五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

暦新たに

2016年01月28日 | 第2章 五感と体感
暦新たに2016年1月28日

24節気72候:第71候「水沢腹堅さわみずこおりつめる」沢に氷が張り詰める時期1月25日から29日頃。

暦のおしまい第72候は、「鶏初乳にわとりはじめてとやにつく」1月30日から2月2日頃。鶏が初めて卵を産み始める時期。
これにて72候は一巡り。

次は24節気は、第1候2月4日新暦の立春「東風解凍はるかぜこおりをとく」となります。

天候不順の昨今ではありますが、暦を意識すると、暦通りの風景、光景に出合います。森羅万象の法則は、そうそう簡単には揺るがないものだと思うのですが、きっと気付かないうちに淘汰されてゆくものも多々あるのかもしれません。

沢の水や鶏が身近ではない環境に暮らしているので、ピンとこないこともありますが、ここ数日間は、洗濯物を干すためにテラスの手すりを拭こうとすると氷ついていて、大寒を強く意識しました。なるほど、場所によって沢の水が氷る時期は違いそうですが、寒さの底を感ずるのは確かです。

一年間を体感で感じながら暦を捲り愉しみたいものです。

…立春の迎え支度は体整へ…


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草になったり路傍の石になったり

2016年01月25日 | 第2章 五感と体感
草になったり路傍の石になったり2016年1月25日

昨日の新年会を兼ねた勉強会では、お腹を膨らませながら和やかに学びの時間を過ごしました。楽しいひとときをありがとうございました。

一人一人、生まれてから今日までの生育史から育まれる考え方は、自分の慣習による「さりげない自己実現」によって垣間見える事があるのですが、自分の慣習によるさりげない自己実現ほど、自分自身が意識できるものではないかもしれません。
そんなさりげない自己実現が、ある人にとっては脅威になることは、人間関係に生ずる現象として日常に起こることです。

「自己を受容する。」というときに、否定的な自分を否定的であることを受容する事が大事であるように、自分の慣習は他者とは違うものであることを同時に受容するよう努力をしていかない限り、他者に及ぼす脅威と自分のさりげない自己実現の溝は埋まらないようにも思います。

自己受容。他者受容。
自分の傾向を素直に自分自身が受容する事は、一筋縄でいくものではないとしみじみ思います。

自分を誰かに認めてもらいたい願望は、自分のどんな思いからやってくるのか。。。胸に手を当てて考えてみると、思い当たる節が沸々と湧いてきます。

「自分は草でも良し、路傍の石でも良し」と自分が本当に思い至っているかといえば、怪しいところは多々ありますが、、草になること、路傍の石になることを自分の落とし所、つまり自己実現のイメージにすると心に沁み入る清浄感を体得するのはどうも本当のようです。
「我は我は」と、たまには主張する石になりながら、上手く世間を渡ってゆきたいものです。

8日間ぶっ続け講座行脚。。。本日で一週間巡り、今日は保護者勉強会です。
自問自答の修行を一番お得にさせていただいているのは、ほんとうは私なのであります。皆様良き一日を^^//



☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春節の頃とアイデンティティの統合

2016年01月24日 | 第2章 五感と体感
春節の頃とアイデンティティの統合2016年1月24日

「今の自分はアイデンティティの統合が成されているでしょうか?
自分が自分らしく調和されているでしょうか?」
たまプラーザの講座では、昨年秋から自問自答集の小冊子を使って講座を進めています。
先日は、第6章の「正常と異常の分かれ道」の頁を中心に展開しました。
最初の問い掛けは、「アイデンティティは統合とは?」という設問から始まっています。

私自身、年始から相も変わらずマグロ的生活をしていますが、それに加えて、少々ざわついた心持になる事が自分の内に生じ一週間ほど統合された自分とそうでない自分がいったりきたりしていました。
ふと、第六章のテーマを思い出し、「かなりアイデンティティの統合に揺らぎがあるかな・・・」と、意識化はできていたようです。

