コメント(私見):
8月21日付けの朝日新聞・時時刻刻の記事の引用:
東京都内の大学病院で06年11月、癒着胎盤と診断された20歳代の女性が帝王切開で出産後に死亡するという大野病院事件と類似の事故が起きた。病院は胎盤をはがすことによる大量出血を避けるため、帝王切開後ただちに子宮摘出手術に移った。しかし、大量出血が起こり、母親を救命できなかった。病院はリスクの高い出産を扱う総合周産期母子医療センターだった。厚労省の補助金で日本内科学会が中心に運営する「医療関連死調査分析モデル事業」で解剖と臨床評価が行われ、評価調査報告書の最後に「処置しがたい症例が現実にあることを、一般の方々にも理解してほしい」と記されている。
(引用終わり)
この事例では、大野病院事件の裁判で検察側が主張した通りに、癒着胎盤の剥離を試みないで直ちに子宮摘出手術を実施しました。しかも、人員も設備も完備した都内の某総合周産期母子医療センターで、この手術は実施されました。それでも、結局は母体を救命することができませんでした。
加藤先生が逮捕されたのは2006年2月18日ですから、2006年11月に実施されたこの手術でこのような方法が選択されたのは、もしかしたら、大野病院事件の検察側の主張の影響を少なからず受けたのかもしれません。『帝王切開に引き続いて実施される子宮摘出手術』は、それ自体が非常にリスクの高い難手術です。この事例においては、もしかしたら、『児の娩出後に胎盤の剥離を試みないで、直ちに子宮摘出手術に移ったこと』が、裏目に出たのかもしれません。
癒着胎盤の帝王切開は非常に難度の高い手術で、『癒着胎盤と認識した時点で、直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出に移るべきだった』という検察側の主張通りに手術を行ったとしても、必ずしも母体を全例で救命できるとは限らないということを示す臨床症例です。
検察庁が本件判決に控訴しないことを強く要請します。
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診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業
評価結果の概要
http://www.med-model.jp/kekka/jirei38.pdf
本概要は、関係者への説明に用いるため、申請医療機関及び患者遺族に対して報告された「評価結果報告書」をもとに、その概要をまとめたもの。
1 対象者について
年齢: 20歳代
性別: 女性
事例概要:既往歴に2回帝王切開手術を受けた主婦。今回妊娠早期より前置胎盤と前の帝王切開創への癒着胎盤と診断され、自己血の貯血と輸血を準備し帝王切開を予定していた。予定した帝王切開まで子宮収縮抑制薬を点滴投与していたにも拘わらず妊娠33週に性器出血が増量し、さらに破水し、陣痛が発来したため緊急帝王切開をした。手術は帝王切開に引き続き胎盤を剥離することなく直ちに子宮全摘術を行ったが、摘出直後に予期せぬ心拍停止が発生し、急激な予測不能な大量出血により母体死亡を来たした。最終出血量は9053mlに及んだ。
2 解剖結果の概要
骨盤腔の腹膜直下の結合組織内全般に広範な出血がある。摘出子宮は胎盤を併せて899gで、胎盤付着部は子宮体下部から子宮頚部前壁やや右側である。頚管は著明に拡張し、子宮体部の下部および頚部前壁の胎盤付着部には子宮壁穿通はないが、子宮筋層は最も薄い所で0.5mm未満まで非薄化している部位もあった。羊膜絨毛膜炎の所見はなかった。また、肺胞内に胎児由来成分も検出されず、また免疫組織学的検索も行ったが証明されないので、確定的羊水塞栓症の診断ではない。
3 臨床経過に関する医学的評価の概要
当該病院の医療安全委員会から提出された診療録の一部に病状経過が詳細かつ正確に記載されていないなどの不備があり、また産婦人科、麻酔科、看護部からのそれぞれの報告で院内の統一見解でなかった為、十分解析出来なかった面もあり、死因を推測せざるを得ない点もあった。
