コメント(私見):
加藤克彦先生に無罪を言い渡した福島地裁の判決が、9月3日に控訴期限を迎え、9月4日午前零時で無罪が確定しました。
極めてまれで予測も困難な癒着胎盤という疾患に対し、現時点における標準的な医療行為が実施され、明白な過失はなかったにもかかわらず、結果の重大性を理由に担当医が逮捕、起訴された本事件で、2年半の歳月をかけてやっと冤罪を晴らすことができました。
しかし、県警はいまだに「法と証拠に基づいて必要な捜査を行ったもので、(医師の)逮捕に間違いはない」とコメントしてますし、検察も「起訴自体は法律と証拠に基づいており、間違っていない」と言い切っていますので、法律が現状のままであれば、今回のような冤罪事件がまた何度でも繰り返される可能性があります。
今回のような冤罪事件が再び繰り返されることがないように、法律が改正されて、医療事故の原因究明に当たる第三者組織「医療安全調査委員会」(仮称)が早急に創設されることを希望します。
****** Japan Medicine、2008年9月5日
大阪府医師会が主催した「舛添厚生労働大臣と語る会」での講演内容より
◆舛添要一・厚生労働相
大野病院事件は警察の誤り
福島県立大野病院事件については、医師と患者の信頼関係不足が最大の要因との考えをあらためて強調した。診療関連死への対応をめぐっては、超党派による協議で産科無過失補償制度や医療事故調査委員会の設置などの政策提言につなげてきた経緯を紹介。一方で、「医師には第三次試案でも不満があるのは理解できるし、医師にも患者にも不信感がある中ではどんな委員会も試案も合意を得るのは困難。8割程度納得できるならいったん制度化して、駄目な部分はその後改正していくという考え方もあるのではないか」と、医療側に柔軟な対応を求める場面もあった。
大野病院事件自体については、「警察が介入したことが一番の問題。(この事件で)医師を犯罪者にする原点が間違っている」と警察側を厳しく批判した。
(Japan Medicine、2008年9月5日)
****** m3.com医療維新:
福島県立大野病院事件◆Vol.26 より
◆福島県立医科大学産婦人科教授・佐藤章氏
8月20日の判決のときと同じですが、ほっとしたというのが正直な思いです。同時に今回と同様なことが二度と起こらないようにすることが重要だと考えています。
今回の件は、県が設置した「県立大野病院医療事故調査委員会」の報告書が発端になっています。ですから、今議論されている“医療事故調”に期待しています。ただ、そのあり方は今後、様々な検討が必要でしょう。またやはり医療について医学的に調査できるのは、医師自身です。“医療事故調”と一体化させるか、別に作るかという議論はありますが、医師自身が医療事故を調査・分析する仕組みが必要だと考えています。
さらに、業務上過失致死傷罪を医療にどう適用するか、その議論も重要です。医学的根拠がある医療行為を実施した場合には、たとえ医療事故が生じても業務上過失致死傷罪を適用しないなど、見直しが必要だと思います。
医療事故の再発防止には、質の高い調査が必要ですが、以上のような点を整理しないと関係者が正直に事実を述べることができず、医療事故の再発防止などは期待できません。
なお、加藤克彦先生とは、近いうちに会って、今後について相談したいと考えています。
(m3.com医療維新:福島県立大野病院事件◆Vol.26 より)
****** 日本医師会
日医ニュース第1128号(2008年9月5日)
福島県立大野病院事件判決に対する日医の見解を公表
平成十八年二月に,福島県立大野病院で帝王切開時の癒着胎盤に伴う産婦の失血死により,業務上過失致死罪と医師法第二十一条違反容疑で,担当医が逮捕,拘留,その直後に起訴された事件で,被告人である産婦人科の医師を無罪とする判決が,八月二十日,福島地裁から出された.これを受けて,木下勝之常任理事は,同日,記者会見を行い,今回の裁判所の判断は妥当なものであるとする日医の見解を明らかにした.
同常任理事は,まず,亡くなられた患者さんとその遺族に対して,改めて哀悼の意を表明.そのうえで,今回の事件を「産婦人科医だけでなく,医療界や,社会に大きな衝撃を与えるものであった」と振り返るとともに,その問題点として,(一)医療事故が発生してから一年以上が経過し,その間,この事故の調査が行われ,地域の周産期医療を担い続けてきた医師が,逃亡や証拠隠滅の恐れがまったくないにもかかわらず,突然逮捕,拘留され,その直後に起訴されるという極めて不当な事件であったこと,(二)専門医が判断すれば,通常の医療行為を行ったが,残念ながら力が及ばず不幸にして亡くなられた事例であり,刑事罰の対象にはなり得ない事件であるにもかかわらず,刑事司法の判断によって「医師の過失が重大である」とされ,刑事訴追されたこと―を指摘した.