自分の心の状態を意識化できていると、危険な方向を回避する事は可能になります。つまり、自分が落ち着かない状態で何か事を成すことで失敗することを避ける事が出来たり、余計な動きをしたために返って自分を落ち込ませることをしないで済むことにも繋がります。

いつもの自分とは何かが違うなぁ~~
と、思った時は、何かのシグナルであることを意識化するだけでも良いようです。

春節の頃は、一年の体感を元に戻す時期でもありそうです。
身体に良いものを摂取し、呼吸を整えて、休む時間を大切にしつつ、一年で一番冷え込む時期を過ごしてゆきたいものです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大寒の富士山

2016年01月22日 | 第2章 五感と体感
大寒の富士山 2016年1月22日

一年で一番冷え込む頃です。昨日は大寒でした。
仕事場に向かう電車から望む富士山は、裾野の途中まで雪がかぶり、青空を背景に白い姿を優雅に表していました。
美しい富士山に気付いた人々は、皆うっとりと富士山を眺めていました。
そんな電車内の光景もまた、富士山が日常にある私の幸福感の一つだと思うのでした。

寒さのピークが過ぎると、春節がやってきます。24節気を中心に一年を巡ると、一年の始まりは節分の次の日となります。邪気を払い、新たな暦が廻ってきます。
太陽暦での1月1日も年の節目ですが、体感的な循環を中心に感じようとすると旧正月の方がしっくりくるので、私自身、この間の一か月は、助走しながら2月4日を迎え、そこから一年の活動を具体的に始めるようにしています。
そのようなわけで、一部の講座である鎌倉・腰越や東京・つつじヶ丘の勉強会の年の始まりは二月からスタートとさせていただいています。
一月からスタートさせるもの、二月からスタートするもの、四月からスタートするもの等、一年を役割毎に始まりをずらすのも、繁忙を重ねない知恵の一つでもあります。

大寒の富士の峰を清々しく眺めるうちに、韓国の浄芳寺で頂いた岩清水の御茶の味が思い出され、一人一人の内に持つ答えがどんなに大きなものであろうとも小さなものであろうとも、すべては森羅万象に沁み込まれてゆく事に、泰然とした心持が自分の内に瞬間ではありますが、腑に落ちるように宿る体感を覚えるのでした。

寒波の週末、気をつけてお過ごしください。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理論と感性

2016年01月21日 | 第2章 五感と体感
理論と感性2016年1月21日

生き甲斐の心理学は、理論だけ学ぼうとしても、感性、つまり感受性だけを育もうとしても学びは進んでゆかないのが現実でありましょう。
ロジャーズの理論やエリクソンを繰り返し学びながら体得に近づくには、同時に自己の感性を開いて出し入れを自由にする訓練を積んでいかないと、前に進んだ実感が湧かないように思います。
学び進めてゆくと、理論が突出して体得される時期があったり、感受性が自由になることを自ら体感する時期があったり、と、少しずつ、ずれながら「学びの体感」を得ていると私自身も実感する処です。

体感した事を言葉で表現する事は、自分の「生まれてから今日までの生育史」で育んできた「考え方・思考」「感情」「行動」と一致しているようです。もし、言葉で表現する事に不一致を感ずるならば、その不一致を一致に近づけるための訓練が必要でしょう。言葉を紡ぐことは、自分の中にある違和感を解消するためにとても大事な事なのです。
「はじめに言葉ありき」と、聖書に書かれてあることは、人間の本質をずばり突いているとしみじみと思います。
「言わなきゃ解らない」と「言ったって解るものじゃない」は、常に共存しているものでもありますが、これらの感情を少しでも自分の体感に近づけていくためには、「誰に何を伝えたいか」という願望を意識化することにも繋がっていくようです。
「言わなきゃ解らない」を「理論」、「言ったって解るものじゃない」を「感性」と例えると、この一致を自分の内のどこにアクセプタンス(前向きな受容)していくかの焦点付けが理論と感性のバランスの取り様にあると云えるようにも感じています。
そうなると、自分は何処に向かっていくか?という「自己実現」の意識化を図ることが大きなテーマであることにも気付かされます。
自分の思いや紡ぐ言葉が「どんなに小さくてくだらないことだ」と、思うことこそ勿体ない事です。「なんで?」という小さな問い掛けが自分の感性を磨いていることを忘れずに学びを進めてゆきたいものです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都市デザイン