1)臨床診断の妥当性
妊娠22週に経腟超音波、MRI(磁気共鳴映像法)により前置胎盤と前の帝王切開創にかかる癒着胎盤と診断され、正確に診断されていた。
2)手術の準備、時期と手術方法
妊娠24週より5回にわたり自己血を総計1200g貯血した。また手術前に2000mlの輸血も準備し緊急手術に臨んだことは現在行ない得る最善の方法である。手術当日、性器出血が増量しさらに破水し、陣痛が発来し子宮収縮抑制薬ではコントロ-ルが出来なくなった段階での手術のタイミングは適時である。また帝王切開に引き続き胎盤を剥離することなく直ちに短時間内に子宮全摘術を行なったことも賢明である。
3)術中の出血について
手術開始後2分で胎児を娩出し、引き続き子宮全摘術を開始した。輸血は手術開始後直ちに開始され、続けられた。出血量は児娩出するまでに400ml、その後の約10分で合計1620mlに及んだ。新生児のHb(血色素)を反映するデ-タ-である臍帯血の値も貧血を示していた。母体のHbは手術開始後約20分に始めて測定され5.5g/dlと低値であった。この状況は測定・把握していた量以上の急激な出血であったと推測される。帝王切開と子宮全摘術に要した時間は30数分であるので非常に手早く手術が遂行されていた。出血部位の特定は出来なかった。剖検から軽度の左心室の拡張がある以外の所見もなく、心筋梗塞や血栓もない。27歳の若さで術中Hb5.5g/dl台で突然不整脈に続き心停止状態になることは、通常の産科での急激な大量出血においても極めて稀であると考える。
4)輸液と薬
術前膠質浸透液を適切量の点滴がなされ、全身麻酔の選択も薬の用量も問題はない。麻酔導入開始より血圧は低下し、そのため適時エフェドリン、ネオシネジンの昇圧薬の投与により血圧は維持された。また手術開始と同時に輸血も開始され、循環血液量を補うことで血圧は一過性に上昇したが、胎児娩出後に著しく血圧は低下し、昇圧薬を頻回に投与しても昇圧作用が得られない状態に陥り死亡した。子宮収縮抑制薬の塩酸リトドリンは入院時から、硫酸マグネシウムは手術当日に出血量が増量し子宮収縮も頻回になったので時点で開始・併用した。両薬とも手術決定後には中止し、手術に臨んだ(結果的に手術開始前32分であった)。なお硫酸マグネシウム製剤の投与方法・用量は守られている。
(1)児は第一呼吸を認め体色良好であった。しかしその後、児は無呼吸発作を起こし、次に用手的陽圧呼吸にも反応しなくなった為、3日間挿管された。この呼吸抑制は帝王切開直前に投与されたマグネシウムに影響によるものと考えたが、新生児の臍帯血中のマグネシウム濃度は正常値であったので、マグネシウムによる呼吸抑制によるもの、また呼吸窮迫症候群とも考えねばいけないがwet lung(肺胞液漏出、吸収遅延による呼吸障害)によるものと解釈した方が自然であると推測した
(2)母体においては術中の心電図からは心筋虚血の所見は得られなかったが、子宮収縮抑制剤の併用が母体の術中血圧の低下に影響したかも知れないと推測した。
5)その他の原因
なお本事例が短時間に大量出血し播種性血管内血液凝固症候群(DIC)に至っているため羊水塞栓も検討した。剖検からは組織学的に胎児由来の成分も免疫組織学的検査も行ったが、それらは証明されず確定羊水塞栓症は否定された。また血清学的も行ったが支持する結果は得られなかった。委員から確定羊水塞栓症以外の臨床的羊水塞栓症もあるのではないかとの意見も出され議論した。
本事例の麻酔記録から麻酔導入時点で既に血圧は低い傾向にあったが、児娩出直後から血圧の著明な低下が始まり酸素分圧を示すPaO?の低下、不整脈の出現そして死に至っている。またカプノメトリ-(二酸化炭素の測定)で得た呼吸終末PCO?も低下していない。本事例の臨床経過が臨床的羊水塞栓症の診断基準に一部当てはまるが、本委員会では臨床的羊水塞栓症に関しては支持されるに至らなかった。しかし、急激な大量出血を考えると、稀ではあるが何らかの原因でDICが発症した可能性も考えねばならない。
