五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

タイムスリップ

2016年07月31日 | 第2章 五感と体感
タイムスリップ2016年7月31日

春に独り者の伯父が亡くなり杉並の母の実家が空き家になって3カ月。
昨日は、最後のお別れに行ってきました。

エスペラント語で書かれた「愛あるところに神在り」と題した絵を探すことも目的でしたが、結局見当たらず、きっとどこかに寄贈したのであろうと推測し合い、捜索活動が振り出しに戻ってしまいました。
北海道余市で高校教師をしていた祖父が絵を描くために上京してから60年の月日が立ち、その際に引っ越しした木造二階建ての家は、ほぼ朽ち果てかけた良く言えば高度成長期の文化遺産的な家と化し、私自身四半世紀ぶりに訪れたこともあり、一気にタイムスリップした不思議な感覚を持ちました。

祖父がまとめた古いアルバムや諸々の家財も家と共に処分すると母達は決め、そのアルバムに貼られている写真に新鮮な懐かしさを覚え、母の姉妹と従妹から共有する思い出を聞き、初めて知る事ばかりに血の繋がった者でさえ、自分から見える表の片鱗しか見えてないことに人の人生の測り知れない宇宙を見たような心地もしました。
若い両親の特に父が歯を見せて満面の笑みを浮かべている写真なんぞも初めて見ることとなり、その写真はアルバムから剥がして持ち帰りました。
昭和を象徴する散切りおかっぱの髪型をした私もアルバムの中に見つけ、久しぶりに子供の自分に会った懐かしさで、この写真も持ち帰り、結局は自分では記憶の無い思い出を拾うような時間を過ごし、笑いながら最後のお別れをしました。

人気のある便利な場所の土地であるためさっさと買い手が付き、ここは来年の今頃には新しい家が立ち、新しい人が住むことになります。
思い出の場所が一つ消える寂しさはありますが、移動しながら住まう人の業は、人類発生、そして縄文時代から続き、古層の記憶として身体の奥深くに無意識の記憶と成っていくことの面白さをまたひとつ感じる一日ともなり、親戚との食事の会話は、叔母が最近行ったブルガリア旅行の話から、先日孫を連れて行った伊勢神宮の話題やら祇園祭の話題で花が咲き、ほんとうに大らかな一族であるな、と、大笑いして、私に残されたミッションも期待を半分にして楽しく追跡していこうと思うのでありました。
全く記憶の無い無意識のどこかにある道産子の記憶も、きっと私の中にあるのでしょうや(笑)

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想と現実

2016年07月30日 | 第2章 五感と体感
理想と現実2016年7月30日

「こうあらねばならない」「~せねばならない」「~すべき」とか、「世間はこういうものでしょう」、「普通はこうだよね」というような思い込みは、自分が生まれてから今日までの生育史で育まれた考え方であり思いでありましょう。

理想と現実のギャップは、ふとしたことで自分の中から湧いてきます。

先日、仕事帰りの電車の中で、湘南の海で遊んだ帰りと思われる欧米系のカップルの女の子がイヤホン付けながら大声で歌い出しました。シーンとした静かな電車内でシルバーシートに座って、楽しそうに歌っています。隣に座っている男の子は、そんな彼女と一緒に自撮りをお楽しみ中。
私自身、「ああ、外国人か~、しょうがないわねぇ~文化が違うよね・・」と、呆れながらもそんな気持ちが湧きました。
そんなところに次の駅に着くと、多くの人が電車に乗り込んできました。
「どうするのかなぁ~」とチラ見していると、よたよたのおじちゃんが入ってきた途端、女の子は慌てるように立って、そのおじいちゃんを直ぐに座らせました。電車内で若者が高齢者に席を譲るために慌てて立つという行為は、ヨーロッパの電車内ではよく見かける光景です。
私だけでなく周囲もちらりとその様子を見ていました。
大きなトランクと買い物袋を混んだ電車で寝かせて置いていた彼らは、次の駅で静かに降りて行きました。

