ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大野病院事件 第4回公判

2007年04月28日 | 大野病院事件

コメント:

昨日、大野病院事件の第4回公判があり、手術に立ち会った看護師と病院長の証人尋問が行われました。

いろいろチェックしてみましたが、まだ、現時点(4月28日午前2時)ではネット上に詳細な記事はみつかりませんでした。例のごとく、しばらく待てば、周産期医療の崩壊をくい止める会サイトに、詳細な傍聴録が載ると思います。

追記(4月29日):

その後、全国紙の地方版、地元紙などの情報が続々とネット上に公開されました。それらの記事をざっと見た印象では、今回の公判でも、裁判の流れを大きく変えるような新事実は特にでなかったようです。

警察への異状死の届け出義務に関しては、この病院の院内マニュアルで院長が異状死を届け出ることになっていて、『異状死ではないという院長の判断によって、マニュアルに従い、県の担当者とも協議の上、異状死の届け出は行われなかった。』という事実が、院長の証言によって再確認されたようです。

また、院長の「当時は医療過誤にあたるとは思わなかった。」という当初の認識が、県の事故調査委員と話している時に、「動揺した。やってはいけないことをしたのではないかと思った。」という認識に変わったとの院長の証言もあったようです。

参考:

福島県立大野病院事件第四回公判【天漢日乗】

ロハス・メディカル ブログ
   福島県立大野病院事件第四回公判(2)
  福島県立大野病院事件第四回公判(1)
  福島県立大野病院事件第四回公判(0)

周産期医療の崩壊をくい止める会
      第四回公判について(07/4/27)
  第三回公判について(07/3/16)
  第二回公判について(07/2/24)
  第一回公判について(07/1/26)

大野事件第4回公判(産科医療のこれから)

院長が事件当日の詳細を語る「21条違反なかった」 福島県立大野病院事件、第4回公判 (OhmyNews)

大野病院事件についての自ブログ内リンク集

****** 福島中央テレビ、2007年4月27日

大野病院裁判 看護師などが証言

Hukushimachuoutv  大熊町の県立大野病院で帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判で、手術に立ち会った看護師と病院長の証人尋問が行われました。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、K被告は、2004年の12月に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、生命の危険があったにも関わらず、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたなどとされています。

 きょうの第4回の公判では証人尋問が行われ、手術に立ち会った看護師は「手術中の被害者が大量に出血し、不安があった」と語り、「手術の間、K医師にあわてた様子は見られず、冷静な状態だったと覚えている」と証言しました。

 また、大野病院の病院長は、手術直後にK被告がうなだれた口調で「やっちゃった」と話し、とても落胆した様子だったと証言しました。

 さらに、警察に「異状死」の届出をしなかったことについては「当時は、医療過誤にあたるとは思わなかった」と述べました。

 次の第5回の公判は、5月25日に開かれます。

(福島中央テレビ、2007年4月27日)

文中、K医師名を伏せさせていただきました。

以下、追記: 公判翌日(4月28日付)の報道

****** 読売新聞、2007年4月28日

大野病院事件、院長が出廷、証言

「過誤なしの認識変わった」

 大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医、K被告の第4回公判が27日、福島地裁(○○○○裁判長)であり、検察側の証人として同病院の△△△△院長が出廷した。

 K被告が子宮から胎盤をはく離する処置に手術用ハサミを用いたことについて、「出血をコントロールできなくなる」と県の事故調査委員が話したのを聞き、△△院長は「過誤はない」との当初の認識を翻したと明らかにし、「動揺した。やってはいけないことをしたのではないかと思った」と述べた。

 弁護側は公判後、「麻酔記録からも胎盤はく離中は大量出血していないのは明らか。その時点で、はく離を継続するとした判断に過失はない」とした。

 一方、医師に異状死体の届け出義務を課した医師法の規定に関し、△△院長は「病院の安全管理マニュアルでは院長が警察に届け出る。医療過誤がないので届ける必要はないと考えた」と自身の判断だったことを説明した。

(読売新聞、2007年4月28日)

文中、K医師名を伏せさせていただきました。

****** 朝日新聞、2007年4月28日

大野病院事件 院長「届け出不要」

-術後の対応公判で証言 院内の手引きに従い-

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医K被告の第4回公判が27日、福島地裁(○○○○裁判長)で開かれた。同院の院長は、病院のマニュアルに従い、院長が警察に届け出る必要が無いと判断したと証言した。

 公判には、検察側の証人として、△△△△院長と、手術に立ち合った看護師が出廷した。

 △△院長の証人尋問によると、女性が亡くなった04年12月17日の午後10時半ごろから、院長ら3人が、K医師と手術に立ち合った麻酔科医の2人から事情を聴いた。K医師らは「過誤にあたる行為は無かった」と報告したという。

 このため、院長は「医療過誤による死亡の疑いがある場合、院長が警察署に届け出る」という院内マニュアルの規定にあたらず、届け出の必要が無いと判断。マニュアルに従い、県の担当者と電話で協議した上、届け出ないことを決めたという。

 医師法は、死体を検案した医師に24時間以内の警察署への異状死の届け出を義務づけており、検察側は、K医師が届け出義務に反していると主張。一方、弁護側は病院のマニュアルに基づいて院長が判断しており、K医師が届け出る期待可能性は無いとする。

 院長によると、手術3日後の20日には、院長やK医師、麻酔科医らが参加する院内検討会を開いたが、そこでも医療過誤では無いとする結論に至った。

 院長は、その後に開かれた産婦人科医3人からなる県の事故調査委員会で、委員から「器具を使用して胎盤を無理にはがしたのは問題」と指摘され、初めて「医療過誤にあたるのではないか」と認識したという。

 院長が後日、K医師に対し、「クーパー(医療用はさみ)を使うのはいけないのでは」とただしたところ、「そんなことはない。ケースバイケース。剥離した時に筋っぽいところをちょっと切っただけ」などと話していたという。

 クーパーを使用した胎盤の剥離については「安易に使用し、無理やりはがしたのは問題」とする検察側と、「妥当な医療行為」とする弁護側が対立している。

 また△△院長が手術室に入った際、女性が大量に出血していたため、K医師に応援の医師を呼ぶか尋ねたところ「大丈夫です」と断られたという。だが、輸血によって女性の血圧が回復したため、「生命の危機を脱した」と判断し、1時間後に退室した、としている。

(朝日新聞、2007年4月28日)

文中、K医師名を伏せさせていただきました。

****** 毎日新聞、2007年4月28日

大野病院医療事故:院長「医療過誤でない」判断、事故調指摘で揺らぐ--地裁 /福島

 県立大野病院で起きた帝王切開手術中の医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告の第4回公判が27日、福島地裁(○○○○裁判長)であり、証人尋問が行われた。事故を医療過誤ではないと判断した同病院の院長は、県の事故調査委員会で手術の問題性を指摘された際に「やってはいけないことをやってしまったのではないかと思った」と自身の考えが揺らいだことを明らかにした。

