先日、発達障害っていうのは誰しもが持っていて
それが環境によって大きく影響出るかどうかなのでは?
なんて話をしていたsachiakiです。
実際「個性」と言って許容していた時代の方が
アスペルガーの人に取っても、自閉傾向にある人にとっても
生きやすかったのでは?と思うことも多い。
とはいえそれはそれとして、
やはり脳内で出ている情報伝達物質の過剰な分泌やら
受け取りの難しさなど、それなりに大きく出てしまう
「生きづらさ」というよりも、
「生活の困難さ」ってのはあって
それらの解消のためにサングラスや耳栓など
鋭い感覚を労わるための道具を使ったり
脳内で過剰に騒がしい情報を落ち着かせるために
お薬を用いたりするっていうのは、
別にそんなにおかしなことではないと思うのに
それらを「おかしい」と感じる人たちに対して
「私はこういう障害を持っています」と
言えるようにした方がお互い楽なのだろうとも思う。
あいつマジでムカつく!!!!!っていうのが
同情の対象になるからなんだろうけれど
それも考えようによっては
あいつムカつく!!!って言ってる側の怠慢な気もする。
まぁそういったことというのは
どちらかが融通するしかなくて
いまのところマイノリティ側が融通してあげるぐらいしか
処世術がないのだろうとも思う。
で、かなり極端な話を書くんだけど
先ほど若いZ世代は映画などを倍速で見てだるいところはスキップする
損する時間もないから口コミで学習してから見るかどうかを決める
みたいな話を読んだ時に、
ちょっと前までは、たんに
「世の中のコンテンツが溢れすぎてて
それから自分に合うものを探す余裕なんてない」
ってぐらいにしか捉えていなかったのだけど、
本日読んでいた記事で「心を揺さぶられたくない」というワードが出ていて
予定通りでないものは動揺するから避けたいとか
アンガーコントロールは当たり前だから
感情的なものは嫌うので自分でコントロールしておける状況にしておくとか、
そういった言葉が踊っていて、
ちょっと「ん?」ってなったんですよね。
その「ん?」とはなにか?というと、
それって発達障害の中でもASDを持っている人の言ってることと
合致しているんだよなぁ……って思ったんです。
予想のつかないことに対してのフレキシブルさが著しく低いことで
生活をする時に大きな障壁になるってもので、
この予想のつかなさっていうのに、
電車が時間通り来ない、であったり
左足から歩くことができなかった、であったり
そのつまづきの度合いは千差万別なので
こだわりを持つ人、予定調和以外が苦手な人全員が
発達に問題を持っているとは言わないけれど、
ーいや逆に全員持っていて度合いが違うっていう方が今っぽいのかな?
Z世代の抱えるものは物事の捉え方の確変に入っているのかもな
なんて思ったりしたのでした。
上の世代から受けた教育が「間違ってはいけない」だから
間違えないためにも先にストーリーのあるものは
ネタバレや考察を読んでおいて予想をつけておく。
そういった心の安全レバーがなければ
なにをするにも不自由を感じるのがZ世代ってことなのかしらん?
実際はどうかわからないけれど、
たしかに年下の友人知人は全員といっていいほど
みんな折り目正しく、激しい感情を表出させないし
怒ったりしやすい人を避けたり(これは自分もそうだけど)
心に波を立てないようにしているように感じる。
だとするとこういった世代がミドル世代になる頃には
それらが常識となるのだから、
私たちおっさんおばさん世代以上は
昭和の泥臭さから足抜けしているとはいえ
まだまだ持っているサプライズの楽しさなどは
もう過去のものなのだと行動様式を変えていく必要があるね。
同世代同士のやりとりだったら全然ありなんだろうけれど。
そうするとコンテンツの作り方などは
かなり変わっていくのかもしれない?
いや、話題になってそれが「面白い」と評判になれば
必ずゾーンでもない層にまで届くのだから
やはりどうあがいても絶対に面白いっていうような
王道を歩んだ方がいいんだろうね。
そんなことをツラツラと考えていました。
奇しくも違ったタイミングで若い世代がなぜ
リバイバルなものをとても楽しそうにしているのか?
という問いに「追体験したい」というワードが出ていたので
今日読んだ記事とその「追体験したい」のワードとくっつく話が
リンクしたよっていう日記でした。
それではまた。
今日も一日がんばりまっっしょい!モイモイ。
今日読んだ記事:SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」
先日見ていた対談:東浩紀×岡田斗司夫「本当に初めての対談~ニコ生トークセッション」
それが環境によって大きく影響出るかどうかなのでは?
