元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「シークレット・サンシャイン」

2008-08-22 06:32:23 | 映画の感想(さ行)

 (英題:Secret Sunshine )宗教の無力さ、神の不在を痛烈に訴えた韓国映画の秀作だ。こういう題材ならば名匠ベルイマンの諸作を思い浮かべるが、この映画はああいう高踏的なタッチは狙ってはいない。小市民の地べたを這いずるような下世話な生態を追うのみである。しかし、だからこそ、観る者の心に迫ってくるような普遍性を獲得していると言える。

 夫を亡くしたヒロインは、ソウルから幼い息子を連れて夫の故郷の田舎町へやってきた。大好きだった夫に縁のあるこの地でピアノ講師として再起を図ろうというのだ。しかし、新しい環境にようやく慣れたと思った矢先、息子は誘拐事件に巻き込まれて殺されてしまう。絶望のどん底に叩き落とされた彼女を救おうとしたのは、その地で広範囲な布教活動をしていたキリスト教の一派であった。

 悲惨な運命も神の意志だとの教えを受け入れ、ようやく落ち着いた彼女をさらなる不幸が襲う。すべてを悟ったような心境で犯人との面会に臨んだ彼女は、安易に神にすがった自分の行動がいかに偽善に満ちたものであるのかをイヤというほど思い知ることになるのだ。

 作者は言う、神はいないのだと。酷い犯罪が横行しようと、主人公が不道徳な振る舞いに走ろうと、神は沈黙するだけだ。同じように、死んだ者も何も語らない。死者の魂は千の風になって吹き渡ってなんかいない。ただ“不在”という厳格な事実がそこにあるだけだ。残された者は悲しみ、嘆き、その“不在”を受け入れるまでの辛い時間を過ごさねばならない。その原初的な構図を浸食するかのような世俗宗教など、何も役に立たない。

 ラスト近く、ヒロインの世話を焼きたがる中年男が“今でもたまに教会に行ってるよ。気持ちが落ち着くからね”と軽い口調で話す。ここでの宗教は、単なる気分転換のツールという地位にランクダウンさせられている。地獄を味わった後の彼女の決然とした表情の前では、どんな御為ごかしの“神の言葉”も無力なのだ。

 主役のチョン・ドヨンの、切迫した心理状況の表出は目を見張る。特に天に向かって神を誰何する場面の表情は素晴らしい。彼女の演技を見るだけでも本作に接する価値はある。相手役のソン・ガンホの飄々とした存在感も見逃せない。

 イ・チャンドンの演出は登場人物の甘えや逡巡に対してまるで容赦のない切り込み方を見せ、観客を圧倒する。前に観た「オアシス」はあまり感心しなかったが、その前の「ペパーミント・キャンディー」で見せた人間観察の鋭さがここではパワーアップした形で戻ってきている。俗っぽい韓流ドラマの作り手たちとは完全に一線を画す、世界に通用する人材だと改めて思った。
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