。
私もなにかを作るたびに評価には繋がらなくって
こんなもんだよなぁって思って「もうやめようかな」
なんてことも沢山あるし、
アプローチや環境って大事だけど
新しい方法や場所なんて簡単には見つからないぶん
壁に行き詰まってるってことはあるけどさ
腐ってたってしょうがないじゃんよ。
と、自分にも言い聞かせてみたり。
ふてくされてばかりの10代をすぎ
分別もついて齢をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく
とオザケンも歌ってたことですし。
夢の中にいるのと変わらない
酔っ払った状態でいるのが現実ってもんで
せっかくならキラキラとした悪夢でも見続けましょうさ。
なんてことを思ってみたり。
とりあえず辞めるのも進むのも自分次第。
自分の胸に耳を傾けてみましょ。
たぶん「辞めたい」とか「まだやりたい」とか
どこかで言ってるはずだから。
と、書いたところで入稿データを作らないとなので
この辺にて。モイモイ。