ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

第一回公判について(07/1/30)

2007年01月31日 | 大野病院事件

福島県立大野病院事件・初公判の報道

県立大野病院事件、初公判の翌日の報道

*** 周産期医療の崩壊をくい止める会より引用

県立大野病院事件 第一回公判内容 
(2007/1/30更新)

文責 佐藤 章

 平成19年1月26日(金)、福島地方裁判所第一法廷において、県立大野病院事件の第1回公判が開催されました。

 当日、傍聴者が多数集まることが予想され、9時15分まで所定の場所に集合した傍聴希望者に対し抽選(26名傍聴)を行うこととなりました。この事件の関心度の高いことから、349名が集まり、倍率は13.4倍となりました。我々もこれを予想して、22名並びましたが、残念ながら抽選にはずれ、私は傍聴できませんでした。従って、以下は弁護士の先生方ならびに傍聴した人達の話から公判内容を記載いたします。

第1回公判 平成19年1月26日(金)午前10時開廷

1.人定質問

 裁判官が被告人(加藤医師)に対し、生年月日、本籍、現住所、職業を尋ね、これに答えた。

2.検察側から起訴状の朗読

 起訴の内容は、①業務上過失致死、②医師法違反(異状死体の届出義務違反)でありますが、主旨は「癒着胎盤と診断した時点で胎盤を子宮から剥離することを中止して、子宮摘出すべきであったのに、クーパーを使用して漫然と胎盤を剥離したため、大量出血となり患者が失血死した。また、胎盤を無理に剥離すると大量出血する可能性があることを認識していたのに、その行為を行ったのは業務上過失である」「また、異状死であるにもかかわらず病院長に異状死でないと報告し、自分でも警察に届出をしなかった」ということです。

3.次に裁判長による黙秘権の通知

 裁判長が被告人に「自分の意思に反して供述をする必要がない場合、黙秘権があること」「法廷で供述したことは全て証拠とされるので、そのことを良く認識して供述する」旨が告げられた。

4.被告人の罪状認否

 次に加藤医師は大野病院において平成16年12月17日午後2時26分ころから、執刀医として帝王切開手術をした事実。右手指を胎盤と子宮の間に差し入れた。胎盤を用手剥離しようとしたこと、胎盤の剥離をはじめ、途中で胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行しなかったこと、午後7時1分ころ、患者さんが死亡したこと。また、患者さんの死体を診断したこと、24時間以内に所轄警察署に届出をしなかった事実を認めたが、それ以外はすべて否認した。

5.弁護人認否

 次いで弁護団は、公訴事実第1の予見義務、検察官の設定する注意義務について、因果関係(死亡原因が失血死であると考えられていたが、事件後手術経過を分析・調査した結果、本件の死亡原因は、たとえば羊水塞栓症などである可能性があること)は、被告人の行為と死亡との間にない可能性があること、公訴事実第2については、医師法21条は「異状」の範囲が曖昧かつ不明確であり、罪刑法定主義および明確性の原則を保障する憲法31条に反し違憲であること、「異状」死にあたらないことを述べ、不幸にしてお亡くなりになった患者さんのご冥福を心よりお祈り申し上げ、この法廷で本件の真相が究明されることを願い、結語として、被告人は公訴事実第1および第2とも無罪であることを主張しました。

6.検察側の冒頭陳述

 モニター大画面を使用して、学会の発表のようにプレゼンテーションを行った。内容は、被告人および被害者の身上、前置胎盤と癒着胎盤の説明、とくに癒着胎盤は大量出血の危険性が高く、母体死亡の可能性があること、帝王切開既往があり子宮前壁に付着する前置胎盤は約24%の高率で癒着胎盤があること(本件は前壁にも胎盤があったが、そこは癒着胎盤はなく、後壁の一部が癒着胎盤であった)、癒着胎盤は用手的に剥離できないと診断された時は無理に剥離した場合には大出血の可能性があるので子宮を摘出する必要があることを強調、次いで、本件の手術前から患者さんの死亡までの経過を述べ、とくに胎盤剥離の際、指で剥離していったところ途中で指が入らない部分があり、その時点で子宮摘出にすべきところ、クーパー(これを画面に提示)を使って剥離し、そのため、大出血になったと説明した。また、大出血を起こしていた最中に、院長が双葉厚生病院の産婦人科や大野病院の他の外科医の応援を打診したものの、被告人がこれを断ったことも陳述した。

7.弁護側冒頭陳述

 次いで、弁護側の冒頭陳述に移った。弁護団6人が、各々の部分で冒頭陳述を行った。内容は、被告人の身上経歴、事実経過(本件患者について、術中経過など)、医師法21条、本件刑事裁判が問いかけるものについて、陳述を行った。

 この陳述中、弁護人の提出する教科書や専門家の鑑定書等本件事案の解明に不可欠な証拠の取調べについて、不同意としている点、更に検察官自ら作成した検察官調書記載の中に、被告人に有利な記載内容があることから、この部分を削除して証拠請求するという、証拠調べ請求に対する検察官の不適当な対応を指摘し、「前代未聞の措置を講じている」と発言したのに対し、検察側がこれに強く反論し、裁判官との話し合いの結果「前代未聞・・・」の発言を削除し、陳述がつづけられた。また問題の胎盤の剥離について、被告人が胎盤の剥離を継続したのは、子宮収縮を促すことで、胎盤剥離中に生じた出血を止めることと、止血措置を行うためであったこと、この処置は病理鑑定などの後に判明した事実で、癒着の程度が軽かったこと、クーパーの使用は子宮と胎盤の構造からして、母体からの大出血を招く行為ではないこと、止血のためには胎盤の剥離が不可欠であったこと、医学文献等においてもクーパー等による剥離の継続は認められることから、極めて適切な処置を行ったと主張した。

 医師法第21条違反については、前述した如く、憲法第31条違反による医師法第21条の違憲無効を主張し、さらに医師法第21条に関する被告人の行為について、患者さんが亡くなった後出血性ショックによる死亡と判断し、その後院長室において麻酔医と共に院長に対し、子宮収縮による止血を図るために胎盤を剥離したが出血が止まらず失血性ショックにより死亡したこと、できるだけのことは精一杯やったが結果として本件患者さんが亡くなったことを報告し、院長から過誤はなかったのかと聞かれ被告人及び麻酔医は過誤がなかったと応えると、院長は医師法第21条の届出はしないでいいという判断を述べたこと、なお、県立大野病院には病院内のマニュアルがあり、そこでは医療過誤があった場合に届出をすべきこと、届出は検案した医師ではなく院長が届出をすることが規定されていることも述べた。

 次いで、「本件刑事裁判が問いかけるもの」のところで、弁護側は胎盤病理と子宮病理を専門としない病理医の鑑定、本件の医学鑑定を行った医師は、周産期の専門家(医)ではなく、腫瘍の分野の第一人者であるが、周産期医療の分野における判断には疑問があること、自然科学の分野の高度に専門的な判断に過失があるかないか判断するとき、その分野の専門家でない検察官も裁判所も、もちろんわれわれ弁護人も、正しい基礎的な医学知識を臨床現場での様々な医療技術を謙虚かつ真摯に学び、その上で被告人の行った医療行為を法的にどのように評価すべきか、吟味・検討しなければならず、これは司法に対する国民の要請でもあると陳述した。この頃検察側より「異議あり」の発言があり、「弁護人の陳述は本件と全く関係ない事柄で陳述の停止をもとめる」と発言し、弁護団と検察側と裁判官とのやり取りがあったが、以後の陳述が許可され、全国各地の医師会、産科婦人科学会、産婦人科医会からの本件に対する様々な疑問、抗議の声があること、本件による地域医療の影響についても陳述し、この裁判を通じて少しでも不幸な医療事故を起こさないために役立つものでなければならないこと、1人の医師を犯罪者として糾弾しただけで終わらせないこと、そのため専門領域にしている数多の専門医や関係者の知見を通して本件事件に向き合うことが、この裁判の責務であることを述べ、そのため弁護人は被告人の無罪を立証するとして陳述を終えた。

 以上の如く、第1回の公判の午前の部は、12時終了予定のところ、午後1時ちょっと前に終了し、午後の部は午後2時からとなった。

午後の部

8.午後2時から午後3時40分までの公判内容

 午後2時から午後3時40分までの間は、検察官が取調請求し、弁護人が取調に同意した書証および物証についてこれを取調べる手続が行われました。書証については、その要旨の説明・朗読が行われ、物証については、その展示が行われました。今回取り調べられた主な書証は、医学文献、関係者の供述調書、患者遺族の供述調書等です。また、物証は入院カルテ、手術の際に使用されたクーパー等でした。

 午後3時40分で第1回公判は終了し、傍聴人は退席し、非公開で「期日間整理手続き」を行いました。これは後述しますが、公判前に、「公判前整理」ということで過去6回行われましたが、最終的に結論がでず、引き続き話し合いが行われたということです。公判が始まったので、「公判前整理」という言葉ではなく「期日間整理」というのだそうです。これが午後4時40分頃までありました。

9.期日間整理(非公開、争点と証拠の整理をする手続)

①前回期日に検察官が取調請求をした証拠について、弁護人が同意・不同意の意見を述べました。検察官が自らの不利な部分のみをマスキングして提出した検察官調書について、弁護人がこれを検察官の真実義務に反するとして強く弾劾したところ、裁判官も検察官に対し、証拠の提出方法について再考を促しました。

②検察官の新たな医学文献の証拠調べ請求

 検察官から今回新たに医学文献の提出がありました。弁護人は検察官が弁護人の提出した医学文献に同意しない以上、弁護人も今回検察官が提出の証拠に同意できないとしました。

③弁護人は弁護側の証人を申請しようとしましたが、検察官が書証の大部分を不同意としたため、人証申請が必要な範囲が定まらず、次回期日に見送りせざるを得ませんでした。

④次回期日において、二人の医師(福島県立大野病院近くの双葉厚生病院産婦人科医、当日手術を手伝った外科医)の取調べを行うことを確認しました。検察官が申請した証人ですが、検察官は自ら証人を同行させるのではなく、裁判所から呼出をしてほしいとしました。

(注)期日間整理手続きとは、

刑事訴訟法316条の28第1項

 裁判所は、審理の経過にかんがみ必要と認めるときは、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴いて、第一回公判期日後に、決定で、事件の争点及び証拠を整理するための公判準備として、事件を期日間整理手続に付することができる。

10.閉廷後の記者会見

 閉廷後、弁護団は福島地方裁判所の近くの市民会館において記者会見を行いました。今回は加藤医師も参加し記者会見を行いました。当然の如く、質問は、加藤医師に対する質問が殆どでありました。加藤医師は公判の冒頭のところで、「患者さんを亡くし、残念で忸怩たる思いです。亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りします。どうかご理解ください」と話したことと同様なことを記者会見でも述べ、「ミスをしたという認識はなく、正しい医療行為をしたと思っていること、切迫した状況で精一杯やった」と述べた。また、全国から寄せられた支援に対し、心強く思っており感謝している旨の発言もあった。一方、福島地検側は公判終了後、新聞報道であるが次のように発表した。

「我々としても医療関係者が日夜困難な症例に取り組まれていることは十分認識している。しかし、今回の事件は、医師に課せられた最低限の注意義務を怠ったもので、被告(原文ママ)の刑事責任を問わねばならないと判断した」とする異例のコメントを発表した(新聞報道)。

 以上が、1月26日(金)の第1回公判と記者会見の様子を記載しましたが、個人的な意見ですが、検察側は、我々弁護団が提出した、一般的教科書や論文を証拠として提出しても殆ど不同意としていること(今後これが重要なポイントとなる)、公判後発表したコメントの中に、「今回の事件は医師に課せられた最低限の注意義務を怠った」としているが、癒着胎盤という稀な疾患で、予見することが非常に困難な疾患であることを考慮に入れていない、医学的知識不足の発言、また、公判の起訴状朗読の際、「臍帯」(サイタイ、と通常いう、セイタイでも誤りではないが)を、堂々と「ジンタイ」と読んで弁護団より注意されたことも考慮にいれると、検察側はもっと医学的に勉強していただきたいと強く思った次第でありました。

 患者さん側も、この裁判で、患者さんの死の真相を明らかにしてくれといっているのですので、我々も同様であり、医学的に解明してもらうためにも、教科書、参考書、論文等の証拠の提出を検察側には同意してもらいたいと思うと同時に、裁判官も医学的にこの事件について追究して判断してもらいたいと強く思いました。

(以上、周産期医療の崩壊をくい止める会より引用)


加藤先生の初公判後のインタビュー記事

2007年01月29日 | 大野病院事件

コメント(私見):

子持ちししゃも様のコメントからの情報で、加藤先生のインタービュー記事がネット上に掲載されてました。

気力体力とも人生で一番充実している39歳の医師が、長期間にわたり臨床の現場から離れざるを得ない状況に置かれ、本当につらい日々だと思います。これは、地域にとっても、本当に大きな損失だと思います。

思えば、私も同じ年齢の頃は、加藤先生と同様に僻地の一人医長でした。毎日毎日、外科や泌尿器科などの病院の同僚の先生方に手術の助手をお願いして緊急手術で明け暮れていました。忙しすぎて1週間以上にわたって1度も帰宅できず、自宅を守る家内から、「生きてる?」という電話がかかってきたこともありました。今回の裁判は他人事とは思えません。

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トラックバック:速報 大野病院初公判傍聴記 (紫色の顔の友達を助けたい)


県立大野病院事件、初公判の翌日の報道

2007年01月28日 | 報道記事

検察側と弁護側の冒頭陳述の要旨が、以下の朝日新聞(福島)の記事に記載されていました。

私自身、一人医長の時期にも、前置胎盤の帝王切開を非常に多く産婦人科医一人で執刀しました。当科でも、前置胎盤の帝王切開は月に1~2回の頻度であり、いちいち高次病院に紹介していたらきりがなく、前置胎盤という理由だけで高次病院に患者を搬送したことは今まで1例もありません。

手術前に1000mlの血液を準備し、外科医の助手がいて、麻酔科医が麻酔を担当してくれていたわけですから、たった一人で手術をしたわけでもなく、手術の態勢として特に不十分ではなかったと思います。外科医が助手であれば、産婦人科医の助手よりもよほど頼りになりますし、手術中の全身管理は麻酔科医の責任です。

また、手術中に胎盤の剥離をいったん始めてしまえば、剥離面からの出血量がどんどん増してくるので、剥離の途中で作業を中止するというのは現実的ではありません。すでに胎盤が半分剥離できた状況であれば、そのまま剥離を進めるのが普通です。胎盤を子宮内に残したままの状態で子宮を摘出するのは困難ですし、手術時間が長引けば出血量も増すので、もしも、自分であっても、全く同じ判断をしたと思います。実際に胎盤は10分程度で剥離できたわけですから、その判断は結果として正しかったと思われます。

胎盤の剥離後に子宮摘出も無事に完遂しているわけですから、産婦人科医として通常やるべきことはちゃんとやっていると考えられます。

検察側の鑑定を誰がしているのかは知りませんが、婦人科腫瘍の専門家とのことで、全くの専門外の医師による鑑定ということになり、その鑑定結果は全く意味がないと思います。癒着胎盤の症例の経験が一度もない可能性も十分にあり得ます。鑑定を依頼するのであれば、ちゃんと周産期医学の専門家に依頼しなければ、まったくの素人の感想を聞いているのと何ら変わりがなく、鑑定の意味が全くないと思われます。

また、検察のいうところの専門書とは、『STEP』という学生がよく持っている医師国家試験対策本のことを言っている(という噂もあります)が、『STEP』は国試対策として、産婦人科について何も知らない学生が、試験直前に最低限の試験用の知識として一夜漬けで丸暗記するための学習参考書で、専門書とは到底言いがたい本です。国試に合格して医師になったら誰も見ません。そういう本が存在するということも、この事件の報道で初めて知りました。『STEP』が証拠として採用されて、臨床医が読んでいるちゃんとした専門書や文献が証拠として採用されなかったとすれば、非常に由々しき事態だと思われます。(追記:検察側が証拠とした産婦人科テキストが『STEP』らしいというのは、あくまでネット上の噂であり、確認したわけではないです。)

【以上、当ブログ管理人の私見】

****** 朝日新聞、2007年1月27日

県立大野病院事件

-検察側の冒頭陳述(要旨)-

 被告は検査の結果、被害者の胎盤は子宮口を覆う全前置胎盤で子宮の前壁から後壁にかけて付着し、第1子出産時の帝王切開のきず跡に及んでいるため癒着の可能性が高いと診断した。無理にはがすと大量出血のリスクがあることは所持する専門書に記載してある。

 県立大野病院は、高度の医療を提供できる医療機関の指定を受けておらず、輸血の確保も物理的に難しいため、過去に受診した前置胎盤患者は設備の充実した他病院に転院させてきた。

 だが、被告は、助産師が「手術は大野病院でしない方がいいのでは」と助言したが、聞き入れなかった。助産師は他の産婦人科医の応援も打診したが、「問題が起きれば双葉厚生病院の医師に来てもらう」と答えた。先輩医師に大量出血した前置胎盤のケースを聴かされ、応援医師の派遣を打診されたが断った。

