ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大野病院事件 第7回公判

2007年08月31日 | 大野病院事件

コメント:

本日は、大野病院事件の第7回公判が、福島地裁で開かれ、被告人質問が行われました。これからネット上で得られる情報を収集し、順次追加していく予定です。

リンク:

大野病院事件についての自ブロク内リンク集 

第七回公判について(周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ)

ロハス・メディカル ブログ
 福島県立大野病院事件第7回公判(0)
 福島県立大野病院事件第7回公判(1)
 福島県立大野病院事件第7回公判(2)
 福島県立大野病院事件第7回公判(3)
 福島県立大野病院事件第7回公判(4)
 福島県立大野病院事件第7回公判(5)

大野事件、第7回公判!(産科医療のこれから)

福島県立大野病院事件第七回公判(天漢日乗)

****** OhmyNews、2007年9月1日

被告医師も検察調書を否定「クーパー、理解されなかった」 福島県立大野病院事件、第7回公判

軸丸 靖子

 福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した同院の産婦人科・加藤克彦医師が業務上過失致死などに問われている福島県立大野病院事件の第7回公判が8月31日、福島地裁で開かれた。今回から数カ月かけて、弁護側の証人尋問が行われる。

 被告人質問に立った加藤医師は、争点の1つであるクーパー(手術用はさみ)の使い方について、「クーパーを使うこと自体が違法行為だという前提で検察の尋問を受けた。何度もそうではないと説明したが受け入れられなかった」と証言。クーパーを使ったのは間違っていたと供述したとされる検察調書を否定した。

 この日証言台に立ったのは加藤医師1人。午前9時半の開廷から午後7時まで延々尋問が続いたがそれでも終わらず、弁護側最終尋問を持ち越すほどの長丁場だった。

 冒頭、弁護側は、逮捕から起訴まで21日間、検察による連日の過酷な取調べがあったことを指摘。特に最後の1週間は平均10時間近い拘束で、「頭がぼーっとするようなこともあって何が事実か分からないことがあった」(加藤医師)状態で調書の大半が集中的に作成されたことを明らかにした。

 その上で、加藤医師は癒着胎盤と子宮との剥離を手で行わず、クーパーで乱暴に切除したとする検察側調書について、

 「クーパーを使うのは危険であるとの前提で検察は話をしてきて、何度もそうではないと説明したが、受け入れられなかった。かみ合わない状態が逮捕されてからずっと続いた」

 と取調べの状況を説明。

 『剥離開始時は右手3本の指を差し入れることができたが、徐々に入らなくなり、指2本、それも困難になり、やがて1本の指も入らなくなった。指より細いクーパーであれば差し込むことができるだろうと安易に考え、クーパーでの剥離を開始した』

 とする検察調書についても(「検察側冒頭陳述」参照)

 「何度説明しても理解してもらえない状況で、どう言えば良いのかと。例えば3本の指が2本の指、1本の指、それからクーパーというように言えばいいのかと聞いたら、『そう、そういう風に具体的に』といわれ、それで調書が作られてしまった。(3本、2本、1本というのは)実際の状況ではない」

 「まるでクーパーを使うこと自体が違法行為だという見方で尋問を受けた。殺人者としてクーパーを使ったとも言われた」

 「最後の調書読み上げで供述内容に訂正を入れるときには、他の訂正箇所に気をとられていて、訂正が及ばなかった」

 と、検察調書にある供述内容を否定した。

 また、「剥離は手指を使って静かに行わなければならないのに、指が入らなくなったからといってクーパーを差し込んだ」とする検察の主張についても、帝王切開であり術野は十分にあったこと、むしろ手を差し込んでは見えなくなる剥離部分が見えるためクーパーの方が安全であると反証した。

 一方の検察側も、加藤医師に対し、クーパーを使ったときの状況および検察での取調べに対する質問を繰り返した。

 次回は9月28日。

  * * *

 検察側は午後1時半から7時まで、予定時間を再三オーバーして同じ質問を繰り返した。だが、記事をまとめるにあたって、取るべきところは正直なかった。被告人質問という裁判の目玉であるにも関わらず、である。

 医療訴訟にはいろいろあるが、この事件に関しては、私は医師側・弁護側に立って取材している。被害者側に立たないのではない。単に医療崩壊を食い止めるために医師を守ろう、というだけでもない。ただ、医師という職業の特殊性を排除しても、警察・検察側の主張には無理があるのだ。その上に、医療事故を刑事裁判で解決しようとすることの無理がある。

 被害者のご遺族は裁判を傍聴されているが、公判が進むほどに、はたしてこの内容で、家族を亡くした悲しみや医師に対する怒りが癒されるのだろうか、と思えてくる。裁判の中で、亡くなった女性が手術台の上のモノの扱いをされるのを聞いて、かえって傷つくのではないか。手術室で何があったのかは明らかになるかもしれないが、そのために遺族が傷つく必要はあるのだろうか。

 話がずれたが、こうした私の考えや立場は差し引いても、この日の検察側尋問は取るところがなかったのだ。尋問の締めくくりに、検察は

 「(超音波検査)だけでなくMRIをやっておけば良かったと思わないか?」
 「医師として、癒着胎盤についての知識が足りなかったと思わないか?」
 「大学や近隣の病院から応援の医師を呼んでおけばよかったとは思わないか?」
 「クーパーを使わなければ良かったと思わないか?」
 「あなたは自分に、医師としての知識と手技と判断について落ち度があったとは思わないか?」

 と立て続けに問いかけたが、加藤医師はいずれも

 「思わない」「やれる限りのことを精一杯やった結果」

 と言い切った。

 常に知識を向上させることが前提の医師という職業に対しては、ピントのずれた質問だろう。昨日のベストは今日のベストではないからだ。大体、そういう状況で患者を前にベストを尽くせない医師では困る。

 この裁判には全国の医療関係者、そして患者が注目している。検察にはぜひ、説得力と聞きごたえのある尋問をしてほしい。

(OhmyNews、2007年9月1日)

****** 毎日新聞、2007年9月1日

大野病院医療事故:はく離中断考えず 執刀医、妥当性を主張--第7回公判 /福島

 県立大野病院(大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。初めての被告人質問で、加藤被告は術中、「出血も血圧も脈拍も安定していたので、はく離を中断しようとは思わなかった」と、はく離を継続した妥当性を主張した。【松本惇】

 起訴状によると、加藤被告は04年12月、帝王切開手術中、はがせば大量出血するおそれがある「癒着胎盤」であると認識しながら、子宮摘出手術に移行せず、手術用はさみ(クーパー)で胎盤をはがし失血死させた。また、医師法で定める24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかった。

 加藤被告は術前に行った超音波検査(エコー)の画像について「血流が胎盤から離れているので、癒着胎盤を疑うことはできない」とした。手術処置の妥当性などを鑑定した新潟大教授の医師は前回公判で、「癒着胎盤を疑ってもいいと思う」と証言していたが、加藤被告は鑑定医の見解を否定した。

 一方、胎盤を手ではがすことが難しくなった時点で、「癒着胎盤の疑いを少し持った」と語った。だが、胎盤が3分の2以上はく離しており、胎盤はく離後の子宮収縮による止血効果を期待してはく離を継続した、という。クーパーの使用については、はく離面を目視できることや局所的に力を込められることを挙げ、「手で胎盤をはがすよりもクーパーを使った方が子宮を傷つけず、胎盤の取り残しもない」と妥当性を主張した。

 検察側の「医師としての知識が不足していたと思わないか」という質問に対し、加藤被告は「精いっぱいの結果だった。最善を尽くしたと考える」と初公判での主張を繰り返した。

 次回公判は9月28日。弁護側が鑑定を依頼した産婦人科医の証人尋問を行い、場合により、加藤被告への尋問も再び行う。

(毎日新聞、2007年9月1日)

****** 福島放送、2007年9月1日11時12分

加藤被告、落ち度なしを強調/大野病院公判

大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。

被告人質問が行われ、弁護側の質問に対し加藤被告は胎盤を、はく離する部位を目視しながら医療用はさみ(クーパー)を使用したことを明らかにし、「手を使ってのはく離より、子宮を傷つけない」と医療行為に落ち度がなかったことを強調した。

一方、検察側は癒着胎盤を予見できたことについて追及したが、加藤被告はあいまいな供述を繰り返した。

公判は休憩をはさみ、約10時間にも及び、検察側、弁護側双方の再質問を次回以降に持ち越した。

次回は9月28日午前10時から。

(福島放送、2007年9月1日)

****** 朝日新聞、2007年9月1日

「癒着、手術中に気づいた」 

 -被告医師、検察の「事前認識」否定-

 県立大野病院で、04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、業務上過失致死と医師法違反(異状死体の届け出義務)の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)が、被告人質問に臨んだ。検察側が事前に認識していたと指摘した子宮内膜と胎盤の癒着について、加藤被告は「手術中に気付いた」とし、胎盤を無理にはがしたとする手術用ハサミの使用は、「適切な処置だった」と断言した。

 -ハサミ使用「適切な処置」-

 証言によると、加藤被告は、超音波検査などで女性の子宮内部に血流を認めたが、量が少なく、「前置胎盤では普通」と判断。尿に潜血も少量みられたが、膀胱(ぼう・こう)炎と診断した。超音波検査だけで、MRI検査をしなかったことには「癒着胎盤の診断に信頼性が低いため」と述べた。

 手術に際し、応援を依頼した別の医師に癒着の認識を示唆したことには「二つ返事で応援に応じてもらえなかったため」と証言した。

 帝王切開手術中の経過も詳細に証言した。

 子宮表面に血管が浮かんでいたが、「押すと消えたので、癒着胎盤とは思わなかった」とし、胎盤の位置は「子宮の後壁から前壁の下部にあった」とした。

 加藤被告は臍帯(さい・たい)を引いたが胎盤がはがれず、「癒着ではなく、子宮の収縮が悪いと思った」と証言した。手で胎盤を約3分の2剥離(はく・り)したころ、手でははがれにくくなったため、癒着胎盤も想定し始め、「先の丸いクーパー(手術用ハサミ)と手での剥離を併用した」という。理由について「手での剥離だとはがす場所が見えない。クーパーを使うと作業が遅くなるが、子宮も傷つけない」とし、正当な医療行為だと主張した。

 検察側が癒着があるとした子宮前壁の胎盤は、「後壁を剥離中に左手で持ち上げたら、ぺろんとはがれた」と証言した。剥離中の出血は550ミリリットルとし、加藤被告は「じわっと出血していた」と供述。出血は剥離後に増えたと述べた。

 取り調べ段階ではクーパーの使用が不適切だったと供述後、初公判で「適切な処置だった」と主張した。「安全性は説明したが、検察官には理解も納得もしてもらえなかった」と述べ、検察調書を否定した。

 ●「記憶する限り立証できた」 弁護側

 主任弁護人の平岩敬一弁護士は閉廷後、「加藤被告本人が記憶する限りのことを立証できた」と振り返った。検察調書の任意性を次々に否定したことについては、「刑事事件での被告人調書には、検察が考えたことが入りやすく、真実とかけ離れたものになりがち」と話した。

 ●調書の責任性 「何を問題に」 検察側

 福島地検の村上満男次席検事は、閉廷後、調書の任意性について、弁護側が「何を問題にしているのかわからない」と切り捨てた。さらに、「被告人の主張は、細かい部分で公判初期の主張と異なっていた」と指摘し、反対尋問である程度の反論をしたが、評価はまだ下せないとした。

 ◇「剥離の判断で過失」主張 これまでの検察側

 検察側は、胎盤剥離(はく・り)が原因の大量出血による失血死とし、「剥離が難しいと分かった時点で、子宮摘出などの処置に移行すべきだった」などと加藤被告の過失を主張した。女性は異状死で、24時間以内に警察署に届け出る医師法で定められた義務があるとした。

 第2回公判で、証人の産婦人科医、加藤謙一・双葉厚生病院副院長が捜査時の供述を翻し、「剥離でのクーパー使用は、手で剥離するよりも優れているかもしれない」などと弁護側の「素早く剥離(はく・り)するための妥当な医療行為」という主張に沿うような証言をした。

 第6回公判では、県警の依頼で、加藤被告の処置を検証する鑑定書を作成した新潟大学医学部の田中憲一教授が証人として出廷。癒着胎盤を無理にはがした場合の危険性などについて証言。子宮摘出に移ったタイミングは、「ちょっと遅かった。(早期に摘出すれば)救命可能性はあった」と、検察側の主張に沿った意見を述べた。

(朝日新聞、2007年9月1日)

****** 福島民友、2007年9月1日

医療行為の正当性主張/大野病院事件・被告人質問

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれ、加藤被告の被告人質問が行われた。

 初公判の罪状認否以来、約7カ月ぶりに手術の様子を供述した加藤被告は「手術用はさみ(クーパー)で無理に癒着部分をはがし取って失血死させた」などとする起訴事実を全面的に否認、あらためて無罪を主張した。その上で「適正な医療行為の中で偶発的に合併症が起きて女性が死亡した」とした。

 加藤被告は弁護側の質問に対して「胎盤の剥離(はくり)中は血圧も脈拍も安定していた。クーパーを使えば、胎盤の取り残しもなく子宮も傷つけない」と、クーパーを使った胎盤の剥離を継続した正当性を主張。

