五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

関係の仕方・「プロセススケール」

2010年11月30日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力「関係の仕方」(テキストP34)

第7ストランズ「関係の仕方」

昨日は
第6ストランズ「問題に関する関係」を書きました。

今日は、第7ストランズ「関係の仕方」です。

関係の仕方はどうでしょう?関係しなくてはならない人との関係は、どんなものでしょうか?

何らかの理由で避けているとか、自分が何故避けているか理由がわからないとか、何故、自分が関係を避けているのか?

開放的に関係を持ち、なんのストレスも感じない関係性になれば悩みはしません。

今日でプロセススケールが終わります。

1~7のストランズは、自分自身について、自分と他者との関係についての自分の状態を測るうえで、とても参考になります。

P136のプロセススケール表を眺めながら、今の状態がどんなものなのか見てみるだけでも、精神衛生がよくなるように思います。

参考までにプロセススケールのおさらい

1.感情と個人的意味づけ
2.体験過程
3.不一致
4.自己の伝達
5.体験の解釈
6.問題に対する関係
7.関係の仕方

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問題に関する関係・プロセススケール

2010年11月29日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第6ストランズ「問題に関する関係」

昨日は
第5ストランズ「体験の解釈」を書きました。

今日は、第6ストランズ「問題に関する関係」です。

自分が今、しなくてはならないこと、抱えている問題、悩み、それらと自分はどのように関わっているでしょうか?

問題を抱えているにも関わらず、それが認識されていなかったり、認識していても関わることを怖がっていたり、まるで遠い太鼓を聞いているような、そんな感じだったり・・・

問題と向き合い、その問題を受容しているでしょうか?

反省ばかりしていては何も進みませんが、向き合うべきもの、戦うべきものがずれているがゆえに、無駄なエネルギーを使っているように思っているとしたら、「問題に関する関係」を点検してみるのも良いかもしれません。

案外、問題は違うところにあったりして・・・

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体験の解釈「プロセススケール」

2010年11月28日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第5ストランズ「体験の解釈」

昨日は
第4ストランズ「自己の伝達」を書きました。

今日は、第5ストランズ「体験の解釈」です。

何かが起こった時、人は様々な解釈をします。
今、自分自身が体験していることの「解釈」について考えたことはあるでしょうか?

同じ体験をしているのに解釈が人ぞれぞれなのは何故でしょう?

同じ環境の中にいるのに、他人に八つ当たりしている人がいたり、深く感謝してる人がいたり、我慢したり、怖がっていたり・・・
体験する環境が同じ時、「ある傾向」を生み出すようですが、解釈はその人の「遺伝」「環境」「老化」+「免疫「分泌」「自律神経」から浮き上がってくるので、傾向はあっても、個人個人の解釈は見事に違います。

自分が今、体験していることから「怒りの感情」が湧いてきているとしたら、何故「怒る解釈」をしているのか、吟味してみると、自分の体験の解釈の状態が測れるように思います。

体験の解釈の状態は、自分の傾向にも繋がってきます。

どんな解釈をしやすいのか。。。
師走に入る直前の日曜日。いよいよクリスマスシーズン、年の瀬です。現実吟味しながら落ち着いて過ごしたいものです。

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自己の伝達・「プロセススケール」

2010年11月27日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第4ストランズ「自己の伝達」

昨日は
第3ストランズ「不一致」を書きました。

今日は、第4ストランズ「自己の伝達」です。

言いたい人に言いたい事を言えていますか?

自己主張を言葉でできていますか?

「自分は言えていないなぁ~」ということに気付いていない場合もあるようです。
自己の伝達ができていないことで、相手と解り合えていないこともあるでしょう。
でも、話しても通じない、聞いてくれない、相手を心配させる、怒らせる等と思っているうちに、いつのまにか伝達できないようになっていたり、伝達を諦めたりしていることもあります。

言いたい事を恐れるのは何故でしょうか?

誰か一人でもよいのです。否定も肯定もせずにひたすら聴いてくれる友達の存在は大事な宝物です。


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不一致・「プロセススケール」

2010年11月26日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第3ストランズ「不一致」

昨日は
第2ストランズ「体験過程」を書きました。

今日は、第3ストランズ「不一致」です。
心の奥底にある本音が自分の「意識と言葉」と一致しているでしょうか?

なんとなくもやもやとそうであるようなないような感じだとしたら、不一致を意識化できるかもしれません。

本音と建前を、自分が意識化し受容したうえで上手に使いこなしている人を見ていると「ああ、器用な人だなぁ~大人だなぁ」と思ったりします。

言いたい事を言えず、やりたい事が出来ず、感情だけがムラムラと湧きあがってくることは日常茶飯事です。
そんな状態の時に「あ、今、私は不一致の状態だ」と意識化できるでしょうか?

