ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

続々・地域の産科機能を次世代に残すために

2008年04月26日 | 地域周産期医療

我が国で分娩を取り扱う施設の46%は産婦人科医が1人しかいませんし、分娩取り扱い病院の84%が勤務する産婦人科医数3人以下です。このように、分娩を取り扱っている施設の多くは産科診療を今後も継続することが非常に困難な状況に置かれています。

また、近年の女性産婦人科医の増加はめざましく、30歳代だと2/3、20歳代だと3/4を占めていますが、現在の労働環境ではやむなく分娩取り扱い病院を離職する女性医師が多く、結果として人手不足に陥った病院が分娩の取り扱いをやめるケースが相次いでいます。

さらに、日本の司法は、医療の結果として悪いことが起きるとすべて医療にミスがあっただろうと考える国民感情に配慮しすぎています。救命目的で正当な治療を実施したにもかかわらず、結果論や感情論だけで治療担当者が逮捕される可能性があるようでは、そもそも職業として成立するはずがありません。このことが、医療現場から働き盛りの医師達が立ち去る社会現象(立ち去り型サボタージュ)の大きな要因となっています。

今、産科医療の現場を支えている多くの産婦人科医達が、いつ辞めようか、いつ辞めようかと思いながら働いています。実際に、相当数の医師がやる気をなくして、病院を離れています。このため、全国各地で産科医療の継続が困難になって国家的な問題になっています。今後、産婦人科医療を再建していくためには、この国の産婦人科医療を提供する体制を根本的に再構築していく必要があります。

北里大学の海野信也教授(日本産科婦人科学会・産婦人科医療提供体制検討委員会委員長)は、最近の御講演の中で、産科医療を再建するための必要条件として以下の8項目を挙げられました。

(1) 分娩取扱病院:半減(1200施設→600施設へ)
(2) 分娩取扱病院勤務の産婦人科医数:倍増(1施設当たり3人→6人へ) 
(3) 女性医師の継続的就労が可能な労働環境の整備
(4) 病院勤務医の待遇改善:収入倍増
(5) 公立・公的病院における分娩料:倍増
(6) 新規産婦人科専攻医:年間500人(現行より180人増)を最低限確保
(7) 助産師国家試験合格者:年間2000人(現行より400人増)
(8) 医療事故・紛争対応システムの整備

上記のどの項目をとってみても、個人や自治体レベルの努力だけではどうにもならないようなことばかりで、達成は非常に困難と考えられます。しかし、現実に産科崩壊の危機に直面している地域が全国的に続出していますので、国レベルの政策によって早急に対応する必要があります。


続・地域の産科機能を次世代に残すために

2008年04月22日 | 地域周産期医療

地域内に多くの産科施設が隣接して存在し、少人数づつに分散した産科医が一人また一人と去っていき、各施設の最後の一人が力尽きた時点で、やむなく産科閉鎖に追い込まれるというような状況が続けば、その地域の産科機能はジリ貧となり、次世代に残すことがだんだん困難となっていきます。

充実した産科医療施設の条件を、『通院までの時間が60分以内、1病院あたり産科医が5~6人在勤』と、福井大・小辻教授が講演で述べられたそうです。基幹病院までのアクセス時間が60分以内の地域を一つの産科医療圏と考え、その産科医療圏の機能を将来的にいかにして維持していくのか?という視点です。

地域の産科機能を次世代に残してゆくためには、長期的ビジョンのもとに地域の産科医療提供体制の再構築を考える必要があり、いずれにせよ、地域住民の理解と協力を得ることが非常に重要だと思います。

****** 毎日新聞、福井、2008年4月21日

医療連携:勝山と大野市、福大病院と締結1年 小辻科長が記念講演 「安心して産科受診を」

 福井社会保険病院(勝山市)が昨年4月から分娩業務を取りやめるなど、深刻な産科医不足に陥っている勝山、大野両市と、福井大医学部付属病院(永平寺町)との医療連携締結1年を記念し、勝山市内で20日、同病院の小辻文和・産科婦人科長が「安心して産婦人科医療を受けられるまちを目指して」のテーマで講演した。

