8月に、小諸の懐古園を訪ねた時、藤村記念館のすぐ横に、横山粗道の草笛の音源再生装置を見つけた。
笹薮の元で、毎日、集まってきた人たちに、草笛を吹いて聞かせていたそうで、その澄んだ音色に聞き入っていたら、藤村の「暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛」が思い浮かんだ。
園内を一周して、三の門に戻り、「懐古園」の扁額を見上げていたら、通りがかりの老人が、「正二位家達書」と記されている由縁を教えてくれた。
徳川家達は、慶喜の大政奉還により、幻の将軍になったが、新政府が、徳川宗家の家督相続を認め、駿府藩主として、70万石を与えたと知った。
老人にお礼を言い、すぐ近くにある「草笛」で、名物のクルミそばを注文し、人の世の縁をかみしめた。
笹薮の元で、毎日、集まってきた人たちに、草笛を吹いて聞かせていたそうで、その澄んだ音色に聞き入っていたら、藤村の「暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛」が思い浮かんだ。
園内を一周して、三の門に戻り、「懐古園」の扁額を見上げていたら、通りがかりの老人が、「正二位家達書」と記されている由縁を教えてくれた。
徳川家達は、慶喜の大政奉還により、幻の将軍になったが、新政府が、徳川宗家の家督相続を認め、駿府藩主として、70万石を与えたと知った。
老人にお礼を言い、すぐ近くにある「草笛」で、名物のクルミそばを注文し、人の世の縁をかみしめた。