五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

優柔不断な人

2008年08月31日 | 悔いのない人生とは?
こんな人は、本当にイライラする!

「源氏物語」の話です。

女優・白石加代子さんの語り「宇治十帖」を観てきました。
白石さんの舞台は、学生の頃に追っかけとも言っていいほど観ました。
「早稲田小劇場」主宰者の鈴木忠志氏とあの迫真の演技の白石さんは、私の物作りの原動力でもありました。
数年前の大河ドラマ「義経」で語りと老婆役をされた方です。

昨日の舞台は「宇治十帖」
この物語に登場する「薫」(光源氏の子として育ちましたが、実は父親の違う子)が、私から見ると「イラツク男」なのです。
彼は、幼少のころから、なんとなく「自分は源氏の子ではない」と勘繰りながら育ち、仏に頼りながら大人になりました。
対照的な登場人物「匂君」は、光源氏と明石の君から生まれた娘の子。明るく元気のよい、そして、おじい様に似て好色ではありますが、私から見ると、爽やかに見えます。

この二人の男に翻弄される三人の女性の話。。。というわけですが、、、
女性が一人で生きることは不可能な時代。一人の男性によって運命が変えられてしまいます。そうはいっても母系が重視され、母親の家系が婚儀に影響を及ぼす時代でもありました。

そんな時代であるからこそ、一本義の男性に出会い、揺るぎのない寵愛を受けた女性は幸せな日々を送ることができたようです。

ところが、この薫の君は、相手の気持ちを思いやるあまりになかなか決断ができません。そうこうしているうちに、匂の君に女性達を奪われてしまいます。
たとえ、火の中、水の中!という匂の君の決意と素直さに、女性は魅力を感じていくのです。

いつの世も、同じ。

優柔不断は、まわりを不幸にします。

自分の信じた決断に、一本まっすぐ進んでいけば、いつかは分かってくれる人も出てきます。

人の気持ちを勝手に思い巡らし、自分の本音さえ心に表出できないと、周囲の人も不安になります。

宇治十帖は、「浮舟」(翻弄された女性)の精神的自立で、スッキリと終演します。

意志あるところに道あり。

ウジウジしていると宇治になっちゃいます・・・

自分の「思いやり」が、自分勝手な「思いこみ」にならないよう、現実を吟味したいものです。

白石さんの女優魂に敬服

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カプチーノと抹茶

2008年08月30日 | 第2章 五感と体感
「お茶を点てるのですが、日本で頂くように泡が立ちません」
その方が、どのように茶を点てているのかわかりませんが、イメージ通りいかないので、困っているようです。

よくよく考えてみると、泡立っていないカプチーノはカプチーノではありません。
確かに、細かく綺麗に泡立っているお抹茶は、最初の飲み口が柔らかく、これがなくては、なんとなく物足りない・・・

なるほど~
東も西も、美味しさの秘密は「あわあわ」???

ともかく、お茶の手前なんぞは、どうでもよく、どうやったら「あわあわ」の抹茶が点てられるか教えて頂きたい、とのこと。

お湯の温度の問題?
茶筅の使い方は?
お湯の量は?
抹茶の量は?
そちらの水は軟水?硬水?

推理、推測で、話が盛り上がり、
たまたまお茶の師匠も居合わせ、会話は、お茶のたて方に進展。

しかししかし、質問した御本人は、
「そんなことは、どうでもよくて、泡の立ったお茶をとにかく点てて!」
の一言。

とにかく「泡」

日本人は、やっぱり、形から入りたがる、、、
私は、まぎれもなく、形から入るし、道具も大好き。。。

はいはい、了解しました
ともかく、どんな環境でも、泡立つお茶を点ててみようじゃないの~!

