参考:
大臣と語る 希望と安心の国づくり
産科医不足対策
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舛添要一氏
1971年東大法学部卒。同助手を経て,73-78年,パリ大現代国際関係史研究所,ジュネーブ高等国際政治研究所の客員研究員を務める。79-89年東大教養学部助教授などを経て,2001年参議院議員に当選(現在2期目)。07年8月より厚生労働大臣。趣味は乗馬,柔道(講道館二段),クロスカントリーなど。
岡井崇氏
1973年東大医学部卒。同助教授,総合母子保健センター,愛育病院副院長などを経て,2000年より昭和大産婦人科学教室主任教授。日本産科婦人科学会常任理事,日本周産期・新生児医学会理事などを歴任。2007年無過失医療事故を世に問うミステリー小説『ノーフォールト』(早川書房)を上梓。趣味はアイスホッケー,囲碁。阪神タイガースファン。
**** 臨床婦人科産科62巻6号・2008年6月、p791-799
対談 医療崩壊を防ぐために
舛添要一氏 VS 岡井崇氏
医師不足はどうなる? 医療事故は刑事訴追? “危機”を超えて“崩壊”とさえ言われる昨今の医療環境。この窮状の打開に向けて,舛添要一厚生労働大臣にかかる医療界の期待は大きい。「舛添氏は何かやってくれそう」と大臣就任を最も喜んだ医師の1人であり,無過失補償について取り上げた小説『ノーフォールト』の著者としても知られる日本産科婦人科学会常任理事の岡井崇氏に,現場で苦悩する臨床医を代表して舛添氏と対談していただいた。 (2008年3月25日、収録)
■医師が医師本来の仕事に専念できる体制を
「医師は不足している」という認識で施策を変えるべき
岡井 まず,舛添大臣には産科医不足問題に関しまして,深くご理解いただき,早速にいろいろな政策を打ち出していただきましてありがとうございました。
本日は最初に,産婦人科だけでなく,医師全体の不足についてお話しさせていただきたいのですが,今,私たち現場で働いている医師の感覚では,産婦人科だけでなく,ほかの科の医師も不足しているというのが実感です。もちろん科による偏在や,地方と都会の格差問題もありますが,日本の医師数は外国と比較して足りないのではないかという気がします。ここに資料がありますが,人口1000人当たりの医師数は,日本が2,アメリカが2.3,フランス,ドイツが3.3,イギリスが2.1となっています。
もちろん国によってそれぞれ医療制度が違うので一概には言えませんが,日本は基本的に医師を働かせる効率が悪い体制を取っていますね。 例えばイギリスでは専門医制度が非常に発達していて,患者さんは日本のようにフリーアクセスできません。まず一般家庭医にかかって,そこから紹介されないと専門医に診てもらえない。これは,国民にとっては非常に不満の強い医療体制ではありますが,少ない医師数で診療を賄える体制です。それでも日本より人口当たりの医師数は多いのです。そう考えると日本はますます1人当たりの負担が大きくなるというわけですが,厚生労働省(厚労省),また大臣はどのようにお考えですか。
舛添 厚労省は従来から医師数は十分であって,偏在しているだけだという言い方をしてきたのですが,私はそういう状況ではなくて,医師は足りないことを認識しておりますし,国会でも公式に言っております。
ただ,どれだけいれば十分かということは,定量的になかなか言えないのは確かです。例えば人口1000人当たりの医師数がアメリカが2.3で,日本が2なら,それほど違いはないようにみえますが,メディカルクラークを含めて,医師を支える体制がしっかりしているアメリカと,そうではない日本を比べれば,同列には論じられません。
今,先生がおっしゃったイギリスの例もまたシステムが違うわけで,一概にこれだけいれば十分だということは数では表せませんが,現状からみたら十分であるとは言えません。つまり,「不足している」という認識で,まず施策を変えるべきであると思います。
そのうえで,診療科による偏在,そして地域による偏在への対策などをきめ細かくやっていくべきだと思っています。