 被告は麻酔科医に「帝王切開の傷跡に胎盤がかかっているため胎盤が深く食い込んでいるようなら子宮を全摘する」と説明。被害者と夫には子宮摘出の同意を得た。「何かあったら双葉厚生病院の先生を呼ぶ」と説明。この医師には手術当日に電話で「帝王切開の傷に胎盤の一部がかかっている可能性があるので異常があれば午後3時ごろ連絡がいく」と話した。

 被告は手術中、胎盤がとれないため、子宮内壁と胎盤の間に右手指3本を差し入れて剥離(はくり)を始めたが、途中から指が1本も入らなくなった。このため「指より細いクーパーならすき間に差し込むことができるのでは」などと安易に考え、追加血液の要請をしないまま、クーパーを使用した。

 約10分で剥離し終えたが、使用開始から子宮の広範囲でわき出るような出血が始まり、2千ミリリットルだった総出血量は剥離後15分後には7675ミリリットルに。完全に止血できず、子宮摘出を決意したが、血液が足りず血液製剤の到着を待った。その後約1時間で総出血量は1万2085ミリリットルに達した。

 心配した院長が双葉厚生病院の産婦人科医や大野病院の他の外科医の応援を打診したが、被告は断った。被害者が失血死した後、被告は、顔を合わせた院長に「やっちゃった」、助産師には「最悪」などと述べた。

 被告は胎盤剥離でクーパーを使った例を聴いたことがなく、使用は不適切ではと感じたが、「ミスはなかった」と院長に報告し、届け出もしなかった。病理鑑定では、被害者の胎盤は、絨毛(じゅうもう)が子宮筋層まで食い込んだ重度の癒着胎盤。クーパー使用の結果、肉眼でわかる凹凸が生じ、断片にはちぎれたような跡ができていた。

-弁護士側の冒頭陳述(要旨)-

  本件は薬の種類を間違えたり、医療器具を胎内に残したりといった明白な医療過誤事件と異なる。臨床現場の医師が現場の状況に即して判断して最良と信じる処置を行うしかないのであり、結果から是非を判断はできない。

 検察側の証拠は、(1)胎盤の癒着や程度が争点なのに「胎盤病理」や「周産期医療」の専門家ではなく「一般病理」や「婦人科腫瘍(しゅよう)」の専門家の供述や鑑定に基づいている(2)困難な疾患をもつ患者への施術の是非が問題なのに、専門家の鑑定書や解明に不可欠な弁護側証拠を「不同意」としている(3)検察官調書の一部から被告人に有利な記載部分を削除して証拠請求している――など、問題が多い。

 被告人は過去に1200件の出産を扱い、うち200件が帝王切開。04年7月には全前置胎盤の帝王切開手術も無事終えている。

 本件は、超音波診断などで子宮の後壁に付着した全前置胎盤と診断。患者が「もう1人子供が欲しい」と答えたため、被告は子宮温存を希望していると理解しカルテに記入した。前回の帝王切開の傷跡に胎盤がかかっていたら癒着の可能性が高まるため、慎重に検査した結果、子宮の後壁付着がメーンと考えた。

 被告は子宮マッサージをしながら、手で、三本の指を使い分けつつ胎盤剥離を進めた。半分程度はがした時点ではがれにくくなった。剥離面からにじみ出るような出血が続いていたが、剥離すれば通常、子宮が収縮し、子宮の血管も縮んで止血されるため、胎盤剥離を優先した。

 子宮の母体の動脈と胎盤内の血管とは直接つながっていないため、胎盤をはいでも母体の血管は傷つかない。むしろ胎盤を早く取り去ることを重視し、先の丸いクーパーを使用した。

 子宮は血流が豊富で、前置胎盤だとさらに下膨れしている。このため胎盤を剥離せず子宮動脈を止血するのは大変困難で、クーパーの使用は妥当な医療行為だ。

 剥離後、子宮収縮剤を打っても収縮しなかったため、あらゆる方法で止血措置を行い、血圧の安定と血液の到着を待って子宮摘出した。無事、摘出し、安心した時点で突然、心室細動がおき、蘇生術をしたが亡くなったもので、胎盤剥離の継続と死亡とは因果関係を認めがたい。

 医師法21条はそもそも黙秘権の放棄を医師に迫るもので違憲。大野病院のマニュアルでは、院長に届け出義務を課しており、医師は院長の判断に従ったのみだ。

 なお病理鑑定では、癒着の程度は最も深い部分でも子宮筋層の5分の1程度と浅い癒着だった。

(朝日新聞、2007年1月27日)

他のネット上の報道記事も、以下に引用させていただきます。

****** 毎日新聞、2007年1月27日

大野病院医療事故:真っ向から主張対立 産科医被告「捜査に釈然とせず」

 ◇地裁初公判

 県立大野病院での帝王切開手術中に女性が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた加藤克彦被告(39)に対する初公判が26日、福島地裁であり、検察側と弁護側の主張は真っ向から対立した。検察側は加藤被告が子宮から胎盤をはく離する際、手術用はさみを使った症例を聞いたことがなかったことなどを明らかにした。

 検察側は冒頭陳述で、加藤被告が「手ではく離できない場合にはく離を継続しても大量出血しない場合もあり得るだろう」「指より細いクーパー(手術用はさみ)なら胎盤との間に差し込むことができるだろう」と考えていたと指摘。女性の死亡後、院長らに「やっちゃった」「最悪」などと話したと言及した。

 弁護側は、「医学文献で手術用はさみのはく離は効果的だとされている」と主張。開腹後も超音波で癒着胎盤の可能性を調べ、慎重だったとした。死亡との因果関係は、出血性ショックのほかにもさまざまな原因が考えられると指摘した。

 加藤被告は退廷後、「ミスはしていない」と話し、捜査に対しては「逮捕の前から釈然としないものがある」と述べた。【町田徳丈、松本惇】

 ◇1人医長体制で再開メド立たず--病院の対応に不満

 「1人の医師として患者が死亡したのは大変残念」。初公判で加藤被告は起訴事実を否認する一方、死亡した女性に対しては「心から冥福を祈ります」と述べた。黒っぽいスーツを身につけ、落ち着いた声で準備した書面を読み上げた。

 加藤被告が逮捕・起訴されて休職となり、昨年3月から県立大野病院の産婦人科は休診が続いている。同科は加藤被告が唯一の産婦人科医という「1人医長」体制。再開のめどは立たない。

 隣の富岡町の30代女性は加藤被告を信頼して出産することを決めたが、休診で昨年4月に実家近くの病院で二男を出産した。女性は「車で長時間かけて通うのも負担だった」と振り返る。二男出産に加藤被告が立ち会った女性(28)も「次も加藤先生に診てもらいたいと思っていた」と言う。

 一方、被害者の父親は「事前に生命の危険がある手術だという説明がなかった」と振り返る。危篤状態の時も「被告は冷静で、精いっぱいのことをしてくれたようには見えなかった」と話す。

 病院の対応にも不満がある。病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を最後に接触は途絶えた。昨年11月に問うと、病院は「弁護士と相談して進めていく」と答えたという。「納得できない。娘が死んだ真相を教えてほしい。このままでは娘に何も報告できない」と不信感を募らせる。【松本惇】

 ◆初公判までの経過◆

 【04年】

12・17 帝王切開の手術中に女性死亡。生まれた女児は無事。病院は警察に届け出ず

 【05年】

 3・30 県の事故調査委員会が報告書を公表し発覚

 【06年】

 2・18 県警が加藤被告を業務上過失致死と医師法違反容疑で逮捕

 3・10 福島地検が加藤被告を起訴

   11 大野病院の産婦人科が休診

12・ 6 多数の医学団体の抗議などをまとめる形で、日本医学会長が刑事責任追及を批判する声明発表

(毎日新聞、2007年1月27日)

****** 読売新聞、2007年1月27日

大野病院事件初公判、弁護団と検察が全面対決

 26日に福島地裁で始まった県立大野病院(大熊町)での医療事故を巡る刑事裁判は、産婦人科医師の加藤克彦被告(39)の弁護団と検察が互いに主張を譲らず、“全面対決”となった。「手術中の判断」の正否が裁かれる公判には、26席分の傍聴券を求めて349人が列を作り、関心の高さをうかがわせた。

 昨年2月の逮捕以降、初めて公の場に姿を見せた加藤被告は午前9時40分過ぎ、カメラのフラッシュを浴びながら主任弁護人の平岩敬一弁護士らと歩いて福島地裁に到着。濃紺のスーツを着用し、白いシャツにネクタイを締めて法廷に姿を現した。

 罪状認否で加藤被告は、用意した書面を5分以上にわたって読み上げ、手術で処置に過ちがあり、警察への届け出もしなかったとする起訴事実の大部分を否認。事前の検診や輸血用血液の準備、手術中の対応などについて「患者が亡くなってしまったことは忸怩(じくじ)たる思いがあるが、できることを精一杯やった」と述べた。

 公判前整理手続きが適用された今回の公判では、検察側と弁護側の双方が冒頭陳述を行った。検察側の冒頭陳述で、加藤被告が大量出血した女性が亡くなる直前、院長に「やっちゃった」と話していたことや、帝王切開手術で胎児を取り出した後、子宮から離れなかった胎盤を手ではがすのをやめ、手術用ハサミを使ったことについて、加藤被告が検事に「使用は不適切だったのではないか」と供述していたことなどが明らかになった。

 大量出血を招かないため、ただちに子宮を摘出すべきだったとの検察側主張に対し、弁護側は冒頭陳述で「胎盤をはがした際の出血は少量だった」「胎盤と子宮の癒着の程度も軽く、はく離が適切だった」などと反論した。また、検察側が主張の根拠とする胎盤の鑑定意見や供述などは、産科医療や胎盤病理を専門としない医師によるもので、「問題が多い」と批判した。

 弁護側は公判終了後に記者会見を開き、加藤被告は「ミスはなかった」と重ねて強調。ただ、手術前に先輩医師などから応援医師の派遣を打診されながら拒否したことについて「リスクをさほど高く考えていなかった」と述べた。

 公判は、2月23日の次回から証人尋問に入り、鑑定を担当した医師らが検察側の証人として出廷する。

(読売新聞、2007年1月27日)

****** 朝日新聞、2007年1月27日

大野病院事件 被告、罪状を否認

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で26日、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医加藤克彦被告(39)の初公判が福島地裁(大澤廣裁判長)で開かれた。加藤被告は「適切な処置だった」などと述べ、起訴事実を否認。公判後の記者会見でも、医療行為としての正当性を繰り返し主張した。

 -手術の正当性主張 事件後初めて公の場に-

 「患者さんのご冥福を心からお祈りし、ご遺族に心よりお悔やみ申し上げます」

 加藤医師は初公判終了後に開かれた弁護側の記者会見で、帝王切開手術中に死亡した女性と遺族に対する思いを語り、深々と頭を下げた。

 これまで加藤医師は公の場での発言を避けてきたが、「逮捕からほぼ1年がたち、気持ちの整理もついた。ご声援頂いた医療関係者の方々に元気な所を見せたい」として、会見に踏み切った。

 加藤医師は、全国の産科医から寄せられる支援に対し、「心強く思っております」と述べ、全国的に産科医が減少し、医療現場の負担が増していることについて「今回の事件が一因となってしまった。申し訳なくも感じています」と話した。

 この日の検察側の冒頭陳述で、手術後、院長らに「やっちゃった」「最悪」などと話したと指摘された点について、記者から「医療ミスという認識があったのか」と問われると、加藤医師はきっぱりした口調で「ミスをしたという認識はありません。正しい医療行為をしたと思っています」と言い切った。

 争点の一つ、胎盤をはがす際にクーパー(手術用ハサミ)を使用した理由について「その場の状況で適切だと考えた」と説明。「勾留(こう・りゅう)中は取り調べに対し、『クーパーの使用は不適切だった』と言ったが、今はそういうことは考えていない」として、医療行為としての正当性を主張した。

 また、手術前に先輩医師から「応援の産科医を派遣した方がいい」という助言を受けながら、応援を呼ばなかった点について、加藤医師は「タイミングを逸してしまった」と弁明した。

 逮捕以来、産科医としての仕事から遠ざかっているが、「いい勉強の機会ととらえたい」と述べた。「産科という学問は好きですし、婦人科の患者さんと話をするのは好きなので、またやりたいという気持ちはある」と話した。

 一方、福島地検側は公判終了後、「我々としても医療関係者が日夜困難な症例に取り組まれていることは十分認識している。しかし、今回の事件は、医師に課せられた最低限の注意義務を怠ったもので、被告の刑事責任を問わなければならないと判断した」とする異例のコメントを発表した。

 -遺族「真相を明らかに」

 亡くなった女性の父親(56)楢葉町在住は初公判直前、朝日新聞の取材に対し、次のように話した。

 私たち遺族は手術室で何が起きていたのか、それを正確に知りたいのです。なぜ加藤医師は、手術の途中で、ほかの医師に応援を頼まなかったのか。なぜ、やったこともない癒着胎盤の手術を強行したのか。娘は、実験台になったようなものじゃないですか。いろいろな疑問について、裁判でぜひ明らかにしていただきたい。

 娘が死んだ04年12月17日夜、遺体に対面しました。娘は歯を食いしばっていた。それを見て、娘はこんな形で死んでいくのが本当に悔しかったんだと思いました。母親として、もっと生きていたかったんだと。あの時、私は、絶対に真相を明らかにするから、と娘に誓ったのです。

 でも、私が調べ始めたとたん、医師や県の人たちが壁のように立ちはだかり、何が起きたのか全く見えなくなってしまった。捜査が始まるまでは本当に手探りでした。ですから今回、警察には大変感謝しています。

(朝日新聞、2007年1月27日)

****** 河北新報、2007年1月27日

被告、検察真っ向対立 大野病院事件初公判

 「いつか、子どもは自分の誕生日が母の命日だと知る。その悲しみを思うと、胸が張り裂けそうになる」。検察側が次々に読み上げる遺族の供述調書に医師の表情は凍り付いた。帝王切開で女児を出産した女性=当時(29)=を医療ミスで死亡させたとして、産婦人科医加藤克彦被告(39)が業務上過失致死の罪に問われた事件。福島地裁で26日開かれた初公判で、加藤被告はミスはなかったと主張し、遺族感情を背に受けて、過失立証に全力を挙げる検察側と真っ向から対立した。

 冒頭陳述の後、検察側は約1時間半の書証読み上げのうち、1時間近くを女性の夫ら遺族5人の供述調書朗読に充てた。

 「子どもが寝静まった深夜、ひとりで泣く日が続いた」「将来、(女児が)母は自分の身代わりに死んだと自分を責める日が来るのではないか心配だ」「加藤医師が妻を助けるため、手を尽くしてくれたとは思えない」

 加藤被告は終始、沈痛な表情で被告人席の机に目を落としまま、顔を上げることはなかった。

 一方、弁護側は、子宮に癒着した胎盤を無理にはがそうとして大量出血を招き、女性を死亡させたとされる加藤被告の過失を全面的に否認した。

 検察側は加藤被告宅から押収した産科医療の教科書に基づき「女性の死を避けるため、胎盤剥離(はくり)を中止し子宮摘出に移るべきだった」と主張したのに対して、弁護側は「教科書の記述が女性のケースに該当するかどうか執筆者に確認していないなど、専門家の知見を軽視している」と指摘した。

 閉廷後、記者会見した平岩敬一主任弁護人は「教科書執筆者からは今回の女性のケースは該当しないとの回答を得ているが、検察側は証拠採用に同意しなかった」と強調。その上で「弁護側は被告に不利になることを承知で、遺族の供述調書の証拠採用に同意した。医療行為の適否だけが争われる裁判。検察側の姿勢は公正とは言えない」と強く批判した。

 この事件は、産婦人科医の過酷な勤務実態が社会問題として注目される契機となる一方、医学知識のない捜査、司法機関が専門医の行為を立件、裁くことの可否についても論議を巻き起こした。

 事件に関係した医療従事者や遺族がインターネット上などで、心ない批判にさらされる現実も、まだある。死亡した女性の父(56)は「とにかく早く真相を明らかにしてほしい。それ以外、今は何も話す気になれない」と公判途中で法廷を後にした。

専門家の鑑定、証言鍵 典型的な医療裁判に 大野病院事件

Soten_1   福島県立大野病院に勤務していた産婦人科医加藤克彦被告(39)が業務上過失致死罪などに問われた事件の審理は、検察、弁護双方が専門家を証人に立てて争う典型的な医療裁判となる。医学的な争点を整理する。

 子宮内で母体と胎児をつなぐ胎盤は通常、出産後に子宮からはがれるが、出産の数千件に1件の割合で胎盤が子宮と離れない症例がある。それが癒着胎盤だ。

 加藤被告は女性患者=当時(29)=が出産後、胎盤と子宮が離れないため、間に指を入れてはがそうとした際、癒着胎盤を確認した。子宮から胎盤を剥離(はくり)する手術は産科医療で最も難度が高く、手術を避けて子宮ごと摘出することもある。この時、手術を選択した加藤被告の判断が過失に当たるかどうかが最大の争点だ。

 検察側は、癒着胎盤と知った時点で大量出血が予見される子宮と胎盤の剥離を止め、子宮を摘出すべきだったと主張する。一般的には子宮と胎盤の癒着の程度が密接なほど、手術で大量出血の危険性が高いとされ、争点(1)で、検察側は中度の癒着との見解を示している。

