広い庭ではないのですが、
猫からみればジャングルのようなもの。
ヒトからみても、じゅうぶんジャングルだという説もあり(・・笑)
先月帰省した呼夜に「ジュラシックパーク化してる」と言われた。
つる草とシダ類がふえたせいか。
「サイトB」のほう?
まあイングリッシュガーデンの対極にあることは確か。
彼岸花が咲き始めている。
ところで、
先日書いた「葉嘴庭師鳥」の話は、
どうせまた閑猫のデタラメでしょう、だまされないぞ・・
と思った方、残念でした。
あれは本当。 →こちらです。
その遠縁にイシナラベ(ステージメーカー)という鳥がいまして、
これは木の葉でなく、飴玉くらいの丸い小石を拾ってきて
ぐるっと円形に並べ、その中央で踊るという・・
・・のは嘘。
こちらは、いま書いているお話に出てくる架空の鳥。
とあるクーポンの貼り付け台紙を眺めていたら、
真ん中の文字に目がとまった。
「クーポンのコピーでのご応募は無効とさせていただきます」
コピーで応募・・
する人がいるのか!という驚きと、
その手があったか!という驚きが、半分ずつ。
S市の商店街で、お買い物をするとくれるシールが、
あるときからポイントカードに切り替わった。
S市に数年遅れて、隣のM町でも
ポイントカードが導入された・・のを記憶しているが、
ふと気づいたら、いつのまにか元のシールに戻っていた。
地元で買い物をする人の多くがお年寄りなので、
ポイントカードが何であるか理解されない。
たまった気がしないし、使い方もわからない。
ということだろうかと思ったら、理由は他にもあったようで。
店員さんいわく、
「シール貼るの好きな人がいてねェ・・」
M町のシールは、一度の買い物でもらう枚数が多い。
店の人はいちいち数えて渡さねばならないし、もらったほうは
500枚あつめて、きちんと台紙に貼らないと使えない。
しかも自分で裏に糊をつけて貼るので、面倒なのだ。
それがよかった、という。
シール貼りがおばあちゃんの大事な日課だったのに!
という抗議の声が、予想外に多かったらしい。
文明が進歩し、どんどん便利になるのは良い。
カード化し、デジタル化し、簡単になり、力がいらなくなり、
時間も手間もかからなく なっていく。それは良いけれど、
「手間がいらない」=「ヒトに優しい」とは限らない。
Three essentials for happiness;
something to do,
someone to love,
something to hope for.
「すること」がなくなり、「こうだったらなあ」という望みもすべて
満たされてしまったら、ヒトは幸福の3分の2を奪われたことになる。
で、本日の「謎」は何かといいますと、
冒頭のクーポンはコーヒーについているもので、
うちは消費量が少ないから、何か景品をもらおうと思ったら
3年分くらいためないと駄目だろう。
だけど、その会社には全国から大量に送られてくるに違いない。
それ、1枚1枚数えたり、コピーじゃないか確かめたりしている人って、
ほんとうにいるんだろうか?
と、思っただけ。
桜の秋は早い。
春に、いきなりあんなたくさんの花を咲かせるのだから、
それだけ疲れが出るのも早いのかもしれない。
まだ8月のうちから、ちらほらと色づいた葉が落ち始めている。
例によって、見ると拾いたくなり、
拾うと並べたくなる。
きりがない。
なんでしょうか、これは。
オーストラリア北部の森の中には
ハバシニワシドリ(歯嘴庭師鳥?)という鳥がいて、
地面をきれいにお掃除して、木の葉を並べる。
特定の種類の大きめの葉を、茎から噛み切って持ってきて、
白っぽい裏のほうを上に向けて一面に並べる。
これが、ただでたらめに並べるのではない。
重ならないよう、等間隔を保ち、風で位置がずれると元に戻す。
葉っぱがしおれて丸まってくると新しいのに取り替え、
他の枯れ葉やごみがまぎれこむと取り除く。
鳥は木の葉で何をしているかというと、
トランプ占いを・・ではなくて・・
これは「お嫁さん募集中」のディスプレイなのですね。
薄暗いジャングルの中で、空き地に並べた白っぽい葉は
木の上から見ると、けっこう目立つ、らしい。
ハバシニワシドリのお嬢さんは、それを目にすると、
お気に入りブランドのロゴマークにひかれるごとく
ぱたぱたと舞い降りてくる、らしい。
この鳥のくちばしは、ふちがぎざぎざのノコギリ状で、
葉っぱを噛み切りやすいようにできている。
不思議な習性、不思議な進化である。
しかし、目的は別として、ひとりでせっせと並べているときの
鳥の気持ちは、なんとなくわからないでもない。
いや、とてもよくわかる・・ような気がします。
いつも椅子をしょってる亀猫だと言われたので、
きょうはちょっと広いところでくつろいでみました。
どうでしょう、こんなポーズで。
飼い猫に、見えます?