う~ん、
それには、やはり、ノウハウの復習と研究が必要なんですが、ね

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決意と自由

2008年08月28日 | 第2章 五感と体感
人生のうちで私は何度の「決意」するのだろう。

毎年夏に、同じ場所でお会いする人に今年も会ってきました。

私には想像もできないくらいの経験をなさっている方です。
その方の明るい解釈や想いやり、ジョークの豊富さ、深い洞察力は、いつもいつも、私に豊かなエネルギーをくださいます。

緊迫した状況で、自分の生き方の選択を迫られた経験のない私ではありますが、私なりに人生の岐路には立ってきたつもりではいます。

自由に発言でき、あるがままの感情を表し、好きと嫌いをはっきり伝達できる土壌のある日本に生まれたことは、幸せなことなのです。

たぶん、私の「決意」と、その方の「決意」は比べようもないものだと思います。

そんな幸せな国に生まれた私たちは、やはり、もっともっと幸せになって良いのだ、としみじみと想いを噛み締めたのでした。

誰が何を言ってるか気になったり、誰が何を思っているか気になる前に、「自分が何をしたいのか」心に巡らせることを心がけたいものです。

もう一度、民主主義とはなんであるか、自分に問い直してみようと思います。
自由な国であるからこそ、見えなくなっているものが「自由」なのかもしれません。

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願いと行動

2008年08月26日 | 第1章 意識と知覚
10000時間、確かに一万時間、一つのことをやり続けると、何かが見えてきます。

好きこそものの上手なれ。。。

石の上にも三年。。。

継続は力なり。。。

求めよさらば与えられん。。。

私の諸々の師匠も、同じことをおっしゃいます。

「10年続ければ、次が見えてくる」

お金を頂いて、それを仕事にすると、またさらに次のものが見えてきます。

とにもかくにも、続けなくては意味がありません。

私もそれを胸に刻み、今、やることを粛々と続けていこうと思うのです。

願いは、行動となり、実現に至ると信じています。。。


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思い出はいつも雨

2008年08月25日 | 悔いのない人生とは?
昨晩も北風に乗って、サザンのコンサートがやってきました。
そんなわけで、当然のことながら、北側の窓を開け、耳を澄まし、スタジアムの放つ灯りにノリノリの時間を過ごしました

雨の音にかき消されながらも、ー昨日現場に立った息子の解説付きで臨場感増強!

勝手にシンドバットは私が17歳の時にヒットしました。
中学生から高校にかけては、日本の歌謡曲にはあまり興味がなく、レッドツェッペリンやクィーン、ELP、それとローリングストーンズなどなど、当時2500円のレコードを毎月宝物を買うように一枚ずつ買っていました。
そうは言っても、サザンの曲は、何かと自分の思い出にリンクしているのです。

偶然か必然か息子は現在17歳。

そして、うわさ通り、オリンピック閉会式にレッドツェッペリンのギタリスト、ジミーページが登場。
懐かしさと一緒に、我が道行くあの頃が走馬灯のように思い出されました。

武道館でのビートルズのコンサートをシッカリと二回行ったおとーさん。

「30年、人生は長いようで短い、」
と言い合いながら、音楽歴の違う家族は意気投合。
というか、世代の違う家族。。。

23時30分から放映したサザンのコンサート・ダイジェストは言うまでもなく・・・

コンサート最後に言った桑田さんの言葉が印象的でした。

「みんな、死なないでね~

そうです。生き抜いて、サザンオールスターズに会える日を待ちましょう~

30年間、ありがとー

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風乗りジョニー

2008年08月24日 | 第2章 五感と体感
サザンオールスターズのコンサートに「失神するかも―ー
と言いながら6時開演にもかかわらず、お昼に出かけて行った息子・・・

「まるで、ビートルズを武道館に見に行く女の子みたいだ
「私がキース エマーソン好きだったのと同じ?いやそれ以上か??」
と、わけのわからない過去のコメントをして送り出しました。