 一方、弁護側は中度でも限りなく軽度に近い程度とみている。加藤被告は女性から事前に子宮を残したいと伝えられ、剥離手術を選択したが、結果的には癒着の程度は軽く危険性が高くなかったため、選択は正しかったと結論づける。

 争点(2)と(3)は連動している。検察側は、出血が子宮の剥離した部分に限られ、出血原因も剥離以外には考えられないと主張。剥離を続けて大量出血があった時点で死亡する危険性が予見され、剥離を止めずに失血死させたことが過失致死罪に当たるとする。

 弁護側は子宮のうち剥離に関係しない部分からも出血があり、出血原因は剥離以外にも考えられると反論する。麻酔記録によると、剥離直後の出血量は2555ccで、正常値よりも少し多い程度。大量出血は20分後のため、別の原因で死亡した可能性も考えられるとしている。

 争点(6)の通り、女性の死亡は異状死として警察に届けられなかったため、遺体がなく、手術記録も多くない。立ち会った医師や専門家の鑑定や供述が最大の鍵になる。2月23日の第2回公判からは検察側の証人尋問が始まり、真相解明に向けた争いが本格化する。

(河北新報、2007年1月27日)

****** 福島民報、2007年1月27日

産婦人科医が無罪主張 福島・大野病院医療過誤初公判

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医加藤克彦被告(39)の初公判は26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれ、加藤被告は起訴事実を否認し、無罪を主張した。医師の医療行為への捜査に対し、多くの医療団体が抗議の声明を出すなど全国が注目する審理。加藤被告が「切迫した状況の中で、産婦人科医としてできる限りの措置をした」と述べたのに対し、検察側は加藤被告が先輩医師から大量出血を伴う危険な手術になることを指摘されたことを明らかにした。対立の構図がより鮮明になった。

 検察側は加藤被告が手術前、福島医大の先輩医師から複数の産婦人科医による手術を勧められ、断ったことを明かした。加藤被告の自宅に「癒着胎盤を無理にはく離すべきでない」とする医学書があったと説明。今回の被害者のように帝王切開歴がある患者は、癒着胎盤の確率が24%と通常より高くなると主張し、過失の重大さを指摘した。

 一方、弁護側は「検察側が示した医学書の執筆者から『はく離しても良い場合がある』という回答を得た」と反論。加藤被告は手術前、通常より慎重に超音波検査などを試みたが癒着胎盤が確認できなかったと説明した。

 癒着胎盤への措置が最大の争点。加藤被告は手術中に胎盤をはがした時について「はく離できないわけではないが、しづらくなった」などと「癒着」と言わず、適正な医療行為だと強調した。

 起訴状などによると、加藤被告は平成16年12月17日、楢葉町の女性=当時(29)=の帝王切開手術を執刀し、癒着胎盤に気付いた後、医療用はさみ(クーパー)などを使って胎盤をはがし、大量出血で女性を死亡させた。女性が異状死なのに24時間以内に警察署に届けなかった。

 医師法の異状死の届け出義務違反についても、憲法の黙秘権の侵害に当たるとする弁護側と検察側が対立している。

 癒着胎盤 子宮内にある胎盤が子宮内壁と癒着した状態。数1000例に1例といわれる。胎盤は通常、出産後間もなく自然と子宮からはがれて除去されるが、癒着胎盤だと除去が難しくなる。

(福島民報、2007年1月27日)

****** 福島民友、2007年1月27日

被告の医師、無罪主張/大野病院事件初公判

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)=大熊町下野上=の初公判は26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれ、加藤被告は「ミスはしていない」と起訴事実を全面否認、無罪を主張した。

 冒頭陳述で検察側は「子宮に癒着した胎盤の剥離(はくり)を直ちに中止して子宮摘出手術をすれば大量出血は防げた」と指摘。一方、弁護側は「剥離は止血のためで問題なかった」と反論した。極めてまれな症例「癒着胎盤」の処置をめぐり全国的に注目を集めた事件は、法廷に舞台を移して審理が始まった。

 罪状認否で加藤被告は、「自分を信頼してくれた患者を亡くした結果は非常に残念」とした上で「切迫した状況で、冷静にできる限りのことをやった」などと述べた。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月中旬、楢葉町の女性の胎盤が子宮に付着していることを知りながら帝王切開手術を執刀。手術用はさみで無理に癒着部分をはがし取ったために大量出血させ、失血死させ、女性が異状死だったのに警察に届けなかった、とされる。

 次回公判は2月23日午前10時からで、証人尋問が行われる。

 医師会「判断見守る」

 大野病院医療事件の26日の初公判を受け、佐藤章福島医大産婦人科学講座教授は「コメントはない」としながらも「検察側には(弁護側の出す)証拠で勉強してほしい」と話し、県医師会の山森正道常任理事は「法治国家である日本の司法がどのような判断を下すか見守りたい」と述べた。

(福島民友、2007年1月27日)


福島県立大野病院事件・初公判の報道

2007年01月27日 | 報道記事

コメント(私見):

癒着胎盤の頻度は1万分娩に1例とも言われ、平均的な産婦人科医が一生に1回遭遇するかしないかの非常にまれな疾患です。しかも、その一生に1回限りの珍事に自分がいつ当たってしまうのか?全く見当もつきません。(癒着胎盤について

もしかしたら、それが今日なのかもしれないし、10年後なのかもしれません。入門してから引退するまで一度も癒着胎盤には遭遇しない産婦人科医がほとんどだと思いますが、もしかしたら、ちょうど定年退職の日に初めて癒着胎盤例に当たってしまうかもしれません。私自身の場合、たまたま癒着胎盤例に初めて遭遇したのは、医者になりたてほやほやで、まだ右も左も何も分からず、初めての帝王切開・第2助手でこの業界にデビューさせてもらった時でした。(癒着胎盤に関する個人的な経験談

極めてまれで予測不能な難治疾患と遭遇して、必死の思いで苦闘しても、結果的にその患者さんを救命できなかった場合に、今回の大野病院事件のように、極悪非道の殺人犯と全く同じ扱いで逮捕・起訴されるようでは、危なくて誰も医療には従事できなくなってしまいます。

いくら全力で正当な医療を実施しても、不良結果となることはいくらでもあり得ます。自分自身の身の安全を守るために、いったんは安全な所に避難しようと考える医師も最近は少なくありません。五十歳代以降の中高年医師は、もう先が短いし、今さら方向転換もできないので、仕方なく現場に残っている人も多い一方、三十代~四十代の現役バリバリの医師達の現場からの立ち去りが最近は目立つようになってきて、公立・公的病院の縮小・閉鎖が毎日のように報道されています。

しかし、これはまだまだ事の始まりで、これから壊滅的な医療崩壊に向かって事態は加速されてゆくのではないかと多くの人が危惧しています。(MRICインタビュー:もはや医療崩壊は止まらないかもしれない

現場の産科医達が、いくら『このままでは医療崩壊の危機だ!』と主張し続けても、分娩場所が確保されて何とかなっているうちは全く理解してもらえません。『いっそのこと、医療崩壊もいくとこまでいってしまって、日本中、どこにもお産する場所がないような極限状態まで、いったんは行ってしまった方がむしろよい!医療崩壊の危機を回避するような必死の努力は、ただ自分の首を絞めるだけだ!流れに逆らって玉砕するよりは、今は、このまま放置して様子を見ていた方がむしろいい!』というような極端な意見を言う人も最近はけっこう多くなってきました。

****** 毎日新聞、2007年1月26日

福島産科事故 被告産婦人科医、起訴事実を否認 初公判で

 福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)であった。加藤被告は「死亡や執刀は認めますが、それ以外は否認します。切迫した状況の中で精いっぱいやった」と起訴事実を否認した。
 冒頭陳述で検察側は、応援を呼ぶべきだという先輩医師の事前のアドバイスを被告が断ったことや、胎盤はく離開始5分後の血圧降下など大量出血の予見可能性があったことなどを指摘した。
 弁護側も冒頭陳述を行い、明白な医療過誤とは異質と指摘。胎盤はく離は現場の裁量で、事後の判断は結果責任の追及になると反論し、産科専門家の意見も聞いていないと捜査を批判した。
 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開手術中、はがせば大量出血するおそれがある「癒着胎盤」であると認識しながら、子宮摘出手術などに移行せず、手術用はさみで胎盤をはがし失血死させた。また、医師法が規定する24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかった。【町田徳丈、松本惇】

被告 落ち着いた声で書面読み上げる

 「1人の医師として患者が死亡したのは大変残念」。初公判で加藤被告は起訴事実を否認する一方、死亡した女性に対しては「心から冥福を祈ります」と述べた。黒っぽいスーツを身につけ、落ち着いた声で準備した書面を読み上げた。
 加藤克彦被告が逮捕・起訴されて休職となり、昨年3月から県立大野病院の産婦人科は休診が続いている。同科は加藤被告が唯一の産婦人科医という「1人医長」体制。再開のめどは立たない。
 隣の富岡町の30代女性は加藤被告を信頼して出産することを決めたが、休診で昨年4月に実家近くの病院で二男を出産した。女性は「車で長時間かけて通うのも負担だった」と振り返る。二男出産に加藤被告が立ち会った女性(28)も「次も加藤先生に診てもらいたいと思っていた」と言う。
 一方、被害者の父親は「事前に生命の危険がある手術だという説明がなかった」と振り返る。危篤状態の時も「被告は冷静で、精いっぱいのことをしてくれたようには見えなかった」と話す。
 病院の対応にも不満がある。病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を最後に接触は途絶えた。昨年11月に問うと、病院は「弁護士と相談して進めていく」と答えたという。「納得できない。娘が死んだ真相を教えてほしい。このままでは娘に何も報告できない」と不信感を募らせる。【松本惇】

「通常の医療行為」の結果責任追及 医師界に危機感

 この裁判では、加藤被告を逮捕、起訴した捜査当局に、全国の医師から強い批判の声が上がっている。背景には、通常の医療行為で患者が死亡した結果責任を、医師個人が追及されているのではないかという危機意識がある。医師の刑事責任を負うべき判断ミスか、1万例に1例といわれる「癒着胎盤」のために起きた不幸な事故か。医師法で届け出義務が課される異状死の定義があいまいという指摘もあり、裁判の展開を多くの医療関係者が注目する。
 最大の争点は「癒着胎盤」のはく離を中止すべきだったかどうか。検察側は「癒着胎盤と分かった時点で大量出血しないようにはく離を中止し、子宮摘出に移行すべきだった」と医師の判断ミス、過失ととらえる。これに対し、弁護側は「臨床では止血のために胎盤をはがすのは当然で、出血を放置して子宮を摘出するのは危険」と通常の医療行為だと主張する。
 このほか、癒着胎盤の程度や大量出血の予見可能性なども争点となる。
 日本産科婦人科学会の昨年12月の発表によると、06年度(11月まで)に同会に入会した産婦人科医は298人で、2年間の臨床研修が課される前の03年度の375人から2割程度減少した。同会の荒木信一事務局長は「産科医の過酷な労働状況や訴訟リスクに加え、大野病院の事故が減少に拍車をかけた」と分析している。【松本惇】

(毎日新聞、2007年1月26日)

****** 読売新聞、2007年1月26日

帝王切開で妊婦失血死、医師が無罪を主張…福島地裁

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術で妊婦を失血死させたなどとして業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われている産婦人科医師、加藤克彦被告(39)(大熊町下野上)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)で開かれた。

 加藤被告は罪状認否で、手術について「できることを精いっぱいやった」と述べ、無罪を主張した。

 事件を巡っては、「悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」などと日本産科婦人科学会や日本医学会が相次いで表明しており、公判の行方が注目されている。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日午後、同県内の女性(当時29歳)の手術で、大量出血する危険を認識しながら、子宮に癒着した胎盤を無理にはがして大量出血を招き、死亡させたとされる。また、医師法で定められた24時間以内の警察への異状死の届け出をしなかったとされる。

 公判前整理手続きの結果、争点は、<1>子宮に胎盤が癒着していることを認識した時点で、大量出血する恐れがあるとみて胎盤をはがす処置を中止し、子宮摘出に移る義務があったか<2>大量出血の予見可能性<3>胎盤をはがす処置に手術用ハサミを使用した妥当性<4>医師法違反罪の適用の是非――などに絞り込まれている。

(読売新聞、2007年1月26日)

****** 朝日新聞、2007年1月26日

産科医、起訴事実を否認 福島の妊婦死亡初公判

 福島県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医加藤克彦被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大澤廣裁判長)で開かれた。加藤被告は「胎盤の剥離(はくり)を続けたことは適切な処置だった」などと述べ、起訴事実を否認した。

 加藤被告は「自分を信頼してくれた患者を亡くしたことは非常に残念で、心からご冥福をお祈りします。ただ、切迫した状況で、冷静にできる限りのことをやったことをご理解いただきたい」と述べた。

 検察側は冒頭陳述で「直ちに剥離を中止し、子宮摘出に移る注意義務を怠った」と主張。また、病院側に癒着胎盤をはがす手術を行うような体制や設備が整っていなかったと指摘した。

 起訴状によると、加藤医師は04年12月、子宮に癒着した胎盤を手術用ハサミではぎ取って女性を失血死させ、さらに、女性の死に異状があると認識しながら、24時間以内に警察に届け出なかったとされる。

 医療行為の過失を問われて医師が逮捕・起訴されたことで、全国の医師が抗議声明を発表するなど、公判は医療界の注目を集めている。

 公判前整理手続きが昨年7月から計6回実施され、同地裁は、胎盤癒着を認識した時点で胎盤をはぎ取るのをやめるべきだったかどうかを最大の争点として認定した。

(朝日新聞、2007年1月26日)

****** 共同通信、2007年01月26日

帝王切開医師が無罪主張 大量出血予見できたと検察 福島県立病院の妊婦死亡

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広(おおさわ・ひろし)裁判長)で開かれ、加藤被告は無罪を主張し「できるだけのことを精いっぱいやった」と述べた。

 最大の争点である被告が子宮に癒着した胎盤を手術用はさみではがす「はく離」を続けたことの是非について、加藤被告は「止血するために継続した。適当な処置と思った」と説明した。

 検察側は冒頭陳述で「加藤被告がはく離を始めてから、わき上がるような出血があった。この時点ではく離を中止する義務があったのに続けた」と指摘。「被告が使った教科書や手術に立ち会った関係者の証言などから、被告は大量出血を予見できた」とした。

 この医療事故では検察側と、「対応は正当。医師の裁量に任せるべきで、過失とすれば医療行為ができなくなる」とする弁護側が真っ向から対立。医師が逮捕、起訴されたことに医療界の反発も広がっており、審理が注目されている。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、同県楢葉町の女性の帝王切開手術をした際、胎盤と子宮の癒着を認識。無理に胎盤をはがせば大量出血する恐れがあったのに、子宮摘出など危険回避の措置を怠り、はく離を続けて大量出血で女性を死亡させた。異状死として24時間以内に警察に届けなかったと、医師法違反にも問われた。

 事故をめぐっては、福島県が05年3月に医療過誤を認める事故の報告書を公表。これが捜査の端緒となり、県警は昨年2月に加藤被告を逮捕。日本産科婦人科学会などが捜査を批判する声明を相次いで出した。

検察・弁護側が全面対決 医療行為の責任どう判断

 医療行為に関し、医師個人の刑事責任を司法がどう判断するのか-。産婦人科医の逮捕、起訴が医療界に波紋を広げた福島県立大野病院の医療事故。立証に自信を見せる検察側と、医療事故に詳しい弁護士らで結成した弁護団は、全面対決の公判に突入した。

 昨年7月から約半年間、双方が激しいつばぜり合いを演じた公判前整理手続き。争点は(1)子宮と胎盤の癒着の部位と程度(2)手術中の出血の部位と程度(3)女性の死亡と手術との因果関係(4)胎盤はく離に手術用はさみを使った方法の妥当性(5)異状死の届けをめぐる医師法違反の成否(6)捜査段階の供述の任意性-の6点に絞り込まれた。

 検察側は立証に自信を見せ「女性の大量出血は予見できたことで、過失はある」との姿勢だ。

 弁護側は「医療に詳しくない人が取り調べ、被告の認識を理解していない」とも批判した。

 医療界は反発を強め、日本医学会は昨年末の声明で「担当医が不可抗力的事故で逮捕されたのは誠に遺憾。消極的な医療にならざるを得ない」と指摘。産科医不足に言及し「若い医師は事故の多い診療科の医師になることを敬遠している」と危機感をあらわにした。

 同病院の産婦人科は休診が続く。県の担当者は「立件で、担当医が1人だけの勤務体制を避ける流れが県内の産婦人科で加速し、代理の医師も派遣できない。地元の人が困っているのは間違いないと思うが...」としている。

(共同通信、2007年01月26日)

****** 河北新報、2007年01月26日

福島・大野病院事件初公判 加藤被告、無罪を主張

 福島県立大野病院(大熊町)で帝王切開の手術中、子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)、楢葉町=を失血死させたとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)=大熊町=の初公判が26日、福島地裁で開かれた。加藤被告は「手術で患者が死亡したこと以外は、すべて否認します」と述べ、無罪を主張した。

