五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

役割の確認

2014年10月31日 | 第2章 五感と体感
家族、会社や組織、部活やサークル、友達関係など、自分自身、多種多様なグループに属しながら日々を暮らしています。

そして、その多種多様なグループに属しながら、それぞれの役割を担っています。

自分が与えられている役割は何か?

規約や契約書で決められている役割もあれば、職業という役割もあれば、法的なことを踏まえた上での役割、家庭の中の役割もあります。

自分がどのグループに属しているのか。いくつのグループに属しているのか。そして、その立場は何か?役割は何か?もしかしたら役割以上の事に足を突っ込んでいないか?それとも役割を放棄しているのではないか?はたまた役割の矛先が違うのではないか?

もし、やりたい、やりたくない、という単純なことで解決出来ないことであれは、自分の役割を再確認してみると、不安なことが即座に解決する場合があるようです。

やりたくないことを無理にやっていれば、周囲はそれを察知し、混乱ていきます。

自分の役割を超え、他者の役割の領域に足を突っ込めば、やはり周囲は混乱します。

自我を出す前に、自分の役割を頭の中で思い巡らし、再構築してから、役割を遂行する心構えは、自分の属するグループが多ければ多いほど、必要な整理整頓であるように思います。

やりたくないことを無理にやっていたとしたら、やりたくないことを辞めるという選択もあります。
そのばあい、辞めても支障が無いのか、ということを考える必要があり、自分はいったい何がやりたくないのか、という感情を意識化することも大事なようです。「なぜ、自分はやりたくないのか」と考えた時に湧き出す感情には、自分にとって深い意味があるかもしれません。ほんとうにやりたくないのであれば、辞めればいいだけの話です。

自分の役割以上のことをしているとしたら、自分の思い込みを知る必要があります。
自分の見えている世界は、他者とは違うことを知ると、自分と他者は別の人間であることに気付きます。
思い込みは、自分にとってのリアリティであるので、思い込んでいる人に「それはあなたの思い込みよ」と言ったところで、理解されないでしょう。「自分のリアリティは、他者とは違う」ことは、自分自身で気づいていくものでありましょう。

自分の属するグループでの役割の目的は何か?という自問自答も必要です。
それが、自分にとって無意味なものであれば、役割を降りることも自己実現の一歩であるかもしれません。

自分が所属するいくつかのグループの境界線を自分自身がどのように扱っているかも、自分自身の傾向を自分が知るための一つの自問自答の仕方でもありましょう。

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食べて身体を温める

2014年10月30日 | 第2章 五感と体感
薬膳と生き甲斐の心理学のコラボ勉強会「第四回」を行いました。

先週から急激に気温が下がり、身体が着いていかず辛い思いをしましたが、温泉にも浸かり、段々と気温の変化に身体が慣れてきたようです。

私の場合、身体の状態は気温や気圧の変化が影響しやすく、真夏生まれのせいか、寒さが大変苦手です。

今年こそは、体調を崩さずに気をつけたいと思いきや、やはり自然の成り行きには勝てません。

昨日は薬膳を頂き、学びながらの勉強会でした。まさにタイムリーな気候でした。

旬の食材を煮たり焼いたり、温めたり。。。私も美味しい料理を頂きながら、薬膳の効用を学ばせて頂きました。

今年もバランス良く身体に吸収させて、苦手な冬を乗り切りたいものです。

季節の変わり目。暑くなる季節も寒くなる季節も体調が崩れやすいですね。

皆様、お身体、ご自愛ください。


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箱根 岡田美術館所感

2014年10月29日 | 第2章 五感と体感
長らく行き先不明になっていた喜多川歌麿の大作「深川の雪」が、昨年オープンした岡田美術館のこけら落としで公開し、大きな話題となりました。

結局、深川の雪を観ることなく、今に至り、岡田美術館って何?という「?」のまま一年以上経ってしまったのです。

この度、母と妹三人で箱根に一泊して岡田美術館に行こうと云う事になり、ようやく実現しました。

たぶん、このメンバーであれば飽きることなく居付いて、岡田美術館で一日終わってしまうだろうな。。。という予感は大当たり。
11頃入館し、美術館を後にしたのは16時でした。

