ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

復活したもの

2012-11-20 07:57:22 | その他
日に日に寒さが増して来て、
朝起きるのが辛くなりつつあり、
台所に立つのも辛くなる季節になりました。


我が家は築35年以上の家ですので、
台所は広いが、かなり寒いし、
ストーブは取り付けられない造り。


そして、トイレも、玄関も、廊下もみんな寒くて、
部屋から廊下に出たら、かなりの温度差があるので、
高齢者には無理がかかります。


最近の機密性が高い、どこもかしこも暖かいお宅で
一度、食事の支度をしてみたいわ~!







ところで、寒くなってきて、
娘もお弁当は冷たいのが辛くなってきたと言うので、
思い出して、棚の奥から引っ張り出してきたのがコレ。



キティちゃんの「ランチジャー」。かわいいでしょ~~?


今から13年以上前に買ってあげたお弁当。

小学校の3、4年の時に買った時は、
カバーもあったんだけどね、
さすがにカバーは傷んでしまって、
色も褪せてしまって、使えなくて破棄。


でも、とっておいた甲斐があったというものです。
これを明日から使うというの。


中は、小さなおかず入れ、その下に小さなご飯入れ、
そのまた下は小さな汁物入れ。


娘の第一声

「ご飯、足りるかなあ・・・」



何言ってんだろ・・・


昨日まで持って行ってた小さいタッパより大きいよ!



娘「アリ?・・・」


時々、こうなる娘です。



そして、
朝と夜の寝る前まで、
娘の特等席は、ストーブの真ん前。


ちょっとは年寄りにも気ィ遣ってよォ~


暖かさが来ないじゃないのよォ~








いやあ、それにしてもよ・・・

子どもというのは成長が早いですねえ


キティちゃんのランチジャー持って
小学校へ行っていた頃が昨日のことのように
思い出されますよ・・・。


朝、学校にランドセル持ってかないで、
玄関に置いといたっけねえ・・・・・・



学校の池に落ちたっけねえ・・・・・・



新しい傘をいつも壊して帰ってたっけねえ・・・・
何本傘あっても、足りんかったねえ・・・・




従姉妹と二人で、弘前市内を迷子になって、
何とか遠距離を歩いて実家まで帰ったっけねえ・・・・・



「おむすびコロリン」のおばあさん役、やったよねえ・・・・
覚えてる~?



あん時さあ、緊張するって言ってた主役の
おじいさん役の子と一緒に、
舞台袖の陰で、二人でお祈りしてたってねえ・・・・・

覚えてる~?





今日から、温かいお弁当で、
身も心も温まっておくれ~。






さて、今日は連れが、遠く県南地方へ
会議で出かけました。

県南地方というのは、八戸方面の事なんですよ。
津軽の南部は県南とは呼ばないんですよ。
不思議なことに。


でも何故?


あ、南部藩の「南」からきてるのかしら?



さて、クリスマス会のカード作りました。
(2種類のうちの一つ)



これを来週のクランツの時も配ります。


うちの教会の祝会の、毎年の恒例と言えば

津軽弁の降誕劇です!!


それに加えて、今年は、教会員による

学芸会します!!


小学校みたいだけど、
つまり、「プレゼンテーション」ですよ!


さて、どんなことになりますやらねえ????


今のところ、合唱、手話賛美、独唱、楽器演奏、お笑いクイズ・・・
(もしかしたら手品、大道芸も??何が出るか当日までわからないヨ)





ここあでした。






















初雪の津軽

2012-11-19 11:10:08 | 風景・散策
昨日の初雪は大した事がなかったのですが、

今朝、起きて外を見たら屋根に雪が・・・。
まだ粉砂糖か、小麦粉かって感じですが。

この程度で済んでくれたら、
雪はロマンティックですてきなんですけどねえ。




庭のトレリスにもうっすらと雪。
数時間後にすぐ消えました。




どこからかモミジが風に吹かれて来たようです。
我が家にはモミジ系の樹は一つもありません。


ちょっとその辺をお散歩。



晩秋の、いや初冬の道路はモミジやサクラなどの
紅葉樹の落ち葉で芸術的!
もうそこはキャンバスですよね。


「雪は天からのお手紙」なんて、
どなたかいいましたよね。


私はこの季節になると、

冬の寒さはキリストの痛みを思い、
雪の白さはキリストの十字架の贖いを思う


(正確な表現ではありませんが。意味は合ってたと思います。)

と言うことばを思い出しますね。
(私、毎年いってますよね。(笑))





昨日、教会から戻って、
夕食は「キリタンポ鍋」しました。
ただし、画像なし。

「キリタンポ」は秋田の大館の郷土料理。
ご飯をつぶして、棒に刺して、火で焼いて、
棒からはずして、切って鍋に入れて煮るもの。

(大館では棒のご飯を「タンポ」といいます。
それを切るから「切りたんぽ」かな?)