岡井 医師数に関しては,20~30年前に日本医師会が試算をしていて,毎年どれだけの医師が誕生するから,将来医師は余ってくるというような変な数字が出ています。でも,医療はどんどん進んでいますし,診療の質も高めていかなければなりません.外国でも同じように試算をしていますが,現状に合わせて修正を加えています。なぜか日本では,何十年も前の試算が生きていて,今増やしたら将来過剰になってしまうのではないかと言っている。
現実には,今すでに産婦人科や小児科など科による偏在が問題になっていますが,実は外科の入局者もかなり減っていて,10年後ぐらい後には現場で足りなくなる恐れがあります。早く対応しておかないと,10年後に大臣になられる方が苦労されるかもしれませんよ。
舛添 実は平成9年に閣議決定があって,試算を見直そうという話があります。医師はまさに10年単位で養成しなければいけないので,医師数の試算は不断に見直していく必要があると思っています。それで軌道修正して,余るのなら減らせばいい。そういう柔軟性が必要だと思います。
メディカルクラークの活用
岡井 産科ではメディカルクラークを雇うことに手当てを出すという検討もしていただいていますが,事務的なことはメディカルクラークに任せて,医師は本来やるべき診療に専念できるような体制づくりを全科について考えていらっしゃるのでしょうか。
舛添 もちろん今度の診療報酬改定で医師事務作業補助体制加算が新設されましたので,活用できると思います。
それから,救急医療体制で,「今,うちはどれだけベッドが空いています」「今,どれだけの先生がアベイラブルです」というようなことを,緊急情報として出しておかないと救急車に情報が伝わりません。そういった作業もメディカルクラークがやれるようになっています。医師が医師本来の仕事ができるように,まだ第一歩ですが,踏み出しました。これからさらに,メディカルクラークが増えるような形にしたいと思っています。
勤務医と開業医の差を埋める
岡井 さっきもお話しましたが,イギリスでは家庭医がまず診てそれから専門医につなげるというシステムになっています。医療を提供する側としては効率がよい制度ですが,国民からは不満が出ます。
日本は,そういう意味ではイギリスと対極にあって,患者さんにとってはフリーアクセスでどこにでも行けるし,「この先生はイヤ」となったらすぐに変えられるし,収入が低い方でも名医に診てもらえる。これは世界に誇れる体制だと思います。しかし医療を提供する側からみると,専門医として一生懸命勉強し,技術を磨いて,知識を深めて,あるレベルまで達しても,診療報酬点数は同じという不満があって,レベルの高い専門医が育ちにくいという面があります。この点について将来日本はどうするのがよいとお考えですか。
舛添 今のご質問は,ひとつは診療報酬体系で専門医といわゆるかかりつけ医との区別をどうするかということだと思いますが,それよりも前に,まず開業医と勤務医との間に,例えば勤務時間の差などいろいろな意味で実質的な差ができているのではないかという問題があります。
私が国会で「医師不足です」と言うと,市民から「うちの町の駅に降りてみてください。駅前に何軒開業医があると思いますか。30軒ありますよ。この人たちは,夕方5時に閉めて,土日はゴルフ三昧だ。こういう医師がいっぱいいるじゃないか。皆,裕福な生活をしていますよ。医師の何が大変なんですか」と電話がかかってくる。一方で大学病院などの勤務医は,収入もよくないし,当直ばかりだということがある。それをどう是正するのか。例えばすでにいろいろな地域で始めていますが,開業医と救急医療機関との相互交流として,土日や夜間などに開業医が救急医療の一定の役割を担うというような試みなどをしていく必要があるのではないかと思います。まずこういった勤務医と開業医の間の待遇,勤務時間などの実質的な差を埋めていかなければならない。そうしないと,勤務医は専門知識を持ち続けていくことは大変だし,家族のことを考えれば開業したほうがよいとなってしまいます。そうすると大学病院も崩壊してしまうし,高度医療はできなくなってしまいます。専門医の処遇をよくするということはもちろん考えなければいけないけれど,まず先に勤務医と開業医の間の差を埋める手当てが必要だと思います。
患者側にも理解が必要