 小辻科長は、充実した産科医療施設の条件を、『通院までの時間が60分以内、1病院あたり産科医が5、6人在勤』と指摘。「付属病院は奥越から約60分の位置にある。日常の検診などは福井社会保険病院で受け、一生のうち数日間だけ付属病院に入院することで、奥越の住民にとって便利で安全な医療の提供ができる」と語った。

(以下略)

(毎日新聞、福井、2008年4月21日)


地域の産科機能を次世代に残すために

2008年04月19日 | 地域周産期医療

これまで地域の産科医療を支えてきた長老の産婦人科の先輩の先生方は、常勤の産婦人科医数がせいぜい2~3人の体制で、身を粉にして長年にわたり頑張ってこられました。

まだ多くの産婦人科医が存在している地域では、従来通りの体制のままでも、この先何年かは持ちこたえることが十分に可能なのかもしれません。

しかし、今、社会情勢は大きく変化しています。産科施設はどんどん減り続けていて、産婦人科医の高齢化も進んでいますし、産婦人科医の中で女性医師の占める割合も増えています。病院の産科診療体制を今後も継続していくためには、常勤の産婦人科医師が少なくとも4~5人は必要な時代になってきました。実際問題としては、5人体制であっても決して十分とは言えません。小児科医や麻酔科医のサポートも絶対に必要です。

ですから、現在の産婦人科医師不足の問題を解決するためには、『各自治体が高額の医師確保対策費を使って、どこかから1人の産婦人科医を調達してくる』というような一時しのぎの対応だけでは全く不十分です。

産婦人科医の総数がすぐには増えそうにない現状においては、当面の緊急避難的な対策として、『全県的な視野で病院を集約化(重点化)し、医師を適正に再配置する』以外には問題は解決しないと思われます。しかも、手遅れになる前に早急に実行に移す必要があります。地域の産科を統合して「最後の砦」である地域基幹施設の産科体制を強化する試みに成功すれば、その地域の産科機能を次世代に残すことができます。

****** Japan Medicine、2008年4月18日

日産婦学会シンポ 「男性医師の産科離れ」は産婦人科医療の危機に 男子医学生の新規専攻増加を狙え!

 「男性医師の産婦人科離れは、産婦人科医療の崩壊を加速させる」-。15日に横浜市で開かれた日本産科婦人科学会のシンポジウムでは、産婦人科専攻者における男子医学生の数的増加が、今後の産婦人科医療の提供体制を確保する上で喫緊の課題になっていることがあらためて問題提起された。近年になって若年世代の女性産婦人科医が著増傾向にある。シンポでは、産婦人科医療のマネジメントの在り方への意識改革を求めるとともに、安定した産婦人科医療の提供を目指す上で、男子医学生へのリクルート戦略がいまや学会の緊急課題だとの意見も相次いだ。また、問題解決には「産婦人科は女性医師で」という固定観念の打破が必要とされた。

(中略)

総合討論 男子医学生のリクルートは国民の協力・支援も不可欠

 総合討論では、フロアから昭和大の岡井崇教授が男子医学生の問題に言及し、「産婦人科の7割を女性医師が占めることが続くと、日本の産科医療はもたない」と問題提起。同教授は、産婦人科は女性医師の活躍の場という意識が強まり、男子医学生が敬遠する動きが加速している危機感を示した。
  ほかの参加者からも、男子医学生が産婦人科を希望しても、その周囲の人たちが、「産婦人科の訴訟問題、厳しい労働環境から他科を選択するよう助言する」ケースも出てきていると報告された。
  特に、医療現場では臨床研修で患者に分娩の立ち会いを依頼すると、「女子学生はいいが、男子学生は遠慮してほしい」との回答が増えている現実もあるとし、「そんな経験をしたら、男子医学生は産婦人科を選択する意思は消えてしまう」としている。
  それだけに参加者からは、男子医学生に対して産婦人科を専攻してもらえるような広報戦略を進めてもらいたいとの意見が強かった。国民への協力要請も重要な視点となる。海野委員長は、学会としても取り組みを進めている段階だとして、理解を求めた。

(Japan Medicine、2008年4月18日)