なんて話をしていたsachiakiです。
実際「個性」と言って許容していた時代の方が
アスペルガーの人に取っても、自閉傾向にある人にとっても
生きやすかったのでは?と思うことも多い。
とはいえそれはそれとして、
やはり脳内で出ている情報伝達物質の過剰な分泌やら
受け取りの難しさなど、それなりに大きく出てしまう
「生きづらさ」というよりも、
「生活の困難さ」ってのはあって
それらの解消のためにサングラスや耳栓など
鋭い感覚を労わるための道具を使ったり
脳内で過剰に騒がしい情報を落ち着かせるために
お薬を用いたりするっていうのは、
別にそんなにおかしなことではないと思うのに
それらを「おかしい」と感じる人たちに対して
「私はこういう障害を持っています」と
言えるようにした方がお互い楽なのだろうとも思う。
あいつマジでムカつく!!!!!っていうのが
同情の対象になるからなんだろうけれど
それも考えようによっては
あいつムカつく!!!って言ってる側の怠慢な気もする。
まぁそういったことというのは
どちらかが融通するしかなくて
いまのところマイノリティ側が融通してあげるぐらいしか
処世術がないのだろうとも思う。
で、かなり極端な話を書くんだけど
先ほど若いZ世代は映画などを倍速で見てだるいところはスキップする
損する時間もないから口コミで学習してから見るかどうかを決める
みたいな話を読んだ時に、
ちょっと前までは、たんに
「世の中のコンテンツが溢れすぎてて
それから自分に合うものを探す余裕なんてない」
ってぐらいにしか捉えていなかったのだけど、
本日読んでいた記事で「心を揺さぶられたくない」というワードが出ていて
予定通りでないものは動揺するから避けたいとか
アンガーコントロールは当たり前だから
感情的なものは嫌うので自分でコントロールしておける状況にしておくとか、
そういった言葉が踊っていて、
ちょっと「ん?」ってなったんですよね。
その「ん?」とはなにか?というと、
それって発達障害の中でもASDを持っている人の言ってることと
合致しているんだよなぁ……って思ったんです。
予想のつかないことに対してのフレキシブルさが著しく低いことで
生活をする時に大きな障壁になるってもので、
この予想のつかなさっていうのに、
電車が時間通り来ない、であったり
左足から歩くことができなかった、であったり
そのつまづきの度合いは千差万別なので
こだわりを持つ人、予定調和以外が苦手な人全員が
発達に問題を持っているとは言わないけれど、
ーいや逆に全員持っていて度合いが違うっていう方が今っぽいのかな?
Z世代の抱えるものは物事の捉え方の確変に入っているのかもな
なんて思ったりしたのでした。
上の世代から受けた教育が「間違ってはいけない」だから
間違えないためにも先にストーリーのあるものは
ネタバレや考察を読んでおいて予想をつけておく。
そういった心の安全レバーがなければ
なにをするにも不自由を感じるのがZ世代ってことなのかしらん?
実際はどうかわからないけれど、
たしかに年下の友人知人は全員といっていいほど
みんな折り目正しく、激しい感情を表出させないし
怒ったりしやすい人を避けたり(これは自分もそうだけど)
心に波を立てないようにしているように感じる。
だとするとこういった世代がミドル世代になる頃には
それらが常識となるのだから、
私たちおっさんおばさん世代以上は
昭和の泥臭さから足抜けしているとはいえ
まだまだ持っているサプライズの楽しさなどは
もう過去のものなのだと行動様式を変えていく必要があるね。
同世代同士のやりとりだったら全然ありなんだろうけれど。
そうするとコンテンツの作り方などは
かなり変わっていくのかもしれない?
いや、話題になってそれが「面白い」と評判になれば
必ずゾーンでもない層にまで届くのだから
やはりどうあがいても絶対に面白いっていうような
王道を歩んだ方がいいんだろうね。
そんなことをツラツラと考えていました。
奇しくも違ったタイミングで若い世代がなぜ
リバイバルなものをとても楽しそうにしているのか?
という問いに「追体験したい」というワードが出ていたので
今日読んだ記事とその「追体験したい」のワードとくっつく話が
リンクしたよっていう日記でした。
それではまた。
今日も一日がんばりまっっしょい!モイモイ。
今日読んだ記事:SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」
先日見ていた対談:東浩紀×岡田斗司夫「本当に初めての対談~ニコ生トークセッション」