月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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聖セバスティアヌス

2014-01-14 04:58:53 | 虹のコレクション
No,55
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ、「聖セバスティアヌス」、15-16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

今回はちょっと悪い例をあげてみようか。

ボルトラッフィオは、見てわかるとおり、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子である。このほほ笑みの描き方は、レオナルドのまねだ。

だが残念なことに、技術は真似できるものの、ものになってはいない。これでもかと美しく描いているがね、美しい顔の裏にある心が丸見えだ。

これにだまされる人間は人間の心を見ることができないものである。事実、多くの人は、狸が化けている聖者を見るような、気色悪さをどことなく感じるはずだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの真似は、人間には難しい。技術だけでは描けないものを描いているからだ。

だからレオナルドの形だけをまねして描いたこの絵は、非常に、まずい例である。レオナルド的な崇高さを感じる形の、中に入れる心がまずすぎる。

美しく描けるだけの下手な画家はたくさんいるがね。これは相当にきつい。聖者の中に小猿がいるからだ。



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屈原

2014-01-01 04:31:49 | 虹のコレクション
No,48
横山大観、「屈原」(部分)、19世紀日本。

こちらは日本画から採用した。

この絵に描かれた男は美しいが、これは日本人でなければ描けない男だ。
何故なら、これは男の汚さを真正面からいさぎよく描いているからだ。

人間の男には、だれもかつて女性を辱めたことがあるという罪の影がしみついている。それは消そうにも消せない影だ。大体の男は、これを服装や化粧で隠す。だが、この画家はその男の罪をそのまま描いている。

だがそれを醜いと感じさせないのは、この絵の中の男が、自らの死でそれを清めたことがあるからである。

この男は、社会に尽くす。しかしその志が受け入れられないと知るや、社会におもねることを潔しとせず、死に赴く。それが、男の罪を清める。
こういう男は、女性に助けてもらうことを潔しとしない。そのまま背を向け、自らの死を選ぶのである。ゆえに、男の罪の跡が、痛く苦しく、きついものとなっている。

これを見ると女は、見事だと思う。

女性への罪は、人間の男の、大きなテーマだ。これをどう潔く清めていくかが、男の苦しい課題となる。

この絵は、その一つの道を、見る者に教えるのだ。



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レオナルドの肖像

2013-12-18 05:07:26 | 虹のコレクション
No,38
フランチェスコ・メルツィ、「レオナルドの肖像」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の中では、アンブロージオ・デ・プレディスやベルナルディーノ・ルイーニがまだ優秀だが、どの絵がいいかと考えると、これが浮かぶ。

メルツィは画家としては三流に入るが、これは大変貴重な絵である。

一般に、レオナルドの自画像として認識されている赤チョークで描かれた老人の絵は、レオナルドの自画像ではない。現代にも残る、冷徹な天才だと言うレオナルドに対する誤解は、あの自画像とされる絵のイメージから生まれてきている。しかし本当は、このメルツィが描いた絵が、レオナルドの実像なのである。レオナルドはこのように、年老いてもなお、青年のようなすがすがしい目をした実に美しい人だった。

メルツィはたいへんレオナルドを敬愛していた。その愛が、この絵に現れている。

極上の技術で人間を描いたレオナルドの「モナリザ」との対極とも言える。

つたない技術だが、人間が愛の心をもって、レオナルドを描いている。



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婦人の肖像

2013-12-10 05:01:47 | 虹のコレクション
No,30
アントニオ・デル・ポライウォーロ、「婦人の肖像」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

かわいらしい女性だ。この素直に女性の美しさを描くところがよい。

女性の横顔を描く肖像画は多いが、これはその中の白眉だろう。

かわいいまなざしと可憐な口元が実によく描かれている。
これは普通の女性ではないとわかる。画家は、この女性を愛している。男女の愛ではない。親のように、かわいいと思っている。

その愛が、絵をよくしている。

絵画というものの意義を考えさせられる絵である。愛しているから、美しく描いてやりたい。大切にしてやりたい。幸せになって欲しい。そういう願いが絵にこめられている。それがゆえに、絵の中の女性はこうしていつまでも生きる。

後世にもぜひ伝えていきたい絵である。



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横たわる裸婦

2013-12-07 05:28:41 | 虹のコレクション
No,27
パブロ・ピカソ、「横たわる裸婦」、20世紀スペイン、シュルレアリズム。

これはもうめちゃくちゃだ。人間をばらばらにしている。リズムが破壊されている。見ていると苦しくなる。これを美しいものとしてしまったことは、画家の過ちである。

19世紀から、芸術の世界、人間の魂の世界に吹いてきていた暗雲が、とうとうこうなったというものだ。芸術はとうとう、人間をバカなものにしつくした。キュビズム、シュルレアリズムというが、これらはまるで人間をガス室に放り込む虐殺機械のようだ。

これを見て、美しいと感じる者はいないはずだ。何となく、こういうものがよいものだということになってしまった。なぜか。芸術家というのが、高度に難解なことをする賢者というようなものになっていったからである。つまりは、「偉い人」になってしまったのだ。