産婦人科医師不足の対策

2008年04月17日 | 地域周産期医療

私が産婦人科教室に入局した当時(二十数年前)、大学病院の産婦人科の医局員は全員が男性医師で、女性医師は一人もいませんでした。

その後、女性医師がだんだん増えはじめて、現在では、二十代の若い産婦人科医師では男女比が1:2と女性医師の方が圧倒的に多くなってきました。

従って、産婦人科の労働環境を、女性医師が無理なく働き続けられるように改善しない限りは、いつまでたっても産婦人科医師不足の問題は解消しません。

同時に、男性医師や男子医学生が産婦人科を選択しやすい環境を整えることも非常に重要だと思います。

****** OhMyNews、2008年4月16日

産婦人科医師不足は女医対策が急務 「徹底した労働環境改善を」 日本産科婦人科学会でシンポ

軸丸 靖子

 産婦人科医師不足による分娩施設の減少が問題になるなか、医師不足に現場はどう対応し、問題を解消していくかを話し合うシンポジウム「産婦人科医不足の解消を目指して」が15日、第60回日本産科婦人科学会総会(横浜市)で開かれた。訴訟リスクや激務のイメージから、減る一方の産婦人科志望の学生をどう増やすか、また、出産・育児で離職する女性医師をどう現場につなぎとめるかが議論された。

 産婦人科医の男女比は1:2で女性が多く、20代だと70%、30代だと50%を占める。だが、女性医師が出産・育児を経て働けるかというと、週に何度も当直が入る現在の労働環境では続けられない。このためやむなく離職する女性医師が多く、結果として人手不足に陥った病院が分娩の取り扱いをやめるケースが相次いでいる。

 女性医師が求める勤務支援について発言した岡山大学の関典子氏は、同大産婦人科に所属していた、またはしている女性医師で、常勤で働く希望を持っている人は70%近くいるが、実際に常勤で働けている人は8.1%に過ぎないことを紹介。

 勤務体制や家事育児のサポート、家族の理解などの問題を理由に挙げながらも、「多くの女性医師が、『現状の過酷な労働環境では、当直回数を減らしてほしいなどの希望はとても言えない』と、ほかの医師への気兼ねから復帰をあきらめていることが深刻」と指摘。当直明けの休みの確保や、休日夜間の分娩に主治医を呼び出さなくても当直医が対応できる体制、院内保育所の整備など、男性医師にも利点のある労働環境の改善が必要と話した。

(以下略)

(OhMyNews、2008年4月16日)


医師不足、消えぬ現場の悲鳴

2008年04月14日 | 地域周産期医療

産婦人科・小児科の医師不足対策として、今回、産婦人科や小児科の分野で診療報酬がかなり加算されました。しかし、この加算によって得られた収益を実際にどう使うのか?については、各病院の経営陣の判断に任されていますので、ほとんどの場合、病院の赤字補填に使われるだけになりそうです。

横浜で日本産科婦人科学会の総会が開催され、全国から多くの産婦人科医が集まっていますので、この点について何人かの旧知の産婦人科医達の意見を聞いてみました。『交渉しているところなんだけど、今回の診療報酬の改定が産婦人科勤務医の待遇改善には全くつながりそうにない! 病院経営陣は今回の診療報酬改定の趣旨を全く理解してくれない!』 というような不満の声もちらほらと聞かれました。

今回、学会の会場内を一人でぶらぶらと歩いていると、医師の転職を仲介する会社の人から何回も声をかけられました。また、産科医不足で悩んでいる病院の院長や産婦人科部長などが、事務長を引き連れて、破格の採用条件を提示して積極的に勧誘しているような光景もちらほらと見かけました。

****** 産経新聞、2008年4月13日

医師不足、消えぬ現場の悲鳴

(略)

 医師不足に関しても、10、20年といったマクロでみた統計では、確かに厚労省の見通しに間違いはないのかもしれない。だが現場の悲鳴は、「大病院を頼りたがる国民気質」「訴訟リスクのある診療科を避ける医師気質」「過酷な勤務環境」「都市の病院を好む研修医の流れ」といったところに起因している。これらは人口や社会保障費の推移からは見えてこない。

 厚労省がそういった現場の実情を直視し始めたのは、ごく最近のこと。

 18年7月にまとまった報告書で、「医学部定員の暫定的調整」「大病院への患者集中軽減」といった提言を打ち出したのが転機となった。しかし、それとて実現させるにはいくつものハードルがある。