しょうがないわね~という諦めの気持ちは、外国人だから日本人の習慣とは違うという瞬間的な思いから湧いてきたもので、次の愛ある行動にホッとした気持ちは、私の「するべきだ」という概念が叶ったからこそ湧いてきたものでありましょう。日本の都心では、高齢者が乗ってきても若者が反射的に慌てて立つという行為はほとんどしないように思います。
結果的にヨーロッパでよく見かけてきた懐かしい光景に出くわし、ほっこりした気分で帰路に着きました。

理想と現実のギャップから湧きだす不安感の事例を一日の生活から意識化してみると、いろいろな自分の概念が見えてきます。
ホッとしたことで、解消した不安感を思い起こしてみると一日の生活の中で多々経験しながら生活していることに気付くはずです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験生の夏

2016年07月29日 | 第2章 五感と体感
受験生の夏2016年7月29日

ようやく梅雨が明けましたが、水不足は少々不安です。
今年の梅雨は雨が充分だった様な気もしますが、ダムを満たすまではいかなかったようですね。

夏休みに入ると受験生一人一人勉強の仕方も違うでしょうが、孤独感を感じやすくなることもあるでしょう。

中高一貫校だと、中学入学からの6年間の成長をしみじみと感じる事ができます。
6年間の成長を振り返りつつ、「受験」という自分との戦いに挑んでいる生徒さんを見守るしかありませんが、この夏を充実して過ごして欲しいな、と、思います。

朝起きてから寝るまでの行動のパターンを作ることは集中力を養うコツでもあるかもしれません。
「やらなくちゃならない」という焦りの気持ちも大事でしょうが、自分で決めた一日のパターンの中に自分を入れていくことは、勉強だけでなく仕事の行程についても心の安定に繋がります。
形にはめていくと自ずと自分の意志が定まっていくことも大人になってから学んだことかもしれません。もう少し早くにやっていれば、、、と、思うのも人間らしいとは思いますが、覆水盆に返らずです(笑)

夏休みの期間中は、ちょこっと受験生を応援しながら、ブログを書いていこうかな、と思っています。いつもの通りであるとは思いますが…。

暑さは秋分の日あたりまで続く事でしょう。身体に気をつけて夏休みを乗り切ってください。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュートラルに

2016年07月27日 | 第2章 五感と体感
ニュートラルに2016年7月27日

ひとつひとつ仕事と役割を終えて、一年の真ん中の7月は過ぎようとしています。
エネルギーを吐き出した感がありますが、自ずと吸いこむコツが持てているようです。
呼吸法と同じだな、と、思います。
息を吐くことから始め、吐き切ると、自ずと空気が吸い込まれていきます。

呼吸ができないほど動き回ると、身体と心に良い事はありませんので、やるべきことが重なっている時ほど、呼吸を意識しています。
普通にできているはずの呼吸が、実は上手く出来ていなかったことに気付いた時は衝撃的でしたが、太極拳と気功を習ったおかげで、ここ10年程で徐々に上手になってきたようです。

一年の真ん中の時期であるからこそ、呼吸を整えながら身体と心をニュートラルにする時間を大事にしたいものです。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚勉強会から戻りました

2016年07月26日 | 第2章 五感と体感
宝塚勉強会から戻りました2016年7月26日

ここ数年、年に一度となった宝塚勉強会が無事に終了しました。
一年に2回、3回と訪れていた頃から私自身も歳を重ねる毎に、時間の感覚も変化しており、一年があっという間に過ぎるようになってきており、良き自己点検にもなります。
参加した皆様も諸々の忙しい日々から抜け出し、自分自身の内に留まる時間を満喫していらっしゃるようでした。もちろん、私自身も自分の住む場所から遠く離れた場所であると同時に迎え入れてくださるシスター方との親しさも重なり、リフレッシュする体感がとても心地よいのです。

