五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

嬉しい記憶

2016年03月31日 | 第2章 五感と体感
嬉しい記憶2016年3月31日

自分が嬉しいと思った記憶は、いつのどんな時だったのだろう…
幼い時の記憶を辿ってみると、一人で何かが出来た時かしらん、、、という記憶が蘇ってきます。雪の中、独りで幼稚園に行かざるを得ず、長靴に雪が入りながら、一歩一歩踏み締めて歩いて行く時も、母に「独りで行けるわね。」と、念を押され、何となく独りで行ける気分にさせられて意気揚々と出かけたことや、赤ちゃんの妹がいるため、何に付けても母に甘える事を一歩引いていたことで「賢くて偉いね」というような事を云われ続け、自分のイメージが図式化されていったような、今にして思えば、抑制すること自分の「嬉しい」に繋がっているようにも思うのです。

つまり、文句を言わず、静々と事を行うことで褒められてきた事が今の自分の性格を作り上げてきたようです。
子供の時に大人になったふりを続けてきたのでありましょう。
大人になったふりをしてきたことで、10代20代の時期は、自分を投げ出したような緊張の紐が緩んだような不統合を経験するわけですが、結局は幼い頃に作り上げてきた自分の傾向は、そのまんまのようです。

自分が誰かに褒められて、嬉しい気分になるのも束の間で「煽てられている自分」と解釈してしまうのも、きっとそんな生育史が要因かもしれません。
人に褒められて嬉しい気分になるよりも、自然界の美しさや空を仰ぎ、それらを愛で、嬉しい気分になる方が、開放的で自然体な囚われの無い嬉しさを体感するのです。

いつしか「お天道様が見ているから大丈夫。」と、思いながら生きてきた自分も人に備わる見神欲(デジデリウム)がちゃんと備わっているんだ、、、と、解釈すると、人生の面白さを再認識できるから、「あら不思議」というわけです。

明日から4月。2016年度もお天道様の暖かみを感じ取りながら、楽しく邁進して参ろうかと…。
そんな思いを新しい年度の私の所信表明とさせていただきます。
各方面で時を共に過ごす皆様と、今年度も朗らかに過ごしたいものです。


◎○◎○◎講座生の皆様へ◎○◎○◎
琵琶湖の唐崎WSは、4月8日~10日です。9日は三井(みい)寺の遠足を予定しています。皆様と過ごす三日間楽しみにしています。

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覚悟と責任の関係

2016年03月30日 | 第2章 五感と体感
覚悟と責任の関係 2016年3月30日

子供を育てる事にしても、受験をするにしても、仕事の現場でも、「何となく~」という気持ちがどこかにあると、正中線がぼやけるように思います。

人に宿る正中線がどこからやってくるのかを考えると、アイデンティティの統合がある程度成されている見守る側の状態が影響していくことも確かなようです。
「大丈夫よ」と、言われると、なんだか大丈夫な気分になってくるものですし、「見守ってるよ」と言われると、安心感が湧いてきます。

自分が自分であることを意識できていないと、人が何を言っても、覚悟も責任も芽生えて来にくいかもしれませんが、自分が自分であることを強化しすぎていると聞く耳を持たない状態になるやもしれませんので、その按配は自分が右に行ったり左に行ったりしながら、長年かけて自分が見極めてゆく以外に方法は無いかもしれません。
親や保護者や学校の先生が見守ってくれている中で、左右、上下、行ったり来たりしながら自分を育む時期は、大いに揺れてほしいものだと思います。

揺れている中で、自分のプロセススケールが見えてくると、どんな時に自分が自信喪失になるか、嫌悪感を感じるか、怒るか、、、という、傾向が見えてくるでしょうし、どんな時に嬉しいか、楽しいか。。。ということも見えてくるはずです。
自分のパターンが見えてくると、いつしか覚悟も芽生えてきて、自分の役割に対する責任の感情が湧き上がってくるようにも思います。
それを見守る私達大人の吟味する力も、世間で大いに学びながら、自由自在に大らかでありたいものです。


