こめんなさい
また1日、アップが遅れました
さて。
ひと月ほど前、お嬢さんが小学校高学年になった卒業生ママからメールをいただきました
その内容は、「娘の気持ちが読めません
」というものでした。(今回は、このブログにアップすることのご了解を得ております)
男の子でも女の子でも、多少時期的な違いはありますが、小学校4年生あたりから、扱いにくくなります。その時の親の気持ちは「あんなに可愛かったのに… 何を考えてるのかわかんない…
」です。
こういう悩みをお持ちのパパ、ママ達は、きっと少なくはないでしょう。
思春期に入っていく子ども達は、本人達も楽しくないのです
イライラしたり、メソメソしたり、何だかわかんないけど、パパもママも鬱陶しいし、先生もウザい(ゴメンナサイ、こういう言葉を使うことは良くないことを承知の上で)…
まずは、そのことをわかってあげませんか?
娘が結婚をしたことは、すでにご存知ですね。
その娘が披露宴の最後に、私達両親に宛てた手紙を読んでくれました。個人的な手紙ではありますが、披露宴というたくさんの人の前で読み上げたこと。そして、私の仕事を十分に理解している娘ですから、この手紙の中のことを、何らかのかたちで私がみなさまにお話をすることは承知のことと思います。
なので、敢えて、みなさまにその中の一部をご紹介しましょう
『・・・お父さん。
私は物心ついた時からずっと、お父さんがもし同級生にいたら、いちばんの親友になっていたんじゃないかなと思っていました。そのくらいお父さんとは感覚や波長が似ていて、お父さんといる時の私は、自分らしく、いつもリラックスしていたような気がしています。
今から10年以上前、お父さんと同じ大学に入学することが決まった時にくれた手紙を覚えていますか?
お父さんは手紙の中で、大学の校歌の一節を引用して「入学おめでとう。集り散じて人は変われど、仰ぐは同じ理想の光。大好きな校歌のフレーズを一緒に歌おう!」と書いてくれました。
私は、尊敬するお父さんに、一人の同志として認めてもらったような気がして、そのことが大学に入学することよりも嬉しく、一人涙したのを覚えています。
私とお父さんは、まさにこの歌詞のように、家族として暮らしを共にした時期を終えて、別々の人生を歩みだし、環境は変わっていくけれど、大切だと感じることはずっと同じだと思っています。
歳を重ねても、同じことで目を合わせてくすくすと笑いあえるような関係でいられたら、こんなに嬉しいことはありません。
お母さん。
お母さんにはなかなか素直になれず、つらい思いをさせた時期が本当に長かったと思います。特に思春期には、愛情深く接してくれるお母さんに対して、私はいつでもそっけなく、小さなことでも反発して、お母さんを困らせてきました。
そんな中でもいちばん後悔している、忘れられないお母さんとの思い出があります。
小学校高学年くらい、お母さんに誘われて一緒にディズニーランドに行った時のことです。
楽しませようとしてくれるお母さんをよそに、私は入場してすぐ「楽しくない。もう帰りたい。」と言い、無理やり出口に向かいました。
その道の途中でお母さんが「次にあなたがディズニーランドに来るのは、お母さんとじゃなく、お友達や彼と一緒かもね。」と少し寂しそうに笑いながら言ったのを覚えていますか?
私はその一言を聞いた瞬間、なんてひといことをしてしまったんだろうと、親不孝な自分を悔やみ、ずっと心にひっかかていて、いつか本当に素直になれる日が来たら、必ず二人でディズニーランドに行こうと決めました。
ようやく素直になれて、その決心が果たせたのは、その13年後、大学を卒業する春休みでした。
その時に撮った写真を何年間も携帯の待ち受け画面にしてくれているお母さんを見て、これからはたくさん親孝行をしようと心に決めたのを覚えています。
お母さん、過ぎた時間は取り戻せないけれど、その分、これからたくさん二人で話をしましょう。いろんなことを教えてください。いろんなところにでかけましょう。
どんなことでも興味深々、時々うっとうしいほど愛情深く、エネルギッシュなお母さんのように歳を重ねていきたいと思っています。・・・』
我が子の心が見えなくても、そこにいるのは愛する我が子です
自分の与える愛情が戻って来ないと感じるから、腹も立つし、不安にもなる…
でも、昔から言うように、親が子に与える愛情は「無償の愛」なのではありませんか?
無償の愛とは、報いを求めない愛情、です。愛したから、愛し返して欲しいと願わない愛情
私達親は、特に母親は、子ども達と距離が近い分、いつまでもいつまでも「私の〇〇くん、私の〇〇ちゃん」と思っていて、母親である自分が一番我が子を理解していたい
理解しているはず
そう思っている厄介な生き物です
我が家では、「父親と娘」「母親と息子」の距離が近く、お互い、それほを相手に大きく気を遣うことなくやってきました。息子が思春期を迎えた時期も、じつは私と息子の関係は悪くはありませんでした。(夫と息子の関係は… 酷いものでしたが)
しかし、そんな状況下で、高校1年生の息子から言われた一言が忘れられません。その言葉とはね…
「お母さんは僕のことを理解してくれてる・・・ だから、だからこそ、ウザい