2016年01月19日 | 第2章 五感と体感
都市デザイン2016年1月19日

昨日は某学校での新年初講座でした。雪の影響で通学もままならない生徒さんがいらっしゃる中、講座にいらしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。
藤沢は雪の降った境界線に位置していたので、茅ヶ崎や横須賀からいらした方々は積もっている雪にびっくりされたそうです。
逆に東京方面や箱根・丹沢方面に住んでいらっしゃる方々は、電車に乗れる状況ではなかったようです。
横浜に住む私は、いつもより早めに家を出て、しかも運よく直ぐに来た電車に乗ることができたので、通常より早くに学校の最寄りの駅に着きました。東横線横浜駅の改札口は封鎖され、入場制限となっており、混乱はしておりませんでしたが、長蛇の列は痛々しい光景でした。
首都圏の電車はここ数年で諸々の線路が一本化となり、複数の電鉄を繋ぎ遠いところまで真っ直ぐ延ばしたお陰で、一つの電車が止まるとその連鎖が諸々の線路に影響するようになりました。コストや土地活用の効率化は、かえってGNPを下げるのではなかろうか、、、と、痛切に感ずる一日でした。
都市をデザインするなかで、根本的、総体的な危機管理を真面目に思索しているのか?低コストを絶対的条件にすることが果たしてこれからの日本の将来を明るくするものなのか?と、いう問いかけをしたくなりました。
私達自身が対価に関する認識を変えない限り、難しい問題であるとともに日常の多少の不便さが実の強さであることも忘れてはならないと思うのでした。

一杯のお茶を頂くために少し離れた岩清水で水を汲む風情が遠い現実にならないよう私自身も手間暇かける役割を大事にしていきたいものです。

「都市デザインの機能に何を優先するか」を思索する上で、もっともっと人の歴史や哲学を大切にして頂きたく、次世代の担い手に期待したいものです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪ん子

2016年01月18日 | 第2章 五感と体感
雪ん子2016年1月18日

幼い頃の雪国暮らし経験のお陰で、雪に対する準備と心持は慣れたものがありますが、雪掻きは苦手です。雪国の人々のご苦労はほんとうに大変なものだと関東地方に雪が積もる度に思います。

雪深い福井の大野盆地は、雪降る毎に懐かしさがこみ上げてきます。
幼稚園に行く時は頭の先からつま先まで完全防備。
母から「雪ん子ね」と声を掛けられ頭を撫でられ、それで気を良くして15分ぐらいの道のりをほぼ独りで通っていました。幼い子にはかなりの大冒険であったはずで、長閑な時代であったなぁ、、、と、思います。

今日の横浜は雪。

5時前に「しん」としている外の音の無さに、「ああ、雪だ」と思い目覚めました。
雪ん子の記憶が蘇り、ちょっぴりワクワク。

これから雪が止む予報ですが、通勤通学は、余裕を持った方が良さそうです。

雪が積もると音が吸収され「しん」とするこの感覚は心を平安にします。
外に出る時は、足元に気をつけて、ですね。
雪が積もっている地域の皆様、気をつけてお出かけください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこを関わるか?

