五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

玉虫色作戦

2009年05月31日 | 第2章 五感と体感
何事も、ハマってしまうとまっしぐらになる私です。

今まで「夢中」になったものがいくつかあります。

音楽とか美術とか、それに限って考えると、自分でも錯乱しているのかと思うくらい、いろいろなジャンルに手を付けてきました。

そんな経過で生きている私が、今、足を突っ込んでいるのが「能」です。

まだ始めたばかりなので、「謡」の稽古をつけていただいています。
「能」は、今の自分の表現方法としては、ぴたりとくるものです。
声の出し方、精神性、表現、歴史、理論、どれもがここ10年の私の生活と密着しているように思うのです。仕事の合間の稽古しか叶いませんが、これから先の私の修行のひとつであることは間違いなし。

ところがです。

昨日、友人に誘われ、西本智美さん指揮のコンサートを聴く機会に恵まれました。
そのうえ、夜には、お世話になった?なっている?音楽教室のお仲間と歓談。
まる一日、頭の中は、オーケストラやら声楽、ピアノの音色に支配されたおかげで感情を湧き立たせ、細胞が躍っている爽快さを体感しました。

私の中にある「好き」「嫌い」は、とても単純です。
私が心地よいか、悪いか、ただそれだけの判断基準です。

でも、好みのジャンルは、玉虫色作戦でこのまんま行きます。

能楽にクラシックに、民族音楽、ロックにJPOP、ジャズ、声明に賛美歌、雅楽にコーラン・・・
音の出るものは、何でも興味の対象です。
好き旋律、好きな音色を求めて、今日も過ごします。

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空海

2009年05月30日 | 第2章 五感と体感
このたび、めでたく天台宗と真言宗が和解?するそうです。
高野山の行事に天台宗のお坊様が招かれたそうです。

最澄さんと空海さんは、強烈な個性の持ち主であり、あらゆる能力を兼ね備え、努力を惜しまなかった方々だと認識しています。

そんなニュースを聞いてすぐに、テレビで高野山を歩く書家の番組が放映されました。

空海の書。一度だけ、石和にある拓本公園で拓本を取らせていただいたことがあります。
あらゆるものを呑み込み、咀嚼したものを一気に解き放たせたような柔らかい書に感動した記憶が蘇りました。

心と体と技が一つとなると、絞められたものが緩み、そこから大きな宇宙が表れるような、そんな感じなんだろうな~、と思ったりします。
そこまで極めた経験がないので、私の勝手な想像です。

1200年以上経った今、この時代に生きている自分が経験する和解は、1200年前に願った人たちの魂の連鎖によるものかもしれません。

だから、また思います。

何度も書いちゃいますが、ガンジスの河の砂のひとつぶひとつぶに意味があります。ひとりひとりが生を受け、時代を引き継いでいくことは、時代を変容させていくことにも繋がるのです。砂のひとつぶは、宇宙のたいせつなひとつぶです。

生きていることに、意味はあります。


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何でこうなっちゃうの

2009年05月29日 | 第1章 意識と知覚
何で自分はイライラしているんだろう?
何で自分は自分でも言いたくないことをついつい言ってしまうんだろう?
自分では、良かれと思っていても、相手は何でイヤな顔するんだろう?

「何で?」
と自分が思った時は、「恵みの思いが天から降りてきた♡」と思ったほうが良いかもしれません。

自分の言動、行動、解釈は、自分という中に取り込まれているので、ほとんど無意識に自分という存在を表しています。

だから、「何で、私はこうなっちゃうんだろう?」という意識化は、自己の概念や解釈を考察、吟味し、必要あらば変えていく素晴らしいきっかけなのです。

子供の頃、思春期の頃は、「何で?」という思いは、私の中に常に付きまとっていました。何で?という思いは、歳を重ねるごとに段々と少なくなっていく傾向にあることは当然だとも思います。

意識の下で我慢しているもの、諦めているものが、「何で?」と言わせない、ということもあり得るような気がします。

「何で?」を「ま、いいか!」で放置せず、「何でこうなっちゃうの?」から見えてくる自分のストレスを意識に上げてみるのもたまにはよいのでは?

