プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★こころ

2011-08-17 09:27:22 | 日記・エッセイ・コラム

 ナイアガラの滝に転落した日本人留学生の事故は、震災で命を失った人々の無念さを思うとやるせない気分になる。私も20数年前に見物したことがあるが、柵をよじ登る人を冷やかに眺めていた。

 日本国内だと、必ず、防護柵の設置方法等、事故回避策が万全だったかと問題視されるが、外国では通用しない価値観だ。好奇心が招いた不幸な結果だが、自己責任の最たるもので、気の毒だが同情する気になれない。

 さて、放射能セシウム問題で、揺れに揺れ動いた京都の五山の送り火が、昨夜、行われた。この間の事情は、置くとして、放射能汚染問題は、これからも事あるごとに引きずることになる。震災のがれきや、汚泥処理問題も同様で、最終処分施設や場所をどうするかは、そう簡単ではない。

 誰かを悪者に仕立てあげ、解決出来る問題ではない筈だが、さりとて、人の心に戸は立てられない。過去、長年にわたり政府が先送りして来た諸課題が、政権交代によって一挙に噴出した形だが、次の総理は、はたしてこの難局をどう乗り切るのだろう。外国で、日本の政治は無能と評されている今まさに、政治家の心(=志)とリーダーシップが問われる。


★走りに年齢制限??

2011-08-14 09:59:58 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年、11月に開催される金沢市民マラソンには時間制限があり、年々、関門通過がプレッシャーとなって、ここ3年間参加を見送ったが、耳寄りな情報が舞い込んだ。

 市民マラソン参加者を対象に、通算6回の「トレーニング教室」を開催し、走りの基本を教えて貰えるという。初心にもどり受講しようと思い立ち、市民スポーツセンターの窓口を訪ねた。ところが、思わぬことでショックを受け、落ち込んでしまった。

 通常、マラソン大会は、年齢別に種目分けされる。その区分は、大会目的や参加者の規模等で異なるが、一般的に10㎞以上は、18歳(or20歳)以上に設定されている。これは勿論、健康上の理由からで、年少者は長距離種目には参加出来ない。一方、上限年齢は無制限で、制限時間や関門条件をクリアすれば完走出来る。

 ところが、ランニング教室には、上限年齢を設けていた。パンフレットに、「受講対象者は、18歳から65歳まで」との文字が、、、。「レースに年齢制限がないのに!」と息巻く私。「来年、受講しようかな」との妻の言葉が、追い打ちをかけ、欠場を決心した。これは差別じゃ~~!!。


★葉月の思い

2011-08-11 09:19:57 | 日記・エッセイ・コラム

016  萩原枯石の俳句に「八月や六日九日十五日」というのがある。数字を並べただけで、立派な作品になるというのも、それぞれの日が特別の意味を持っているからに他ならない。

 先日、菅総理が九日を八日と間違えたが、それを批判するTVの某司会者が、十五日をお盆と解説したのには耳を疑った。たしかに十五日にお盆の送り火をするところも多いが、句の意味するところは終戦記念日であることは言うまでも無い。

 コマーシャリズムに毒された現代では、毎日が記念日のようなものだが、史実に基づく記念日だけは大切にしたいもの。日本人にとって、八月は特別な月だが、三月十一日もまた忘れてはいけない日になった。五ヶ月前の今日を思い起こし、ふと、萩原の句に対する正解率はどれ位なのかと気になった。


★熱帯夜の夢

2011-08-09 14:35:48 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、「三菱重工業と日立製作所が統合」に向けて動き出したとのニュースに刮目していたら、一転、両社が全面否定したとの記事が出て、もう一度、驚いた。

 統合話がご破算になろうと私には、どうでも良いことだが、興味深かったのは、両社の創設に関わった大物実業家の経営哲学の違いだ。岩崎弥太郎と渋沢栄一の確執の象徴的事件は、「隅田川船中大論争」で語られるが、その背景をひもとくと、歴史的にも面白い。

 「企業利益は社長の一身に帰す(=逆に損失も同様)」とする岩崎に対し、渋沢は”資本主義の父”と呼ばれる「合本主義」者だから水と油の関係だ。その思想の流れを引き継ぐ三菱と日立が統合検討とすれば、まさに、明治は遠くなった。

 100年、或いは、1000年に一度の大震災の復興にあたり、政局絡みで行動する現代の政治家達には、己の信じるところを異にしても、大義の前に協力し合った二人にならって欲しいものだ。


★ヒバク:被爆vs被曝

2011-08-06 10:35:54 | 日記・エッセイ・コラム

 第93回全国高等学校野球選手権大会の選手宣誓を聞いているうちに、目頭が熱くなった。宣誓の栄誉を引き当てた金沢高校の石田主将の若者らしくきびきびした口調も爽やかだった。

 しかし、今日は同時に、広島で66回目の「原爆の日」を迎えた。原爆と原発を同一視出来ないが、「被爆」と「被曝」ともに「放射能の被害に苦しむ」点では同じだ。世界で唯一の被爆国日本は、核廃絶を訴え、原子力の平和利用を戦後の復興と経済発展の原動力として来た。

 この姿勢は、あながち間違っていなかったと思うが、3・11事故でこの神話は崩壊した。66年経っても、原爆の後遺症は消えないまま、被爆者の平均年齢は77歳になったとか。福島の原発事故が終焉するまでには、同様の気が遠くなるような時間を要するだろう。

 原発の効用、経済性や財政、雇用等々、社会構造に浸透している現実とのギャップをどう埋めて行くかは深刻な問題だ。しかし、社会構造は、人間が制御可能な次元の性格だ。核との共存は、不可能との教訓を得た日本が進むべき道筋は見えている。