今後については,今回の判決を契機として,現在議論がなされている新たな死因究明制度における原因究明と再発予防に向けた取り組みを法制化し,医療の管理を今までのような刑事司法が行うのではなく,専門家集団である医師自らが行う仕組みの構築を目指していきたいとの考えを表明.さらに,医療の専門家である医師には,医療事故の防止に努めるとともに,医療を受ける患者と真摯に向き合い,相互の理解に努め,医師・患者間の溝を埋めていくよう,一層の努力をしていくことを求めた.
(日医ニュース第1128号、2008年9月5日)
****** MTpro 記事、2008年8月27~29日掲載
医療ライター・軸丸靖子
上司の経験した「医師逮捕」――検証・福島県立大野病院事件
(上)医療者安堵させた無罪判決
「無罪!」「無罪!」「無罪!!」
8月20日福島地裁。鈴木信行裁判長の主文言い渡しを聞き終わらないうちに傍聴席の記者たちは一斉に席を立ち,速報で伝える言葉を声を殺して叫びながら法廷を飛び出していった。一瞬驚いたようにそちらを見た被告は,裁判長を向き直ると一礼し,席に戻った。1年半にわたった「福島県立大野病院事件」公判はこうして被告・加藤克彦氏の無罪を認め,閉廷した。
事件についてあらためて詳報する必要はないだろう。2004年12月17日,大野病院で帝王切開手術を受けていた女性(当時29歳)が出血多量で死亡し,執刀していた産婦人科医の加藤氏が業務上過失致死と医師法21条(異状死の届け出義務)違反の罪で逮捕・起訴された。100以上の医学界・医師会が逮捕不当の抗議声明を出した一方で,“萎縮診療"を促し,地域医療崩壊のスピードを加速させたといわれる事件だ。
事実認定ではほぼ検察の主張を認めながらも結末では医療界を安堵させる,という落としどころでとりあえず一審の幕を引いた(※)事件はしかし,旧態依然とした医療界に「体質変化」という課題を突きつけたように思える。
ここでは「医局員が逮捕される」経験をした福島県立医科大学産科婦人科学教授の佐藤章氏の話を中心に,3回に分けて事件を振り返り,社会が医療に何を求めているのかを整理してみる。
※検察には2週間の控訴期限がある
「有罪なら産科医療はもっとしんどくなっていた」
判決後の会見冒頭に,亡くなった女性患者への哀悼と遺族への謝罪,医療界挙げての支援への感謝を丁寧に述べた加藤氏。判決の感想を問われると表情を和らげ,
「(「被告人は無罪」という言葉を聞いて)ホッとしました。分かっていただけて良かったと感じました」
と答えた。その様子を会見場の隅で見守っていた佐藤氏もまた,安堵を口にした。
「(無罪と言っても)マイナスだったものがゼロに戻っただけです。喜ぶというんじゃなく,ホッとしたというのが正直なところ。無罪になったといっても逮捕・拘留されたという事実は消えない。それだけ大変な社会的ダメージを受けたのですから」
「この事件が,産科医療に携わる医師が減る流れに輪をかけたことは否めません。有罪になっていればもっとしんどくなっていたでしょう。無罪判決でその流れに少しストップがかかったかもしれない。ただ,これで産科医療全体が上向きになるとは言えませんが」
「ミスをした覚えはないと言っていた」
佐藤氏は,大学医局での直属の上司として,加藤氏を大野病院へ派遣していた立場だ。その佐藤氏の視点から,問題となった手術当時の様子を振り返る。
2004年12月17日。大野病院で手術が始まったのが午後2時半過ぎ,女性の死亡が確認されたのは同7時1分,佐藤氏が連絡を受けたのは午後8時ごろだった。
「医局へ連絡があったという報告を受けました。癒着胎盤で出血多量(による死亡)だったのだと。『それならなぜ大学病院へ寄越さなかったのか』と聞いたら,事情を知っていた医局員が『いや,全前置胎盤の患者で前回帝王切開歴があるけれど,子宮前壁への癒着はないことを確認しているということで彼に任せたんです』という説明でした。ああそれなら,と思いながら,早いうちにカルテを持って報告に来るよう伝えたんです」
手術があったのが土曜。加藤氏は翌日曜に保健所へ届け出をし,月曜に県立医大へ説明に赴いている。