」
でした。
どうです?言い得て妙、でしょう
私はこの言葉を聞いた時、思わず「いやー、ごめん。本当にごめんねえ
」と言ってしまいました。
理解してくれているから、反抗さえできない。反抗できないから、鬱々としてしまう… 口汚く罵倒もできない… どんでもない母親だ… ってことです。
思春期、反抗期。
子どもが見えない、などと悩まず、自分の楽しみを見つけませんか

もちろん、私だって、思春期の息子と娘を育てている渦中では、こんな「真理」にはたどりつけませんでした
思春期、反抗期の子ども達を「そっとしてやる」こと。もちろん、知らんぷりをしたら、またまた彼らは腹を立てます。「どうせ僕(私)のことなんて、理解しようとしてくれないんでしょう
」なーんてね。
でも、理解しようと努めても、努めなくても、彼らはイライラし、鬱々し、ちょっと触っただけで爆発しそうになっていたりする… だから、困ったような(まあ、本当に困るわけですから)、悲しいような、不安そうな顔をして子ども達を眺め、文句は聞いてやり、でも本気でオロオロしないこと
そして、自分の小さな楽しみを見つけ、ホッとするのです
マッサージに行くも良し。映画や展覧会を観に行くも良し。そんな時間はないわ、ということであれば、ちょっと高めのハーブティーを飲んだり、ゆっくりとバスタブにつかるだけでも、それを「楽しい
」と感じれば、それだけで素敵な癒しの時間になるものです

でも、やっぱり愚痴を言いたい~~~~、話を聞いて欲しい~~~~、という時には、どうぞいつでもマナーズに戻ってきてください
私はいつでも、笑顔でみなさまを待っています


さて。
ひと月ほど前、お嬢さんが小学校高学年になった卒業生ママからメールをいただきました

その内容は、「娘の気持ちが読めません

男の子でも女の子でも、多少時期的な違いはありますが、小学校4年生あたりから、扱いにくくなります。その時の親の気持ちは「あんなに可愛かったのに… 何を考えてるのかわかんない…

こういう悩みをお持ちのパパ、ママ達は、きっと少なくはないでしょう。
思春期に入っていく子ども達は、本人達も楽しくないのです

まずは、そのことをわかってあげませんか?
娘が結婚をしたことは、すでにご存知ですね。
その娘が披露宴の最後に、私達両親に宛てた手紙を読んでくれました。個人的な手紙ではありますが、披露宴というたくさんの人の前で読み上げたこと。そして、私の仕事を十分に理解している娘ですから、この手紙の中のことを、何らかのかたちで私がみなさまにお話をすることは承知のことと思います。
なので、敢えて、みなさまにその中の一部をご紹介しましょう

