五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

華厳の思想

2008年04月20日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
奈良の東大寺本殿を華厳寺と云います。

明治時代の法の改正で、「一つのお寺に一つの宗派」となり、南都6宗、(真言宗・天台宗含めて)8宗の学問所となっていた東大寺は、華厳宗を選択しました。
(表現が間違っていたらごめんなさい)
そこで、神仏も分離され、かつて東大寺建立に際し宇佐八幡と関係を結んだ手向山神社も別の宗教法人になったと本に書かれてあります。

そうはいっても、神仏混合、そして古来から伝わる古層という文化・宗教が混じり合い、日本のアイデンティティが成されてきたのです。


華厳の思想。

決して難しいものではありません。

一つ一つ、孤立した個々の個性は、全て繋がっていて、それが世を成しているという思想です。

人類みな兄弟、という言う人もいれば、隣人を愛する、という言葉もあります。

ブログには何度か書いていることですが「ガンジス川の砂粒は、一つ一つにすべて意味があり、繋がることで、ガンジスの滔々とした流れをつくることができている」と、ヒンドゥーでは、云い伝えられています。
これを人に入れ替えても同じことが言えます。
ひとりひとりの個性は尊く、その尊い個性が結び合って、世を成していくのです。

人は、普遍を求めようと、振り子のように揺られながら生きています。

揺られながらも、普遍の片鱗に触れたとき、言い知れぬ平安感を感じることがあります。
何が真実か、何が正解かは、私自身が持っているアイデンティティから私自身が判断することしかできません。

表現するものが違っても、必ず人は繋がっています。

自分ができる小さなことでも、必ず何かに繋がっていくと信じています。

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生活支援センター

2008年03月03日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
本日は、勉強を兼ねて、我が町横浜市港北区にできる精神障害者の生活支援センターのありかたについての市民対象フォーラムに参加してきました。

私たちのNPOが社会資源として、働きの一コマとしてお役に立てるはず、と確信
しました。

当事者の方々のご家族、身近な方、そして、予防医学的に心身に不安を抱えた方々の勉強会はできそうです。
実際、私たちの勉強会には、そのような環境で不安を抱えながら生活していらっしゃる方も多くいらっしゃいます。

整った環境の中で連携を深めながら、「生き甲斐の心理学」を学ぶ機会をぜひ作りたいと、希望が湧きました。

よりよくイキイキと生きていくには、知恵と情報が必要です。

謙遜に、粛々と業務を遂行している方々の働きを垣間見させて頂き、学ぶことの多さを知りました。

私どものNPOの特徴は、愛をもってひたすら時間をかけ、じっくりと学び合うことができることです。
この長所を生かして、マイペースに活動してきたことは、決して無駄なことではなかったと思いました。

じっくり、のんびり、大切に。。。
この特徴である強みを、堂々と世間に宣伝する良き時期に来たように感じています。

「お水取り」。3月2日は、小浜市にて、「お水送り」が行われました。
人は一人では生きていけません。このように互いに補い合いながら、よりよく生きていきたいものです。

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食べていくということ

2008年02月26日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
「5万年前」というタイトルの本が、去年あたりから私の周辺で流行っています。

現在に至るまで、自分の祖先がどうやって生きてきたかをDNAのデーターを基に、生物学的見地で書かれたこのような本を読むと、精神衛生がよくなるのを感じます。

宇宙の果てを考えたり、人は死んだらどこに行くか、とか、考えたらきりのない話題はたくさんあります。不可知論的な話題であったものが、科学の発達により、限りない真実として私たちの知識に入り込んでくる時代になってきました。

自分という身体が、いったいどのようにして此処まで生き抜いてきたか?

私の祖先が生き延びてきたからこそ、私が今、ここに居るわけです。

とにもかくにも、「食べて生き抜いてきたのです」

太古の昔は、食べるための行動で一日を過ごしていたはずです。
畑を耕し、めぐる季節に順応しながら、環境適応していくことで、「住まう」ようになったのは、人類の歴史からみると、ほんの上澄みの歴史しかないはずです。
そのほんの上澄みのそのまた表層を生きている日本に住まう私たちは、世界中を駆け巡り、世界中から集まってくる食べ物をお金で買い、好きなように頂いています。
5万年かけて移動した人類が、あっという間にシャッフルされ、そうはいっても国と国の境界線は一層厳しくなり、自分がどの国の国籍を持っているかが、大変重要になってしまいました。