「(患者が亡くなったと聞いて)医局内には『まずいな』という雰囲気は確かにありましたよ。でも,加藤氏は術中エコーまでやっているのです。普通はそこまではやりません。そのくらい慎重に,癒着がないかどうか確認していた。公判で検察はそれを逆に解釈(癒着を予測していたから慎重だったのだろうと)していましたけれどね。実際,前回帝王切開創がある子宮前壁はスルッと問題なく胎盤剥離できている。問題の癒着は子宮後壁にあったんですが,それは現在の検査ではどうしても分からない部分なのです」
「加藤氏には,カルテを元に何があったのか全部聞きました。ミスはなかったのかとも何度も尋ねましたよ。何かまずいことがあったのか,隠すほどにまずいことになるから正直に言え,と。でも『いや,ミスをした覚えはありません』とはっきり言っていました。子宮摘出を終えてホッとしたところで心臓が止まったんだと。彼としてもびっくりしたのだと思います」
経緯に納得した佐藤氏は,それでも民事訴訟になる可能性はあると考え,手技や判断の理由も含めて全てカルテに記載しておくよう指示して,加藤氏と別れた。
初めから事実と違った医療事故調査報告書
だが事態は違う方向に進んだ。
翌2005年1月に福島県病院局が設置した医療事故調査委員会は,「出血は子宮摘出に進むべきところを,癒着胎盤を剥離し止血に進んだためである」とする報告書をまとめたのである。
報告書はA4サイズ7枚,本文部分わずか4枚。他科の応援医師を要請すべきだった,輸液が足りなかった,手術途中で患者家族に説明すべきだった――と包括的に反省事項をまとめた内容だ。明記はしていないものの,一見して「子宮摘出せず胎盤剥離に進んだのは医師の判断ミス」と読めた。
無罪判決後の会見で,報告書について問われた加藤氏は,
「あの報告書が出た時点でやはり違和感がありました。当時の病院事務長に抗議というか,話をしたんですが,患者さん(遺族)への補償のためということを盾に何もいうことができない状態になってしまって。今日の日が終われば,県病院局や事故調査委員会とも話ができると思っています」
と話している。
佐藤氏も,公表前にこの報告書を見せられたとき,「事実と違う」と抗議したと話している。
「ここ(県立医大の教授室)に県病院局と事故調の委員長が来て,こういうことになったので,と説明されました。私は『ミスとは書いていないがそう読める。事実と違うから書き直してくれ』と言いましたが,『いや,こういう風に書かないと保険会社から保険が下りないからこうしたい』と,承諾を求められてしまいました。今思えば,もっと私が強く(書き直しを)求めれば良かったのです。まさか刑事になるなんて思わなかったですから」
結局,加藤氏,佐藤氏とも言いたいことを飲み込み,患者遺族が了承したということで県病院局は2005年3月末に報告書を公表し,「女性の死亡は執刀医の医療ミス」として謝罪会見を開いた。県の担当者や大野病院院長が頭を下げる写真が地元紙の社会面トップニュースになった。
これを見た富岡署は捜査に動き出す。翌月には大野病院へ家宅捜索が入り,加藤氏も任意事情聴取を数回受けた。ただ,この時点で立件されると考えている関係者はいなかった。
ところで,同報告書には患者遺族も納得していない。
病院の説明ではミスはなかったと言っていたのに報告書ではやっぱりあった,となっているのだから無理もない。本文部分A4サイズ4枚という報告書は,どう割り増して見ても詳細なものとはいえない。医学の素人であるからこそ,この報告書では遺族は納得のしようがなかっただろう。
亡くなった女性の父・渡辺好男さんはその後,県がその報告書を元に示談金交渉に訪れたときも,「まだ報告書の内容しか分かっていないのに(示談金は)時期尚早」といって,手術に関する質問を県の担当者に投げかけて帰した。そのまま,県の担当者とは連絡が途絶えたという。
(中)「加藤が逮捕されました」「えっ?」
逮捕って,どうしたらいいのか
2006年2月18日土曜早朝,加藤克彦氏は逮捕された。
初公判後の会見で,加藤氏はこの日の様子をこう説明している。
数日前に警察から連絡があり,家宅捜索に入るから自宅待機しているようにと指示を受けていた。朝から2時間ほどの捜索のあと,富岡署へ同行するよう言われ,取調室に入ったところで逮捕状が読み上げられた。医師不在になった大野病院には,とりいそぎ近隣の病院から応援の医師が入った。
佐藤氏はその数日前から医局員数人とハワイであったセミナーに行っていた。帰国便に乗る前まで何ごともなかったのが,成田に着いて医局にかけた電話で,緊急事態を知らされたという。