4 結論
直接の死因は、帝王切開および子宮摘出直後の突然の不整脈に続く心停止状態と想定以上、突発的と思えるほどの急激な大量出血による循環血液量の減少に伴う循環障害、心不全である。また入院後の投与していた子宮収縮抑制薬に、さらに病状の悪化のため手術直前に加えた子宮収縮抑制薬の併用も拍車をかけたものと推測する。なお正確な出血部位は不明である。
5 再発防止への提言
1)当該病院への提言
今回各部門から提出された記録には不明な点があった。また時間的経緯のずれ、また不備もあり審議に苦慮した。院内委員会で十分に審議し統一見解としてまとめて提出しなければ真相は究明できない。モデル事業の参加は真相究明であるので、第三者が見ても良い限りなく透明性のある診療録にすることにより、医療の質も向上し医療不信を払拭できるのではないかと考える。本事例の調査委員会には小児科医が何故含まれなかったのか。また委員会の構成は当該科に呼応する外部の専門家や法律家も入れ、メンバ-を構築しなければ真理は追究できず、再発防止に繋がらない。さらに、モデル事業に提出された資料は委員会の議事録(開催日、場所、出席者、審議内容など)として体裁を整える必要がある。今回提出された資料は三部門(産婦人科、麻酔科、看護師)の資料を集めただけの内容であったことを追記する。
(1) 産婦人科医への提言:当該診療科から提出された資料には記載不十分な部分も多く丁寧なチェックを行い提出することを希望する。また執刀医が手術記録を書いていない。極めて稀な事例でもあるので手術記録は誠実に詳細に執刀医が記載するのは当然である。たとえ下位医師が上級医に依頼されても断ることも重要である。硫酸マグネシウムの投与方法・用量は守られ手術決定とほぼ同時に中止し、手術に臨んだが、添付文書の重要事項に硫酸マグネシウムを分娩直前まで持続投与した場合に出生した新生児に高マグネシウム血症を起こすことがあるため、分娩前2時間は使用しないと書かれている。また子宮収縮抑制薬の併用による母体への重篤な心筋虚血などの循環器関連の副作用も報告されているので、このような知識は周産期センタ-ともなればスタッフ全員がこの認識を持つ必要がある。
(2) 麻酔科医への提言:手術時の麻酔記録が極めて不十分であり、術中の記録から病態を解析するのに困難を極めた。稀有な症例であり、その時点での記録が困難であったものと推測するが、その後詳細な記録を残すことが重要である。硫酸マグネシウムの使用という情報が共有されていれば中和剤としてカルチコ-ルの選択もあった。また今回使用した以外の別の昇圧薬やドーパミン薬の使用も考慮しても良かった。今後、大量出血が予想される手術にあたっては、麻酔開始前から中心静脈圧、動脈圧を連続的にモニタリング出来るように準備してから手術を開始すべきである。ただ現実に臨床の場で常に準備することは難しいことも理解出来る。しかし今後検討すべきである。
(3) 泌尿器科医への提言:当初、提出された診療録に膀胱修復の手術記録が含まれてなく、手術への拘わりなど時間の参考資料にはならなかった。手術記録は当然記載し診療録に入れ診療録を完成させて提出する必要がある。
(4) 看護師への提言:本事例は術中の大量の出血によると考え、真相究明には時間的経過を詳細に知りたく、再三資料の提出を求めた。当然存在するはずの資料の提出がない場合、審議において、資料提出がないこと自体を当該施設に不利益な事情の1つとして斟酌する可能性もあることも、当該施設に対し通知した。その結果、最終的に提出されたメモと記憶からの資料により審議に臨めた。手術に入った看護師の配置は2名(器械出し、外回り)で、帝王切開用と子宮摘出用の器具を準備し、子宮摘出用の器具を隣室に置き隣室で器械を揃えるなど時間を取られている。そのため看護師の仕事である継続的に出血量をカウント出来ない時間が生じたことが解った。予め子宮摘出術が行なわれる可能性が高い例では、両器具を完全に揃え同一手術室に準備し、手術室から離れることがないようにすべきである。また緊急とはいえ大きくなる可能性のある手術では事前に医師と情報を共有することでマンパワ-も増し、再発防止に繋がると思われる。