 「胎盤剥離後に血圧が低下したが、輸血などで血圧が上昇したのを確認して子宮摘出を行った。その後に(大量出血の要因となる)産科DICが起きた可能性がある。産科DICになっていなかったら助かったかもしれない」と述べ、適正な医療行為の中で偶発的に女性の状態が悪化して亡くなったと述べた。

 この日は、加藤被告への質問時間が予定より約1時間延長され、検察側の反対質問までで終了した。次回は28日午前10時から、弁護側の胎盤病理専門医の証人尋問が行われる。

(福島民友、2007年9月1日)

****** 福島民報、2007年9月1日

医療行為に「落ち度なし」 大野病院公判で加藤被告

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。被告人質問が行われ、弁護側の質問に対し加藤被告は胎盤を、はく離する部位を目視しながら医療用はさみ(クーパー)を使用したことを明らかにし、「手を使ってのはく離より、子宮を傷つけない」と医療行為に落ち度がなかったことを強調した。一方、検察側は癒着胎盤を予見できたことについて追及したが、加藤被告はあいまいな供述を繰り返した。公判は休憩をはさみ、約10時間にも及び、検察側、弁護側双方の再質問を次回以降に持ち越した。次回は9月28日午前10時から。

(福島民報、2007年9月1日)

****** 朝日新聞、2007年8月31日

手術・調書確認に迫る

 -大野病院事件公判 きょう被告人質問-

 県立大野病院で04年、女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁で開かれる。「適切な処置だった」として罪状を否認した加藤被告への被告人質問があり、手術方法の正当性や捜査段階での調書の信用性などについて本人の認識がただされる。

 公判では、胎盤と子宮の癒着を認識した時点で、胎盤剥離(はく・り)を中止すべきだったかどうかが争点になっている。

 弁護側は、剥離を続けたのは、出血を止めるためであり正当、と主張。加藤被告は初公判後の記者会見で、胎盤をはがすためのクーパー(手術用ハサミ)使用について、「勾留(こう・りゅう)中は取り調べに対し、『クーパーの使用は不適切だった』と言ったが、今はそういうことは考えていない」と述べ、正しい医療行為だったと主張した。どのような認識で胎盤を剥離したのか、法廷での発言が注目される。

 検察側はこれまでの公判で、県警の依頼で鑑定書を作成した新潟大学医学部の田中憲一教授らを証人尋問し、「クーパー使用の有無にかかわらず、無理やり胎盤をはがした点が問題」との主張を展開している。

 また、加藤被告は捜査段階での供述内容を翻しており、検察官調書の信用性が争点の一つ。検察側は、加藤被告の供述に強制はなかったとしているが、弁護側は取り調べに問題があったことの立証も試みる方針だ。

(朝日新聞、2007年8月31日)

**** 朝日新聞、2007年8月31日11:09

被告の医師が検察調書を否定 帝王切開手術中の死亡事件

 福島県立大野病院で、04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)が、被告人質問に臨んだ。

 加藤被告は「クーパー(医療用ハサミ)を使えば胎盤の取り残しもなく、子宮も傷つけないと判断したと説明したが、検察官には理解も納得もしてもらえなかった」と述べ、検察調書を否定した。加藤被告は、取り調べ段階では施術が不適切だったと供述していたが、初公判では「適切な処置だった」と主張した。

(朝日新聞、2007年8月31日11:09)

**** 毎日新聞、2007年8月31日11:43

産婦人科医が手術の妥当性主張 福島地裁

 福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。初めて被告人質問があり、加藤被告は「手で胎盤をはがすよりもクーパー(手術用はさみ)を使った方が子宮を傷つけず、胎盤の取り残しもない」などと手術の妥当性を主張した。

(毎日新聞、2007年8月31日11:43)

****** 河北新報、2007年8月31日

被告、あらためて無罪主張 大野病院事件 福島地裁

 福島県立大野病院(大熊町)で2004年、帝王切開中に子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁であった。加藤被告は被告人質問で「自分に落ち度はなかった。当時の状況の中で最善を尽くした」とあらためて無罪を主張した。

 争点となっている胎盤と子宮の癒着が分かった時期について、加藤被告は「はがれにくいのは胎盤癒着のためとは考えていなかった。剥離の途中、クーパー(医療用はさみ)を使い始めたころから胎盤癒着が頭に浮かんだ」と説明。癒着を認識した上で剥離を始めたとする検察側主張に反論した。

 検察側が危険性を指摘するクーパーの使用については「指での剥離が3分の2以上進んだ時点で、クーパーも併用した。指と違って剥離部分が見え、力を込めてピンポイントで剥離がしやすい」と適切な判断だったことを強調した。

 その上で「検察の取り調べで何度も説明したが納得してもらえなかったため、調書の内容について訂正は求めなかった」と述べ、「指がすき間に入らなかったからクーパーを使った」とした調書の供述内容を翻した。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、女性の帝王切開手術で胎盤と子宮の癒着を確認し剥離を開始。継続すれば大量出血で死亡することが予見できる状況になっても子宮摘出などをせず、剥離を続けて女性を失血死させた。

(河北新報、2007年8月31日)

*** 福島中央テレビ、2007年8月31日12:00

大野病院の裁判 被告の産婦人科医が証言

 大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判で、きょう、被告の医師本人が証言に立っています。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、加藤克彦被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたなどとされています。

 きょうの公判では、注目の被告人質問が行われています。

 これまで起訴事実を否認している加藤被告は、「胎盤は、手で剥がしている時点でかなり剥がれ、最後に医療器具のクーパーを使用した」と証言し、検察側の「無理に引き剥がした」との主張を否定しました。

 公判は夕方まで続く見通しです。

(福島中央テレビ、2007年8月31日12:00)

*** 福島中央テレビ、2007年8月31日19:01

大野病院の医師の裁判 被告の産婦人科医が証言

 大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判です。

 きょうの公判では被告人質問が行われ、被告の医師本人が証言に立ちました。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、加藤克彦被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたとされています。

 きょうの第7回公判では、被告の加藤医師本人が証言に立ちました。

 法廷で加藤被告は、これまでと同じく起訴事実を否定する証言を繰り返しました。

 今回の裁判は全国から注目を集めていますが、これまでの公判で浮かび上がった争点は二つです。

 一つ目は手術の前に胎盤が癒着しているのを予側できたのかという点、もう一つは手術中に癒着した胎盤を剥きはがす医療行為を中止すべきだったのかという点です。

 結果的には、この医療行為を続けたことで、女性は大量出血して亡くなりました。

 この二つの争点をめぐって、検察側と弁護側が激しい攻防を展開している中で、きょうの被告人質問を迎えました。

 争点について被告は、まず癒着を予測できたのかについて「事前に行った超音波検査や女性の症状から、胎盤が癒着していることは認められなかった」と答えました。

 そして、胎盤を引き剥がす医療行為を続けた点については「手でかなりの胎盤をはがすことができた。

 より的確に剥がすために、最終的に医療用ハサミのクーパーを使った」と述べ、無理やり引き剥がしたのではない、と主張しました。

 このほか、加藤被告は「手術中に出血が増えることもなく、血圧なども安定していたため、引きはがすことをやめようとは思わなかった」などと、自らの医療行為が正しかったことを強調する証言を続けました。

 裁判はこの後も医療の専門家が次々と証言に立ち、その「医師の判断」について、激しい攻防が続くと見られます。

(福島中央テレビ、2007年8月31日19:01)


飯田市立病院から下伊那日赤に産科医派遣も 飯伊医療圏の産科体制が新局面に

2007年08月30日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国的、全県的に、地域産科医療体制の崩壊地域がどんどん広がりつつあり、この難局を一病院、一自治体の努力だけで何とか打開しようとしても、絶対に無理だと思います。地域全体で一丸となって、一致団結して、この難局に対応していくことが大切だと思います。

また、地域の周産期医療は、この半年、この1年が何とか持ちこたえさえすればいいというものでもありません。次の世代の10年先も20年先も、持続可能な地域の周産期医療システムを構築していくことが重要です。

そのために、今、最も求められていることは、地域の周産期医療提供体制の新たな担い手として、毎年多くの若い力に加わってもらえるように、地域基幹病院の研修環境を充実させることだと思います。

そもそも若者が全く参入して来ないような世界に決して明るい未来はあり得ません。多くの若者達が安心してこの世界に参入できるように、充実した研修・指導体制、余裕のある勤務体制、楽しい職場の雰囲気、待遇面での十分な配慮など、魅力のある研修環境を地域の病院の中に創り上げていくことが大切だと思います。

****** 医療タイムス、長野、2007年8月30日

飯田市立病院から下伊那日赤に産科医派遣も

~飯伊医療圏の産科体制が新局面に

 飯田下伊那の産科体制について検討する「産科問題懇談会」(会長・牧野光朗南信州広域連合長)は28日、下伊那赤十字病院の産科医師の退職などに伴う新たな産科体制などを検討した。飯田市立病院から下伊那日赤に産科医師を派遣し、下伊那日赤では婦人科外来のみを継続する案などが出され、今後も継続して審議していくこととなった。

 飯伊医療圏では昨年から、飯田市立病院を拠点病院とし、分娩可能な2つの診療所と妊婦健診をなど担当する4つの医療機関が独自の「共通カルテ」による情報の共有化を図り、各医療機関が連携してお産に対応するセミオープンシステムを導入。これまでのところ順調に進んでいる。

 しかし、下伊那日赤の産科医が来年3月末で退職し、産婦人科を閉鎖せざるを得ない状況が明らかになったほか、隣接する上伊那医療圏では、年間500件前後のお産を取り扱っている昭和伊南総合病院が来年4月から分娩を中止することから、現行の産科システムへの影響が懸念されている。

 同日の懇談会では、年に数人の分娩と1日10~20人の妊婦健診を受け入れている下伊那日赤の後医療体制が論点となり、飯田市立病院の千賀脩院長は、「下伊那日赤の産婦人科がなくなることは下伊那北部の妊産婦にとって大きな負担と不安を与えることになる」とした上で、市立病院の産科医1人の増員などを条件に、下伊那日赤に産科医を派遣する用意があると提案した。

 具体的には平日、市立病院から下伊那日赤に医師1人を派遣し、妊婦健診や婦人科外来、がん検診、不妊外来などを行う。合わせて、分娩件数の増加に伴い手狭になりつつある施設を改修、昭和伊南病院の産科休止に伴い、増加することが予想される分娩にも対応していきたい方針を示した。課題となる医師増員について千賀院長は「来年には1人増える可能性が出ている」とした。

(以下略)  

(医療タイムス、長野、2007年8月30日)


県立須坂病院 来年度から分娩取り扱い中止

2007年08月28日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

新聞の記事を読むと、「若い産科医を1人でも確保できれば、お産は続けられる」というような県側のコメントもあったようですが、万一、そんな中途半端なマンパワーで分娩の取り扱いを再開していたら、この先、産科医の誰かが妊娠したり退職したりする度に、分娩取り扱いを即刻中止していかざるを得なくなってしまいます。

1人の産科医が抜けただけで維持が困難となってしまうシステムにこそ、一番の問題があると思われます。

持続可能な地域の周産期医療システムを作ることこそが一番重要で、そのために、今、我々は何をしなければならないのか?を地域のみんなで考えていく必要があると思います。

参考:県立須坂病院の産科医確保を要望

****** 信濃毎日新聞、2007年8月28日

県立須坂病院 来年度以降、お産の扱いを休止

 県立須坂病院(須坂市)は27日、産婦人科の常勤医2人のうち、けがでお産を担当できない1人の代替要員確保が難航しているのを受け、来年度以降、お産の扱いを休止すると正式に発表した。妊婦の検診や出産後の外来診療は続けるが、来年4月以降に予定する出産は受け付けず、隣接地域の出産施設の情報を提供する。新たな医師が見つかれば、できるだけ早い時期にお産の扱いを再開する方針だ。

 同病院で会見した斉藤博院長は、現在、月に30数件のお産を実質1人で担当している内藤威副院長の負担が過大となっているとして「このままでは安全な産科医療の維持が困難」と説明。「産科医自体が少なく、応援の医師を確保することも難しい」と述べた。内藤副院長も「お産には(医師も)大変なエネルギーを使う上、深夜や明け方の出産もある」とし、理解を求めた。

 斉藤院長は県の産科・小児科医療対策検討会が3月に報告した提言で、重点的に医師を配置する「連携強化病院」に須坂病院が含まれなかったことについて「自分たちで医師を集めてくる仕組みをつくるしかない。地域の方にも情報を寄せてほしい」と訴えた。

 須坂病院で扱うお産は年間約420件。県の調査では、隣接する長野市や中野市などでさらに約700件のお産受け入れが可能とする。ただ、同病院は須高地区で唯一の出産施設でもあり、住民からは出産に対応できる環境の早期整備などを求める声が出ている。

 同病院で双子を出産した須坂市内の主婦(40)は「難しい出産でも、総合病院であればいろいろなケアをしてもらえる安心感がある。この地域で安心して出産できる環境を維持してほしい」。2児を産んだ高山村内の主婦(34)は「自分は陣痛が始まってから出産までの時間が短い体質。須高にお産ができる施設がなくなるのは非常に不安」と話していた。

(信濃毎日新聞、2007年8月28日)