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春のしるし 

2016年03月29日 | 第2章 五感と体感
春のしるし 2016年3月29日

桜の花見と入学式が重なる地域もあるでしょうが、関東以南は、ぎりぎりというところでしょうか?
学校の敷地に新しく建てられた聖堂入り口の脇には桜の木が植えられ、今が花盛りとなっています。ソメイヨシノは、まだ一分咲き程度なのですが、入学式まで持つか否か、ぎりぎりかもしれません。

先日の日曜日が復活祭。社中の能の発表会が重なりましたが、横浜の久良木能舞台での開催でしたので、ちらほらと咲く桜を愛で、よき復活祭の一日を過ごしました。
亀の歩みで仕舞や謡の稽古を続けていますが、「好きこそ物の上手なれ」の言葉通り、好きなことをやり続けられていることに喜びを感じるわけで、自分の課題と向き合うことを楽しんでいる自分が自分の生き甲斐であることをひしひしと感じながら、今回も一つの区切りを持たせて頂きました。

4月に入ると、夏に予定している展覧会の制作が本格的になってきますので、改めてスケジュールの調整をせねばなりません。
春のしるしを感じながら、そうそう立ち止まれないこの季節。
それでもおめでたい心持をたっぷり感ずるので、各所で桜の花を楽しみながら、心はゆったりと楽しみたいものです。


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最後の晩餐

2016年03月25日 | 第2章 五感と体感
最後の晩餐2016年3月25日

今年は3月27日が復活祭です。
昨日、最後の晩餐に与りたく、夜のミサに与りました。
聖木曜日は最後の晩餐です。
イエスが弟子の一人一人の足を洗い、皆と食事を共にするのです。
翌日には、十字架を背負い、その十字架に架けられて死ぬのです。
その一連の出来事を復活祭前夜祭までミサで再現するのです。
ミケランジェロやラファエロやダビンチが描き塑造してきた聖書の世界は、特にこのテーマが主でありましょう。
美術の世界に身を置くものとして、あたかも体験したような体感と感性をこの時期に感ずることができるのは、ほんとうに有り難いことです。
「信ずる信じない」は、人の自由意志の問題なので、ここでは語りませんが、未だに愛され模倣されるモチーフとして画家や彫刻家達が表現してきたドラマを二千年を過ぎた今でも体感できる事は、奈良・東大寺のお水取りと同様、人に与えられた精神が如何に尊いものなのかを改めて感ずることができるのです。
典礼の美しさに久しぶりに感動した夜を過ごし、栄華極まるルネサンスの時期に引き戻された様な不思議な思いに包まれたまま家路に着きました。
空高くに浮かぶ満月の名残が煌々と白く輝く清々しい夜でした。



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色彩が見える、情景が見える音

2016年03月22日 | 第2章 五感と体感
色彩が見える、情景が見える音2016年3月22日

ここ10年ピアノを弾いていませんが、久しぶりに弾きたいなぁ~と思わせる音を聴きました。コンクールで将来を約束される様な大きな賞を頂く人はほんの一握りの人々です。どんなジャンルの世界でも同じことが云えます。
声楽にしても、歌うその人から色彩が見え、情景が見えてくる事があります。そうなると身体全体の五感が喜び出してフルフルと内から湧きあがってくる感覚を覚えるのです。
技術があるとか無いとか、そういう問題ではありません。
その人が持っている素養とも云えるかもしれません。
ただし、持って生まれたものだけでは生業にはなりません。そこにやる気と技術が加わり諸々の経験を積み重ねてゆくことで、その厚みを聴く者、見る者が感じ取ってゆきます。それに対しての対価をお客が支払うことも表現者を成長させます。
モーツァルトをこんなに楽しく弾くのは、やはりオペラの伴奏に慣れていらっしゃるからかしらん。。。と、思いながらも、大らかな楽しさがお顔に出ているピアニストに温かな親しみを感じました。
気の合う魂の友のような友人がヴァイオリンを奏で、信頼感たっぷりのコンサートは、春分に相応しい時間となりました。
今度は、最後の一音が沁み入る大きなホールか教会で聴きたいと思ったヴァイオリンの音。次回のコンサートが楽しみです。

