五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

年の瀬の街

2007年12月30日 | 第9章 愛
東京の高円寺は、私の母の実家がある街です。
祖母が生きている頃は、毎年年末、私が一足先に泊まりに行き、祖父母と過ごしました。その頃茅ケ崎に住んでいたので、一人で東海道線に乗り、東京駅で中央線に乗り換え、お茶の水、新宿を通り過ぎ、高円寺へ。
初めて一人で行ったのは、小学二年生の時。
いつもは買ってもらえない少女マンガを買ってもらい、電車で二時間ほどの旅。
「ベルサイユの薔薇」だとか、「エースをねらえ」、萩尾望都の「ポーの一族」、少女マンガ全盛の時代。

もともと放浪癖のある子供だった私は、祖母の家に向かう一人旅を毎回心待ちにしていました。

高円寺北口商店街には、ごちゃごちゃとお店が建ち並び、その路をウィンドーショッピングしながら歩いて行くと早稲田通りにぶつかります。その手前の路地を曲がりしばらく歩くと祖父母の家があります。
子供の足で、15分くらいでしょうか。
昔の商店街は風情がありました。八百屋のおじさんや魚屋さんの活気ある大きな声、天井からぶら下がったかごに、お金が入っていて、お釣りがそこから出てきます。
ハエ取り紙がぶら下がり、黄色いテープに虫がくっ付いています。

何といっても楽しかったお店は、「ねじめ」。ねじめ正一さんのお父様のお店です。売っている品は民芸品というか、今でいう和風のセレクトショップとでもいうのでしょうか。
ともかく、お店の雰囲気が楽しくて、楽しくて・・・商品を手に取り、眺めながら、たった一つのものを選ぶのに、ずいぶん長い時間を費やしました。

暮れになると、あの頃の商店街を思い出します。

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桑田圭祐さんのライブ

2007年12月28日 | 第2章 五感と体感
高校生の息子はなぜか、桑田圭祐さんのファンです。

勝手にシンドバットが流行ったのは私が高校生の頃。
同じ茅ヶ崎出身ということで、親しみははありますが、はまったことはありません。なぜだか、この数年、ひたすら桑田さんを聴いている息子につられて、ファンクラブの冊子やら、コマーシャルやら、まるで桑田さんと親戚のような気分で毎日桑田話題満載です。

一昨年まで続いていた年末ライブ、昨年はしませんでしたが、今年はサザンオールスターズではなく、桑田さんの単独ライブ。
ファンクラブに入ったものの、チケット入手は困難。。。
天の助けか縁があり、とうとう本日、初コンサート体験。

新横浜の横浜アリーナは、我が家にも近く、先ほど帰宅しました。
「あーーー、もーーー、ヤバイ!!!」と言いながら、自宅のドアを開け、早速CDをかけ、おうどんをすすりながら、聴きはじめ、私も実況生中継というわけでブログにしたためることにしました。

確かに、聴くほどに、詩がいい。

高校生の頃、私はロックからジャズに目覚め、よく桜木町のダウンビートとかちぐさに足を運びました。今から考えるとオヤジのような高校生だったかもしれません・・・。
だから、感覚的にいうとジャンルは違っても、息子が桑田圭祐のファンということは、私がたどってきた音楽遍歴のパターンと似通っているのかな?
だいたい私の世代が桑田ファンというのならわかりますが、やっぱり、オヤジのような高校生、ということでしょうか、、。

今も、私の隣で、本日桑田さんが歌った曲を復習しています。

本日の曲目・順不同
1.波乗りジョニー 2.白い恋人たち 3.月 4.悲しい気持ち 5.BLUE 6. 真夜中のダンディー7.可愛いミーナ8.Merry Xmas in Summer 9.BAN BAN BAN 10.スキップドビート 11. ONE DAY 12.いつかどこかで 13.遠い街角14.祭りのあと 15.ロックンロールヒーロー 16.地下室のメロディー 17.東京ジプシーローズ 18.ダーリン 19.風の詩を聴かせて 20.ナンバーワンダガール 21.明日晴れるかな 22.男たちのエレジー 23.こんな僕でよかったら 24.マイリリトルホームタウン 25.漫画ドリーム 26.東京

・・・だったそうです。

ま、今年も親子で明るく伸び伸び。。。好きなことを楽しめる幸せをかみしめています。

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文明の利器

2007年12月26日 | 第2章 五感と体感
つい数日前まで、PCは、98。モバイルは三年前のものを使っていました。
「生きた化石」と言われながらも、私の98は、目一杯働いてくれました。

電話とFAXがあれば、通信機器なんて他には必要ない、と思いながらも、いつの間にかPCとモバイルは私にとってなくてはならない必要な道具となってしまったのです。

最新のものを手に入れ、使い出したらあまりの便利さに驚きの連続で、今までいかに不便な思いで仕事をしていたか、よくよく理解しました。

昔、ブッシュマンという映画がありました。
アフリカの小さな村に住む人が、落ちていたコーラの瓶を巡って、物語が展開するのです。映画に登場した人たちの人生も多分大きく変わったことと思います。