 公判では、産科医療で最も難度が高い胎盤剥離を選択した判断が刑事過失に当たるかどうかが争われる。裁判の行方は、疲弊する産科医療の今後や、医師の裁量権に捜査がどこまで踏み込むべきかなど、医療と司法の関係にも影響を与える。

 加藤被告は罪状認否で「手術中の出血を早く止めるために剥離を継続した。切迫した状況で最善を尽くしたことを理解してもらいたい」と書面を読み上げた。

 検察側は冒頭陳述で、加藤被告の過失を細かく指摘した。それによると、加藤被告は(1)胎盤の剥離が困難になったら、すぐに子宮を摘出する(2)器具を使った剥離は危険―などの医療知識を専門書で得ていた上、女性患者が癒着胎盤を起こしている可能性が高いことも手術前に認識していた。助産師が「手術は設備の整った病院でするべきだ」と助言すると、「何でそんなこと言う」と拒否した。

 2004年12月17日の手術では、帝王切開後に癒着胎盤を確認。手で胎盤がはがれなくなったため、クーパー(医療用はさみ)を使って剥離を継続した直後、子宮からの出血が激しくなった。急激に血圧も下がり出し、女性は失血ショック状態になった。

 検察側は「直ちに剥離を中止するべきだった。女性から子宮摘出の同意も取っており、剥離を継続する理由もない。遺族は被告を絶対に許さず、厳重な処罰を望んでいる」と指摘した。

 検察側は、女性の死が医師法で定める「異状死」だったのに、警察への届け出義務を怠ったことも指摘した。
 審理は検察側の冒頭陳述を終え、いったん休廷。午後には弁護側が冒頭陳述を行う。

加藤被告、ミスなかったと断言 福島・大野病院事件初公判

 「一人の医師として、信頼してくれた患者を死亡させたことに忸怩(じくじ)たる思いです」。福島県立大野病院(大熊町)で2004年12月、帝王切開手術中に子宮に癒着した胎盤を無理にはがし、女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、医師が業務上過失致死などの罪に問われた事件。福島地裁で26日開かれた初公判で、手術を執刀した産婦人科医加藤克彦被告(39)は女性の死を悼む言葉を重ねながらも、過失はなかったと強調した。

 加藤被告は開廷20分前の午前9時40分ごろ、主任弁護士に伴われて硬い表情で福島地裁に到着。法廷では身じろぎもせずに検察官の起訴状朗読を聞いた後、準備していた書面を読みながら約10分間、はっきりとした口調で手術の経過などを説明した。

 この中で、加藤被告は手術前の検査や輸血準備から胎盤剥離(はくり)を試みた措置までミスはなかったと断言。胎盤剥離を断念して子宮を摘出した後も輸血によって女性の容体が安定していたことを明らかにした。

 自信に満ちた口ぶりに変化が表れたのは、終わり近く。「安定していた血圧が突然、低下した。懸命に心肺蘇生(そせい)措置を行ったが及ばなかった」とわずかに声を震わせ、「亡くなられた女性のご冥福を祈ります」と2度繰り返した。検察側の冒頭陳述に対しては時折、気を静めるように肩で息を整える場面もあった。

 女性の父親(56)は「娘はなぜ、死ななければならなかったのか。その真相が知りたい」と傍聴に訪れたが、終始うなだれたまま、涙をぬぐっていた。

(河北新報、2007年01月26日)

****** 福島民報、2007年1月26日

被告は無罪主張/福島県立大野病院医療過誤事件の初公判

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(39)の初公判は26日、福島地裁で開かれ、加藤被告は起訴事実を否認し、無罪を主張した。
 加藤被告は同病院に勤務していたことなどを認めたうえで、「(手術前に)検査をしたうえ、血液も十分に用意した。普段より慎重に医療行為をした。冷静にできる限りのことを精いっぱいやった」などと述べた。患者が死亡したことについては「じくじたる思い。患者のめい福を祈っている」と語った。
 起訴状によると、加藤被告は平成16年12月17日、楢葉町の女性=当時(29)=の出産で帝王切開手術を執刀し、癒着した胎盤をはがし大量出血で女性を死亡させた。女性が異状死だったのに24時間以内に警察署に届けなかった。
 公判では数千例に1例といわれる癒着胎盤という症例に対する措置の是非が大きな争点になっている。医師法21条の異状死についても事件をきっかけに学問的な議論が生じている。
 多くの医療団体が捜査に抗議するなど全国的な話題を呼んだ事件は、発生から約2年を経て本格的な法廷論争に入った。
 初公判には一般傍聴席26席に、349人の傍聴希望者が列をつくった。

県立大野病院医療過誤事件争点表

◎争点: 癒着胎盤に対する措置
 [検察側] 癒着胎盤と分かった時点で、、大量出血を避けるために子宮摘出手術などに移るべきだった。無理にはがすべきではない。
 [弁護側] 胎盤をはがした方がかえって出血を抑えられる場合は多い。はがしたら大量出血が起きると予見することは不可能だった。

◎争点: 異状死の届け出義務
 [検察側] 加藤被告は遺体を検案した結果、異状死と認識していたのに、届け出なかった。
 [弁護側] 届け出義務は憲法の黙秘権に反する。加藤被告は異状死の認識がなかった。

◎争点: 加藤被告の供述の任意性
 [検察側] 証拠提出する加藤被告の供述調書はいずれも任意で話した。
 [弁護側] 供述調書の中に加藤被告が任意で話さず、不本意な部分がある。

(福島民報、2007年1月26日)


福島県立大野病院の医師逮捕は不当

2007年01月26日 | 大野病院事件

コメント(私見):

佐藤教授が日経メディカルオンラインに寄稿された文章に、今まで私がずっと疑問に思っていたことが非常に詳しく記載されていましたので、ここに引用させていただきます。特に、

①子宮後壁の癒着胎盤であったことが、福島県立医大の病理検査で確認されている。

②県の医療事故調査委員会の報告書は県の意向に沿って作成されたもので、佐藤教授が県に訂正を求めたが、「こう書かないと賠償金は出ない」との理由で却下された。

の2点は非常に重要だと思います。

子宮後壁の癒着胎盤とのことですから、帝王切開の既往とも関係ありませんし、癒着胎盤と手術前に診断することも予測することも不可能だったと考えられます。

私自身も県の事故報告書を最初に読んだ時に、「こう書かないと賠償金が出ない」という県の強い意向に沿った形で作成されたものではないのか?との疑念を抱きましたが、今回そのことがはっきりしました。

そもそも、正当な医療行為に対して、医療過誤があったということにして賠償金を出そうという考え方が根本的におかしいし、そのために一人の医師の人生がめちゃくちゃにされ、日本の産科医療を崩壊の方向に加速させているこの事件の意味するところは非常に重大です。この裁判の行方を注視してゆく必要があります。

参考:県立大野病院・事故報告書

県立大野病院事件についての自ブログ内リンク集


県立大野病院事件あす初公判 「癒着胎盤」対応最大の争点 (読売新聞)

2007年01月25日 | 報道記事

参考:

癒着胎盤で母体死亡となった事例

母体死亡となった根本的な原因は?(私見)

日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会:
県立大野病院事件に対する考え

日本周産期・新生児医学会の声明文

日本医学会、声明文

県立大野病院事件についての自ブログ内リンク集

****** 読売新聞、2007年1月25日

県立大野病院事件あす初公判

「癒着胎盤」対応最大の争点

大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開の手術中に楢葉町の女性(当時29歳)が出血性ショックで死亡した事故で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われている産婦人科医師、加藤克彦被告(39)(大熊町下野上)の初公判が26日、福島地裁で開かれる。弁護側は無罪を主張し、検察側と真っ向から争う姿勢で、多くの医療関係者が裁判の行方を注視している。

最大の争点は、胎盤が子宮に癒着していることを認識した時点で、大量出血する恐れがあるとみて子宮から胎盤をはがすことを中止し、子宮摘出に移る義務があったかどうか。

「子宮摘出に移行するべきだった」とする検察側に対し、弁護側は「癒着胎盤は、胎盤がはがれた後は子宮が収縮して出血が収まると考えられるため、まずはく離を継続する。出血が止まらない場合やはく離が困難な場合に子宮摘出を行うと判断するのが、臨床の現場では一般的だ」と反論する。

今回の裁判では、審理を迅速化するため争点を事前に絞り込む公判前整理手続きが適用された。手続きは昨年7月に始まったが、弁護側が全面的に争う姿勢を見せたため、起訴から争点整理の終了までに約9か月を要した。手続きの結果、〈1〉大量出血の予見可能性〈2〉胎盤をはく離した際に手術用ハサミを使用した妥当性〈3〉医師法違反適用の是非――なども争点になった。

弁護側は「薬を間違えたわけでも、摘出すべきでない臓器を摘出したわけでもなく、明確な過失はない」とし、「胎盤のはく離を継続するかどうかは現場の医師の判断」と主張している。

日本産科婦人科学会は昨年3月、「故意や悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」と抗議。日本医学会も同12月、「逮捕は医療を委縮させる。事故の多い診療科が敬遠され、医師が偏在化する」との声明を発表した。

起訴状によると、加藤被告は、女性の胎盤が子宮に癒着していることを認識し、はく離を続ければ大量出血する危険があったにもかかわらず、子宮摘出を行わず、胎盤をはがして大量出血を招き、女性を失血死させたとされる。また、24時間以内に警察に異状死の届け出を行わなかったとされる。

26日の初公判では罪状認否の後、検察側と弁護側の双方が冒頭陳述を行う。第2回公判からは証人尋問が始まり、月1回のペースで公判が進む予定だ。

(読売新聞、2007年1月25日)

****** 河北新報、2007年1月25日

胎盤剥離の処置争点

大野病院事件あす福島地裁で初公判

福島県立大野病院(大熊町)で帝王切開手術中、判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)=大熊町=の初公判が26日、福島地裁で開かれる。加藤被告側は「難度の高い手術中に起きた不幸な出来事で、過失はない」として無罪を主張する方針だ。

加藤被告の起訴は、医療行為に関し、刑事責任を問う線引きを大きく変えると受け止められ、産科医療の現場を揺さぶった。最大の争点は、加藤被告が帝王切開出術中、子宮に癒着した胎盤の剥離(はくり)を続けた処置が妥当だったかどうかだ。

公判前整理手続きでは、検察側が「剥離をやめて子宮を摘出するべきだったのに、剥離を続けたことが大量出血を招いた」と主張したのに対し、弁護側は「止血のためにも剥離を続ける必要があった」と反論、真っ向から対立した。

このほか、胎盤癒着の程度や大量出血の原因と死亡との因果関係、女性の死亡が医師法で警察への届け出が義務付けられている「異状死」に当たるかどうかなども争点になる。

初公判では検察、弁護双方が冒頭陳述を行い、争点ごとにそれぞれの主張を展開する。

起訴状によると、加藤被告は2004年12月17日、福島県楢葉町の女性の帝王切開手術を行った際、胎盤と子宮の癒着を確認。無理にはがせば大量出血で死亡する恐れがあるのに、子宮を摘出するなど事故を回避する注意義務を怠り、胎盤をはぎとって大量出血させ、女性を失血死させた。また、女性の死を異状死として警察に届け出なかった。

(河北新報、2007年1月25日)

****** 朝日新聞、2007年1月24日

医師過失、刑事責任問えるか

検察側「必要な処置怠る」 VS. 医師ら「個人追求不向き」

福島県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法違反にの罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)に対する初公判が26日、福島地裁で開かれる。過失の認定が難しい医療行為が刑事責任を問われるのかどうか、公判は医療界の注目を集めている。

帝王切開で死亡 26日地裁初公判

女性は04年12月に死亡。県の事故調査委員会は医療過誤を認める報告書をまとめ、県は遺族に謝罪した。報告書をきっかけに捜査を始めた県警は昨年2月、加藤医師を逮捕した。

起訴状によると、手術用ハサミで胎盤と子宮が癒着した部分をはぎ取って女性を失血死させ、女性の死に異状があると認識しながら、24時間以内に警察に届けなかったとされる。

公判前に、検察側、被告・弁護側の主張を整理した結果、争点は大きく3点に絞り込まれた。最大の争点は、加藤医師が子宮に胎盤が癒着していると認識した時点で、胎盤をはぎ取るのをやめるべきだったかどうかという点だ。異状死だったかどうかや、加藤医師の供述の任意性についても、意見が対立している。

検察側は「胎盤がはがれづらいと気づいた時点で剥離を中止し、子宮摘出などの処置をとるべきだった」と主張。医学生向けの教科書などに「癒着胎盤とわかれば無理に剥離せず直ちに子宮摘出すべきだ」と書かれている点を指摘した。

一方、弁護側は「癒着胎盤とわかったのは胎盤剥離の最中で、すでに出血も始まっていた。胎盤を取り去れば通常は止血するため、臨床医の判断として剥離を優先させた。出血を放置して子宮を摘出するのは危険すぎる」と反論している。

公判では、医療行為の専門性をどうとらえるかで姿勢の違いも鮮明になった。弁護側は「裁判官に医師の判断や処置を理解してもらうには胎盤や子宮についての医学的知識が不可欠」として、医学専門書や論文などを証拠申請したが、検察側は「事件に関連性が無い」として、大半を不同意とした。

医療界は公判に重大な関心を寄せている。日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が「全国的な産婦人科医不足という医療体制の問題点に深く根ざしており、医師個人の責任追及は、そぐわない」との声明を出したほか、全国の産婦人科や新生児科、小児科の医師ら795人も抗議声明を発表した。

(朝日新聞、2007年1月24日)


次世代が増えないと限界

2007年01月25日 | 地域周産期医療

一人の人間の寿命には限りがあり、どの分野で頑張っている人でも、みんな年々歳を取っていき、いつかは引退しなければなりません。その時、その業務を引き継いでくれる人がいなければ、そこでその業務は途絶えてしまいます。

産科業務は、人類が存続する限り、今後も引き継いでいく必要がありますが、次世代が増えてくれないことには業務を存続させることが困難となってしまいます。

次世代の若い人達が入門を尻込みするような過酷な勤務環境で、無理に無理を重ねて頑張り続けるのは考えものです。次世代の若い人達が喜んで入門できるような勤務環境を整えることが非常に重要だと思います。


分べん台で1時間待ち 転送先探し、東京でも困難に (毎日新聞)

2007年01月23日 | 地域周産期医療

****** コメント(私見):

何だか、流れは加速度的に医療崩壊に向かっていて、沈没船から皆が一斉に逃げ出している末期的状況なのかもしれません。

この大きな流れを変えるのは、もはや不可能なのかもしれません。

医療崩壊後、一面焼け野原から出発して、いかにして復興していくのか?を考えた方がいい所まで来てしまったのかもしれません。

復興に向けて、皆と一緒に元気でしっかり頑張れるように、今はあまり無理をしないで、できるだけ体力を温存しておいた方が無難なのかもしれません。

****** 毎日新聞、2007年1月23日

医療クライシス:忍び寄る崩壊の足音/1

分べん台で1時間待ち

転送先探し、東京でも困難に

 全国で最も病院が多く、医師も集中する首都・東京のベッドタウン、東京都日野市。住宅街の一角に建つ日野市立病院(300床)の市原眞仁院長は、疲れた表情で話し始めた。

 「どこに頼んでも医師が見つからない」

 大学からの医師派遣を次々と打ち切られ、内科や小児科など5科で入院の受け入れ制限など診療を縮小している。4月には脳神経外科が縮小に追い込まれる見通しだ。

 きっかけは04年度に導入された新医師臨床研修制度。新人医師は2年間研修が義務化され、大学病院も医師が不足し、系列病院から次々と医師を引き揚げた。「各地で医療事故が訴訟や刑事事件になっている影響」(市原院長)もあり、職員の士気も落ちている。

 市原院長は「病院は赤字続きで、私は3月に責任をとって辞めるが、誰も後任に来たがらない」と途方に暮れる。

 東京に次いで医師が多い大阪でも変わらない。

 今年3月で閉院する公立忠岡病院(忠岡町、83床)。須加野誠治院長は医師を確保しようと、延べ200回近く近畿各地の大学病院に出向いた。だが、軒並み断られた。

 須加野院長は「公的病院は日本の医療を支えてきたのだが……。弱者を切り捨てることになる」と悔しさをにじませる。

 東京23区すら例外でない。東部の中核的医療機関、都立墨東病院(墨田区、772床)の産科は昨年11月から、出産を控えた妊婦の新規の外来受け付けを中止した。黒田祥之事務局長は「大学病院を10カ所以上回ったが、どこも派遣してくれそうにない」と語る。

   ■   ■

 しわ寄せは、患者に及んでいる。

 昨年7月。東京都内の女性(26)は休日の未明、かかりつけの産婦人科で陣痛を抑える点滴を受けていた。妊娠28週での早産が避けられず、新生児集中治療室(NICU)のある病院へ転送が必要になったためだ。

 東京にはNICUを持つ24病院が参加し、出産前後の「周産期」の情報を共有するネットワークがある。うち9病院が総合周産期母子医療センターに指定され、受け入れ先探しも担う。

 しかし、最も近いセンターの杏林大病院(東京都三鷹市、1153床)は「NICUがいっぱいで受けられない」。医師は転送先を探し、女性の横で電話をかけ続けたが、次々と断られた。

 女性は分べん台に乗せられたまま1時間が過ぎた。「医師不足は地方の話。東京は大丈夫」と思っていたが、電話をかける先がどんどん遠くなり不安が増す。「あたし、どうなるの」

 1時間以上かかって見つかったのは、直線距離で約40キロ離れた病院。1時間かけて運ばれ、不安が消えたのは、帝王切開を受け、産声が耳に届いたときだった。

 送り出した産婦人科医は「センターの病院も人手不足で、転送先は自分で探さなければならないケースが多い。(19病院に断られた)奈良・大淀病院のケースのように受け入れ先を見つけるのが困難なのは、東京でも日常茶飯事だ」と明かす。

 公立福生病院(東京都福生市、211床)は医師不足で、04年から人工透析を休止したままだ。転院せざるを得なくなった女性(52)は「異常があった時、総合病院なら対応してもらえる安心感があった」と嘆く。再開を待ちながら亡くなった患者もいるが、医師確保の見通しは立たない。

   ×   ×

 「医療崩壊」を食い止めるにはどうしたらいいのか。手がかりを求め、現場を歩いた。

(毎日新聞、2007年1月23日)


医師不足:公立病院の半数、診療縮小 (毎日新聞)

2007年01月23日 | 地域医療

コメント(私見):

地方における医師不足は以前から指摘されていましたが、最近では、都会の公立病院でも、医師不足のために診療の休止・縮小に追い込まれるようになってきたとの記事です。

多くの新人医師が毎年誕生し続けていて、医師の総数が年々増え続けていることは間違いありません。医師不足で困っている部署の実態は大きなニュースになり、医師が十分に足りていて全く困っていない部署の実態はニュースにならないので、医師の所在の最近の動向がどうなっているのか?さっぱりわかりません。

きっと、日本のどこかでは、多くの医師達がだぶついていると思うのですが...