2)医療界への要望
当該医療施設は周産期でも有数な施設であり、そのような機関でも本症例は不幸な転帰を辿ってしまった。手術開始前から出血が始まり、手術開始と同時に短時間に予期せぬ大量出血から生じたものと推測する。産科領域では、分娩を中心に稀有に見聞するが、急激な失血を正確に測定すること、またそれに呼応した輸血を考えると、今日の治療では難しかったかも知れない。なお、本事例のケ-スでの周術期死亡率は7.4%とも報告されている。学術集会では貴重な稀有な症例が発表され、無論成功例から学ぶことも大事である。しかしながら患者を救命することを使命とする医療従事者は、処置し難い症例が現実には存在し、不幸な転帰を辿る症例もあり対処出来るように努めなければいけない。またこのような症例が現実にあることを医療界だけでなく、一般の方々にも開示し理解して頂くことを希望する。
6 参考資料
・羊水塞栓症の血清学的診断法、www2.hama-med.ac.jp/wib/obgy/afe2/
・羊水塞栓症 プリンシプル産科婦人科学2 MEDICAL VIEW P617
・羊水塞栓 産婦人科研修の必修知識 2004 (社)日本産科婦人科学会 P282
・Okuchi A, Onagawa T, Usui R, etc Effect of maternal age on blood loss during parturition: a retrospective multivariate analysis of 10,053 cases. J Perinatedd.2003:31(3) P209
・母体救急疾患 ~こんな時どうする~ 研修ノート No62 (社)日本母性保護 産婦人科医会 平成11年10月
****** 朝日新聞・時時刻刻、2008年8月21日
■裁判所の判断
○癒着胎盤をどう処置すべきだったか
《検察側》 癒着胎盤を認識した時点で、胎盤を子宮から剥離するのをやめて、子宮摘出に移るべきだった。
《弁護側》 被告が胎盤の剥離を続けたのは、標準的な医療行為だ。
《判決》 剥離を中止して子宮摘出手術に移ることは可能だったが、当時の標準的な治療行為だったとはいえない。剥離の継続は、注意義務違反にはあたらない。
検察の裏付け不足指摘
判決は、事実経過についてほぼ検察側の主張通りに認定している。死因が失血死であり、胎盤をはがしたことが原因だったとした。さらに、加藤医師は指を使って胎盤をはがすことが難しくなった時点で胎盤が子宮に癒着していると認識。無理にはがすと大量出血を引き起こし、妊婦が死亡する恐れがあることも予見できたと認定した。
そのうえで、胎盤をはがすのをやめ、子宮摘出手術に移ることで大量出血を回避する義務があったかどうかを検討。剥離をやめて摘出に移行することは可能で、大量出血を防ぐことができた可能性があるとした。
しかし、それが標準的な医療であるとする検察側の根拠は、一部の医学書と臨床経験に乏しい検察側鑑定医による鑑定のみで、裏付ける臨床症例を提示していないと批判。結論としては、加藤医師に胎盤剥離を中止する義務はなく、業務上過失致死罪に当たらないと判断した。
「刑事裁判にそぐわぬ」
お産は常に急変する可能性がある。厚生労働省のまとめでは、出産で亡くなった妊婦は06年に54人いる。治療しても良い結果とならなかった時、医療者の責任は、どう扱われるべきなのか。
捜査に批判的だった東京都立府中病院の桑江千鶴子・産婦人科部長は「患者の命を助けようと思って進めた末に、助けられないこともある。そのようなリスクを認めてもらえなければ、医療は成り立たなくなる」と指摘する。
癒着胎盤と診断できた場合は、はがさずに子宮摘出に移行する場合があるが、摘出すれば安全とも言い切れない。