文明の利器というのは、一度その良さと便利さを知ってしまったら後戻りするのは不可能かもしれません。

あえて不便さを好み、手間暇をかけて、一つのことを成し遂げる、という行為は、かえって贅沢なことと言えます。

手に入れた文明の利器、生かすも殺すも自分次第。
想いは、里山での炭焼き生活。現実は、文明の利器を生かす生活。

この理想と現実のギャップを縮めるには、まずは目の前の仕事を片付けて、暮れの大掃除もちゃんとすることから始めなくてはならないようです。

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クリスマス

2007年12月24日 | 第2章 五感と体感
今年は、深い信頼を寄せた私にとって兄のような神父が突然帰天しました。

彼との出会いは、クリスマス・イヴのミサでした。
これだけ書けば、美しい出会いのように思うでしょうが、説教の際、なんだか怒ったようにしゃべる彼の語り口に違和感を感じたのが、最初の印象でした。

ところが、人は見かけで判断してはいけない、ということを数年後に知ることとなるのです。
インドの神学校を出た彼との会話の内容は、ほとんど、私のアイデンティティを成長させた「インド」でした。
若いころの私は、自分勝手で、夢だけは大きく、詩人になったような妄想を抱きながら生活していました。リュックを背負い旅をし、アジアという特別な空間に身を置くことで、何かを成しとげられたような錯覚を抱いていたように思います。
だから、仕事に集中し、子供を育て、現実の生活に生きがいを見出すようになったころから、「インド」という私の夢をあえて封印してきました。

その封印をあっけなく解いてしまったのが、H神父でした。

正義感が強く、そのくせ甘えん坊で、瞬間湯沸かし器と言われるほど、すぐにカッとし、10秒でも湧き出た感情を我慢すればよいのに、それが出来ないから、言ってしまった後で、可哀想なくらい反省する。。。そんな人間らしい在るがままの神父から洗礼を授けられたのは、私にとって最高の幸せでした。

体裁、たてまえ、なんのその。思いやりは人一倍。デリカシーが無いようでいて、実は繊細で寂しがり屋。
心の自然児は、思うがままに生きて死んでしまいました。

クリスマスは、キリストの生誕日。生誕。同時に生きることの辛さ、苦しさ、贖いから逃れることはできません。
生きていれば、いろいろなことがあるのです。

それが、生きる、ということなのでしょう。
そして、湧き上がる感情は、生き抜く術を身につけるための道しるべであるように思います。自己の感情が素直に湧き出ればれるほど、心は自由になっていきます。

そんなことを思いながら、クリスマスを過ごし、新しい年を迎えたいと思います。
Merry Xmas

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メリークリスマス

2007年12月22日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
今日は冬至です。
一年のうちで一番日が短い日。

キリスト教では4週間前から待降節といい、キリストの生誕を待ち望みながらクリスマスの準備をします。最近の日本もそうですが、キリスト教文化圏では、感謝祭を過ぎた11月の終わりの週あたりから街が華やかになってきます。

日に日に日の短くなる時期に、ろうそくの火を灯し、静かに冬至の日を迎えると、次の日からは、日に日に日が長くなるわけです。
光を待ち望む人々の願いと祈りが、そこに込められているようです。

闇から光へ。

暗闇から光に向かう季節をお祝いする習慣は、キリスト教が存在する以前から、多様な形で各地域で表現されています。

日本では、柚子湯に浸かり、かぼちゃをいただきます。
奈良では先週「おん祭り」がありました。闇の中に神様が一夜だけ降りてきます。
同じ日本でも、違った風習もあるかもしれませんが、「私の冬至」はかぼちゃと柚子湯で過ごします。

人々が、祈りを込め、光に託す想いは、きっと何千年経っても、変わらぬ想いなのだと思います。
争いもなく、幸せで、健やかに生きたいと願うのは、誰もが望むことでしょう。

与えられた環境で生き抜く人々が、一筋の光を見たときに、畏怖あるいは奇跡を感じ、見えないものの奥に潜む何かを感じ、想像し、意味を持たせようとするのは、人に与えられた知恵の賜だと思うのです。

クリスマスを楽しく過ごしながら、日に日に明るくなる季節のプロローグを感じてみるのも良いのでは?

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当たりくじ

2007年12月16日 | 第2章 五感と体感
ここ数日間、年末のお付き合いのラストスパートという感じで、遊びに、仕事にと、毎日出歩いていました。
そんな中の金曜日、車をぶつけられました。相手の前方不注意。でも幸いなことにぶつけた相手が良かったおかげで、現場検証後は、スムーズに解決。
互いに怪我も無く、幸いその方の会社が近かったため、上司の方々が駆けつけ、皆さんに深々と頭を下げられ、その場を後にしました。