この絵がわからないのは、裸の王様が着ている服が見えない馬鹿なのである。

ピカソは好色なことで有名だったが、そこらへんも胡散臭い。愛する女を描くときは、男はそれは美しく女を描くものだがね。画家は女の何を見ながら、この絵を描いたのか。

ピカソは人気のある画家だそうだが、結局は幻の権威によってのし上がった馬鹿にほかならない。

この次は、心に気持ちのよい絵を選んでみようと思う。



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黄色い椅子に座ったセザンヌ夫人

2013-12-06 05:01:53 | 虹のコレクション
No,26
ポール・セザンヌ、「黄色い椅子に座ったセザンヌ夫人」、19世紀末フランス、後期印象派。

これは苦しい。まるで人間が木偶のようになっている。セザンヌの描く人間は、文明社会ですりつぶされた人間の魂の悲劇を感じさせる。

目が生きていない。あるはずの魂の気配が、どこかに逃げてしまって見えない。セザンヌは、時代に生きる人間の苦悩を、その表現力で的確に描いている。嘘偽りのない心で人間を描くと、こういうことになったという感じだ。

19世紀の人間の魂の苦悩が、この一枚ににじみ出ている。



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ヴィーナスの誕生

2013-12-03 04:53:58 | 虹のコレクション
No,23
サンドロ・ボッティチェリ、「ヴィーナスの誕生」部分、15世紀イタリア、初期ルネサンス、フィレンツェ派。

ボッティチェリをあげるのは二度目だが、これは忘れることはできない。

このヴィーナスの顔は、どこかかのじょに似ている。うれいを帯びた優しいまなざしだ。何も考えてはいない。

よけいなことだが、かのじょは子供の頃の怪我が原因で、右手の小指が歪んでいる。このヴィーナスも、右手の小指が歪んでいる。おもしろい共通点だ。

この絵は、人間の魂の誕生を描いたものである。美しい神の国から来た魂が、人間の国にやってきた。人間の国はかのじょに美しい衣を着せ、やさしく迎え入れている。

芸術とは、本来こういうものであるはずだ。愛で、魂を真実の世界にやさしく導くのである。美しい愛と、真実の人間性の美と幸福を表現する。それが芸術というものだ。

人間よ。この上なく美しい女性を描いてみたまえ。そしてかのじょに、優しい衣を着せ、あらゆる賛辞と愛のことばを与えなさい。
そうすれば、女神は清らかな聖母となり、あなたがたのために、新しい世界を生むだろう。

新しい魂の世界の到来だ。
魂のルネサンスである。



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眠れるヴィーナス

2013-11-30 05:12:04 | 虹のコレクション
No,20
ジョルジョーネ、「眠れるヴィーナス」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。

有名すぎる絵だが、ここでまた取り上げる。ジョルジョーネの絵は、レオナルドと師ベッリーニの影響から、もとはもっと静かでどこかさみしい感じがするが、これには、ティツイアーノの筆が入っているので、そのぶん暖かさを感じる。

ジョルジョーネへの、ティツィアーノの愛が、風景の中で横たわるヴィーナスを包んでいる。

ヴィーナスをテーマにした絵は、たくさん描かれているが、はっきり言って、ボッティチェリのヴィーナスを超えられた絵は、一枚もない。その中で、これは特に目立つ作品である。

見れば安らぎを感じる、美しい絵である。

人間が人間らしく表現していた芸術は、ルネサンスまでではないかと感じる、一枚の絵である。後期ルネサンス、古典主義、ロココ、新古典主義、印象派、ロマン主義、象徴主義と、芸術はだんだん、堅苦しくなり、概念的になり、果てに、キュビズムがでてくる。ここにいたって、芸術は人間性を破壊した。

風景の中で、静かに眠っているヴィーナスは、芸術の魂が、もはや眠って行くしかない時代に向かっていくという、表現なのかもしれない。



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ボルドーのミルク売り娘

2013-11-29 05:07:02 | 虹のコレクション
No,19
フランシスコ・デ・ゴヤ、「ボルドーのミルク売り娘」、19世紀スペイン、ロココ、ロマン派。

この画家の絵はあまり好みではないのだが、特筆すべき点があるので採用した。

技術的に優れた画家である。卓越している。だがこの画家は、自己存在の中枢を、きついウソにむしばまれている。それがゆえに、絵の中にいる人間が、たいそう苦しんでいる。

こういう画家には、ほかにカラヴァッジョがいるが、ゴヤのほうが、矛盾に苦しむ自分に気づいている分だけ、優れている。

このミルク売り娘なども、まるで死んでいるように見える。

「黒い絵」のシリーズなどには、人間存在の魂の真実が描かれている。暗黒面に苦しむ人間の叫びが聞こえる。

人間はゴヤの絵に、暗黒面を生きるものの真実を見ることができる。




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ジネヴラ・デ・ベンチの肖像

2013-11-21 05:20:09 | 虹のコレクション

No,11

レオナルド・ダ・ヴィンチ、「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」、15世紀イタリア、盛期ルネサンス。

レオナルドの作品からはこれをあげた。モナリザや白テンと比べると、あげられることの少ない作品だが、これにもレオナルドの愛がただよっている。その人間への深い洞察から描く表情と極上の技術で愛撫するかのような筆致は、レオナルドでなければできない。彼以外の誰も表現できない女性像である。

なお、ブノワやカーネーション、リッタの聖母などは、レオナルドの真筆ではない。見るだけで判別できないようでは、レオナルドをまるでわかっていないということだ。

レオナルドは冷徹な天才ではない。悲哀の中にも切ない愛を美しい女性像の中に表現していた。



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