入館する前のセキュリティーチェックは、飛行機の搭乗以上の厳しさで、携帯、パソコン、カメラ、飲食物(ペットボトル)も、全てロッカーに預けなくてはなりません。
この巨大な建物にはレストランがあるだろうと、思いきや、飲み物を飲む場所すらありません。つまり、飲まず食わずでこの巨大な箱に挑むわけです(苦笑)。美術館のウリである風神雷神の巨大壁画を観ながら足湯に浸かりながら珈琲ぐらいは頂くことができますが、これは外です。山側には古民家を改築したレストランがあり、そこで飲食はできますが、レストランに入るのは安易なのですが、食事を終えて改めて美術館のエントランスに出るには大変な山道を下らなければならず、高齢者の観覧者にとってはひどい仕打ちです。母も館内では車椅子を借りましたが、そのレストランには外にあるため車椅子を使えず、急な長い坂道を大変な思いで下りました。
時々どうにもならず警備員の方が、山から下ろすこともあるそうです。これについては、今後の課題として早急な検討が必要かと思います。
なので、今のところ足の悪い方が山のレストランで食事をすることはお薦めしません。下りることができなかったら美術館の警備員に助けを呼んでほしいと言われました^^;

周囲を見ると杖を必要とする方は、街中よりも多く見受けられ、平日の箱根はこのような方々に支えられているのが良くわかります。

美術館としての機能・スタンス、そして人件費についての効率化は学ぶところが多く、素晴らしいと思いますが、飲食のできる場所を館内に設けなかったのは、独りよがり的な冷徹さを感じました。私設とはいえ、、、一応「美術館」です。

展示室は大変広く、展示のための環境は大変良いと思います。広い展示室の至る所に湿度管理の器具が置かれており、ぴたりと50パーセントを示しています。とても理想的です。
この美術館に保管される美術品は、とても幸せでありましょう。

美術館をエンターテイメントとしての機能と併せることは、ノウハウと経験、そして、入館者自身の民族的な傾向としての常識等が洗練されていないと難しいことでしょうし、私的な収集から公的なものへと開放する場合、やはりエンターテイナーとしての役割という課題は大事なテーマであるはずです。

岡田美術館、ハードとソフトの兼ね合いと人材教育を今後期待しながら、次回深川の雪が展示される時にはまた伺いたいと思います。

美術館という箱をこれからどう運営していくか。興味津々です。

入館料2800円は、妥当な金額だと思います。私個人的には、安いくらいだと思いました。
長居するような人のために持ち歩きが出来ない水飲み場ぐらいの配慮は、早急な課題であると思いました。

ハード面では完璧な美術館です。大変勉強になりました。私設美術館ならではのソフト面での洗練を期待します。

現代のお金持ちのコレクターが、お宝を守ってくださっているに感謝しつつ。。。

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学びを重ね続ける

2014年10月27日 | 第2章 五感と体感
週末は、町田での勉強会があり、日頃の疲れを取り、体調を整えながらのんびりと二泊三日の勉強会を楽しんできました。
学び続ける勉強仲間と過ごす時間は、学びの繰り返しの意味を改めて確認するうえでも大変重要なものです。
5年、10年と学び続けている自分のスケールを知ることも大切な学びの意味の一つでもありましょう。

自分の傾向と向き合うことは、自分の足りなさを反省することではありません。
それよりも、生まれてから今日までの自分の生育史をほんとうに尊いものであることを自分自身が知ることのほうが、今後生き甲斐を持って生きてゆく上で、大事なことなのだと思います。

自分がどのように生き延びてきたのか。
そして、自分はこれからどのように生きていくかを想い描くことは、
「自分は何のために生きているのか」
「自分の生き甲斐は何か」
「自分は自分の心と身体と魂を大切にしているか」
という、三つの設問を自問自答するだけで充分のようにも思います。
でも、
この三つの設問の自問自答の仕方を全ての人が上手くできるとは言えないようです。

できることなら歴史や理論を学びながら、それらの知識に助けられながら、自分の生育史の中にある答えを導き出していくほうが、健康的のように思います。

どんな習い事でも学習でも、学びを止めてしまったら、それでお終いです。

「止めないから続いてきた」

職人でも芸術家でもスポーツ選手、諸々の技術や資格を要す仕事でも、「続いている」ということは、同じことが言えるでしょう。
私達の学びも、学びを繰り返していかないと忘れるのです。ピアニストがピアノを一日弾かないだけで感覚を取り戻すのに数日かかるのと同じ感覚です。

