五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

美しい!の初体験

2006年11月30日 | 第1章 意識と知覚
知覚を意識するということはどういうことでしょうか。

私が、瞬時に感じること。
心と体に反応する何らかの感覚。

痛い、熱い、暑い、寒い、冷たい、甘い、辛い等、これらは平素の生活の中で当たり前のように感じる知覚です。そして、知覚を感じた瞬間から、意識の世界に入っていくのです。

このように私達は、あらゆるものを知覚し意識する事を繰り返しながら生活しています。

私が幼稚園に行く途中に見た田んぼ一面に咲いた蓮華草、台風が去った後の青空、それらを見た瞬間、体に染み込むような体感を得て、「ああ、美しい」と思ったのが、私の人生で最初の「記憶にある美しい風景」の体験です。
誰から教えられたわけでもなく、美しいものを知覚し感動するのは、いにしえの人の記憶が私の体と心にもそなえられ、受け継がれているからだと信じています。

知覚を通して「美しい」と思える一日を送りたいものです。

ちなみに、私の今日の美しい知覚は、高知特産のポン酢の味。それにまつわる思い出が幸感福をもたらしました。

皆さんは?

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初めての経験<知覚と意識>

2006年11月28日 | 第1章 意識と知覚
自分の回りの物事を意識するようになったのは、いつの頃でしょう。
静かに目を瞑り、記憶の扉を開けて辿ってみますと、私が生まれた高知の奈半利という場所の風景が甦ってくるのです。
そして、3歳下の妹が生まれた頃が、どうも私の「意識」の原点ではないかと思えてくるのです。
ということは、私の「見るもの、聞くもの、触れるもの、味、匂い」が自己の記憶として意識化されはじめたのは、3歳ということになるようです。

父母の両親は東京に住んでいて、転勤先の奈半利で母が出産したため、母が入院中、私は父の同僚のお宅に預けられました。そのお宅には、普段もよく私と遊んでくれたお姉さんが二人いました。一体何日、そのお宅に預けられたか定かではありませんが、お風呂に入るときに、「一人でお風呂に入って、髪も自分で洗える?」と聞かれ、とっさに「洗える!」と応えてしまったのです。今までは、自分は耳を押さえて、息を止め、目をしっかり瞑って、お湯を注いでもらっていたのですから、さあ大変。
未だに、その時、初めて自分の頭にお湯を注いだ感覚を体感として覚えています。

意識と知覚は、セットです。
オムツが濡れたら気持ち悪いので泣いて知らせ、お腹が空いたらミルクが欲しいので泣くいて知らせます。泣けばお母さんがオムツを取り替えてくれて、食事を与えてくれます。オムツが濡れる、これは知覚。濡れたら不快、これは濡れたことに対する意識。そして、お母さんは、子が泣けば「どうしたの?」と近づいてきてくれます。
そうやって赤ちゃんのころから学習し、子供は育っていくのです。

私の場合、その、学習した当たり前の繰り返しが当たり前でなくなった初めての経験が、「一人で髪を洗う」という私にとって冒険的で危機的な行為だったようです。
それが、成された時の達成感は、幼い私の自信となり、これから自分の人生を歩んでゆく出発点だったのかもしれません。


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萩の後始末

2006年11月25日 | 第1章 意識と知覚
庭に植えた萩が、春の枝切りを怠ってしまったために、今年は大木のようになってしまいました。風に揺られて大らかに花を咲かせた我が家の萩。そのおおらかな姿に自分を重ね、「ああ、自由奔放に、心地良く風任せに生きていきたいものだ」、そう思いながら萩を愛でてつつ、つい最近まで過ごしました。

ところが、この数日の急な寒さで、萩の葉っぱが黄色く色付き、はらはらと落葉し出したのです。
狭い庭のテラスに落ち葉が山となり、いい加減見苦しくなってきました。
「しようがない、やるか・・・」

その量の多いこと・・・

忙しさを理由に庭の手入れを怠け、久しぶりに嗅ぐ土の香りにほっとするものがありましたが、来年は絶対に枝切りをしようと心に決めたのでした。

自由奔放も良いけれど、その陰で後始末をする人の存在に気付くことも大事なことです。

萩さん、私に感謝してね。


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喜びを味わう

2006年11月22日 | 第1章 意識と知覚
「成功は濃い味を感じ、不成功の時は薄い味を感じるのです」と言った人がいます。

ワイン好きの親しい友人は、「ワインは、オーケストラ。日本酒は雅楽。ワインを頂くと口の中にオーケストラの色々な楽器が響き渡り、そのダイナミックな広がりをがたまらなく心地良い」、そんなことを言っていました。

味わう。
私の喜びの味わいの体感。

硬くもなく、軟らかくもない日本の水。
それが、私の喜びの味わい。
当たり前に頂いている違和感のない味わいは、私に心地良さを与え、喜びを味わせてくれます。
いつもと違う水の味は、私に不快感を与えます。