 地域医療問題を研究している東北大の伊藤恒敏教授は「厚労省の政策は付け焼き刃的で、合理性や一貫性がない。厚労省は現場の声を知らなすぎるから、実態と離れた政策が出てくる」と批判する。

 ある厚労省幹部は「現場で起きている問題を細かくとらえて、早くに政策を見直す必要性があったのかもしれない」と漏らす。

 厚労省と医療現場にある隔たりに敏感に反応しているのが、患者である国民や医療関係者らの声を拾っている国会議員たちだ。2月に立ち上がった「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」には超党派で100人を超える議員が名前を連ねた。鈴木寛議連幹事長は「医療の現場からは悲鳴にも似た声が届いている」と話す。

               ◇

 3月末に開かれた議員連盟の会合。厚労省が4月から実施される医療関連政策を説明した。だが、医師不足がどうなるのか、勤務医の労働状況がどう変わるのかといった具体像が見えてこない。

 「勤務医の労働条件をどうするかは、われわれは触ることはできない。今回加算された診療報酬をどう使うかは、病院経営者の判断だ」と厚労省幹部。

 議連の仙谷由人会長代理がこう切って捨てた。「隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がある。病院の現場のことは知らないというのか」

 厚労省側の反論はなかった。

(産経新聞、2008年4月13日)


地域医療崩壊の阻止に向けて(福島・社民党党首の病院視察)

2008年04月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

社民党の福島瑞穂党首、阿部知子政策審議会長ら同党関係者8人が6日~7日にかけて、長野県(飯田、上田市)を訪問し、深刻な医師不足に悩む産科や小児科などの医療現場の実情を視察しました。

飯田市では、4月6日に地域医療をテーマにした市民集会(約二百人参加)が開催され、4月7日に飯田市立病院の医療現場(助産師外来、産科病棟、NICUなど)を視察しました。病院の講堂で、当地域の医療機関や行政などが一体となって取り組んでいる産科医療の地域連携システム(セミオープンシステム)の現状や今後の問題点などについて、パワーポイントでプレゼンテーションをする機会も与えられました。今のところは、現場の踏ん張りによってギリギリで何とかもちこたえているものの、地方自治体や個々の医療機関だけの努力で実施できることにも大きな限界があり、『国政レベルで、地域医療崩壊の阻止に向けて、強力に働きかけていただくように!』と訴えました。

****** 南信州新聞、2008年4月7日

社民党の福島みずほ党首らが飯田市へ

 社民党の福島みずほ党首や阿部知子政審会長らが7日、同党プロジェクトの一環として、飯田市八幡町の飯田市立病院を視察した。福島党首は産婦人科や小児科医療の現状を見聞きし、「国政のレベルで、予算配分など自治体病院をどう応援するか具体的に質問していく」と語った。

(中略)

 視察後は産婦人科科長の山崎輝行医師が、同病院の産科医療について詳しく説明。将来的に見て、地域の開業医と連携する「セミオープンシステム」の維持・継続が困難であること、産科医の増員が不可欠であることを強調した。一方で、助産師が正常妊娠の健診を行う助産師外来では、新しい健診スタイルを模索しているとした。

 福島党首は「医療機関だけで頑張るのは無理で、行政と医療機関が共に包括的に地域医療をどうしていくかという話し合いと努力が、飯田発で行われていることに感銘を受けた。地域医療を応援する仕組みとして紹介するとともに、政治がどう応援できるかやっていきたい」と語った。

(南信州新聞、2008年4月7日)


麻酔科医不足の問題

2008年04月05日 | 地域周産期医療

国立がんセンター・中央病院では、常勤麻酔科医が10人から5人に半減したというのに、手術件数は2割しか減ってないということです。さらに、国立がんセンター・東病院では、全身麻酔を要する手術が年間2400件もあるにもかかわらず、常勤の麻酔科医が4人から1人に減ってしまったとのことです。

麻酔科の先生方の勤務状況はもともと非常に過酷でしたが、常勤医数が減ると勤務状況はますます過酷になってしまいます。常に過酷な業務に追われる常勤医の立場よりも、自分で自分の仕事の量や内容、報酬などを自由に調整できる「フリーランス」の立場を選択する麻酔科の先生方が急増している状況と聞いてます。

