思えば人生には多くの岐路があり、多くの出会いがあり、多くの人々に導かれて、私はここまでやって来ました。
もう四十年も前のことになりますが、高校生の頃、私は数学と英語が好きで、大学受験の時は名大理学部と南山大外国語学部英米学科とを受験しました。当時はオープンキャンパスなんてものはなくて、田舎の高校生が大学キャンパスを見学する機会はほとんどなく、受験日当日に生まれて初めて大学のキャンパスを見ました。名大と南山大は、歩いてすぐに互いに移動できるほど近距離に位置してましたが、両大学のキャンパスの雰囲気は全く異なり、まるで別世界でした。名大理学部の方の受験生はほとんど男性ばかりでしたが、南山大外国語学部の方の受験生は女性が多く、キャンパスの雰囲気は非常に華やかでした。あの華やかな世界では生きていけないと直感し、名大理学部の方に進みました。
名大理学部時代は、下宿にこもって趣味の数学と英語の勉強に没頭し、大学以外に英会話学校にも通いました。そんな数学、英語漬けの日々の中で、たまたま大学の近くの本屋さんで(故)大塚敬節先生の漢方医学の入門書に出会いました。その本を読んだのが医学との接点でした。突然湧き上がった漢方医になりたいという気持ちがどうしてもおさえきれず、その場で医学部受験を決意して、すぐに出身高校に行き内申書を作成してもらい信大に願書を提出しました。
信大受験のために松本市を初めて訪れました。初日の受験科目がたまたま自分の得意科目(数学、英語)でしたので、初日の試験が終了して、「これならもしかしたら合格のチャンスがあるかもしれない」と直感し、すぐに近くの本屋さんに駆け込み、2日目の受験科目の受験参考書を買い込み、一夜漬けの受験勉強をして何とか合格にこぎつけ、私の松本市での生活が始まりました。
医学部6年の時に、医学生が市民に医学の世界を解説する医学展という行事が開催され、私も医学生として参加し、趣味の東洋医学についての展示発表をしました。その時、当時産婦人科講師の(故)飯沼博朗先生が顧問になって面倒を見てくださいました。飯沼先生が「産婦人科では漢方や鍼灸を実践できるよ」と産婦人科入局を熱心に誘ってくださいました。偉い尊敬する先生から直接誘っていただいて感激し、その場で産婦人科入局の決意表明をしました。
大学院生の私を婦人科腫瘍学の世界に誘って研究を指導してくださったのは、当時産婦人科講師の野口浩先生でした。大学院では子宮体癌の臨床病理学的研究に従事しました。大学院修了後は、当時産婦人科助教授の塚原嘉治先生の御指導で婦人科細胞診の勉強を始め、一時期、明けても暮れても細胞診に没頭しました。
信大産婦人科に入局して7年経過し、これからどこでどうやって生きていくべきか?と思い悩んでいた矢先に、(故)福田透教授が飯田市立病院産婦人科初代部長に私を指名してくださり、平成元年4月に松本市から飯田市に家族を引き連れて引っ越して来ました。
飯田市立病院産婦人科が開設された当初の2年間は、一人医長で頑張りました。その後、日本医大講師、医局長だった波多野久昭先生が就任してくれました。波多野先生とは全く面識がなかったんですが、初対面の日に一緒に子宮外妊娠の緊急手術を行い、そのまま縁あって14年間よき相棒として一心同体となって一緒に働きました。波多野先生は長年にわたり苦楽を共にしてくださって、いくら感謝しても感謝しきれません。福田先生の後を継いで信大教授となられた藤井信吾先生は、しばしば手術指導に来てくださって、非常に多くのことを学ばさせていただきました。藤井先生の後を継いで信大教授となられた小西郁生先生もしばしば手術指導に来てくださって、多くのことを学ばさせていただきました。日本医大教授の可世木久幸先生は、10年以上にわたり腹腔鏡手術の指導に毎週来ていただき大変お世話になりました。また、信大産婦人科教室の多くの先輩・後輩達が常勤や非常勤で入れ替わり応援に来てくれて、共に楽しく学んできました。小西先生の後を継いだ信大教授の塩沢丹里先生からも、非常に多くのことを学ばさせていただいてます。今年4月からは、信大産婦人科統括医長だった芦田敬先生が赴任し、当科の診療をリードし、若い医師達を日々厳しく教育してます。最近は若い医師が増えて活気にあふれてます(ある研修医の奇跡の産婦人科入局宣言)。
飯田市立病院産婦人科は、開設以来、いつつぶれてもおかしくない状況が長く続き、常に自転車操業を続けてきましたが、この地で偶然出会った多くの人々に助けられ支えられて、何とか奇跡的にこの世の中にかろうじて生き残ってます。いつのまにか22年の月日が流れ、私のこの病院での任期もだんだん残り少なくなってきつつありますが、残りの8年間は滅私奉公で頑張り抜きたいと思ってます。
来年はできれば周産期専門医(母体・胎児)試験に挑戦したいと考えてます。定年後に向け、漢方の勉強も再開したいと考えてます。また、健康維持のため太極拳を気長に続けていきたいと思います。