月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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12月の終わり

2012-12-31 07:18:45 | 空色写真集

とうとう、今年も今日で終わりですね。いつもは本館の方でやる、月末のお花特集、今回はこちらの別館でやります。冬ですから、お花は少ないですけれど、それでも、ご近所の庭を見れば、冬の風に耐えながら、可憐に咲いてくれている花々と出会うことができます。

冒頭のは、ノースポール。はす向かいのおうちの庭先に植えられていました。白い花弁が清らかで美しいです。



アメリカセンダングサ。うちの隣の隣にある空き地に咲いています。毎年咲いてくれているから、きっちり友達の顔して写ってくれている。遠い昔、本当につらかったとき、まるで闇夜を照らしてくれる小さな明りのようだと思ったことがありました。それから、ずっとこの花を見続けている。毎年咲くたびに、ああ、あの花だと思う。そしてちょっぴり、若かったころの痛い思いがよみがえる。



ひなぎく。デージーですね。これもはす向かいのお庭に植えられているのを、勝手に撮らせてもらいました。犬の散歩をしなくてよくなってから、わたしの行動範囲は本当に狭くなった。今は、はす向かいのおうちのお庭だけが、撮影ポイントだと言っていいくらいです。キク科の花は、りんとしてきれいだな。



パンジー。これも、はす向かいのおうちのお庭で。こういう、菫色のひらひらしたパンジー。今年から出会うようになりました。新しい品種かな。やさしい色ですね。本当に胸が澄んでくるようだ。何か、大切なことをしてくれているような気がする。



黄色いキク。昨日、犬が生きていたころ、とおっていた散歩道を行きました。するといつの間にか、途中のあるところに、キクがいっぱい咲いているのを見つけました。
少し前までは、毎日通っていたこの道も、もう歩くことは、そうないんだな。そういえば、散歩の途中で、いろんな花に出会えて、友達にもなれた。

今度からは気をつけて、自分で会いにいかないと。公園の桜、小さな空き地のナガミヒナゲシ、キュウリグサ、ヤマルリソウ、ナノハナ、みんな、彼女と一緒に、会いに行った。



ご近所にあるささやぶです。わたしが前を歩くたびに、風を起こして、さらさらとあいさつしてくれます。このささも、ずっとわたしを見てきてくれた。だから知っている。わたしのことはみんな。

自分の家に帰ると、犬小屋のあったあたりに、まだかのじょは生きているような気がする。ほんとうにまだあそこにいるんだという気がする。わかっている。今のわたしは、相当に弱くなっているので、誰かが私の心に手を添えて、支えてくれているのだ。

私の胸の小さな船が、悲哀に沈んでしまわないように。

みな、今年一年ほんとにありがとう。

来年はどういう年になるかな。楽しみです。

皆様も、よいお年を。

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詩人の名前

2012-12-30 07:26:46 | 随筆集・とんぼ玉
       (「青いセーターを着た自画像」、色鉛筆、クレヨン)


わたしはこれまで、詩作などのために、たくさんの筆名を使ってきたのですが、それで今、少し困っています。名前がたくさんありすぎて、どれがわたしだか、わからない。

今年2012年、フェイスブックに入ったのを機に、前から考えていた「青城澄」(あおきすむ、と読む。すみでもかまわない)という筆名を使い始めたのですが、なんだかちょっと、しっくりこない。まだ慣れていないせいもあると思うのですが。