東急セミナーBEでの生き甲斐の心理学講座は、雪谷校が4年目に入り、たまプラーザ校は2年7か月目となりました。
「生き甲斐」という言葉に、ハタと自分の人生の岐路に気付かれて受講される方が多いことに、この学びをカルチャーセンターで始めた意味をしみじみと感じています。

止めたらお終い。

と、思いながら、コツコツと続けてきたものもあれば、お終いにしてしまったものも多々ある人生。

自分の必要なものを取捨選択してこれからも生きてゆきたいものです。

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歳を重ねる

2014年10月22日 | 第2章 五感と体感
自分がどんなに頑張っても、自分よりも歳を重ねている方々には叶わないな~、と思う事が度々あります。

その年齢にならないと解らないことがあるのです。個人差は勿論ありますが。

10歳、

20歳、

30歳、

40歳、

50歳、

60歳、

70歳、

80歳、

90歳、

100歳、

こうやって書いてみると、生きている可能性のある節目の年齢の後半であると思っていましたが、案外、まだまだ自分にとっての節目の年齢はあるものなんだな、、、と、思います。

昨日、御近所の方に駅のホームでばったり会いました。長い付き合いの御近所のお友達とコンサートに行かれるとのこと。
「私も後二年で、90になりますし。。。」と、ニコニコ微笑みながら仰いました。

健康の秘訣は、彼女のこの笑顔だなぁ~~
しみじみそう思いました。

勉強会の会場では、病気や怪我で手術した勉強仲間が集い、ここでもまた満面の笑顔で同じ時間を過ごしました。
皆さまの元気の秘訣は、やっぱりこの笑顔だな~~、と。

同じ時間を同じテーマで語り合い続けると、やはり年齢を重ねてきた分の経験の重さは明らかに違います。

かといって、
自分の経験を自分よりも若い人にアドバイスしたところで、人にはその時その時に体感する不安感があるわけで、自分の経験がもれなく他者の答えとなるわけではありません。自分と他者は、それぞれの答えを持った別の人間です。

「人の身体は神の神殿だ、」と、納得したのは、私自身が時を過ごし、学びながら自分自身の答えの出し方を受け容れられた時に、なるほどね、と、腑に落ちた時です。
他者から概念を教えられても、自分が体感して腑に落ちるには時間差があるのは当然のことでしょう。

でも、概念を知っているからこそ、腑に落ちたわけで、知識は自分の心身にとって大事なものなのです。

歳を重ねながら、「なるほどねぇ~~、還暦になるとこんなこと思うのね~」とか「古希になるとこんなこと感じるんだ~」、「傘寿の気持ってこうなんだ。。。」思いながら、いかなる環境に身を置いたとしても「歳を重ねる」という自分自身のフィールドワークを楽しむことができるようになっていたいものです。

自分自身を「よき計らい」で活かしてゆけばこその悔いなき人生であるかな、と。
息を引き取るときに初めて感ずる自分の終末は、最期の感受であり、自分が何を感受したいかという理想はありますが、その時になってみないと本当に解りません。

だからこそ、自らをよき計らえ、です。

「歳を重ねる」等というタイトルで書けるのも、まだ青臭い証拠であるかも、、、(笑)


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誰の何が心配なの?

2014年10月21日 | 第2章 五感と体感
答えは自分の内にある。ことを信じている人は、きっと自分自身の責任を意識できている人かもしれません。
自分は自分であり、他者の事は解りません。他者の事を解ったつもりでいても、それは自分という媒体を通して自分自身が解釈した他者であることを忘れてはならないのです。

ロジャーズの理論の先ず最初に、「個人はすべて自分が中心であるところの絶え間なく変化している経験の世界に存在している」と書かれてあります。

つまり、自分という「思考と感情と行動」の持ち主が、自分の経験を通して、解釈し、感じているということであるのです。

ということは、もしかしたら、
自分の持つ頑なな概念が、他者を見ているかもしれません。

答えを導き出すには、自分の生まれてから今日までの生育史の中から比較検討し、自分の体感で腑に落ちない限り、答えとは言えないかもしれませんが、その答えに辿りつくまで悩んでいても現状は変わりません。