****** 朝日新聞、2007年8月28日

出産取り扱い休止へ 県立須坂病院

 県立須坂病院(須坂市)は27日、来年4月から産婦人科で出産の取り扱いを休止すると発表した。2人いる常勤医のうち、1人が交通事故によるけがのため、出産の扱いができなくなり、1人の医師に負担が集中、「安全な産科医療の維持が困難と判断した」と理由を説明している。(柳川迅、長谷川美怜)

 同病院は須高地区で唯一の出産施設で、昨年度扱った出産件数は423件。同病院によると、今年6月上旬に産婦人科の男性医師(48)が、交通事故で右肩を骨折し、出産の扱いができなくなっているためという。

 同病院はその後、県立こども病院や千葉大から産科医を臨時に派遣してもらったが、数回にとどまっている。現在も月30件以上の出産があるが、土日、夜間の出産も産婦人科医の内藤威副院長(61)に負担が集中し、「年齢的、体力的に厳しい」状態だという。

 斉藤博院長は会見で「出産の場が地域からなくなるのは残念。続けたいが、医師の確保が難しい」と述べた。従来、同病院で扱っていた年400件余りの出産については、約700件の受け入れが可能な北信・長野地域の出産施設で対応できる、と説明した。

 来年3月まですでに月30件前後の出産の予約が入っており、年度内は出産の扱いを続ける。来年度4月以降は産婦人科は外来診療のみになるという。内藤副院長は「私もあと数年で退職。婦人科もなくなってしまうかもしれない」と話している。

 同市の子育て支援NPO「へそのお」代表の倉石知恵美さん(43)は、自身も県立須坂病院で出産した。「子どもを産み、命を育む場所があるということが地域として大事。しかも出産はリスクが伴うからこそ、総合病院の中に産科があることが重要です。産科の休止は本当に困ります」と話している。

  ◇

 産科は時間外勤務や拘束時間が長く、分娩(ぶん・べん)をめぐる訴訟が増加していることなどから敬遠される傾向にあり、県内の産科医は01年の189人から06年12月には162人に減少し、医師不足が深刻だ。また、分娩を取り扱う産科施設数も01年の68カ所から07年1月には50カ所に減っている。

 産科医の減少で1人当たりの負担が増加し、労働環境がますます過酷になっている現状を受け、県は昨年10月「県産科・小児科医療対策検討会」を設置。今年3月には、「緊急避難的に、地域の中心的な病院にある程度の医師を確保する『集約化・重点化』が必要」との提言を出した。

 県立須坂病院は、提言の中で「連携病院」と位置づけられ、同じ二次医療圏内で「強化病院」とされた長野赤十字病院や厚生連篠ノ井総合病院に、救急や入院の機能を移される可能性がすでに示されていた。

 会見で斉藤博院長は、「都内などの医局からは、数名いるところでなければ派遣できないと断られた」と明かし、医局から医師を派遣する段階ですでに集約化が進んでいる状況を指摘した。

(朝日新聞、2007年8月28日)

****** 毎日新聞、2007年8月28日

県立須坂病院:来年度から分べん休止 地区の受け入れ施設、ゼロに

 県立須坂病院(斉藤博院長)は27日、来年度から産婦人科での分べんの受け入れを休止することを明らかにした。現在、分べんを担当できる医師が1人しかおらず、負担が大きい上、医師の増員が見込めないことから休止を決めた。年間約420件のお産を扱い、須高地区で唯一の分べん施設だけに地域に与える影響は大きい。

 同病院の産婦人科は56年9月から診療を開始した。常勤医2人のうち、一人は6月に交通事故で骨折し、分べんを担当できる医師は、産婦人科部長の内藤威副院長(61)だけとなった。そのため、県立こども病院(安曇野市)や千葉大から応援を受けるなどして対応してきた。

 しかし、月約35例の分べんを診るため、休みは6月以降数日だけ。妊婦の容体急変にも対応する内藤副院長にかかる負担は大きかった。斉藤院長は「医師確保も困難で、内藤副院長の年齢などを考慮すると限界だ。安全な医療を保証できない」と話している。

 同院では今年度末まではお産の取り扱いを行い、来年4月以降も妊娠8カ月までの妊婦検診や産後の外来の診療は行う。内藤副院長は「私が来た84年ごろは周りにお産できる施設は数カ所あったが、今はここだけ。扱う件数は2倍近く増えた。医師不足の流れがいよいよ須坂にも来てしまったのかという思いだ」と話した。 【谷多由】

(毎日新聞、2007年8月28日)

****** 読売新聞、2007年8月28日

お産の扱い休止へ 県立須坂病院、来年度から

 県立須坂病院(須坂市須坂)は27日、2008年度から、お産の扱いを休止すると発表した。お産をサポートできる常勤医が1人となり、新たな医師の確保が難しいのが理由。斉藤博院長は「このままでは1人に過度の負担がかかり、安全な産科医療の維持が困難」と理解を求めた。

 同病院によると、産婦人科の常勤医は2人いるが、6月初旬にうち1人が交通事故で右肩を骨折した際に神経を痛め、出産に対応できない。現在は県立こども病院(安曇野市)や千葉大、地元の開業医の協力を得ているが、新たな常勤医の獲得は見込めないという。

 同病院は須坂市、小布施町、高山村の須高地区では唯一お産を扱っている。分娩数は年間約420件。同病院では既に2008年3月まで月に約30件のお産の予約が入っている。来年度以降も週4日の産婦人科の外来は受け付ける予定。

 県によると、長野市や北信地域で年間700件のお産を受け入れる余裕があるため、同病院は県と協議し休止を決定した。

 県内の病院で産婦人科を休廃止したのは、2005年度に6病院、2006年度に3病院。2007年4月から、諏訪中央病院(茅野市)がお産を一時中止しているという。

(読売新聞、2007年8月28日)

****** 中日新聞、2007年8月28日

来年度から出産受け入れ休止 須坂病院、常勤医確保めど立たず

 須坂市の県立須坂病院は二十七日、来年四月から出産の扱いを休止すると発表した。常勤の産婦人科医二人のうち一人がけがをして、再び出産を担当できる時期が不明な上、新たな医師確保のめどが立たないため。斉藤博院長は会見で「一人の医師に過大な負担がかかっており、安全な医療の維持が困難と判断した」と説明した。

 斉藤院長によると、六月上旬に産婦人科の男性医師(48)が交通事故で右腕を骨折。現在、職場に復帰しているが、リハビリ中で出産に立ち会える状態ではないという。

 病院側は県内外に医師の派遣を依頼し、求人活動を実施。しかし安曇野市の県立こども病院や千葉大などから数回程度派遣を受けただけで、常勤医の応募はなく、産婦人科部長の内藤威副院長(61)がほぼ一人で月間三十数件の出産に対応。副院長は外来診療をこなし、週末も緊急時の呼び出しに備える状態という。

 須高地区(須坂市、小布施町、高山村)で唯一の出産施設である同病院が扱う出産は年間約四百二十件。長野市など周辺の北信地域の医療機関で約七百件の受け入れは可能とする県の判断で、来年度からの休止を決めた。来年三月までは引き続き出産を扱い、来年四月以降も妊娠期、出産後の診療は行う。

 県によると、県内で出産を扱う医療施設は二〇〇一年の六十八カ所から、八月十五日現在で五十一カ所に減少。また県産科・小児科医療対策検討会のまとめでは、県内の病院勤務の産婦人科医は〇四年から〇六年の三年間で二十九人が離職している。 【吉岡潤】

(中日新聞、2007年8月28日)

以下、8月29日分の記事を追加

****** 信濃毎日新聞、2007年8月29日

県全体で医師確保を 須坂市長要望

 須坂市の三木正夫市長は28日の定例記者会見で、県立須坂病院(同市)が産科医不足のため来年4月から出産の扱いを休止する方針を決めたことについて「県全体で医師確保に取り組み、お産を再開してほしい」と要望した。

 三木市長は「総合病院でお産をしたいとの市民の要望は強い」と指摘。お産の扱い休止は須坂病院や担当課だけの問題ではないとし、「県立病院から産科がなくなるのは健康長寿の長野県のイメージにも影響する」と述べた。

(信濃毎日新聞、2007年8月29日)

****** 毎日新聞、2007年8月29日

県立須坂病院:分べん休止計画 医師確保へ、市PR方針

 県立須坂病院(斉藤博院長)が来年4月から産婦人科での分べんの受け入れを休止することを受け、須坂市の三木正夫市長は28日、同病院の医師確保に向けて広報誌や市のホームページでPRする方針を示した。三木市長は「須高地区1市2町村の出産場所がなくなることは非常に厳しいことだ。あらゆる機会を通して協力していきたい」とした。

 県衛生部によると、県内の産婦人科の休廃止数は05年度が6病院、06年度が3病院。07年度は4月から諏訪中央病院(茅野市)が一時休止したほか、9月には国立松本病院(松本市)が休止。来年度からは昭和伊南総合病院(駒ケ根市)も休止する。 【谷多由】

(毎日新聞、2007年8月29日) 


医師の時短 国が支援…勤務工夫の病院に補助金

2007年08月26日 | 医療全般

コメント(私見):

産婦人科の場合、24時間体制でいつでも緊急に対応できるような勤務体系を組み立てる必要があります。

従って、科に所属する医師が2~3名しかいないような場合は、どんなに工夫しようが、過剰労働になってしまうのは当然です。

所属する医師が10名以上になれば、いろいろと工夫することによって、当直明けは朝から完全に休めるような勤務体系を導入したり、昼夜完全交代制とか週休2日制などを実現することも可能となります。

要するに、現時点で常勤医師数に相当な余裕があり、もともとの医師の勤務環境がかなり良好な病院でないと、今回の新制度で補助金交付の対象となるような勤務体系を導入することは不可能です。

あるいは、現時点で数施設に2~3名づつ分散している産婦人科医を、将来的に1つの施設に集約化し、その施設の常勤医が10名以上に増えれば、その時点では補助金交付の対象となるような勤務体系を導入することも可能となります。もしかしたら、この新制度の本来の目的はそこにあるのかもしれません。

****** 読売新聞、2007年8月24日

医師の時短 国が支援…勤務工夫の病院に補助金

 過酷な労働環境に疲れ切っている勤務医の負担を減らすため、厚生労働省は、交代制や変則勤務の導入など医師の勤務時間を短くする工夫をした病院を支援する制度を設ける方針を決めた。

 補助金交付のほか、将来的には診療報酬で優遇することも視野に入れている。特に、夜間救急の多い小児科や産科などでは、医師の長時間労働が常態化し、過労死や医療ミスにもつながっているとの指摘もある。同省では、新制度の創設により、医師の病院離れや医療事故を予防する効果も狙っている。

 まず手始めに来年度、全国約100か所(各都道府県2か所程度)の病院を選んでモデル事業をスタートさせる。各病院では、昼と夜の交代制勤務のほか、子育て中で都合のいい時間帯だけ働ける医師や夜間だけ働ける医師など非常勤医師も組み合わせる変則勤務の導入などにより、勤務時間短縮に知恵を絞ってもらう。これに必要な経費は、国、都道府県、病院で3分の1ずつ負担する予定で、同省は国負担分として来年度の概算要求に約4億2000万円を盛り込む方針だ。

 同省は、モデル事業の結果を分析し、具体的な制度のあり方を検討。制度の運用が本格化した後は、工夫をしている病院に診療報酬を手厚くするよう改定することも検討する。

 同省によると、医師の勤務時間を短縮した先進例としては、2002年4月から交代制勤務を導入した「徳島赤十字病院」(徳島県小松島市)がある。同病院では従来、医師4人が平日の日勤をこなしたうえ、夜間の緊急対応、土日出勤を交代で担当していた。しかし、この体制では、宿直勤務や夜間の緊急対応があった場合、連続36時間勤務となるほか、休日も月3~4日程度しか取れなかった。

 そこで、常勤を3人、非常勤を1人増やして、午前8時半~午後5時10分までの日勤、午後4時20分~翌朝9時20分までの夜勤の完全2交代制を導入。その結果、勤務はどんなに長くても1日16時間に減り、週休2日が可能になった。1人あたりの勤務時間が軽減され、病院の受診患者数は2倍程度に増えた。

国も見過ごせぬ過酷な勤務実態

 厚労省が医師の勤務体制にまで踏み込んだ新制度を導入するのは、勤務医の過重労働が、国としても見過ごせないレベルに達しているからだ。

 今年2月、北海道労働局が時間外勤務が月100時間を超えていた男性小児科医(当時31歳)の突然死を労災認定した例など、勤務医の過重労働による死は枚挙にいとまがない。日本医療労働組合連合会の調査でも、1か月間休みを取れない勤務医が3割近くいることが判明している。

 ただ、今回の制度にしても、そもそも増員分の医師をどこから確保するのか――など検討すべき課題は多いが、今、手を打たなければ事態の悪化は免れない。疲れ切った医師が治療に当たり、不利益を被るのは患者だ。医師の心身の健康を守るために、国を挙げて取り組む時が来ている。【社会部 岩永直子】

(読売新聞、2007年8月24日)