関西の言葉のはんなりした感が、7歳まで住んでいた関西の感覚を蘇らせ、ほっとするのも心地よい理由の一つでもありそうです。

作品展も一段落。こちらの仕事も一段落。
身体と気持ちを和らげて、ぼんやりする数日間を過ごしたら、また一年の後半の再始動です。8月の半ばあたりまでは、気分的にもそんな状態を味わう事ができそうです。なんとなく中庸な時期に気を養い、のびのびとしたいものです。

夏に宝塚の日程を組むようになって確か4年位が経つと記憶しています。
その度毎に祇園祭の京都を楽しむ事が恒例となっています。
今年は21日に京都の街を散策し、後祭の御集印が3年目にしてすべて整いました。来年は前祭をもう少しゆったりと観たいものです。

勉強会の会場の心地よさと心を尽くして作ってくださる食事で心も体も魂も満たされて、これから来年の宝塚勉強会までの貯蓄ができました。

集う講座生の皆様、温かいもてなしのシスター方、森の中の修道院の環境に感謝致します。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福感

2016年07月21日 | 第2章 五感と体感
幸福感2016年7月21日

「不安は人の本質である」と、教えられ、その言葉が五臓六腑に沁み渡り、一気に腑に落ちた経験から私の学びが始まりました。

今も、いつでも、幸福感ばかりで生活していたら、きっと危険な事を回避する力も備わらないでしょう。人は不安な気持の中から、自分の生き延び方を模索して、術を身に付けてゆきます。良くも悪くも、です。

自分の足りないところ。
自分のコンプレックス。
自分の嫌なところ。
そのような自分にあやふやな嫌悪感を感じつつ、それを意識の底に押し込めたまま、他者に期待するあまりに自分の思いが叶わないと思うのであれば、それはきっと、「自分の湧き出している感情そのものの点検が必要である、」というシグナルであるかもしれません。

希求し続けても誰も振り向いてくれないと悲しがった時に、ハタと自分に内在している答えに気付けばしめたものでしょうが、気付こうとせずに振り向いてもらうことばかりに気を取られていたら、ひょっとしたら、それは自分自身を大切にしていない証拠であるかもしれません。

幸福感は、むこう側からやってくるものではなくて、自分が能動的である道筋の渦中に感ずるものが大半であるように思います。

幸福感という感情が不安感の相反する位置にある事を知るだけでも、なんらかの幸福感を感じるのが、人間らしさというものでありましょうか。。。

22日~24日まで宝塚での勉強会です。大好きなマルーン色の阪急宝塚線に乗っているだけでも幸せな私は、幸福感になる沸点がかなり低いかもしれません。(笑)

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友好的感情

2016年07月20日 | 第4章 愛とゆるし
友好的感情2016年7月20日

学校はいよいよ夏休みですね。
少子化と云われていても、我が家の周辺は子供が増え、私が小学生の頃の雰囲気が蘇っています。

先日目にした家の外からベランダ越しに友人を誘う交渉が面白かったので、ここで再現してみます。

お友達:「○○くん、プール行こうよ~」
○○くん:「いけるかな~~、、、お母さんに聞くね。何分待ってくれる?」
お友達:「どのくらい待てばいい?」
○○くん:「20分かな。」
お友達:「10分だったら待てるかな。」
○○くん:「解った。すぐに仕事を終わらせるから、待ってて。」
お友達:「オーケー!」

お友達の間髪いれずに言った「10分だったら待てるかな。」という返答に、「おおっ!即座な交渉!」と感銘を受けました。
しかも、「直ぐに仕事を終わらせるね!」って言うところがまた良いじゃないですか。。。

絶対的な友好的な交流である条件の中、信頼感を持って成されている会話と推察し、「この子達がいれば、日本の将来は大丈夫だ~」と、確信めいた明るい感情が湧いて来たのです。

自分で考えて、自分で発信して、自分で関係性を育んでいく人の世界のとても大事な事を彼らは行っていたわけで、その清々しさに真っ青な青空が見えてきました。
こうやって、にんまりとしながら、近所のおばちゃんが見守ることも、社会における役割であるように思います。

友好的な感情の反対は、怒りの感情です。
なるべくなら怒りの感情になる前に、友好的な手段を自ら意識できるよう努力したいものです。そのためには、自分の中に育まれている自己愛の点検が必要かもしれませんが、難しい事は云わずに、友好を意識する事が一番かもしれません。

怒りの感情を独りで自問自答していき続けていくと、世間全般が敵のように見えてきます。自己の問題が、いつしか世間の問題とすり替わっていく事が連鎖していくと、問題の核心からどんどんとずれていきます。
地球に住まう人間のそれぞれの現実を吟味する力が健全に働くよう祈るばかりです。「怒りの感情」の反対側に「友好的感情」があるからこそ「怒る」ことも忘れてはならないと思う今日この頃です。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人と交わる

2016年07月17日 | 第2章 五感と体感
人と交わる2016年7月17日

人と交わることで、新たな発想が湧いたり、その相乗効果で新たな仕事が生まれたり、人間関係が育まれていくことを何度も繰り返しながら、私達は生活しています。
人と関わらなくなると、その動きが止まります。

一時でも他者との関わりを断ち、すべき事をすることも自分が向上しながら生きていくためには必要な時間です。

人と交わることと自分だけの静かな時間を過ごす事は、人によってそのバランスが違います。

家族であっても同じかもしれません。
どのくらいの距離で子供と接するか。。。
母と子の距離感を測る前に、できることなら少し先に生まれた母親の方が距離感を意識できるとよいかもしれません。
子供は、他者との交わりの経験が無い分、一番身近な母親との距離感は無いに等しいように思います。そうであるから故に、母の思いを汲むことで自分のバランスをとろうとしますが、母親のバランスが宜しくないと、たちまち子供のアイデンティティが崩れていくようです。
つまり、相手が太陽であった人が突然月になってしまったり、晴れた海が嵐の海になってしまうことで、子供の持っていた「母という象徴」が壊されてしまう事で混乱していくのです。
子供は、身体だけでなく経験も発育過程です。それに言葉の発達も途上です。
なんらかの形で身体症状に表出する事は、必死で混乱した何かを統合させようと身体が必死にバランスを取ろうとしているようです。
私自身、幼い頃のアレルギー体質は、まさしくそれが原因だったように思います。住まう場所が変わることによる気候の違いのせいだと思い込んでいましたが、それだけではないようです。住まう場所が変わったことによる母親の不安を子供の私が投影していたのでしょう。

人と交わる時に、泰然自若を自ら無意識に育んできたのは、多分、幼い頃からの抑圧と無意識に闘っていたからなのだと自分の傾向を推察しています。本当のところは自分でも解りませんが、自分の傾向を自らが受容すると、きっと何かが解決するかもしれません。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間に追いつく

2016年07月15日 | 第2章 五感と体感
時間に追いつく2016年7月15日

厳密に言うと、「移動する速さと自分の体感的に持っている時間感覚」と「世の中の何らかの出来事と自分の時空感覚」。それと、「他者の持つ感情の中にあるスピード感と自分の感情のスピード感の差異」のことを最近つらつら考えています。

とある人が急(せ)くように発言する姿をテレビで見ていると自分の不安感の克服を喋る速さによって克服しようとする防衛機制が見え、私の五臓六腑がとても不快になってくるのです。
他者の不安感をあからさまに見せつけられると、それを見せつけられた他者は不安になります。

不安になればなるほど他者の言葉を遮り、早口になる人と話をしていたとしたら、「ああ、、、この人はとても不安なんだな。。。」と、思う程度にしておかないと、聞いている方が気分が悪くなってくるのです。