これまでにも、たくさんの筆名を使ってきました。一番最初の名前は確か、「棚木那野」だったと思います。「たなきなの」と読みます。20代前半の頃、詩や童話を書いて作った小さな個人誌をやっていたときに使っていた名前でした。まだ言葉も表現力も未熟なまま、ただ一生懸命に書いていた。あのころの主なテーマは、十代の頃に受けた心の傷でしたね。表現することで、自分を一生懸命に立て直し、癒そうとしていた。棚木那野は、ほんとうに、小さな作家でした。「なの」は「nano」で、ある単位の10億分の1を表す語。1ナノメートルは、0,000000001メートルのことを表すそうです。要するにとても小さいという意味でつけた名前。あのころのわたしは、本当に、消え入りそうなほど、小さかった。真面目に個人誌を出してはいたけど、ほとんど誰にも相手にされなかった。棚木那野の作品を読んでくれた人はほとんどいなかった。棚木那野の一番の傑作といえば、「きりこりん」かな。後に書き直して、ブログに発表しましたが、前のブログが消えてしまったと同時に、それも消えてしまいました。ちょっと惜しいことをしたなと今も思っています。

月日を経て、結婚して、しばらくしたら、本名で小説を出版しました。夫の姓を被った名前だったけれど、これもなんだか、自分にしっくりこなかったなあ。小説はのタイトルは「フィングリシア物語」という長編ファンタジー。これもあまり人に読んではもらえなかったな。自分なりに執筆にも売り込みにもがんばってみたのだけど、世間は厳しかった。

子供が生まれると、「ちこり」という小さな同人誌を初めて、そのときは「種野思束」という名前を使いました。「くさのしづか」と読みます。この名前は、長いこと使いましたね。種野思束はかなりのことをやりました。同人誌の編集から、自分の作品を書くことから、いろいろな絵を描くことやら、20人ほどいた会員さんたちの細やかなお世話とか。作品を書くことや、いろいろな人の作品を読むことで、わたしは、かなりの表現力を身につけることができ、それは後々、大いに役にたつことになりました。

「南野珠子」という名前を使ったのもこのころでした。同人誌では途中から、絵を描くときにはこの名前を使うことにしました。そして二冊目の本を出すときにも、この名前を使いました。あと、製本から挿絵まで手作りで作った小さな詩集、「ひとつの星」というものも作りましたが、これにも表紙に南野珠子の名前が書いてあります。詩人を自認してる私だけど、今のところわたしが出している詩集は、この手作りの詩集一冊だけですね。南野珠子は、地元の新聞紙に頼まれて切り絵を制作するなど、かなり熱いこともやりました。でも何だか、いつも、この名前は自分じゃないという思いが付きまとっていました。不思議なことだ。自分で考えて、自分で自分につけた名前なのに。意味は単に、南の国に住んでいて、真珠のように貝に隠れているということだったのですが。

パソコンを買って、ネットを始めると、ハンドルネームを使い始めました。
はあい、てんこでえす。今も使っているこの名前。最初のころのブログの読者さんは由来をご存知だと思います。てんこのてんは天使のてん。頭から羽が生えているおばかさんという意味だ。いやほんとは、ある人に言われたからだ。天使なんて、きれいなだけで、何にも役に立たないと。

2012年に書いた「月の世の物語」は、てんこの名前で書いた作品です。なかなかに壮大なファンタジーで、自分ではおもしろく書けたと思う。てんこはたくさんの詩や歌や論語エッセイを書きました。なかなかにきれいな切り絵も切った。ほかにおもしろいことも、かなりたくさんやった。それどころか、死にそうになりそうなところを乗り越えて、かなりの傑作を生んだ。「てんこ」は、今までの私の中では、一番の功労者だと思います。できないことでもやった、すごい根性の持ち主だった。というか、今もそうです。まだこの名前は捨ててないし。でも、ある人の言葉によると、この名前が一番わたしに似合わないそうです。まいったな。

で、今年の5月ごろに、フェイスブックを始めた。そこで、前から考えていた「青城澄」を使い始めたのですが。青城澄は、「菫青石」という詩集と、「玻璃の卵(はりのかひ)」という歌集を書きました。短期間のうちに、大量に詩歌を書いた。これと並行して、てんこが月の世も書いていたから、相当なエネルギーと言えますね。よく考えたら、この1年間でやったことだ。

いろいろな名前を使ったけれど、ここに発表できない名前も入れると、全部で十二くらいあります。どれも今一つ、自分にしっくりきません。待てよ。ジュディス・エリルやオリヴィエ・ダンジェリクや篠崎什も入れるともっと増えるぞ。よく考えたら、彼らの詩も結局はわたしが書いているんだし。

もし、今後、何かの本を出版する機会があるとしたら、その時は多分、「青城澄」を使うと思うんですけど、保証はできません。いろんな名前を考えたけど、どれもなんだか自分らしくないような気がして。はたして、私は誰なんでしょう。

てんこかな。青城澄かな。南野珠子か種野思束か。それともほかの名前か。

どうしたらいいだろう。いまだに悩んでいる。

まあ、名前に関しては、これからもゆっくり考えていこうと思います。わたしにぴったりの名前って、あるかなあ。でもあんまりさいさい変えすぎると、読む人が困りますね。青城澄でやめときましょうか。名前変えるの。

でもおもしろいからまた考えようっと。








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天使・2

2012-12-29 07:07:33 | 画集・沈黙美術館

なにげなく描いた什さんの顔だが、

これ、真実の天使に似ているそうだ。

この顔を、

「頑固なほど真っ直ぐで、真っ正直…

あ、なーるほど」という顔にしたら、

真実の天使になるそうだ。

想像してみよう。

なお、天使について、こういうことをするのは、

ほんとはとても失礼なことなのだそうだ。

試練の天使にはわたしからあやまっておく。

みなさんも、この画像で、

あまり、ふざけたことはやらないように。

たのみます。

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天使・1

2012-12-28 06:58:09 | 画集・沈黙美術館

なにげなく描いてみた天使の顔ですが。

これ、試練の天使に似ているそうだ。

この顔に、

見たら人間が気絶する、

というほどの迫力をつけたら、

試練の天使になるそうだ。

想像してみよう。


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アルデバラン

2012-12-27 07:18:48 | 詩集・瑠璃の籠

テレビの中で
きらびやかな服を着た 男や女が
鶏のように 盛んにしゃべっている
ああいうものが 欲しいと思うのか
人々よ

欲しいと 言ったか 今
あれを 欲しいと
あれが どんなものかを
知っているのか
人々よ

テレビの中で
色とりどりの 美しい体をした
男や女が 
月桂樹の青い冠や 金の名誉のために
走っている
あれを 欲しいと思うのか
人類よ

欲しいと 言ったか あれを
欲しいと 言ったのか

あれが どんなものかを
知っているのか 
人類よ

人類よ


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シュッコンバーベナ

2012-12-26 07:26:42 | 空色写真集

写真は、近所の空き地に咲いていたシュッコンバーベナです。と言ってもずいぶん前に撮ったもので、今はそこに咲いていませんが。
冬至冬中冬はじめ。さすがに寒くなって、花も少なくなりました。

このシュッコンバーベナとは、かなり古いつきあいになります。そのせいか、とてもわたしを好きになってくれたようだ。見ていると、なんだか花の暖かい情愛に包まれていきそうだ。花は、愛することが、人間よりずっと上手です。そこいらの何気ない道のすみや、空き地のくさむらなんぞに平凡に咲いていて、やっていることは、とても高度なこと。だあれも知らない。だけど私は知ってる。秘密にしてくれって言われてるから、黙っているけれど。

ひとひらの きぬをとられて 冬を知る 花の夢にぞ 春は憩はむ

カメラを持ってご近所を歩いても、目につくのは、山茶花や、ピラカンサの赤い実ばかり。虫たちはとっくに眠ってしまったし。もっとカメラが上手に扱えたら、冬になってやってきた、ジョウビタキなんぞの鳥を撮ってみたいのですが、私には難しくて無理みたいだ。カメラを構える前に逃げられてしまう。

クリスマスもすぎて、もうすぐ今年も終わりですね。2012年もいろんなことがありました。わたしにとっては、物語の年、イエスの年だった。いまその総決算を、本館のほうでやってるはずなんですけど、なんだか詩が、妙な方にいってるみたいだ。まあそこがおもしろいところなんですけども。試練の天使さま、これからだんだん悪乗りしてきます。ちゃんとやるべきことはやってくれるんですけどね。どこまでついてこられるかな。おもしろいですよ。

まあ、そちらのほうも楽しみつつ、この別館の方も楽しんでください。


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オリヴィエ・ダンジェリク

2012-12-25 06:40:45 | 画集・沈黙美術館

水晶の おさとうを
コーヒーに 入れると
コーヒーの中で 虹色の
小さな魚が 泳ぐよ

しばらくは 飲まないで
待っていてごらん
魚は すぐにとけてしまって
それは甘い 虹の香りに変わるから

ひとくち飲むと しあわせになるよ
ふたくち飲むと 誰かを愛したくなるよ
みくちも飲むと 神さまに会いたくなるよ

この世界は 一杯のコーヒーの海
どうやったら ここまで
愛でいっぱいになるのか 世界が

秘密を知りたくて 君はそのまま
駆けていって しまいたくなるよ


(オリヴィエ・ダンジェリク詩集「空の独り言」より、「コーヒーの海」)




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シリウス

2012-12-24 07:43:54 | 詩集・瑠璃の籠

なえた偽りの花を持ち
あなたはわたしのもとを訪れてきた

こしかたのすべてが
そのくろい池のみなものような
ひとみのなかでもえている
まるでかろやかな紙をもやす火のようだ
それはそれはあかるく はかない

くるしい日々であったろう
偽りをなして生きることが
それほどに くるしいことだったとは
思わなかったであろう
なにもかもがわかるのは
すべてが終わったあとだ

かなしくもわかきひとよ
わたしはあなたをだくことはできない
なぜならあなたがそれを否んだからだ
それは遠い昔

あなたは わたしのさしだした
きよらかな水の古い木の椀よりも
ぶどう酒の満ちた黄金の杯を選んだ
何がほしかったのか
あなたはわかっているようで
わかってはいなかった

道化の狂った衣装を身にまとい
いかにもうれしそうに
みせびらかして舞台を歩いた
その日々の痛ましき恥の限りを知るとき
あなたはどのように慟哭するであろう
それは
終わったあとでわかる

すべては 夢だった
けっしてみてはならぬ夢だった
だが夢ではない

かなしくもわかきひとよ
なえはてた夢の花を捨て
どこへいこうとする
もうどこにも
ゆくところはないというのに

かみのもとへゆけ
せめてもと あなたにいう
神の元へゆけ


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プロキオン

2012-12-23 08:12:46 | 詩集・瑠璃の籠

窓辺に 鳥籠をつるし
小さな白い プロキオンを
飼うことにした

瑠璃の木の枝を編んだ
青い籠の中で
ちいさなこいぬの星は
白いボタンインコのように
光にもえながら
わたしの琴にあわせて
ちろちろと鳴く

闇路を照らせ プロキオン
確かに照らせ プロキオン

かなたのみちを ゆく人を
かなたのひとを みる人を
闇路を照らせ プロキオン

かなたの愛を 知る人を

夢のように大きな
まいまいのかたちの
静かな月の岩戸の中で
わたしはかわいいこいぬの星と
ふたりで暮らしている

ちいさな琴をひきながら

遠い昔の わたしが
銀水晶の氷河をわたる
一すじの青い炎であったことを
今知る人は 少なかろう


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琴をだき

2012-12-22 03:22:56 | 歌集・窓辺の百合


琴をだき 月の岩戸に まどろみて ゆめのなかばに すみれを植ゑよ


あをじろき もの訪ひきたり 窓辺にて 名をたづぬれば ぷろきおんとふ


ふゆきたる もみじなごりの 朱を焼きて 生くるに膿みし 日々を灰とす


こえゆかむ こえゆかむとぞ 琴鳴らす 風がわらひぬ まだやる気かと



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