元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「天と地と」

2009-08-04 06:30:37 | 映画の感想(た行)
 90年作品。上杉謙信と武田信玄との対決を描いた、海音寺潮五郎原作の同名小説の映画化で、脚色・監督はあの角川春樹。角川映画の親分だった彼は自身も何本か演出を手掛けているが、おそらくこれはその中でも最低のシャシンだ。

 ストーリーは、誰でも知ってるからここでは紹介しないが、まずハラの立つのが登場人物がすべてカラッポだということ。各キャラクターがどういう性格しているのかまったく不明。セリフも棒読み。こりゃたとえ主演の榎木孝明の代わりに途中降番した渡辺謙が主役だったとしても・・・・ま、ちったあマシになったかもしれんが・・・・やっぱり駄作のまんまだろうね。

 封切り当時に某友人から「だめだよキミィ、そういう評論家みたいな見方しちゃあ。これはね、ゲーム感覚の映画なの。黒と赤との合戦パソコン・ゲームとして見れば、これほどの傑作はないよ」などと言われたが、おそらくゲームの方がもっと面白いと思う(笑)。そもそもあの合戦シーンは黒澤明の「乱」のモノマネである(それもかなり低級の)。これではテレビゲームのコンテンツにも負けるであろう。

 それにこの映画、技術がなっていない。まずカメラがブレっぱなしなのには閉口した。不自然なライティングはもとより、色彩感覚のカケラもない。ごちゃごちゃした背景にこれまたごちゃごちゃした模様の衣装をつけた武将たちの場面が多い。ときおり挿入される美しい(美しく撮ったつもりだろうが、全然キマラない)日本の四季の風景も興ざめ。製作時には国際市場を意識したらしいが、それならもうちょっとキチンと撮ってほしいものだ。

 50億円かけたそうだが、にもかかわらずなぜか画面がビスタ・サイズだ。「この映画を撮るのに自分の人生を賭けた」と言った角川監督だが、なんでシネスコで作らなかったのだろう。「配給担当の東映の映画館はスクリーン・サイズが小さいから」なんて言ってほしくない。そんなちっぽけなことで妥協するようなものに自分の人生を賭けたという監督のスタンスっていったい・・・・。

 そんな角川監督だが、最近は11年ぶりに新作を撮っている。佐々木譲の「笑う警官」の映画化だが、この原作はけっこう面白いだけに映画の出来がどうなっているか実に心配である(まあ、結局観ないかもしれないが ^^;)。
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「ウェディング・ベルを鳴らせ!」

2009-08-03 06:35:17 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Promets Moi )なかなか面白い。奇矯なコンテンツと濃いキャラクター、爆発するバルカン・サウンドといったエミール・クストリッツァ監督の“いつもながらの仕事ぶり”なのだが、マンネリ度合など微塵も感じさせずにラストまで引っ張る力業には改めて感嘆する。

 セルビアの田舎でノンピリと暮らしていた少年ツァーネだが、実はこの村は学校も閉鎖になるほどの過疎地域。若者が彼一人しかいない状況を心配する祖父は、ツァーネを都会へ花嫁探しにやらせる。そこで彼は可憐な美女ヤスナに一目惚れし、猛アタックを開始するのだが、それよりも彼が遭遇するブッ飛んだ面々の造型が楽しい。

 売春宿を経営し(ヤスナの母親もそこで働いていたりする ^^;)、不動産関係にも手を広げようとする暴力団のボスはやることがエゲツなくそのパワーにも圧倒されるのだが、彼と敵対する靴屋の兄弟も強烈で、何度となく派手なバトルを展開するものの両者とも“不死身”に近く、その有様はまるでマンガだ。ほとんど即死と思われるシチュエーションに遭遇しても、次のシークエンスには涼しい顔して出て来るのだから笑ってしまう。サーカスの大砲から放たれた人間砲弾が全編ほとんど地上に降りずに、町と村とを行き来して“狂言回し”みたいな役どころになっているのもケッ作だ。