ツンドク(積ん読)の本がドンと置かれたアップライトの蓋の上を先ずは片付けなくては鍵盤が開きません。春の整理整頓の課題がもうひとつ増えてしまいました(笑)。先日の日曜日にテレビでショパンコンクール入選者のピアノの音に耳を傾けました。案の定全くリラックスなぞ出来ず、展覧会で真面目に絵を観た様な疲労感を感じていただけに、春爛漫の素敵な音を聴くことが出来たことに感謝しています。

遊びをせんと生まれけん~^^//

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春分

2016年03月21日 | 第2章 五感と体感
春分2016年3月21日

今年の春分は3月20日
この春分が元旦、つまり年の始まりとなる国もあるそうですね。

1月1日元旦、節分、立春で、禊ぎ始まり、立春で新たな始まり、というような感覚があります。

「冬から春にかけての助走期間から具体的な活動期間に入る」と云う感じでしょうか。
いつも通り、普通に暮らしているつもりなのですが、心持ちにけじめがつくのです。

けじめといえば、けじめをつけるために整理をするのは書類の関係です。
書類の関係を整理しながら、NPOの会報編集をするのがこの時期の習慣となっているのです。この時期は、頭の整理をすることで、脳味噌を空っぽにお掃除するようにしています。会報を編集すると頭に溜めていた懸案事項が頭の外に流出し、それが文字と成り編集されていくと頭の中に何も残らず塵ひとつないような感覚になるのです。
人間の脳みそは不思議だ、と、その度毎に感心します。

積もり積もったものを然るべき箱に納めたり、捨てたりすると、身体も軽くなります。
物を持たない主義には成れそうもありませんが、積もったものは整理整頓してゆくのは、無駄な動きをしないための大切なコツでもあるようで、春分の頃の私の習慣となっています。

やるべき事を自分なりに片付けながら春分の日を迎え、復活祭とお花まつりをお祝いしたいものです。

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12年一巡りのNPO活動 

2016年03月20日 | 第2章 五感と体感
12年一巡りのNPO活動 2016年3月20日

私の場合、何故か12年で一巡りということが多いようです。
10年という節目を過ぎ、おまけの1.2年で充実感を味わい、11から12年間で一段落となるケースが続いています。
石の上にも三年と言います。
若い頃は、この3年間がとてつもなく長く感じたのですが、歳を重ねるにつれ、どんどん時の経つ感覚が早くなり、4年5年はあっという間に過ぎていくようになりました。仕事や学びを重ねて、或る程度応用自在にできるようになるのもやはり5年過ぎたあたりのようにも思います。技術ともなると10年一巡りであり、ようやく見えてくるのがその頃です。
与えられた環境の「今」を見据えて丁寧に過ごすことは、自分を大切に育むことにも繋がります。
生き甲斐の心理学の教育普及も2005年にNPOを設立してから11年目に入っており、秋には12年目に入ります。
大胆な活動をするというわけでもなく、各地で講座を開き、呼ばれるところには快く出向き、身の丈でやってきたことで、自己の学びを深める人々も増えてきました。このような教育活動を理解する人々も増えてきたように思います。

人生の道を歩む中、自分の傾向を温かく自分で受容しながら、メメントモリを愉しむことは、私にとっても最高の贅沢であると思っています。
身の丈を知りながら、虚栄を張ることもなく、それでも自分という尊い存在を大事にしながら生きてゆきたいものです。

自分の生業(なりわい)と自分の理想についても、自分の不満と望みについても、ただ好きなように生きるというのではなく、自分に与えられた役割をある程度受容してこそ心と身体の自由が得られるのかもしれません。


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春の訪れ

2016年03月18日 | 第2章 五感と体感
春の訪れ2016年3月18日

東大寺二月堂のお水取りが終わり、本格的な春の訪れを感じています。
外に出て東から昇る太陽に御挨拶をし、春分に近い季節の変わり目を強く意識しながら過ごしています。
春分の日以降の満月の日が過ぎた後の日曜日が復活祭です。
今年は3月27日となります。
お水取りとともに四旬節を過ごし、今年は御釈迦様の誕生日より10日程早めの復活祭です。
内に留まりながら待ち望む期間が過ぎると、春の彩りが華やかに飾られ、一気に明るくなります。