 同病院のマニュアルでは、医療過誤やその疑いがある時は院長が富岡署に届け出ることが規定されており、医師法でも医師自身が24時間以内に警察署に届け出ることが義務づけられている。院長は事故当日の夜、加藤被告と麻酔科医に事情を聴いたが「医療過誤にあたる行為はなかった」と答えたため、警察への届け出をしなかった。

 しかし事故調では、委員を務める産科専門医から「教科書的に言うと、器具ではがしてはいけない」とクーパー使用の妥当性を否定されたという。【松本惇】

(毎日新聞、2007年4月28日)

文中、K医師名を伏せさせていただきました。

****** 福島民友、2007年4月28日

院長「過誤の認識なかった」 大野病院事件

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医K被告の第四回公判は27日、福島地裁(○○○○裁判長)で開かれた。検察側証人として同病院の男性院長と手術に加わった女性看護師の2人の尋問が行われた。

 院長は検察側の尋問で「当時、医療過誤の認識がなく、県の了解を得て警察に届けないことにした」と述べ、事件3日後の院内検討会でも問題を指摘する声がなかったことも明らかにし、異状死の届け出義務を定めた医師法21条に該当する認識はなかったと証言した。

 院長は大量出血が起きるまで帝王切開手術が行われていたことを知らず、知らせを受けて手術室に駆け付け、K被告にほかの医師の応援を提案したが「大丈夫です」と断られたことも証言した。

 女性看護師も手術台から血液が落ちるほどの大量出血が起きた様子を証言し、「その日の朝の術前会議でどのような事態になったら応援要請をするか明確ではなかった」と述べ、深刻な状態が起きた場合の病院内の態勢が不十分だったことを述べた。

 また、公判の冒頭で弁護側は、検察側が被告の過失を証明するため提出した文献について文献執筆者に意見照会したことを明らかにし、「クーパー(手術用はさみ)の使用は有用であり多様」などとする見解を提出した。

 次回公判は5月25日午前10時から。検察側証人で病理鑑定医が証言する。

(福島民友、2007年4月28日)

文中、K医師名を伏せさせていただきました。


浦安市川市民病院が「分娩」休止 医師不足 再開めど立たず (産経新聞)

2007年04月25日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

今、地域中核病院の産科が、次々に分娩休止や分娩制限に追い込まれています。

今は何とかギリギリの診療体制で持ちこたえている病院であっても、常勤医の一人が個人的都合で辞職してその補充がない場合には、残された医師たちの仕事量が急増してしまい、病院の分娩体制維持が困難となってしまうかもしれません。また、大学医局の事情による派遣医師引き揚げの可能性もあります。

今後、事態を立て直していくには、それぞれの病院や自治体だけで個別に対応していこうとしても大きな限界があります。

地域の産科医療を絶滅の危機から守るためには、地域住民、行政、地域の医療機関などが一体となって、地域の限られた医療資源を有効に活用して、一致団結して対応していく必要があると思います。

参考:医療資源の有効活用に地域一体で対応を (医療タイムス、長野)

産科・小児科の重点配置を提言 (長野県産科・小児科医療対策検討会)

****** 産経新聞、2007年4月22日

浦安市川市民病院が「分娩」休止 医師不足 再開めど立たず

 市川市と浦安市が運営する「浦安市川市民病院」(鎌野俊紀院長、浦安市当代島)が5月1日から産婦人科の出産を休止することが21日わかった。常勤の産婦人科医1人が退職し、24時間態勢で対応できなくなったのが理由。産婦人科医の補充の見通しも立たず、当面、再開は困難な状況に陥っている。同病院の出産数はこれまで年約200件だった。

 同病院によると、産婦人科はこれまで常勤医3人の態勢だったが、20代の女性医師が個人的な理由で3月末で退職。常勤医2人では出産に24時間態勢で対応するのは難しいと判断し、5月以降の受け入れ休止を決めた。

 5月以降に出産予定の妊婦約20人については、近隣の医療機関を紹介するなどし、すでに転院済みという。4月中に出産予定の妊婦は2人態勢で対応している。

 外来診療についても、これまで週5日あった産科は全面的に見合わせ、今後は婦人科だけの診療となる。

 浦安市川市民病院は昭和26年、当時の浦安町と南行徳町とで病院組合を設立し、診療を開始。現在344床、15の診療科を有する総合病院で、県の救急基幹センターに指定されている。

(産経新聞、2007年4月22日)

****** 毎日新聞、2007年4月20日

医師不足:銚子市立総合病院、新規入院お断り 内・婦人、小児科が来月から /千葉

 銚子市立総合病院(佐藤博信院長)は医師不足のため、5月から内科と婦人科、小児科の3科の新規入院を断り、精神神経科は7月から1病棟(54床)を休止する。佐藤院長が19日に「大学病院からの派遣医師の退職などで、3科の2次救急(入院、手術など)の対応もできなくなった」と発表、3月末の呼吸器科休止に続く縮小に市民から不安の声が出ている。

 同病院の発表では、内科の常勤医師が5月から2人減の4人となり、小児科と婦人科は現在の各1人では外来・入院患者の対応が難しく、新たな入院患者は受け入れないという。精神神経科も3人の医師が7月から2人になる。皮膚科や泌尿器科などは他の病院からの派遣医師(非常勤)で週に2~3日の診療対応など、現在の11科の常勤医師22人が5月から20人に、さらに7月には17人に減る。一般ベット数も現在の223床が約100床減の110~120床になるという。

 内科の入院患者の一部は転院措置をとり、救急医療体制については医師会や近隣の病院などと対応を検討している。佐藤院長は「医師不足による診療科の休止が収入減になる。悪循環を食い止めるには医師確保しかない」と語り、今後も各医療機関と連携していくという。【新沼章】

(毎日新聞、2007年4月20日)

****** 毎日新聞、2007年4月21日

厚木市立病院産科存続問題:小林市長「引き続き努力」 /神奈川

 厚木市立病院産婦人科の存続問題について、同市は20日、協力関係にある東京慈恵会医科大から常勤医師4人を7月いっぱいで引き揚げる方針が伝えられたことを正式に発表した。小林常良市長は定例記者会見で「存続に努力したい」と語り、引き続き医師確保に全力を挙げる意向を示した。また「助産師を活用し、出産の態勢整備を検討したい」と話した。正常出産の場合に助産師が対応することで、医師の負担軽減が可能としている。

 一方、同病院は、担当する出産件数(05年度実績587件)が「市内の医療機関で最多ではなかった」と訂正した。市内で出産可能な4カ所のうち、同病院は3番目という。【佐藤浩】

(毎日新聞、2007年4月21日)

