言いたいことは分かるのだが、監督の技量が伴っていないため要領を得ない出来に終わっている。30歳間近にもなって結婚の気配が無く、それどころか上司との不倫関係をも清算できないOLと、ビルの窓拭きのバイトの最中に彼女を見初めた音大生。二人の友達以上恋人未満みたいな関係を淡々と描く本作のテーマは、人生は出会いによって如何様にも変えられる・・・・ということだろう。
捉えようによってはクサい主題だが、それは一向にかまわない。映画の語り口が巧みであれば、在り来たりのネタでも求心力を持たせられる。しかし、この映画はそのへんがどうも感心できない。まず、タッチがどうにも“沈んで”いる。個々の描写の温度感が極端に低い。登場人物にも血の通った存在感が感じられないし、意味のあるセリフは多くはない。
饒舌はドラマの深さを阻害するというのは当然だが、それは過剰な説明に頼らなくてもいいように作劇の力が備わっていることが前提条件だ。でも本作にはそれがない。あるのは気取った映像と思わせぶりな会話(らしきもの)だけだ。この監督(斎藤孝)は、小綺麗な場面をカメラを動かさずに延々と捉えることで、凡百の映画とは違う内省的な表現をモノに出来ると思い込んでいるフシがある。
それは違うのだ。まずやるべきことはキャラクターの造型だろう。そしてドラマの盛り上げ方を工夫すべきだ。ヒロイン像は坂井真紀という達者な俳優を得ているおかげで何とか見ていられるが、それでも浮ついた実体感の無さは如何ともしがたい。どうして結婚もせずにロクでもない男とズルズル関係を続けているのか、そのみっともなさや諦観があまり感じられない。感情を露わにするシーンでもどこか表面的だ。相手の大学生に至ってはただのデクノボーである。いかなるポリシーを持って日々を送っているのかさっぱり分からない。演じるのがキャリアのない小林且弥なので尚更だ。
主人公が音大に通っているわりには劇中の音楽の使い方は凡庸だし、人間社会を動物園に例えるといったモチーフも手垢にまみれたものでしかない。納得できる登場人物といえば、無骨な頑迷ぶりを上手く表現していたヒロインの父親(渡辺哲)ぐらいだろう。
ひょっとすると“誰かに出会うことで、自分自身を変えるきっかけを掴めることがある”ということを監督自身が信じていないのではないかと思うほど、全編のヴォルテージは低い。思わせぶりなラストシーンや、二人を引き合わせるバイト先の先輩が映画の後半でいつの間にか消えてしまう不手際も含め、作り手の未熟さばかりが目に付いてしまう困ったシャシンだ。