「『逮捕,逮捕されました』というから『逮捕って何が?』と聞いたのです。そうしたら『加藤が逮捕された』『えっ?』と」
佐藤氏が福島に着いたのは午後7時過ぎ。助教授が大学の顧問弁護士に連絡しており,翌日に接見してもらう手はずは整っていた。あとはどうしたらいいのか。あちこち相談したかったが,週末で誰もつかまらない。
悶々としながら,週が明けた月曜朝一番に日本医師会(日医)に相談の電話をかけた。だが日医には,民事訴訟に関する相談窓口はあるが刑事は関知していないので受けられない,と言われてしまった。
「窓口がないなら仕方がない。それから作ってもらっても間に合わないですから,頭を切り換えました」
日本産科婦人科学会へ連絡し,幹事だった澤倫太郎氏の紹介を受けて,医師法21条に詳しいという安福謙二弁護士と会った。さらに「刑事に詳しい弁護士を頼んだほうが良い」と助言を受け,いわき市にいる大谷好信弁護士も頼んで,弁護士3人の体制を組み,勾留中の加藤氏に毎日接見してもらえるようにした。
さて次はどうしたらいいのか。何をすべきなのか。そんなとき,深夜12時過ぎに佐藤氏の自宅の電話が鳴った。東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワーク部門特任准教授の上昌弘氏だった。
夜中の電話,事態は社会問題へ
「それまで直接知らない方だったのですが,私の友人である医師から聞いたという話でした。『加藤医師を守る会を作りましょう,佐藤先生の名前を使っていいですか?』ということで,それはもちろん,となりました。政治家を巻き込んだ動きにしようなんて全く考えていなかったのですが,とにかく加藤氏を守る,こんな逮捕はあってはいけない,それを訴えたいという気持ちでした。こんなに世の中が動くとは思いませんでしたよ」
上氏らの働きかけで,すぐにメーリングリストなどを使った署名運動が立ち上がった。参議院議員らは国会質問で事件を取り上げた。加藤氏起訴から数日後の3月17日には,鈴木寛参議院議員(民主党)らの調整で当時の川崎二郎厚生労働大臣に陳情書を手渡すことになった。その時点までに集まった署名は6,520人。
「逮捕・起訴への抗議なのだから,本当は厚労省に訴えても筋違いであって,法務省や総理大臣に陳情しなければならないのですが,リジェクトされたんですよ。そうこうしながら話し合ううちに,会の名前も加藤氏個人を冠したものから『周産期医療の崩壊を食い止める会』に変更しました」
「上氏や代議士の先生方には,こういう問題はおかしいから,会を作って社会的に知らしめて,何が問題なのか国民がわかってくれるようにすることが大切なんだと言われて,私も賛同しました。ただ初めは,陳情や記者会見なんて抵抗がありましたよ。それですぐに釈放してくれるわけではないのですから。でも,(産婦人科医の1人として)『結果が悪ければ即逮捕』という前例を作ってはいけない,という気持ちでした」
参議院議員会館で開かれたこのときの会見を私(記者)も取材していた。社会部事件担当記者よりも,医療担当記者が多く来ているのが目についた。この会見で,福島県の一地域で起きた出来事は産科医療崩壊を象徴する事件に変質した。
政治家を巻き込んだこの動きはその後,医療安全調査委員会(医療版・事故調)創設の議論をスピードアップさせていくことになる。
高まった医療崩壊への危機感
加藤氏の逮捕・起訴が現場の医師らに与えた影響について,日本産科婦人科学会産婦人科医療提供体制検討委員会・委員長の海野信也氏(北里大学産婦人科学教授)は「気持ちの変化が一番大きなものだった」と指摘する。
「現場の人間の診療に対する姿勢,スタンスが変わった,ということは確実に言えます。大野病院事件は,それまでは『難しいかもしれないが何とか頑張ろう』と思っていたケースでも,『そこまでやってはいけない』と言われたようなもの。医師たちは少しセーブするようになり,それまでは一次医療機関で診ていた症例を二次医療機関へ,二次で診ていた症例を三次へと回すように,少しずつシフトしました」
「その善し悪しはまた別です。より設備の整った安全な医療機関にかかりたいというのは患者ニーズに合っていることかも知れませんから。ただ,それが医療体制のバランスを崩したことは間違いないのです。日本の医療はそれに応えられる体制にはなっていないのですから」