****** 毎日新聞、2007年4月13日

厚木市立病院産科存続問題:常勤医、7月引き揚げ 廃止の可能性も /神奈川

 ◇慈恵医大、常勤医を7月引き揚げ

 厚木市立病院(厚木市水引1)産婦人科の存続問題で、医師派遣などの協力関係にある東京慈恵会医科大(東京都港区)が、同科の常勤医師4人全員を7月いっぱいで引き揚げる方針を市立病院側に伝えた。同科は縮小されるか、最悪の場合は廃止される可能性が出てきた。厚木市内の医療機関で最多の年間約600件の出産を担ってきたことから、地域医療に大きな影響を与えそうだ。【佐藤浩】

 関係者によると、市立病院産婦人科のトップが昨年末に病気になり、慈恵医大側が「異常出産に対応できない」などとして常勤医師引き揚げの意向を伝えた。継続には指導的立場の医師を招くのが条件とし、双方がそれぞれ候補者に交渉したが、断られたという。

 慈恵医大側は「どうにもならなくなった。指導的立場の医師がいなければ(常勤医師を)引き揚げざるを得ない」と説明している。

 一方、同大に協力関係の継続を要請していた小林常良市長は「何が何でも(産婦人科を)存続させたい」と話しており、今後は他大学の協力を求めていく方針。ただ、全国的な産婦人科医不足の中で、極めて困難とみられる。

 厚木市立病院は産婦人科、内科など計15診療科目があり、ベッド数は一般350床、感染症6床。前身は1951年に開設された旧県立厚木病院で、03年4月に県から経営移譲されて市立病院となった。

 ◇「お産過疎地」、都市部除き深刻

 全国的に産科医、助産師が減少する中、県内でも05年末ごろから都市部を除く地域に「お産過疎地」が出始めた。激務や訴訟リスクの高さなどから産科医の成り手が減っているためだ。

 県立足柄上病院(松田町)は昨年3月、産婦人科の常勤医3人全員が大学病院に引き揚げ、年間650件ほどの分娩(ぶんべん)受け入れを一時停止せざるを得なくなった。大和市立病院は今年7月に産婦人科の常勤医を4人から2人に減らす予定で、受け入れ制限を告知。三浦市立病院は産婦人科の常勤医2人を確保しているが、小児科医が大学に引き揚げてしまって周産期医療が不可能となり、分娩を当面休止している。

 公立病院は、給与が条例や規則で決められており、医師誘致のために賃上げすることが難しく、医師不足に陥りやすい。何とか産科医を2人体制にした足柄上病院の矢野敏行・副総務局長は「ほとんど使命感だけで来てもらっている」と話した。

 県は分娩に携わることができる助産師を活用しようと、結婚や出産などで一線を離れた「潜在助産師」らの再教育に助成などをしている。【稲田佳代】

(毎日新聞、2007年4月13日)

****** 神奈川新聞、2007年3月15日

産科医の減少に伴い7月から分娩制限へ/大和市立病院

 大和市の基幹病院である大和市立病院(同市深見西、大宮東生院長)が七月以降、産科医の減少に伴い、分娩(ぶんべん)制限を行う方針であることが十四日、分かった。県央地域では厚木市立病院が七月以降の分娩受け入れを停止するなど産科医不足が進んでおり、病院関係者からは「自治体病院が単独で医師を確保するのは難しい。県などの行政主体でどう分娩体制を維持するか考えてほしい」との声が上がっている。

 同病院によると、現在、勤務している産科医は常勤四人、非常勤三人の計七人。常勤医の定員は五人だが、全国的な産科医不足により、一昨年末から四人で診療を続けていた。しかし、今年六月末で一人が大学の医局に戻され、一人が自己都合で退職。常勤医の半減に伴い、受け付けを縮小せざるをえなくなった。

 同病院によると、大和市内でお産を引き受ける病院・診療所は四カ所。年間計約三千件の分娩が行われ、大和市立病院でも年間約八百件の分娩が行われていたというが、七月以降は従来の約三分の一程度、年間二百五十件程度の受け付けにとどめる方針。一定数以上の分娩予約については「他の病院を紹介する」としているが、全県的な産科医不足などもあり「紹介してもその病院が患者を引き受けてくれるかどうかは分からない」と頭を悩ませている。

 同病院では、協力関係にある大学病院に医師の派遣を要請するとともに、インターネットなどで医師を公募。いまだ医師確保のめどはたっていないといい、医師確保に向け県などに要望する方針だという。

(神奈川新聞、2007年3月15日)

****** 産婦人科 分娩休止一覧

「勤務医 開業つれづれ日記」より

昨年 
4月 福島県大野病院/福島
    新城市民病院/愛知
    西宮市立中央病院/兵庫
    宇都宮社会保険病院/栃木         
    県立佐原病院/千葉
        市立函館病院/北海道
        岐阜社会保険病院/岐阜
    北九州市立八幡病院/福岡
    下伊那赤十字病院/長野
    国立病院機構・鶴舞医療センター/京都
    健康保険南海病院/大分
    草加市立病院/埼玉
    社会保険神戸中央病院/兵庫
        国立病院機構・水戸医療センター/茨城
    済生会富田林病院/大阪
        八代総合病院/熊本
    荒尾市民病院/熊本
    斗南病院/北海道
        金沢赤十字病院/石川
    金沢市立病院/石川
        県立佐原病院/千葉
        市立小樽病院/北海道
    庄原赤十字病院/広島
        県立五條病院/奈良

5月 西条中央病院/愛媛

6月 新潟労災病院/新潟
    市立加西病院/兵庫
        高砂市民病院/兵庫
    JR大阪鉄道病院/大阪
    安曇野赤十字病院/長野
        公立おがた総合病院/大分

7月 坂出市立病院/香川
    加賀市民病院/石川
    神鋼病院/兵庫
        白根徳洲会病院/山梨
        社会保険山梨病院/山梨
    加納岩総合病院/山梨

8月 福島労災病院/福島
    井原市民病院/岡山
    町立大島病院/山口

9月 都立豊島病院/東京
    西横浜国際総合病院/神奈川
    市立根室病院/北海道
        福島県立会津総合病院/福島
    兵庫県立尼崎病院/兵庫

10月 新潟県厚生連けいなん病院/新潟
         国立病院機構・南和歌山医療センター/和歌山
         国立病院機構・災害医療センター/東京
     上野原市立病院/山梨
    済生会御所病院/奈良

11月 大館市立扇田病院/秋田
         県立志摩病院/三重
    新潟県立がんセンター/新潟

12月 宇部興産中央病院/山口
         NTT東日本長野病院/長野
     銚子市立総合病院/千葉

昨年までに縮小・休診/静岡 
 島田市民病院(7→1名)
 御前崎市民病院(1名)
 伊東市民病院(3→1名)
 静岡県東部医療センター(6→1名)
 共立蒲原病院(2→0名)
 社会保険浜松病院(2→1名)
 浜松日赤病院(1→0名)
 浜松労災病院(3→0名)

