この新聞記事に書いてあるような過酷な労働環境であれば、よほどの根性のあるスーパー医師でもない限りは、とても長続きする筈がありません。それほど無理をしなくても勤務を続けていけるような労働環境に変えていかないと、産科医が減少し続ける今の大きな流れは決して止められないと思います。
****** 朝日新聞、長野、2008年3月27日
常に緊張、過酷な勤務
産婦人科医・近藤さんの1日に密着
出産の扱いを取りやめたり、縮小・廃止が相次いだりする産婦人科。医師不足が深刻な背景には、緊急の出産に常に備えなくてはならない過酷な労働環境や、訴訟リスクの高まりなどが指摘されている。産婦人科医の勤務は、どれだけ過酷なのか。ある1日に密着してみた。【長谷川美怜】
出産・腫瘍…手術の連続
「ンギャア、ンギャア」--。スピーカーから流れる心拍数の音とクラシック音楽のBGM。それをかき消すように、産声が手術室に響いた。
午後1時38分。薄灰色の膜で覆われた小さな体を、産婦人科部長の男性医師が母親のおなかから取り上げた。「おめでとうございます」。近藤沙織医師(29)や看護師らの声が重なる。ぼうぜんとする母親のほおに、一筋の涙が流れた。
この帝王切開は、午後1時からの麻酔の処置で始まった。手術室の気温は25度。看護師らを含む約10人が手術台の女性を囲む。おなかに黄色い消毒液を塗ったあと、午後1時半に執刀開始。「メス」、「クーパー」と声を出しながら、近藤医師が徐々に母親のおなかを開いていった。子宮を開け、吸引器で羊水を吸い取る音が響く。
執刀開始から10分弱で赤ちゃんが誕生。その後おなかを縫い合わせる処置などがあり、傷口をホチキスのようなもので止めてすべて終了したのは午後3時前だった。
休む間もなく、今度は午後3時40分から卵巣腫瘍(しゅよう)の摘出手術。午後6時過ぎに無事終了した。手術の間は立ちっぱなしで常に緊張状態が続く。近藤医師は「集中していれば、あっという間に過ぎてしまいます」と疲れを見せないが、もう1件手術が控えている。
「実は次の手術が一番緊張しています」。午前中に診察した、合併症のある流産患者の子宮内部をきれいにする手術だ。心配そうな面持ちの患者と付き添いの母親を前に、緊張はますます高まる。診察室で午後7時に開始して約20分後。診察室から出てきた近藤医師は「成功しました。よかったー」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。この日の手術はこれですべて終了した。
睡眠4時間、長時間勤務
当直明けだった近藤医師。前日は午前3時半に就寝し、起床は午前7時半。睡眠時間は約4時間だ。勤務開始は午前8時半。入院患者約30人全員のカルテを病棟のパソコンの画面上でチェックすることから始めた。「夜間に呼び出しはありませんでしたが、本当に何もなかったかをチェックします」
その後、外来病棟へ移動。この日は外来担当日ではなかったが、それだけでは足りず、毎日数人の患者を診ている。この日は80代女性と30代女性の2人を外来で診た。
30代女性は妊娠約40週。超音波診断のモニターを見ながら「へその緒が首に巻き付いてます」と伝えると、女性の顔色が変わった。「大丈夫ですか。初めて言われたので」。「大丈夫です。普通に分娩(ぶんべん)できますよ」。笑顔で話し、患者の不安を取り除く。
診察の合間に時間が空いたら、分娩報告書や保険の診断書の記入などをこなす。この日は昼食直前の1時間弱、十数枚の書類を書いた。「決まりきったものは事務の人がやってくれたら楽なんですが」と本音をもらす。その後、昼食は職員食堂で約15分で済ませた。
勤務開始から約11時間後の午後7時45分。この夜当直の部長に入院患者の病状などの引き継ぎ、最後に医局に戻って翌日の予定を確認。これでやっと勤務終了だ。「予定外の分娩もなく、落ち着いて仕事ができた日でした」と振り返った。
家庭や職場に復帰する女性の姿見るのが幸せ やりがい、将来に不安も
近藤医師が産婦人科医として勤務しているのは、松本市の相澤病院。病床数500弱、常勤医100人以上抱える県内でも大規模な病院だ。二次救急指定病院でもあり、県から産婦人科や小児科医の「連携病院」に指定されるなど、地域医療を支えている。
近藤医師は東御市出身。上田高校卒業後、信州大学医学部へ進学。小学6年のとき、母親が亡くなったのをきっかけに、医者を志すようになったという。
国家試験に合格後、03年4月に信大医学部の産婦人科医局に入局。実際に働き始めてからは想像以上の勤務の過酷さに驚くばかりだった。毎日午前0時まで働き、週2回は当直。体力的にも精神的にも限界に近かったと振り返る。
06年10月、医局人事で相澤病院に異動した。近藤さんを含む常勤医2人は週3回当直を担当している。休みは当直明けの日曜日午後だけ。当直以外の日でも、緊急手術が必要なときに備えて、30分以内に病院に行けるようにしている。
これまでの約1年半で長期休みはなかった。昨年の夏休みは土日月の3日間だけ。年末年始は30、31日だけ休めた。それでも、「こちらはかなり待遇は良い」と話す。無料の朝食も充実、当直室はシャワーやテレビもあり、さながらビジネスホテルの一室のようだ。
結婚9年になる夫は予備校講師として働いている。同居しているのに、会えるのは週3回。早く帰れるときはなるべく料理を作り、「普段の愛情不足をカバーするように努めています」。来年以降、状況を見ながら子どももほしいと思う。育児が落ち着いたら復帰したいが、「フルタイムで働くのは無理かな」。
昨今の産婦人科医不足について、「辞めていく人が多いのもわかる」と話す。50歳近くになって、この生活を続けられる自信はない。しかし今は、「病気を治したり出産したりして、家庭や職場に復帰する女性たちの姿を見るのが幸せなんです」。必要とされる状況にやりがいを感じ、過酷な勤務をこなす日々だ。
(中略)
献身的労働を実感 医師増員など急務 取材後記・長谷川美怜
これではとても耐えられないだろう。取材を終えてみて、正直ショックを受けた。
朝から文字通り息つく暇もなく動き回る。ちょっとした空き時間も無駄にできないほど仕事量が多い。ミスをしたら命にかかわるかもしれない緊張に常にさらされ、精神的な負担も大きい。
それでも、近藤医師は常に笑顔で明るく患者に振る舞っていた。今の産婦人科が、医師たちの超人的で献身的な労働によって何とか保たれていることを実感させられた。
医師増員など、抜本的な改革が急務だと思った。
(以下略)
(朝日新聞、2008年3月27日)