****** 朝日新聞、2007年08月21日

医師の交代勤務を支援へ 導入病院に補助金 厚労省

 厚生労働省は医師不足対策として08年度から、医師の交代勤務制を導入した病院に補助金を出す制度を新設する方針を固めた。08年度予算の概算要求に5億円を盛り込む。過剰労働が医師の病院離れの一因となっているため、当直明けに休みが取れるような勤務態勢を整えた病院を支援する。

 新たな補助制度では、日中と夜間で医師が全員入れ替わる交代勤務にしたり、当直明けの医師が必ず休める勤務体系を導入したりして、医師の労働環境改善に取り組む病院に補助する。

 ただ、医師数に比較的余裕がある病院でなければ交代勤務を導入するのは難しく、医師不足が深刻な地方の公立病院などでは、補助対象となる勤務体系を導入できるかは不透明だ。

 厚労省によると、30~40代男性の病院勤務医の1週間の平均勤務時間は約50時間で、同年代の診療所医師より10時間近く多い。当直明けの勤務医がそのまま通常の診察などを行う勤務体系が多くの病院で常態化しており、過剰労働に耐えきれずに開業医に転身する医師が後を絶たない。

 同省では、交代勤務を導入した病院に対し、こうした補助金だけでなく、診療報酬の上乗せも今後検討する。

(朝日新聞、2007年08月21日)


全都道府県で医学部定員増 年に最大計245人

2007年08月25日 | 地域医療

****** 産経新聞、2007年8月24日

全都道府県で医学部定員増 年に最大計245人

 深刻化する医師不足に歯止めをかけるため、政府は、来年4月から大学医学部の入学定員を各都府県で最大5人、北海道で最大15人増やすことを認める方針を固めた。増員分の学生の入学金や授業料は自治体が全額肩代わりし、卒業後は僻地(へきち)などの病院や診療科を指定して9年間の勤務を義務付ける。

 期間は10年間で、1年に最大計245人の増員となる。政府・与党が5月に発表した緊急医師確保対策の一環で、国は都道府県に地方交付税を増額する形で財政援助する方針。

 医師不足が深刻な山間部や離島などの医療圏や、産科、小児科などでの医師確保が狙い。ただ卒業までに最低6年間かかるため、効果が表れるのはしばらく先になりそうだ。

 計画によると、増員対象とする大学の選定や人数、卒業後の勤務先については、自治体の担当者や大学、医療関係者でつくる都道府県ごとの協議会が決める。学生には入学金と授業料の全額に加え、生活費の一部を奨学金として支給。卒業後に指定した医療機関で勤務できなくなった場合は、全額を返還させる。

 北海道の増員枠が多いのは医師が不足している医療圏を数多く抱えているため。

 政府は、自治体別の増員計画とは別に小規模な大学の増員枠も設定。入学定員が80人に満たない大学について、20人まで増員を認める。現時点で対象となるのは、横浜市立大と和歌山県立医大の2校。

 同様の取り組みは自治医大(栃木県)が既に実施。毎年2、3人が都道府県から奨学金を得て入学し、卒業後に指定された病院に赴任しており、今回の新たな増員について、厚生労働省は「都道府県版の自治医大構想」(医政局)と位置付けている。

 医学部の入学定員をめぐり、政府は既に今回の計画とは別に来春以降の10年間で、10県の大学と自治医大の計11大学について年間で最大10人ずつの増員を認めている。自治医大以外はいずれも医師不足が深刻な地域にある大学で、卒業後は県内などでの勤務を条件に奨学金を支給するが、勤務先まで指定できないため、県庁所在地などの都市部に卒業生が集中してしまうとの懸念があった。

                                    ◇

 医学部の定員 国は1970年代に大学医学部の新設や定員増を進め、83年に「最小限必要な医師数」とする人口10万人当たり150人の目標を達成。その後は医療費拡大を抑えるため定員削減に方針転換した。しかし近年、過疎地や産科、小児科など特定の診療科で医師不足が深刻化。政府・与党は今年5月に6項目の緊急医師確保対策を発表し、奨学金による医師養成の推進などを重点項目に盛り込んだ。

(産経新聞、2007年8月24日)


長野県・上伊那地域の産科問題への対応

2007年08月24日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

地元紙の記事を読むと、長野県・上伊那地域でも、産科問題に関する関係者間の協議が何度か実施されたようではありますが、市長や院長などのそれぞれの思惑が相当にかけ離れていて、『地域の周産期医療の危機的状況に対して、地域として今後どう対応していくのか?』についての具体的な対応策の協議を開始できる段階には未だ至ってないようです。

参考:

来春から里帰り出産受け入れ中止、伊那中央病院の方針 

地方病院での医師の確保と育成

この難局に地域としていかに対応していくか?

昭和伊南総合病院 産婦人科常勤医ゼロに

長野県・上伊那地域の産科医療の状況

****** 信濃毎日新聞、2007年8月23日

上伊那の医師不足 3病院で対応協議

 伊那中央行政組合は22日、伊那市役所で全員協議会を開いた。事務局側は、上伊那の医師不足について伊那中央(伊那市)、昭和伊南総合(駒ヶ根市)、辰野町立の3病院の院長や事務長が対応を協議していると説明した。

 事務局によると、院長や事務局長は昨年から数回協議。3病院がそれぞれの診療科を現状のまま維持していくことは難しいとの方向では認識が一致し、今後について話し合っているという。ただ、「各病院の経営状態が異なり、理事者の意向もある。具体的な解決策は難しい」としている。

 一方、組合長の小坂樫男伊那市長は全員協議会で産科医不足について「上伊那全体の問題」とした上で、「伊那中央が施設を増設することは住民感情としてどうか」と慎重姿勢を示した。お産の受け入れは、昭和伊南総合病院で医師がいなくなるため来年4月から中止するのに伴い、伊那中央病院が原則として里帰り出産を受け入れないなどの策を講じて対応する。

(信濃毎日新聞、2007年8月23日)

****** 信濃毎日新聞、2007年8月24日

南信の救命センター再配置 

伊那市長「県に不信感」

 南信地方の救命救急センターの再配置をめぐり、県が昨年、伊那中央病院(伊那市)への配置を打ち出しながら、最終的に昭和伊南総合病院(駒ケ根市)に残したことについて、伊那市の小坂樫男市長は23日、市議会全員協議会で「県に対する不信感をもっている。知事、副知事も交代したので、原点に返ってきちっと話し合うことを要望したい」と述べた。

 伊那中央を運営する伊那中央行政組合によると同組合は2004年、46床の増床を県に要望。同時期に「県衛生部から、救命救急センター指定のため専用ベッド10床を用意するように言われた」(藪田清和事務局長)といい、高度治療用6床を含む10床を救急部専用に変更。経費が5000万~6000万円余計にかかったという。

 しかし、県は前県政時代の昨年5月、昭和伊南側の要請に譲歩する形で、同病院のセンターを30床から10床に縮小して存続、20床は諏訪赤十字(諏訪市)と飯田市立(飯田市)に振り分けると決定した。小坂市長は全協で「はしごを外された」と不快感を表明。取材に対し「県は実態を見て対応してほしい」と述べ、今後、南信の救命救急センターのあり方を含め、県に話し合いを求めることも示唆した。

 県は「これまでの経過もある。上伊那の実情を踏まえてどうするか、地域と一緒に考えていく」(望月孝光医療政策課長)としている。

(信濃毎日新聞、2007年8月24日)

****** 長野日報、2007年8月23日

上伊那の救急救命センター「指定替え必要」

 医師不足に伴う上伊那地域の公立病院の連携について、伊那中央行政組合の小坂樫男組合長(伊那市長)は22日の組合議会全員協議会で、救急救命センターに昭和伊南総合病院(駒ケ根市)が指定されている現状を疑問視し、「この問題が解決できなければ、上伊那で協調していくことはできない」と、伊那中央病院(伊那市)への指定替えが必要との認識を示した。

 小坂組合長は、連携の前提として救急救命センターの指定問題を指摘。伊那中央病院は「上伊那の救急の半分以上を占める。専門の医師もおり、24時間態勢」と実績を強調した上で「県の意向もくんで昨年、増床の際に救急対応の病床も新たにつくったが、ふたを開けてみたら3次救急の指定は昭和伊南病院」と述べ、県の方針を批判した。

 前日の県衛生部長との懇談で、昭和伊南が来年4月から産婦人科を休止するのに伴い、伊那中央病院に医師を配置していく考えが示されたとし、「施設的に目いっぱいで、当然、増床しないとできないが、その金を伊那中央行政組合で出すのは納得いかない。他の地域の患者のために、特に産科は病気ではない。もしやるなら、県に(負担してもらいたい)」とも述べた。

 さらに上伊那地域の医療体制について「信大病院長は、これからは中核病院としての伊那中央病院にしか(医師を)派遣できないと言っている。上伊那全体としてどういう形でいくのがいいか。きちんと今までの総括の中で、この問題をやっていかないといけない」とした。

 組合側は、上伊那では伊那中央病院が事実上の救急救命センター事業を行っていると説明。昨年度決算ではセンター部門で約1億3000万円の赤字を出しており、センターの指定替えによる収入増が見込めない限り、構成市町村外の患者を受け入れている中で、構成3市町村だけで赤字を補てんしていることの妥当性も検討課題とした。センターに指定されると特定の症例で入院料が加算できるなど財政上の優遇措置がある。

(長野日報、2007年8月23日)

****** 長野日報、2007年8月24日

「救急救命センター指定替え」発言論議 伊南行政組合議会

 伊那中央行政組合の小坂樫男組合長が、22日の組合議会全員協議会で、昭和伊南総合病院と伊那中央病院の産科をめぐる連携に、昭和伊南から伊那中央への救命救急センターの指定替えが条件であるような発言をしたとして、23日の伊南行政組合議会8月定例会本会議で論議になった。中原正純組合長は、指定返上の話し合いなどは行われていない―とし、「本意の発言ではないと理解している」と述べた。

 来年4月以降、昭和伊南の産科の存続が危ぶまれていることから、伊那中央から昭和伊南への医師の支援が検討されている。小坂組合長がこの支援に交換条件を出している―として、一般質問で馬場信子氏(駒ケ根市、共産)がただした。

 馬場氏は、「小坂組合長の言葉は、伊南のことを考えていない身勝手な発言」と批判。救命救急センターについては、3次救急を担ってきた昭和伊南の体制は絶対必要―とした。

 これについて中原組合長は、「上伊那の医療問題に協力して取り組んでいこうとしている中、公の発言ではないのではないか」と答弁。一方で、「救急指定と連携の問題は一緒の問題ではない」と述べ、上伊那の医療のためにリーダーシップを発揮するよう期待した。

 千葉茂俊院長は、「連携強化病院になった以上、(県などに)伊那中央への医師の増員をお願いし、機能が果たせるようにしてほしい」と発言。連携強化病院としての責任の大きさを訴えた。

 救命救急センターについて中原組合長は、「昨年10月から新たなスタートが切られ、ハイケアユニットも整備された。取り扱い患者数も増加している」と説明。8月から外科医師1人が着任していることも報告した。

(長野日報、2007年8月24日)

****** 伊那毎日新聞、2007年8月24日

昭和伊南病院と伊那中央病院の連携今後も

 伊那中央病院を運営する伊那中央行政組合の小坂樫男組合長(伊那市長)が22日に、昭和伊南総合病院の救急救命センター指定が伊那中央病院に変更されなければ今後協調していくことはできない―などと発言したと一部で報道された問題について伊南行政組合の中原正純組合長(駒ケ根市長)は23日の議会定例会で「公の席での発言ではないと思う。本意は違うのではないか。信じられないし、あり得ない」と述べた上で「救急救命センターの返上は考えていない」とあらためて強調。両病院を中心とした連携体制はこれまで話し合ってきた通り進めていきたいとする考えを示した。馬場宣子議員(駒ケ根市)の質問に答えた。

 昭和伊南病院の産婦人科に派遣されている信州大の医師2人が来年3月で引き揚げることにより、以降の同科常勤医師がゼロとなる問題について中原組合長は「助産師が分娩を行う院内産院の開設を検討しているが、現段階では来年4月の開院は大変厳しい状況にある」と述べた。引き続き県や信州大とともに解決に向けて検討を進めたいとした上で、住民の不安に対応するため「産科についての専門窓口を新たに病院内に設置し、市民の相談に乗れる体制をつくりたい」とする考えを明らかにした。

 院内産院の見通しについて同病院の千葉茂俊院長は「医師がいないとリスクに対応できない。何かあった場合に伊那中央病院に医師の応援を要請するとしても5分、10分を争う時に30分もかかっていては難しい」とした上で「引き続き医師確保、伊那中央との連携、地域の医師を嘱託とするなどの方法を検討し、努力を続けていく」と述べるにとどまった。

(伊那毎日新聞、2007年8月24日)

****** 医療タイムス、長野、2007年8月20日

伊那中央病院 内科外来を一部制限

来年4月から里帰り出産も制限

 伊那中央病院(小川秋實院長)は、7月末から内科の外来診療の一部を制限している。退職や引き揚げによる内科医の減少に伴うもので、他の医療機関から紹介状を持参した患者(急患を除く)か、7月以前から通院する患者のみを受け入れている。紹介状を持たない患者については、患者の自宅近隣の開業医を紹介していくという。