昨年までの分娩休止/長野
 
丸子中央病院
 町立辰野総合病院
 安曇総合病院
 富士見高原病院
 下伊那赤十字病院
 安曇野赤十字病院
 NTT東日本長野病院

昨年までの分娩休止/大阪
 KKR大手前病院
 市立岸和田市民病院

昨年までの分娩休止/大分
 国東市民病院(産婦人科休止)

今年
1月  東京逓信病院/東京
   道立江差病院/北海道
   銚子市立総合病院/千葉
   塩谷総合病院 /栃木
   東北労災病院/宮城

2月 みつわ台総合病院/千葉
    八潮中央総合病院/埼玉
    小郡第一総合病院/山口

3月 九州労災病院/九州
    津和野共存病院 /島根
    柏原赤十字/兵庫
    阪和住吉総合病院/大阪
    住友病院/大阪
    大淀病院/奈良
    県立三春病院/福島
    彦根市立病院/滋賀
    恵那市で唯一の産婦人科医院/岐阜
    三浦市立病院/神奈川
    総合磐城共立病院/福島
    盛岡市立病院/岩手
    釧路労災病院/北海道
    江別市立病院/北海道
        足立病院/釧路 北海道
        宮城社会保険病院/宮城
    境港総合病院/鳥取
        福山市民病院/広島
    東近江市立蒲生病院/滋賀
    市立牛深市民病院/熊本
    小国公立病院/熊本
        福井総合病院/福井
        県立東金病院/千葉
    袋井市民病院/静岡
    カレス・アライアンス日鋼記念病院/北海道
   沖縄県立北部病院/沖縄

4月 オーク住吉産婦人科/大阪
        盛岡市立病院/岩手
    市立小樽病院/北海道
        関西医科大学附属男山病院/京都
        中津市民病院/大分
        福井社会保険病院/福井
    諏訪中央病院/長野
    青森労災病院/青森
    弘前市立病院/青森
    菊水町立病院/熊本
         福山市民病院/広島
    国立病院機構・姫路医療センター/兵庫
    済生会境港総合病院/鳥取

5月 旭川赤十字病院/北海道
        県立坂町病院/新潟
        浦安市川市民病院/千葉

6月 山鹿市立病院/熊本

7月 厚木市立病院/神奈川

8月 国立病院機構・栃木病院/栃木

9月  津島市民病院/愛知

10月 塩山市民病院/山梨
    新宮市立医療センター/和歌山

11月 登米市立佐沼病院/宮城

今年度中に縮小・休診/静岡
 袋井市民病院(2→0名))
 聖隷三方原病院(7→4名)
 聖隷沼津病院(3→2名)
 共立湖西病院(3→0名)

今年度中に縮小・休診/北海道
 カレス・アライアンス日鋼記念病院
 滝川市立病院
 留萌市立総合病院
 道立紋別病院
 北海道社会事業協会富良野病院
 岩見沢市立総合病院
 新日鉄室蘭病院

分娩制限
 総合守谷第一病院/茨城 平成18年10月~
 横浜市立みなと赤十字病院 平成18年12月~
 東京医科大学八王子医療センター/東京
 都立墨東病院/東京
 中津川市民病院/岐阜
 秦野赤十字病院/神奈川
 福井愛育病院 /福井
 隠岐病院/島根
 龍ヶ崎済生会病院/茨城
 水戸済生会総合病院/茨城
 住吉市民病院/大阪
 都立荏原病院/東京 平成18年12月~
 大阪府愛染橋病院/大阪
 関西労災病院/兵庫 平成18年~
 大和高田市立病院/奈良
 川崎協同病院/神奈川
 北野病院/大阪
 聖バルナバ病院/大阪
 新潟市民病院/新潟
 済生会横浜市南部病院/神奈川
 市立宝塚病院/兵庫
 市立伊丹病院/兵庫
 市立池田病院/大阪
 横須賀共済病院/神奈川
 公立阿伎留医療センター/東京 平成19年1月~
 太田総合病院/神奈川
 JA広島総合病院/広島 平成19年2月~
 近江八幡市立総合医療センター/滋賀
  佐久市立国保浅間総合病院/長野
 国立病院機構・松本病院/長野
 新日鉄室蘭病院/北海道 平成19年6月~
 大和市立病院/神奈川 平成19年7月~
  ベルランド総合病院産婦人科/大阪

(この分娩休止リストの中に誤った情報があった場合には速やかに訂正いたします。ご指摘の程、よろしくお願い申し上げます。07/04/25)


新医師臨床研修制度

2007年04月22日 | 地域周産期医療

新人医師の臨床研修は、従来、出身大学の医局で多く行われてきました。しかし、その当時の研修医達は、アルバイトをしなければとても生活できないわずかな日雇いの給料で、しかも下働きの雑務に追われて、研修制度としては非常に多くの問題点が指摘されていました。

国が2004年から導入した新医師臨床研修制度では、研修医のアルバイトを禁止し、各病院が給与や労働時間などの処遇を大幅に改善した上で、内科、外科、産婦人科、小児科など幅広い診療能力の習得を目指した研修プログラム(2年間)を公表し、新人医師が自分の研修先を自由に選ぶ方式になりました。

現行の新しい医師臨床研修制度にもいろいろな問題点があるのかもしれませんが、研修医がアルバイトをしなくても十分に生活できる安定した給料を得られるようになったし、研修医自身がいろいろな病院の研修プログラムを比較検討して、自分にとって最適と判断した研修先で研修が受けられるようになった点など、従来の研修制度と比べると、格段に改善されたと思います。もはや、現行制度を廃止して元の制度に戻すなんてことは絶対にできる筈がありません。

とは言うものの、医師になって最初の2年間の初期臨床研修は、臨床研修の単なる序章にしか過ぎません。はっきり言って、どこで初期臨床研修を受けようとも、それほど大きな差はないと思います。各医師のキャリア形成にとって最も重要な臨床研修は後期臨床研修から始まると言っても過言ではありません。どの病院のどの診療科で後期臨床研修を開始するのか?は、医師のその後の人生行路の方向を決定する非常に大きな分岐点であり、それぞれの医師にとって人生の中でもきわめて重要な選択の一つだと思います。

病院側にとっても、『初期臨床研修や後期臨床研修の研修先として、多くの若手医師達に選択してもらえるかどうか?』に、将来の命運がかかっていますから、若手医師達の個人の選択が、各病院の将来にとってもきわめて重要となります。また、研修先として一度は選んでもらえたとしても、実際は期待に反してまともな研修ができない環境だったとすれば、研修医達は失望してもっといい研修先を求めてどんどん辞めてしまうでしょうし、後に続く後輩も決して来ないでしょう。逆に、先輩の研修医達が、生き生きとして目を輝かせて働いていて、大きな成長を遂げているのを見れば、後に続く後輩も多くでてくると思います。『毎年、多くの研修医達が集まって来るような、魅力ある研修環境を提供できるかどうか?』に病院の命運が大きく左右されると思います。