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気づくこと

2009年05月28日 | 第1章 意識と知覚
カウンセリングの学びを始めて10年。

勉強仲間の中には、発足当時から続けている方も少なくありません。
通信講座ができてから22年。
大勢の方が、この学びに出合いました。でも、途中でやめた方のほうがはるかに多いのです。
どの分野でも同じことが云えます。
100人の人が居たとしたら、その中でやり続ける意思を持つ持つ人は、5人居たら良いほうかもしれません。

カウンセリングの学びは、決して楽チンなものではありません。

4月から、本格的にエンカウンターに参加しています。
エンカウンターとは、自己開示という意味です。

自己との出会い。
カウンセリングという学びを始めて初めて、エンカウンターという機会を得たことに感謝を感じています。

やみくもに参加し、メンバーに恵まれないために辛い思いをする人も居ます。同時に参加者自身が、エンカウンターの意味を履き違えて、自分で自分の首を絞めることもよくあります。
またまた、世話人が、とんでもない人であると、もう最悪です。

心の防衛機制は、自分自身の経験から生まれてくるものです。

理論で分かることと、体得することは別だとしみじみ思います。

知識を得ることで1分で解決することもあれば、一生かけて解決したいと望むものもあります。中には、解決なんかせずに自分の内にある壺に封印したいものもあります。

10年という学びは、決して長い期間ではありません。私は、まだまだあと10年以上生きたいと思っているからです。
私が生涯を通して学び続けることがカウンセリングの学びであるということに、喜びを感じるようになりました。

共に学び合うお仲間とともに、個々に向き合う時間を大切にしていきたいと思います。

私たちは、「時」という流れの中で生きています。

流れの中で生きながらも、自分は自分です。

「自己というフィルターを通して見ている世間」を自己分析していくことは大切な修行です。

自己と向き合うことを意識し始めると、他者が見え始めます。

息が絶えるまで、「自分」と付き合っていきたいものです。

最良の見方であり、最高の友であり、最低の友でもあり、最悪の敵である「自分」との関わりを気楽に気楽にのんびりと。。。

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暮らし方

2009年05月25日 | 第2章 五感と体感
大原に暮らすイギリス人女性の番組をここ数か月毎週楽しみにしています。

日本人の御主人は大工さん。彼女は英語学校の校長。

古い日本家屋を手直ししながら丁寧に暮らしています。

今、不況という荒波が襲っています。なんとなく、働く人の姿に焦りとガサツさを感じます。強引な電話勧誘も増えてきました。みんなが大変なんだから、無礼講でいいじゃん!と云わんばかりの言葉遣いです。

大原での丁寧な暮らしぶりをみていると、「私にはなにが必要?」と、改めて問いている自分がいます。
土を耕し、種を植え、古布をミシンにかけ、四季の変化とともに緩やかに暮らす日々。

やりたいことから見えてくるものを優先にして暮らしたいと願うと、私の中に資本主義的な構造が見えてきません。

「働く」という意味をもう一度考え直したいと、思う今日この頃です。

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夏の庭

2009年05月24日 | 第2章 五感と体感
ひまわりの種を植えました。

友人から頂いた意味のある種です。

忙しく暮らしていたら、すっかり種を植えるのを忘れていました。

カレンダーを見ると、庭いじりができるのは本日のみ。

よーし、やるか。

プランターに土を入れ、北海道の北竜町のひまわりの種を一つ一つ丁寧に植えました。

ついでに、冬に咲いていたビオラやノースポールは取り除き、萩の一番枝を切り、
紅葉の枝を整えました。

梅雨前の週末。

夏の庭になりつつあります。

紫陽花のつぼみと沙羅双樹のつぼみも、花咲く季節はもうすぐです。

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グレートマザー

2009年05月24日 | 第3章 無意識の世界
「母親は、時として、宇宙をも飲み込む。」

最近、思うことです。


おぎゃぁ~、と生まれた赤ちゃん。
目の前にいる人がミルクを与えてくれ、おむつをかえてくれます。
お腹が空くと泣きます。おむつが濡れると泣きます。
泣くと、その人が満たしてくれる。

生まれたときから、人は学習していきます。

学習している子供にとって、母親は、地球よりも広い存在です。

でも、もしかしたら、母親という宇宙に飲み込まれているかもしれません。

野原にお花が咲き乱れているのに、真っ暗闇しか見えなかったり、もっと他の見方があるのに、お母さんの言葉が自分の意思になっていると思いこんでいたり・・・

せめて、

だから、せめて、子供の前では、暗い暗い解釈を言い続けることは避けたいものです。

子供は、お母さんがすべてだから。。。

グレートマザー。

ユングさんは、すごい言葉を思いついたものです。。。

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傾聴

2009年05月24日 | 第2章 五感と体感
否定も肯定もせず人の話を聴くことに、どんな意味があるのでしょう?

