ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

一人産婦人科医長体制について

2008年09月23日 | 地域周産期医療

私も二十年ほど前に、一人産婦人科医長を2年間経験しました。その前は大学病院に勤務してました。

大学病院には大勢の医師が在籍しマンパワーには全く問題がありませんでしたが、当時(二十数年前)、若造の身では手術の執刀はほとんどできませんでしたし、自分にとって納得できない治療方針でも上司がこうだと決めたらその方針には否応なく従わざるを得ない立場にもだんだん嫌気がさしてました。『自分にとって納得できる医療を自由に実践したい!』という思いが日に日に募っていた頃に、突然教授室に呼び込まれて、とある地方病院での一人産婦人科医長勤務を命ぜられました。

いきなり、比較的暇な生活から、病院に連日連夜こもりきりのハードな生活に一変しました。外来診療の合間に1日5~6件の緊急手術を執刀したり、徹夜明けで広汎性子宮全摘の執刀をしたりと、今から考えるとその労働条件は良質な産婦人科医療を提供するのには全く不適当でしたが、当時は自分の納得できる医療を思う存分に実践できることが内心うれしくてたまりませんでした。充実感にあふれた非常に楽しい毎日でした。

しかし、どんどん仕事量がうなぎ登りに増えてきて、体力的にも気力的にも一人の医師の限界をはるかに超えてきて、科の維持のためにはマンパワーを充実させることが必須条件だと痛感しました。自分の場合は、たまたま一人産婦人科医長時代は最初の2年間だけで済んだので、若さの勢いで何とか乗り切れました。現在の科の仕事量は当時とは全く比べものにならず、一人産婦人科医長の体制に戻るのは絶対無理だと思います。

また、一人医長の体制だと大勢のスタッフがすべて自分の思い通りに動いてくれるので、たいへん居心地がいい面があります。しかし、我流でも何でもまかり通ってしまう弊害があります。医師が二人になり、三人になり、四人になりとだんだん増えていけば、医師間の意思統一を図るためには、我流では医師全員の納得が得られなくなるので、標準医療に従わざるを得なくなります。長年、一人医長でやっていると複数医師の体制では全くやっていけない体質になってしまいます。そういう境遇からはなるべく早く脱却した方がいいと思います。


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2 コメント

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分娩施設の集約化について慎重な意見が上層部に出... (産科開業医)
2008-09-23 18:37:25
ある程度病院を中心に集約化は不可避でしょうが、日本のお産の半数近くは開業医でされていますので、その存在をさすがに無視出来なくなったと推察します。
集約化を名目に開業医をどんどん潰したいお役人とは一線を画したいものです。必要なのは安全性を重視しつつ、日本独自の多様性ではないでしょうか?既に成績は良いのですから。
多様性が認められて初めて産婦人科医をしたくなる人が増える可能性(確証はありませんが)があると思われます。
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産科開業医・さま、コメントありがとうございます。 (管理人)
2008-09-24 07:28:44
病院勤務の産婦人科医も減ってますが、開業医の先生方も分娩取扱いを中止して婦人科や不妊症に特化する傾向が顕著です。

現時点で、分娩の半数近くを開業の先生方が担っているわけですから、いきなり病院だけで産科医療のすべてを担う体制を構築しようとしても無理だと思います。

長野県の場合は、元々、病院での分娩が7割以上を占めている上に、分娩を取り扱う開業の先生方の平均年齢もかなり上がってきて、最近、分娩取扱いを止める先生が増えているため、各地域の分娩が基幹病院に集中する傾向が顕著になってきています。

当医療圏(飯田・下伊那)においても、昨年より当科の分娩件数が五百件から千件に倍増しましたが、数年以内にさらに五百件以上増える可能性があります。それまでに当科の体制を十分に強化しておく必要がありますが、開業医の先生方にはとにかく頑張れるだけ頑張っていただきたいと思っています。病院と開業医との連携が重要だと思います。

隣の医療圏(上伊那)では、2つあった基幹病院のうちの一つが分娩取扱いを中止し、開業医での分娩もほとんど行われなくなったために、いきなり地域のすべての分娩が一つの基幹病院(伊那中央病院)に集中する状況となり、大学病院の支援により常勤医数を倍増し、施設の改修も行って、分娩件数の急増に対応しています。
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