『・・・お父さん。
私は物心ついた時からずっと、お父さんがもし同級生にいたら、いちばんの親友になっていたんじゃないかなと思っていました。そのくらいお父さんとは感覚や波長が似ていて、お父さんといる時の私は、自分らしく、いつもリラックスしていたような気がしています。
今から10年以上前、お父さんと同じ大学に入学することが決まった時にくれた手紙を覚えていますか?
お父さんは手紙の中で、大学の校歌の一節を引用して「入学おめでとう。集り散じて人は変われど、仰ぐは同じ理想の光。大好きな校歌のフレーズを一緒に歌おう!」と書いてくれました。
私は、尊敬するお父さんに、一人の同志として認めてもらったような気がして、そのことが大学に入学することよりも嬉しく、一人涙したのを覚えています。
私とお父さんは、まさにこの歌詞のように、家族として暮らしを共にした時期を終えて、別々の人生を歩みだし、環境は変わっていくけれど、大切だと感じることはずっと同じだと思っています。
歳を重ねても、同じことで目を合わせてくすくすと笑いあえるような関係でいられたら、こんなに嬉しいことはありません。
お母さん。
お母さんにはなかなか素直になれず、つらい思いをさせた時期が本当に長かったと思います。特に思春期には、愛情深く接してくれるお母さんに対して、私はいつでもそっけなく、小さなことでも反発して、お母さんを困らせてきました。
そんな中でもいちばん後悔している、忘れられないお母さんとの思い出があります。
小学校高学年くらい、お母さんに誘われて一緒にディズニーランドに行った時のことです。
楽しませようとしてくれるお母さんをよそに、私は入場してすぐ「楽しくない。もう帰りたい。」と言い、無理やり出口に向かいました。
その道の途中でお母さんが「次にあなたがディズニーランドに来るのは、お母さんとじゃなく、お友達や彼と一緒かもね。」と少し寂しそうに笑いながら言ったのを覚えていますか?
私はその一言を聞いた瞬間、なんてひといことをしてしまったんだろうと、親不孝な自分を悔やみ、ずっと心にひっかかていて、いつか本当に素直になれる日が来たら、必ず二人でディズニーランドに行こうと決めました。
ようやく素直になれて、その決心が果たせたのは、その13年後、大学を卒業する春休みでした。
その時に撮った写真を何年間も携帯の待ち受け画面にしてくれているお母さんを見て、これからはたくさん親孝行をしようと心に決めたのを覚えています。
お母さん、過ぎた時間は取り戻せないけれど、その分、これからたくさん二人で話をしましょう。いろんなことを教えてください。いろんなところにでかけましょう。
どんなことでも興味深々、時々うっとうしいほど愛情深く、エネルギッシュなお母さんのように歳を重ねていきたいと思っています。・・・』
我が子の心が見えなくても、そこにいるのは愛する我が子です

自分の与える愛情が戻って来ないと感じるから、腹も立つし、不安にもなる…
でも、昔から言うように、親が子に与える愛情は「無償の愛」なのではありませんか?
無償の愛とは、報いを求めない愛情、です。愛したから、愛し返して欲しいと願わない愛情

私達親は、特に母親は、子ども達と距離が近い分、いつまでもいつまでも「私の〇〇くん、私の〇〇ちゃん」と思っていて、母親である自分が一番我が子を理解していたい



我が家では、「父親と娘」「母親と息子」の距離が近く、お互い、それほを相手に大きく気を遣うことなくやってきました。息子が思春期を迎えた時期も、じつは私と息子の関係は悪くはありませんでした。(夫と息子の関係は… 酷いものでしたが)
しかし、そんな状況下で、高校1年生の息子から言われた一言が忘れられません。その言葉とはね…
「お母さんは僕のことを理解してくれてる・・・ だから、だからこそ、ウザい



でした。
どうです?言い得て妙、でしょう



理解してくれているから、反抗さえできない。反抗できないから、鬱々としてしまう… 口汚く罵倒もできない… どんでもない母親だ… ってことです。
思春期、反抗期。
子どもが見えない、などと悩まず、自分の楽しみを見つけませんか


もちろん、私だって、思春期の息子と娘を育てている渦中では、こんな「真理」にはたどりつけませんでした

思春期、反抗期の子ども達を「そっとしてやる」こと。もちろん、知らんぷりをしたら、またまた彼らは腹を立てます。「どうせ僕(私)のことなんて、理解しようとしてくれないんでしょう

でも、理解しようと努めても、努めなくても、彼らはイライラし、鬱々し、ちょっと触っただけで爆発しそうになっていたりする… だから、困ったような(まあ、本当に困るわけですから)、悲しいような、不安そうな顔をして子ども達を眺め、文句は聞いてやり、でも本気でオロオロしないこと

そして、自分の小さな楽しみを見つけ、ホッとするのです




でも、やっぱり愚痴を言いたい~~~~、話を聞いて欲しい~~~~、という時には、どうぞいつでもマナーズに戻ってきてください

私はいつでも、笑顔でみなさまを待っています