ぶつけられた相手が良かった。
ぶつけた相手が良かった。

そう解釈し、落ち込んでしまった運転手の方も、きっと「ぶつけた相手が良かった」と思っているのだろうな~、と思いながら二日が経ちました。

何事も、起ってしまった事は、元には戻せません。
でも、それによって湧き上がる感情は、関わる人とのやりとりと自分の解釈で、随分変わってしまうのです。

起こってしまったことを素直に認め、誠意を示す。たったこれだけのことが出来ずに、トラブルになることのほうが、多いように思います。

そして、昨日、行きつけのお肉屋さんで、くじ引きをしたら、4等、500円券が当たりました。

めったに当たりくじを引かない私も、いまが「当たり時」なんでしょうか。

というわけで、明日、年末ジャンボでも買うとしますか・・・。

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霞を食って生き抜く

2007年12月11日 | 第1章 意識と知覚
今日は、2年間続いた鎌倉での勉強会の最終日でした。
来年二月から新たなメンバーを迎えて、行ないます。
ご興味のある方は、ユースフルライフ研究所のHPをご覧ください。

ブログランキング上位の「生き甲斐の心理学」は私達勉強仲間にとって、自問自答の良い機会です。自己の感情をゆらゆらと意識しながら、本音の感情を自分自身で見つめていきます。
ブログだけのお付き合いの方は、生き甲斐の心理学のテキストと併せて読んでいただけるとより一層学びが深まるはずです。

さて、本題。
勉強の機会をたくさんいただき、師匠と共に行動し、私なりに修行を続けているわけですが、今日、改めて自分の発した言葉に、ハッとしました。

「それなら、それで、霞を食って生き抜けばいいのよ」

類は共を呼ぶと申しましょうか、決して裕福ではないのに、真・善・美を求めて、事象に囚われず、奥に潜むものに憧れ求める傾向のある人達との付き合いは、気づくともう何十年も経っています。
それでも、家庭を作り、仕事をし、人と付き合い、親の介護をし、皆、それなりに生き抜いているのです。

霞を食っては生きていけない、と教えられましたが、意外とそんなことはない、と確信めいた閃きが私に降りてきたのです。

「成りたいように人は成る」、

どんなふうに生きていきたいか。

「霞を食って生き抜く人生」、
結構、いいんじゃないかしら・・・
マイペースな私はまだまだ健在です。

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今年最後の大阪勉強会

2007年12月08日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
4月から始めた大阪池田での勉強会。月に一度、夏休みの八月をはさみ、8回目となりました。

私達の勉強会は、他者のことを自分の概念で勉強しても、勉強になりません。

「あなたが今まで生き延びてきた理由をカウンセリングの理論を使って理論武装せよ」

自分のことを自分が見つめ、自己分析していくことが、私達の学びの特色です。

長年かけて、自分の思考・感情・行動を自分の言葉で言語化する訓練をひたすら積んでいきます。

通信講座もワークショップも、まずは「自己の不安感の言語化」から始まります。

「人の本質は不安である」この概念に、驚かれる方も多いようです。
実際、私がこの概念を初めて知ったとき、緊張した糸がプチンと切れ、息苦しさから開放された気分になりました。
「なぁーんだ~、そうだったんだ~」
人は不安で当たり前。でも、必ず、行きつ戻りつも螺旋状にぐるぐる回りながら、少しずつ上に向っているのです。

「私には不安が無い、」「なにかモヤモヤしているけれど、言葉に出せない、」
「わけもなくイライラする」
そんな自分の状態を、自分の言葉で言語化することに、長い年月が必要な方もいらっしゃいます。

嘘偽りの無い、湧き出した言葉で、自分のことを語ることは、自己受容に繋がります。

そういった嘘偽りの無い言葉を、否定も肯定もせず、傾聴する人が必要です。

カウンセリングは、人を説得することでも、自分の概念を押しつけることでも、励ますことでもありません。
地味で、そのくせ時間がかかる勉強ですが、生涯学び合いながら、螺旋状に上昇していきたいものです。

池田の勉強会で蒔かれた種に、実がなる事を期待しながら、来年3月まで、楽しく学び合っていきたいと思います。
宜しくお願い致します。感謝を込めて。

ご興味のある方は、ユースフルライフ研究所のHPとブログ「生き甲斐の心理学」をお読みください。

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好きなことを続けると

2007年12月03日 | 第2章 五感と体感
好きなことをし続けていると、いつしかそれが自分の個性になっていく。
しみじみ、そんなことを思っています。

暮らしの中のカウンセラーを目指す、「カウンセリング教育事業」に携わりながら、長年続けてきた表装。私が表装とカウンセリングを選択するまでに至り辿った道のりは、自由奔放でありながらも、整合性はありました。

整合性

この場合、私の言葉で言うと自分の「好み」の事です。

好きか嫌いか。

たったそれだけの選択しかありませんが、明らかに、「好き」「嫌い」の「好き」を最大限優先して生きてきたように思います。
確かに、どうにもならない現実とも向き合う機会も多々ありました。
でも、そんな中でも、「好き」か「嫌い」かを選択できる機会は必ずあります。

限られた条件の中で、どんな小さな事でも精一杯自分の好みを生かして生活していくと、いつしか「好き」を選択した自分の個性が成り立っているのです。

「人の本質は不安」だそうです。
心理学の学びで出合ったこの概念は私にとって目から鱗の概念でした。
不安であって当たり前の「人」がより良く生きるための術は、自分の「好み」を意識すること。まず、これが自分の「生き甲斐」の出発点かもしれません。

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