プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★天竜・二俣城

2010-04-08 10:10:18 | 日記・エッセイ・コラム

 秋葉ダムマラソンの前日、浜松駅近くの老舗鰻屋を訪ねた。それほど鰻に執着しないのだが、この店の味だけは忘れられず、浜松へ行けば必ず訪ねる。2001年4月の「小笠掛川マラソン」(現掛川・新茶マラソン)以来、実に9年ぶりだったが、相変わらず繁盛していた。遅めの昼食をすませ、レンタカーで天竜区二俣にある割烹旅館に向かった。

 104_025 104_021宿のご主人が夕食時に昔話を聞かせてくれた。かつて、切りだした木材を筏流しで天竜市の貯木場まで運んだそうで、活況を呈していた往時は、遊郭もあったとか。暴れ天竜で足止めをくった旅人が遊びに出掛けたさまを想像してみた。

 104_004_2 宿のすぐ近くに二俣城址があった。この城は、徳川家康と武田信玄が激しく争ったことと、家康の嫡男信康が自刃したことで有名だが、今は石垣だけが残っている。104_008 史実としては、元亀3年(1572)、信玄が家康の所領遠江に侵攻した。天竜川と二俣川の合流地点にある二俣城は、浜松城・掛川城の中間点でもあり、家康にとって最も重要な要衝だったことを知った。

 その土地、土地にそれぞれに歴史がある。合併によって、歴史上の深いひだが消されて行く。宿のご主人は、「合併で公共料金は上がるし、何でも浜松流を押し付けられて、良いことは何一つない」と、無念そうだった。いつの世でも、治世は難しい。