東京都内の大学病院で06年11月、癒着胎盤と診断された20歳代の女性が帝王切開で出産後に死亡するという大野病院事件と類似の事故が起きた。病院は胎盤をはがすことによる大量出血を避けるため、帝王切開後ただちに子宮摘出手術に移った。しかし、大量出血が起こり、母親を救命できなかった。病院はリスクの高い出産を扱う総合周産期母子医療センターだった。厚労省の補助金で日本内科学会が中心に運営する「医療関連死調査分析モデル事業」で解剖と臨床評価が行われ、評価調査報告書の最後に「処置しがたい症例が現実にあることを、一般の方々にも理解してほしい」と記されている。
医療と法の関係に詳しい樋口範雄・東大大学院教授(英米法)は「判決は検察側の完敗だ。だが、有罪か無罪かより重要なのは、医療事故の真相究明に裁判がそぐわないことがはっきりしたことだろう。検察側と弁護側が対立のゲームを続けたことで、医師も遺族も傷ついた。真相究明と再発防止のため、医師を中心に、患者も加わった形での協調の仕組みが必要だ」と話していた。
福島地裁は、加藤医師の行為を「標準的な医療」と認定した。ただし、現行法のもとでは、薬剤投与ミスや技量不足の医師による無謀な手術の立件が妨げられることはない。
(朝日新聞・時事刻刻、2008年8月21日)
****** m3com医療維新、2008年8月22日
福島県立大野病院事件◆Vol.21
「ほっとしたが、なぜ逮捕されたか疑念は晴れず」
佐藤章・福島県立医大産婦人科教授が
判決直後の真情を吐露
聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
加藤克彦医師の所属医局は、福島県立医科大学産婦人科。その教授である佐藤章氏は、事件直後から、2006年の逮捕・起訴、そして8月20日の判決に至るまで、担当教授として事件にかかわってきた。また、佐藤氏は自ら一般傍聴券を求めて並び、計15回にわたった公判をすべて傍聴してきた。果たして、今回の判決をどう受け止めたのだろうか。判決直後の思いを聞いた。
(2008年8月21日にインタビュー)
――逮捕・起訴から約2年半。昨日、判決を聞いた率直な感想をお聞かせください。
「ほっとした」というのが正直なところです。「勝った」「負けた」といった話ではありません。逮捕・起訴自体はそもそも「余分」なことだったので、無罪になったことは「前に戻った」だけにすぎないからです。またこの間、時間も労力もかかっていましたので。
――警察・検察に思うところはありますか。
ノーコメントですね。何を言っても、「逮捕された」事実は消えることはないので。
――加藤先生は40歳前後という非常に活躍できる時期に、2年半臨床に携わることができなかったわけです。
それは本当に痛かった。彼にとっても、またわれわれにとっても大きな戦力を2年半失ったことになりますから。ただでさえ、周産期医療に携わる医師が少ない中で、「産科が好きだ」と言っていた加藤医師が抜けることは本当に痛手でした。
――加藤先生は記者会見で、「地域医療に戻りたい」とおっしゃっていました。
来週辺り相談しようかと思っていたのですが、判決が確定するまでは、加藤先生は、大野病院事件の関係者と接触してはいけないことになっているので、確定後に相談します。
2年半のブランクがあるので、すぐに実践に出るのは、本人も心配だろうし、またわれわれも心配ですので、大学で研究生といった形で少しずつ実践に慣れてもらうのが、私はいいと思っています。いずれにせよ、本人と相談します。
――「心配」というのは、手術などをやるには「慣れ」が必要だからでしょうか。
私が以前、1年間の留学後、戻ってきて手術した際には、やはり手が震えました。それと同じです。それ以上に大きいのは、精神的な面でしょうね。
――次に判決の内容についてお聞きします。
われわれが主張していたこと、臨床の現実を認めてくれたわけですから、裁判官はよく勉強し、医学的なことを理解してくれたと思っています。感謝しています。
一番の争点は、「胎盤剥離を中止して、子宮摘出術に移行すべきだったか」ですが、今回それが否定された。控訴審で判決を覆すためには、そうした臨床例を検察側が提示する必要があるわけです。