 同院には、6人の内科常勤医がいたが、退職や引き揚げが相次ぎ、9月までに2人に減少する。新たな内科医の確保は見通しが立っておらず、同院では「知識や経験のある医師を中心に確保していきたい」としている。

 また、同院では来年4月以降の里帰り出産についても、受け入れを制限する方針だ。上伊那地域における分娩件数は年間1600件で、このうち伊那中央病院が1000件、昭和伊南総合病院が500件受け入れている。しかし、信大が今年度末で昭和伊南総合病院に派遣している産婦人科医の引き揚げを決定。このため、伊那中央病院では分娩全体の2割を占める里帰り出産の制限や常勤産婦人科医の増員、分娩施設の増設、院内助産所を設置することで、昭和伊南総合病院の妊婦の受け入れに努める考えだ。

 また、地域在住の患者を中心に診察していくため、10月からは産婦人科外来の初診の際は、患者に紹介状を持参するよう呼びかけている。

(医療タイムス、長野、2007年8月20日)


県立須坂病院の産科医確保を要望

2007年08月23日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

地元紙の記事を読むと、長野市に隣接する須高地域(須坂市、小布施町、高山村)で唯一の産科施設である県立須坂病院でも、分娩取り扱い休止を検討せざるを得ない状況に追い込まれているようです。

全国的にこれだけ厳しい状況になってくれば、広域医療圏の周産期医療が崩壊するのを防ぐためには、地域としてどう対応していけばいいのか?という発想に切り替えていく必要があると思われます。

Naganomap

****** 信濃毎日新聞、2006年8月22日

県立須坂病院 お産休止も

産科医不足で来年度以降

 県立須坂病院(須坂市)で、産婦人科の常勤医2人のうち1人がけがのため出産に対応できない状態が続いている。21日は須坂市、小布施町、高山村の首長らが県庁に村井知事らを訪ね、産科医の確保を要望した。県側は現状のままだと来年度以降、同病院でのお産の扱い休止も検討せざるを得ないと説明。知事は医師確保に努力するとした上で、緊急避難的に隣接市の産科の利用も探る考えを示した。

須高3市町村 継続を要請

 須坂病院は須高地区で唯一の出産施設で、扱う件数は年間420件。同病院や県立病院課によると、6月に産婦人科の男性医師が交通事故で右肩を骨折し、神経を痛めた。現在はリハビリ中で、診療には復帰しているが、お産は当面、担当できない状態だ。

 同病院は6月以降、県立こども病院(安曇野市)や千葉大から臨時に産科医を派遣してもらい、出産に対応しているが、別の常勤医1人に過大な負担がかかっているという。

 知事らに対し、三木正夫・須坂市長は「安心して子どもを産める病院が身近にあることが極めて重要。産科医を確保し、地域での出産に対応してほしい」と述べた。

 渡辺康子衛生部長は「全国的な産科医不足で、確保が難しい状況。医師のけがの回復が思わしくなければ、お産を休止せざるを得ない」と説明。長野市や中野市などの医療機関で新たに約700件のお産の受け入れが可能、とした。

 三木市長らは、「地元市町村としても病院の運営や医師の確保にできる限り協力していく」とし、須坂病院での出産の継続を繰り返し要請。県側は「若い産科医を1人確保できれば、お産は続けられる」とし、「地元の皆さんにもいろいろなつてを使って医師を探してほしい」と求めた。

(信濃毎日新聞、2006年8月22日)


卒後臨床研修(初期および後期)説明会、松本

2007年08月17日 | 地域医療

コメント:

明日、松本で開催される卒後臨床研修(初期および後期)説明会のお知らせです。

当院からも、院長、副院長以下、各診療科の指導医たちが多数参加する予定です。また、当院所属の研修医たちも、「久しぶりに大学の同窓生たちと会えるかもしれない」ということで、多数参加してくれる予定です。

私自身も、この卒後臨床研修説明会には毎年参加してますが、例年の説明会では学生や研修医たちの参加がほとんどなくて、会場には例年同じ顔ぶれの県内各地の臨床研修病院の指導医たちだけが多数集まり、まるで指導医たちの同窓会みたいな雰囲気でした。

今回の説明会は例年と違って、信州医療ワールド・夏季セミナーというイベントの一環として開催されるということで、今年こそは学生・研修医の参加がいつもより多くなるといいな!と大いに期待してます。

追記(8月18日):本日の卒後臨床研修説明会は、例年の説明会と比べて、学生や研修医の参加者が格段に多く大盛況でした。地域医療人育成センターや卒後臨床研修センターなどの担当の先生方の御努力の賜物だと思います。当院のブースにも多数の学生や研修医が訪れてくれました。来訪者の中には、産婦人科を志望する学生や研修医も何人かいました。

******

全国の研修医・医学生に向けた信州大学と長野県内すべての臨床研修病院による「卒後臨床研修(初期および後期)説明会」

ブース形式で長野県内各臨床研修病院および本院の各診療科(部)の指導医と懇談いただけます。

日時 平成19年8月18日(土)
         午前10:00~午後3:00

場所   信州大学 旭総合研究棟 9階A・B講義室

お申込み・お問合わせ:

〒390-8621 松本市旭3-1-1
信州大学医学部附属病院総務課
 卒後臨床研修係

TEL: 0263-37-3050
FAX:0263-37-3024
sotsugo@hsp.md.shinshu-u.ac.jp


基幹病院での分娩取り扱い中止の報道

2007年08月14日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

ここのところ、地域の周産期医療を支えてきた基幹病院でも、分娩取り扱い業務を縮小ないし中止するという報道が相次いでいます。

基幹施設の産科では、24時間体制で緊急事態に対応しなければならないので、産科医、新生児科医、麻酔科医、助産師など、非常に多くのマンパワーを要します。

いくら地域からの要請があっても、いったん産科スタッフが立ち去ってしまった基幹病院で、産科スタッフをまた一から集めなおして、分娩取り扱い業務を再開するというのは、本当に至難の業だと思われます。

今現在、辞めないで、病院に踏み留まっているスタッフが、今後も、無理なく楽しく働き続けられるように、全体の仕事量を調節し、激務になり過ぎないよう、十分に気を配っていく必要があります。

*** 医療タイムス、長野、2007年8月8日

9月以降の出産受け入れを中止

松本病院 信大に産科常勤医の派遣を要請

 国立病院機構松本病院(米山威久院長)は、9月からの出産受け入れを休止する。今月末で産婦人科の常勤医1人が退職し、常勤医が1人となってしまうためで、9月以降の産婦人科の診療は外来のみとなる。同院は、出産の受け入れを早期に再開したいとしており、信大医学部に常勤医の派遣を強く要望していく方針だ。

 同院の産科は、05年度に3人いた常勤医が06年度には2人に減少するなど、産科常勤医の減少が深刻化。これに伴い、分娩件数も05年度の472件から06年度は316件と大幅に減り、産科医療体制の維持が困難になっていた。このため、患者に対しては6月ごろから出産受け入れの中止を周知し、近隣の産科医療機関を紹介するなど、理解を求めていた。

 今回の措置について、同院の植田正孝事務部長は「当院にはこれまで松本市南部から塩尻市にかけてのお産患者を中心に受け入れ、地域の産科医療を支えてきたという自負があった。しかし、常勤医が1人体制になってしまうと安全なお産を実施できない恐れがあるため、やむを得ず産科の休止を決めた」としている。また、常勤医の確保については「信大医学部から派遣してもらえるよう、要請を続けていく」(同)としている。 

(医療タイムス、長野、2007年8月8日)

****** 毎日新聞、岩手、2007年8月14日

県立病院:胆沢での出産不能に 

釜石は高リスク分娩移転

 県医療局は13日、県立胆沢病院産婦人科の分娩や手術の機能を県立北上病院に移転すると正式発表した。婦人科外来や妊婦検診は継続するが、胆沢病院での出産はできなくなる。また県立釜石病院の産婦人科も、帝王切開などリスクが高い分娩の機能を県立大船渡病院に移し、婦人科外来や妊婦検診と、健康な妊婦の通常分娩のみを取り扱う体制に縮小する。

 県立病院の産婦人科の常勤医師は現在、二戸1▽久慈1▽中央5▽宮古3▽北上2▽胆沢1▽釜石2▽大船渡2▽磐井4――の9病院21人。このうち今月中に釜石病院から大船渡病院に、胆沢病院から北上病院に医師を移す。釜石病院には大船渡病院から医師1人を常駐派遣し分娩に対応。また助産師による「院内助産」の導入も検討中だ。

 一方で県北・沿岸地域の拠点となる県立二戸病院、県立久慈病院では医師が確保できず、引き続き1人産科医体制を続ける。常勤産科医が3人以上となるのは、中央▽宮古▽北上▽大船渡▽磐井――の5病院。

 過酷な勤務環境などを背景に、県内の産婦人科医は00年の115人から04年は89人に減少。同局の根子忠美経営改革監は「過労でさらに産科医が辞める可能性もある。あくまでも緊急措置だ」と話している。【念佛明奈】

 ◇運動実らず残念--相原奥州市長

 相原正明・奥州市長は「胆沢病院の産科存続に向け力を合わせ運動してきたが極めて残念な結果だ。根底の医師不足は国家・政府が解決しなければならない問題だが、住民の不安解消のため医師の再配置を知事などに強く要望する」と話した。【石川宏】

(毎日新聞、2007年8月14日)

****** 河北新報、2007年8月14日

産科医7病院に集約 岩手県 

釜石、胆沢は常勤ゼロに

 岩手県医療局は13日、今月中に県立病院の産婦人科医を7病院に集約する拠点化を進めると発表した。常勤医を3人以上とし、医師不足に対応するのが狙い。集約に伴い釜石、胆沢の2病院は常勤医がゼロになる。拠点に位置付けられた県北の二戸、久慈の2病院は依然、1人しか常勤医を確保できておらず、安心して出産できる体制には遠いのが現状だ。

 拠点病院となるのは二戸、久慈、中央(盛岡市)、宮古、北上、大船渡、磐井(一関市)。県内を7地区に分け、県内ほぼ全域から1時間で患者を搬送できるように設定した。

 常勤医は5人の中央、4人の磐井、3人の宮古は現行のまま。大船渡は釜石から2人が移って4人に、北上は胆沢から1人が移って3人となる。

 常勤医がいなくなる釜石については、大船渡から1人を毎日派遣し、婦人科外来と妊婦健診に当たる。分べんはリスクの低いケースだけで、早産や妊娠中毒症などリスクの高い出産は行わない。

 胆沢は分べんは行わず、北上、磐井の常勤医と奥州市内の開業医が平日のみ、外来診療や妊婦健診に交代で当たる。

 胆沢では6月末、3人いた常勤医のうち1人が退職、もう1人が休職。深刻化する産科医不足に対応するため、県は県立病院の集約化を検討していた。

 一方で、常勤医が不在となる2病院は昨年、500件前後の分べんを実施。このうち約35%がリスクの高いケースで、今回の集約化によって、多くの妊産婦が不便を強いられる。県医療局病院改革室は「引き続き医師確保に努め、状況に応じて体制を見直すとともに、1人体制が続く久慈、二戸の常勤医増も目指したい」と話している。

(河北新報、2007年8月14日)

****** 北海道新聞、2007年8月11日

天使病院 産婦人科医全員が退職へ 

来月末 「周産期医療、困難」

 産婦人科医の集団退職が明らかになった札幌市東区の天使病院(杉原平樹(つねき)院長、二百六十床)で、診療科長を含む産婦人科医全員の六人が、九月末までに離職することが十日分かった。同病院は年間約八百件の出産を扱うほか、道内に二十五施設ある地域周産期母子医療センターに指定されており、道央全域の産婦人科医療への影響は避けられない。

 現在、医療法人社団カレスアライアンス(室蘭)が経営する同病院は十月、同じカレスグループの特定医療法人社団カレスサッポロ(札幌)への移管が予定されている。院内では移管に反対していた産婦人科医の前院長が八月下旬で退職し、診療科長を含む三人も「経営内容の不透明な新法人による再雇用を望まない」と病院側に伝え、九月末の離職を決めていた。

 さらに、残る二人の若手医師も十日までに、「中核となるベテラン医師が不在のまま、高リスクの周産期医療は続けられない」と、同じく九月末で離職する意思を杉原院長に伝えた。

 医療法人の関係者によると、同病院は新たな産婦人科医の確保を始めているが、全国的に産婦人科医が不足する現状で、新たに六人の雇用は難しい見通し。杉原院長は「(リスクの高い妊婦を診療する)母体搬送の受け入れは難しく、診療体制の縮小は避けられない」とした上で、「今後も医師確保に向けて努力を続ける」と話している。

 周産期医療 妊娠後期から生後約一週間を指す「周産期」の母体と胎児・新生児を対象にした、産科と小児科の2科による総合的な医療体制。特に出産時の新生児仮死や低体重児出産など、母子の生命にかかわる緊急事態に備える。

(北海道新聞、2007年8月11日)

****** 北海道新聞、2007年8月11日

“出産難民”出る可能性 

産科医全員退職する天使病院

 産婦人科医六人全員が九月末までに退職することが十日明らかになった札幌市東区の天使病院は、地域周産期母子医療センターとして、早産や重い妊娠中毒症など高いリスクの出産を道央全域から受け入れてきた。高リスク出産に対応できる他の医療機関は満床状態が続いており、同病院が後任医師を確保できずに産科の診療体制を縮小すれば、産む場所の見つからない「出産難民」が出る可能性もある。