大野病院事件は,加藤氏1人のものではなくなっていた。佐藤氏が述懐する。
「加藤氏が保釈されたとき,迎えに行った平岩敬一弁護士(弁護団長)が食事の席で言ったそうです。『もうあなたの自由でこの問題は動きません。問題はあなたのことを通り越していて,あなたの考え方では動かない。われわれに従うしかありません』と。加藤氏はよくわからなかったんじゃないでしょうか。留置所にいるときは,世間がそんなに騒いでいるとは思わないでしょうから」
医療体制,特に産科医療体制崩壊への危機感は加藤氏への支援活動につながった。福島県産婦人科医会の「加藤克彦先生を支える会」などに寄せられた寄付金はかなりの額になっているという。加藤氏の保釈金(500万円)と弁護士費用はここから支払われている。
「ありがたいことです。本当によく集まりました。民事訴訟もそうですが,刑事も大変なお金がかかります。検察側はいくらでもお金を使えるでしょうが,こっちはそうじゃない。そういう意味でも,本当に早く解決してほしいんです」
(下)事件が医療界に突きつけた課題とは
さじ加減感じられた判決
大野病院事件の判決要旨はすでに多くのメディアで報道されているとおり。事実認定では検察側の主張をほぼ全面的に認めながらも,結論部分では無罪とした。
「99.9%有罪」が常識の刑事裁判(医療訴訟ではこの確率はもう少し低いが)において無罪を宣告する場合の,微妙なさじ加減がうかがえる落としどころといえるだろう。
判決文のなかで検察側の主張が認められたのは,
(1)患者の死因は出血性ショックによる失血死であるとされた点,
(2)胎盤剥離と死亡との因果関係を認め,弁護団のいう羊水塞栓や産科DIC(播腫性血管内凝固症候群)の可能性は却下された点,
(3)胎盤は子宮前壁にもかかっていたと認められた点,
(4)胎盤癒着の予見可能性と結果回避可能性がともに認められた点
――など何点もある。公判で加藤氏が再三否定した供述調書の任意性も,実にあっさりと認められた。
そのうえで業務上過失致死にあたらないと結論づけられたのは,結果回避が「可能」であっても「義務」であったとは言えない,という理由からだ。
――検察の主張する「癒着に気づいた時点でただちに剥離を中止し,子宮摘出に移るべき」という行為は可能ではあったが,臨床現場における標準的行為とは立証されていない。現場の医師に行為義務を負わせるほどの標準的行為というならば,少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠である――
簡単に言えば,検察側は立証責任を果たしていないと指摘したものだ。控訴するならそこのところ,特に臨床面からの立証が不可欠ですからね,とも読めるだろう。
一方,違憲論議もある医師法21条については,公判でのやりとりは結局されずじまい。それにもかかわらず,判決に「診療中の患者が,診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は,そもそも同条にいう異状の要件を欠く」という明確な判断基準が示されたことは,傍聴人としても新鮮な驚きだった。
この判断については,弁護団長の平岩敬一氏が高く評価しているので紹介しよう。
「かなり踏み込んだ解釈で,今後の判決にも大きな影響を与えるのではないでしょうか。通常裁判所は憲法論議には踏み込みたがらないものですが,今回の場合,そこに踏み込まなくても十分に判断できたということでしょう。あいまいだった異状死の基準が明確になったことで,(これまでは通報していたケースでも)かなりのものは通報しなくて良くなると思います」
県の苦しい言いわけ「処分取り消しもあると思う」
判決公判の閉廷から3時間後。会見を開いた福島県病院局の言い分は苦しいものだった。2006年3月に「医療ミスだった」とした県の謝罪会見は,誤りとまでは言えなくても,事実を正確に説明したものではなかったことが証明されたわけだ。県の認めた報告書が加藤氏と患者遺族の双方を刑事裁判に巻き込んだことは,誰の目にもあきらかだった。
記者陣から「報告書は患者遺族への賠償を前提にしたものだったと加藤氏は語っている。実際はどうだったのか」と問われた福島県病院事業管理者の茂田士郎氏は,