キリタンポを作るのは大変なので、
秋田の家庭では、ご飯を軽くつぶしてお団子にして、
それを焼かずに、鍋に入れて「ダマコ餅鍋」にして
食べる事が多いんですよ。

(あ、私、秋田に住んでいた事がありまして・・・)

今は、市販のきりたんぽもあるので便利。
その時は、必ずレンジでチンしてから
鍋に入れた方がおいしいのですよ。

そして、絶対長い時間煮すぎないこと。


笑い話ですが、

私の親戚の大館の人に、

「津軽の人って、キリタンポをおかずにして
ご飯も食べる」って笑われました!!


確かに、我が家も初めはそうでしたね。

キリタンポはご飯だから、白いご飯は必要ないんです。
でも、何となくおかず感覚だったから、
ご飯も食べていましたね。


今はキリタンポのみです。


ちなみに中国の人は、餃子は主食として食べるから
日本人のように、ご飯と一緒に食べないそうですよ。
びっくり!!








夏に福島のWさんから頂いたルピシアのウーロン茶。
麦茶と共に、冷やして飲んでいましたが、
冬はホットで飲んでます。

ルピシアと言えば、先日も友人から頂いた「紅茶の本」を
出している有名なメーカーです。




ルピシアは色んなお茶が揃っていて、
クリスマスバージョンもあるようですよね。
考えてますねえ。
気に入ってしまいましたよ!
(FBの「いいね」押してしまいました。)





例年より暖かい11月だから、
庭のバラをいつ剪定したらいいか
迷いに迷ってます。


そんな中、玄関の風除室のバラ「ザ・ダークレディ」が
開いてきました。



つぼみも小さくて、このままだと貧弱かも。

でも、寒い中でもがんばってくれているので、
貧弱でもいいです。



この先、みぞれと雨の日々が続きそうです。
津軽は、いよいよ長い冬の入り口に入ってしまいました。


夏になれば「暑い~」とこぼし、
冬になれば「寒い、辛い」と嘆き、
青森の、特に津軽内陸は、
気候的には厳しい盆地気候です。




いよいよ来週は「クランツ講習会」です。
クランツについて、来られた方たちに説明するので
改めて調べなくては。

そして、12月2日から始まるアドベントの為に
教会のリースとクランツも作らなくては。


今週は計画的に動かないと大変。


さっ!

まずはクリスマス祝会の案内カード完成から。


喜んで作りますッ!!




ここあでした。




















義父の洗礼式

2012-11-18 19:37:49 | 教会
今日は、朝から初雪の予報がありました。

覚悟しつつ朝を迎えた割には、
あまり降りませんでした。


あられが降ったのが、教会に行く時間の
午前9時過ぎ。
日中、少しだけ雪が舞った感じでした。


でも、今日はさすがに寒さが違いましたね。






さて、今日は義父の洗礼式の日でした。


教会には、数年前に自分の意思で数回来たことがありました。
しかし、それから更に体調を崩し、遠い距離を
一人で電車で来るのは困難でした。
(父は今年80歳。数年前に運転免許を返しました。)


今年の9月、義父から私の連れ合いに電話が来て、
「話がある」との事。


私たちはいつものことで、
また頼み事でもあるのだろうと思っていたのです。


しかし、内容は、私たちの思いとは違って、
「そろそろ自分も洗礼を受けたい」との事。

あまりの展開に、私たち家族も仰天。


そこから、義父の洗礼準備が始まって、
今日に至ったわけです。




先日も書きましたが、義父の体調に配慮して
今回は滴礼になりました。




洗礼後、教会からのプレゼントと、
娘(孫)からの花束のプレゼント。






今日の奏楽は娘、
私は義父の介助や礼拝の説明をしながら、
となりにすわっていたのですが、

やはり義父は、緊張で
どこか落ち着かなかった感じでしたが、
式の時は、落ち着いていたようで、
誓約も堂々としていた感じです。


父と子でありながら、
牧師と信徒でもあり、
主にある兄弟同士でもあり、


お互いにどう感じていることか。


私は、そんな二人を見て、
感動と共に、少しくすぐったい感じでしたね。



義父の入信のきっかけは「三人の名付け親」という古い映画ですが、
その映画の主演はジョン・ウェインだったそうです。

そして、映画の登場人物たち(強盗)が聖書の言葉によって
心が変えられていく様子を見て、
イエス様の言葉のすばらしさを以前から感じていたそうです。

そして、連れが毎年義父にあげていた
「ライフライン」のカレンダーに書かれている
みことばにはいつも感心させられ、
感化させられていたようです。


そうした中で、最近またこの映画を観る機会がありました。

強盗たちの心と自分の心は、大きな差がない、
自分は強盗はしたことはなくても、この強盗たちと
同じように罪深いと言う事に気づいたようです。

そして、かつて連れがあげたカードの中には次のみことぱが
書かれていたようです。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに
世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3の16)