常勤麻酔科医のいない病院では、緊急時の対応に大きな支障をきたすため分娩を安全に取り扱えなくなり、産婦人科医引き揚げの最大要因ともなり得ます。

麻酔科医が不足すると、(産婦人科だけではなく)多くの診療科の日常業務に大きな支障が生じ、関係する各科医師の大量離職にもつながりかねません。

****** 朝日新聞、2008年4月3日

国立がんセンターで麻酔医退職相次ぐ 手術も制限

 日本で最大級のがん治療施設である国立がんセンター中央病院(東京都中央区、土屋了介院長)で、常勤の麻酔医10人のうち、5人が昨年末から今年3月にかけて相次いで退職し、手術件数を2割減らす事態に陥っている。全国的な麻酔医不足の波に、がん医療の先端を担う中核病院ものみ込まれたかっこうだ。

 中央病院は、1日当たり約20件だった手術を、3月から15件に減らした。院内に張り紙で手術件数の制限について患者に周知。「(手術を)特に急ぐ必要のある方には都内、あるいは自宅の地域の病院を紹介します」と理解を呼びかけている。

(中略)

 日本麻酔科学会が05年にまとめた提言では、全国にある1万の病院のうち4千施設が全身麻酔を実施。だが、麻酔医が所属する同学会員が常勤している施設は約2千にとどまっており、手術の安全が懸念されると指摘している。

 全身麻酔による手術件数は年々増えているほか、がん患者らの痛みをコントロールする緩和ケアやペインクリニックも広がっている。手術以外での麻酔医の需要も不足に拍車をかけているとみられる。

(朝日新聞、2008年4月3日)


常に緊張、過酷な勤務 産婦人科医・近藤さんの1日に密着 (朝日新聞)

2008年04月01日 | 地域周産期医療

この新聞記事に書いてあるような過酷な労働環境であれば、よほどの根性のあるスーパー医師でもない限りは、とても長続きする筈がありません。それほど無理をしなくても勤務を続けていけるような労働環境に変えていかないと、産科医が減少し続ける今の大きな流れは決して止められないと思います。

****** 朝日新聞、長野、2008年3月27日

常に緊張、過酷な勤務 

産婦人科医・近藤さんの1日に密着

 出産の扱いを取りやめたり、縮小・廃止が相次いだりする産婦人科。医師不足が深刻な背景には、緊急の出産に常に備えなくてはならない過酷な労働環境や、訴訟リスクの高まりなどが指摘されている。産婦人科医の勤務は、どれだけ過酷なのか。ある1日に密着してみた。【長谷川美怜】

出産・腫瘍…手術の連続

 「ンギャア、ンギャア」--。スピーカーから流れる心拍数の音とクラシック音楽のBGM。それをかき消すように、産声が手術室に響いた。

 午後1時38分。薄灰色の膜で覆われた小さな体を、産婦人科部長の男性医師が母親のおなかから取り上げた。「おめでとうございます」。近藤沙織医師(29)や看護師らの声が重なる。ぼうぜんとする母親のほおに、一筋の涙が流れた。

 この帝王切開は、午後1時からの麻酔の処置で始まった。手術室の気温は25度。看護師らを含む約10人が手術台の女性を囲む。おなかに黄色い消毒液を塗ったあと、午後1時半に執刀開始。「メス」、「クーパー」と声を出しながら、近藤医師が徐々に母親のおなかを開いていった。子宮を開け、吸引器で羊水を吸い取る音が響く。

 執刀開始から10分弱で赤ちゃんが誕生。その後おなかを縫い合わせる処置などがあり、傷口をホチキスのようなもので止めてすべて終了したのは午後3時前だった。

 休む間もなく、今度は午後3時40分から卵巣腫瘍(しゅよう)の摘出手術。午後6時過ぎに無事終了した。手術の間は立ちっぱなしで常に緊張状態が続く。近藤医師は「集中していれば、あっという間に過ぎてしまいます」と疲れを見せないが、もう1件手術が控えている。

 「実は次の手術が一番緊張しています」。午前中に診察した、合併症のある流産患者の子宮内部をきれいにする手術だ。心配そうな面持ちの患者と付き添いの母親を前に、緊張はますます高まる。診察室で午後7時に開始して約20分後。診察室から出てきた近藤医師は「成功しました。よかったー」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。この日の手術はこれですべて終了した。