「事故調査報告書というのは,賠償を前提にしたものではなく,あくまでも再発防止のためのものです。別に法的な意味はないと思っています。今回の判決の方がより正しいと思っています」
「(県の報告書を受けて減俸の行政処分を受けた加藤氏に対しては)判決が確定してから,報告書に重大な誤認があれば,処分の取り消しということもあると思っています。加藤氏に医療ミスはなかったと証明されて良かったというのが本音です」
とくぐもった声で述べた。
言い訳にしか聞こえない,と県を責めても仕方がない部分はあるだろう。判決より前にも私(記者)は県病院局へ取材していたが,事件当時の担当者らは異動でとっくに入れ替わっていた。事件当時の資料は警察に押収されているから,記録も記憶もない状態だ。
現在の担当者から「おそらく」という注釈付きで,
「報告書を受けて謝罪会見をしたときは,医師の逮捕や刑事訴訟なんて考えていなかったのだと思います。報告書は遺族に申し訳ないという気持ちを前提にしたもので,医療ミスの有無という議論は,当時はなかったのではないかと思いますよ」
という説明を聞くのが精一杯だった。
刑事訴追を呼び込んだ原因は
とはいえ,少なくとも加藤氏は「遺族への賠償のため」と思って医療ミスを認める報告書を受け入れた。それから3年半が経つが,患者遺族への賠償はなされておらず,遺族はいまも医療側の説明に納得していない。では,事故調査報告書が果たした役割はいったい何だったのか。
判決後,患者の父・渡辺好男さんは初めて会見に臨み,小さな声ながらはっきりと,医療者が行った事故調査の欠点を指摘した。
「当初から真実を知りたい,病院で何が起きたのかを知りたい,ただそれだけを追求してきました。裁判で真相究明ができたとは思わないけれど,裁判になったことで,自分たちだけでは知りうることができないことが分かりました」
「事故調査委員会とか,そういう,自分たちに説明する段階で,本当に事実を把握していたのでしょうか。医療界からは警察・検察の介入に抗議する声があがっています。しかし,娘の事故について,ほかの機関で警察・検察と同等の調査ができたのでしょうか。助産師さんや先輩医師がアドバイスしていたことについても,県の事故調査委員会は把握していたのでしょうか。現在も疑問を持っています」
「患者のいう真相究明」がすべての面で必ず優先するとは,私(記者)個人は考えていない。だが,渡辺さんは医療界にとても大事な指摘をしていると思える。事故調査は病院側の都合を優先しただけで,当事者の誰にも事実を示してはいなかった。中途半端な事故調査で矛を収めようとした医療界の体質が,「司法介入」という混乱を呼び込んだとはいえないだろうか。
医療への司法介入に抗議するからには,医療界にはそれに見合う原因究明と自浄作用の機能を発揮することが求められるはずだ。
佐藤氏は言う。
「医師のあいだにも,専門家集団として自浄作用を発揮しなければという気持ちはあるけれど,実際に立ち上げて具体的にしていくのが遅かったのです。社会通念をキャッチしていなかったのでしょう。駄目な医師を排除してこなかったから,社会的には『医師はかばい合いをしている』としか思われないのです」
「加藤氏の事件だって,最初のころは『なぜそんな医者をかばうのか』という声がありました。それは違うと分かって欲しかった。そういう意味で,『周産期医療の崩壊を食い止める会』の運動が広がったのは良かったのだと思います。僕は,事件が解決したら,そこのところの運動をするつもりです」
大野病院事件を機に,医療安全調査委員会(仮称,いわゆる医療版事故調)創設への動きが高まっている。実施までにはまだいろいろ議論を重ねる必要があるだろう。取材をするなかでも,厚労省主体の第三者組織より,医師会など医師が主体になり,医師自ら医師を処分までする組織を作るべきだという意見を数人から聞いた。「医療のことは専門家である医師が一番よく分かるから」という理由だった。
事故調については議論を重ねて良いかたちにしていけばいい。ただそのかたちは,患者が医療への信頼を取り戻せるような,徹底した事故調査を行うものであって欲しいと願う。そうでなければ,大野病院事件のように医師・患者遺族ともに深く傷つく事件が,また起きてしまうだろう。(了)
(MTpro 記事、2008年8月27~29日掲載)