気に入ったものに対して、長期間にわたって一局集中する彼は、赤ちゃんのころからの傾向なので、持って生まれた性格だと推察・・・

とにもかくにも、桑田圭祐さんが大好きなのであります。

我が家は、北風が吹くと、日産スタジアムの音が聞こえてきます。
しかもスタジアムの放つ灯りが見えます。
この日は、鶴見川か多摩川で花火大会があり、それも東の空に小さく見えます。
しかも、近所で夏祭りの盆踊りが開催され、民謡が聞こえてきます。

賑やかな夏の夜。

コンサートが始まった頃、二階の北側の窓を開けると、ラッキー!今日は北風!
風が吹くたびに、桑田さんの声が響き渡ってきます

飛行機の音や盆踊りの音楽、車の音、それらの音にかき消されながらも・・・

おかげで、スタジアムの歓声とともに盛り上がっちゃいました
コンサートファイナル近くに歌った勝手にシンドバットでは、大合唱!
・・・あちらも私も、
lam your singer、これもなぜか振付を知ってる私・・・
スタジアムでは花火も上がり、そのたびごとに大歓声

息子の趣味に翻弄されつつも、歌を愛する桑田さんにを感じながら、感動的な夜でした。

コンサート終了し、無事帰宅した息子は、言うまでもなく、抜け殻状態。

アリーナ席隣で盛り上がった50代のオバサンと意気投合し、泣き合ったそうです。

ヨカッタヨカッタ


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自己愛

2008年08月23日 | 悔いのない人生とは?
人の目に見えるものは、全体の3パーセント。
人の耳に聞こえるものは、全体の4パーセント。
・・・だそうです。

ということは、私たち人間は、自分たちの都合のよいものだけをキャッチしながら生活している、ということになります。

「見えるもの、見えざるもの」は、物質として存在するものとか行動によって見えるもの、心で感じるものは、生きていくために必要なものだけを見て聞いて生きているのかもしれません。

もし、100%見えて聞こえていたら、人間は、地球でまったく違く生き方をしていたでしょう。いやいや、人間というカタチは存在していないかも・・・

スピルバーグの映画「AI」もそんな想像を張り巡らせながら作られたもので、世間的には受けませんでしたが、私は面白いと思いました。
そこで変わらぬものは「愛」のみだった、という「結末らしきもの」も、共感できました。

一万年後の地球に、人間とはまったく違う住み方をしている生物がいることを想像すると、人間である私はもう少し謙虚に生きていこう。。。と思ったりします。

自己愛・・・
人が見聞きする数パーセントのうち、個人が見聞きするものは、更に少ないのです。だから、そこに個性が生まれてきます。
ということは、自己概念というものは、「見えるもの見えざるものの」うちのほんの少しの概念という解釈となります。

ともかく、自分自身が見えているもの、聞こえているものは、大した範囲のものではない、ということなのです。

同じ現象に対して、まったく違う解釈をする隣の人。。。
人間である、という前に、宇宙人である!ということを思うと、健やかな精神生活ができるかもしれません。

ふざけたような言い方かもしれませんが、私は本気で思っています




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季節の変わり目

2008年08月22日 | 第2章 五感と体感
昨日の夕方、強い風が吹き、激しい雷と雨となりました。二時間ほどだったでしょうか。すると、蒸し暑い空気が冷たい空気と入れ替わり、夜は寒いくらいでした。

そんな嵐の中、源氏物語「野分」を思い出していました。

「野分」
暦の二百十日前後にある嵐のことを云うそうです。(台風も野分だそうです。)
私の愛用する24節季カレンダーを見ると、二百十日は、8月31日。
地球温暖化といえども、暦通りの自然に安堵感を感じ、暗い夜空の稲光をしばらく眺めて楽しんでいました。