 「天使病院が高リスク出産の受け入れをやめたら本当に困る。今でも受け入れ先を探すのはひと苦労なのに」。同市白石区で産婦人科医院を開業する小泉基生医師は影響を予測する。天使病院では、高リスクの妊婦が別の医療機関から運び込まれる「母体搬送」だけで年間七十件を数え、道央圏では市立札幌病院の同百四十件に次ぐ多さだ。

 高齢出産の増加などで増えている高リスク出産には、新生児集中治療施設(NICU)を設置し、産科と小児科が連携した二十四時間体制の医療が必要。人手を確保できる医療機関は限られ、道央圏で積極的に受け入れている病院は、北大病院などごくわずか。

 一方、母体搬送の受け入れ率は現在でも、市立札幌病院が約75%、天使病院は約50%にとどまり、空きのある病院が見つけてやりくりしている。市立札幌病院の晴山仁志産婦人科部長は「天使病院が高リスク出産の受け入れをやめたら、現場は大混乱する」と危機感を募らせている。

(北海道新聞、2007年8月11日)

****** 産経新聞/山梨、2007年8月9日

都留市立病院 分娩予約 新規を休止 

きょうから 派遣医師が不足

 都留市の小林義光市長は8日、市立病院の産婦人科で分娩(ぶんべん)予約の受け付けを9日から一時休止することを明らかにした。医師を派遣している山梨大医学部が来年度以降、産婦人科医の減少で派遣が困難と通告してきたと説明した。これに伴い、県東部の公立病院では分娩が不可能な事態となる。ただ、来年3月20日まではすでに予約された分娩は実施するという。

 郡内地域で分娩可能な公立病院は富士吉田市立病院、山梨赤十字病院(富士河口湖町)、都留市立病院の3病院のみ。

 市によると、山梨大が今年3月、医師不足を理由に来年度からの産婦人科の常勤医師派遣が困難と通告してきたという。大学側は打開策として、郡内地域の複数の病院に派遣する医師を1病院に集約し、診療対応する方針を示している。

 さらに、安全性から麻酔科医の常駐を求めている。市立病院では現在、産婦人科の常勤医師が3人で、麻酔科医は13人の非常勤医師が手術の際に交代で務めている。

 小林市長は「(都留市立病院では)年間約400件の分娩を扱い、3分の1が大月、上野原市民だ。産婦人科医を富士吉田市立病院などに集約すると県東部では分娩できなくなる」と危機感を抱く。このため、常勤の麻酔科医を確保し、山梨大に都留市立病院を医師の集約先とするよう交渉する考えだ。だが、いまだに常勤麻酔科医の確保ができていない。

 同病院は来年3月21日以降の分娩予約を一時休止するが、妊婦健診は継続し、他病院を紹介する措置を取る。

(産経新聞/山梨、2007年8月9日)

****** 読売新聞/徳島、2007年7月27日

海部病院、お産休止

9月以降 徳島大医師派遣打ち切り

 徳島県海部郡で唯一、産婦人科がある県立海部病院(牟岐町)で9月以降、当面、出産ができなくなることになった。昨年8月から受け入れていた徳島大病院の産婦人科医の派遣が8月末で打ち切りとなるためで、地元では海部郡内の分娩施設が休止されることに不安の声が募っている。

 海部病院では、昨年7月、医師の退職で常勤の産婦人科医が不在に。県の要望を受けた徳島大病院が、昨年8月から産科医を交代で派遣してきた。

 1年間の派遣期間が今年7月末に切れるのを前に、県は派遣の継続を要望。しかし、徳島大側が、産科医1人で対応するのは危険が大きく、継続は困難と判断した。周知期間を設けるため、産科医の派遣は8月末までとなる。

 9月以降、県は大学病院の産科医による週2回の外来診療や妊婦健診のほか、医師や助産師による相談窓口を設ける予定。また、緊急の出産時には県の防災ヘリを活用するほか、搬送が難しい場合は徳島大病院や県立中央病院の産科医が海部病院に出向くことも検討する。

 同病院での出産数は2005年度の43件から06年度は26件、今年度は現時点でまだ2件と激減。大神憲章・牟岐町長は「海部郡内でお産ができないのは妊婦さんの立場としては不安でたまらないだろう。残念で仕方ない」と語った。

(読売新聞/徳島、2007年7月27日)


来春から里帰り出産受け入れ中止、伊那中央病院の方針

2007年08月12日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

地元新聞の記事によると、『上伊那地域では、来年4月以降の里帰り出産を原則すべて断って、伊那中央病院の受け入れ分娩件数を現状よりも年間100件増やしたとしても、最終的に年間100件程度は分娩の受け入れ先が地域内で見つからなくなる(お産難民が発生する)見込み』と、記者会見で発表されたようです。

上伊那地域は、諏訪地域や飯田下伊那地域と隣接し、それぞれの地域中核病院とは中央自動車道で30分以内の距離にあり、地域の患者さんは必ずしも自医療圏内の医療施設だけを利用するとも限りません。

どの医療圏でも、万が一、隣の医療圏のお産難民が、突然、大量に流入してくるような事態となれば、対応は非常に難しいです。場合によっては、ドミノ倒し式に医療崩壊地域がどんどん拡がっていく可能性もあります。

従来の医療圏の枠にはこだわらず、隣接の医療圏同士でしっかりとスクラムを組んで、互いに協力しあう体制を構築していく必要があると思われます。

参考:

長野県・上伊那地域の産科医療の状況

昭和伊南総合病院 産婦人科常勤医ゼロに

この難局に地域としていかに対応していくか?

地方病院での医師の確保と育成

医師の配置機能

****** 信濃毎日新聞、2007年8月11日

里帰り出産受け入れ中止

伊那中央病院、来春から

 伊那市の組合立伊那中央病院は10日、2008年4月から里帰り出産の受け入れを原則中止し、今年9月下旬から産婦人科の初診外来は医師の紹介状持参者に限定すると発表した。昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)が08年4月からお産受け入れを休止するのに伴い、その分の受け皿を確保するためとしている。

 記者会見した小川秋実院長は「それでもお産数が受け入れ可能件数を上回り、上伊那で『お産難民』が出るだろう」と指摘。里帰り出産が難しくなることを含め、行政を交えて産婦人科医の確保などの対策を講じることが急務になっている。

 伊那中央病院は現在、産婦人科医4人で年間約1000件のお産を受け入れており、このうち里帰り出産が約2割を占める。08年4月から里帰り出産の受け入れを中止する一方、現在より約100件多い年間1100件のお産を受け入れる方針だ。

 同時に、「可能な限りお産などの入院患者に尽力できる体制をつくるため」(小川院長)として、産婦人科の初診外来は医師の紹介状持参者に限り、妊婦の定期健診などの外来は産婦人科の開業医などに受け持ってもらうこととした。

 昭和伊南総合病院が受け入れていた年間500件のお産のうち、里帰り出産は2割の約100件。伊那中央病院分と合わせ、計約300件の里帰り出産ができなくなる見通しだ。さらに、伊那中央病院が年間1100件を受け入れても、昭和伊南の里帰り出産以外の約400件のうち、約100件は受け入れ先が見つからない状況としている。

 小川院長は「年間1100件以上のお産を受け入れるためには、産婦人科医の増員とともに、分娩室など施設の増築も必要」と主張。組合を構成する伊那市、箕輪町、南箕輪村以外の行政の支援などを求めた。

(信濃毎日新聞、2007年8月11日)

****** 中日新聞、2007年8月11日

里帰り出産を来春から制限

伊那中央病院が方針

 伊那中央病院(伊那市)の小川秋實院長は10日記者会見し、ベッド数や分娩室といった施設不足などを理由に「異常分娩など緊急を要する患者を除き、来年4月以降、里帰り出産の受け入れ制限をしたい」との方針を発表した。また、今秋から産婦人科の初診は、他院からの紹介状持参者に限る-とした。

 同病院によると、病院では現在30-40床のベッドを確保、4人の医師が年間1000件のお産(うち里帰り出産2割)を受け持っている。昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)の産婦人科医師が来年3月末で引き上げ、同病院で扱う年間500件のお産の受け入れも予想され、小川院長は「分娩室や陣痛室、ベッド数などが整備されないと、現状でこれ以上の受け入れは難しい。里帰り出産を制限しないと対応できなくなる」とした。

(中日新聞、2007年8月11日)

****** 伊那毎日新聞、2007年8月11日

伊那中央病院が産婦人科診療を制限

郡外からの里帰り出産は遠慮してほしい

 全国的な医師不足で、伊那中央病院は10日記者会見し、産婦人科の診療を制限したいと発表した。来年4月、昭和伊南総合病院(駒ケ根市)の産婦人科常勤医師がゼロになる見込みで、中病は▽来年4月以降、郡外からの里帰り出産は遠慮してほしい▽産婦人科初診は紹介状を持参してほしい―の2点を挙げる。

 上伊那の出産件数は年間1600件。内訳は中病が千件、昭和病院が500件、助産院など100件。

 中病は医師の勤務体制のほか、診察室や分べん室など施設面からも、昭和病院の出産をそのまま受け入れるのは難しい状況にある。

 里帰り出産は全体の20%を占めており、診療を制限することで昭和病院分をカバーする。

 紹介状の持参は産婦人科外来の「パンク状態」を解消するため、10月ごろから始めたいという。ここ数カ月、外来受診は増加が顕著に表れ、6月は1624件だった。

 小川秋実院長は「地域医療を守るため、制限しなければ対応できない」と理解を求める。

 地域住民らに対しては、中病や各市町村の広報などで周知していく。

(伊那毎日新聞、2007年8月11日)

****** 長野日報、2007年8月11日

「里帰り出産」自粛を 

伊那中央病院が来年4月から

 伊那中央病院(伊那市)の小川秋実院長は10日、記者会見し、来年4月以降、妊婦が実家に帰って出産する「里帰り出産」について自粛を求めていく方針を明らかにした。昭和伊南総合病院(駒ケ根市)が来年4月から産科診療を休止するのに伴い、伊那中病が新たな受け皿になることが予想され、現状の医療体制で対応するための苦肉の策。

 小川院長によると、上伊那地域のお産の取扱件数は年間約1600件。このうち伊那中病約1000件、昭和伊南約500件、残りは開業医や助産所など。

 伊那中病は産科医が4人いるが、一般的に産科医1人の取扱件数は年150件が理想とされるのに対し、250件となっており、小川院長は「現状でもぎりぎり。昭和伊南の500件をそっくりそのまま引き受けるのは難しい」と強調。医師の増員や分娩室など施設面の増設なしに取扱件数を大幅に増やすことは困難とした。

 そこで、全体の2割を占める里帰り出産の数を減らすことで、受け入れ枠を少しでも確保したい狙い。ただし、異常分娩や緊急を要する患者は対応するという。

 また、患者数が増加傾向の産婦人科について秋以降、整形外科などと同様に初診は紹介状の持参を求める方針も示し、「外来を減らし、入院患者にエネルギーを注ぎたい」とした。

 産科医の不足は全国的に深刻で、嫁ぎ先でのお産も困難な状況が予想され、期待した効果が見込めるかは不透明。現状では、里帰り出産がゼロになっても、”お産難民”の発生は避けられないとみられる。

 小川院長は「院長の立場としては上伊那は一つとして(患者の)優先順位は付けずに受け入れていく」と話した。

(長野日報、2007年8月11日)

****** 長野日報、2007年8月9日

昭和伊南病院の産科休診問題で子育てグループが会合

 県の方針による医師引き揚げで、駒ケ根市の昭和伊南総合病院が来年4月から出産を取り扱えなくなる可能性が出ている問題で8日、市内の子育てグループが 市ふれあいセンターで会合を開いた。9月に、病院関係者を招いて公開の勉強会を聞き、グループとしてできることがないかを探っていくことなどを確認した。

 子育てサークル連絡会のメンバーで、ファミリーサポートぐりとぐら代表の須田秀枝さんらが呼び掛けた。出産難民を出してはいけない―と、連絡会の他のメンバーや市民有志13人が集まった。

 助産師も出席し、来春までに市内に新たに2カ所の助産院開院の計画があることを報告。若い母親たちに助産師への正しい認識を深めてもらい、病院の助産師たちにもモチベーションを保ちながら働いてもらえるような支援も必要―とした。

 この問題をめぐって病院側は、県内ではまだ行われていない院内産院を設置できるか検討しているとした。病院によると、「伊那中央病院も含めた医師の配置体制次第」というが、須田さんらも「これから出産する若いお母さんたちに自分の出産を自分で考えてほしい」と訴える。

 今後の活動は勉強会を踏まえて行っていくが、請願や陳情などで市議会に訴え、同病院の医師確保と産科診療の維持を求めていくことも考えている。

(長野日報、2007年8月9日)


将来の地域医療の担い手の確保

2007年08月11日 | 地域医療

コメント(私見):

平成16年度に『新臨床研修制度』が導入され、医学部を卒業した後の研修先は、大学病院以外に一般病院も広く選べるようになりました。研修希望者と研修先病院の組み合わせの決定には、『研修医マッチング』というシステムが新たに導入されましたが、そのシステムでは基本的に研修医自身の希望が最優先されます。