もし、意識化できたら、それだけで、自分がいま感じている不安感の意味が読み取れるはずです。
不一致である自分を意識化してみるだけで、抑制し滞ったた感情が流れていくこともあるようです。

自分の不一致に気付かずに八つ当たりしている人がいたとしたら、その人の理想と現実のギャップを観察してみるのもよいかもしれません。
自分自身が泣き寝入りしないためには、自分の「不一致」を観察してみるところから始めてみると、次の扉が見えてくるかも・・・

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体験過程 「プロセススケール」

2010年11月25日 | 悔いのない人生とは?
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第2ストランズ「体験過程」

昨日は
第1ストランズ「感情と個人的意味づけ」を書きました。

今日は、第2ストランズ「体験過程」です

「今、自分が体験していることをそのまま受け容れているでしょうか?」
この問いかけを「当たり前だよね!」と云える人は、とてもとても幸せかもしれません。

もし、この問いかけに「・・・・?」となった場合、それは、お恵みが天からやってきたと考えてもよいかもしれません。

果たして、いま自分が真実だと思って体験していることは、真実なのでしょうか?

先日、親戚の友人がオレオレ詐欺の被害に遭いました。

「あなた、今、オレオレ詐欺に遭ってるのよ!」と一所懸命説得しても本人は、体験していることがそれだとは解釈できていなかったそうです。結局、高額を引き落とされてしまいました。

自分が体験していることを「私自身」が感じ取っているでしょうか?

オレオレ詐欺の話を聞き、自分の現実吟味力における「体験過程」について、私自身の過度な思い込みや自信について、検証し直してみよう、と思いました。

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湧いてくる感情には意味がある・プロセススケール

2010年11月24日 | 悔いのない人生とは?
現実吟味力「心を健全にする目のつけどころ」(テキストP34)

第1ストランズ「感情と個人的意味づけ」

湧きだす感情には必ず意味があります。
嫌な感情が湧きだす場合、その感情をコントロールしようとするのではなく、その前に「この感情の意味はなに?」と自分に問いかけることができれば、自分の感情を意識化している証拠かもしれません。

・建前と本音が上手に使い分けられたら、なんの苦労もしません。でも、簡単にできるものではないようです。
本当は嫌で嫌でしょうがないのに、本当は悲しいのに、本音を意識的に抑えているとは別に、そのことを意識化していないこともあるのです。

・でも、感情だけが露呈してくる、ということもあるようです。その露呈する感情の意味を見ずに、同じ苦しみを繰り返すこともあるようです。

・もしかしたら、何の感情も湧かないくらい何かを抑え込んでいるかもしれません。

「私」の今ここでの感情がどんなもので、それはどこから湧き出しているのでしょう。

湧きだす感情には必ず、意味があるのですから。

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自分に現実吟味力があるか?

2010年11月23日 | 第2章 五感と体感
自分は、現在体験している現実を受け容れ、それについて考察する力があるだろうか?

「私は私である」ことから成る「私」は、「私の目や耳」を通して入る情報を「私」というフィルターを通して「私の心」を動かしています。

地球の人口69億人の見え方考え方があることを受容しているか否かで、「私」の日々の生活は随分違ってくるように思います。

地球に起こる色々な現象を「人間」は、自分のリアリティである現実として解釈していきます。

果たして、自分は、現実吟味力が健全なのだろうか?

明日からその現実吟味力をプロセススケールを使って考えていこうと思います。

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考え方を考える

2010年11月22日 | 第2章 五感と体感


☆自分が死んだらどうなる?

☆自分はどのような思いで死んでいくのだろう?

☆私は何のために生きているのか?

☆何が生き甲斐なのか?

☆そして、心と体と魂を大切にしながら私は生きているだろうか?

形として見えないことをどのように思索していけばよいのでしょう?