各学校の卒業式も行われているせいか、正装した人々も多く見かけます。

春分で一区切り。ここから夏至に向かってひとっ走りとなりそうです。

「銀河系の地球に住まうことに意味を持つこと」の意識を与えられた「人」は、それだけで、何かの役割を担っているように思います。
春夏秋冬の規則的な巡りに頭(こうべ)を垂れて手を合わせ、森羅万象に敬意を表することを美しいと感ずる人の意識こそ、グレートサムシングが創ったものなのかもしれません。


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覚悟する

2016年03月15日 | 第2章 五感と体感
覚悟する2016年3月15日

最近、「覚悟」という言葉が、天から降りてきているようで、自分の事にしても他者の事にしても「覚悟次第だ」という言葉で腑に落ちる事が続いています。
人生半世紀を過ぎたからあたりから「次のチャンスは、もうそうそうありません」という背景による決断が多くなってきたようにも思います。
そうすると、「何を覚悟するか」という問い掛けも自ずとするようになってきました。でも、若い頃と違って、「覚悟」という言葉の中に「断崖絶壁から落ちる」ような感覚は無いのです。

何かに焦点を当てて歩いてくると、覚悟に片足突っ込んでいたようなもので既にこの時の準備ができていたのかもしれない、という思いにも至っています。

自分はどう生きたいか。
どう生きたら悔いは無いか。

その自問自答で、既に答えは決まっていて、然るべき選択は成されていると云うことも出来そうです。

覚悟を持って生きている人に対して、その思いを汲み取る感性を持つことも大切な事であり、逆を云えば、覚悟を知らなければ、他者の覚悟を洞察する事も出来ないかもしれません。

自他共に、あるがままに受け容れることに裏打ちされたものにこのような深い積み重ねを感じ取ることが、覚悟する人への思いやりだとも感じます。

3月に入り、諸々の生業の人々と語る機会を得、好い時間を朗らかに、そして静かに過ごすことができ、自分は恵まれているなぁ。。。と、感謝しています。


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5年の月日

2016年03月13日 | 第2章 五感と体感
5年の月日2016年3月13日

東日本大震災から5年。そして、6年目に入りました。
毎年、あの日は、9月に予定していた新宿御苑のギャラリーの下見をしがてら、数十年ぶりに新宿御苑に入り、青空にくっきり映える新宿のビルを眺めベンチで日向ぼっこをしてから、表装の技術勉強会を受講しに神宮前に行きました。
勉強会の最中、表具の師匠のビルはグラグラと揺れ、窓から外を見ると、周囲のビルがぶつかってもおかしくないくらい揺れており、ただ事でない事は直ぐに理解しました。幸いにビルの持ち主の師匠が主催する勉強会であったため、ビルの最上階の仏間にお布団を敷かせていただき、アナログテレビの良く見えない画像を見て東北の状況が徐々に解り出し、「ともかく寝ましょう」と、早々にお布団に入りました。
心配な我が家や家族の安否は、夕方には連絡がついたことで早めに安堵感を得る事が出来たことも自分の行動の決断できたことの理由の一つです。

東横線も早朝動き出し、日の出と共に乗り帰路に着きました。
その時の電車の車内は、緊急事態であり混んでいるにもかかわらず皆冷静で静まり返っていたことが今になって時々思い出されます。

時が経つと思わぬ記憶が残存しており、それが繰り返し思い出されるのです。

津波や原発の事故で、瞬く間に失う経験をした人々は、私の想像を超えた記憶の残存があるに違いありません。それを察すると、解った様な事はとても言うことはできません。その思いが年々増してくる事も、私の現在経験していることです。

奇しくも7月に個展を行う画廊のオーナーは、石巻のご出身です。これも神様が繋げてくれた出会いだと思います。今年の11日14時46分は、その画廊で時を過ごさせていただきました。

いつもお世話になっている宮城県山元町の「ささえ愛」さんの理事長にも電話をすると、「五年経っても、六年経っても、私は元気ですよ!」と張りのある明るいお声を頂き、またしてもNさんから大きな大きな贈り物を授けられました。

6年目にはいり、出会いのあった宮城沿岸の皆様との交流を身の丈で大事にしてゆきたいと思います。


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自己概念の再構成

2016年03月10日 | 第2章 五感と体感
自己概念の再構成 2016年3月10日

「自己概念の再構成」といえば、心理学者のカールロジャーズだ、と、思いつく人は、傾聴をするための必要にして最低限の「6条件」を体得しようと日々修業していらっしゃる人か、傾聴について学んだことがある人でありましょう。

ここ数年、周囲の人々が定年になり、新たな生活を踏み出しています。

長年の勤めや仕事から解き放たれ、はて、これから自分はどうするか?