秋の気配が一日ごとに感じられるこの頃です。

南フランスでも、季節の変わり目に吹く風をミストラルと云い、この風が吹くと、季節の節目を皆で語り合うようです。

秋に向けてやるべきことに、少し拍車がかかっているこの数日、体調管理しながら、ちょっぴり頑張ります


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夏休みの子育て

2008年08月21日 | 第3章 無意識の世界
夏休み。ラストスパート突入です。
子育て真っ最中のお母さま、日々お疲れ様です。

外に出ると、多様な母子像に出会います。

母の怒号が飛び交う中、子供は知らんぷりで我が道行く!とか、びえぇぇぇー!と泣き出す等、そんな光景に「お母さん、いい加減、夏休み疲れだよねぇ」と同情相哀れむ感情が湧きだします。

昨日、駅のホームのクーラーのついている待合室に入りました。一人のおばあちゃんが、ひと組の母子に気遣いながら、丁寧にあやまっているのです。
どうも、自動ドアの付近にいた二歳くらいの男の子の指がドアに挟まってしまったらしいのです。幸い、怪我はありませんでしたが、驚いた男の子は泣いていました。
・・・その時の、お母さんの対応に「あれ?」と思ったのです。

自動ドアの付近に立たせる時の親としての役割を怠った結果のハプニングであると解釈した私は、相手のおばあちゃんが自分が気付かないでドアを開けてしまったことを心をこめてあやまっている様子に「おばあちゃんのお人柄」を読み取りました。
しかし、
相手のお母さんは、一度も、そのおばあちゃんの目を見ませんでした。
ひとこと、「大丈夫です。」とそっぽを向いて言いました。
それだけでは、ありません。子供の目さえ見ないのです。

オバサンである私は心の中で「アラァアアアーーー」

他人の子育てに口出すことはできません。
でも、目を見て言葉を交わすことができないだけでなく、感情も表情から見えない、能面みたいなお母さんに育てられるお子様の成育過程を想像すると、悲しくなりました。

子供に「お母さんは、怒りんぼ!!」と言わせるくらいのほうが、幸せです。

喜怒哀楽は大事。とっても大事

子供と一緒に、笑ったり、泣いたり、怒ったり。。。

親と子の関係において、いろんな顔を見せ合いながら、子育てするのは、きれいな服を着せたり、習い事をさせることよりも大事なことのように思うのです。

成育史は、人生の宝物です。

子供の夏休みから解放されたら、今度はお母さんの夏休み。大変でしょうけど、頑張れお母さん

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解釈と感性

2008年08月20日 | 第2章 五感と体感
先日、日の暮れた空に、ぽっかりと満月が浮かんでいました。
霞掛からず、くっきりとした姿が美しく、その日一日の出来事を表しているような清々しい気分になりました。
共に月を愛でた方と二人で、今日のこの月を美しいと言い合えることに感謝し合いました。


同じものを見ても、解釈は人によって違います。

同じ月を見て、その日の出来事を思い巡らし「美しい」と感嘆する二人の心は、見えるもの以上に心地よさで満たされたはずです。

深く悲しい感情や苦しみは、それに出会った本人にしかその体感を感じることができません。いくら、私に何ができるか、と思い悩んでも、何もできません。

でも、共有する対象を互いに眺めたとき、互いの感性が響き合ったとしたら、それだけで幸福感に満たされる瞬間の感情が湧いてくるのです。

その瞬間の満たされた感情が、少しでも長い時間になることを深く祈りつつ、踏み込まず、離れず、静かに静かに今のまま歩んでいけたら、と思います。

・・・感性と解釈は、切っても切れない縁があるのです・・・


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アスリートの表情

2008年08月19日 | 第1章 意識と知覚
金メダルが決まった瞬間の歓喜の表情。

決勝で敗れ、銀メダルをとった表彰式での微妙な表情。

三位決定戦で勝ち取った銅メダルで、喜び笑い、安堵を示す表情。

試合に挑むときの緊張の絶頂にある一ところを見据えた表情。

自分の結果を瞬時に読み取る表情。

ラストスパートの決意の表情

悔いが有るか無いか。
結果に満足か不満足か。。。

少なくとも四年間、いえ、それ以上の歳月の努力で裏打ちしたものが「今」という舞台に表出されているのです。

人って、ここまで集中できるんだ。。。

トップアスリートの「身体と心」をテレビの画面で眺めながら、ゆる~い筋肉?脂肪?のふくらはぎなんぞをマッサージし、私なりの悔いなき人生を考えるのでありました。

それにしても、今回の「女子サッカー」は、粘り強かった。。。
この勢いだと、いけるんじゃないか!と期待していただけに
今朝起きて、気が抜けている私。
選手の皆さん、お疲れ様~