――それ以外の点はどうでしょうか。
例えば、胎盤の癒着の範囲も、われわれは子宮前壁にはないと主張し、裁判官はその主張を認めてくれました。加藤医師は帝王切開手術時、開腹後にエコーを行い、前壁に癒着がないことを確認し、胎盤のあるところを避けて子宮を切開しています。それほど慎重に手術をしていました。
裁判官は、「病理学的には癒着があると言っても、数人の証人が『胎盤が容易に剥離できたということは、臨床的には癒着胎盤ではない』としているので、前壁には癒着はない」と判断しています。なおかつ、「病理鑑定の際には、臨床的な情報を集めるべきだった」となどと指摘しています。非常によく勉強していると思います。
ただ、医学的、専門的なことを刑事裁判で議論するのは限界があると思っています。医学には素人の警察が捜査する上、裁判官も医学の専門家ではありません。
――検察も、公判での尋問を聞いていると、勉強不足という面が感じられました。
その通りです。でも検察官もかなり勉強したとは聞いています。公判前整理手続の際は、複数の、少なくても3~4カ所の大学に話は聞きにいったようです。
とはいえ、検察は、専門の医師への証人尋問を経ても、「前壁に癒着がある」などといった主張を変えることはありませんでした。
――クーパーの使用については検察の主張が変わりました、というか、話が出なくなりました。
加藤医師に逮捕前、「おまえ、クーパーで切ったのか」と聞いたんです。当然ですが、加藤医師は「そんなことするわけないじゃないですか」と(実際はクーパーを「そぐ」ように使い、胎盤を剥離)。警察にもそう説明したようですが、調書には「クーパーを使った」とだけ書かれる。「クーパーを使った」と聞くと、皆、はさみだから「切った」と思ってしまう。その誤解が初めはありました。でも、検察は証人の話を聞いたためか、途中から「クーパーで切る」という話はしなくなった。
――その一方で、裁判官はよく勉強されていたと。
そうだと思います。しかし、裁判官が参考にするのは「証拠」のみなので、判決が出るまでは非常に心配だったんです。5割以上の確率で有罪になると思っていました。やはり勉強していても医学の専門家ではない、また医師などに個人的に意見を聞くことはしないわけですから。
――私は公判をすべて傍聴していて、検察側に不利な状況だと思っていたのですが。
そうです。私も、圧倒的に弁護側が有利だと思っていました。しかし、先ほども言ったように、裁判官は医学の専門家ではないので、どう判断するのか不安だったわけです。でも結果的には、裁判官は非常によく勉強していた。臨床の実践を理解してくれたわけですから。
だから、やはり専門家の間で、医療事故を検証する場を作った方がいいと思います。ただ、今の「医療安全調査委員会」の議論には、厚生労働省に委員会を設置するなど、問題はありますが。
また死因究明に関して言えば、今回の場合、「解剖をしておけば」という思いはあります。加藤医師は遺族に解剖を申し出たのですが、断られたそうです。死因は失血死とされましたが、私はまだ羊水塞栓などの可能性があると思っています。
――医療事故の調査と言えば、「県立大野病院医療事故調査委員会」がまとめた報告書が発端になっています。以前、先生に、「加藤医師の過失と受け取られかねない部分があるので、訂正を求めた」とお聞きしました。
はい。ここ(佐藤先生の教授室)に院長と県の病院局長が来て、「もうこれで認めてください」と言うから、「ダメだ」と言ったんです。
――それは遺族への補償に使うからですか。
そうです。「先生、これはこういう風に書かないと、保険会社が保険金を払ってくれない」と言ったんです。
――でも、県はそれを否定しています。
絶対にそんなことはありません。医療事故調査委員会の委員の先生方も、そう(補償に使う)と聞いているそうです。
――事故調査報告書が刑事訴追に使われることは想定されていなかった。
私が「最後までダメだ」と言い張ればよかったのですが。