義父はその聖書の言葉を知って、
このみことばのようにイエス様を信じれば、自分の罪も赦され、
救われることがわかったそうです。

そして、今後の人生、そう長くはないかも知れないが、
イエス・キリストに従って歩みたいと思って、洗礼を受ける決意をした、
と言う事です。



義父の為に用いられたのは、古い映画であり、
ライフラインのカレンダーであり、
1枚のカードでした。

いずれにしても、その中にあったのは
聖書であり、聖書のみことばでした。


何が用いられるか私たちにはわかりません。


たとえ小さな物(者)でも、神様は最大限に
用いて下さるのだと思います。


あきらめたり、「こんなもの、何になるの?」と決めつけたり、
切り捨てたりしてはならないと感じますね。



今日は、初雪が降った事もあり、
忘れられない一日になりました。


そして、皆様のお祈りにも感謝しています。
ありがとうございました。



ここあでした。



















パイナップルの代わり

2012-11-17 11:59:19 | 料理
雨続きで、今年の冬の降水量が
気になっています。

明日はとうとう初雪が降るらしい。


ああ、本格的な冬の入り口に入ったんだなあ・・・


「じたばたする~なよッ!!」


昔の歌を思い出しましたけど、


あの大雪が再び・・・トラウマに近いです。








さて、おととい煮た「ラ・フランスのコンポート」。




そのまま食べるのもいいけど、
今回は、こんなものに入れてしまいました。




酢豚ならぬ酢鶏(すどり)です。


豚肉ではなく、鶏肉が入り、
パイナップルの代わりに、ラ・フランスが
入ってるんです。


酢豚もおいしいですけど、
酢鶏もおいしいですよ。


今日は、鶏の挽肉をお団子にして入れましたけど、
鶏の唐揚げを入れたら、もっとおいしいです。
(前の日作って残った唐揚げとか、
市販の唐揚げとかで作ればもっと楽です。)


料理の中に、缶詰のパイナップルや果物を
使うことが嫌いな方もいますけどね。


私は大好きですよ~。



ちなみに、我が家の酢豚や酢鶏には、
時々、サツマイモやカボチャが入ったりします。
おいしいですよ。
なんでも可です。






衆議院の解散。


遅かった。


それにしても、第3極の日本維新の会、
一体どんな理念なの?


太陽党は、あっさり解体して、
維新の会に合流、
しかし、そのリーダーは石原さんに。

原発に対する政策は真逆だし。


小さいこと(原発問題は小さいことなのか?)を
今は云々しないで、

一致できることから始める?って。


彼らの一致とは、教育問題(日の丸、君が代問題)か。
一体彼らの目的、狙いはどこなんだろうか。


(追加文。

結局、維新の会に吸収される形で、
政策も維新の会の政策に鞍替えとか。
石原さんの本当の気持ちはどうなんですか?
今だけじゃないですか?
結局、日本維新の会からの離脱も早いのじゃ?)


一致と言う言葉も、理念という言葉も
随分薄っぺらくなったものです。



ドイツで、ヒトラーが登場したのは、
合法的な選挙によった事。
民衆が選んだのです。


そして、民衆はその頃、世の中にも政治にも
絶望していたのです。


私たちは、3年前に自公体制を変えて、
民主党に期待したのにこの有様でした。
まさに絶望が、今の日本の多くの心境だと思います。


マスコミにもあおられたかも知れません。
小泉さんの時もそうでした。


でも、私たちは、原発事故以来、
マスコミに対しても、だまされないように
気をつけなくてはならないことを
よくよく学んだと思います。


今までの政治家について、
その人がどういう信条の持ち主で、
何を主張し、行ってきたか、


今こそ、
自分の目で良く見、耳で良く聞き、
良く確かめた上で、
一票を投じなくては、と思います。



民意が通らなくなった
民主主義が崩壊したような日本国を
再び変えられるのもまた民衆自身なのですから。


あきらめてはいけませんよ!!