2016年01月14日 | 第2章 五感と体感
どこを関わるか?2016年1月14日

自分自身の問題と他者の問題を分けられているか否かで、ずいぶん心の持ちようも違うように思います。
家族の問題であれば、我がことのように思うことは当然のことでしょう。
でも、我がことのように思い、相手と自分が一体になっているとしたら、知らず知らずのうちに自分自身に自他混合が起こっているかもしれません。
「お母さん、うざい」と言う子供の言葉があったり「我が子ながら、自分の子が考えている事がわからない。。。」等、我が子と自分の隔たりにストレスを感じるとしたら、そのほうが健全な心模様でありましょう。
気付かぬうちに、我が子の手足になっていたり、親の手足になっていたとしたら、他者の思考と感情と行動についての自他混合は益々激しくなってゆくでしょう。
「我がことのように関わる」ことが自分自身に意識されているか?それとも意識されていないか?
この問い掛けを自分の胸に手を当てて、思い巡らしてみるだけでも、理想と現実のギャップによる何らかの不安感が具体的に見えてくるかもしれません。

どんなに他者を心配しても、自分自身の「心と身体と魂」は、他者と入れ替える事はできません。

では、心配する相手にどこまで関わることができるか。

関わりたい自分がどこまで何ができるかを意識してみると、自分を信じ相手を信じる事の自分自身への信頼感が見えてくるのです。

自分は自分を信じているか?

今年もこんな自問自答をしながら過ごしてゆくことになりそうです。


1月15日金曜日の東急セミナーでの講座は、雪谷校が改装中の為、二子玉川校で行いますので、お間違いありませんよう宜しくお願いします。時間は変更なく13時半から15時半です。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調管理

2016年01月13日 | 第2章 五感と体感
体調管理2016年1月13日

センター試験が近づいてきました。高校受験、中学受験もそろそろ本格的に始まります。
寒い時期に受験というのも酷ですが、真夏の暑い時期や梅雨のジトジトした時期、台風の時期等をイメージすると、住まう地域の気候風土にもよりましょうが、何とか自分の体調管理さえしっかりしていれば、ベストなシーズンなのかもしれません。
ここ数年の気象を考えると、受験のベストシーズンを他の季節にすることの方がリスクを感じます。

自分の気候による体調と上手に向き合うには、先ずは、気候による自分の体調の変化を意識しておくことが必要でありましょう。
どんな気候の時に、自分はどんな体調になるか。
気候を変える事はできませんので、変化する体調をどうにか健やかに過ごせるよう工夫する事が大事なようです。

私の場合、努力はしているものの体温が低いので、寒さが加速してくると一気に免疫力が低くなるのを感じます。そうなると身体が冷えて抵抗力が無くなっていく体感を覚えるのです。もちろん、そんな時に風邪をひきます。
この冬は、体調が危機的状況のさ中、韓国に行くことに恵まれ、滋養の食事をたんと頂いたお陰で、身体が温まり一気に体調が戻りました。養生するには食事の内容はほんとうに大事です。

受験生を持つ保護者の皆様も、食事で応援するしかあるまい、と、せっせと励んでいらっしゃることでしょう。身体を温めて家族の息災を願い、本格的な寒さを皆で乗り切って参りましょう。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春の美学

2016年01月12日 | 第2章 五感と体感
青春の美学2016年1月12日

デビット ボウイが逝去。昨日の日本は成人の日。諸々の用事で着物姿が混じる雑踏の街を歩きながら20歳の頃の自分を投影し、音楽尽くしの学生時代を懐かしく思い出していました。当時はウォークマンを持ち、カセットテープから流れるロックやジャズを常に聴き、世間と自分を隔絶することを図りながら自分のアイデンティティを育んでいた時期でもあったように思います。
「青春ね・・・」と、覚めた心持で怖いもの無しだと世間を達観していた時期こそ青春そのものだった事に気付くようになったのは、社会で責任を持ち仕事をするようになってからです。
帰宅してからデビット ボウイの訃報を知り、思いもよらぬ寂寥感がこみ上げてきました。
昨年末には「求めない」を書かれた加島祥造先生が亡くなられ、先生と御縁のある方々との新年会で皆様の長寿を祈願し菊水でご冥福を祈ったばかりでした。
10代から20代にかけて、加島先生の「老子 タオ」を聖書の詩篇のように読み更けた経験も今の自分の素地になっていることは確かです。数年前にお会いする事が叶いその時に握手をした手は厚く、強さがありました。