他者の事で悩もうとしているならば、それよりも先に、「一体自分は何が心配なのか」ということを意識してみたほうが、現実吟味に繋がるかもしれません。

私自身が心配している事と他者の心配事が混同してしまうと、関わる本人自身が自分の不安感とごちゃまぜになってしまいます。それは自他混合といえるでしょう。

悩みを抱えている人と関わるのであれば、自分の不安感に関する自分自身の傾向と向き合うことが大事なことなのです。

他者の事よりもまず自分の傾向を意識化できているか。自分の現在の現実を吟味する力は健全であるかを測る必要もあります。

自分が出来ないことに関わると、他者を巻き込んでいき、小さな問題が更に大きくなってしまうのです。

自分の身の丈を知り、
自分の役割を吟味し、
自分の傾向と照らし合わせてみることは、
相手と関わる際のマナーと言っても良いかもしれません。

「自分ができること。自分にはできないこと。」を整理しながら、悩み深き他者と関わりたいものです。

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表装美術館をつくろう

2014年10月20日 | 第2章 五感と体感
美術展のカタログを開いて、いつもがっかりすることが一つあります。
それは、表装の中身、つまり本紙を描いた、又は書いた作者が中心であり、それを引きたてる為の表装の掲載が全て省かれているということです。表装を手がける者にとっては、修復の仕事に就かない限り、ひたすら美術館で鉛筆をなめなめしながらメモを取って学ぶ以外術はないのです。しかも美術館巡りで精進しようとしても、裂についての情報は皆無です。ともかく多くの表装を見て、学ぶしかありません。できることなら、美術館所蔵の裂の台帳を全て見せていただきたいくらいです。

引きたててこその表装は、時代や流行りによって使う裂が変化していますし、表装依頼者が権力者であったり、財閥の数寄者であったりすると、表装の取り合わせ好みが依頼した本人の好みやセンスがそのまま投影されます。

つまり、経師は、クライアントのセンスや要望によって学びを深めていくのです。

三井記念美術館での唐物を中心とした展覧会は、まさに表装の学習宝庫でありました。これだけの表装を望む現代の作家は、今や希少かもしれません。
ほんとうの贅沢さを一気に拝見出来る機会はなかなかありません。

華美な物を作ることよりも、いかに錆びた風合いを出すかは、とても難しいことかもしれません。
このセンスは、侘びとは何か。寂びとは何かを思索し続けていなくては持てるものではありません。

室町時代に、両極端なセンスを磨こうとした将軍足利義満。
この頃から日本特有の美が洗練されてきたと云っても過言ではないと思います。

唐物を好む文化がもたらしたものは日本人の美意識のアイデンティティに深く融合し浸透していくのです。

李朝の家具や調度品や器も、私自身の原型に触れるくらい好きなフォルムや質感であるものが多く、とても好きです。
華美な物以上に手間と時間を掛けて作られていることに、「真」と「草」の意味を考えさせられます。

職人が作るものは、どうしても風化していくことが前提という考え方があるかもしれませんが、文化継承のために、時代性の分類を見せられるような表装美術館は、そろそろこれからの日本文化の継承のためにとても大切な存在になるのではないでしょうか。

技術を学ぶ者を育てるには、先ず、「見せる」ことが大事なことでありましょう。

日本にとって大切な表装文化の灯を消さない為にも、是非とも学芸員を置く美術館をつくり、継承すべく努力をしていく時期ではないかと、深く思います。
技術だけでなくメンタリティそのものを育てていかなくては、人は育っていきません。

そのような意味においても、今行われている根津美術館での表装や器などの切り継ぎ文化を見せる企画も、一歩進んだものであると評価しています。



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育まれている

2014年10月19日 | 第2章 五感と体感
身体の成長は目に見えますが、人の考え方や解釈の仕方について成長したことを感じるのは、関わる人と継続的に付き合って行かない限り見えてきません。自分自身についても過去の事と比較できる事象が起きて初めて気付いたりするものです。

自分の考え方、行動の仕方、湧き出す感情の取り扱い方に何らかの問題を自分自身が感じ、そこで何かを変えようとしても、自分自身が育まれてきた環境の中で自然に身についてきたことを劇的に変えることは難しいかもしれません。