舛添 それともう1つは,ネットワークシステムをつくっていくことでしょう。先ほどのイギリスの制度は悪いことばかりではなうて,まずかかりつけ医で診てから,第二次,第三次に上がっていく。日本では今,最初から第三次医療機関に行くようなことをしているので,地域全体でのトリアージというものが必要じゃないかと考えています。
例えば歩いて病院に行ける人が,無料タクシー代わりに救急車を使ってしまう現状がある。そういうことからまず是正を始めないといけません。
まずかかりつけ医へ行って,そこで無理なら紹介状を書いてもらって,大きな病院へ行くという体制が機能していないために,救急車のいわゆる「たらい回し」ということも起きてしまいます。実を言うとこれは,医療提供者側だけの問題ではなくて,患者側の問題も多分にあります。
岡井 そうですね。法律で「まずかかりつけ医へ行かなければいけません」とはできないから,国民の方々に理解してもらうしかないですね。
舛添 そうです。ただ,国民としてはやはり大きな病院へ行ったほうが安全だという感覚がありますから,これは戦後,地域コミュニティが崩壊したことのひとつの現れでもあります。昔は地域のお医者さんに全部頼っていたわけですからね。
医療にどれだけお金をかけるか
岡井 今の医療体制の話とも関連していると思うのですが,国民が求めるような,どこでも病院を選べて,近いところによい病院があって,待たされずに診てもらえるという体制を取るためには,お金がかかりますよね。私たち医師の努力も足らないのかもしれませんが,医療にどのくらいのお金をかけるのかということを,例えばもっと政治問題化して,国民に訴えることはできませんか。医療とお金の問題は一般の国民には見えていないと思うんです。
この間,ラジオの番組で救急患者さんのたらい回しの話をしたら,70%以上の人が,これは医師が悪いんじゃない。足りないから仕方がないんだということを理解してくれていました。でも十分な体制を取るためには,それだけお金がかかるのだということは果たして一般の人にわかってもらえているのか。「皆さんの税金を使って,これだけのお金を医療にかけます」ということを国民に理解してもらうために,成治のほうから,呼びかけていただけませんか。
舛添 大まかな数字ですが,医療費は30兆とも,33兆ともいわれています。その3分の1に当たる10兆円が,高齢者の医療にかかっています。国家予算が80兆ですから,莫大な金額がかかっているのです。今マイナスシーリングで毎年2200億円を削減するということを苦労して行っているのですが,国民の命を守るという医療にはコストがかかるんだという意識をまず国民に持ってもらわなければいけません。
ではそのコストをどういう形で支払うか。例えばEU諸国は,消費税が15%以上,スウェーデンなどは25%なわけです。それだけの消費税を支払ってでも安心を求めますかというと,税金を上げるということはなかなか難しいわけです。しかしそろそろきちんとした議論,わかりやすい言葉でいうと「低負担なら低福祉ですよ。高負担なら高福祉ですよ。どちらを選択しますか」という議論が必要なのではないかと思います。アメリカのような国民皆保険がない国でよいですか,それともあるほうがよいですかと言えば,おそらく国民は……。
岡井 後者を取るでしょうね。
舛添 ええ,国民は,皆保険を取ると思います。それには応分の負担が要るわけです。何でもかんでも税金が安くなればよいというわけではない。今はすでに高福祉なら高負担,低福祉なら低負担という成熟した議論ができる状況になってきていると私は思います。
岡井 なってきましたでしょうか。
舛添 ええ。国民に対して,高福祉・高負担,低福祉・低負担という議論をきちんとして,今の消費税の5%を7%に上げるのに賛成ですか,反対ですかと聞けば,8割ぐらいが賛成に手を挙げますよ。ところが前提にそういう議論がないまま,テレビで「また消費税を上げようとしている!」と報道したら,皆,「ノー」と言います。ですから今の状況について,きちんと報道するのが報道機関の使命だと思います。
救急医療体制などについては,各テレビ局が今はきちんと取り上げてきているので,「やはりこれでは命が救えない」という気運が盛り上がってきています。
岡井 ジャーナリズムがどういう姿勢で報道するかで,ずいぶん違いますよね。
舛添 違いますね。説得の努力はしたいと思っていますので,ぜひ現場からも,声を上げていただきたいと思います。