自分のアイデンティティを構築する時期にその時代を表現してきた人々の訃報が段々と増えてきたと思うようになってきた事は、同時に自分自身の転換期でもあると云う事ができそうです。

自分の経験をフルに活かす時間が、まだ残されているうちに惜しむことなく尽くしてゆこうと思うのも自身の終活の第一歩であるようにも解釈しています。
今年も新春からメメントモリでありまする。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

24節気 芹の季節

2016年01月10日 | 第2章 五感と体感
24節気 芹の季節2016年1月10日

24節気72候では、
1月5日は小寒
1月5日から9日あたりまでは「芹乃栄せりすなわちさかり」第67候。

1月20日の大寒から第72気候の「鶏始乳にわとりはじめてとやにつく」まであと半月余り。

1年を巡る上で、12月と1月の区切りも大事ですが、24節気を意識しはじめて10数年経つと、こちらのほうが体感的にしっくりと来るようになりました。だいたい仕事を納めて新しい年を迎える時期は1年の疲れがどっと身体に押し寄せ、免疫力が格段に下がるなかで多くの事をこなさなければならないので、自分の中で区切りを分散できるものは、どんどん分散するよう心がけるようにもなりました。
歳を重ねるごとに体力も確かに落ちており、無理せぬ範囲の兼ね合いを測ることは、理想を低くすることに対しての自分のためらいとの自分自身の向き合い方にも繋がるようにも思います。

私の場合、数年前から忘年会は自ら行わず、参加も最小限にし、新年会に重きを置き新たな心持で集うほうが、体調も良く気が上がってゆくことを感じます。

芹の気候に七草粥を炊き養生しつつ、立春に向けて節気の区切りを慎重にしたいものです。
1月から2月にかけての24節気の一巡の節目に心身を整えることをと意識すると、1年を無事に巡ることができるような、そんな気分にもなります。
自分自身の気の廻り方は人それぞれでしょうから自分の傾向を知っておくと、無病息災にも効果があるかもしれませんね。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年の目標

2016年01月06日 | 第2章 五感と体感
2016年の目標 2016年1月6日

一月四日から仕事を始め、相変わらずのマグロ的生活は変わらないようですが、歳を取れば取るほど、焦りは浄化され「なるようになる」事の真理が身を持って解りつつある段階に居る様な、そんな気がしています。

韓国のへそに位置する山頂に建立されている浄芳寺から眺める低い山波は、険しさを連想するのではなく、大安を連想させ、旅から戻り一週間ほどでようやくその有り難さに腰を据えています。奥に重なり横に連なる山々はグレーの色がこれだけあるのかと思うくらいのグラテーションを私達の目に触れさせ、御住職の輝きを内に秘めた静かな面持ちが思い出され、その事を思い出すと、心の平安が益々身体の安定として自分のものになってゆくのを感じるのです。
年末の短い旅が年明けの自分に穏やかさをもたらしていると云うことも出来そうです。

2016年、私は何を目標にするか。
「立ち止まって、足を揃えて、手を揃えて挨拶する。」
これに尽きるかな、と。
日常的に当たり前の事だとは思うのですが、自分は果たして、人の前で足を揃えて立ち止まっていたか、という事を思い巡らすと自信がありません。
「意識をすることを心掛けること」は、案外難しいことかもしれませんが、今自分にとって必要な事なのだと思うのです。

どんなに頭(こうべ)を垂れても他者には伝わり切らない事は、多くの人々と出会う環境にあればあるほど、しみじみと感じる事です。
他者が見えるものと私が見ているものは、同じものを見ていても湧き出す感情は異なります。
体で表すことの意識は、多分色々な事柄に繋がってゆくようにも思います。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾輩は猫である完読