参考:

「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ (朝日新聞)

産科医不足、大阪の都市部でも深刻 分娩制限相次ぐ(朝日新聞)

****** 毎日新聞、2007年1月23日

医師不足:公立病院の半数、診療縮小 毎日新聞調査

 医師不足などのため、東京都と大阪府内の計54の公立病院のうち、公立忠岡病院(大阪府忠岡町、83床)が3月末に閉院するほか、半数近い26病院で計46診療科が診療の休止・縮小に追い込まれていることが、毎日新聞の調査で分かった。常勤医で定員を満たせない病院は45病院あり、不足する常勤医は計285人に上る。欠員を非常勤医で穴埋めできていない病院もあり、医師不足によって病院の診療に支障が出る「医療崩壊」が、地方だけでなく2大都市にも広がり始めている実情が浮かんだ。

 調査は都府立、公立、市立病院(大阪市立大病院を除く)と、都保健医療公社が運営する病院を対象に実施。00年以降の診療休止・縮小の状況や、今月1日現在で常勤医が定員に満たない科の数などを尋ねた。

 閉院を決めた忠岡病院は、03年に12人いた医師が05年には4分の1に激減。昨年4月に皮膚科と泌尿器科、今月には脳神経外科を休止し、病院自体も存続できなくなった。

 診療科別に見ると、休止・縮小したのは、産科・産婦人科が計10病院で最も多い。次いで小児科6、耳鼻咽喉(いんこう)科が5病院だった。

 不足している常勤医数は、内科が18病院で計47人と最も多く、麻酔科15病院29人、産科・産婦人科が16病院27人、小児科が11病院22人と続いた。不足の理由は、▽04年度導入の新医師臨床研修制度をきっかけに、大学病院が系列病院から医師を引き揚げた▽勤務がきつく、リスクを伴うことが多い診療科が敬遠されている--など。

 診療への影響は、「救急患者の受け入れ制限」(都立大塚病院)など、救急医療への影響を挙げる病院が目立つ。住吉市民病院(大阪市)のように、産科医不足による分べん数の制限を挙げる病院も多かった。

 打開策については、都立墨東病院などは「給与水準引き上げ」と回答、府立急性期・総合医療センター(大阪市)が「女性医師の増加に対応した出産・子育てから復職支援など女性が働きやすい環境作り」を挙げるなど、労働環境の改善を挙げる病院が目立つ。「医療訴訟に対する裁定機関や公的保険制度の確保」や、「地域の病院や診療所と連携し、医師の診療応援など医療交流を図る」などの意見もあった。【まとめ・五味香織、河内敏康】

(毎日新聞、2007年1月23日)


産婦人科医引き揚げ 総合磐城共立病院 (朝日新聞)

2007年01月22日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

各大学の医局人事の春の異動が正式に発表される時期で、『3月いっぱいで産婦人科医を引き揚げる』というような報道記事を多くみかけます。

私自身の場合もそうですが、ほとんどの場合、公立病院に勤務する医師は教授命令による大学からの派遣という形で就職します。いくら医療現場で人手が不足し、常勤医師数を増やしたいと思っても、正式な医師供給ルートは医局人事しかありません。

かつては、医局員の就職口確保のために、大学の関連病院をどんどん増やしていたバブルの時期もありました。しかし、今は、そのバブルも崩壊し、大学病院も人手不足に陥っていて余裕は全くないですから、各大学の関連病院は、医局人事の異動の時期ごとに、どんどん減っているのが現状です。いくら大事な地域の拠点病院であっても、突然、『次回の医局人事の異動で医師を大学に全員引き揚げます。後任は派遣できません。』と通達される可能性はいつでもあり得ます。

突然、頼りにしていた医師達が全員いなくなってしまい、困りきった住民達が署名活動をして、市長や知事などにいくら嘆願書を提出しても、どこからも医師はふって湧いてきません。

****** 朝日新聞、2007年01月21日

産婦人科医引き揚げ 総合磐城共立病院

 周産期医療の拠点の一つ、いわき市立総合磐城共立病院=同市内郷御厩町=から、東北大学医学部が3月いっぱいで産婦人科医を引き揚げる方向であることが、20日分かった。県立医大は、代わりの医師確保に向けて準備を始めたが、産婦人科の勤務医数そのものが減っていることから、同市では産婦人科医不足がさらに深刻化しそうだ。

 東北大学医学部の岡村州博教授(周産期医学分野)は「人事を調整中なのでノーコメント」としているが、宮城県内の病院や同大での医師不足が背景にあるようだ。

 磐城共立病院は、県内に5カ所ある「地域周産期母子医療センター」の一つ。産婦人科医は03年春まで、嘱託3人を含む6人がいたが、開業などで4人に減り、昨年4月からは東北大が派遣している3人だけになった。

 市によると、同病院では、こうした事態を受け、診療の一部を規制し始めた。同病院が受け入れるのは、手術などを伴う妊婦に限ると開業医に通知した。しかし、規制しても、年間約600件の分娩数は横ばいのままで、今年3月末、派遣組の1人がやめることになり、「2人体制では、とてもやっていけない」と残る医師の引き揚げを決めた模様だ。

 県立医大の産婦人科講座では昨年12月、東北大やいわき市から連絡を受け、かわりの産婦人科医の確保へ動き出した。同医大の佐藤章教授は「若手には福島に残ってもらえるよう直接お願いをしたり、県立医大から新しくベテランを派遣したりして、少なくとも医師3人体制は維持したい」とする。地域内の別の病院で勤務する産婦人科医に移ってもらうことなども念頭に現在、市や関係先と調整中だ。

 市保健所によると、市内の出生数はこの数年3千人前後。他県などからの「里帰り出産」を含めると、年間で3700人程度が市内で出産しているという。

 一方、市内では、一昨年に呉羽総合病院=同市錦町=の産婦人科が休診となり、昨年8月には福島労災病院=同市内郷綴町=の産婦人科も休診した。市内の総合病院で産婦人科があるのは、松村総合病院と磐城共立の2院となっている。

 市では昨年末、市医師会や市病院協議会、市立病院幹部ら18人で構成する「地域医療協議会」を立ち上げ、医師確保策などの協議を始めた。公立と民間、勤務医と開業医といった枠組みを取り払い、新しい協力関係を築くことを狙っている。

(朝日新聞、2007年01月21日)

****** 中日新聞、2007年1月19日

恵那市内 産科医ゼロの危機

4月で不在に、派遣要望進展なし

 恵那市で開業する唯一の産婦人科医院が4月限りで診療を休止することになり、同市の産婦人科医がゼロとなる可能性が高まっている。市は市内で働いてもらえる産婦人科医を探しているが、めどが立っておらず「お産がしにくくなれば、地域の人口減や少子高齢化に歯止めがかからなくなる」と危機感を募らせている。 (鈴木智行)

 診療を休止するのは、同市長島町中野の「恵那産婦人科」。同病院によると、五月から産婦人科医が不在となる見込みとなったため、お産は四月までしか受け付けていない。病院は閉鎖しないが、後任の医師が見つかるまで休むという。

 もし休止が続けば、市民は市中心部からでも車で三十分近くかかる中津川市、瑞浪市などの医療機関でしか出産ができなくなる。休止を知った市内の主婦からは「当面、次の子どもを産むのは控えた方がいいのかしら」という不安の声も上がっている。

 山間部の過疎化が進む恵那市は、新総合計画で二〇一五年の人口を現在から約二千人減の五万五千人にとどめる目標を設定。昨春には少子化対策推進室を設置するなど力を入れていただけに「(同病院に)何とか続けるようお願いしてきたが…」と頭を抱える。

 市は同病院の診療休止を把握する前から、市幹部らが厚労省や県外の医療機関に出向き、市立恵那病院などへの産婦人科医派遣を要望しているが、具体的な話は進んでいない。市は「努力を続けていきたいが、全国的な産科医不足は深刻。今後は首長らの協力で、自治体の枠を超えた医療態勢の構築も必要になる」としている。

 <県内の産科の状況> 県などによると現在、県内で産科医がいない市は本巣市だけだが、近くの岐阜市や北方町の病院で出産ができる。また、美濃市は、市立病院で、週二回大学病院から婦人科医が来て診察、山県市や飛騨市の病医院では婦人科の診療はしているが、三市ともお産はできない。

(中日新聞、2007年1月19日)

****** 中日新聞、2007年1月19日

彦根市立病院産婦人科

機能存続求め街頭署名

 3月下旬から医師が1人になり、これまで通りの出産ができなくなる彦根市立病院(同市八坂町)産婦人科の機能存続を求める女性たちでつくる「彦根市立病院での安心なお産を願う会」が18日、市内で街頭署名に取り組んだ。

 同市長曽根南町のショッピングセンター「パリヤ」の入り口2カ所にメンバーら10人が立ち「彦根市だけの問題ではありません」と約1時間にわたって呼び掛けた。

 署名は医師確保などの手だてを尽くすよう求める嘆願書に添え、嘉田由紀子知事と獅山向洋市長に提出する。この日までに知事あては240人、市長あては278人分の署名が集まったという。会は2月中旬までに、8000人を目標に署名活動を続ける。

 代表の高居涼佳さん(33)は「用紙を持ち帰り、署名の取りまとめに協力してくれる人もいるなど、予想以上に反響がありました」と話していた。【築山栄太郎】

■民間診療所産婦人科医…医師確保の必要性説く

 彦根市立病院が分娩(ぶんべん)を休止すると、湖東地域で唯一の出産を取り扱う医療施設となる民間診療所「神野レディスクリニック」(同市中央町)の神野佳樹院長(50)は「このままでは年間300-400人は市内で産めなくなる」と、医師確保の必要性を説く。

 診療所では年間700例以上の出産を取り扱っているが、市立病院の診療制限が明るみに出た年明けから予約が殺到。5月末までは新たな予約を断っている状況だ。

 神野院長は「年間100人までなら何とか増やせるが、それ以上は無理」と窮状を説明。「2カ所以上の医療施設が地域にあり、合併症や妊娠中毒症などリスクの高い妊婦は総合病院、低い人は診療所と振り分けられる体制の維持が必要」と訴える。自らも滋賀医大などに市立病院への医師派遣を働き掛けているという。

 市立病院が開設を検討している「院内助産院」については「医療体制が整った病院が積極的に取り組むなら意味があるが、医師が足りないという理由で開設すると、何か起こったときに誰も責任が取れず危険」と話した。【築山栄太郎】

(中日新聞、2007年1月19日)

****** 毎日新聞、2007年1月19日

彦根市立病院:産婦人科機能存続へ、母親らが街頭署名活動 /滋賀

 彦根市立病院(赤松信院長)の産婦人科が3月下旬から医師1人になる問題で、子育て中の母親らが設立した「彦根市立病院での安心なお産を願う会」(高居涼佳代表)が18日、同市のベルロード沿いの「パリヤ」入り口で同科の従前の機能存続を求める署名活動を行った。約1時間の活動で彦根市長への嘆願書に184人、知事への分に240人の署名が集まった。

 市立病院は、3月20日以降の産婦人科の診療を制限。分べんや手術、がんの治療などは軽い場合を除き他の病院を紹介するという。「安心なお産を願う会」は今月9日に発足し、「彦根市立病院産婦人科の従前の機能(リスクの高い分べん、緊急手術など)を存続させるため、医師の確保などあらゆる手だてを尽くす」ことを求めて署名活動を進めている。

 街頭活動には会員ら約10人が参加。幼児を連れた若い母親や孫の手を引いた祖母らが、「不安がいっぱいです」「協力させてください」などと話しかけて署名していた。2月中旬をめどに約8000人の署名を集め、嘆願書を提出する他、彦根市の3月定例議会に請願書を出す。

 一方、以前から分べんを受け入れている同市内の神野レディスクリニック=神野佳樹院長(50)=は受診者が増え、5月中の出産予約は断っているという。神野院長は「年間750人の出産が上限だが、6月以降は毎月10人前後は増やして受け入れたい」と話す。それでも、これまで市立病院が受け入れていた400人以上が彦根の病院では出産出来なくなり、長浜や近江八幡の病院に頼ることになるという。

 市立病院に対しては、「何が中核病院だ。早くから手を打っておくべきだ」「リスクの高い出産や突発的なものはどうなる」などと住民の不安や不満、批判は高まっている。【松井圀夫】

(毎日新聞、2007年1月19日)

****** 京都新聞、2007年1月18日

市立病院で安心な産科医療を 

彦根・グループが街頭署名

 彦根市立病院の産婦人科が医師不足で3月下旬から診療を制限することに対して、同市の子育て中の女性らを中心に「彦根市立病院で安心なお産を願う会」(高居涼佳代表、14人)が結成され、医師の確保などを市と県に求める街頭署名活動を18日から始めた。

 この日はメンバーや賛同者など10人が、同市長曽根南町のスーパーで買い物客に署名を呼びかけた。子連れの主婦をはじめ、年配の女性や働き盛りの男性も次々と署名に応じ、「知人や近所の人にも呼びかける」と署名用紙をメンバーに求める人もいた。

 署名に応じた60代男性は「安心して子を産めないような街に将来の希望はない。県は医療の南北格差をなくすべきだ」と話していた。

 同会は、獅山向洋市長あての嘆願書では、リスクの高い分べんなど従前の産婦人科の機能を存続させ、医師の確保を要望している。嘉田由紀子知事に対する嘆願書では、医療の地域格差をなくし、安心で安全な産科医療が受けられる環境整備を求めている。2月中旬までに8000人を目標に署名を集める。

(京都新聞、2007年1月18日)


青森県の産科医不足対策

2007年01月20日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

最近の一連の報道記事を読んでみると、青森県の産科事情も相当に厳しい状況にあることがよくわかります。

報道によれば、同県の産科医数、分娩施設数がここ数年で激減している上に、残り少なくなってしまった現役産科医の約4割が60歳代以上!とのことです。

その年齢構成から、多くの産科医が今後数年以内に次々と現役を引退していき、産科医数が今後ますます激減してゆくことも十分に予想されます。

『目前にまで迫ってきた産科絶滅の危機を、いかにして回避するのか?』という緊急避難的な応急処置(短期的対策)を講ずると同時に、『将来的にいかにして産科医を増やし育てていくのか?』という10年後・20年後を見据えた中・長期的対策を同時並行的に実行してゆく必要があると思います。

参考:青森県内30市町村で産科医不在

****** 東奥日報、2007年1月20日

妊婦らの宿泊施設確保へ/青森県

 県は来年度、中核病院に通う妊産婦や小児患者、家族らが宿泊する施設の確保実現に本腰を入れる。民間やNPO(民間非営利団体)の活用も含め、患者や家族の経済的・心理的な負担を軽減する宿泊施設実現へ検討を進める方針だ。

 十九日開かれた県議会環境厚生常任委員会で、県医療薬務課が、施設確保に向けた調査経費の予算化を検討していることを明らかにした。

 県は、深刻な産科医不足を受けて、地域の産科医を中核病院に集め、効率的な医療を提供する方針。医師集約化に合わせ、病院に隣接する宿泊施設を確保したい構えで、構想では、妊婦が出産や健診前に宿泊するほか、小児患者や看護する家族が滞在できるようにする。

(東奥日報、2007年1月20日)