いろいろな体験を通して、自分自身を比較考察しながら自分が育まれていることに気付くのは、随分人生を歩んできてからのほうが意識化しやすいようにも思います。

自分だけが頑張っていても、見守る他者が評価して初めて喜びや口惜しさを感じるものであり、誰も評価してくれなければ、徐々に虚しさが自分の考え方や感情にに投影されて、孤独の淵に追いやられてしまいます。
その孤独感を他者にまき散らしても、大人になれば、他者は上手にその人を交わし、ますます孤独感が増していくようです。

大人になると、成果については評価はあるでしょうが、自分の成りについて他者から評価させることはなかなかありません。

そんな中でも、「自分が育てられている」と、感じながら、日々を送る人とそうでない人では、器の大きさに随分差異が出てくるようにも思います。

自分が誰かに育まれていることを感じていると、自ずから謙虚な気持も湧くでしょうし、礼儀も正しくなるでしょうし、人を思いやる気持ちも育ってきます。

心の器にしても、技術的な技量にしても、人の成りは留まることは無いようです。

育まれている自分を大切にすることは大人の嗜みであることを肝に置きたいと思うのです。


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ウィーンでショコラ

2014年10月17日 | 第2章 五感と体感
マリーアントワネットを育てたウィーンの街は、今でも洗練された街である印象が深いです。
多くの作曲家達が活躍し、名声を得ていき、最高の芸術と最高の建築技術、建築資材が集まった場所であり、芸術の本拠地でありましょう。ウィーンの街を見ずして、芸術は語れません。

ハプスブルク家に嫁いだエリザベートは、自分の立場と本来持つ大らかな本音の狭間で苦しみます。その苦しみを美しさへの追及へと置き換えていく人生は、物語にするにはうってつけの素材でもありましょう。

彼女の生涯を描いたミュージカル・エリザベートは、現代演劇として心に響く作品の一つであろうと思います。

数年前の旅でウィーンの大聖堂であるサンシュテファンの早朝のミサに三日連続で与り、そこでご聖体を頂く浮浪者の老いた女性に、厚みのある民主主義を感じたことを、ふと昨日の観劇で思い出しました。
ホテルザッハであこがれのザッハトルテ(濃いチョコケーキ)を平らげ、デメルのCaféでショコラとケーキを山ほど頂いたことも素敵な思い出ですが、やはり、あのミサで両手を差し出し、パンを与える司祭の光景が、一番私のウィーンの旅の記憶として印象深く残っているのです。

目にする光景は、一夜にして成るものではないことを考えさせられた光景でした。

民主的な考え方を育んできたヨーロッパ文化は、日本で暮らし、何となく甘えの構造に身を置くことが当たり前になっている私に一撃を与えた様な感覚をもらったのです。

本音と建前はどの世界にもあります。でも、それをどのように受け容れていくかは、自分自身の問題でもあり、同時に社会全体の大きなテーマでもあるのです。

ぼんやりと洗練と成熟とは何かを思った一日でありました。ウィーンの街でショコラを頂いたような感じでもありました。

エリザベートに感謝。一緒に楽しんだお友達に感謝。

photo:ハプスブルグ家の聖堂



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縄文の暮らし

2014年10月13日 | 第2章 五感と体感
台風一過。
たび重なる台風襲来で、自然の怖さを思い知る今日この頃です。

身近な所で土砂崩れや浸水の被害があると、近所を見渡し、安全か否かを確認したくなるのは私に限ったことではないと思います。
横浜は、細かい山が多く、山を切り崩した土地に住むことは当たり前。我が家も実家も山を造成した土地に家が建っています。
逆に先祖代々続いている住宅地は山の袂にあったりします。
もともと平地が広がる場所は、鶴見川流域であり、湿地や田んぼであったところが今は競技場や大きな施設が建ったりしています。

ここ数年、東京や横浜の身近な古墳や縄文の遺跡を散歩がてら歩くことを楽しみにしているのですが、縄文人が住んでいた場所に安全な感覚を抱くのです。
その頃海であった場所が現在は陸になっているところも多く、安定した台地に住む縄文人の暮らしは、色々な意味において安全であり、学ぶ事が多いのです。

