四十数年前の大学受験生だった頃、教科としては数学と英語が好きでした。将来どちらの分野を専門にするのか出願時にはまだ決めかねて、理学部と外国語学部の両方を受験しましたが、結局はどちらもやりたいと思って理学部の方に進み、数学と英語漬けの楽しい数年間を過ごしました。
数学修業の志半ばで漢方医学の勉強をしたくなったのをきっかけに医学部を再受験し、医師となってからの最初の数年間は大学院に在籍して婦人科腫瘍学や婦人科細胞診の勉強に明け暮れました。今の病院に就職してからは、明けても暮れても悪性腫瘍手術や腹腔鏡下手術に邁進した日々もありました。
数年前より在職中の病院の分娩件数が急増して、以前と比べて自分の中で周産期医学の勉強の占める割合が大きくなり、最近になってALSOの勉強も始めて、今後はALSOインストラクターとして活動してみたいという夢を持つようにもなりました。
そうこうしているうちに、あと十日あまりで還暦を迎える歳となってしまいました。人生は自分の好きなことを探す旅だと思って、いろいろと探し回っていて、未だ何も極めてないうちに、人生の残り時間がだんだん少なくなってきつつあります。
若い頃からのライフスタイルとして、自分の好きなことだけに打ち込んで、不得手なことは周囲の方々に全面的にお任せして生きてきました。私の場合、幸運にもサポートしてくださる素晴らしい周囲の方々にいつも恵まれてきました。
自分の好きなことであれば、いくら忙しくても、全くつらくも何ともありませんし、どれだけでも頑張れます。その好きなことが自分の仕事に直結していれば、日々の仕事で忙殺されていても、いつも楽しくて、あまり疲れないし、それほど大きなストレスにもなりません。忙しければ忙しいほど充実感や達成感で満たされて、やる気もみなぎってきます。
多くの人がチームとして働く医療現場においても、チームを構成する各人が、それほど疲れを感じないで、楽しくどんどん働き続けられるような職場の雰囲気であることが大切と考えています。
1年ほど前から低炭水化物ダイエットを続けてます。 今のところ、減量後のリバウンドはなんとか回避できております。低炭水化物ダイエットとは、ごはん、パン、うどんなどの主食の摂取を制限し、カロリー不足分は野菜、肉、魚、チーズ、豆腐などのおかずの方で摂取するという方法です。めんどうなカロリー計算は不要なので実行しやすいというメリットがあります。おかずでお腹がいっぱいになるので、そんなに辛くありません。実行しやすく、比較的短期間で効果が出やすいことから、私の周囲でも、低炭水化物ダイエットを実行している人は多いです。
炭水化物は短時間で吸収されやすいので、炭水化物を摂取した後は血糖値が急激に上がり、血糖値を下げるために膵臓からインシュリンが分泌されます。インシュリンは血中の糖分を細胞の中に脂肪として取り込むことによって血糖値を下げようとするので、炭水化物摂取の比率が多いと脂肪が体内にたまりやすい体質となります。一方、蛋白質や脂質は吸収に時間がかかるので、インシュリンの分泌量も少なくて済みます。また、炭水化物摂取量を制限して必要なカロリーを炭水化物でまかなえない場合は、膵臓からグルカゴンが分泌され、余分な脂肪を分解し、エネルギーとして使います。その結果、基礎代謝が高くなり、体脂肪を燃焼しやすい体質となります。以上が、低炭水化物ダイエット(アトキンスのローカーボダイエット)の考え方です。具体的には、アトキンスのローカーボダイエットでは、通常200~300gである炭水化物の摂取量を20~40gと非常に少なくし、糖分の代わりに脂肪がエネルギーとして使われる状態に誘導します。
しかし、この低炭水化物(糖質制限)ダイエットに関しては専門家の間でも賛否両論があり、日本糖尿病学会も「極端な糖質制限は健康被害をもたらす危険がある」と警告してます。参考: 体重管理XIV 「極端な糖質制限は健康被害をもたらす危険がある」(日本糖尿病学会) 北里研究所病院糖尿病センター長の山田悟先生は、1日70~130グラムの緩やかな糖質制限を推奨し、「ケトン体の危険性は否定し切れないので、1日50グラム以下の極端な制限はやめたほうがいい。緩やかに行えば健康に心配はないが、血糖値や脂質、尿素窒素などの定期的なチェックは必要」と注意しています。糖尿病で腎症を発症している場合は厳禁で、薬物治療を行っている患者は糖質制限で低血糖に陥る危険もあります。特に糖尿病治療中の方は主治医の先生と十分に御相談になってください。
***** 定番の昼食メニュー
野菜サラダ2皿、豆乳1パック、さけるチーズ2個
****** 体重管理グラフ
建設中の北棟(周産期センター)の周囲をおおっていた囲いが取り払われて、建物の外観が見えるようになりました。ここに分娩室、NICU、産科病棟、産婦人科外来などが集約されます。
思えば、24年前の平成元年3月に生まれて初めてこの地にやって来た時には、近隣に知り合いはいないし、右も左もわからず、果たしてこれからこの地でうまくやっていけるかどうか?果たして患者さんが来てくださるかどうか?不安な気持ちでいっぱいでした。朽ちかけた事務室の一角を外来に改装し、手術室の物置に使っていた1室を分娩室に改装し、小児科病棟の1室の中の4床を産婦人科で間借りして、細々と産婦人科診療を始めました。全くゼロからの出発でした。
あれから24年、いつの間にか、この地に多くの一緒に働く仲間ができ、多くの患者さん方にも来ていただけるようになりました。最近では県内総分娩件数の一割弱を当科で取り扱い、婦人科の難しい症例も非常に多いです。日々、若い医師達とともに困難な症例と立ち向かって充実した日々を送ってます。
これからも多くの仲間たちと一致協力して、我々が理想とする産婦人科医療をこの地に実現できるように、チームで、一歩一歩、地道に頑張っていきたいと思います。