■診療関連死因究明制度の問題点
医療が萎縮してしまうようなことがあってはならない
岡井 次に,私たち医師がいま一番気にしている診療関連死の届出の問題ですが,厚労省で,診療関連死の真相追求のあり方に関する検討委員会の第二次試案というのが出ました。日本医師会も一応了承していますが,実際に現場の医師からは問題だという声がいくつも上がっていて,日本産科婦人科学会(産婦人科学会)からも意見を出しています。
舛添 ええ,見ています。個人の産科の先生方からも,毎日,直接メールをいただいています。これの最大の問題は,福島県立大野病院の件ですよね。
岡井 ええ。禁固1年の求刑ですからね。その患者さんを助けるために一生懸命やった結果が禁固なのですから。禁固といったら犯罪者ということです。これはたった1例でも,ものすごく大きな衝撃なんです。
結局,今度の第二次試案でも,原因を調査して,その結果,重大な過失があれば報告書を刑事手続きに使うとしている。「重大な過失」というのは,「あり方検討会」の説明では,「本当にひどいやつだけなんだ」と言うのですが,条文のなかに「重大な過失」とあるのは問題です。大野事件も「重大な過失」ということで訴追されているわけですから,何とかその表現を変えてもらわなければいけない。大臣の力で何とかなりませんか。
舛添 私も大臣になる前からこの福島県立大野病院の事件は取り扱ってきていますから,これではお医者さんが萎縮してしまうと思います。ところがそういうことを言うと,逆に国民の側,患者さんの側からは,なぜ大臣は医師の側に立つのかと,ものすごい批判があるのです。
岡井 それはわかります。
舛添 「患者のことも考えてくれ」「われわれは医師を信用していない」と,ものすごい不信感があるのです。医療メディエーターなどを導入するという話に対して「ノー」という人は,「医師が逃げるんじゃないか」と言うんです。これは日本人の情緒的,文化的背景もあるんですけれども,アメリカだったら患者の弁護士と病院の弁護士との間でドライに片づけていくところですが,日本では,「お医者さんに一言謝ってもらいたい」「説明してもらいたい」というのがあり,説明不足が嫌だという声がすごく強いのです。だから,こういう委員会を作ってそこで真相究明をするというと,医師を逃がすためにそういう委員会を作るのではないかという,まったく逆側の意見が出てくるわけです。私もそんなに不信感があるのかとびっくりしたのですが……。
だから,患者側,医師側の両方の意見をきちんと聴ける組織はどうあるべきかという視点から考えないといけません。まだいろいろな議論をする必要があるので,軽々に結論は出しません。
まだいろいろな議論をする必要があるので,軽々に結論は出しません。しかし,いつまでも待てる話ではないので,今度,第三次試案を出します。例えば第三次試案では,医療機関が調査委員会への届出を行った場合,医師法21条に基づく異状死としての警察への届出は不要とします。それから,委員会の設置目的は,関係者の責任追及のためのものではなく,真相究明のためのものだということを明記します。そして,その届出義務を無限に広げるのではなくて非常に限定します。
さらに,先ほどの「重大な過失」がある事例というのは何なのかということについて,これはもっと詰めなければいけないですけれども,「診療記録などの改竄(かいざん)とか,故意や重大な過失のある事例,その他悪質な事例であると認めた場合に限って,適宜,適切に通知を行う」となっているのですが,患者が死んだという結果が「重大な過失」だということではないということです。では「重大な過失」とは何かというと,「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療行為を行った場合」というのだけれども……。
岡井 そこが問題なのです。その「標準的な医療行為から著しく逸脱した」というのが何であるのかが問題なのです。
舛添 「標準的な医療行為から著しく逸脱した」とは何であるか,これは議論があるだろうとは思います。ただ,患者さんが亡くなったから重大な過失だということではないということを明言するということです。