 もちろんこの監督のことだから“ただのコメディ”では終わらない。ツァーネの祖父は孫に街でイコンを買ってくるように頼み、自らは教会の鐘の鋳造に勤しんでいる。もちろんツァーネもそのことに何ら疑問を抱かない。対して街のボスは世界貿易センタービルもどきの建物を中心とした新都心の建設に意欲を燃やし、露骨な地上げも平気で実行する。土着の文化を浸食するグローバリズムという普遍的な図式が盛り込まれているのだが、正面切って描くとワザとらしくなるこの構図もクストリッツァのアクの強い作劇の中にあっては、違和感などまったく感じられない。

 ラスト近くの、ツァーネ達を村まで追いかけてきたボス一味と村の連中との“死闘”は、有り得ない大道具・小道具を大量に繰り出しての乱戦で大いに盛り上がる。近頃珍しいスラップスティック・コメディの王道を歩むような展開で、拍手さえ送りたいほどだ。ウロシュ・ミロバノビッチやマリヤ・ペトロニイェビッチ、アレクサンダル・ベルチェックといったキャストはもちろん馴染みはないが、それぞれ良い面構えで作品世界に上手く溶け込んでいる。本年度のヨーロッパ映画を代表する快作だ。
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「藏」

2009-08-02 16:01:16 | 映画の感想(か行)
 95年作品。宮尾登美子のベストセラーを降旗康男監督が映画化したものだが、封切り時に観たときには落胆した。この映画がどれだけ原作に忠実に作られているか知らないが(読んでないので)、私だったら文字通り“酒造り”にとことんこだわる作劇をとりたいし、そう考える映画人も少なくないはず。なぜそうしなかったのか。

 新潟の由緒ある酒蔵を舞台にしたドラマで、ヒロインは盲目ながら苦難の末蔵主になった人物である。ならばそこまで彼女を惹きつける酒造りのエロティックなほどの魅力について語らねばなるまい。前半、職人たちが素手で麹を練り上げる場面がアップで捉えられるが、この粘りつくような描写こそ作品の命のはず。どうして美味しい酒が造れるのか、どうやれば芳醇な香りが得られるのか、このへんを徹底的に描出して欲しかった。

 対して、蔵元の一家にまつわる昼メロ的確執ドラマはバーンと引いてサッと流してもいいし、セリフなんかなくてもいいし、象徴的・暗示的に匂わせるだけで十分。その方がインパクトが強いし、音楽やカメラワークに細心の注意を払えば、中国・台湾映画の秀作群に通じる格調高さを獲得したかもしれない。

 さて、そんな思惑などおかまいなしに「藏」は実に東映らしい、下世話でケレン味たっぷりの田舎芝居に仕上がっている。ヤクザ映画の延長としか思えない展開と、随所に挿入されるお涙頂戴的場面。キャスト陣もすべて予想通りの演技しかしておらず意外性は皆無。さらに主演を務める一色紗英の学芸会的セリフ棒読み素人芝居にはドッとシラけた。当初の予定通り宮沢りえが演じていたら少しはマシになった・・・・とは思うけど作品のレベルはそう変わらなかっただろう。

 しかし、そんな映画ファンの落胆をよそに、当時は会場を埋めた年齢層かなり高めの観客からは絶えずすすり泣きの声が聞こえ、終映後の彼らの表情は一様に満足感を覚えているように思えたものだ。もしアメリカ映画でこの程度の作品だったら、そして観客層が若かったら、半分ぐらいは途中退場したかもしれない。

 ここには“日本映画ってこんなものでいいんだ”という甘えとあきらめが作者と観客の“なれ合い状況”を助長していると言えよう。高年齢層をお仕着せの予定調和ドラマで安心させて大量動員しようと考えた時点で映画は失敗した。向上心のない映画がいくら流行っても日本映画自体の発展には結び付かないことを送り手は知るべきだ。
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