睡眠4時間、長時間勤務

 当直明けだった近藤医師。前日は午前3時半に就寝し、起床は午前7時半。睡眠時間は約4時間だ。勤務開始は午前8時半。入院患者約30人全員のカルテを病棟のパソコンの画面上でチェックすることから始めた。「夜間に呼び出しはありませんでしたが、本当に何もなかったかをチェックします」

 その後、外来病棟へ移動。この日は外来担当日ではなかったが、それだけでは足りず、毎日数人の患者を診ている。この日は80代女性と30代女性の2人を外来で診た。

 30代女性は妊娠約40週。超音波診断のモニターを見ながら「へその緒が首に巻き付いてます」と伝えると、女性の顔色が変わった。「大丈夫ですか。初めて言われたので」。「大丈夫です。普通に分娩(ぶんべん)できますよ」。笑顔で話し、患者の不安を取り除く。

 診察の合間に時間が空いたら、分娩報告書や保険の診断書の記入などをこなす。この日は昼食直前の1時間弱、十数枚の書類を書いた。「決まりきったものは事務の人がやってくれたら楽なんですが」と本音をもらす。その後、昼食は職員食堂で約15分で済ませた。

 勤務開始から約11時間後の午後7時45分。この夜当直の部長に入院患者の病状などの引き継ぎ、最後に医局に戻って翌日の予定を確認。これでやっと勤務終了だ。「予定外の分娩もなく、落ち着いて仕事ができた日でした」と振り返った。

家庭や職場に復帰する女性の姿見るのが幸せ やりがい、将来に不安も

 近藤医師が産婦人科医として勤務しているのは、松本市の相澤病院。病床数500弱、常勤医100人以上抱える県内でも大規模な病院だ。二次救急指定病院でもあり、県から産婦人科や小児科医の「連携病院」に指定されるなど、地域医療を支えている。

 近藤医師は東御市出身。上田高校卒業後、信州大学医学部へ進学。小学6年のとき、母親が亡くなったのをきっかけに、医者を志すようになったという。

 国家試験に合格後、03年4月に信大医学部の産婦人科医局に入局。実際に働き始めてからは想像以上の勤務の過酷さに驚くばかりだった。毎日午前0時まで働き、週2回は当直。体力的にも精神的にも限界に近かったと振り返る。

 06年10月、医局人事で相澤病院に異動した。近藤さんを含む常勤医2人は週3回当直を担当している。休みは当直明けの日曜日午後だけ。当直以外の日でも、緊急手術が必要なときに備えて、30分以内に病院に行けるようにしている。

 これまでの約1年半で長期休みはなかった。昨年の夏休みは土日月の3日間だけ。年末年始は30、31日だけ休めた。それでも、「こちらはかなり待遇は良い」と話す。無料の朝食も充実、当直室はシャワーやテレビもあり、さながらビジネスホテルの一室のようだ。

 結婚9年になる夫は予備校講師として働いている。同居しているのに、会えるのは週3回。早く帰れるときはなるべく料理を作り、「普段の愛情不足をカバーするように努めています」。来年以降、状況を見ながら子どももほしいと思う。育児が落ち着いたら復帰したいが、「フルタイムで働くのは無理かな」。

 昨今の産婦人科医不足について、「辞めていく人が多いのもわかる」と話す。50歳近くになって、この生活を続けられる自信はない。しかし今は、「病気を治したり出産したりして、家庭や職場に復帰する女性たちの姿を見るのが幸せなんです」。必要とされる状況にやりがいを感じ、過酷な勤務をこなす日々だ。

(中略)

献身的労働を実感 医師増員など急務 取材後記・長谷川美怜

 これではとても耐えられないだろう。取材を終えてみて、正直ショックを受けた。

 朝から文字通り息つく暇もなく動き回る。ちょっとした空き時間も無駄にできないほど仕事量が多い。ミスをしたら命にかかわるかもしれない緊張に常にさらされ、精神的な負担も大きい。

 それでも、近藤医師は常に笑顔で明るく患者に振る舞っていた。今の産婦人科が、医師たちの超人的で献身的な労働によって何とか保たれていることを実感させられた。

 医師増員など、抜本的な改革が急務だと思った。

(以下略)

(朝日新聞、2008年3月27日)