それから行政処分にしても,「この医師の腕が悪かったから」ということではなくて,システムエラーに対応するようにする。例えば帝王切開の場合に麻酔科医も輸血担当の医師もいなくて1人でやるということならば,それはチーム医療として体制が整っていないということに問題があるということで改善していく。
こういったことを第三次試案として出して,さらにもう少し具体的に議論していくということです。例えば第三者機関に完全に任せてしまうのがよいのかどうかということについても,医師側と患者側はまったく反対側から問題の指摘があるものですから,そのバランスを取りながら議論していきたいと思っています。少なくとも,これによって医療行為が萎縮してしまうということはないようにしたいと思います。
岡井 絶対にそうならないようにしていただきたいと思います。
舛添 逆に本当は医師に過失があるという場合に,委員会に丸投げしてしまって,医師の過失が簡単に免罪されるということがあっても国民の信を問えませんので,ここをもう少し議論する必要があります。
だから,実は何らかの機会に岡井先生と音頭を取って,医療事故の被害者,医療ミスの被害者だという家族の人たちと,一度討論をしてもらいたいと思っているんです。直接討論していただけば,より問題点がクリアになるんじゃないかと思います。
岡井 ええ,そういう機会を設けていただければ喜んで参加します。私も基本的にそういうことは必要だと思っています。「あり方検討委員会」でも,患者さん代表の方の発言などを聞いていると,ほんとうに事故で亡くなられることは悲しいことで,そのお気持ちはよくわかるんです。でもだからといって刑事罰ということになるのは間違った方向だと思います。「あり方検討委員会」の問題だけではなくて,医療事故の関与者に刑罰を与えることによるマイナスが医療にとってどれだけ大きいかということを,一般の方に理解してもらわなければいけないと考えています。
これに関しては,医療提供側のわれわれも反省しなければいけないと思うんです。事故があったときに何とか隠してしまおうというような体質が長い間続いていましたから。本来ならば自分たちできちんと死亡事故の真相究明をやれれば一番よいのぁもしれませんが,やはり人間ですから,監視をする人たちが必要ですし,医療を受ける側の人たちも一緒に入ってもらって,何が問題なのかを議論しなければいけない。だから,この制度そのものには産婦人科学会も基本的に賛成なのです。ただし,やはり「重大な過失」で刑罰につながるというところ,ここだけはどうしても納得できません。1万6000人の会員のうち,例外的な一部の者を除いてほぼ全員が反対しています。それは産婦人科学会だけではなくて,どの学会でも同じです。
「ほんとうにひどいやつ」というのを,どういうふうに規定するのか,そこをきちんと明文化してもらわないと,外科系の医師は手術をするたびに,いつか自分も逮捕されるのではないかと不安になってしまいますから。
患者側はモラルハザードにならない担保が欲しい
舛添 厚労省が関与したほうがよい。警察が関与したほうがよいという意見が一方にあるのは,例えばある病院で事故の真相追求委員会をつくったというときに,患者側としては自浄努力は本当に働いているのかという疑いがあるからなんです。最終的には,やはり国が後ろにいてきちんと裁く,法律に基づいて刑事罰で裁くことができますということがないと,モラルハザードで「われわれは裁かれない。大丈夫だ」ということになるのではないかという不信感があるのです。その病院の真相追求委員会だけで,本当にひどい医師がいた場合に,追放することができるのかと疑っているのです。
医道審議会で医師免許停止などの処分はしますけれども,今のように盗みをしたとか,わいせつ行為をしたなどの犯罪行為ではなくて,本来はこういった問題について審議すべきではないかと思います。
お医者さんたちの希望というのは,よくわかります。しかし患者側はモラルハザードになったときにどうするかという担保を考えているんです。
岡井 でもその処罰は刑事罰ではなくて,行政処分でも何でもよいと思うんです。本当に悪い医師だったら医師免許を取り上げてもかまわない。私は「正当な業務の遂行として行った医療行為」というような表現をしているのですが,医師が患者さんのためを思ってやった,その目的でやったけれども力が及ばなかった,結果が悪かったというときに,それに対するペナルティが刑罰というのは,意味が全然違うんです。犯罪者だということになってしまう。看護師もそうですけれども,この職業を選んで,患者のためにと思ってやったことが,その結果だけで「おまえは犯罪者だ」といわれるというのは,善意を踏みにじられるというか,使命感の喪失,意欲の減退につながります。
