昨日は曇っていても、
雪解けがさらに進み・・・・
ワタシ、この「雪解け」ということばが好きですが、
いつも思うことは、何故、雪が「とける」の漢字が
「溶」ではなく、「解」の方なのだろう?
・・・と言うこと。
「溶」は、固体が液体になるときに使う漢字。
「解」は、ほどける、解放される、謎を解くなどに
使いますよね。
「雪が溶ける」でもイイように思うけれど・・・
でも、「氷解」ともいうから、やっぱり「雪が解ける」で
正解なんでしょうかね。
「解」は「解放」の意味もあるから、
長い間の雪から「解放される」という意味合いも含むのか??
不思議、ふしぎ、フシギ・・・(?_?)
もうひとつ、ついでに漢字つながりで。
最近話題の「ご飯のおとも」。
この「おとも」は、わたしはずっと「お供」だと思ってきました。
そしたら、先日テレビでは「ご飯のお「友」」と書かれていて、
「友」?と思いました。
で、先日、教会のある方々にこのことを話したら、
「お「伴」でしょー!」と声を揃えて言われました。
えッ~~~!
それは意外な・・・
ワタシ、のけぞりましたが、本当はドレ?
ちなみに検索したら「供」を使ってましたけど~。
だから最近、わたしは面倒くさいから、
雪が「とける」、ご飯の「おとも」、
というように全部ひらがな表記!!
日本語は便利です。ひらがなはなんでも正解ですもの。笑!
(あ、ごまかしだって?・・・そう・・・かも知れませんね~。
そうそう「誤魔化し」転じて「胡麻菓子」って言うお菓子あるの知ってる?
確か胡麻を水飴で固めたものだった気がしますが。懐かしい。)
ことば遊びみたいになった今日のブログ。
ことばって面白いし、人間にはなくてはならない
コミュニケーションツールですもんね。
手話(sign language)も手で表現することばだし、
ゼスチャーやbody languageも体で表現することばだし。
サスペンスでは、「死体も語っている」なんて言うように、
ヒトは何かしらことばを持つ存在なんですよね。
今日の聖書のことば。
「 初めに、ことば(イエス様)があった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。 」
ヨハネの福音書1章1節
ことばにこじつけた感じですけど・・・
ことばはコミュニケーションにとって
とても大切です。
表に出ようが、こころの中の叫びだろうが、
ことばは伝わります。
神様は目に見えません。
だから、人間にわかるように、
イエス様が人になって、この地上に来られました。
「神様ってこんな方なんだよ~。
わたしを見たらわかるよ~。」
と、私たちに教えてくださるために、
そして、神様とコミュニケーションが取れるようにと、
イエス様が来て下さったんですよ。
だから「ことば」として表現されています。
ここあでした。
雪解けがさらに進み・・・・
ワタシ、この「雪解け」ということばが好きですが、
いつも思うことは、何故、雪が「とける」の漢字が
「溶」ではなく、「解」の方なのだろう?
・・・と言うこと。
「溶」は、固体が液体になるときに使う漢字。
「解」は、ほどける、解放される、謎を解くなどに
使いますよね。
「雪が溶ける」でもイイように思うけれど・・・
でも、「氷解」ともいうから、やっぱり「雪が解ける」で
正解なんでしょうかね。
「解」は「解放」の意味もあるから、
長い間の雪から「解放される」という意味合いも含むのか??
不思議、ふしぎ、フシギ・・・(?_?)
もうひとつ、ついでに漢字つながりで。
最近話題の「ご飯のおとも」。
この「おとも」は、わたしはずっと「お供」だと思ってきました。
そしたら、先日テレビでは「ご飯のお「友」」と書かれていて、
「友」?と思いました。
で、先日、教会のある方々にこのことを話したら、
「お「伴」でしょー!」と声を揃えて言われました。
えッ~~~!
それは意外な・・・
ワタシ、のけぞりましたが、本当はドレ?
ちなみに検索したら「供」を使ってましたけど~。
だから最近、わたしは面倒くさいから、
雪が「とける」、ご飯の「おとも」、
というように全部ひらがな表記!!
日本語は便利です。ひらがなはなんでも正解ですもの。笑!
(あ、ごまかしだって?・・・そう・・・かも知れませんね~。
そうそう「誤魔化し」転じて「胡麻菓子」って言うお菓子あるの知ってる?
確か胡麻を水飴で固めたものだった気がしますが。懐かしい。)
ことば遊びみたいになった今日のブログ。
ことばって面白いし、人間にはなくてはならない
コミュニケーションツールですもんね。
手話(sign language)も手で表現することばだし、
ゼスチャーやbody languageも体で表現することばだし。
サスペンスでは、「死体も語っている」なんて言うように、
ヒトは何かしらことばを持つ存在なんですよね。
今日の聖書のことば。
「 初めに、ことば(イエス様)があった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。 」
ヨハネの福音書1章1節
ことばにこじつけた感じですけど・・・
ことばはコミュニケーションにとって
とても大切です。
表に出ようが、こころの中の叫びだろうが、
ことばは伝わります。
神様は目に見えません。
だから、人間にわかるように、
イエス様が人になって、この地上に来られました。
「神様ってこんな方なんだよ~。
わたしを見たらわかるよ~。」
と、私たちに教えてくださるために、
そして、神様とコミュニケーションが取れるようにと、
イエス様が来て下さったんですよ。
だから「ことば」として表現されています。
ここあでした。