自分の歩く速度。
自分の喋る速度。
そして、自分が移動するために乗る乗り物の速度。
自分の仕事の速度。
人との関わり方の速度。

それらの速度は、時間と関係している事は、当然の事でしょうが、
自分のスケールを考えてみると、時間が流れる速度も案外人によって違うようにも思えてくるのです。

自分のペースを自覚しておくと、他者のスピードに巻き込まれる事を回避できるやもしれません。

私は新幹線はヒカリの速さが好きです。のぞみになると身体と心が付いていかなくなります。リニアモーターカーに乗ったら多分心と身体がバランバランになるかもしれません。
朝から人の内に秘める相対性理論を考えつつ、宇宙船でゆったりと地球巡り眺めるスピード感は、一体どんな感じなんだろう、、、と、悠長な事を考えております(笑)

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

的と現実吟味

2016年07月14日 | 第1章 意識と知覚
的と現実吟味2016年7月14日

何事にも云う事が出来そうですが、目的がいつしか諸々の欲に囚われて散漫になってしまうと、自分だけでなく周囲が混乱していきます。

初志貫徹。自分が目的としたいことをシンプルに志すと、自分も周囲も混乱が生じにくくなるようです。

信頼関係を築きたいのか?
お金を儲けたいのか?
社会的な地位が欲しいのか?
ほんとうに社会に貢献したいのか?
はたまた、
経済優先なのか?
成長を遂げた結果の成熟した社会を求めているのか?

現在の自分の環境をよくよく眺め、吟味している自分であるか?
もしくは、過去の成長に囚われて現況を吟味する事ができず、ひたすら膨らませていくことに固執しているか?

自分自身の舵取りも日本の舵取りについても的を絞るにあたり、さして違いは無い様に思います。

高度成長期に生まれて育ってきた私の世代は、膨らませて突き進む事で邁進してきた環境をよく知っています。
そして、社会に出て、家庭を持つ頃には、膨らませて突き進む事は叶わないけれど成熟しつつある社会の中で周りをみる余裕を持った生活を営んできたような実感があります。

固執した的なのか散漫した的なのか?
現実を吟味したうえでの的なのか?

梅雨明け前の湿度の高い気候の中であるからゆえに、カラリとした的に矢を当てたいものだと、思う今日この頃です。
ドンキホーテが見ていたものを改めて思い巡らしつつ。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年の真ん中

2016年07月13日 | 第2章 五感と体感
一年の真ん中2016年7月13日

そろそろ夏休みですね。三学期制の学校では試験が終わり、一年の内で一番のびのびとした気分を味わう反面、受験生の方々は集中力が増す頃でありましょう。
私も昨年末あたりから二足のわらじである表装制作がいつも頭の中にあったという事もあり、個展が終わったと同時に、春頃から放置していた事務的な山積みの仕事と紙類の整理に追われています。
そして、いよいよ山積みの事柄を片付けながら心は来週の宝塚勉強会に。。。
関西方面の講座生の皆さんとは、琵琶湖のほとりの唐崎勉強会と宝塚以外でお会いする事が叶わないのでとても楽しみです。

一年の真ん中の時期といえば、夏越祓の6月30日を境の二ヶ月間位でしょうか。
この時期に一年のやるべきことを悔い無くしているかしていないかで、心持が違うようにも思います。
学生の頃は、一年の始まりにやろうと思っていた事をだらだらと過ぎ越し、一年の半分ぐらいになると、後半頑張るか。。。と、思いだけは浮かんでいたように思います。でも、社会に出ると、そんな悠長な思いだけでは生きてゆけず、否応にして責任を果たしていかなくてはならなくなると、あら不思議、、、こんな私でも「すべきこと」をこなしていけるようになりました。

「職業が性格をつくる。」ということを勉強した時に、なるほど、職業における概念を長年自分にはめ込んでいくと、確かにそれらしい考え方や習慣が自分に身に付いているように思います。
こんなことなら、身に付ける習慣をもう少し若いうちに身に付けていればよかったと反省も湧いてきます。
長年かけて身に付くことなのだから、意識して成せるものではなさそうですが・・・。

一年の真ん中、ちょっぴり自分をフレキシブルにし、一年後半の下準備もしたいものです。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品展終了しました

2016年07月11日 | 悔いのない人生とは?
作品展終了しました2016年7月11日

7月5日~9日・京橋メゾンドネコでの個展が無事終了致しました。
大勢の方々に見て頂き、心から感謝しております。
ありがとうございました。

最終日は能楽の師匠に謡って頂き、ブルガリア民謡を歌う友人も歌声を披露してくださり、表装のみならず、新たな諸々の繋がりもでき、今後の展開も楽しみになる作品展となりました。

表装は、本紙つまり表装する作品によって、変化(ヘンゲ)します。
その変化を作り手が責任を持つので、ついつい変化の失敗を恐れて無難な表装を心掛けることもテクニックの一つかもしれませんが、表装をデザインすることを中心に据え、変化を楽しむことを伝える事も表具を仕立てる側の努めてあるように思います。

境界線を跨ぎながら、日本の文化伝承の一端に関わることに怖がらなくても良い時代になっていることも感じました。

さて、次はどんな企画で表現しようかしらん。。。と、もう妄想が広がりつつありますが、その前に、江戸表具を愛する会・世田谷美術館区民ギャラリーと京橋メゾンドネコでの作品展に足を運んでくださいました方々とそれぞれの作品展に関わられた皆様に深く御礼を申し上げます。

・・・・
江戸表具を愛する会でコラボしたスペイン・アラゴン文化協会・墨絵教室の作品展が大阪枚方市で行われます。こちらも楽しみです。大阪で表装を見て頂き、その後表装作品もスペインに移動します。




☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表装展最終日に思う

2016年07月09日 | 第2章 五感と体感
表装展最終日に思う2016年7月9日

京橋 メゾンドネコでの個展は、本日最終日です。
14時~14時半は、金剛流能楽師による謡と能と表装のお話会です。
会場が狭いので早めにお越しください。

連日多くの方々に観て頂き、表装を伝えることができていますが、掛け軸や屏風を身近に感じて頂く良い機会になったとしみじみ感じています。

床の間に掛けるような敷居の高いものだけではなく、リビングや玄関、トイレに掛けて、普段目にするものとして楽しむための表装もどんどんお披露目していくことも大事な使命のようです。
日本画を描く人と表装手の付き合う距離が離れている事も、今回の作品展で意外な気付きとなりました。

私自身、美術畑から入った表装の世界であるため、私にとっては普段通りのお付き合いであっても、表装する側から美術家との付き合いを深めていくことは、昔から難しいものであったのかもしれません。でも、これからの時代、そんな隔たりを超えたお付き合いに努力する必要性を感じます。

美術家と職人という「性格」の違いはありますが、人と人の関係性には隔たりはないはずです。
その性格を互いに尊重しつつ、伝統的な性質を上手に超えた関係性を再構築していけば、もっと面白い仕事が成り立つと確信めいたものも感じます。

美術家も表装手もそれぞれ文化や歴史の学びが必要で、数寄者の育成をする導き手の存在が薄れていることにも影響があるのかもしれません。

好奇の目を持ち、謙遜に人と付き合い、学び合っていく姿勢は、きっといつの世にも大切で普遍的な姿勢でありましょう。

最終日、大切に時を過ごしたいと思います。

:::::::


作品展「祈りの掛け軸展」 12時半~19時です。最終日は17時まで。

東京都中央区京橋1-6-14 佐伯ビル2階 (木造の二階建てのお家)
東京駅から徒歩10分以内。京橋駅、室町駅、双方から5分の場所です。

詳細はメゾンドネコのホームページをご覧ください。

6月の江戸表具を愛する会にお越しくださった皆様に深く感謝申し上げます。
世田谷美術館に出品した作品とはガラリと雰囲気が変わります。
多様な掛け軸のカタチをお楽しみください。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京橋界隈 メゾンドネコ2016年7月8日