水の味わいは、私のアイデンティティの源なのでしょうか。

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秋の色

2006年11月20日 | 第1章 意識と知覚
秋が終わりに近づいているというのに、今年はなんとなく葉の色が落ち着かず、黄や紅になるはずの葉の色が、中途半端に色付いています。

芽吹いてから、花が咲き、葉が散るまでの情景を、日本人は古来から大切にしてきました。
そのプロセスに、自分の人生を重ね例える事で、生きる証を見出していくのです。
美しい表現です。


「はかなさ」と「よみがえり」、抑制された悲しみと喜びが互いに共存し、それが命の躍動感となり、未来永劫に繋がる気迫までをも感じ得ることができます。


命の躍動感に欠ける今年の秋の色ではありますが、それはそれなりに、中途半端な色変わりもまた人間らしいと、心静かに冬支度をしようと思うのでした。



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愛ある言葉

2006年11月16日 | 第1章 意識と知覚
人は皆、自分の経験や体験から、感情が湧き、思い巡らし、言葉を発し、行動を起こしています。

「人それぞれ」と思いつつも、日頃自分と気の合う仲間に出会うために五感を張り巡らせて生活している「私」が居ます。

それは、「私」が「私らしく」生き延びるために当然必要なことだと思っています。

先日、身内に祝い事があり、お菓子を用意しました。そのお菓子をある方にお渡ししたところ、「あなたの喜びを一緒に味わえるなんて、なんと嬉しいことでしょう!」と云われました。

「喜びを一緒に味わう」、その言葉の中に彼女の愛の深さを感じ、小さなお菓子の包みが私にとって世界最大の幸せの象徴のように感じられました。

言葉のやりとりは、感情のやりとり。

心地良い感情のやりとりは、生きる喜びとなります。

心地良い感情のやりとりを「互いに感じ合うことのできる」気の合う仲間を生涯大切に生きていきたいと思います。
皆さん、いつもありがとう!

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今、この時

2006年11月14日 | 第1章 意識と知覚
春にご主人が亡くなったご近所の親しい方に、ばったり道端で会いました。

その方は、私の母と同年代。

未だに届くご主人への手紙、
亡くなったことを知らせる気持ちになれないとのこと。

手紙が届く毎に、仏壇に供えていると、今も一緒に暮らしているような気分になるそうです。
不安が解消される「一瞬の時」をとても大切にされている方だと、しみじみ感じました。

別れ際に、「悔いの無い、一日を過ごしてね。今を大切にするのよ」といわれました。

人から「悔いの無い一日、今を大切に」と云われて、あらためて、生きている喜びを頂いたように思いました。
自分で実感し、自分で感じ取る、それを体験し、はじめて気付きが得られるのです。

今、この時に、感謝。


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不安をみる

2006年11月13日 | 第1章 意識と知覚
自分の持つ「不安」は、なかなか受け容れ難いものがあります。嫌なものであればあるほど、そのことについてあまり考えたくなくなります。

世間の「不安」なのか、本人の「不安」なのか。

「自分の不安」と向き合いたくない気持ちが、「世間の不安」にすり替えられていることがありませんか?

「不安」という感情は、人が持つ当たり前の感情だと思います。
不安感があってこそ、生きる喜びの意味を考えられるのです。

自分が感じること。それを素直に受け容れてみると、何だか身体が軽くなります。

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幸福感

2006年11月11日 | 第1章 意識と知覚
体感。

今、ここで感じる幸福感。

生まれてから、今に至るまで感じてきた暖かい体感。
それが積もり重なって、自分だけが体感する幸せな想いを
今、ここで感じることを意識して日々過ごしたいと思うのです。

今を生きること。
今を感じること。

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パンの香りと幸せな香り

2006年11月11日 | 第1章 意識と知覚
朝、家族の朝食を作ります。パンを焼く朝の香りが私を幸せにします。パンの歴史は大変に古く、古代エジプトに始まるといいますが、当時も今も、どうしてパンの香りは人々を幸せにするのでしょう?薔薇の香りも私は大好きです。香りと人間の幸福は正比例しているようです。幸せな香りと不幸せな香りもあるようですが、幸せな香りを家中に満たしたい。物を考える事も大切ですが、五感と体感からくる幸せは魂と心と身体を瞬時に幸せにしてくれるのが不思議です。

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悔いのない人生って何だろう?

2006年11月08日 | 第1章 意識と知覚
子育ても終わり、全てが順調に流れているのに、何となくこれでいいのかなあーと思う日々が続きます。そんな日々の流れの中で、親しい人々とNPO法人<CULLカリタス カウンセリング学会>を立ち上げました。沢山の人々と知り合う内に、実に多くの女性も同じような気持ちで生活しているのをしりました。今日2006年11月8日、このブログをスタートさせます。このブログを通して同じ気持ちで生きている女性と共に素敵な知恵を身につけさせて下さい。私の日々の想いを暫く書きつづっていきますので、愛読いただけると嬉しいです。

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