私は行政処分は厳しくしてもよいと思っています。本当は医師の間で教育的ペナルティのシステムをつくって,「力がないならもっと勉強しなさい」「その間は専門医はしばらくおあずけですから,研修して力をつけなさい」という処罰をどんどんやるべきだと思います。でも刑事罰だけは間違いです。個人に刑罰を科しても事故の再発防止という医療の向上には全くつながりませんから。逆にそれが,社会にどんな悪い影響を及ぼしているか……。
舛添 それはよくわかります。だからそういうことを加味して,非常に厳格にしか適用しないようにします。けれども,業務上過失致死というような刑法が日本の法体系にあって,医師だけをそこから免責することには国民的な合意がないといけないわけです。車を運転していたって,業務上過失致死になるわけです。これはあらゆる業務について言えるわけです。医師と看護師だけを除外するというわけにはいかないのです。
岡井先生のおっしゃることはよくわかります。それを国民に説得するための努力は,医療提供者側がやらないと駄目だと思います。ですから,そのためには,患者側と討論をするというような試みをぜひやっていただければと思っています。
■無過失補償制度
よい結果につなげていくことが大切
岡井 刑事ではなくて民事裁判の話になりますが,おかげさまで,何とか産科医療補償制度の準備が進んできています。国の制度ではなく保険でやるのですが,国として支援していただけることになり,何とか一歩を踏み出せそうです。この制度によって産科の脳性麻痺訴訟も減った,さらにこの制度のおかげで脳性まひの発生頻度も5%,10%下がりましたというようなよい結果につなげていくことが大事だと思っています。そうすれば,他科にも「産婦人科でこういうよい結果が出ているから,うちも同様の制度を提供してくれ」というように広がっていくと思います。将来的には,ぜひ医療界全体に広げてほしいと思います。
舛添 そうですね。ぜひ,そうしていきたいと思います。
岡井 大臣も,そういう方向で考えておられると思ってよろしいですか。
舛添 20年度予算案をいま審議中ですが,19年度は1千万円,今年度は2千万円の予算をこのためにつけておりますので,これは今後もきちんと進めていきたいと思っています。
薬害などの患者救済の可能性
岡井 C型肝炎訴訟がありましたが,被害に遭われた患者さんが救済されるためには,患者さんが国を訴えて,裁判で争って,勝たないと補償が受けられないのが現状です。 こういう事件に対して,いま産科で行っている無過失補償制度と同じ考え方を導入すればよいのではないでしょうか。医療にかかわるああいう問題はこれからだって起こりうるわけです。そのときに,被害に遭った人をまず補償し,そしてあとでどこに問題があったのか原因究明するというような制度ができると,被害者はずいぶん救われるのではないでしょうか。 被害者は長い間,国と争ってきたわけです。今回は,大臣が決断されたからよかったのですが,決断されなかったら,争いはまだ延々と続いていたかもしれません。国は,「国民の税金をそんなに簡単に使えるか。うちは悪くない」となって長引くわけですが,今の解決法はあまり賢い方法ではないと思います。
結局は国民のための国ですから,先に保障してあげて,あとで問題点を整理するというぐらいの制度ができてもよいと思います。何か被害者救済法みたいなものができれば,無駄な争いをしなくてもすむと思うんです。最終的には,補償してあげなければいけないし,救済してあげなければいけないわけで,その手続きのためによけいなことをやっているようなところがあるでしょう。
舛添 そうですね。それもひとつ,課題として考えたいと思います。
■日本の医療の将来展望
岡井 先ほどもお話しましたが,よい医療にはお金がかかる。だけど,そんなには出せない。医療にかかるお金をどういうふうに上手に抑えながら,しかも国民が満足できる高度な医療をいかに提供するかというビジョンを最後におうかがいしたいと思います。