その土地が安全であるか危険であるかを見極める為には、縄文の日本地図が役に立つんじゃないか、と真面目に思う今日この頃です。

ついでに縄文や弥生の暮らしを蘇らせて人の暮らしの原点に戻ると云うのも良いかもしれない、、、と、も思ったり。。。

食べる為に作物を作り、纏うために糸を作り織り、暮らす為に道具を作り、、、
あれこれと思いめぐらしてみると、現代に蘇らせるには、かなりの贅沢であることにも気付いたり、、、。

人の暮らしがシンプルであればあるほど、現代の私達にとっていかにそれが贅沢なことであるか、ということを考えると、あえてその贅沢さを追求してみたい、という情動にも駆られます。

縄文の暮らしを想いながら、今朝炊いた栗ご飯は、大変美味しうございました。
秋の実りを蓄えて、冬に備える暮らしがいつしか遠いものになっていたことにハタと気付いた台風一過の一日でありました。

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何が解ってほしいか

2014年10月11日 | 第2章 五感と体感
一昨日、昨日の続きです。

自分の何が他者に解って欲しいか?

日々のストーリーを長々と語り、不満な気持を訴えても、その大元になっている感情が相手に伝わらない限り、「解ってほしい」という訴えばかりが先行し、自分自身でも一体何が解ってほしいのかを意識化できにくくなっていくようです。

不満な事を相手が聞けば聞くほど、本人の中に持っている「何らかの不安感」が何かに置き換えられ、益々自分の中にある答えから遠ざかっていくこともあり得そうです。

怒りや不満をまき散らしている人の大元の不安感を聴くには、まず、落ち着く時間が必要かもしれません。

心を鎮める時間の中で自分自身を吟味していく時間を聴く側が整える努力することも大事な事でしょう。

その為には、一人だけで対応するのではなく、関わる人々のそれぞれの役割の中でケアしていくことで、本人が自分自身を吟味する時間を与えられるようです。
「自分の中に答えがあること」を関わる人が信じていないと、直ぐに見破られてしまいます。

人は一人で生まれて一人で死んでいきます。
でも、一人では生きてゆけません。
「自立とは何か」というテーマは個人的に付きつけられるととても難しいテーマであると思います。

関わる側も、皆と同じく一人の人間であることを忘れてはならないのです。

「人と関わることを大事にしていること」は必ず「信頼関係」に結びつくはずです。


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自己の役割を吟味する

2014年10月10日 | 第2章 五感と体感
不安でいっぱいの人の理想を聞き、叶わないことへの不満を聞き続けたところで、何も解決には至りません。
その上、不安でいっぱいの人のことをあれこれと推測してその人の心の中にまで介入し、勝手に推測したところで不安な人と関わる自分のストレスが増強するだけです。

まずは、「他者の事は解らない」ということが大前提であり、「悩んでいる人自身の中に答えがある」ということを信じて向き合っていく必要がありそうです。

他者の悩みや不安の話を長時間聞き続けても、きっと同じ感情がぐるぐると廻り、解決に至るどころか、囚われた不安感にさいなまれ身体症状に出てしまったら、益々答えが導き出せなくなっていくかもしれません。

自分の職場での立場、家族の中での立場、友人関係の中での立場等、
人は色々な環境で、複数の立場を担いながら生きています。

それぞれの環境において、自分の立場や役割を吟味することが、悩む人の話を聴くことの第一歩のマナーでもあるかもしれません。
自分の立場や役割が外れた対応をすればするほど、悩む人の心は迷宮へと向かっていくかもしれません。

自分の立場と役割を吟味し、確認し、自らが意識することで統合された状態が築かれます。それがふらふらしていれば、悩み深い他者は、ますます揺らいでいきます。

答えは自分の内にあります。

関わる私達は常に、自らの役割と立場を意識していたいものです。

その条件のもと、
口を慎み、謙遜に、相手の立場と感情を思いやりを持って感じ取ることが相手を知る第一歩であるように思います。

そして、「自分の領域を越えず、相手の心に土足で踏み込まないこと」はとても大事なことです。

これらを吟味する為には、やはり、関わる自分が自分自身を知る必要があるわけです。

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怒りの返るところ

2014年10月09日 | 第2章 五感と体感
理想と現実のギャップが不安感を生み、その不安感が解決に至らず、増長してくると、段々と怒りの感情がこみ上げてくるようです。
思春期真っただ中な人が怒りの感情に翻弄されている過程の中で、あなたは思春期真っただ中よね。と言ったところで通じません。返って火に油を注ぐようなものです。

理想と現実が噛み合わないこと自体が人間の営みそのものというもので、大人になると、段々とその意味が自分なりに解ってきます。
そして、理想と現実のギャップを統合させるための術は、自分自身が歩んできた生育史で育まれていきます。
自分なりの答えの出し方が、他者にとって理解しがたいものであっても、自分のやり方は自分が生き抜く為に必要な術であるのです。それがフロイトの防衛機制という分類を学ぶと整理されて合点がいきます。

でも、自分が怒りの矛先に執着していればいるほど、自己分析の現実吟味力は怪しいものであるかもしれません。

怒りの矛先が何か自分でも解らなかったり、矛先が見えないと、根なし草の様な不安感に埋没してゆくかもしれません。

親と子、
向き合うべき時に直にバトルしながら向き合えることは、羨ましさを感じます。

怒りの返るところが「ここだ」と解っている人は幸せなのだと思うのです。

母と子
父と子

人それぞれの怒りの形があるはずですが、「自分の親だと認識できていること、自分の子だと認識できていることゆえ」のバトルであれば、きっと時が経ってから懐かしく思うのかもしれません。

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鎌倉の猫

2014年10月08日 | 第2章 五感と体感
鎌倉の勉強会でお世話になっているお宅に猫が居付いています。
私は先月初めてお目もじし、昨日は初めて挨拶を交わしました。

名前はミーコ。でも、オスだそうです。

染付の美しい器にごはんを盛ってもらい、おやつの時間にはミルクまで頂き、すっかり家族の一員となっています。

そのお宅にはかつて犬がいましたが、ここ数年間、動物は不在状態。
何となく間が抜けたような感覚を私自身も感じながら訪問しておりました。

夏のある日、庭に置物のようにかしこまって座っていたそうです。ご主人は、あまりの礼儀正しさに、ついやられてしまったとのこと。
そこからミーコとの暮らしが始まったようです。

お家の家族が増え、ミーコとの会話も弾んでいます。
なんとなく華やぐ空気も感じます。

秋風に芒が揺れ、ワレモコウの咲く庭の向こうに江の島と富士山を望む丘の家では、今日も華やぐ会話が交わされているのかと思うと、私も幸せな気分となります。

来月はツワブキの黄色い花が咲きだす頃、ミーコと会話を交わすのを楽しみにしています。

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最悪のシミュレーション

2014年10月06日 | 第2章 五感と体感
フォーカシングのおさらい。

1.今、自分が不安に思っていることはいくつあるか?

2.いくつかある不安を一つだけ選び、思い浮べる。

3.一つだけ選んだ不安な事。それについての感情は、どんな感情?

4.それについての最悪のシミュレーションは?

5.それについての最高のシミュレーションは?

6.Acceptance 受け入れる、承諾、容認、折り合いをつける、、、

あれやこれやとわけのわからない不安感をこんなふうに整理してみると、何が不安なのかが見えてきます。

もしかしたら、不安な事は、
自分の問題なのか。
他者の問題なのか。
、の判別もついてないこともありそうです。

台風18号の影響で、本日の学校の保護者勉強会は中止です。
昨年も、方々の勉強会が中止になる経験をしたおかげで、年間予定に予備日を設定しておくことにしました。
特に学校での勉強会はカリキュラムに従っているので、一つの講座が抜けると影響が大きくなります。
後から日程を調整するには数回の打ち合わせが必要になります。
というわけで、今年度からは予備日を事前に設定しました。

最悪のシミュレーションをイメージするというのは、最悪の事をシミュレートすることで、自分を守ることをイメージし意識化することができます。

事前に、マニュアルを作ったり、覚悟したりすることで、見えないもやもやした不安感からは解放されます。
内容はそれぞれでしょうが。。。

万が一に備えることは、これから地球の環境を考えると、ほんとうに真面目に考えなくてはならないように思います。

自分の不安感を整理するために、まずは、自分がいくつの不安を抱えているかを意識化することから始まるのです。

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