2016年07月08日 | 第2章 五感と体感
京橋界隈 メゾンドネコ2016年7月8日

京橋に毎日通っていると、京橋風情が見えてきます。
長年通っている神田の歯科医院の帰り道は、たいてい日本橋、京橋を抜けて銀座まで歩くので、私にとっては街の変化を見ているつもりではいたのですが、今回の作品展で京橋生まれの京橋育ちの人々との交流があることで、独特な雰囲気を経験しています。
ギャラリーメゾンドネコを訪ねてくる表装教室の男性陣のなかでは、八重洲とか京橋に勤めていたので懐かしいと仰る方もいらっしゃいます。
大きなビルにまとまる前は、小さな商店が所狭しと並んでいたのでしょう。案外京橋生まれ京橋育ちの方々が現在も店を構えていらっしゃるようですし、街を動かす原動力としても活躍されているのです。

ビルの谷間の細い路地を入った木造二階建てのお家の二階にあるギャラリーであるため、通りの角でギャラリーを経営するスタッフやオーナーが、迷い人を快く案内してくださるのも京橋ならではかもしれません。
そのギャラリーでは、武蔵美の卒業生が工業デザイン的な作品をお披露目しています。

よくよく街に建つ古いお店を眺めていると、京橋風情が見えてきます。

作品展4日目。

今日も七夕効果というべき、必然的な宇宙の法則的出会いと集いを楽しみつつ、私達の作品を見て頂きたいと思います。

本日は、木版画作家も在廊しておりますので、二人並んでお待ちしています。



:::::::


作品展「祈りの掛け軸展」 12時半~19時です。最終日は17時まで。

東京都中央区京橋1-6-14 佐伯ビル2階 (木造の二階建てのお家)
東京駅から徒歩10分以内。京橋駅、室町駅、双方から5分の場所です。

詳細はメゾンドネコのホームページをご覧ください。

6月の江戸表具を愛する会にお越しくださった皆様に深く感謝申し上げます。
世田谷美術館に出品した作品とはガラリと雰囲気が変わります。
多様な掛け軸のカタチをお楽しみください。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕2016年7月7日

2016年07月07日 | 第2章 五感と体感
七夕2016年7月7日

今日は七夕です。
日中は日が射すようですが、関東は夜の初めからお天気が崩れるとのこと。
七夕に星空を仰ぐのは難しいですが、雲の先のもっと高いところは、何も遮るものが無いので、心配するには及びませんね。

京橋メゾンドネコでの個展は今日で3日目となります。

表装作品を見て頂くことだけでなく、久しぶりに集う嬉しさもあり、そして、新たな出会いの場ともなり、不思議な事に待ち合わせする事無く繋げたい人々が同じ時刻に来訪する現象も作品展をする度毎に発生します。
その偶然の様な必然性は、なんだか七夕のようです。
幼い頃から展覧会場が遊び場だったような私は、作品展のための制作は大変でも、会期中の統御感には何とも得難いものがあるのです。

宇宙の大河で隔てられていると思いきや、宇宙の一点として存在している私達は、案外自分の意思を超えた何かに動かされているのかもしれません。

今日は、暑さ対策をして京橋においでくださいませ。
お待ちしています^^//

:::::::


作品展「祈りの掛け軸展」 12時半~19時です。最終日は17時まで。

東京都中央区京橋1-6-14 佐伯ビル2階 (木造の二階建てのお家)
東京駅から徒歩10分以内。京橋駅、室町駅、双方から5分の場所です。

詳細はメゾンドネコのホームページをご覧ください。

6月の江戸表具を愛する会にお越しくださった皆様に深く感謝申し上げます。
世田谷美術館に出品した作品とはガラリと雰囲気が変わります。
多様な掛け軸のカタチをお楽しみください。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする