五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

心の健康

2008年05月29日 | 第2章 五感と体感
毎日忙しく過ごしていると、ついつい自分の感情を置き忘れてしまいます。

朝、目覚めたら、お布団の中で、「今の自分がどんな気分」かチラリと確かめてみると、今日一日の自分の感情生活が掴めるようです。

できれば、身体と心、両方を確かめるとよいかもしれません。

「貧血気味かなぁ~」「昨日のお酒が抜けてないなぁ~」「明らかに寝不足だ~」等ということは、「身体」からくるものです。

「憂鬱だ~」「やる気いっぱい!」「気持ちが萎えてる~」等は、「心」から湧き出るものです。

ちょっとした自分の体調や気分を意識化しておくと、それを補うために何らかの処置ができます。

「何らかの処置」は、起こるかもしれないトラブルを回避することができます。

朝の気分を大切にすると、一日の幸せに繋がるはず


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好きなものを掴む人生

2008年05月21日 | 第2章 五感と体感
友人からメールが届きました。

「能の舞の稽古を始めました。」と書いてあります。

彼女ならあり得るなぁ~、と思いました。

彼女はいつも突然アクションを起こします。少なくとも私にはそう見えます。でも、彼女の生き方をみていると、それが自然な流れで、必ず何かに繋がっていることに私自身も気づくのです。

最近、楽器を始めた友もいれば、水泳を始めた友もいます。
私も、8年前に心理学の勉強は突然始めました。

それまでは、掛け軸を作り、下手の横好きのピアノを弾き、美術館に行ったりコンサートに行ったり、長旅に出ることが、生活を潤す私のリズムでした。

突然現れた興味のパンドラの箱を空けたお陰で、今までの生活を潤すリズムに旋律が加わりました。
人生の起承転結の「転」がこの学びであることは確かです。

しかもこの「転」も第一楽章が終わり、第二楽章の導入部分かな、といったところが今の私の状態かもしれません。
流れのままにNPOを設立し、これから社会還元のために自分たちをアピールしていくなどという人生を予想もしていませんでした。

でも、これが必然であることも自分では納得しています。

好きなこと、そして自分にとって必要なものを掴んで、それを形にしていこうとする情動と行動は、芸術やビジネス、NPO等どれも同じなのです。

好きなものを掴む人生。

これを意識して、益々人生愉しもう。

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心と身体で感じてみる

2008年05月17日 | 第2章 五感と体感
今日の○○新聞に、急増するうつ病患者の記事が大きく出ていました。

ほんとうに苦しい思いをしている方には、記事の締めくくりの文章に心を痛めた方も多いかもしれない、と思いながら読みました。

苦しいものは苦しいのです。
苦しくない人が「わがままだ」と安易に記事にすることは、控えて頂きたいと思いました。

ただ、その記事にもあったように、心療内科に行かなくても、自分自身で解決できる人も確かに多いはずです。

「生き甲斐の心理学」の中にストレス曲線という言葉があります。

先日もブログに書きましたが、不安感を放置していると怒りー身体症状ーうつー錯乱と益々苦しい状態になります。

「今、いったい自分はどの状態にあるのか。」

不安感?

怒り爆発?

身体症状に出てるか?

うつになっているのか?

判断がつかないくらい錯乱してる?


このように、まず、自分の心と身体に問うてみるとよいかもしれません。

たとえば、眠れないという身体症状に出ている場合。。。

眠れない理由は、恋人にふられたから?仕事で疲れすぎているから?試験がうまくいかなかったから?、、、
そうやって自問自答しながら、眠れない理由を言葉にして頭で巡らしてみると、それだけで、「意識」にあがり、少しは楽になるかもしれません。自分の不安感を放置していると、ますます不安が深くなっていくと私たちは教えられました。

昨日のブログにも書いたように、私がストレスを感じているのを他人は知る由もありません。大人である自分の身体と心は自分で管理するしかないのです。

自分の内に答えがあります。

だからこそ、心と身体で感じることを大切に。。。

私たちのNPOは、予防医学的な活動を行っています。
「NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会」を是非ご活用ください。

ブログ「生き甲斐の心理学」もよろしく。

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頭を空っぽに

2008年05月16日 | 第2章 五感と体感
「忙しい」という言葉を使ってしまうと何だか「言い訳」を言っているような気がするので、ともかく黙々と仕事をしていました。2月からずっと、あらゆる締切との戦いで、さすがに昨日あたり、「頭がパンクする」という危機感に襲われました。
予定では、6月いっぱいまで、様々な締切をクリアーしなくてはなりません。

これではいけない・・・
いくら好きなことをやっているとはいえ、仕事は仕事。

しかし、
PCに向かっていても、頭が働かないのです。
脳味噌がこちこちに固まった感じ、という表現が一番です。

いつも右脳を活性化させながらブログを書いているのですが、ここ一、二か月確かに、情緒のある言葉が浮かびにくく、五感も冴えないようなことは意識していました。息抜きのためのブログも、五感が冴えないと、苦しみに変わります。