その結果として、研修医は大都市の大学病院や有名病院などに集中するようになり、地方では研修医の確保に非常に苦労しています。

今や、研修希望者が研修先病院を自由に選ぶ時代となった以上、地域中核病院は、研修希望者(医学生、初期研修医)にとって魅力のある研修先病院(マグネットホスピタル)に変身していく必要があります。地方の医師不足を解消するためには、まず、(初期および後期)研修医を十分に確保することが不可欠です。研修医が集まって来ない病院には、指導医も集まって来ません。とにかく、『研修医に選ばれる病院』に変身していかない限り、病院の未来は決してあり得ません。

また、一つの研修先病院だけであらゆる疾患や技術の研修をカバーするのは難しいので、若手医師たちは数年ごとに研修先を変えて成長していきます。従来は、若手医師が次の研修先に転勤した後は大学の医局人事で後任医師が補充されてきました。しかし、病院独自で採用した若手医師が次の研修先に転勤する場合には、自力で後任者を補充し続けなければなりません。

今後、研修医たちの意見を取り入れて、研修内容や待遇を毎年少しずつ改善し、研修先としての魅力を高め続けていく必要があると思います。

参考:

地方病院での医師の確保と育成 

医師の配置機能

****** 信濃毎日新聞、2007年8月10日

県内外の医学部生、信大で夏季研修 県内定着を狙う

 信大医学部(松本市)は16日から3日間、主に県外の大学医学部で学ぶ県出身者を対象とした「信州医療ワールド夏季セミナー」を、松本市の信大松本キャンパスで初めて開く。県内出身の医学部生とつながりを保つことで、将来県内で働いてもらう狙いがある。地域の勤務医不足が深刻化する中、「全国の医学部に先駆けた取り組み」(信大)としている。

 信大は昨年10月、県内での医師育成を目的に「地域医療人育成センター」を開設。不足が著しい産科・小児科医を増やそうと、学生が子どもと接する場を設けるなど、やりがいを体験する研修を始めた。医師のUターン支援なども行っている。

 今回のセミナーは、センター開設当初からの計画。センター長の福嶋義光教授は「県外に出た学生が県に関する情報を得るのは大変。セミナーを通じ接触を持ち続けることで、情報交換ができる」とする。

 セミナーには、信大を含む27大学の医学部から3-6年生61人が参加予定。このうち県内出身者は19人で、想定よりも県外者の参加が目立つという。大橋俊夫医学部長の講演や各診療科に分かれた見学会、グループ討論、先輩研修医との交流会を予定。県内約40の医療機関が参加し、卒業後の臨床研修の説明会も行う。

 福嶋教授は「信州でも先端の医療に従事できる喜びを伝え、結果的に県内で働く医師が増えればうれしい」と期待する。

(信濃毎日新聞、2007年8月10日)

****** 北日本放送/富山、2007年8月10日

医学生に研修先の魅力アピール

 近年、県内の病院で医師が不足している背景には、研修医の不足があると指摘されています。

 県は10日、大学の医学部の学生を対象に、県内の病院の見学会を開き、研修先としての魅力をアピールしました。

 この見学会は、これまで自治医科大学の学生のみを対象に行っていましたが、今年は対象を拡大して募集し、地元富山大学をはじめ金沢大学、鹿児島大学の医学生あわせて21人が参加、グループに分かれて県内8つの病院を見学しました。

 このうち黒部市民病院では大学を卒業した後の研修先に選んでもらおうと、研修の内容や指導体制の特徴をアピールしていました。

 県が今回、見学会の門戸を広げた背景には、研修医の激しい争奪戦があります。

 平成16年度に新しい臨床研修制度が導入され、研修先は大学病院以外に一般病院も広く選べるようになり、研修医は大都市に集中し、地方は研修医の確保に苦労しています。

 学生は「全国の病院をいろいろ比べて自分の行きたいところを見つけていこうかなという気でいる。症例数とか研究数とか先生方も世界的な研究をしていらっしゃる方どうしても都会に多いので、そういうところに魅力を感じる方は都会のほうにいきますし」

 県内でも、今年度14の病院が112人の研修医を募集しましたが、54人しか決まりませんでした。

 充足率は48.2%と全国45位に低迷しています。

 県医務課「県内に定着していただくためには、県内の臨床研修病院で医師としての第一歩を踏み出していただくというのが非常に重要だと思うので、学生さんに声をかけて県内の公的病院を実際に目で見ていただいて、こんなに頑張っている病院たくさんあると実感していただけたらなと思う。」

 医師不足を解消するにはまず研修医の確保が不可欠、黒部市民病院では、研修医の指摘を取り入れて研修内容や待遇を少しずつ改善しています。

 黒部市民病院は「今はもう、学生が病院を選ぶ時代で、学生さんにとって研修するに当たって魅力のある病院にしていかないと、もう研修医が集まらない病院は、上級の医者も集まらなくなる。まず研修医が選んだ病院になっていくのが、第一の目標。」

 研修医の争奪戦に勝ち残るため病院の現場は県内でも変わりはじめています。

(北日本放送/富山、2007年8月10日)

****** 東奥日報(青森)、2007年8月10日

県の地域医療体験実習が好評

 県内外の医学生が本県で地域医療を体験する県の事業「へき地における卒前教育モデル事業」が好評だ。本年度すでに県外医学生枠十人いっぱいの申し込みがあり、関東、関西の“医師の卵”がむつ、深浦、三戸などで研修を積み、地域医療の大切さを肌で感じている。県事業のほかに各病院・診療所が独自に医学生を受け入れるケースも増えており、本県は“地域医療のメッカ”として、医学生に浸透しつつある。

 県の事業は二〇〇六年度からスタート。医学部五、六年生が一週間程度、地域で医療の基礎を学ぶ「心のふれあいコース」、四週間程度滞在する「いきいき交流コース」のほか、本年度から新たに医学生一~四年生が三日程度見学するコースも設けた。

 交通費は県が負担し、宿泊場所は医療機関側が用意する。県外医学生の定員は十人で、既に本年度の枠はほぼ埋まっている。

 東通村の東通診療所には、六日から十日までの日程で、大阪大五年生の久保絵美さん(兵庫県出身)が実習に参加。川原田恒所長の指導の下、外来診療、訪問診療、各種ミーティングなど内容が濃いプログラムを体験。医療・保健・福祉が一体となって住民にサービスを提供する村の「包括ケア」の取り組みなども熱心に学んでいる。

 プログラムの中には、医学生と子どもたちとの交流会やホームステイ体験も組み込まれており、医学生が地元の人情に触れるとともに、地元の子どもたちが将来、医師を目指す動機づくりの場ともなっている。

 県のホームページを見て実習に参加した久保さんは「(川原田所長が)外科、内科、小児科…と、いろいろな患者さんを診ているのはすごい。幅広い知識と経験が必要だと思う」と驚きの表情を浮かべ、「青森県は医師不足のイメージがあるが、医師育成に熱心な県だと感じる」と語った。川原田所長は「地域医療に親近感を持ってほしい。楽しさを感じてほしい」と語る。

 ほかに深浦町の関診療所では今春、大阪市立大の医学生二人が地域医療を体験。むつ総合病院では杏林大(東京都)の六年生が、三戸中央病院では山梨大五年生が県の実習事業に参加した。

 関診療所で基礎医学や医師のあるべき姿をみっちりと学んだ医学生からは「一日がとても充実していた」などの声が寄せられている。

(東奥日報、2007年8月10日


医師の配置機能

2007年08月09日 | 地域医療

今の日本にある病院の多くは、従来、どこかしらの大学の医局から医師が派遣されて、病院機能が維持されてきました。当院の場合でも、院長以下、各診療科の所属医師たちは、元をただせば、大学の医局人事で就職してきた者がほとんどです。私自身も、二十年ほど前に、当時の教授の『天の声』に従って、新天地(現在の任地)に一人医長としてやって参りました。

『どこかの大学医局に在籍して、教授の命令に素直に従っていれば、どこかしらの就職先を最終的に割り当ててもらえるだろうし、将来についての不安を感じる必要性はないし、そのうち学位も取得できる筈だし...』というような理由で、以前はほとんどの医師が医学部卒業と同時にどこかしらの大学医局に所属しました。

大学医局に所属すると、各自の希望や都合などとは全く関係なく、いつでも、命令が下され次第、否応なく指定された任地に赴く覚悟が必要でした。こうして、長い間、大学が地域の医師配置機能を果たしてきました。

しかし、最近、若手医師たちの研修先や就職先は、各自の自由意思で選択することも可能になってきて、大学医局に所属する者の割合が以前と比べて減少傾向にあり、大学の医師配置機能が低下しつつあります。

どこかに余った医師がプールされているわけでもありませんし、医師不足で困窮している地域に必要な医師を配置する機能は、今や、国にも、県にも、大学にも、どこにもありません。そのために、医師不足の地域では、ますます医師数が減っていく傾向にあります。


医学部定員にへき地勤務枠を新設へ 都道府県に最大5人 (朝日新聞)

2007年08月07日 | 地域医療

コメント(私見):

へき地勤務枠の医学部卒業生たちの卒後臨床研修はどうなるのでしょうか? このへき地勤務枠という新しい制度で、将来、どのような医師を養成しようとしているのでしょうか?

2年間の初期臨床研修が終了したばかりの若手医師たちをへき地に単独で配属しても、せいぜい、とりあえずの応急処置くらいしかできません。へき地に単独で配属する前に、初期臨床研修に加えて、研修環境が整備されている地域拠点病院で最低でも3年間程度の後期臨床研修を済ませておかないと、現場では全く使い物にならないと思われます。

しかし、現実には、今、地方の地域拠点病院の多くは、大学病院への医師引き揚げにより常勤医数が大幅に減少し、辞めた医師達の補充もできないので、医師不足で非常に困窮している病院が増えています。少ない常勤医達が日常の診療に忙殺され、研修医の指導どころではない病院が少なくないと思われます。

指導体制が不十分な病院に、研修医が多く配属されたとしても、まともな研修ができる筈がありません。もしも、今後、地域拠点病院に多くの研修医を誘導するのであれば、先行して、まず地域拠点病院の常勤医数を大幅に増やし、指導医が研修医の指導に専念できるような研修環境を実現しておく必要があります。

また、診療科によっては、チーム医療が中心となり、医師1人の体制では医療が成立しなくなっている分野も少なくありません。例えば、周産期医療に関して言えば、多数の産婦人科医、小児科医、麻酔科医、助産師などからなる周産期医療チームを結成する必要があり、現在、多くの地域で、拠点病院に産婦人科医や小児科医を集約化して、周産期医療の継続に必要な人員を確保しようとしています。もしも、産婦人科専門医をめざして育成中の若手医師までも、一律に、拠点病院からへき地に派遣するのを義務化したら、今後、多くの地域で周産期医療の継続が困難となってしまうかもしれません。診療科ごとの柔軟な対応が必要になると思われます。

****** 朝日新聞、2007年8月6日

医学部定員にへき地勤務枠を新設へ 都道府県に最大5人

 政府は医師不足対策として、都道府県ごとに、大学医学部の入学定員を最大5人程度増やすことを認める方針を固めた。定員増加枠の学生には都道府県が奨学金を支給し、代わりに学生は、卒業後最低9年間、都道府県が指示するへき地の病院などでの勤務を約束する。早い都道府県では来春の入試から増加枠を設ける可能性がある。

 政府は昨年8月、人口や面積あたりの医師数が少ない10県と自治医科大学(栃木県)について、08年度から10人までの定員増を認めた。現在、11大学が計110人の定員増を文部科学省に申請している。地元への定着が条件だが、卒業後の勤務先までは拘束しないため地方の中核都市に医師が集中し、へき地の医師不足は解消されないとの指摘が出ていた。

 今回新設する増加枠で入学する学生については、卒業後2年間の臨床研修期間を含む9年間、都道府県が指示する医療機関で勤務してもらう。医師不足が深刻な産婦人科や小児科など、都道府県が求める診療科の医師になれば、勤務先までは指定しない措置の導入も検討している。

 増加枠を何人にするかは各都道府県が決め、一般の定員枠とは別に入試を行う。推薦、筆記など入試方法は各都道府県に委ねるが、将来にわたって地域医療を担う意欲をみるため面接試験は必須とする考えだ。

 増加枠の学生には入学金と授業料分の奨学金を支給する。学業に必要な生活費分も上乗せする方向だ。卒業後、約束通りに勤務すれば返済を免除し、従わない場合は奨学金の全額返済を求める。

 自治医大は、各都道府県から毎年2~3人ずつ学生を受け入れている。学生は、都道府県から奨学金を受ける代わりに、卒業後9年間は勤務先が拘束される。今回の取り組みは「各県自治医大構想」(厚生労働省幹部)ともいえる。

 今回の増員枠と自治医大の卒業生を合わせると、各都道府県は毎年最大で7~8人程度、へき地などに医師を計画的に派遣できるようになる。ただ、来春以降に入学する学生が卒業するまでに6年かかるため、今の医師不足がすぐに改善されるわけではない。