舛添 私が大臣に就任したとき,長期的な医療ビジョンをつくりたいということで,「安心と希望の医療確保ビジョン」という検討会をつくりました。前回は,歯科医,看護師の代表,助産師の代表といった方々に意見を聞きました。そういうヒアリングや議論を通じて感じたのは,まずは治療よりも予防をしっかりとすべきだということです。今,医療が高度技術化していますので,何でもかんでも医師にかかればよいということではなくて,病院にかかる前の体づくりが生活習慣病をはじめとする対策になりますし,予防によって相当な医療費の削減につながると思います。
それと,効率的な医療機関の活用にはネットワークの構築が必要です。真夜中に,それでなくとも数の少ない小児科医のところへ,たいした病気じゃない赤ちゃんを救急車で連れて行く。そして,本当に救急車が必要な人が,人手が足りなくて間に合わないということが起きています。ですから,トリアージをきちんとやるべきだと思っています。
今,いろいろなところで取り上げられているのですが,兵庫県立柏原病院で小児科を守るお母さんたちの会ができて,そのおかげで小児科医が去らなくてすんだという事例があります。これは「コンビニ診療」をやめましょうというものです。「昼間,病院に連れて行かないで,夜になってから連れて行くことを止める」だけで,小児科医の負担がものすごく減りました。全体をみると,常勤するお医者さんがむしろ増えているぐらいです。医師としても,どこかに勤めるのなら,地域の住民のものわかりのよいところで働きたいと集まるわけです。
時間があったら視察に行こうと思って事前調査したところ,お母さんたちは自分たちで,子どもの熱が何度までならこうしなさい,顔色がこうだったらどうするというように細かくガイドラインを作っているんです。これが非常に役に立つガイドラインで,「こういうときは救急車を呼びなさい」と書いてあるのです。
こういうことを,患者の側,国民の側が行うことで小児科医の負担が減り,産婦人科との連携もうまくいきます。 患者の側,国民の側も,税金をたくさん取られたくないのなら,そういう努力をしていただきたいと思います。それとやはり,地域のネットワークが必要なので,医療という観点だけでなく,地域コミュニティの再生が不可欠だろうと思っています。
また47都道府県という国の形の在り方が,今の医療制度とマッチしているのかどうか検討が必要だと思います。例えば国民健康保険は市町村単位で,後期高齢者は都道府県単位,さらに国全体があるわけです。奈良県のいわゆる妊婦たらい回しの事例は,最後は大阪へ行っています。つまり,京都,大阪,奈良,兵庫あたりまでの関西圏でマップをつくって,第一次,第二次,第三次という医療圏の上手な連携をやったほうがはるかによいのではないかというようなことを考えています。
先日,飯田の市立病院へ行ったのですが,里帰り出産などでも「地域外の人は,原則来ないでください」と言っているのです。でも飯田市は,すぐ隣が岐阜県だったりするわけですから,県の境を取ることも必要です。これは,地方自治の問題であるとともに,都道府県制を含めて,国の在り方そのものにつながってくると思います。医療提供者が“たこつぼ”的に,自分たちの枠のなかだけにいないで,外に出て,政治とも,行政とも,普通の国民とも議論をしていく。そういう形で医療体制の再構築をしないといけないという気がします。
日本は,今のところ平均寿命が世界一です。医療体制が悪かったら,こうはなっていないわけです。今までいろいろな問題があったけれども,先進国のなかで,まさに医師の数も比較的少なくて,医療費も比較的抑えた形でここまでの医療水準を達成したわけです。 どのようにそのよい面を守りながら,しかし新しい問題にも対応していくかということを,国民的関心が盛り上がってきている今,これを機会に変えるべきところは変えていき,全力を上げて取り組んでいきたいと思います。ぜひ産科婦人科学会にも,また医療界・医学界全体として協力していただければと思います。
岡井 本日はお忙しいところお時間を割いていただき,本当にありがとうございました。大臣のご活躍には医療人皆が期待していますし,私たちもできるだけ支援させていただきますので,日本の医療向上のために大いに力を発揮してください。
(臨床婦人科産科62巻6号・2008年6月、p791-799)