執刀医ら2人を書類送検 子宮摘出手術の死亡事故で (共同通信)

2007年04月18日 | 婦人科腫瘍

コメント(私見):

子宮頸癌に対する根治手術である広汎性子宮全摘術は非常に難しい手術で、婦人科悪性腫瘍の治療を専門とする医師で、がんセンターや大学病院で、若い時から長年にわたって非常に多くの手術の経験を積んだ者でないと、この手術の執刀医にはなれません。ですから、そもそも、この手術を執刀できる医師の数自体が国内全体でもそう多くはありません。

広汎性子宮全摘術を何百例も執刀し、神業的に手術に熟達した高名の医師であっても、時に、術中に大量出血となり、止血が極めて困難となる場合があり得ます。

ですから、広汎性子宮全摘術を実施する場合は、術前に相当な量の輸血の準備をし、十分な人員も確保し、その日は他の予定手術は一切組まないようにして、相当な気合を入れて手術に臨んでいます。

以前、当科においても、広汎性子宮全摘術の際に、骨盤底から湧き上がってくる出血をどうやっても止血することができなくなってしまい、大量の新鮮血の輸血をしながら十数時間にわたり交替でガーゼ圧迫による止血をし、ガーゼを腹腔内に何十枚も詰め込んだままでいったん閉腹して、気管内挿管をしたまま1週間にわたり集中治療室で全身管理をし、1週間後に再開腹して腹腔内に詰めたガーゼを取り出し、何とか奇跡的に、ぎりぎりのところで術中死を免れた症例の経験があります。

非常に難しい手術を実施して、結果的にうまくいかなかった場合には、執刀医と麻酔医が罪に問われるような世の中になってしまったら、誰もわざわざ苦労して長年かけて難しい手術を習得しようとは思わないでしょうし、そのような難しい手術の麻酔は麻酔医から全例拒否されるようになってしまうと思います。

****** 共同通信社、2007年4月17日

執刀医ら2人を書類送検 子宮摘出手術の死亡事故で

 国立がんセンター中央病院(東京都中央区)で2002年8月、子宮摘出手術を受けた東京都八王子市の主婦=当時(47)=が手術翌日に死亡した事故で、警視庁築地署は17日までに、業務上過失致死の疑いで執刀医(65)と麻酔医(44)を書類送検した。

 調べでは、執刀医は骨盤内のリンパ節をはがす際、静脈を傷つけ、大量出血したのに十分な止血をしなかった疑い。麻酔医は、執刀医に十分止血するよう促さなかった疑い。

 主婦は子宮がん治療のため02年8月8日、同病院に入院。同12日、手術中に大量出血し、翌日、多臓器不全などで死亡した。

(共同通信社、2007年4月17日)

****** 朝日新聞、2007年4月17日

がんセンターの2医師、書類送検 手術で過失致死容疑

 国立がんセンター中央病院(東京都中央区)で02年8月、子宮摘出手術を受けた都内の主婦(当時47)が手術中に大量出血して死亡した事故で、警視庁は、当時の執刀医(65)と麻酔医(44)を業務上過失致死の疑いで書類送検した。手術中の止血が不十分だったことなどが原因と判断した。

 調べでは、主婦は02年8月12日、がんのため、子宮を全摘出する手術を受けた。骨盤内のリンパ節をはがす際に大量に出血し、意識が戻らないまま翌13日に出血性のショックによる多臓器不全で死亡したという。

(朝日新聞、2007年4月17日)

****** 毎日新聞、2007年4月18日

患者出血死事故 2医師書類送検 
国立がんセンター

 国立がんセンター中央病院(東京都中央区)で02年8月、子宮がん治療のため子宮の摘出手術を受けた八王子市の主婦(当時47歳)が大量出血して死亡した医療事故で、止血処置を十分にせず、手術を続けたことが死亡につながったとして警視庁捜査1課と築地署が執刀医(65)と麻酔医(44)を業務上過失致死容疑で書類送検したことが分かった。遺族との間では示談が成立している。

 調べでは、女性は02年8月12日午前9時ごろから子宮摘出手術を受けた。途中で執刀医が骨盤内の静脈を過って傷つけたため大量に出血したが、執刀医は十分に止血しないまま手術を続行。別の血管も傷つけ、さらに出血した。麻酔医は出血を知りながら手術をやめさせるなどの措置をしなかった疑い。女性は輸血を受けたが、同日夕、手術終了後に死亡した。【鈴木泰広】

(毎日新聞、2007年4月18日)


医師派遣は民間頼み 道内に19社 常勤希望は都市集中 (北海道新聞)

2007年04月13日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

かつては、医学部を卒業後、多くの新人医師達はまず出身大学の医局に所属し、医局人事で地域の病院を数年間づつ回っていろいろな臨床経験を積み、大学に戻った時に研究に従事して博士号の取得を目指すというコースが一般的でした。

当時は、まず最初はどこかの大学医局に所属しないことには、まともな研修もできませんでしたし、将来的にも医局を介さないと希望の病院に就職することはなかなか難しい状況にありました。

しかし、新臨床研修制度が導入されて、医学部卒業後に医師達がたどるコースが非常に大きく変化しました。医局を介さなくても、各自の自由選択で希望する病院で初期研修を受けられる制度となって、従来と比べて大学を最初の研修先に選ぶ者の割合が減少しました。

2年間で主要な診療科を回る初期研修が終了すると、将来の自分の専門診療科を決めて後期研修を開始することになります。従来は、専門研修は医局人事で数年間ごとに大学の関連病院を回って臨床経験を積んでいくコースが一般的でしたが、最近は、専門研修(後期研修)を行う病院も、研修医自身が自分の好みで自由に選択できるようになり、大学を後期研修先に選ぶ者の割合が従来と比べて減少しました。

研修医本人が自由に研修病院を選択できるということになれば、多くの病院を比較検討し、その中で自分にとって条件の一番いい病院を選ぶのは当然です。十分に満足のできる研修ができ、医師のQOLもよくて、待遇面でも満足できる、というような諸条件を満たしてなければ、あえて自分の研修する病院には選ばないと思います。後期臨床研修病院として研修医達から人気があるのは、やはり、都会の有名病院のようです。地方の病院を選ぶ者はまだまだ少数派です。

今後、地方の病院がこの世に生き残っていくためには、非常に厳しい研修医獲得競争に勝ち残っていく必要があり、研修医に選ばれるための諸条件を満たすことが非常に重要だと思います。

参考:大学病院も産科医不足 (朝日新聞)