そんな思いは縁遠いものかと思っていましたが、我が家も年相応にそんな心を持つ人がおり、じわじわとリアルさを増しています。
とはいえ、私自身は、毎日仕事を楽しむ暮らしをしているのですが、身近な家族がそのような心持になっていると、やはり、気になるものです。

自分は何のために生きているのか?

自分は何処へ旅するのか?

自分の生き甲斐は何か?

年齢と共に湧き出してくる思いは、然るべき時期に自ずとやってくるものなのだということを薄々感じ取りながら、私自身の役割の再構成の時期でもあることに気付いたのです。

到達する年齢や時期にならないと解らない心持ちを理解しようと思っても、他者の事は推察することぐらいしかできません。

2016年度は、自分の役割の中味が重くなりそうな気配ですが、相変わらず呑気に構えて、生き甲斐感じながらやってゆけそうなので、ぼちぼちやってゆくとします。
自分自身の理想と現実を折り合わせる兼ね合いが、自分にとって一番大切であることも今までに増して身にしみて感じます。
これも年相応の気付きなのかもしれません。


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光悦と游ぶ

2016年03月08日 | 悔いのない人生とは?
光悦と游ぶ2016年3月8日

本阿弥光悦 1558から1637年二月三日没 享年79歳
関ヶ原の戦いの後、徳川家康から京都の鷹ヶ峰に9万坪の土地を与えられ、亡くなるまでの20年間、琳派を率いて存分に才能を発揮したマルチクリエーターです。
もともと京都の代々続く刀剣鑑定の家に生まれ、潜在的な審美の力が備わっていた人でありましょうが、豊臣秀吉の頃は、古田織部が大活躍する中、その力を花開くチャンスが訪れず、俵屋宗達との出会い、そして徳川家康によって、江戸時代の始まりの美の世界を作り上げた人と言って良いと思います。

京都の鷹ヶ峰は、私の大好きな場所の一つです。未だ風情の残る街道を上り、光悦寺、源光庵で、侘寂の境地を堪能し、本阿弥光悦の御墓をお参りし、京の街をこの奥座敷から我が物顔で眺めると、京都で育まれた文化の一端が解った様な気になるから不思議です。
光悦の精神が未だ息づいているからなのかもしれません。

今、法政大学能楽研究所(野上能楽研究所)主催で、同大学にて光悦本の謡本が展示されており、見てきました。
茶碗や画、設え等を総体的に観る機会は多く恵まれていますが、謡本に集中する展示は貴重です。表装にも興味があり、行ってきました。

贅を尽くした料紙に金銀を散らし、銀箔を好んだ謡本の表紙画をじっくりと拝見すると光悦の懐で游ぶ唐子のような気分になり、静かな高揚が湧いてきました。こんな仕事できたらいいなぁ。。。さすればもっと嬉し楽しや。。。
自分の游び場は、極僅かなものに過ぎませんが、ともすれば最大にも成り得る宇宙にいるのかもしれぬと思ったり。