「死ぬということはどういうことなのか?」「自分はなんで生きているのか?」「生きるとは何か?」

どんなに大事に育てられても、どんなに文明が発達しても、人の心には普遍的なテーマが宿っています。

昔は道徳という授業がありました。私が小学生の時は、全共闘真っ盛りの時代で、団塊世代の熱血先生が教鞭をとって若さを発揮していました。そのせいか、生徒達によく議論をさせました。昭和30年代生まれの人は、なんとなく思索好きな傾向があるように思います。
時代性は、「どのように考え方をまとめていくか」という傾向からも見えてくるように思います。
議論好きだけれど、それがまとめられず、グルグルと回っていく傾向。。。というと、フンフン、、、と頷く方が多いかもしれません。

昨日、東大でおこなわれたハーバード大学の教授の講義を再放送で見ました。

哲学者の柱(定義)を三つ立てた上(アリストテレスとプラトンとカント)で、道徳をテーマにディベート。ファシリテーターの教授は、学生に考えさせる能力を最大に発揮させていきます。

三つの考え方を支柱にし、そこからぶれずにディベート展開していく教授の整合性に惹きこまれました。ぶれないと同時に視野は無限です。

考える力を養うには、「はい、考えましょう」だけでは、実りが少ない事を痛感しました。

思索は、人に与えられた永遠のテーマなのだと思います。

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やまとびと

2010年11月21日 | 第2章 五感と体感
多摩川べりにある古墳のひとつは、五島美術館の敷地内にあります。多摩川を下に望み、ビルの無ければ富士山の姿を愉しむことができるはずなのですが、それでも風情を残し、ほどよく整備された山の斜面に茶室がいくつか点在しています。

どんな豪族の古墳かは解りませんが、ここに眠る魂はなんと幸せなこと、としみじみ思いながら敷地を散策してきました。

今、開催されている源氏物語絵巻展は、そのような環境の中で開催されています。

長方形のそれほど大きくない展示室を廻るように収められた絵巻物をじっくりと堪能するには少々混んでいましたが、観覧者はため息なんぞを搗きながら、それぞれに観入っておられました。

グループで来られる方の会話は、文化人類学的にとても面白く、絵巻を眺めながら耳を働かせると、とても興味深いことに気付きました。
それは、ほとんどの方が「源氏物語を読んでいない」のです。
草書を自在に操ることが出来る人や絵巻の隅々まで語ることのできる人はそうそういらっしゃらないとは思いますが、物語を読んでおらず、源氏物語のイメージに引き寄せられていらしている方の率のほうが高いようなのです。

やまとびと「大和人」の好奇心は、日本人としてのアイデンティティと言えるかもしれません。
奈良時代、海を越えてやってきた渡来人との交流、新しいもの、美しいものを見て、それを自分の中に摂取していく
能力は大和人の資質なのだと思います。

茶の湯の世界は、「○○好み」という言葉があります。「写し」という概念も肯定的な意味で継承されていきます。

そのようなことを思うと奈良遷都千三百年の現在、今生きている私たちが体内に宿らせている能力は如何程のものか、もしかしたら、潜在している能力のほうがはるかに多いのかもしれません。

他者の「好み」を受け容れ、それを「写し」ていくことが、美を静々と受け継いでいく大和人の細やかさを個性として体系付けてきたように思えてなりません。

やまとびとは、今に生きている、と思った源氏物語絵巻展でありました。

十一月二十八日まで開催です。
庭の散策を是非お薦めいたします。

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一人一人を大切にする精神

2010年11月19日 | 第2章 五感と体感
森をみる立場の人

木をみる立場の人

バランス良く観ることも大事なことですが、場合によっては、自分がどの立場に居るのが相応しいのか吟味し、その立場を押し通す必要のあることも大事なようです。

「しっかりと森を見据えている人が居るのであれば、私は木を観ることに専念しよう」

「木ばかり観ていて、重箱の隅を突っついてばかりの集団の中に居たとしたら、私は全体を観てみよう」
、そんな具合です。

どこを観るのかを自分の立場で変えてみる柔軟性は、集団の中では必要なことだと思います。
人の感情に振り回されて、あっちを立てればこっちが立たず、ということを言っているのではありません。
自分は、どの方向性で行くか?という道筋に自信を持つ、ということです。

そのためには、自己受容という条件が必要です。同時に他者受容という条件も必要になってきます。
一人一人の個性を大切にする、ということは、一人一人の道筋を受容することから始まるように思うのです。