 07年入学の全国の医学部総定員は約7600人。総定員は70年代の医大新設で急増し、80年代前半は8000人を超えていたが、その後は医師数が過剰になるとの判断から抑えられてきた。政府は昨年に続く定員増を「臨時的な措置」としているが、医師不足の深刻化を踏まえ、定員抑制策の転換を求める声も出ている。

(朝日新聞、2007年8月6日)


第1回婦人科腫瘍専門医試験(2006年)、問題001~問題010

2007年08月04日 | 婦人科腫瘍

問題001 外陰病変で下床に腺癌を伴うことがあるのはどれか。
a)vulvar intraepithelial neoplasia (VIN)
b)Bowen様丘疹
c)Paget病
d)硬化性苔癬
e)悪性黒色腫

解答:c

c)Paget病は通常は扁平上皮に限局する異型腺細胞からなる癌であるが、約10~20%の症例においてPaget病変下に腺癌を伴う(Fanning、1975)。

******

問題002 外陰癌で誤っているのはどれか。
a)60~70歳代の女性に頻度が高い。
b)角化型扁平上皮癌が大部分を占める。
c)最も頻度が高い部位は腟前庭である。
d)進行癌では鼠径リンパ節転移が多い。
e)Ⅰ期癌には手術療法が第一選択である。

解答:c

c)外陰の扁平上皮癌の発生部位は、大陰唇および小陰唇(60%)、陰核(15%)、会陰(10%)である。症例の約10%では、病変が拡がり過ぎて発生部位を特定できない。症例の5%は多中心性である。(Berek & Novak's Gynecology 14th Ed, p.1553)

******

問題003 Paget病で誤っているのはどれか。
a)外陰掻痒感や違和感を訴えることが多い。
b)スクリーニングに擦過細胞診が有用である。
c)術前評価では病巣周囲の多数の生検を行う。
d)手術では病巣辺縁から3 cm外周を皮切する。
e)約10%は間質浸潤を伴う浸潤Paget病である。

解答:e

臨床的には浸潤が疑われなくても、症例の約30%で病理組織学的に間質浸潤が認められる。(Atlas of Gynecologic Surgical Pathology, p32)

******

問題004 外陰癌のFIGO進行期分類(1994)で誤っているのはどれか。
a)外陰に限局し、最大径1 cmで間質浸潤の深さ3 mm以下であればⅠa期である。
b)会陰に限局し、最大径3 cmであればⅡ期である。
c)肛門への浸潤があればⅢ期である。
d)両側の鼠径リンパ節に転移があればⅣa期である。
e)骨盤リンパ節に転移があればⅣb期である。

解答:a

a)Ⅰb期:外陰または会陰に限局した最大径2cm以下の腫瘍で、間質浸潤の深さが1mmを超えるもの。

外陰癌のFIGO進行期分類1994年
0期:上皮内癌
Ⅰ期:外陰または会陰に限局した最大径2cm以下の腫瘍。リンパ節転移はない。
 Ⅰa期:外陰または会陰に限局した最大径2cm以下の腫瘍で、間質浸潤の深さが1mm以下のもの※。
 Ⅰb期:外陰または会陰に限局した最大径2cm以下の腫瘍で、間質浸潤の深さが1mmを超えるもの。
 ※浸潤の深さは隣接した最も表層に近い真皮乳頭の上皮間質接合部から浸潤先端までの距離とする。
Ⅱ期:外陰および/または会陰のみに限局した最大径2cmを超える腫瘍。リンパ節転移はない。
Ⅲ期:腫瘍の大きさを問わず、
(1) 隣接する下部尿道および/または膣または肛門に進展するもの。
  および/または
(2) 一側の所属リンパ節転移があるもの。
 所属リンパ節:大腿リンパ節鼠径リンパ節
Ⅳa期:腫瘍が次のいずれかに浸潤するもの:
上部尿道、膀胱粘膜、直腸粘膜、骨盤骨および/または両側の所属リンパ節転移があるもの。
Ⅳb期:骨盤リンパ節を含むいずれかの部位に遠隔転移があるもの

******

問題005 外陰癌のリンパ行性転移で正しいのはどれか。
(1)片側に限局する2 cm未満の腫瘍では、対側の浅鼠径節への転移は少ない。
(2)原発腫瘍の大きさが2 cm未満であれば、リンパ節転移は5%以下である。
(3)Cloquet節は、浅鼠径節のうちで最も内側に存在するリンパ節である。
(4)リンパ節転移は、浅鼠径節、深部大腿節、骨盤節の順に進展することが多い。
(5)浅鼠径節に転移を認める場合、その20~25%で骨盤節への転移がある。

a(1)(2)(3)、b(1)(2)(5)、c(1)(4)(5)、d(2)(3)(4)、e(3)(4)(5)

解答:c

(2)腫瘍径<1.0cm リンパ節転移18.0%
      腫瘍径 1~2cm リンパ節転移19.4%

******

問題006 外陰癌Ⅰa期の標準的治療はどれか。
a)レーザー蒸散
b)根治的外陰部分切除(radical local excision)
c)根治的外陰部分切除+患側鼠径リンパ節郭清
d)広汎外陰切除(radical vulvectomy)+両側鼠径リンパ節郭清
e)根治的放射線治療

解答:b

Ⅰa 期では鼠径リンパ節転移はないと考えられ、最低1cm 以上病変から離れて切除する根治的外陰部分切除術のみでよいと考えられる。

******

問題007 腟癌で正しいのはどれか。
a)40歳代の女性に最も頻度が高い。
b)組織型では腺扁平上皮癌が最も多い。
c)発生部位では中1/3に最も頻度が高い。
d)下1/3に発生した癌は鼠径リンパ節に転移する。
e)Diethylstilbesterolを服用した女性に腺癌が発生する。

解答:d

a)原発性腟癌の好発年齢は50~65歳で、平均年齢は約60歳である。

b)腟悪性腫瘍の組織型別頻度では扁平上皮癌が大多数を占めている。

c)好発部位は腟の上部1/3である。

d)所属リンパ節
  腟の上部2/3の場合:骨盤リンパ節
  腟の下部1/3の場合:鼠径リンパ節

e)欧米では、かつて切迫流産治療のためにDES (Diethylstilbesterol)が投与された妊婦から生まれた女児に、腟癌(明細胞癌)が好発し、大きな社会問題となった。

******

問題008 腟癌の臨床進行期(FIGO)で正しいのはどれか。
(1)腟壁に限局していればⅠ期である。
(2)傍組織に浸潤するが骨盤壁に達していないとⅡ期である。
(3)傍組織浸潤が骨盤壁に達しているとⅢ期である。
(4)外子宮口に達していればⅢ期である。
(5)膀胱に胞状浮腫があればⅣ期である。

a(1)(2)(3)、b(1)(2)(5)、c(1)(4)(5)、d(2)(3)(4)、e(3)(4)(5)

解答:a

(4)腟病変が子宮腟部を侵しかつ外子宮口に及ぶものは子宮頸癌に、外陰を侵すものは外陰癌にそれぞれ分類される。

(5)Ⅳa期:膀胱、または直腸の粘膜に浸潤する腫瘍および/または小骨盤を超えて進展する腫瘍   
 注:胞状浮腫のみではⅣ期としない

******

問題009 子宮頚癌のリスク因子でないのはどれか。
a)HPV
b)喫煙
c)初交年齢
d)アルコール
e)性パートナー数

解答:d

子宮頸癌は、主に前癌病変である異形成から進行し発生すると考えられている。この前癌病変のリスクが、HPV感染、HIV感染、喫煙により高くなる事が報告されている。またこれらの感染は、複数のsex partnerをもつ者、partner が複数のsex partnerをもつ者、で多くなると考えられている。

******

問題010 頚癌検診における細胞採取で正しいのはどれか。
a)腟円蓋から細胞を採取する。
b)子宮腟部表面と頚管内から細胞を採取する。
c)妊娠中は偽陽性が多いので避けるほうがよい
d)スライドグラスへ塗布した後30分以内に固定する。
e)自己採取による癌検出率は通常の検診と同様である

解答:b

子宮頸部の異形成、上皮内癌、微小浸潤癌の発生部位は扁平円柱上皮境界であり、当該部位の細胞が確実に採取されている場合には、標本上に外頸部由来の扁平上皮細胞と頸管内膜由来の円柱上皮細胞の両者が観察される(どちらか一方の細胞を欠く場合は、診断に不適当な標本と判定される)。


産婦人科の話題あれこれ(自ブログ内リンク)

2007年08月04日 | 健康・病気

産科:

妊婦の栄養指導

産科領域における肺血栓塞栓症について

羊水塞栓症について

常位胎盤早期剥離について

常位胎盤早期剥離による児死亡

前置胎盤の出血

癒着胎盤について

癒着胎盤の定義について

癒着胎盤に関する個人的な経験談

肩甲難産について

当科における帝王切開後の経膣分娩(VBAC)についての説明書

帝王切開後の経膣分娩(VBAC)を実施する施設が満たすべき条件

前回帝王切開時の子宮切開方法とVBACにおける子宮破裂の発生率

会陰切開についてのインフォームドコンセント(説明と同意)

出産のリスクを点数化

新生児科医の分娩立会いについて

「無過失補償制度」の産科医療への導入について

日医が「分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度」の制度化に関するプロジェクト委員会を設置

「分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度」の制度化を提言(日本医師会)

医療ADR(裁判外紛争解決)について

医療不審死、究明機関設置へ(読売新聞)

出産時の医療事故、過失立証なくても補償…政府検討へ(読売新聞)

産科における無過失補償制度の創設

お産の事故に「保険」制度 産科医不足解消ねらい厚労省

日本の周産期死亡率:過去、現在、未来

朝日新聞: 帝王切開20年で倍増

帝王切開、なぜ増える 20年で1.6倍に (朝日新聞)

助産師問題:

助産所業務ガイドライン

神奈川県警による堀病院強制捜索に関して(周産期医療の崩壊をくい止める会)

堀病院事件・続報

無資格内診 助産師確保を急がねば(信濃毎日新聞)

無資格助産:「堀病院」とは別の診療所でも 横浜市、立ち入りへ(毎日新聞)

お産難民 助産師が足りない 人材、大病院に集中(東京新聞)

無資格内診事件 激務の産科に打撃(中日新聞)

助産師はいま (読売新聞)

横浜・堀病院事件、捜査批判に県警が異例の反論 (読売新聞)

助産師の養成について

堀病院・無資格助産事件 捜査の停止求める見解公表 (毎日新聞)

日本産婦人科医会からお知らせ

夜学で助産師資格の取得 (厚労省方針)

大淀病院事件:

2006/10/18 転送拒否続き妊婦が死亡 分娩中に意識不明

10/19 奈良県警が業務上過失致死容疑で捜査へ 妊婦死亡問題

10/20 産婦人科医会「主治医にミスなし」 奈良・妊婦死亡で県産婦人科医会 (朝日新聞)

10/21 妊婦転院拒否、断った大阪に余裕なし 満床や人手不足 (朝日新聞)

10/22  <母子医療センター>4県で計画未策定 国の産科整備に遅れ

10/25 奈良の妊婦死亡、産科医らに波紋 処置に賛否両論

10/26 医療機関整備で県外派遣産科医の撤収へ 奈良・妊婦死亡 (朝日新聞)

2007/5/4 転院断られ死亡の妊婦、詳細な診療情報がネットに流出(読売新聞)

5/24 周産期医療システムの不備は、誰に責任があるのだろうか?

6/27 大淀病院事件・第1回口頭弁論の報道

育児:

乳幼児突然死症候群(SIDS)について

あおむけ寝がいいか,うつぶせ寝がいいか?(歴史的変遷)

婦人科:

婦人科腫瘍学・必修知識

性器クラミジア感染症

子宮内膜症について

外陰原発の悪性腫瘍

臨床試験進行中の子宮頸がんのワクチン

子宮頸がん予防ワクチンについて

補足(子宮頸がん予防ワクチンについて)

子宮頚がんワクチン 米国で認可

子宮頸がん、最近の話題

子宮頸癌について

子宮体癌(子宮内膜癌)について

卵巣がんについて

卵巣癌のFIGO臨床進行期分類(1988年)

上皮性卵巣癌に対する標準的化学療法

卵巣がん 治療ガイドライン

正常大卵巣癌症候群

胞状奇胎について

胞状奇胎後に絨毛癌が続発する可能性について

日本婦人科腫瘍学会より市民の皆様へ

PET-CTのご紹介

2007/04/18 執刀医ら2人を書類送検 子宮摘出手術の死亡事故で (共同通信)

本の紹介

『産婦人科研修の必修知識2007』、日本産科婦人科学会

がん疼痛治療のレシピ(2007年版)、春秋社

医療崩壊MRICインタビュー:もはや医療崩壊は止まらないかもしれない

EBMを考えた産婦人科ガイドラインUpdate、改訂第2版

卵巣腫瘍病理アトラス

婦人科腫瘍の臨床病理 改訂第2版

その他:

妊婦が輸血拒否で死亡 「エホバの証人」信者

親拒んでも15歳未満輸血、信仰より救命優先…学会指針案

日本法医学会:「異状死」ガイドライン

問題は医師法21条にあるのではない

根拠に基づいた医療(EBM)

メタボリックシンドロームについて

メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候)についての報道

内臓脂肪症候群 なめてはいけない『お腹のサイズ』

肥満とダイエットについて

EMS運動とは?