食べるものを買うために必要なお金。

それを得るために、どんな仕事に就くか。

人類は、媒体を置くことで、より「知」が必要となるのです。

しかし、
よく考えてみると、「どうやって食っていくか」
たったそれだけのことなんです。

しかし、しかし、そんなシンプルな人間の営みが、いつしか見えなくなってしまったように思うのです。

お金を得るための仕事。
仕事をするために必要な勉強。
勉強するために必要な努力。
努力するために必要な、決意と意志。

決意と意志が生まれるには、愛すること、愛されることの意識が、とても大切な要素なんだなぁ、と思います。

「食らう」ことは、「愛」を頂く、ということに繋がります。

さてさて、今日も「食らう」ことを考えながら、食事の支度を始めます。


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春節

2008年02月07日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
長年お世話になっている編集者の方が作っている歳時記カレンダーと旧暦カレンダーは、私のブログのネタに大いに役立っています。

旧暦カレンダーは、それだけ単体で掛けておくと西暦と混乱し間違いのもとになるので二つのカレンダーを仲良く並べて掛けています。
案の定、家人が間違えて西暦のように捲ってしまうことがあったので、カレンダーの上には「触るな危険!」という注意書きを書いています。

さて、今日は春節。旧暦のお正月です。というわけで、旧暦カレンダーは、ようやくお正月です。
立春となると、まだまだこんなに寒くても春の訪れを意識します。
中国では、爆竹でお祝いし、水餃子を頂くそうですね。
地元横浜の中華街は本日華やかなお祭りです。
ブラジルではリオのカーニバルで大騒ぎし、キリスト教の「灰の水曜日」(今年は2月6日)には昨日までのお祭り騒ぎが嘘のようにピタッとおさまり、復活祭に向けて祈りが深くなります。
日本人の歳時を考えても、もしかしたら旧暦のほうが、なんだか明るいお正月のような気がするのですが、如何なものでしょう。

季節の移り変わりと、人の心はいつも添い合っているようです。
西暦のお正月が過ぎ、少し落ち着いたところで、旧暦のお正月を「心安らかに過ごす」、というのも「二度美味しい」贅沢な心持ちかもしれません。

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メリークリスマス

2007年12月22日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
今日は冬至です。
一年のうちで一番日が短い日。

キリスト教では4週間前から待降節といい、キリストの生誕を待ち望みながらクリスマスの準備をします。最近の日本もそうですが、キリスト教文化圏では、感謝祭を過ぎた11月の終わりの週あたりから街が華やかになってきます。

日に日に日の短くなる時期に、ろうそくの火を灯し、静かに冬至の日を迎えると、次の日からは、日に日に日が長くなるわけです。
光を待ち望む人々の願いと祈りが、そこに込められているようです。

闇から光へ。

暗闇から光に向かう季節をお祝いする習慣は、キリスト教が存在する以前から、多様な形で各地域で表現されています。

日本では、柚子湯に浸かり、かぼちゃをいただきます。
奈良では先週「おん祭り」がありました。闇の中に神様が一夜だけ降りてきます。
同じ日本でも、違った風習もあるかもしれませんが、「私の冬至」はかぼちゃと柚子湯で過ごします。

人々が、祈りを込め、光に託す想いは、きっと何千年経っても、変わらぬ想いなのだと思います。
争いもなく、幸せで、健やかに生きたいと願うのは、誰もが望むことでしょう。

与えられた環境で生き抜く人々が、一筋の光を見たときに、畏怖あるいは奇跡を感じ、見えないものの奥に潜む何かを感じ、想像し、意味を持たせようとするのは、人に与えられた知恵の賜だと思うのです。

クリスマスを楽しく過ごしながら、日に日に明るくなる季節のプロローグを感じてみるのも良いのでは?