まったく御客のいない展示室に友人と二人だけで、存分に感想を述べながら観覧できたことは、まさに光悦と游んだという解釈にもなりそうです。

浸透圧のようにすぅっと光悦が身体に沁み入ったような佳き時間を過ごさせていただきました。


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啓蟄

2016年03月06日 | 第2章 五感と体感
啓蟄2016年3月6日

3月5日は24節気の啓蟄でした。
春の日差しに土に温もりを覚え、虫が土から顔を出すには相応しく絶好の一日でありました。

奈良の東大寺は、お水取りの六日目。春が一足ずつやってきて、お松明の夜も一日一日温んできているのではないでしょうか?
奈良時代、ひと筆ひと筆経を書き写すことで行が整い、遣唐使が決死の覚悟で唐から書き写した経典を運び、難破した船が数知れない中、生き延びた者がそれらを伝え、そして空海、最澄が密教を伝授し広めてゆくうちに、平安時代になると、仏教の形も変容していきました。女性も出家し仏門に入ることができる時代へとなっていったのです。
鎌倉時代、室町時代へと時間が流れてゆく中、今度は、簡素な美意識を体系化した禅宗が武家社会の確立へと大きな役割を担っていきます。その反面、民衆文化も発達し、民衆の為の仏教も広まっていきました。
いつの時も人々のニーズと満足度、そして幸福感が文化を育み、時代が変容して今に至っているのです。

この時期むくむくと土から顔を出す虫さん達もこの世の創世から自然界の傾向を体得して自ずから生き延びる力を備えてきたのです。

啓蟄の頃から淡い黄緑色が地面を色付かせてくると、奈良の若草山の初いの黄緑が見たくなります。

森羅万象の美しきを徐々に喜ぶ季節がやってきて、それを愛でることのできる「今日」は人生で一番大事な「今」なのかもしれません。



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明るさという知恵

2016年03月04日 | 第2章 五感と体感
明るさという知恵2016年3月4日

明るい解釈は、やっぱり心が軽やかになります。
暗い解釈は、やっぱり心が重たくなります。

ラジオの早朝の長寿番組「暗いと云うよりも進んで明かりを灯しましょう」というキャッチフレーズの「心のともしび」の目指すところは、事ある毎に「ほんとうにそうだなぁ」思うのです。

暗い解釈や心配事を吐露する事は、明るい解釈をすることよりも安易に湧き上がってくるものだそうで、明るい解釈をするほうが知恵が必要だということだそうです。

この方程式のような解釈は、いつも私を「なるほどなぁ~」と思わせます。

暗い解釈で世の中や自分を語るよりも、なるべくなら自分の生きてきた過程の知恵を力に明るく解釈したほうが、最終的に自分に返ってくる体感的感情が健やかなものになります。
暗い解釈のまま語り出すと、自分に返ってくる体感的感情は、重苦しく詰まったものになります。
正の連鎖と負の連鎖、どちらを選べば、自分が幸せになるかを明暗の岐路に立たされた時に思い糺す余裕が、明るい方向に導いてくれるようにも思います。

暗い解釈の相手又は自分に対して、毅然と自分を糺してゆくことは、息を引き取るまでの自分の知恵次第でもあるように思うのです。

知恵を育むことは、知識を持つこととは少々違うようです。

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卒業式

2016年03月03日 | 第2章 五感と体感
卒業式2016年3月3日

無事に関わる学校の卒業式を終えました。
中高一貫の学校ですと入学から卒業まで6年間の期間を要します。
中一から高三の成長は、見た目だけではありません。
自分のアイデンティティが統合されるための素地が否応なしに育まれ、自分の個性とある程度冷静に向き合うことができるようになる時期は、人によって様々ですが大抵高校に入ってからかもしれません。

親の概念や家の習慣と外の世界を具体的に比較検証しつつ、あれやこれやと揺らぎながら、何とか然るべきところに落ち着くまでに、すんなりいく場合もあれば、てこずる場合もありましょう。高校を卒業しても然るべき場所を探して右往左往することも、人らしさの証しでもありましょう。

卒業式で祝辞を述べた某大学の某神父様が、「大切」と「然るべき」の二つの言葉を卒業生に贈りました。

「然るべき」という言葉を頂き、私も心に留りました。

性善説を信じながら、人に宿る普遍性を信じるならば、個々に持ち備えている「然るべき」は、そうそう違いは無いように思います。

「自分の然るべき処は、何であろう」と自問自答してみると、私は、やっぱり天を仰ぎ手を合わせる心持から生まれてくるようです。

心に留る印象的な問い掛けを頂き、よき時間を過ごさせていただきました。

卒業生の皆様、保護者の皆様、
おめでとうございます。

◎○◎○◎講座生の皆様へ◎○◎○◎
琵琶湖の唐崎WSは、4月8日~10日です。今回も琵琶湖周辺の遠足を企画しております。

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