古谷実さんの漫画で「僕といっしょ」って漫画がありましたが、
その中に「器が小さい!」「おちょこ!」「おちょこの裏!」
っていう煽りがあったんですけれど、
たまに思い出しては人間の器って
せいぜい「おちょこの裏」ぐらいよねぇ
なんてことを思ったりしているsachiakiです。
知り合いからMONO NO AWAREさんの
「言葉がなかったら」って曲をお勧めされたてたので
いま現在の気持ちにぴったりだと
聞いていたんですけれど、
私がUAの「HORAIZON」を聞いていた時から
人は言葉の通じなさに悲しみを覚えるものですけれど
理解って欲しい気持ちが無駄に唇動かしていた
言葉の数だけじゃ心通うはずないのに
の時から、
言葉にすることで
醜くなることも
言葉にしなければ
忘れてしまいそうで
の今も、
ずっと人間って変わらないんだなぁ……なんて。
戦争が起きているあの土地でも
言葉が通じなくてこじれまくってるし、
同じ言語を用いても、意味まで同じものが伝わるとは限らない。
なぜなら言葉は言葉にした時には
その気持ちや伝えたいことの端っこさえも捉えきれずに
泡となって消えていて、
その残骸だけがギリギリ残っているからで、
そのギリギリから察そうとしたって
受け取りての辞書や経験が違っていれば
意味もまったく変わってしまって通じなくなってしまう。
ーそうねもし言葉がなかったら。(UA)
ー迷わず抱きしめてたろう。(MONO NO AWARE)
そういうものって沢山ある。
すれ違ってしまう言葉と思いは
器が大きければ受信可能だったのだろうか?
そんなことを夢見てしまうけれど、
結局のところ自分にはわからないまま。
誠心誠意伝えるよりも、無言でいることの方が伝わることなど。
言葉に頼りすぎているのかもしれないから
言葉ではない別の誠実さを示せるように
模索してくのが人間のギリギリラインなのかもしれない。
そんなことを考えていました。
さて、入稿入稿。
今日もがんばるぞーい。モイモイ。
その中に「器が小さい!」「おちょこ!」「おちょこの裏!」
っていう煽りがあったんですけれど、
たまに思い出しては人間の器って
せいぜい「おちょこの裏」ぐらいよねぇ
なんてことを思ったりしているsachiakiです。
知り合いからMONO NO AWAREさんの
「言葉がなかったら」って曲をお勧めされたてたので
いま現在の気持ちにぴったりだと
聞いていたんですけれど、
私がUAの「HORAIZON」を聞いていた時から
人は言葉の通じなさに悲しみを覚えるものですけれど
理解って欲しい気持ちが無駄に唇動かしていた
言葉の数だけじゃ心通うはずないのに
の時から、
言葉にすることで
醜くなることも
言葉にしなければ
忘れてしまいそうで
の今も、
ずっと人間って変わらないんだなぁ……なんて。
戦争が起きているあの土地でも
言葉が通じなくてこじれまくってるし、
同じ言語を用いても、意味まで同じものが伝わるとは限らない。
なぜなら言葉は言葉にした時には
その気持ちや伝えたいことの端っこさえも捉えきれずに
泡となって消えていて、
その残骸だけがギリギリ残っているからで、
そのギリギリから察そうとしたって
受け取りての辞書や経験が違っていれば
意味もまったく変わってしまって通じなくなってしまう。
ーそうねもし言葉がなかったら。(UA)
ー迷わず抱きしめてたろう。(MONO NO AWARE)
そういうものって沢山ある。
すれ違ってしまう言葉と思いは
器が大きければ受信可能だったのだろうか?
そんなことを夢見てしまうけれど、
結局のところ自分にはわからないまま。
誠心誠意伝えるよりも、無言でいることの方が伝わることなど。
言葉に頼りすぎているのかもしれないから
言葉ではない別の誠実さを示せるように
模索してくのが人間のギリギリラインなのかもしれない。
そんなことを考えていました。
さて、入稿入稿。
今日もがんばるぞーい。モイモイ。