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今年最後の大阪勉強会

2007年12月08日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
4月から始めた大阪池田での勉強会。月に一度、夏休みの八月をはさみ、8回目となりました。

私達の勉強会は、他者のことを自分の概念で勉強しても、勉強になりません。

「あなたが今まで生き延びてきた理由をカウンセリングの理論を使って理論武装せよ」

自分のことを自分が見つめ、自己分析していくことが、私達の学びの特色です。

長年かけて、自分の思考・感情・行動を自分の言葉で言語化する訓練をひたすら積んでいきます。

通信講座もワークショップも、まずは「自己の不安感の言語化」から始まります。

「人の本質は不安である」この概念に、驚かれる方も多いようです。
実際、私がこの概念を初めて知ったとき、緊張した糸がプチンと切れ、息苦しさから開放された気分になりました。
「なぁーんだ~、そうだったんだ~」
人は不安で当たり前。でも、必ず、行きつ戻りつも螺旋状にぐるぐる回りながら、少しずつ上に向っているのです。

「私には不安が無い、」「なにかモヤモヤしているけれど、言葉に出せない、」
「わけもなくイライラする」
そんな自分の状態を、自分の言葉で言語化することに、長い年月が必要な方もいらっしゃいます。

嘘偽りの無い、湧き出した言葉で、自分のことを語ることは、自己受容に繋がります。

そういった嘘偽りの無い言葉を、否定も肯定もせず、傾聴する人が必要です。

カウンセリングは、人を説得することでも、自分の概念を押しつけることでも、励ますことでもありません。
地味で、そのくせ時間がかかる勉強ですが、生涯学び合いながら、螺旋状に上昇していきたいものです。

池田の勉強会で蒔かれた種に、実がなる事を期待しながら、来年3月まで、楽しく学び合っていきたいと思います。
宜しくお願い致します。感謝を込めて。

ご興味のある方は、ユースフルライフ研究所のHPとブログ「生き甲斐の心理学」をお読みください。

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大阪の勉強会

2007年11月02日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
四月から始まった大阪での「生き甲斐の心理学」講座(ユースフルライフ研究所)。今日で7回目となりました。
師匠にくっつき、月に一回の日帰り。しかも往復6時間というハードなものですが、私にとっても大きな学びの機会となり、毎回贈り物を頂いているような気分で帰路につくのです。

カウンセリングの学びは、他人のことを学ぶことより、まず自分のことを見ることから始まります。

他人のことは何もわかりません。
自分以外は驚きの対象です。

そして、自分の「今、ここで」の感情をもっとも大切にしています。

長年勉強を続けられていらっしゃる方、今年始めて勉強会に出られる方、さまざまですが、参加者の方々のそれぞれの人生をお聞きする事で、私自身、改めて振り返ることができるようです。

今年はあと一回。来年の三月まであと四回。

過去でも未来でもなく、今この時を、静かに見据えながら、自分の感情に耳を傾けると、何かが見えてきます。
その何かは、本人でなくては見えてきません。

なんとなく、勉強会の雰囲気に温かいものが流れ出しています。
今年度後半、ますます互いを労わりながら、楽しく、学び続けることができれば幸いです。

この勉強会の実現に際し、関わってくださった皆様に、改めてお礼申し上げます。

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食卓を囲む

2007年08月16日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
毎年夏のこの時期にある方と食事を共にするのが恒例となっています。

その方は、山中湖の古い家屋を借り、夏の3ヶ月をそこで過ごしていらっしゃいます。
築60年の平屋の家は、森の中の細いあぜ道の奥にあります。
私はそのあぜ道が大好きです。一人しか通ることができない幅。草が程よく茂り、木漏れ日の光がその道を照らし、なんだかお伽の国に迷い込んだような気がするのです。

日本在住50年。齢80過ぎとは思えず、粛々と福祉活動を実践し続けていらっしゃいます。

今年も一緒に食事を共にしていただく機会に恵まれ、ビールとワインで、心地良い会話に心が踊りました。
私達家族が彼の住まいの近くにコテージを借り、そこで有り合わせの食事を作り、質素ではありますが、会話がメインディッシュとなり、夜遅くまでお話を聴かせていただくのです。

パソコンも使わず、テレビも見ずの生活なのですが、ユーロとドルのレートと株価の情報は毎日チェックし、世界の情報もまめに仕入れていらっしゃる。
健康に関しても独自のペースで気を使っていらっしゃる。
そして、文章を書き、勉強も欠かされない。

怠け者の私は、1年間貯めておいた疑問、質問を彼に投げ掛けます。
すると、彼の口から流れるように明るく美しい解釈と表現が私に届けられるのです。
その人から頂く言葉からは、決して暗い言葉が出てきません。
常に前に進み上へと向っているのです。

皆と共に食卓を囲み、喜びに満ちた気持ちで過ごす時間は、料理のカロリー以上に体の芯を燃やします。
パンとチーズを分け合い、そこから湧き上がる会話の旅は、多分世界一周以上の価値があります。

心と体と魂が満たされた3日間に感謝。

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