希望を持ちながら、自分の進む道を「あたりまえのように」進んでいくことが出来ている人は幸せです。
やるべきことを「当たり前のことよね!」と、言える日々を送ることが何故できないのでしょう?
「かったるいから…」「めんどくさい…」「だるぅ~~」
…それも解ります。いつも先延ばしにして、ギリギリになって「しまった!」と思うのは、私自身、日常茶飯事です。
でも、言いわけしながらも「希望」という矛先は自分の中にいつもあるようです。
よほどの出来事が無い限り、ブラックホールに落ちていくことは自分にはないと思っています。
なぜ、私はそのように言い切れるのでしょうか?
思春期における、家庭環境は確かに自分に不統合をもたらしましたが、振り子のように動く感情の中で、それなりに自分の嗜好を確立していったことは確かです。
エリクソンの発達心理学から自分を見てみると、0歳から2歳までに形成されていくという「希望」は、ちゃんと自分の体と心に体得されているようです。
0歳から2歳までに育まれる「希望」。
お母さんが、自分の子供に頬ずりをし、おむつを取り替え、「可愛い可愛い」と慈しみ愛しながら子育てすることが、「基本的信頼」を形成していくそうです。
「うるせーーー」と言いつつも、言われつつも、その母子関係をじっくり思い返してみると、「希望」「不信感」という「基本的な信頼感」が自分にはどうなのか見えてくるようです。
案外、大切なことは揺らいではいないかもしれません。
でも、それが形成されず、苦しんでいる人が存在していることは忘れてはいけません。
エリクソンの8つの人格形成について「テキスト生き甲斐の心理学P139参照」
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