今回のように刑事訴追に使われる可能性を考えると、事故調査報告書をどう書けばいいか、難しいですね。厚生労働省が考える「医療安全調査委員会」も、うまく機能するのか。だから私が思うのは、行政ではなく、医師同士、専門家同士が調査して、「これはお前、ダメだ」などと自浄作用を働かせる仕組みの必要性です。そうでないと、国民は納得しないと思います。
――そうした意味では、この事件を機に、医療事故調査のあり方について議論が進んだ意義は大きいと思います。世間の医療への関心も高まったように思います。
そうですね。ただ私にとって、また加藤医師にとってもそうでしょうが、はっきり言って貴重な時間が取られてしまったという思いはあります。社会的にはいろいろ勉強になりましたが、本来、医師ですから、臨床をやるのが仕事なわけですから。
また医療への関心ですが、マスコミの方の関心は高まったものの、一般の方の関心はそれほど高まってはいないと私自身は思っています。
――「社会的に勉強になる」とは具体的にはどんな意味でしょうか。
例えば、「司法というのは、すごい権力である」ということです。それに比べて、行政には力がない。例えば、医師法21条にしても、厚労省は「施設長が異状死を届け出る」といったマニュアルを作成しています。しかし、裁判官はあくまで法にのっとって判断する。また、警察、検察の力も恐ろしい。
私はこの間、「くれぐれも交通事故を起こさないように」などと注意されていました。何かあると問題視される。そうなると、「医師は…」と言われ、証人の医師の信用性にも関係しかねない。
――あまり論理的な話ではない気がします。確かに、今回の公判では、検察は最後は情に訴えていたように感じました。
私もそう思います。だから私は最後まで心配だったんです。そうした公判でのやり取りが「証拠」として残り、それを基に裁判官が判断するわけですから。
――では、控訴の可能性についてどうお考えですか。
先ほども触れましたが、控訴した場合、検察側は「胎盤剥離を中止して子宮摘出術に移行する」という臨床例を提示する必要があるわけです。しかし、実際にはこうした臨床例は今のところありません。
福島地検の検察官だけで判断するのではなく、上級庁と相談して決めるようです。その際、これまで事件にかかわってきた検察官が意見を言うようですが、上級庁がどう判断するのか。
正直、どうなるかは分かりません。多くの方が、「判決要旨を読むと、全面的に(弁護側の)主張が通っている。控訴をしないのでは」と言ってくれますが、気休めにはなりませんね。この事件が始まって、人間が信用できなくなったので。ただ、刑事事件の場合、一審と二審で判決が変わることは99%以上ないと聞いています。だから仮に控訴されても、「無罪」になると信じています。
――なぜ人間を信用できなくなったんですか。
一生懸命に診療をやっていて、逮捕されるわけですから。それも事故があってから1年以上が経過した後のことですから。いまだに「なぜこれが刑事事件になったんだ、逮捕されたんだ」という疑念は晴れません。「逮捕」されたのは、「証拠隠滅や関係者と口裏合わせをする恐れがあるから」ということですが、手術はチームでやるもの。何かを隠すことはできませんし、そもそも何も隠すものはありません。
それとさすがにこの2年半、疲れました。
――どのくらいこの裁判に時間をかけていたのですか。
最初のころは、弁護士の先生に癒着胎盤の説明をしたり、論文をお渡しするなど、月2回くらいは東京に行っていました。あとは月1回くらいでしょうか。四六時中、裁判のことをやっていたわけではないのですが、やはり精神的に負担でした。物事に集中できない。手術をやっている時だけは裁判のことを忘れられました。でもそれ以外、勉強している時などには、ふと裁判のことが頭をよぎっていました。加藤医師の逮捕時、60kgあった体重が53kgまで減りました。今は戻りましたが。
――最後にお聞きします。今回の件で各種団体や医師など、全国各地から加藤医師を支援する動きがありました。
それは非常にありがたかったですね。支援団体の活動が盛んになり、マスコミが取り上げるほど、裁判官もまた検察も、「この裁判は簡単にはいかないぞ」という意識を持ったのではないでしょうか。そうした意味では、大きかったですね。今回の件では、本当にいろいろな意味で勉強になりました。
(m3com医療維新、2008年8月22日)
****** J-CASTニュース、2008年8月21日
「医師逮捕までする必要あったのか」 「大野病院」判決の新聞論調
「メディアが『医療崩壊』を招いた」との指摘が相次ぐなか、帝王切開手術中に妊婦を死亡せたとして担当医師が逮捕・起訴された「大野病院事件」については、様子が若干異なるようだ。無罪判決から一夜明けた各紙の社説を見ると、きわめて慎重で、「医師逮捕までする必要あったのか」とする論調も目立つ。ただ、同じ新聞内でもさまざまな見方が出るなど、問題の複雑さを浮き彫りにしている。
朝日、読売、産経は判決に肯定的
判決から一夜明けた2008年8月21日の朝刊では、全国紙の全てが大野病院事件を社説で取り上げた。各紙とも、医療事故が起こった際の第三者機関「医療安全調査委員会」の設立など、今後の制度の整備を求める点では一致している。一方、判決自体の評価は、各紙によって微妙なずれがある模様だ。
判決に肯定的なのが、朝日・読売だ。朝日新聞は、
「判決は医療界の常識に沿ったものであり、納得できる。検察にとっても、これ以上争う意味はあるまい。控訴をすべきではない」
と、直接的な表現で判決を評価。さらに、
「今回の件では、捜査するにしても、医師を逮捕、起訴したことに無理があったのではないか」
と、そもそも公判の維持自体が「無理筋」だったのではないかとの見方を示している。
読売新聞も、
「そもそも、医師を逮捕までする必要があったのだろうか。疑問を禁じ得ない」
と、同様だ。産経新聞も
「大野病院事件はカルテの改竄や技量もないのに高度な医療を施した医療過誤事件とは違った。それでも警察の捜査は医師の裁量にまで踏み込んで過失責任の罪を問うた」
と、逮捕・起訴が強引だったことを遠まわしに批判。おおむね、社説では、これら3紙の足並みはそろっていると見てよさそうだ。
日経新聞は、判決が妥当かどうかについての直接的な言及は避ける一方、
「医療事故は後を絶たない。そこで問題になるのは、患者や家族に十分な説明をし、同意を得たかという点だ。この事件でも家族は病院側の説明に強い不満を抱いている」
と、医療側の体質に言及。インフォームド・コンセントの重要性を改めて強調した。
毎日社説は警察の起訴姿勢を擁護
前出の4紙と、立ち位置が異なっているように見えるのが、毎日新聞だ。他の複数の新聞が、事件をきっかけに「医師の産科離れが進み、医療側からは『医療が萎縮する』との反発の声が上がった」といった経緯を紹介している一方で、毎日新聞は
「こうした考え方が市民にすんなり受け入れられるだろうか」
と、疑問を投げかける。さらに、
「警察権力は医療にいたずらに介入すべきではない」
としながらも、
「県警が異例の強制捜査に踏み切ったのも、社会に渦巻く医療への不信を意識したればこそだろう」
と、警察の姿勢を全国紙の中では唯一擁護しているともとれる文面だ。
もっとも、その毎日新聞も、判決直後の08年8月20日夕刊1面の「解説」では、
「刑事訴追が医療の萎縮や医師不足を招くのは、医師と患者双方にとって不幸だ。お互いに納得できる制度の整備が急がれる」
と、若干のスタンスの違いを見せている。それは他紙でも同様で、読売新聞も、1面の夕刊の「解説」では、
「『医療行為による事故で刑事責任を問うべきでない』とする<医師側の論理>にお墨付きを与えたわけではない」
とした上で、
「医療界は患者の声に耳を傾け、より安全、安心な医療の確立に向け、冷静な議論をする必要がある」
と、社説とは一転、やや医療側に厳しいと読める文章になっている。
このように各紙の間で論調が違うのはもちろん、同じ新聞でも朝刊と夕刊で論じ方が変化しているあたり、この問題の複雑さをあらわしたものだと言えそうだ。
(J-CASTニュース、2008年8月21日)