****** 毎日新聞、2007年1月19日

青森県、待遇改善など3項目を柱に 産科医不足対策のたたき台

 深刻な産科医不足状況を改善しようと、県は基本指針「産科医療提供体制の将来ビジョン」(仮称)の07年度中の策定を目指し、指針内容の検討作業に着手した。青森市で県内医療機関の専門家による初の検討会が開かれ、県から「安全安心な出産環境の整備」など3項目を柱とする指針案のたたき台が明らかにされた。

 国の調査では、04年末の県内産科医数は94人。人口10万人あたり6・47人しか産科医がおらず、全国ワースト4位の状況だった。産科医の高齢化に伴い、今後さらに減ることも予想されている。

 この現状を踏まえ、県は検討会で(1)安心安全な出産環境の整備(2)将来にわたる産科医療体制の維持と充実(3)住民不安の軽減----を軸とする指針案のたたき台を提示。さらに、産科医の勤務環境や、女性医師の出産環境の整備などを進める方針を示した。

 これに対し、弘前大医学部などの医療機関側からは、ほとんど休日がない産科医の過酷な勤務状況が報告され、「妊婦の安全・安心のためにも出産施設の集約化は避けられない」との意見が相次いだ。また、産科医の確保のためにも、病院が女性産科医の出産支援策を充実させるべきだとの意見も出た。【村松洋】

(毎日新聞、2007年1月19日)

****** デーリー東北新聞、2007年1月15日

青森県内の深刻な産科医不足で議論本格化

 青森県は県内の産科医療体制を考える検討委員会を十一日に設置し、本年度内に「将来ビジョン」を策定するための作業を開始した。限られた医師数を活用し、安全で安心な出産環境を再構築する方針だ。そこで焦点となってくるのが、医療施設の重点化と医師の集約化。産科医の過重勤務を軽減するために、大学医学部が医師を再配置するなど既に一部では進んでいるが、これから本格的な議論が始まる。だが、公立病院を運営する各市町村や地域住民の理解など、クリアしなければならない課題は多い。
 
 ■22年前から57人減

 産科医不足の要因として挙げられるのは、過酷な勤務状況や医療訴訟の多さなどから、医学生が敬遠する傾向にあることだ。

 二〇〇四年に国が実施した調査によると、県内の産科医数は九十四人。一九八二年の百五十一人から五十七人減少した。全体の医師数は、千八百二人から二千三百八十一人と五百七十九人増加しているのに対し、産科医の激減は著しい。

 これに伴い、出産できる医療機関も減少。最近では、〇五年四月から十和田市立中央病院と公立野辺地病院、〇六年一月には公立七戸病院の産科医が不在となった。民間も出産ができる医療機関は多くはない。〇六年十月現在、県内では十三の公立病院と二十五の民間医療機関が出産に対応している。

 また、医師の高齢化問題にも直面している。婦人科医も含めた県臨床産婦人科医会の年齢構成をみると、六十代以上の医師は37%。二十、三十代の医師は計18%と半減。関係者からは「これからも徐々に減っていく。まさに“時限爆弾”だ」と危惧(きぐ)する。

 ■集約化は可能か?

 十一日、県が青森市内で開いた将来ビジョンの策定検討委員会(会長・水沼英樹弘前大医学部産婦人科学講座教授)の初会合では、出産環境を整備し直すため、来年度から医療施設の重点化や医師の集約化の具体的な検討を開始することにも言及した。

 小児科と産科医の医療資源の集約は、必要があれば緊急避難的な対策として各都道府県が検討することとなっている。だが、委員からは「各自治体に対し、県の指導力をどこまで発揮できるのか」と、果たして踏み込んだ議論に至るのか、不安視する声も聞こえる。

 水沼会長は「集約化は住民にとっては不安や不便になるかもしれないが、安全なお産を担保しなければならない」とした上で、「住民の理解を得て進めなければならない」と訴える。

 ■住民支援策も急務

 将来ビジョンは集約化のほかに、医療機関の連携見直しや女性医師の就労支援、助産師の活用、産科医を志望する学生の増加策など、今後実施すべき対策を洗い出す。

 一方、医療施設が遠くなることでの住民負担を軽減するために、待機宿泊施設や助産師外来などの必要性についても市町村と連携して検討するとしている。

 取材に対し佐川誠人県医療薬務課長は「現状では集約はやむを得ない。個人的には五人以上の複数配置が望ましい」と説明。「集約して産科医がいなくなった地域の住民に対しても、行政として責任を持ってフォローしたい」と、強調した。

(デーリー東北新聞、2007年1月15日)

****** 朝日新聞、2007年1月12日

産科医不足 県がビジョン作り

■検討会初会合で案提示

 深刻な産科医不足を克服するための県の基本的な指針となる「産科医療提供体制の将来ビジョン」づくりが始まった。青森市内で11日開かれた大学や病院関係者らでつくる検討会の初会合の場で、県がビジョンの大まかな案を示した。

 県は新年度以降、具体的な対応策をまとめる考えで、ビジョンはその基本的な指針となる。

 11日に提示された案では、(1)現在ある医療資源の中で安心安全な出産環境を整備すること(2)将来にわたって産科医療の提供体制を維持し充実すること(3)住民の不安や不便を軽くすること――の三つを課題の柱と位置づけている。

 これを基に、短期的対策として勤務時間や休み、手当の改善で医師の勤務環境を改善することや、女性医師が出産や産休を経ても続けて働ける環境づくり、産科医の代わりに助産師が妊婦の検診や保健指導をする助産師外来の検討などを挙げている。

 この日出席した委員からは、「県の総合周産期母子医療センターですら医師を募集しても集まらない」と医師確保の厳しさを訴える意見や、「産科医の集約化とともに小児科医の集約化も必要だ」といった具体的対策への意見が出された。

 県などによると、産科医療体制がぜい弱なのは、大学から自治体病院に派遣されている産科医の集約や引き揚げが進んで医師1人当たりの負担が増加、その結果、退職や開業する医師が相次ぎ、さらに医師不足を招く悪循環が起きているからだ。82年に県内に151人いた産婦人科医は、04年には94人まで減っている。

(朝日新聞、2007年1月12日)

****** 東奥日報、青森、2007年1月12日

県内産科医高齢化 4割が60代以上

 県内の産婦人科医のうち六十代以上が全体の約四割を占め、高齢化が進んでいることが十一日、青森市で開かれた産科医療提供体制のあり方に関する検討会(会長・水沼英樹弘大教授)で報告された。産科勤務医の月間の勤務時間は二百-三百時間に達し、中には「休日がない」医師もいるなど、過酷な労働環境が浮き彫りとなっている。今後、“産科離れ”が加速する恐れもあり、県は「産科医療提供体制の将来ビジョン(素案)」を策定し、産科医の集約化、勤務医の待遇改善、助産師活用などを提案した。

 弘大産婦人科学講座の報告によると、県の臨床産婦人科医会には百三十九人が所属。そのうち六十代以上が五十二人(六十代十七人、七十代二十一人、八十代十四人)で全体の37%。一方、二十-三十代は二十五人(二十代八人、三十代十七人)と全体の18%にとどまっていた。

 また県内の十五医療機関、産婦人科医五十二人から回答を得たアンケート結果によると、産科勤務医の月間勤務時間は二百時間から三百時間。当直回数(宅直含む)は、おおむね月間八日から二十一日に上る。休日調査では、週一回の休日が53%(八病院)で、二週間に一日は33%(五病院)、13%(二病院)が「休日がない」と答えた。

 「職場を変える」「開業する」など、現状を抜け出したい-とする産科医は約半数に達した。

 産科医の高齢化について、弘大産婦人科学講座は「産科志望者が大幅に増えない限り、現状のままでは自然減少が続く」と指摘。委員からは「高齢化した医師が、お産にかかわらなくなるという事態も」「産科医は“絶滅危惧(きぐ)種”ではなく、“絶滅種”になりかねない」という意見が出された。

(東奥日報、青森、2007年1月12日)

****** 河北新報、2007年01月12日

お産を安心安全に 青森県、将来像策定へ検討会

 青森県は産科医療提供体制の将来ビジョン策定を目指し、医療関係者による検討会の初会合を11日、青森市の青森国際ホテルで開いた。安心して安全なお産ができる環境整備をテーマに話し合い、小児科と産科の集約化の必要性についても検討する。

 議長には、弘前大医学部産科婦人科学講座の水沼英樹教授が選ばれた。委員からは「少子化対策の視点が必要だ」「産婦人科医の高齢化が進んでおり、医師減少を念頭にビジョンを作るべきだ」「搬送体制の充実が欠かせない」などの意見が出た。

 検討会では、同講座の横山良仁講師が産婦人科の病院勤務医に対するアンケート結果を報告した。将来ビジョンに盛り込むため、県が同講座に委託して行った調査研究の一環。

 横山講師は、6割以上の医師が自分の仕事量を過重だと感じている現状を紹介、「産科医を増やす前に、現役を辞めさせない方策が必要だ」と指摘した。

 さらに、必要な対策として(1)医師の報酬や待遇の改善(2)研修機会の確保(3)女性医師への出産育児支援―を挙げた。

 検討会は3月に素案をまとめ、県民の意見を募集する。将来ビジョンの策定は2007年度初めを予定している。

(河北新報、2007年01月12日)

****** 陸奥新報、2007年1月12日

産科医療提供体制の在り方で県の検討会

年度内に将来ビジョン策定

 本県の産科医療提供体制の在り方に関する第1回の検討会が11日、青森市内で開かれた。今年度内に産科医療提供体制整備の基本的な考えや今後の対応策などをまとめた将来ビジョンを策定、ビジョンに盛り込まれた個別課題は来年度、県周産期医療協議会で検討する。また産科・小児科医の集約化・重点化についても今後検討する予定だ。

 将来ビジョンは本県の現状を踏まえ、限られた資源の中で安心・安全な出産環境の整備を図るため、基本的な方向性を示すもの。現状と課題、短期・中長期的な対策を盛り込みまとめる。

 検討会は弘大医学部、県医師会、県総合周産期母子医療センターなど関係者13人で構成され、同日は事務局のビジョン構成案を基に意見を出し合った。2月末までに委員の意見を集約して素案を作成、3月に開く第2回検討会で決める。

 会議では現状把握のため、県が弘大医学部産婦人科学講座に委託し、昨秋に実施した調査研究の中間報告が発表された。17の公的・私的病院と産婦人科医52人にアンケートを行った結果、全体の52・9%が当直が「やや過重・非常に過重」とし、仕事量も64・7%が「やや過重・非常に過重」と受け止めながら勤務していることが分かった。

 逆に女性医師に対する支援策がしっかりしている病院勤務の医師からは少数ながら「当直が少ない」「休日は十分」という回答もあり、中間報告は「今後ますます増える女性医師への支援策確立が重要」としている。

 また待遇や休暇、収入については5―6割が十分ではないと感じており、全体の44%は職場を変えたり、開業や他科へ変わるなど環境変化を求めている。調査では、現在の施設勤務医を確保するためには「仕事量に見合った報酬を支払うことが第一」と考察している。

(陸奥新報、2007年1月12日)

****** 東奥日報、2006年1月6日

県の産科医集約構想に賛否の声

 県内の産科医不足対策として、県が打ち出した産科医を中核病院などに集約する方針に賛否の声が上がっている。医療関係者は「過重労働が軽減され、チーム医療でハイリスク症例に対応できる」と集約化をおおむね歓迎するが、妊婦や出産したばかりの女性は「やっぱり地元の病院で安心してお産したい。長時間の通院は心配」と不安を隠せずにいる。

 県は来年度スタート予定の「出産環境整備特別対策事業」で、大学、医師会、住民らの意見を踏まえた「産科集約ビジョン」を二カ年で策定する考えだ。集約ビジョンは自治体病院の産科医を中核病院などに三-四人体制で集め、医師の負担軽減と高度医療提供を目指すが、一方で集約により産科医不在の病院が新たに発生する懸念もある。

 ある自治体病院の産科医は「現状では産科医を増員することは難しい。安全性を追求し、重症例に対応するためには産科をセンター化し、医師と妊婦を集約するしかないのではないか」と語る。弘前大学医学部産科婦人科学講座の水沼英樹教授は「労働環境の過酷さからこのままでは勤務医はみな辞めてしまう。集約には総論賛成。だが病院直結のバスを運行させるなど住民の利便性確保も必要。いかに住民理解を得られるかが重要だ」と提言した。

 一方、地元から産科医がいなくなるかもしれないという住民の不安は大きい。三月に出産を控えた十和田市の主婦(28)は「近くの開業医で出産予定だが遠くは八戸市まで通院している人もいると聞く。この時期は大変そう。地元で安心して産みたい」と語る。また、昨年十二月末に出産したばかりの三沢市の会社員(31)は切迫早産で出産までの三カ月間入院した。「普通分娩(ぶんべん)できたのは地元の病院で安心して過ごせたおかげ。むしろ出産できる病院を増やしてほしい」と訴える。

 県医療薬務課は「二十四時間いつでも対応できる産科拠点が必要。その安心を確保するためにも避けて通れない」と集約の意義を強調する。医師集約について行政と住民の認識に大きな溝がある中、住民の不安をいかに払しょくするかがビジョン策定の鍵になる。

(東奥日報、2006年1月6日)


地域に産婦人科医が一人だけしかいない状況

2007年01月19日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

福島県立大野病院の産婦人科はあの事件後に閉鎖されたと報道されています。その時に、同県の他の県立病院・産婦人科の1人医長体制は当然すべて解消されたに違いないと私は勝手に想像していましたが、この記事を読むと、いまだに、広い医療圏内で唯一の産婦人科医が孤軍奮闘して分娩を取り扱っている県立病院の例も少なくないようで、正直言って非常に驚きました。

癒着胎盤、子宮内反症、弛緩出血などによる分娩時大量出血が、次にいつ起こるのかは全く予測できません。もしかしたら、今日にでも発生するかもしれません。その時には、緊急大量輸血も必要でしょうし、院内に麻酔科医がいてくれないと適切に対応できません。産婦人科医が一人だけではとても対応しきれません。次の犠牲者がでるまでは現体制を続けるというのでしょうか?

もしも地域内に産婦人科医を一人しか配置できないということであれば、せめて、そこでの産科の診療は妊婦検診だけにとどめるべきだと思います。一人の産婦人科医に地域の分娩を不眠不休ですべて担わせるのは、神風特攻隊で多くの若者を犠牲にした過去の痛ましい悲劇と全く同じ発想だと思います。

私自身も若かりし頃、公立病院の一人医長を教授から命ぜられて、決死の覚悟で孤軍奮闘し、不眠不休で多くの分娩を取り扱い、毎日毎日、一人で多くの緊急手術を実施しました。しかし、今はそういう時代ではないと思います。未来ある若者達を、決して、そんな危険な状況に追いやってはいけないと思います。今後、公立・公的病院で分娩を取り扱ってゆく以上、産婦人科の常勤医は最低でも7~8人は絶対に必要だと考えています。

参考:

県立大野病院事件についての自ブログ内リンク集

お産可能な施設、全産婦人科の半分以下に…05年厚労省調査 (読売新聞)

****** 河北新報、2007年1月19日

お産SOS 東北の現場から

防衛医療/逮捕や訴訟 揺れる医師

 南相馬市の病院に勤める産婦人科医の木村康之さん(43)。心を決め、院長に切り出した。「もう、お産をやめたいと思っています」。引き金は半年前の“事件”だった。
 2006年2月。福島県の同じ浜通りにある県立大野病院(大熊町)で、顔見知りの産婦人科医が逮捕された。04年暮れ、帝王切開の手術で女性=当時(29)=が死亡。子宮に癒着した胎盤をはがそうとした際、大量出血を起こした。
 大野病院と同様、常勤医は1人体制。「どんなに力を尽くしても、患者が亡くなれば結果責任を問われる。お産を続けられる状況ではない」。捜査の経過は、人ごととは思えなかった。
 癒着胎盤は出産後、自然にはがれるはずの胎盤が子宮にくっ付いて取れない状態。数千人に1人の割合で起こる。事前に癒着胎盤の有無、程度まで正確に診断することは不可能に近いとされる。
 症状が似た前置胎盤の手術経験はあった。母子ともに無事だった。癒着胎盤であれば、命を救えた確信はない。「今なら、より体制の整った病院を紹介する。委縮と言われるかもしれないが、現状ではやむを得ない」
 母体に負担をかけまいと、「待つお産」を心掛けてきた。訴訟の増加もあり、自然分娩(ぶんべん)には以前ほどこだわらなくなった。
 「専門の不妊治療から出産まで一貫した診療にやりがいを感じている。自分がやめると、周囲の医師に負担をかけてしまう」。木村さんは思い直し、今もお産を続けるが、心は揺れる。

 お産で亡くなる母子は減っている。一方で、医療訴訟は増加傾向にある。
 最高裁によると、05年は産婦人科が119件。内科、外科に次ぐ3番目で、全体の12%余りを占める。医師数に占める産婦人科医の割合は5%足らず。法廷に持ち込まれる率は高い。
 「トラブルは抱えてないけど、いつ降りかかってくるか」。福島県立南会津病院(南会津町)産婦人科の医師安部宏さん(35)も思案する。最寄りの血液センターまでは一時間。「癒着胎盤が起きたら、大野病院と同じ結果になるかもしれない」
 予期せぬ悲劇を妊婦側は受け入れ難い。「お産は病気じゃないから安心して」。周囲が何げなく励ます言葉に、ほかの診療科との宿命的な違いが表れている。
 「事件があったからといって医療の内容を変えたくない。ただ、多くの医師が委縮し、『防衛医療』になるのは無理もない」と安部さん。周囲に漂う微妙な空気の変化を感じる。
 産科医療の現場を揺さぶる大野病院事件。公判は26日、福島地裁で始まる。