そうはいっても、感情を消した聴き方では、喋りたい気持ちも失せてしまいます。
かといって、感情をあらわにした聴き方でも、白けて喋る気持にはなりません。

傾聴

しみじみと難しい。。。と思います。

人の発する言葉から、その人の持つ個性の美しさを見出した時、やわらかな感情移入を感じる時があります。聴き手の自分が、その感情移入という状態に気づいたとき、同時に人との信頼関係に拍車がかかります。

不安感がいっぱいの人のほうが、私より何倍も感じる力を持っています。

だからこそ、聴く立場の人の純粋と一致が必要となってくるのだと思っています。

自分の親、
自分の子供、
自分の友達、
同僚、
先輩、
先生、、、、、、

心の内に広がる感情の曼陀羅には上下関係はありません。

人は、不安でいっぱいだからこそ、喜怒哀楽で心が大きく揺れるのです。

心の襞は、個性の美です。その個性の美しさを傾聴することができれば、人と人との関係は、きっといい方向に流れていくのではないでしょうか・・・

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できることを語る

2009年05月20日 | 第2章 五感と体感
できない理由を並べたてるよりも、

どんなに小さなことでもできることを語る。
やっていることを語る。

早起きして、お花に水をあげた。とか、、、

感謝の言葉を伝えた、とか、、、

小さな小さな「できること」の積み重ねは、幸福感に繋がります


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糺の森

2009年05月19日 | 第2章 五感と体感
下賀茂神社の糺の森を歩いてきました。

出かけたついでなので、上賀茂神社も参拝し、その奥に見える神山(こうやま)を眺めてきました。葵祭で神様をお迎えしているいまこの時に、伺えたことは幸運でした。神様をお迎えする行事はありますが、お送りする行事はないそうです。
どうも、神様は私たちの知らないうちにお帰りになるようです。

下賀茂神社の糺の森。
源氏物語で光源氏が須磨に流される前に、夕方、牛車を止めて、父の墓陵のある下賀茂神社の糺の森の暗がりを見つめるのです。
やるせない罪悪感と懺悔、そして、父を偲ぶ寂しさ、悲しさがこみ上げてくる光源氏の想いの内が、読み手にひしひしと伝わってくるのです。

悲しくて、とても美しい。
背中のまん中が、寒々とするくらい、寂しさと侘びしさを感じます。

平安の頃から変わらないこの森も、現代の手が入り、整備されてはいますが、生い茂る木々の葉を眺める古の人と同じように歩いてきました。
森の息吹を感じるということは、魂との対話と同じことです。

人は、自由に考えることのできる意思を神様から頂きました。今更ながら、すごいことだと思うのです。

自分の呼吸とともに入ってくるもの、出てくるもの、精神と自然を一体とする精神性は、日本人の無意識を司るアイデンティティなのでしょう。

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源氏物語~その八

2009年05月18日 | 第2章 五感と体感
二泊三日の勉強会が無事終わりました。

今回のお題は、源氏物語。

光源氏中心に登場人物の成育史を絡み合わせながら、あらすじを語り、そこから見えてくる自分の感情の曼陀羅を語り合うことから始まりました。

千年前の物語ですが、物語の内容は、現代に生きる私たちと何の変わりもありません。かえって、千年前という時間の隔たりが、私たちの防衛機制を緩くしてくれる現象もみられます。

二泊三日という長い時間を使い、しかも、ゆったりとした環境に身を置きながら、じっくりと自己とを向き合う経験は、なかなか得られるものでありません。

参加者の皆さんそれぞれが、「否定も肯定もせず」に徹することで、湧き出す感情が豊かさを増します。今まで見えてこなかった自己の傾向に改めて気付く場合もあります。そこから生まれる自己の浄化作用は、経験してみて初めて体感できるものかもしれません。

カウンセリングの勉強は、任意の資格を頂いて終わりではありません。
勉強仲間とともに頂くごはんと楽しい会話は、私の宝物です。

「生き甲斐の心理学(ブログ)」の世話人である先生、お疲れ様でした。
同時に感謝申し上げます。

源氏物語、このセッションは、また機会を作りたい、と思いました。
展開が、とってもとっても楽しかったです。

次回7月に行われる二泊三日の勉強会でお会いしましょう

会場を提供し、お世話してくださる皆様、いつもありがとうございます。秋も宜しくお願い致します。

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源氏物語~その七

2009年05月15日 | 第2章 五感と体感
源氏物語を読んでいると、時間の観念がよく分からなくなることがあります。

平安の貴族は、朝食が朝10時、夕食が午後16時頃、と何かの本に書いてありました。

ということは、職務に就く時間というのは、だいたいその食事の間ということでしょうか?