というわけで、今日は、久しぶりにテニスをしました。
仕事のことは一切忘れ、身体を動かし、笑い、何気ない会話をすると、脳味噌をいったんニュートラル状態に戻すことができます。

脳も身体も正直です。

無理が続くと、ちゃんと「ヘン」になります。

眠ること。

食べること。

休むこと。

このバランスは、自分自身で管理するしかありません。

時々は、自分が課している仕事からいったん離れ、生き抜きする機会を作りたいものです。

本日二時間のテニスは、貴重な栄養となりました。

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仏像修復

2008年05月14日 | 第2章 五感と体感
1868年慶応四年に神仏分離令が出され、廃仏棄釈が行われた歴史があります。
長い間野ざらしにされ、放置された悲しい過去の歴史を持ち、今は世界遺産の奈良のお寺もあります。

そのようなことを意識しながら、お寺巡りをする人はほとんど居ないのではないのでしょうか。
もともと神仏習合の風習があった日本の寺社。
私自身、義務教育の時期にきちんと教えてもらった記憶はありません。

海外に流出した多くの日本の美術品を取り戻すために奔走した人もいれば、放置されたお寺を再現するために立ち上がったお坊さんもいます。そして、痛んだ仏像を修復して、日本の心を守ろうとした人もいます。

岡倉天心が手掛けた仏像修復を興味深くテレビで観ました。

現状維持修理法。
信仰と美術を両立させる文化財の修理。
東大寺の三月堂(法華堂)の仏像の修理を手掛けるにあたり、この理念のもと、現状を痛めることなく、修復することに成功するのです。

たった一人の壮大な理想でも、それに賛同する人が必ず現れます。どんなに手間がかかっても、本質に的が当たっていれば必ず実現します。

地味で、根気のある仕事。
修復する仏像を前に「祈りのうち」に仕事を始める修復師の姿が印象に残りました。

和の心、ここにあり。

美しい姿だ、と思いました。

奈良で開催している「法隆寺展」、横浜からでは少々遠い・・・
こんな、番組を見てしまったために、またウズウズし出しています。
若草山(三笠山)も、緑がきれいでしょうね~

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ストレスの言語化

2008年05月14日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
生き甲斐の心理学の勉強会で、必ず「あなたの不安感は?」と問われます。

この問いに初めて出合う方は大抵困惑します。

実際私もそうでした。

「あなたの不安って何?」と問われても、言い様がありませんでした。
でも、頭のどこかに渦巻くグニャグニャしたものは感じるのですが、それが言葉に出ないのです。

「なたの不安に感じることをいくつか数えてみてください」、そう問われれば尚更です・数えているうちに、何が何だかわからなくなります。

自分の頭の中の絡まった糸をほぐす作業は、ここから始まります。


「不安感ー怒りー身体症状ー鬱ー錯乱」

「平安感ー友好的感情ー健康感ー幸福感ー統御感」

いま、自分は、どの状態に在るか、それを自分で分析できたらそれだけで、安心に繋がるかもしれません。

ちなみに、本日の私は、総体的に幸福感を感じながらも、任された仕事の準備をまだ始めていないことに関しての「焦り」と、6月に二つの作品展を控えているのに、仕立てている最中の掛け軸が、まだ仕上がっていないことの「不安感」、連絡すべき人に便りを出していないことへの「良心の呵責」、そんな感じです。

このストレスと言うべく不安感は、とりあえず、今日中には克服できると信じて、これから行動に移します。

このように私の「不安感の根源」を「行動」に移すことで解消できるものだと認識すると、イライラや焦りの気分は半減されます。

そんなわけで、ブログを書き終えたら、仕事開始です。

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睡眠の達成感

2008年05月10日 | 第3章 無意識の世界
睡眠という達成感を毎朝起きたら意識化することを大事にしています。

寝る前ぎりぎりまでパソコンに向かうこともよくあります。

仕事が重なり、その段取りで頭の中がグルグル回ることもよくあります。

言葉に出しても始まらないので、頭の中で処理しようとすることもしばしばです。

くよくよ考えても現実は変えられないから、明日考えよう!と思うこともよくあることです。

私自身、何かをしだすと、固執して考え始める傾向があるので、なるべく、寝る頃には意識から切り離すようにしています。
このことを実行しているうちに、睡眠が快適になってきたように思います。

幸福な夢を見ることを願い、よく寝て、休息することは、とても大切なこと。

ともかく、睡眠力をつけて、毎日を大切に行動したいものです。

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清浄

2008年05月07日 | 第2章 五感と体感
能楽の楽器は、何百年もの奏者の魂が籠められ、その籠められたものが音となり今に蘇る、と聞いたことがあります。

魂が籠められる。

想いが籠められる。

籠められ続けるとどうなるのだろう。

ふと鞍馬寺の奥の院まで歩いた時のことを思い出しました。
奥の院には、日本の石庭の原型と云われる大きな自然石がオブジェのように置かれている場所があり、そこが聖なる場所として祀られてあります。

本堂から40分くらい歩くので健脚でなくては無理なので、訪れる人は限られます。
鞍馬天狗とか義経とか、いろいろと話題のあるお寺ですが、古来からの霊場に、鑑真和上の一番弟子が寺を建立したのが鞍馬寺の始まりと云われています。

鞍馬は、地図で見ると京都の北に位置し、しかも奈良の都の真北でもあります。鞍馬からまっすぐ北に上がると、そこは若狭の国。むかしむかし朝鮮や中国からやってきた船は、若狭についたといいます。
そんなところから東大寺のお水取りー若狭のお水送りという儀式に繋がっているのでしょう。
唐招提寺を建立し、東大寺でも律法を教授した鑑真和上。そして、真北に位置する鞍馬。
それぞれの繋がりを思えば思うほど歴史は面白く、知りたいことがたくさん出てきます。

さて、話は横に逸れましたが、本題の「清浄」の話に。。。

鞍馬の奥の院まで歩き、再び本堂に戻る山道で、明らかに「何もない」感覚を体感しました。空気の中に濁るもの無く、抑えるものもなければ、躍動するものもないのです。「何もない」というのが、今の私の表現にふさわしい言葉です。
そして、それと同じ体感を得られる場所が、いつもお世話になっている関西の修道院。そこも、足すものでもなく、引くものでもない「無い」ものの空気を体感します。

籠めるものを背負いながらも、いったん籠めてしまうと、そこには「何もない」ものとして「私が体感」するのです。
その体感が、あまりにも爽やかで軽く、貫けるようなものであったため、結果的には「清浄」という言葉が相応しいのかな、と思います。

その清浄感は、元気の源となって今の私が「在る」ようです。
古の人は、きっとそのような体感をもっと敏感に感じ取っていたのかもしれませんね。
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新しい聖堂

2008年05月04日 | 第2章 五感と体感
築50年の教会を建て直し、新しい聖堂が完成しました。
今日はそこでの初めてのミサ。

教会の建物には慣れないものの、これから祈り籠められる聖堂の青臭さを感じながら不思議な安堵感を同時に体感し、ミサに与りました。

親しい友達や親しい人生の先輩方、お顔は知っているけれど、言葉を交わしたことのない方々が一年ぶりに集い、私自身、想像以上に喜びの感情が湧き上がりました。

永遠普遍の魂と螺旋状に昇る太い柱から見える本質。
その本質が自分の心に投影されると、心と体が浄化されるごとく、空気と一体化して、清々しい体感を体で感じ取ることができるのです。

これから長いお付き合いになりそうなこの建物。

瞑目し、一心になれる場所が身近にあることは、なんと贅沢なことでしょう。
食べることと寝ることと祈ることは、私が生きるために最も必要なものです。
それ以外のことは、多少先延ばしでも良いかな。。。

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絶対に騙されない

2008年05月02日 | 第9章 愛
「私は絶対に騙されない!」と思っている人ほど、振り込め詐欺の被害に遭うケースが多いのだそうです。

その手口を知るとなるほど、巧妙です。

「知らない人からの電話はすぐに切る」「余計な誘いに乗らない」などと、自分に言い聞かせ、用心しながら日々暮らしているのにいとも簡単に騙されてしまうのです。

私は、ふと、生き甲斐の心理学の学びの一要素である「自己愛」を想い浮かべました。

人の本質は不安です。
何らかの不安を克服するために、学習し知恵を得て、より良く生きようと努力していきます。でも、それだけでは不安は解消されません。もっと大きなもの。それは、「愛」の問題です。どのような時代に、そして環境の中で、どのような育てられ方をしたのか?それによって自分と人との関わり方はずいぶん違ってきます。

「愛し方」「愛され方」の傾向も人それぞれです。

愛は神なり、神は愛なり。

これを逆手に取って、人を騙す人たちがいることに憤りを感じます。

私は騙されない、と気丈に振る舞っていても、あるきっかけで相手を信用してしまうと、ATMの前に立ち、携帯電話で言われるがままに指を動かしてしまうのです。
明らかに、「振り込み」と表示されているのに、「振り込まれる」と思いこみ、「パスワード」と言われて金額のところに、971111という数字を入れてしまう。。。冷静に見れば、明らかに「パスワード」ではなく「振り込む金額」の表示です。

もたもたしていると「いいですか?大丈夫です。ゆっくり落ち着いてやってください・・・」と優しい言葉で携帯の耳元で誘導されるのです。

相手を信じ、優しく丁寧な言葉で指示を受ければ、見えてくるものに疑惑がなくなります。

「ATMに行ってください。」という言葉にだけは、乗らないようお互い気をつけましょう。

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