(河北新報、2007年1月19日)

****** 河北新報、2007年1月18日

お産SOS 東北の現場から

安全神話/「無事で当然」増す重圧

 赤ちゃんが元気に産声を上げる。無事、お産が終わった。そう思ったときだった。
 「お母さんの出血が止まりません」。助産師の言葉に、福島県立南会津病院(南会津町)産婦人科の医師安部宏さん(35)は全身に緊張が走った。
 助産師が胎盤を出そうと、臍帯(さいたい)を引いた際、子宮が裏返しになって出てきた。子宮内反症。1万人に1人とも言われる確率で起きる症状だ。
 一刻も早く出血を止めないと、命が危ない。止血に取り掛かりながら、会津若松市の赤十字血液センターに血液輸送を頼んだ。車で飛ばしても一時間。普段にも増して、曲がりくねった山道が恨めしい。「早く。早く、来てくれ」
 緊急輸血後、会津若松の病院に搬送される母親に付き添った。常勤医は安部さん1人。目の前の女性の容体とともに、「留守中に何かあったら」と気が気ではない。戻ってきたのは午前7時。気持ちを静め、いつも通りに外来診療を始めた。
 「先生、あのときはお世話になりました」。1週間後、回復した母親が訪ねてきた。笑顔にほっとした。同時に、ふと頭をかすめた。「もし、助けられなかったら、どうなっていただろう」

 かつて、出産は「棺桶(かんおけ)に片足を入れたようなもの」と言われた。自宅出産が主流だった一九二五(大正14)年。1000件の出産があれば3人程度の母親は亡くなり、60人近い新生児が命を落とした。
 戦後、出産の場は病院などの施設に移る。食料事情や衛生面の向上もあり、死亡率は飛躍的に下がった。2005年、母親の死亡は1000件当たり0.057人。新生児死亡も1.4人にまで減った。
 不幸な例は今や、「万が一」のレベル。「でも、お産は最後まで何があるか分からない」。急変の怖さを知る産科医はこぞって過信を戒める。
 高血圧や糖尿病でリスクを伴う妊婦、高齢出産が増えている。安部さんも「お産に『絶対安全』はない」と言い切る。
 一方の産む側。不測の事態を想定することはほとんどなくなった。それが「安全神話」を生み、医師の重圧につながる。
 「医師として一生懸命やるのは当然。妊婦さんの不安をあおるようなことも言うべきではない。ただ、予想外の結果になったときを思うと、プレッシャーを感じる」。常勤1人ゆえの悩みを安部さんは打ち明ける。
 少子化で減りつつある出産の機会。「絶対安全」を求める風潮は一層強まる。厳しさを増す医療体制の現実との間で、見えない溝が深まる。

(河北新報、2007年1月18日)

****** 河北新報、2007年1月17日

お産SOS 東北の現場から

24時間拘束/常勤医1人 重責一身に

 電話が鳴っている気がして、目が覚めた。午前零時を回っていた。慌てて病院へ連絡する。「今、電話くれた?」「かけてませんよ」。安堵(あんど)といらだちが交錯した。「寝ている間も気が休まらないなんて」
 福島県立南会津病院(南会津町)の安部宏さん(35)。ただ1人の常勤の産婦人科医だ。南相馬市(旧小高町)出身。着任して3度目の冬を迎えた。
 カバーする南会津郡の面積は約2300平方キロ。神奈川県全域に匹敵する。お産を扱うのは安部さん1人だ。
 有数の豪雪地帯。大きな病院がある会津若松市まで、車で2時間かかる地区もある。「誰かがここにいなければ」。そんな熱意が、24時間拘束の生活を支える。

 日本産科婦人科学会の調査によると、全国の大学医学部・医大が2005年度に産婦人科医を派遣した病院のうち、東北では23%が常勤医が1人だけ。出産受け入れに制限を設ける病院も少なくない。
 婦人科を含め、明らかに1人では手に負えない重症者以外、安部さんは断らない。「周りには『無理するな』と言われるけれど、何とかできるなら診てあげたい」。うわさを聞き付け、時間外に会津若松から駆け込んでくる人もいる。
 着任時、病院の出産は年間70件を切っていた。今は倍の140件。地域のお産の半分だ。外来患者と手術も年々増えている。「地域からの信頼が数字に表れている」と自負はできる。
 誕生の瞬間、分娩(ぶんべん)室に響く産声と母親の笑顔に心が和む。これまで取り上げた赤ちゃんは350人以上。お母さん一人一人の顔と名前を覚えている。
 「出産は一生、記憶に残る。それを支えられる仕事」。誇りと充実感に満たされる。

 疲労も確実にたまっている。お産は時間を選ばない。産婦人科の急患には別の当直医がいても駆け付ける。夜間や未明の呼び出しは3日に1度。診療時間が来れば、普段通り診察や手術をこなす。
 勤務終了後や週末も病院の近くから離れない。携帯電話も手放せない。入浴中は浴室のそば、就寝中は枕元に置く。ささやかな楽しみは晩酌の缶ビール2本。いつ呼び出されても大丈夫なように、酔うほどは飲まない。
 1年半前、高校まで一緒に暮らしていた祖母が亡くなった。通夜には遅れ、火葬が終わる前に戻らなければならなかった。学会も自分の発表を済ませると、とんぼ返り。地元を空けるのは月2日の休みだけだ。
 「体力的な負担より、精神的なストレスが大きい。『自分の代わりはいない』と言い聞かせている。あと何年もつだろうか。ときどき考えてしまう」
 福島県立医大(福島市)は昨年12月、1週間交代の応援派遣を始めた。確かに拘束時間は減った。「医局も人手不足。応援の負担は重い」「患者さんも毎回医師が代わるのを好まない。本当は常勤医を増やしてほしい」。心境は複雑だ。
 年度替わりの4月以降も、応援が続くかどうか分からない。南会津に残るかどうか悩んだこともある。それでも、「自分を信じてくれる妊婦さんや患者さんを裏切れない」。数字以上の信頼関係がかろうじて、安部さんをつなぎ留めている。

                                ◇ ◇ ◇

 東北の各病院で、数少ない医師たちが産婦人科の看板を守っている。増員は見込めない。勤務環境は厳しい。生命の誕生を支える医療は、訴訟リスクと隣り合わせでもある。お産総数の半分を担う開業医も苦境に立つ。医療現場の苦悩は深い。

(河北新報、2007年1月17日)


崩壊の瀬戸際/減る産科医 忙殺の連鎖 (河北新報)

2007年01月16日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

この記事は、私にとって他人事ではありません。一人で頑張り過ぎないこと!が非常に重要だと思います。

なるべく多くの人を巻き込んで、業務に関与する人の頭数を増やすことが重要です。さらに、業務内容を徹底的に見直して、みんなで適切に役割を分担し、誰か特定の人の負担だけが突出して大きくなり過ぎないよう十分に配慮してゆく必要があります。

****** 河北新報、2007年1月14日

お産SOS 東北の現場より (上)

崩壊の瀬戸際/減る産科医 忙殺の連鎖

 「安心して産みたい」。妊産婦の叫びが聞こえる。東北各地で産婦人科を閉じる病院が相次ぐ。出生数がわずかながらも上向き、少子化にかすかな明かりが差す一方で、肝心の産む場が地域の中でなくなっている。「お産過疎」の進行は、全国的にも東北が特に深刻だ。医師不足、過酷な勤務、訴訟リスク…。産科医療を取り巻く厳しさは、都市も郡部も、大病院も開業医も変わりはない。さまよう妊産婦、悪条件の中で踏ん張る医師。東北に交錯する「SOS」の発信地をたどり、窮状打開の道を探る。(「お産SOS」取材班)

 「5日と2時間」。通知書類には直前の9カ月半に取ったわずかな休日数が記されていた。
 東北の公立病院に勤めていた産婦人科医。2004年、過労死の認定を受けた。亡くなったのは01年暮れ。自ら命を絶った。53歳だった。「僕が地域のお産を支えているんだよ」。家族に誇らしげに語っていた。
 亡くなる半年前、医師5人だった産婦人科で1人が辞めた。後任は見つからない。帰宅は連日、夜の10時すぎ。昼食のおにぎりに手を付けられない日が増えた。
 床に就いても電話が鳴る。「急変した。診てもらえないか」。地元の開業医や近隣の病院からだった。「患者さんのためだから」。嫌な顔一つせず、職場へ舞い戻った。
 心身の負担は限界に達しつつあった。ようやく取った遅い夏休み。1人の患者が亡くなった。「自分がいたら、助けられたかもしれない」。食は細り、笑顔も消えた。
 「つらいなら、辞めてもいいよ」。見かねた妻が言った。「自分しかできない手術がずっと先まで入っている」。そんな責任感の強い医師が死の前日、同僚に漏らした。
 「もう頑張れない」
 家族あてとは別に、「市民の皆様へ」という遺書もあった。お別れの言葉をしたためていた。「仕事が大好きで、仕事に生きた人だった。そんな人が頑張りきれないところまで追いつめられた」。妻は先立った夫の心中をこう思いやる。

 本年度、東北の6大学医学部・医大で産婦人科医局の新人はたった8人。東北大と弘前大は1人もいない。学生が産婦人科医になりたがらない。
 この10年で全国の医師は約4万人増えた。それなのに、産婦人科医は約900人減った。24時間、365日の激務。母子2人の命を守るプレッシャーがのしかかる。
 出産をめぐるトラブルや訴訟の多さも、なり手をためらわせる。
 06年2月には福島県立大野病院(大熊町)の医師が、帝王切開手術で妊婦を失血死させたとして逮捕された。医師1人体制で、年間約200件の出産を扱っていた。
 会津若松市の病院で働く産婦人科医曽我賢次さん(57)は言う。「限られた体制で命を救おうとした医師が結果を問われ、刑事罰まで受けるのでは、産科のなり手は減るばかりだ」
 10年前から、曽我さんはお産の扱いをやめた。今は内科と婦人科で働く。きっかけは後輩の突然死。「熱心で優秀な医師だった。夜中に呼び出され、病院へ向かおうとして倒れたと聞いた。やりがいだけで長く続けられる仕事ではない」。大学の同期5人のうち3人は内科などに移った。

 鉄の街として栄えた釜石市。04年、釜石市民病院はお産をやめた。隣の遠野市の岩手県立遠野病院は5年前から休診中。分娩(ぶんべん)を扱う開業医はいない。
 地域でお産ができるのは県立釜石病院だけ。「1時間以上かけ、市外から山道を越えてくる妊婦さんも多い」。産婦人科の医師小笠原敏浩さん(46)は言う。
 04年春、医師は1人から2人になった。もっと忙しくなった。それ以上に患者が殺到したからだ。入院患者は以前に比べて倍増した。出産は本年度、約500件に達する見通し。2人が手術に掛かりきりのとき、診察室は空っぽになる。
 分娩の数を制限すれば楽にはなるが、「行き場を失う人は出したくない」と小笠原さん。「産婦人科は大変なだけじゃない。面白さを若手に伝えるのも、僕の使命」
 生命の誕生に立ち会う喜びと誇り。重圧と真正面から向き合う医師たちが今、瀬戸際で踏みとどまっている。

(河北新報、2007年1月14日


女性医師 働き続けられる環境を

2007年01月15日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

昔の産婦人科医はほとんど男性ばかりでしたが、最近の若い産婦人科医は女性が非常に多いです。今まで産婦人科の医療現場で先頭に立って働いてきた男性医師達の高齢化が進んでいて、十年後にはその多くが引退しているはずです。今後は産婦人科医の中で女性医師の占める割合がますます増えていきます。従って、女性医師達が辞めないでもすむように職場環境を整えてゆくことが非常に重要です。

****** 信濃毎日新聞、2007年1月15日

女性医師 働き続けられる環境を

 産科や小児科を中心に医師不足が深刻だ。さまざまな対策が必要だが、とりわけ女性医師が働き続けられる環境を急いで整えたい。

 医師全体で女性は16・5%を占める。最近の医師国家試験では合格者の約3割に上り、女性医師は増えている。

 特に産婦人科は、20代後半の医師の7割近くが女性である。小児科は半数近い。いずれも同性としての視点を患者や家族と共有しやすい診療科で、女性医師が増えているのは当然だ。患者側の要望も高い。

 しかし、医師として経験を積むべき20代後半から30代は、出産や子育て時期に重なる。家族などの助けがないと、女性が宿直や緊急の呼び出しのある常勤医には戻りにくい。産休・育休明けの復帰をあきらめたり、非常勤を選ばざるをえない人は少なくない。

 こうした中、女性医師が働き続けられるよう支援する取り組みが県内でも始まっている。

 信大医学部は女性医師・医学生キャリア支援プロジェクトをスタートさせた。新年度から学生と学内外の医師を対象とした講座を開く。女性医師として働き続ける上で何が必要か、学生の時から考えるようにする。全国でも先進的な取り組みだ。

 このほかにも、職場復帰を支援する研修を開いたり、コーディネーターを置く。休職したり非常勤で働いている女性の状況を分析するほか、就業希望者を登録する人材バンクの設立も計画している。

 現場の工夫もある。長野市の総合病院では、小児科の常勤医師1人分の仕事を、女性2人で分担するワークシェアリングを行っている。

 県外の病院では、子育て中の女性医師に残業や当直のない短時間勤務を認めたり、24時間態勢の保育所を設置しているケースもある。女性が働きやすい病院を認定するNPO法人の取り組みも始まった。

 女性医師の支援は病院単位の取り組みにとどめず、県や市町村の協力を得ながら、より積極的に広めたい。併せて大切なのは一緒に働く人たちの意識を変えることだ。

 医療現場は多忙で、休日、夜間を問わない呼び出しや当直を含めた長時間勤務が当たり前とされてきた。“男性並み”に働けない女性医師が増えるのを、困ったことと受け止める雰囲気もまだある。それでは状況は変わらない。

 女性が働き続けられる病院は、男性を含めた労働環境改善につながる。全国的な医師不足の中、人材募集のPRにもなる。これからますます大事になる視点だ。

(信濃毎日新聞、2007年1月15日)


地域の基幹病院での分娩取り扱い中止

2007年01月13日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

あいかわらず、全国各地の病院での分娩取り扱い中止の報道が続いています。

県から周産期母子医療センターに指定されているような地域基幹病院での分娩取り扱い中止も目立ちます。

覆水盆に返らず! 地域内の産科がことごとく絶滅してしまってからでは、もはや手遅れでどうにもなりません。

まだ何とか一部の産科がかろうじて生き残っているうちに、各県で早急に協議して残すべき重点化病院を指定し、その指定された病院に、産婦人科医、助産師、小児科医、麻酔科医などを集約化し、待遇を大幅に改善するなどの強力な緊急避難的対応策を断固として実行に移す必要があります。

参考:

産科施設の減少に関する最近の報道

「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ (朝日新聞)

産科医不足、大阪の都市部でも深刻 分娩制限相次ぐ

奈良南部の病院、産科ゼロ 妊婦死亡、町立大淀も休診へ

“お産難民” 回顧2006 (東京新聞)

「このままでは産科2次医療は崩壊する」(医療タイムス社、長野)

上田でお産の課題話し合う (南信州新聞)

ふれあい横浜ホスピタルの早乙女智子医師より
(どうする日本のお産 in 長野

地域周産期医療の現場で、我々が今なすべきことは何だろうか?

****** 北海道新聞、2007年1月13日

「出産可能」桧山でゼロ 道立江差病院が休止へ

 【江差】桧山管内で唯一、産科のある道立江差病院は十五日から、産婦人科の出産取り扱いを休止する。医師一人が常勤する体制は変わらないが、安全な出産医療を維持できないと判断した。今後は妊婦検診などに限って対応する。

 江差病院は医師確保のめどが立っていなかったため、今月以降に出産を予定する妊婦の出産予約受け付けを見合わせてきた。

 結局、札幌医大が常勤医の派遣を続けることになったため、医師は確保できたが、同大は「ベテラン医師が不足しており、医師一人では継続的に出産を受け入れることは難しくなった」として、出産の取り扱いは再開しない方針を伝えてきた。婦人科は従来通り、診察する。

 同病院は二○○五年度は百五十八件の出産を取り扱った。全道十四支庁で出産できる病院が一つもなくなるのは、桧山管内が初めて。

(北海道新聞、2007年1月13日)

****** 東奥日報、青森、2007年1月12日

県内産科医高齢化 4割が60代以上

 県内の産婦人科医のうち六十代以上が全体の約四割を占め、高齢化が進んでいることが十一日、青森市で開かれた産科医療提供体制のあり方に関する検討会(会長・水沼英樹弘大教授)で報告された。産科勤務医の月間の勤務時間は二百-三百時間に達し、中には「休日がない」医師もいるなど、過酷な労働環境が浮き彫りとなっている。今後、“産科離れ”が加速する恐れもあり、県は「産科医療提供体制の将来ビジョン(素案)」を策定し、産科医の集約化、勤務医の待遇改善、助産師活用などを提案した。

 弘大産婦人科学講座の報告によると、県の臨床産婦人科医会には百三十九人が所属。そのうち六十代以上が五十二人(六十代十七人、七十代二十一人、八十代十四人)で全体の37%。一方、二十-三十代は二十五人(二十代八人、三十代十七人)と全体の18%にとどまっていた。

 また県内の十五医療機関、産婦人科医五十二人から回答を得たアンケート結果によると、産科勤務医の月間勤務時間は二百時間から三百時間。当直回数(宅直含む)は、おおむね月間八日から二十一日に上る。休日調査では、週一回の休日が53%(八病院)で、二週間に一日は33%(五病院)、13%(二病院)が「休日がない」と答えた。

 「職場を変える」「開業する」など、現状を抜け出したい-とする産科医は約半数に達した。

 産科医の高齢化について、弘大産婦人科学講座は「産科志望者が大幅に増えない限り、現状のままでは自然減少が続く」と指摘。委員からは「高齢化した医師が、お産にかかわらなくなるという事態も」「産科医は“絶滅危惧(きぐ)種”ではなく、“絶滅種”になりかねない」という意見が出された。

(東奥日報、青森、2007年1月12日)

****** 河北新報、2007年01月12日

お産を安心安全に 青森県、将来像策定へ検討会

 青森県は産科医療提供体制の将来ビジョン策定を目指し、医療関係者による検討会の初会合を11日、青森市の青森国際ホテルで開いた。安心して安全なお産ができる環境整備をテーマに話し合い、小児科と産科の集約化の必要性についても検討する。

 議長には、弘前大医学部産科婦人科学講座の水沼英樹教授が選ばれた。委員からは「少子化対策の視点が必要だ」「産婦人科医の高齢化が進んでおり、医師減少を念頭にビジョンを作るべきだ」「搬送体制の充実が欠かせない」などの意見が出た。

 検討会では、同講座の横山良仁講師が産婦人科の病院勤務医に対するアンケート結果を報告した。将来ビジョンに盛り込むため、県が同講座に委託して行った調査研究の一環。

 横山講師は、6割以上の医師が自分の仕事量を過重だと感じている現状を紹介、「産科医を増やす前に、現役を辞めさせない方策が必要だ」と指摘した。

 さらに、必要な対策として(1)医師の報酬や待遇の改善(2)研修機会の確保(3)女性医師への出産育児支援―を挙げた。

 検討会は3月に素案をまとめ、県民の意見を募集する。将来ビジョンの策定は2007年度初めを予定している。

(河北新報、2007年01月12日)

****** 毎日新聞、2007年1月10日

彦根市立病院:3月20日以降の産婦人科診療、医師3人が1人に /滋賀

 ◇市民から不安の声

 彦根市立病院(赤松信院長)は9日、医師3人の産婦人科の診療体制が部長らの退職に伴い3月20日以降は医師1人になると発表した。外来診療は従来通り行い、分べんや手術、がんの治療などは軽い場合を除き他の病院を紹介するという。分べんは院内助産院の設置を検討している。3~7月に出産を予約している99人については相談に応じ、他の病院に転院してもらうなどの措置をとるが、市民からは不安や不満の声が広がっている。

 市立病院によると、昨年4月は医師4人体制だったが、同9月に1人が他病院に移った。同10月に40代の部長が開業のため退職を申し出、これに伴い指導・教育が受けられないなどの理由で30代の医師も大学病院に戻ることになり、今年3月以降は40代の副部長1人になる。各大学病院などを通じて医師の補充を目指したが、全国的な産婦人科医師の不足もあり、確保のめどはついていない。病院側は院内の4カ所に「産婦人科診療の制限」の張り紙を出した。予約者については主治医や助産師17人が相談に応じ、近隣の3病院と7診療所などを中心に受け入れの協力要請をした。

 同病院の年間の分べん数は、▽04年度523件▽05年度552件。病院は「4月以降は院内助産院で分べんに対応する方法を検討しているが、リスクの少ない100件前後に対応するのが精いっぱいでは」としている。

 赤松院長は「出来るだけ早く現体制に戻したいが、めどはない。出産予約者や妊婦の不安解消や安全には万全を期したい」と話している。【松井圀夫】

(毎日新聞、2007年1月10日)

****** 京都新聞、2007年1月9日

産婦人科の診療体制縮小 彦根市立病院3月末から

 彦根市立病院(滋賀県彦根市八坂町)は産婦人科医師の相次ぐ退職で3月末から常勤医が1人になるため、診療体制を縮小する。すでに出産の予約を済ませている人の受け入れを近隣の病院などに依頼している。

 ■医師4→1人に激減

 2005年時点では常勤4人体制だった同病院の産婦人科の医師のうち、06年9月に1人が退職。さらに、産婦人科部長が開業し、別の医師も出身大学の付属病院に移るため、いずれも今年3月末で退職することが決まっている。

 同病院によると、3月末以降は常勤の医師が副部長1人になるため、出産や帝王切開などの手術は難しくなり、3月以降に同病院で出産を申し込んでいた99人は長浜市や近江八幡市など近隣計10カ所の病院や診療所に受け入れを依頼している。外来の診察も第28週までの妊婦に限る、という。

 「あらゆる方法で後任者を探しているが、全国的な産婦人科医師の不足の影響で見通しがたたない。助産師と医師による出産など対応策を考えたい」(松田一實事務局長)という。

 同病院の産婦人科では年間約1万6000人が外来診療に訪れ、同約550人が出産している。

(京都新聞、2007年1月9日)

****** 中日新聞、2007年1月9日

産婦人科縮小に不安の声 彦根市立病院

 「私たちはどこで子どもを産めばいいの」。彦根市立病院の産婦人科医が3月下旬から1人になり、これまで通りの出産ができなくなることに、地域住民らからは不安の声が上がっている。9日には子育て中の母親や祖父母らが「彦根市立病院での安心なお産を願う会」(仮称)を立ち上げ、市への嘆願書提出を目指して署名活動するなどの対策を話し合った。 

 安心なお産を願う会の立ち上げには女性を中心に16人が集まった。市立病院は助産師を中心とした「院内助産院」として出産の存続を検討しているが、昨年10月に市立病院で二女の芽以ちゃんを出産した同市芹川町の山本友香さん(30)は「母子とも無事に出産できたのは、これまでの市立病院があったからこそ」と語気を強める。

 山本さんは当初、助産師の助けを得て自宅で産む予定だったが、36週を過ぎて破水。市内の民間診療所に行ったが、出血が多くなるなど容体が急変し、急きょ市立病院に移った。胎盤早期はく離だった。担当した医師からは「もう少し遅ければ危なかった」と言われたという。

 代表の高居涼佳さん(32)=同市小泉町=は「手術やがん治療もできなくなるので、これから出産しようとする私たちだけの問題ではないはず。多くの人に呼び掛け、市立病院の産婦人科医の確保が必要だという声を高めていきたい」と話している。【築山栄太郎】

(中日新聞、2007年1月9日)

****** 中国新聞、2007年1月8日

中国地方 進む産科医不足 分娩不能63市町村

全自治体の55・3% 訴訟リスクが拍車

 離島や中山間地域で産科医師の不足が深刻さを増す中、分娩(ぶんべん)できる医療機関のない自治体が中国地方では六十三市町村に上ることが、中国新聞の調べで分かった。二〇〇六年に井原市や山口県周防大島町でも、お産ができなくなるなど、五県の全百十四市町村の55・3%にも達している。過酷な勤務実態に加え、訴訟が多いなど高いリスクが医師不足に拍車を掛けている。(伊東雅之)

 分娩に対応できる病院や診療所がない中国地方の自治体は、広島県が三市六町、山口県二市九町、岡山県五市十二町二村、島根県八町一村、鳥取県十四町一村。

 町村では、以前から分娩施設のない自治体が多かったが、最近は市にも広がっている。〇五年の庄原、大竹両市に続き、〇六年八月には井原市が「ゼロ地帯」になった。背景には、産科医師不足がある。唯一受け入れていた井原市民病院の常勤医師が一人に減ったため、二十四時間対応が困難になった、という。町村でも、周防大島町立大島病院が〇六年八月、常勤医師が一人であることを理由に産科をやめた。

 境港市でも、お産に市内で唯一対応できる境港総合病院が産科休止の危機に直面している。医師を派遣している鳥取大が医師不足などを理由に今年三月末での派遣中止を求めてきたためだ。新たな医師確保のめどは立っておらず、「ゼロ地帯」の拡大に歯止めがかかる様子はない。

 広島大の弓削孟文・副学長(医療担当)は「労務環境の厳しさや、医療事故のリスクの高さから産科医師志望者が激減しているのが主要因」と指摘。対応策として医療機関同士のネットワーク化の必要性を強調する。ただ、医師の養成や労働環境の改善は医療機関任せでは不十分。国や自治体も巻き込んだ抜本的な対策を探る必要性がある。

<お産ができない中国地方の市町村>
中国新聞調べ
広島県 庄原市、大竹市、江田島市、熊野町、
坂町、安芸太田町、大崎上島町、
世羅町、神石高原町
山口県 下松市、美祢市、周防大島町、和木町、
上関町、田布施町、平生町、美東町、
秋芳町、阿武町、阿東町
岡山県 井原市、備前市、瀬戸内市、美作市、
浅口市、建部町、瀬戸町、和気町、
早島町、里庄町、矢掛町、鏡野町、
勝央町、奈義町、久米南町、美咲町、
吉備中央町、新庄村、西粟倉村
島根県 東出雲町、飯南町、川本町、美郷町、
邑南町、吉賀町、海士町、西ノ島町、
知夫村
鳥取県 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、
三朝町、湯梨浜町、琴浦町、北栄町、
大山町、南部町、伯耆町、日南町、
日野町、江府町、日吉津村

(中国新聞、2007年1月8日)

****** 日本海新聞、2007年1月6日

お産ができなくなる

 医師不足から病院の在り方そのものが問われる事態が起きている。境港市米川町の県済生会境港総合病院(稲賀潔院長、二百六十三床)は医師確保のめどが立たず、新築計画が凍結に追い込まれた。市内で唯一、産婦人科がある医療施設だが、四月からは常勤医師がいなくなり、出産ができなくなる見通しだ。

 もうすぐ妊娠八カ月になる市内在住の女性(21)は「私がここで生まれたときの看護師さんがいるし、実家にも近いので安心だったのに。今から病院を替わるのは大変」と不安を訴える。

 三月中旬以降に出産予定の女性二十三人には、他の病院を紹介する準備が始まっているが、事務部長の山根弘和は「市民の要望に応えられないのは残念」と当惑顔だ。

 派遣元の鳥取大学医学部付属病院(米子市西町、石部裕一院長)が一人勤務体制では分娩(ぶんべん)を行わせない方針を打ち出し、同病院はその影響を受けた。過酷な勤務状況に加え、出産時のトラブルが訴訟になる例が増えていることが背景にある。「済生会病院のニーズは少なくなっている」とも指摘する。

変化するニーズ

 同病院で二〇〇五年に生まれた赤ちゃんは六十四人。一九九六年の二百三十四人から大きく減少した。市全体の出生者数は二百六十五人だから、市民の大半は市外で出産していることになる。米子市ではホテル並みの設備の個人病院が人気を集めているが、境港市からでも車で三十分もあれば行くことができる。

 同病院は、地元からの働き掛けを受け、全国で医療、福祉事業を展開する恩賜財団済生会(本部・東京)が六一年に設立。長年にわたり市民病院的役割を担ってきた。

 しかし、〇四年からの臨床研修必修化など医療環境の急激な変化に対応できないでいる。一日五百人の外来患者のうち四分の一を診察する内科では、独立などで医師が二年前の十人から七人に減少。医療の高度化、細分化が進む中、計画に織り込んだ医師の増員どころか現状維持さえ危うい。

行政のビジョン

 こうした窮状を受け、市長の中村勝治は鳥大医学部、県に支援を要請したが、色良い返事は得られなかった。市議会は医師確保のための措置を講じるよう国に求める決議を採択した。頼みの綱の医学部からの医師派遣が困難だということは、市側も十分理解している。市健康対策課長の川端豊は「国の根幹から変えないと、地方はますます苦しくなる」と訴える。

 医師不足をカバーする手だてとして、病院間の機能集約が叫ばれている。現在、県は保健医療計画の改定に取り掛かっているが、住民ニーズをどう見極めるか。行政のビジョンが問われている。

(日本海新聞、2007年1月6日)

****** 東京新聞、2006年12月18日

医師不足で分娩休止へ NHO栃木病院

 宇都宮市中戸祭の国立病院機構(NHO)栃木病院(山崎晋院長)が、来年四月から分娩(ぶんべん)の取り扱いを縮小し、同八月から休止する。深刻化する産婦人科医不足の影響で、患者を振り分ける見通しも立っていない。同院はホームページなどで非常勤の産婦人科医を募るなど、打開策に向けて動き始めている。 (佐藤あい子)

 同院の産婦人科ではこれまで、四人の医師が年間約五百件のお産を担当してきた。三分の一は胎児の成長などに問題がある異常分娩。容体の急変に対応するべく「労働基準法ぎりぎりで勤務」(山崎院長)してきたが、これ以上は困難と判断。来年四-七月の分娩は四分の一規模の月十件まで縮小し、八月以降の予約は受け付けない。

 原因は全国的な産婦人科医の減少。これまで全国で毎年約三百五十人の産婦人科医が誕生していたが、ことし四月は二百八十五人だけだった。

 これは、過酷な労働環境や医療事故のリスクによる不人気に加え、二〇〇四年四月に導入された「新医師臨床研修制度」の影響も大きい。

 同制度で、大学に残る研修医が減ったことから、大学側が人材不足を克服するため、各地の病院に派遣していた医師を引き揚げているからだ。

 また、医師の多くが大都市病院での勤務を望み、地方に若い医師が来なくなっている。

 こうした現状から、県内でも分娩対応の休止や、休止を検討する医療機関が相次いでいる。山崎院長は「このままでは都心の一人勝ち。県内でお産難民が増え、妊婦は都心まで出産しに行かなければならなくなる」と危機感を募らせる。

 出産時には、予想外の大量出血や事故の危険性もつきまとう。幼い子どもや家族と離れ、妊婦が一人で出産を待つのは精神的なストレスも大きい。

 こうした患者の負担を回避するため、同院は近隣病院との連携強化や、助産師を機動的に起用することで対応を検討している。また、自身の出産のため退職した女性医師を非常勤で雇おうと、ホームページで呼びかける試みも始めている。

(東京新聞、2006年12月18日)

****** 下野新聞社、2006年12月14日

「国立栃木」が分娩縮小/常勤医減、休止も視野/塩谷総合は年末で休止/県、実態把握へ

 宇都宮市の国立病院機構(NHO)栃木病院が、来年四月以降の分娩(ぶんべん)対応の大幅縮小を決定し、八月以降の休止も視野に入れていることが十三日までに分かった。矢板市の塩谷総合病院も今年末での休止を決めた。

 県内では今春以降、分娩対応の休止に踏み切ったり、休止を検討する医療機関が相次いでいる。こうした医療機関が対応してきた分娩件数は、年間およそ計千五百件に上る。受け皿になる医療機関は限られており、さらに休止が続出すれば県内産科医療が危機的状況に陥る恐れがあることから、県も実態把握に乗り出した。

 分娩対応の休止はいずれも「新医師臨床研修制度」に伴う産科常勤医不足が主因だ。宇都宮地区では今春、宇都宮社会保険病院が産婦人科診療を休止。NHO栃木病院が休止すれば、同地区の三中核病院のうち分娩ができるのは済生会宇都宮病院だけになる。

 NHO栃木病院によると、現在四人の産婦人科常勤医が、派遣元の大学医学部による人材引き揚げで、来年八月からは一人になる。

 同病院は年間約五百件の分娩対応をしてきたが、常勤医減に伴い、来年四月から七月までの分娩は月約十件に絞り込む。八月以降は分娩に対応できる体制ではないとして、分娩の予約を受け付けていない。

 山崎晋病院長は八月以降について「常勤医を現在のように確保し、これまで通りお産を継続することは困難」と言及。十六人いる助産師の機能的登用や、近隣の中核病院との連携強化で事態の打開を図りたい考えだ。

 一方年間約百件の分娩に対応してきた塩谷総合病院は今月末で休止する。産婦人科常勤医が今春、一人減の二人になりながらも継続してきたが、安全対策などの面から「責任ある医療提供が困難」と説明している。

 日本産婦人科医会の野口忠男・県支部長は「現段階ならかろうじて別の施設で吸収できるかもしれないが、状況が深刻化すれば県内で分娩できる体制が損なわれることもあり得る」と指摘。

 県医事厚生課は「まずは実態を正確に把握することが必要だ」として、情報の収集と分析を急いでいる。

 ◇ズーム◇ 新医師臨床研修制度

 医師に幅広い診療能力を身に付けさせる目的で、2004年4月に導入された。国家試験合格後2年間かけ、基本的な7分野を数カ月単位で回る。今春で一巡したが、制度を機に大学に残る研修医が減り、人材不足になった大学が市中病院に派遣していた医師を引き揚げている。

(下野新聞社、2006年12月14日)