それからプライベートな時間を持つことができたとしたら、遠出はできる、ということです。

京都の街も狭いとはいいながらも歩いてみると、結構広さを感じます。

牛車の速度は一体時速どのくらいだったのでしょう。。。
馬を走らせて移動するということは特別だったようです。

物語に登場する三千院あたりの小野の里や、六条の御息所が滞在した嵯峨野の野宮、そういえば、明石の君も嵯峨野でした。病にかかった光源氏が祈祷のために行った鞍馬。そこで紫の上と出会います。ほんとうに山深いところです。

光源氏無き後の宇治十帖は、愛しい人を想って馬を出す匂いの君に、物語で初めて、現代の時間感覚に似たようなものを感じます。

牛車の速度と24時間。

馬を走らせる24時間。

新幹線で移動し、飛行機で移動する私たちの24時間。

24時間という一日のくくりをどんな感情で過ごすかは、どんな行動をしたかよりも、大切なことかもしれません。

いろいろと考えさせられる源氏物語。

これからも一層、深みにはまることを予想し、勉強会を楽しみます。

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源氏物語~その六

2009年05月14日 | 第2章 五感と体感
去年から能を始め、「謡」を口伝で習っています。
その中で謡われる言葉の美しさに、自然と涙が出てくることがあります。

現代文に慣れている私は、古文の展開の早さに驚きつつ、実際に音読をしてみると、決して展開が早いというわけではないことに気付くのです。

謡いの速度は緩やかです。その抑揚の中から、情景がイメージでき、感情が顕わに表れます。
たぶん、筆で書く文字と同じくらいの速度かもしれません。
書く速度と音読の速度が同じくらいだから、読むよりも音読することで五感に響いてくるのだと思います。

去年は源氏物語千年とあって、俳優やアナウンサーが源氏物語を朗読する会が多かったようです。私も白石加代子さんの宇治十帖を聴きに行きました。

身体に響く声の音が、体感に響き渡る時ほど美しく感じるものはありません。

筆で書く文字と、自分の大脳のイメージ。その湧き出す速度が重なった時に起こる心地よさは、初めての体験です。
カナ文字の成立と、五感の表現は、きっと共に歩んだに違いない。。。と千年前の日本人をうらやましく思います。

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源氏物語~その五

2009年05月13日 | 第1章 意識と知覚
源氏物語に登場する人物は、男女問わず、性格が明確に記されています。
実際、小説に性格の説明があるというわけではありません。物語を通して、登場人物の成育史から読み取れる人柄を読者が感じることができるのです。

読み手は、その人柄を勝手に解釈し、好きとか嫌いとか、思いながら読み進めていくわけです。

ドラマチックな物語も良いのですが、さりげなく優しい女性が花散里です。
彼女が物語に登場すると、読んでいる私も小休止できます。
紫式部も、そんな小休止、というコンセプトで花散里を描いたのかどうかはわかりませんが、光源氏も、仕事に恋に疲れると花散里を訪ねます。
花散里自身も、実姉の様子を垣間見ながら、安定を求めて生活することを望みます。

登場人物は、ほんとうに私の前にいるかのように、描かれています。

人物設定がとてもリアルで一人の人間として統合されているのです。

私にとって、そこが、源氏物語の面白いところであり、引きこまれていく理由でもあります。

さて、宝塚の勉強会まであと少しです。もうちょっと源氏物語について書けるかな?
今回の勉強会は、そんなことをつらつら思いながら、「エリクソンの人格形成の発達について」と重ね合わせていくと、ますます面白さが増すかな?と思っています。
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ムーミン展

2009年05月12日 | 悔いのない人生とは?
東京の大丸デパートでムーミン展が行われています。

小学生の頃、ムーミン谷の連作にはまりにはまり、ムーミンとロールの世界観にどっぷり浸かった記憶が鮮明に蘇ってきました。

小学4、5年生のころだと思います。比較的図書館に本がたくさんある学校でした。担任の先生が、自分の目標を達成させる工夫をしてくださり、自主学習の評価を東海道53次の宿場町で表してくれました。学習の努力により、宿場町をひとつひとつ進んでいくのです。とっても頑張ると2,3、宿場町を飛ばしてくれちゃいます。
読書に関しても、なんだかんだと目標を設定され、読書好きの私は図書室の本を手当たり次第に読んでいました。

そんな頃に読んだムーミン谷です。

高度成長期。工場の煙突からは、モクモクと有害物質が排出され、物が溢れだし、豊かな時代に移行しつつある1970年~72年頃。
皆、働くことに一所懸命の時代です。

そんな時代を過ごす私には、ムーミン谷の穏やかさは、人の本質を蘇らせるものだったのかもしれません。
居心地良い家。人。持ち物。生活。季節。。。

ゆったりとした生活。追いかけられることのない安定感。
必要なものだけ必要とし、それ以外はいらない。

精神も、行動も、持ち物も、、、

大人になり、必要なものをたくさん持ちすぎ、気づくと、両手にいっぱいの荷物を持っている。。。。どれも必要で、どれも捨てられない・・・

無性に物語を一気に読みたくなりました。

あのころ、何を考えながら読んでいたんだろう?

30年以上たった今、ムーミンを読むことで小学生の自分に出会うような気がします。






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