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真夏の大感謝祭

2008年08月18日 | 第4章 愛とゆるし
「I`m your singer」
サザンオールスターズの新曲。
これ、すごいタイトルです。

グループとしての活動を一時休止するとのことで、桑田圭祐氏を尊敬している我が息子も、いま行われている「真夏の大感謝祭」コンサートに行くのを楽しみにしています。一応、受験生なんですが
この週末は連日7万人の観客で日産スタジアムは盛り上がったそうです。

我が家の窓から、スタジアムの放つ灯りだけが見えます。サッカーの試合がある時は風の流れによっては太鼓の音とか歓声が聞こえてきます。昨日も、窓を開け放ち、耳を澄ましてみましたが、残念ながら「空に放つ光」しか確認できませんでした。

「なんといっても私がサザン世代だわね~」と言うと、「サザン世代?何言ってるの?僕もそうだよ」と負けじと言い返してきます。
・・・たかだか30年、されど30年・・・
源氏物語千年から比べたら、たかだか30年。でも、自分の人生を考えるとされど30年です。

どの世代にも変わらず心打たれる曲を歌ってきた彼らの一区切りとなる曲が「I`m your singer」とは、なんと洒落ているんだろう、と思います。

茅ヶ崎海岸のえぼし岩まで泳げたら「男」となれる~!と泳いでいた男の子たち。
ホテルパシフィックで、ボーリングを楽しんだ小学生の頃の思い出。
江の島を見ると、「あ~、帰ってきた~」と思える幸福感。
学生の頃から今日まで、イライラすると葉山から江の島をドライブし、稲村ケ崎とか長者ヶ崎で「ボーッ」としたり・・・

「I`m your singer」と自ら歌う桑田さん、あなたはおっしゃる通り、私自身の心の中に深く刻み込まれたものを私のために歌ってくれているような気がします。

今後の活躍を祈り、再びサザンオールスターズとして活動する日を心待ちにしようと思います。

「ありがとねー

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源氏物語と心理学

2008年08月17日 | 悔いのない人生とは?
紫式部とは、どんな人だったのだろう・・・?
源氏物語を読むにつれ、そんな想いがふつふつと湧き上がってきます。

こんなに自由奔放に登場人物の喜怒哀楽を表現できるなんて、紫式部はきっと心のバランスのとれた大物だったのでは?と勝手に推測しています。

書き手の心の防衛機制がどこか偏ったところがあれば、登場人物にあれだけのバラバラな個性の美を持たせるのは難しいはずです。

光源氏に、無尽蔵と思わせるくらいの財力を持たせ、心の内に「愛の孤独感」を秘めさせ、なんて非常な行動をするのだろうと読み手がハラハラしたと思いきや、愛した女性の面倒はきちんと責任を持ったりして・・・。
仕事も政治も外交も、祀りごとにも采配を振い、なんというか「出来る男」は古も変わらず・・・。

光源氏の持つ、感情の曼陀羅は、ユングにも繋がるし、チベット仏教の「死者の書」の中にある「80の自性の分別」にも繋がるところがあります。
ギリシャ神話の神のような大胆で、理不尽な自由奔放さではなく、陰と陽がこめられた、二元的な感情が魅力的に描かれているのです。
登場人物のそれぞれの感情の曼陀羅も同じく。