(あのね、飼ってるわけじゃないのよ。
きみが勝手に来てるだけだよ~)
相変わらずこんな写真ばっかりでスミマセン。
ここから出るのは、やっぱり遠慮があるのです。
この椅子の下がボクは落ち着くのです。
(ゴハンだけもらえれば、それでいいらしい。
それ以上「なつく」必要は感じないらしい。
困ったね。亀みたいな猫さんですね)
グリムの白雪姫の話。
悪いお妃がこしらえた毒りんごは半分が赤く、半分が白く、
赤いほうにだけ毒が仕込んである。
この「半分白」という表現が、どうもひっかかっていた。
白いりんごって、見たことがない。
熟していないりんごは、たしかに赤くはないが、
それは日本語では「青い」と言うのではないかしら。
さらに、その「半分」というのが、「縦に半分」だと、
なぜかわたしは子どもの頃から思い込んでいた。
お妃が「2つに切って一方を」食べさせるせいもある。
りんごを2つに切るといったら、ふつうは縦ですよね。
しかし、左右に紅白染め分けのりんごというのは、
想像すると、いささか変である。
りんごに見えない。
ドイツ語の原書が読めないため、英訳本を仔細に読む。
すると、英文でもwhiteとredと書いてある。
白くて頬の赤いりんご、と。
(グリムを読むことになるならドイツ語をやっておくべきだった。
ルパンと三銃士が読めればとフランス語をとったのが大間違いで、
結局、ぜんぜん読めるようになりませんでしたし・・)
白雪姫の「雪のように白く、血のように赤い」に
かさねたwhiteとredであることはわかる。
しかし、この場合の白は、「白という色」よりも、
「色が薄い」「色づいていない」と解釈すべきだろう。
日本語で単純に「赤と白」と言ってしまうと微妙に誤解が生じる。
りんごの赤く色づいたところと、未熟な色の薄いところ。
って、ふつうに考えれば、上と下ですね。
すると、お妃は、横半分に切ったんだろうか。
想像すると、それも、なんだか変だけど。
<追記>
このつづきは →こちらです。
それにしても、仔細に読めば読むほど、
このお妃の執念の凄まじさには驚く。
変装して、7つの山を越えて、はるばる殺しにやってくる。
コムスメ相手に、3度も。
ほとんど「ターミネーター」並みである。
この人に比べれば、王子さまなんて、ぜんぜん影が薄い。
白雪姫の物語が時代を超えて語り継がれてきたのは、
やっぱり、悪役がいいから、でしょうね。
英国版アーサー・ラッカムの絵は小人も怖いのよ;
以下は、おまけ。
<白雪姫と7人の宇宙人>
白雪姫のゆめは、スターになることでした。
だいすきなポップス歌手のハンク・ハンクみたいに、
ヒットチャート1位になりたいと思っていました。
白雪姫は、きれいな声をしていました。
おどりもじょうずでした。じぶんで歌をつくることもできました。
もんだいは、ただひとつ――いじわるなまま母でした。
まま母は、むかし、ゆうめいなスターでした。
ワルイ・オキサキというなまえで、人気まじょバンドの
リードボーカルをやっていました。
でも、いまは声もしゃがれてしまい、もうスターではありません。
それで、白雪姫のことをひどくねたんでいたのです。
・・というのは、Laurence Anholtという人の書いた
昔話パロディ集で、10年以上前に頼まれて訳したものの、
刊行に至らなかった幻の1冊。
このあと、白雪姫は、まま母から逃げ出して、
<ナイトクラブ・宇宙船>の掃除係になるのですが・・。
他にも「おおかみずきんちゃん」とか「ジャックと豆の缶」とか
「はだかじゃない王様」とか、いろいろ変なのが入ってて、
面白いですよ。
「すすきの親玉みたいなの」と呼ぶ人が多いけれど、
和名はシロガネヨシ(白銀葦)という。
嫌写植物のひとつ。
↑
(どう撮ってもうまくおさまらないという・・閑猫造語)
明日は十五夜。
本物のすすきの穂はまだ出揃わず、お月見は、これで。
(ちなみに、「パンパース」はpampersですね。
pampasではなく)
サンゴロウのマグカップねー、
あったら欲しいねー、(←ないです)
なぁんて言っているうちに、
ついつい買ってしまったのが、これ。
たっぷり入って、持ちやすく、安定も良い。
よく仕事机に置くので、安定感は大切。
1個だけのつもりが、ついつい色違いも。
なりゆきで、ペアカップに。
どっち使う?