日本人は「和を以て尊し」を大切にする傾向があります。
個人主義を叫んでも、叫んでいる本人が「和」を意識しているケースにたびたび出合います。

「和」とは、なんぞや。。。と、思いつつ、私たちのDNAを肯定的に捉えながらも、自分の道筋に自信を以て臨んでほしい、と願う今日この頃です。

「一人一人の個性を大切に」というお決まりの標語は「自分を大切に」に置き換えてみたほうが解りやすいかもしれません。言っていることは同じなのです。

「私は私」なのですから・・・

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私の感情

2010年11月18日 | 第2章 五感と体感
湧きだす感情を意識化することは、どうも訓練が必要なようです。

勉強し始めの頃は、自分の感情を捉えるのに苦労しました。未だに苦労していますが・・・
でも、「湧き出す感情に意味がある」ことは、理解できるようになりました。

カウンセリングという「あなた」と「私」の関係において、「私」という一人の個性が「あなた」の話を聴くとき、
とても大事なことが一つあります。

その大事なこととは、
「私があなたの話を聴いているということを意識する」ことです。

真っ白になって、空気のように、人の話を聴くことは不可能です。

私の感情があなたの感情を聴いているわけですから、聴いている私の感情を私自身が捉えられていなければ、あなたの話に取り込まれていき、しまいには「私の感情なのか、あなたの感情なのか解らなくなっていく」現象に陥ってしまいます。

他人のことより、まずは、自分のことを知ろうとすることから始めることが必要なのです。

学びは知恵を育むと同時に、自分を浄化し、受容していくことにも繋がるようです。

「今、ここでの私の感情」を意識化しながら、今日も一日健やかに過ごしたいものです。

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湧きあがる感情

2010年11月17日 | 第2章 五感と体感
昨日の続きです。

自分は、森を観ているのか、木を観ているのか?

自分はいつも森から先に観る傾向があるのか、木から観ていく傾向があるのか?

自分の観方の傾向は、湧きあがる感情の傾向にも似ているように思います。

ある現象に対して、パターンとして湧き上がる感情がきっとあるはずです。

湧きあがる感情には意味があります。

はてさて、なぜ森が先に目に飛び込んでくるのか?木が先に目に飛び込んでくるのか?

自分の傾向を、ちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。

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木か森か

2010年11月16日 | 悔いのない人生とは?
私は今、木を観ているのだろうか?

私は今、森を観ているのだろうか?

それとも、森のある環境を観ているのだろうか?

もしくは、枝葉のひとつを観ているのだろうか?

整えられた環境に森があり、森は一本一本の木から成っています。

人との関わりの中で、自分はどの視点で森を観ているのかを検証しておくと、自分の感情も整理されていくように思います。

湧きあがる感情が観ているのは「自己のリアリティ」です。

自己のリアリティが意識化出来ているとしたら、そこから湧きあがる感情を意識化してみると「今ここで」の自分に出合うはずです。

自分は「木」が観えていても、隣の人には「森」が観えているかもしれません。
お向かいの人は「一本の枝のみ」を観ているかも・・・

私は私です。

今日は、2010年、四ツ谷のカリキュラム最終日です。一年間お疲れ様でした。

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熊本の小さな馬肉屋さん

2010年11月15日 | 第2章 五感と体感
フランスに40年以上住んでいる友人から頼まれた物は「馬油」。
しかも、熊本の○○馬肉店が作っているものが欲しいと言ってきました。

週末、そのお店に何度も電話をかけたのですが、留守電になっていて確認のしようがありません。恐る恐るFAXをしてみました。
すると、日曜の朝に、馬肉屋さんから電話がかかってきたのです。

熊本弁のおじさんの声を聞いた途端、友人が親しみを持って指定してくる理由が解りました。

「一人でお店をやっていて、朝から馬肉を仕入れ、店は3畳の広さしかなく、そこで肉をさばき、ばあちゃんに電話番任せると電話をこわしちゃいそうだし、儲け関係なく馬油を店先に500円で置くようになったら、そのうちインターネットで全国に知れ渡るようになっちゃって、でも人を雇うお金もないし、店先に缶を置いて500円入れてもらってるんだよ、、、」とおっしゃいます。
しかも、「14年前から馬油をそんなふうにして売ってるんだけど、一度も物とお金が合わなかったことがないんだよ」と。

温もりある熊本弁のおじさんのお喋りに、欲のない優しさと勤勉が見えてきました。そして、「生きて半畳、死んで一畳」を思い出し、「仕事、3畳かな、と」納得したのです。

「侘び・寂び」は、贅沢な茶室を考案する崇高な精神だけから来るものではなく、田舎の小さなお店で粛々と今日も働いているおじさんから「身の丈の哲学」として聞こえてきました。

「馬の油に手を突っ込んでると、手がべとべとで電話にも出れないんだよ。留守電に入れといてくれたら必ず後から電話かけるから…」

物に埋まった生活の中、更に何かが欲しいと願う自分の生活に、何か不満めいたものを感じていた私は、馬肉屋のおじさんのシンプルライフに心を打たれました。

本の整理に時間がかかっている私自身の「要る」「要らない」のスケールはまだまだ甘いかもしれません。

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