2016年01月05日 | 第2章 五感と体感
吾輩は猫である完読2016年1月5日

昨年の夏から読み始め、三が日にラストスパートをかけ、足踏みしていた最後の30頁を一気に読み、やっと完読しました。
最初の一ページで読むのを止めた高校生の頃とは違い、頁を行きつ戻りつ熟読したつもりではありますが、まだまだ読み方は浅いようです。
夏目漱石自身のメメントモリの言語化が成され、それが最終章に描かれており、「一竿風月閑生計 人釣白蘋紅蓼間:いっかんふうげつかんけいせい ひとはつりすはくひんこうようのかん」と漢詩に表現しました。
訳:「一本の釣竿を友とし風流な生活を送っている。 浮草の白い花が咲き、くれないのたでの花の咲く水辺で。」
そして、最後の数行は、
「天地を粉韲(ふんせい)して不可思議の太平に入る」と、心の域を語り、
小説の最後は、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で締めくくられています。

私事の表装の仕立ての際、本紙の漢詩が読めないのでスマホで漢詩をそのまま入れると大抵のものは訳がでてくることで甘んじ、自分の学びの足りなさを思い知っているところに、漱石の幾たびか登場する漢詩に、その面白さを改めて知ることとなりました。

人生諸々の経験をした段階において、亡くなるまでの最後の10年間で小説を書いた漱石の死生観は、最初の小説である「吾輩は猫である」に託されているようにも思い、やはり、このデビュー作を熟読せずして次の小説は読めないな、と、いう思いに至っています。

藤村の羊羹は、店が無いので頂くことができませんが、次の空也餅の時期になりましたら改めて頂きたいものです。

描写力と世相の皮肉、常に韻を踏もうとしている意識と、謡曲や落語、漢詩を語ることで、明治時代の空気感がリアルに再現され、日本の小説の頂点であることは間違いないようです。
人に与えられた言葉に、知恵と見識を織り合わせる事で、こんなに面白いものになるものなのか、ということを今さらですが教えられた小説でした。時々頁を捲り、「ふふっ」と静かに笑うことにもなりそうです。
漱石さん、ありがたいありがたい。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の二つの月

2016年01月03日 | 第2章 五感と体感
韓国の二つの月 2016年1月3日

韓国の旅ではありましたが、人と人との繋がりの旅という印象のほうが勝っています。そもそも宮城県山元町の関わりのあるNPO団体に開通したばかりの常磐道を車で走らなければ、私は竹籠を持ってゆかなかったでしょうし、秋保温泉ホテルを選ばなければHさんは、籠を持つ私を見掛けなかったでしょう。
しかも、お人柄の良い優れた通訳をなさるNさんとのやり取りが、とても楽しく好印象であった事は、とても大事なキーポイントでした。
それと同時に、当初は春になったら直接ソウルのお店を訪ねて気楽に籠を届けようと思い、韓流ファンの親しい友人を誘い韓国行きの準備をしようとしていた事も笑いあり涙ありが助長され(笑)、心和やかに楽しむことができました。

韓国伝統料理の店「12か月の御膳」は、2日目に宿泊したRESOM FORESTの入口近くにあります。千五百年の歴史を持つ浄芳寺は、その先の30年前に出来た大きな人工湖を抜けた山奥にあるのですが、人工湖が出来る前は、道なき道抜け、たいそう苦労して山を上り切らなければ辿り着かない場所に建立されていたはずです。Hさんは、この湖と連なる山々の美しさに魅せられ、音楽祭なども企画しているようです。
車窓からその風景を眺めながら、日本のへそとも云われている奈良の天川や十津川村、熊野古道の風景を重ね合わせ、日本の聖地と韓国の聖地の共するところに深い親しみを覚えました。アメリカに長く住まわれていた御住職も寺院で待ち合わせをしたチェジュン市市役所の職員(おじいさんが日本人)の方も日本を訪問した事は無く、日本の寺院の御堂の配置を目にしたらきっと私が話した事柄をもっと深く理解してくださるはずだと思うのでした。