****** 北海道新聞、2007年4月3日

医師派遣は民間頼み 道内に19社 常勤希望は都市集中

 大学病院に頼ってきた地域病院の医師確保策が、大学側の医師不足で限界を露呈する中、民間の医師紹介業が好調だ。登録する医師の数は急増、業者を介して独自に医師を探す公的病院も増えている。ただ、圧倒的な売り手市場の医師は、都市部志向も強く、「民間頼みでは、へき地に医師が集まらない」と嘆く声も聞こえてくる。(報道本部 内本智子)

 一九九九年に札幌で創業し、全国展開する大手医師紹介業、キャリアブレイン(東京)は二○○六年度、過疎地を含む道内の病院に対し、医師三十二人の就職を仲介した。前年度実績を七人上回り、登録医師数は現在、全国で約四千人と、前年度より千人も増えた。

 過去、医師派遣は大学病院の各診療科の教授を頂点とする医局が握ったが、○四年度の臨床研修制度導入などで研修医らの医局離れが加速。キャリアブレインの吉岡政晴社長は、「医師は医局へのしがらみがなくなり、インターネット上での転職先探しが一般的になった」と説明する。

 同社の場合、就職決定一件につき、その医師の年収の25%程度を報酬として病院から受け取るシステムだ。それでも医師不足に悩む地方病院からの需要は多い。

 「民間医局」とも呼ばれる医師紹介業界は、新規参入も盛んだ。北海道労働局によると、○六年度、新たに三社が加わり、現在道内では十九社がしのぎを削る。

 これに対し、道と北大、札医大、旭医大の各大学病院などが、自治体病院への医師派遣を横断的に調整する道医療対策協議会(医対協)は、○七年度に向けた医師派遣要請四十人のうち、十五人しか対応できなかった。

 道などでつくる北海道地域医療振興財団の医師バンクも医師の登録数は減少。就職が決まった件数も○五年度の三十一人から、○六年度(二月末現在)は二十人に落ち込んだ。全国から登録医師を集める民間の医師紹介業者とは、人材情報に圧倒的な差がついている。

 こうした医師の労働市場の変化に、病院側も独自に動きだした。石狩市の民間病院・石狩病院は、五業者に登録し、今年三月には道外から常勤医の採用にこぎ着けた。同財団の医師バンクからは、従来は一人も紹介されなかった。担当者は「機動力のある民間業者は頼りになる」と断言する。

 医師の「超売り手市場」にあって、選ばれる立場の病院にも魅力向上の努力が求められる。石狩病院の担当者は、「二年前は誰でもいいからと探したがうまくいかなかった。人工透析など重点分野を明確にし、アピールするようになって、採用に結びついた」と話す。

 ただ都市部から遠く、設備投資などに費用をかけられない地方病院は、民間業者を頼っても、医師確保が難しい状況に大きな変化はみられない。道東の過疎地にある国民健康保険病院の担当者は、「民間の医師バンクで採用できるのは非常勤だけ。常勤は都市部希望者ばかりで難しい」とため息をついている。

(北海道新聞、2007年4月3日)

****** 東奥日報、2007年4月12日

産婦人科小児科の入局ゼロ/弘大

 弘前大学医学部の二〇〇七年度後期研修希望者(入局者)は二十五人で、前年度より九人減ったことが分かった。全国的に医師不足が深刻な産科婦人科は前年度に続き入局者ゼロ、小児科は初めて入局者がなかった。関係者は「若手医師が大学に残らないと地域医療は崩壊してしまう」と危機感を強くしている。

 後期研修は、初期研修を終えた若手医師らが専門技術を身に付けるプログラム。研修先の大学や、選択した診療科が、医師の将来の進路に大きく影響する。

 二〇〇七年度、弘前大での後期研修を希望したのは二十五人、前年度の三十四人に比べ九人減となった。二月末の希望調査では三十二人が同大学を希望していたが、その後、七人が他の病院などに変更した。

 新規入局者二十五人のうち、四月から実際に弘大医学部勤務となるのが十八人。他の七人は、関連病院などに勤務する。

 診療科別では、第一外科、耳鼻咽喉(いんこう)科など十二診療科で入局者がいなかった。産科婦人科は前年度に引き続き入局ゼロ。

 卒後臨床研修制度スタートに伴い全国的に入局者がいなかった二〇〇四-〇五年度を含めると四年連続で入局者がなかった。小児科は初めて入局者なし。

 入局者が多かったのは、第二外科の六人。第一内科、第二内科、整形外科が各三人となったほかは、各科一-二人と軒並み苦戦している。県内で後期研修プログラムを持つ十病院の中でも、指導体制、医療設備がそろっている弘大だけに、今回の結果について関係者は深刻に受け止めている。

(東奥日報、2007年4月12日)

****** 東奥日報、2007年4月4日

試験不合格などで研修医12人辞退

 二〇〇七年度、県内の臨床研修指定病院で初期臨床研修を予定していた医学部卒業者(予定者)六十四人のうち、十人が医師国家試験に不合格、二人が留年などで研修を辞退し、四月からの県内採用者が予定より十二人少ない五十二人にとどまったことが、県の調べで分かった。特に弘前大学医学部付属病院は研修予定者九人のうち三人が国家試験不合格。医師不足の本県の医療を担う貴重な人材だけに関係者は、肩を落としつつ「来年度こそ、試験に合格して本県で研修してもらいたい」と望みをかけている。

 県内十二の臨床研修指定病院の研修医募集人員は百十八人。〇七年度、病院と医大生の組み合わせをコンピューターで決める「マッチング」で六十一人、マッチング以外で三人、計六十四人が県内で研修を受ける予定だった。

 しかし三月二十九日発表になった医師国家試験で、近年では最も多い十人が不合格となった。また、留年などで二人が研修を辞退。結局、予定より十二人少なく、昨年より二人多い五十二人(県出身三十三人、他県出身十九人)が本年度から県内で初期研修を受けることになった。五十二人のうち弘大卒は二十九人(55.8%)にとどまった。

 病院別の研修医数は、八戸市民病院が十五人で最多。弘大のほか、東北大、琉球大、鹿児島大、東海大など全国から研修医を集めた。続いて県立中央病院が十二人。弘大病院は三人が国家試験不合格となり、昨年の七人より一人少ない六人となった。また、研修医八人を予定していた健生病院(弘前市)は三人不合格となり、採用者は五人。

 八戸赤十字病院は不合格者一、辞退者一で採用は一人。青森労災病院(八戸市)は辞退者一人が出たので採用なしとなった。

 今回の結果について健生病院の担当者は「正直、がっかり。来年度も受けてもらうように働きかけたい」、青森労災病院は「せっかくマッチングで一人確保したのに残念」と話した。

(東奥日報、2007年4月4日)

