映画の世界観の作り込みが甘く、とても評価できない。成長が思春期で止まり、永遠に若いままである“キルドレ”と呼ばれる新人類を戦闘機に乗せて戦わせ、ショーとしての戦争を演出することにより一般人は平和を実感しているという、現在と似た“もうひとつの世界”を舞台にしている・・・・といった設定からして噴飯ものだ。
作者たちは戦争を何だと思っているのか。国があり、それに付随した国益がある限り、外交問題は必ず起こる。その究極の解決手段が戦争である。いくら人々が平和を唱えても、世に戦争の絶えたことはない。放っておいても戦争の悲惨なニュースがいくらでも飛び込んでくる現実があり、その上で年を取らない少年たちに大義名分のない戦争をさせる必要がいったいどこにあるのか。
百歩譲って、もはや戦争ショーによってしか人々は平和を自覚できないという世の中が実在するとして、作品としてまず描くべきはそっちの構図の方ではないか。どうして戦争がなくなったのか(あるいは、そういう建前を掲げるに至ったのか)、それを納得させられないと“キルドレ”たちの悩みも絵空事になってしまう。
ひょっとして作者たちはこの“他人に戦争をさせる”という図式を、机上の論理や私欲で戦争を仕掛ける支配層と最前線で辛酸を嘗める兵士や市民といった、現代の戦争のメタファーにしようとしているのかもしれない。しかし、だとしても映画は“実世界では戦争はない(らしい)”という前提で動いているのだから、完全に的外れだ。戦う目的も自らの生い立ちも知らされないまま戦場へと向かう“キルドレ”たちと、現実の生身の人間たちとは完全に違う。
この映画を観て“戦争で傷つくのはいつも若者。だから戦争は悲惨であってはならないものだ!”とナイーヴに感動してしまえるのは、せいぜい中学生ぐらいまでだろう。大人がマジメに対峙するようなシャシンではない。
今までは筋書きの妥当性は意見が分かれるにしろ、映像の喚起力に関しては他の追随を許さなかった押井守監督によるアニメーションだが、今回は完全に不発。戦闘場面なんか本当にチャチい。しかも前に「フライボーイズ」なんていう実写版の本格的空戦映画が封切られていることもあり、より一層見劣りがする。
そこそこ有名な俳優たちを起用した声の出演も違和感が拭えない。ここは本職の声優を使うべきではなかったか。良かったのは川井憲次による音楽のみ。この程度の作品がどうしてヴェネツィア国際映画祭のコンペ部門にノミネートされるのか不思議でならない。