そんなわけで、源氏物語は、日本人の持つ、アイデンティティのふるさとのような
気がしてなりません。

紫式部の描く女性は、どの人も最後は自分で立って自己実現を成し遂げます。
光源氏が、どう望もうと、女性は自分の意思を貫き通していきます。

そこに紫式部の心の柱を読み取ることができると私は感じます。

いつの世も、人の自由意思の尊厳を怠るようなことがあれば、国は滅びていきます。国だけではなく、その場所から宿った歴史も文化も神話も消えてしまうように思います。

深層心理の中で恨みつらみで死んでいく六条の御息所は、心の自由を信じない自己概念の固さから、怨霊となって彷徨います。

源氏物語は「感情の宝庫」。

気長に読みながら生涯楽しめそうな物語に出会い、今更ながら古典を愉しむ入口に立てたような喜びを感じています。

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自分の内にある答え

2008年08月16日 | 第2章 五感と体感
人との関わりの中で、一番大切にしたい、と思っているのは、「その時、その時の関わる人と私との「個々の思考と行動と感情」です。

その場での反応は、個人の人生観とか成育史が面白いくらいに表れます。

それは「個人の個性の美」です。
「解釈」は、同じ現象に出くわしても、人によって違います。

だから、自分の過去(思考と感情と行動)にこだわり、時を経てから言い訳することに意味を感じません。

心理学の勉強を始める前から、そういった思いがあったので、この考え方は、自分の成育史からくる傾向だと解釈しています。

人の感情は、時とともに変容していきます。

これは、川の流れと同じ。流れる川は、いつもの川でも、流れている水はいつものものではないのです。

自分という容器は、自分以外のなにものでもありませんが、思考・感情は、見方を変えれば、いかようにも変えることができます。

囚われた感情に固執していても、いつか、パッと明るい光が差し込むときは必ずやってきます。

答えを今日明日に求めず、自分の内にある答えを信じていれば、いつか腑に落ちる答えが自分のもとに表れるのです。
でも、それは、自ら湧き上がるもの。腑に落ちる感情は、個人でしか体感できない貴重なものです。

そのためには、自分の「湧き上がる思考と感情と行動」を時たま自分自身で点検してみるのもよいかもしれません。

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お墓参り

2008年08月14日 | 第8章 魂と聖霊
昨日のブログ「趣味の悪い置物好き」の義父を「涅槃仏」と呼んでいた口の悪い嫁に対して、まんざらでもないというような義父の表情を思い出しながら、お墓参りに行ってきました。(ともかく、よく横になっていた義父に私があだ名を付けました。)南方から帰還した義父と「ビルマの竪琴」は私のイメージの中で重なるものがあり、たぶん義父も何か感じていたのだと勝手に思っています。
義母は誕生日が終戦記念日の翌日なので、「お誕生日おめでとう」と手を合わせました。
もともと義母の実家の菩提寺。お墓も背中合わせに仲良く並んでいます。
いつものことですが、あっちのお墓とこっちのお墓を清めて、お花を添え、お線香を立てます。なので、結構こまごまと忙しいのです。
本日、どちらかの親族がお墓参りをしたらしく、すでにお花が添えてありました。

「このお花の趣味と活け方は、ぜったいに○○じゃないよ、△△だわよ・・」とくだらない推察をしたりして。
だいたい、墓地というところは、草木を繁らせないので、炎天下の中のお参りは覚悟が要ります。

私自身、お墓なんぞ息苦しくて、要らんわい、と思ったりするのですが、こうやって祖先のお墓をお参りをし手を合わせることで、自分の芯がスンと立つのです。
やはり、遺されたものにとって必要な場所。
できれば、私は桜の木の下に眠りたいなぁ~と想いを馳せ、お寺の跡取りと言葉を交わし、お盆らしいお盆を過ごした一日でした。

明日は、終戦記念日。そして、聖母被昇天の日でもあります。
平和を祈願し、心と魂を鎮める大切な一日となりそう・・・

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