****** 毎日新聞、2007年4月4日

地方医大生:地元に残った医師は約3割…毎日新聞調査

 医師不足が深刻な10県にある大学医学部の04、05年の卒業生で、地元の病院に残った医師は約3割にとどまったことが毎日新聞の調べで分かった。各医学部には県内高校出身者が平均で約2割しかおらず、多くを占める県外高校出身者の大半が県外の病院へ流出しているためだ。国は医師確保対策の柱として、この10県の大学医学部に対し、08年度から最大10人の定員増を認めているが、各県の担当者からは「県内高校出身者が少ない中で、どれほど効果があるのか」と疑問の声が上がっている。

 調査は3~4月、定員増を認められた青森、岩手、秋田、山形、福島、新潟、山梨、長野、岐阜、三重の10県にある大学医学部を対象に実施。05、06年度入学者の出身内訳は全県から、04、05年度卒業生の進路状況は5県から回答があった。

 卒業後の進路については、回答のあった5校の平均で、04年度は35%、05年度は33%しか県内に残っていない。出身高校別で見ると、県内出身者は約7割が県内に残るが、県外出身者は約2割しか残らなかった。

 入学者のうち県内高校出身者が占める割合は10校平均で、05年度が22%、06年度が25%。福島県立医大が06年度に40%となった以外は、2割前後の大学が大半を占めた。山形大と信州大は2年連続で2割未満だった。

 弘前大医学部(青森県弘前市)では、県内高校出身者が県内に残る割合は、04年度が74%、05年度が77%。一方で、県外高校出身者は、04年度17%、05年度12%と非常に低い。佐藤敬医学部長は「他県から入ってくる学生は地元に帰る傾向が強い。県外出身の人も県内に残ってくれればありがたいが、今のところ地元出身者に頼るのが現状だ」と話している。【田村彰子】

(毎日新聞、2007年4月4日)


医師の集約化 格差を広げないために

2007年04月11日 | 地域周産期医療

産科・小児科を中心に、医師集約化によって医師の過重労働を改善しようという動きが全国的に活発になってきました。

産科・小児科の医師不足に関しては、最近ではマスコミでも大きく取り上げられていますし、国や県などでも対策がいろいろ協議されていて、一般の方々の間にも周産期医療の崩壊に対して危機感を持ってくださる方がだんだん増えてきました。

産科や小児科の場合は、診療科の特性から、若い一般の方々が関係しているので、地域住民の関心が集まりやすく、自治体の首長にとっても、『自治体内の産科・小児科が撤退ということになってしまえば、次の選挙では勝てない』という選挙対策的な事情もあります。

しかし、実際に絶滅の危機に陥っている診療科は、産科・小児科だけにとどまらず、例えば、麻酔科、外科なども相当に危機的な状況にあります。

特に、周産期医療の場合、麻酔科医の存在が非常に重要で、産科・小児科の「連携強化病院」では麻酔科を充実させることが必須条件となります。常勤の麻酔科医がいなくなってしまえば、周産期医療体制の継続はきわめて困難となります。

また、体力勝負の外科の先生方の平均年齢も年々上がっていて、若い外科医は非常に少ないです。このままでは、十年後に外科手術はできるのだろうか?と心配になります。

今後は、産科・小児科のみにとどまらず、もっと多くの診療科を含めて、医師確保、医師重点配置などの対策を協議してゆく必要があると思います。

****** 信濃毎日新聞、2007年4月10日

医師の集約化 格差を広げないために

(略)

 産科の減少は深刻だ。2001年に68カ所あったお産を扱う施設は、今年1月に50カ所に減っている。今後も分べんの制限や休止を予定している病院が複数ある。

 小児科医不足も同様だ。4月から辰野町立辰野総合病院、飯山赤十字病院で小児科の常勤医がいなくなったほか、規模の大きい総合病院でも医師の欠員状態が続いている。

 総合病院では日中の外来、病棟診療に加え、当直勤務や緊急呼び出しの待機などを繰り返し、疲れ切った医師が少なくない。開業や転勤で医師が減ると、残った勤務医の負担が増すといった悪循環だ。

 県の産科・小児科医療対策検討会は、二次医療圏ごとに中核となる「連携強化病院」を選び、医師を集める必要があると提言した。ほかの病院では、医師が辞めても、県内の主な医師派遣元である信大からは補充されない可能性が高い。

 医師が減り続けると、中核病院以外では救急や入院患者の受け入れができなくなる心配がある。地域によってはお産や小児医療の場が遠くなり、医療レベルの低下につながる。今後、医療圏ごとの協議会で検討するが、住民の声を聞きながらの話し合いが必要になる。

 問題は、集約化が「緊急避難」で済むのかということだ。県民の理解を得るためには、医師確保策を急ぐ必要がある。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年4月10日)


産科施設の減少

2007年04月08日 | 飯田下伊那地域の産科問題

必要な医師を確保できず、分娩取り扱いを断念せざるを得ない施設が後を絶ちません。今後、産科医を増やしていくためには、どうしたらいいのでしょうか?

医学部を卒業しただけでは、実際の臨床現場ではまだ何もできません。医学部を卒業して一人前の医師になるまでには非常に長い時間がかかります。若い医学生や研修医が一人前の医師に成長していく過程では、多くの患者さんが集まる一定以上の規模の病院で、指導医のもとで多くの経験を積んで、基本的な知識や技術を身に付けてゆく必要があります。臨床研修病院では、未経験の若者達がだんだんと成長して一人前の専門医になるまで、じっくりと育てていく教育体制をきちんと築き上げる必要があります。

人手不足のため、指導医が日常診療をこなすだけで精根尽き果てて精一杯の状況であれば、若い人を育成するどころではありません。若い人をじっくり育てていくためには、指導医にある程度の時間的余裕を与える必要があります。

要するに、若い人を育てるためには、豊富な症例数、スタッフの人的余裕などの条件は必要不可欠です。人的余裕の全くないような人手不足の病院に、未経験の若者達は決して集まって来ません。

現状では専門医の絶対数が全く足りてないわけですから、専門医を育成することがきわめて重要です。人を育てる体制を確立するという観点からも、産科施設の重点化・集約化は必要だと思います。

****** 個人的経験

同じ病院に18年間勤務していますが、最初の数年間はいわゆる1人医長で、1年のうちで休日は1日もなく、連日連夜病院に泊り込んで働き通しで、夜中の緊急帝王切開でも何でも1人で対処しなければなりませんでした。1日の睡眠は仕事の合間の仮眠だけというような、今から考えると、地獄のような過酷な毎日でした。

仲間が1人増えて医師2人体制になったとたんに、いきなり地獄が天国に変わった感じでした。いつでも手術は産婦人科の仲間と一緒に2人でできるようになったし、1日おきにでも帰宅できるようになったし、交替で学会にも出席できるようにもなりました。

さらに仲間が増えて常勤3人体制になると、けっこう余暇もできて、院内ボランティア活動とか、ホームページとかブログとかにのめりこんだりする時間もできてきました。英会話やピアノのレッスンに通ったりする余裕も生まれました。

常勤4人体制になると、医学生の教育や研修医の教育などに力を入れる余裕も少し出てき始めましたし、1日がかりの癌の手術などを毎週のように実施することも可能な体制となりました。緊急手術を2件同時に実施するようなことも十分に可能となりました。

常勤5人体制になってみると、さらに急に世界が大きく広がった感じがしています。安全性も格段に高まったように感じています。若い女性医師が多いことを考えると、今後は当然彼女ら自身が安心して妊娠・出産・子育てができる柔軟な勤務環境を作っていく必要があり、(何年かかるか全くわかりませんが、)将来的には常勤10人くらいの体制にもっていく必要があると考えています。

助産師の数も最初は1名の体制からの出発で、最初は毎日オンコールという非常に過酷な勤務体制でしたが、助産師数もだんだん増えてきて、現在は助産師28名の体制となり、助産師外来とか、フリースタイル分娩とか、助産師の力を存分に発揮できる体制になってきつつあります。助産師自身の妊娠・出産・子育てとも十分に両立できるような職場の体制になりつつあるように感じています。

やはり、人がいなければ何も始まりません。急には無理にしても、将来的には、産婦人科は大勢のスタッフを擁する病院の体制を中心にやっていくべきだと考えています。何はともあれ、長期的視野に立って、若い仲間がどんどん増えていくような流れを作っていくことが非常に大切なことだと思います。


飯田下伊那の産科体制「やむを得ない」が8割

2007年04月05日 | 飯田下伊那地域の産科問題

地域の産科医療を絶滅の危機から守るためには、地域住民、行政、地域の医療機関などが一体となって、地域の限られた医療資源を有効に活用して、一致団結して対応していく必要があります。

とりわけ、実際に病院内で分娩を担当する産科医と助産師とが一致協力して事に当たる必要があるのは当然です。それもできないようであれば、病院の外部の人達の協力をとりつけられる筈がありません。

地域中核病院の分娩件数が急激に増加する状況であれば、現場で実際に分娩を担当する産科医、助産師などのスタッフの数を大幅に増やさないことには、仕事量の増加に適切に対応できる筈がありません。

緊急避難的な連携により地域の産科体制がかろうじて持ちこたえている間に、何とかして、地域中核病院の産科医、助産師の数を大幅に増やし、診療体制を強化していく必要があります。

手遅れになってしまう前に有効な手を打たないと、地域中核病院・産婦人科の絶滅速度がどんどん加速されていくばかりでしょう。国や県の政策による強力なバックアップも不可欠だと思います。

****** 信濃毎日新聞、2007年4月4日

飯田下伊那の産科体制「やむを得ない」が8割

 産科医不足のため、出産前の健診を診療所、出産を飯田市立病院で役割分担する体制を導入している飯田下伊那地方で、出産を経験した母親の81%が不満を抱えながらも、「やむを得ない」と考えていることが3日、信大医学部の金井誠講師が行ったアンケート調査で分かった。

 現体制を導入した後の昨年2-3月と9-11月に、同病院で出産した399人にアンケート用紙を郵送、238人から回答を得た。回収率は59・6%。

 調査結果によると、現体制について「よくできた体制」は18%で、「即刻この体制を中止すべき」は1%にとどまった。「若干不満があるがやむを得ない」が62%、「大きな不満があるがやむを得ない」が19%を占め、産科医不足の現状を受け入れざるを得ない現実を浮き彫りにした。

 診療所での妊婦健診について「満足」「やや満足」が計47%だったのに対し、「不満」「やや不満」は計26%。市立病院での分娩(ぶんべん)は「満足」「やや満足」が計79%、「不満」「やや不満」は計9%と、健診、分娩ともに満足している人の方が多かった。

 飯田下伊那地方では05年夏から06年春にかけ、出産できる医療機関が6から3に半減。昨年1月、34週未満の健診は診療所、出産は同病院で扱う体制を導入した。

 金井講師は県内の産科医、小児科医を各広域圏の連携強化病院に重点配置することを提言した県検討会の委員も務める。アンケート結果について「母親たちが現状を冷静に受け止め、地域の理解が進んでいる」と話し、「産科医が急に増える見込みがない以上、飯伊の事例は県内の産科医療を崩壊させないための一つのモデル」としている。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年4月4日)


大学病院も産科医不足

2007年04月03日 | 地域周産期医療

従来より、地方中核病院の産婦人科の多くは、医師の人事を全面的に大学の医局人事に頼ってきました。

従って、大学病院自体が極端な医師不足に陥って、大学病院の診療・研究態勢を維持するために派遣医師の総引き揚げを決定すれば、必然的に、引き揚げられたその日から地方中核病院の産婦人科は休診に追い込まれる事態となってしまいます。

地域の中核病院が産婦人科休診に追い込まれた場合には、その地域の産婦人科医療の全体が一気に崩壊してしまいます。地域で産婦人科医療を今後も末永く継続させていくためには、長期的視野に立って、地域でも専門医の養成をしていく体制を本格的に構築する必要があります。これは、産婦人科だけでなく、他の診療科でも事情は全く同じです。

今いくら大活躍している有能な医師達であっても、みんないつかは必ず年老いて働けなくなっていきます。いつ倒れてしまうかもわかりません。自分達の亡きあとも、地域の医療がちゃんと継続されていくような態勢を、普段からちゃんと築き上げておく必要があります。

地域医療の存続のためには、まず、地域の中核病院を研修医が大勢集まって来るような活気のある病院にしなくてはなりません。研修医は、病院の未来の柱であり、地域にとって宝です。研修医に選ばれる病院にならないことには、病院の未来はあり得ないと思います。

****** 朝日新聞、2007年4月2日

大学病院も産科医不足 研究・がん治療瀬戸際

 子宮がんなどの治療も縮小し、研究も思うようにできない――。朝日新聞が全国80大学の産婦人科医局に実施した調査で、大学病院でも医師不足が深刻になっている実態があきらかになった。夜間の出産への対応に加え、トラブルがあればすぐに訴訟になるといった理由から敬遠傾向にある中、地域の病院に派遣していた医師を引き揚げても補えず、5年間で医師が半減した大学も多い。高度医療と人材育成、治療法の研究を担う大学病院の産婦人科が危機に直面している。

(中略)

 調査は全国80大学の産婦人科医局を対象に調査票を2月に送り、67大学(84%)から回答があった。1月現在、大学本体の医局にいる医師数は平均22.1人。02年の27.1人から5人減った。5年前より医局員数が増えたのは4大学だけだった。

 入局者数は、02年が3.9人、03年は3.4人だったが、臨床研修が必修化され、新人医師が2年間に様々な診療科を回るようになった04年は1.1人、05年は0.9人。研修を終えた医師が初めて入局した06年も2.7人と、必修化前の水準には戻らなかった。

 4月の新規入局予定者数は平均2.9人。「0人」が7大学、「1人」が15大学あった。

(朝日新聞、2007年4月2日)