Hさんは、「この湖の上に昇る月が二つ見えたら南北の統一が叶う」という都市伝説的な伝説を話してくださいました。なるほど、あり得ない事でありながら、あり得ない事ではないような、そんな気にさせる含みのある言の葉に、村上春樹の小説を思い、二つの月が一つになるか、一つの月が二つになるかの違いをつらつらと思索する夜ともなりました。

人と人との繋がりを何よりも大事にしているHさんは、「自分は分け与える人生を送っている。」と仰います。自欲とは何かを良くご存じであり本質を見据える焦点付けが、心地よく洗練された人であると三日間の旅の同行者として深く感じ取らせていただきました。
私は、彼女の足元にも及びませんが、似た様な傾向の人生を歩んできたようにも思います。人との繋がりの中で、芽生えるものを期待することも実力のうちでもありましょうし、そこから広がる何らかのイメージを持つ事も人の生き抜く術の一つであるようです。
今回の出会いで、私自身の矛先にもちょっぴり自信を頂き、きりりとした新年を迎える事ができました。

お正月の三が日、年末の韓国の魂の旅を吟味する余裕もあり、今年も春から縁起が良いわい^^//と、。

籠を拵えた天国の某さんから私はその籠に一目ぼれし喜び勇んで求め、その数年後にそれらの籠を売り歩く奥様に出会い、同じ籠を求め、人と人との繋がりがガンジスの砂粒のように連なってゆくことは、多分これからも永遠に成されることでしょう。
ガンジスの砂粒が海を越えて行ったことは、必然的な事でもあるのです。偶然は必然の賜物だといつも思うことは、真理だ、とも思います。
「求めなくては与えられない」これは真実だと思います。

繋がっている皆様との御縁を益々大切にしてゆきたいものです。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の料理

2016年01月02日 | 第2章 五感と体感
韓国の料理2015年1月2日

金浦空港からタクシーに乗り、Hさんの活動拠点に着くや否や、お料理番組収録真っ最中のHさんに手招きされ、素敵なチマチョゴリを着た彼女の横に座らされ、気付くとカメラが回っていました。新年の国営放送の料理番組に化粧もはげ落ち、髪もばさばさの日本人女性が3人出演していたとしたら、それは私達です(笑)。そんな歓待を受け、大根料理の食レポまで求められ、Hさんの人を巻き込んでゆく大きな力に自然と入らせていただきました。仕事を納め、体力気力を使い果たして飛行機に乗った旅仲間3人を気遣ってくださり、夕食に街の食堂(家族が営む飾り気のない)に案内してくださり、そこでお腹に優しいコクがありながらあっさりとした鶏ガラや海の幸で出汁を取ったスープの細めのうどんを頂きました。実に美味しいスープでした。

2日目はドラマの舞台にもなったResom Forestにメゾネットの大きな家を用意してくださり、昼食は、その近くにある韓国の自然派の料理研究家のお店に。お店の名前は「12か月の御膳」。
ずらりと並ぶ韓国の御膳は、薬膳の域です。ドラマのチャングムを思い起こす様な自然食が並び、白い花のタンポポの葉をご飯と一緒に炊いたものを頂き、手作りみそのぐつぐつ煮込んだお味噌汁に悶絶。。。
身体に溜まっていた疲労にそれらの料理が沁み込んでいく様な速効性も体感として伝わってくることに驚きました。
そのお店の横には朝鮮ニンジンの畑が広がり、韓国の食材を益々知りたくなりました。このお店で食材と調理の本格的な取材をしたいくらいです。

効率の良い栄養分の摂取をしている印象が強いものの炭水化物もついついスープの美味しさで食が進み、辛いものばかりであるという私の概念がガラリと変わった初韓国。

明日ももうちょっと書きます。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする