お手軽なホームコメディのようでいて、なかなか深いところを突いてくる玄妙な映画だ。嫁さんに出て行かれ、高校生の娘と二人暮らしの中年男(宮迫博之)が父親の遺産で喫茶店を開業。それまでゼネコンの下請け業者に甘んじていた彼が心機一転のつもりで敢行した施策だが、感覚としては30年は遅れていると思われるインテリア&エクステリア、名前も“純喫茶磯辺”なる超ダサな店舗である。
コーヒーが美味いわけではなく、料理は冷凍食品で、そもそも喫茶店を開こうとした動機が“コーヒーに関してのウンチクを垂れて女の子の目を引きたい”という不純極まりないものだ(笑)。当然店は閑古鳥が鳴くばかり。ところが彼が外見に惚れてウェイトレスとした雇った若い女が思わぬ波乱を巻き起こす。麻生久美子扮するこの女の性格設定が出色だ。
後半、彼女と以前付き合っていた男が押しかけてくるシーンがある。彼は“お前は人の心が分からない!”と罵る。それは事実で、他人の想いをまったく顧みない彼女には、友人はいない。ところが人との交流を断って孤高を決め込んでいるわけでは、決してないのだ。
たとえば、店主からチラシを駅前で配るように言いつけられるシークエンス。彼女はためらいもなくファーストフード店で油を売り、チラシの束を捨てる。店に戻った彼女は、メイド風の“ユニフォーム”に身を包んで店の前でチラシを配り、結果的にそれは客を呼び込むことなる。彼女は状況を見極めてチラシ配布の絶好のポジションを選び、なおかつ“効果がないと思われる駅前でのチラシ配り”を要請した店長の顔も立てるという、極めて合理的な判断に基づいて行動している。しかし、駅近くの別の場所でチラシを配ろうとして上手くいかなかった店主の娘の心情を慮ることはない。
このように、物事を功利的・機能的な面からしか見ない彼女が他人から理解されないのは当然のことなのだ。こういうキャラクターを微温的になりがちなホームドラマに放り込むと面白い展開になる。登場人物達にとって何が一番“合理的”なことなのか、余計な遠慮やためらいを抜きにして作劇全体を俯瞰するヒントになるのだ。彼女の存在を契機として、彼らがそれなりの“合理的”な結論を見出していく終盤は、適切なパーツがキチッと収まるような心地よさを見ていて覚えることになる。
さらに映画全体を店主の娘の目から捉えていて、彼女の成長物語になっていることもポイントが高い。演じる仲里依紗は非常に魅力的で、クルクル変わる表情とフットワークの軽さ、特にふて腐れている時とカワイコぶっている時との大き過ぎるギャップが、見ていて実に楽しい。本当に最近の日本の若手女優は逸材揃いである。
吉田恵輔の演出は軽いように見えてツボを抑えた達者なもの。やや説明臭いセリフが目立つが、最後まで引っ張る力量は確かだと思う。濱田マリや近藤春菜、ダンカン、斎藤洋介といった脇役も味があり、クレイジーケンバンドによる主題歌も良い。観る価値はたっぷりある佳編だと思う。