政治家だけが問われているのではありません。

私たち自身が、むしろ問われているんです。




選挙日は、12月16日(日)です。





ここあでした。






























原発関連本紹介と第二次告訴のこと

2012-11-16 09:26:04 | 原発関連

昨日、書店で見つけた本はこれです。





「目に見えない放射能と向き合って~岩手県南・水沢で~」
若井和生著(いのちのことば社)


若井先生たちの放射能被害のことは以前から
聞いていて、他人事ではないと思いながら、
心配して祈っていました。


娘も、岩手で生活していたとき
先生御家族とは何度か交わりを与えられました。


福島のことが問題にされている中で、
どうしてもホットスポットについては
あまり多く語れない、
と言うか、目をつぶっている感があります。


特に北関東、東葛あたりの情報は多くても、
意外に少ないのが岩手県南の情報です。

旧水沢市は、現在、奥州市という名前になっており、
ホットスポットは水沢を含む周辺の市町村に広がりました。
(先生によれば、一関、中尊寺のある平泉なども。)


そして、驚くべきは、周辺の放射線量よりも、
先生の所属の教会が最も高い線量だったという事です。
つまり先生方のお住まいがそのまま高線量に
曝されていたわけです。


お子さんの尿中にセシウムが出て、
奥様にも、先生にも、体の不調が出ました。



そんな中、母子避難した沖縄や、御家族で保養した北海道で
多くの避難者との出会いが与えられ、新たな重荷を、
神様から与えられているとのことです。


読んでいて、決して他人事には思えない内容で、
身につまされる思いをしながら、
読むうちに、胸にグッと迫るものがありました。


今、こうしている間にも、
避難できずにいる被災者が福島に大勢いる、
ホットスポットにも大勢いる。

話したくても、思いの丈を話せずに
抱え込んでいる人たちが大勢いる。

願いと現実の間で、
揺れ動いてもがき続けている人たちが大勢いる。



本当に、私には何ができるだろうか。


この本を読みながら、
もう一度考えさせられました。



是非ご一読をお薦めします。
被害者の正直な生の声が聞こえます。







昨日は、福島第一原子力発電所の事故に対する
「福島原発告訴団」の第二次告訴・告発状を、
福島地方検察庁に提出した日でもあります。


第一次は、福島県民の1324人分が6月に提出され、
それに続く第二次は、北海道から沖縄までの
13262人が告訴或いは告発しました。

私もその中の一人です。



以下に、「告訴団」のブログからの抜粋を載せます。





~一部抜粋~



「私たちは、原発事故により、故郷を離れなければならなかった者。


私たちは、変わってしまった故郷で、被曝しながら生きる者。


私たちは、隣人の苦しみを我がこととして苦しむ者。


そして私たちは、


経済や企業や国の名のもとに人々の犠牲を強いるこの国で繰り返される悲劇の歴史に、


終止符を打とうとする者たちです。






・この事故はどうして引き起こされたのか。


・そしてなぜ被害を拡大するようなことが行われたのか。


私たちは真相を究明し、今も続く原発事故の被害を食い止めなければなりません。


責任を負うべき人々が責任を負い、過ちを償うことができるよう、


民主主義社会のしくみを活かしていかなければなりません。






私たちは、深い憤りと悲しみの中から、


今回の告訴という行為の中に、未来への希望と、人と社会への信頼を見出します。




私たちはもう一度、その意味の深さを思い起こします。



・事故により引き裂かれた私たちが、再びつながり、力と尊厳を取り戻すこと。


・この国に生きるひとりひとりが大切にされず誰かの犠牲を強いる社会を変えること。


・これらを実現することで、子どもたちや若い人たち、未来世代の人たちへの責任を果 たすこと。




声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、


決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、


怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。









告訴対象者は、

当時の「原子力安全・保安員」、東電、福島県の健康アドバイザーの
人たちなど多数です。


責任の所在をはっきりさせ、現在も苦しんでいる人々への
補償を進めるために告訴に踏み切っています。



「うやむや」とか「闇に葬る」が、一番良くないと思います。
こういう日本では、全く先の希望が見えません。


「過去」をどう捉え、どう悔い改めるのか。

その上で、「現在」をどう生き、

そして、「未来」に何を残すのか。「未来」をどうしたいのか。


これは、原発問題だけのことではありませんよね。


人間の個人的な生き方そのものの有りよう
ではないでしょうか。



過去に目を閉ざして、無かった事にして、
或いは臭いものに蓋をして、
表だけ繕って、
見た目が平和であればそれでいい。


そんなスタンスのまま、
未来に進もう、と言うことが
本当にいいことなのかどうか・・・


今一度、考えさせられます。




ここあでした。