五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

信頼して楽しむ

2015年08月31日 | 第2章 五感と体感
信頼して楽しむ2015年8月31日

2015年の八月も今日でおしまいですね。
猛暑と湿度の高さは苦手ですが、私は真夏生まれのせいか冬よりも体調が整いやすいので、これからだんだん寒くなることで体調管理に気をつけなくてはなりません。
8月中のNPOキュールの「生き甲斐の心理学講座」は、「エンカウンター」をテーマにして行いました。
東急セミナーBE「たまプラーザ」/「雪谷」は、春からエンカウンターを中心に積み上げており、昨日の某場所の講座でも長年お付き合いするメンバーと総体的にエンカウンターをテーマに休日の午後を楽しみました。

エンカウンターとは、自己と向き合うことですが、重箱の隅をつつかず、いつものメンバーといつもの雰囲気で行うことが一番ふさわしいはずです。
テキストを使いながら6つのカテゴリーをひとつひとつ意識していただきながら展開しました。
「自己覚知」
「感情表現」
「自己主張」
「他者受容」
「信頼」
「役割遂行」
春からこつこつとエンカウンターを展開してきた過程の中で、「信頼」というテーマを皆さんと語り合うと、信頼することと自己受容の密接な関係に改めて気付かされるようです。自分の役割の担い方にしても自己主張の仕方にしても、他者を受け容れることも全て「信頼する感情」を改めて意識することで、自分はどのくらい自分自身を信頼しているか、ということに突き当たるのです。
各講座で、信頼し合いながら吐露する言霊は、自分の本音が吐露されるきっかけにも繋がります。
信頼し合う空気感は、それぞれが信頼し合わないと叶いません。何かずれているとたちまち違和感を体感します。その違和感を神経質に扱うことなく、信頼することを楽しんでゆくと、いつしかその「ずれ」が解消されていくのです。この空気感を楽しい方向に持ってゆくのがファシリテーターの役割でもあるのです。信頼して楽しむことは、森羅万象に対しての謙遜さを学び、希望という感情にも移行してゆくようです。信頼して楽しむことは、基本中の基本だと心にとめつつ、9月からの各地での勉強会を楽しみ励ませて頂きます。


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繋がる事の喜び

2015年08月29日 | 第2章 五感と体感
繋がることの喜び2015年8月29日

秋の気配が近づいてきたと同時に、友人知人の作品展や展覧会、諸々の展示会が目白押しです。8月中、企画の展覧会で興味深いものも多かったのですが、ほとんど見逃しており残念です。
昨日、横浜そごう美術館で開催中の歌川国芳展を滑り込みで鑑賞しました。31日までです。

江戸後期の浮世絵師の描く画は、能と歌舞伎好きにはたまらず、特に謡曲の演目である土蜘蛛や船弁慶、鵺等の浮世絵をじっくりと見ることができました。修羅場や妖怪が登場したり、動物が擬人化したり、京都の鳥獣戯画を更に劇画的描く作風は、日本人のもののけ文化が投影され、見えないものを見る力と想像力素晴らしさに圧倒されました。
「ここまで描くか、、、ここまで表現するか、、、いやいや、あり得ないでしょ。。。」
そんな思いは、漫画のワンピースや進撃の巨人にも繋がるわけで、
見せ場に何十分も時間をかけてしまう歌舞伎は、想像力の賜物であると改めて腕組みしながら唸りつつ、改めて江戸後期の浮世絵師の破天荒さを満喫したのでした。
しかも一昨日、能の土蜘蛛を観たばかりであり、その際、能楽師が撒く蜘蛛の糸を拾い、頂いて帰りました。
今まで、気にもしていなかったのですが、共に観た友人が「切り方が真っ直ぐではないわね」と気付き、家に帰りテーブルで伸ばしてみると、うねうねとした並みの様な形でしかも一ミリ位の幅で長く切られていることが解りました。
この技は、とても素人にはできるものではありません。しかも紙テープの先端には鉛の微小な重りが付けられており、細かい工夫が成されています。
労働力と賃金を考えると、蜘蛛の糸の一つだけでも創作料をそれ相応の金額が掛かるわけですが、職人の仕事は、手がかかる割には、割に合わないのが通常です。(本来ならば割に合わなくてはならないのですが。)
歌川国芳の浮世絵師としての仕事、そして、彫り師、摺り師にしても、一つの作品を作り上げる事に魂を注ぎ込むわけです。
割に合わない仕事であっても、出来上がりの素晴らしさの達成感は、金額の問題では無いと思ってしまうところが、「人」なのでもあるかもしれません。
繋がることの喜びを満喫するために今の人と人との繋がりに心を籠める事は、自分の生き甲斐にも繋がってゆくことになるのです。
職人の仕事から日本人の精神性が見えてきます。少しでも何かに繋げてゆければ、それも私の役割であり喜びかと思うのです。

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一言主に本音の感情を吐露する

2015年08月27日 | 第2章 五感と体感
一言主に本音の感情を吐露する

そもそも本音の感情を自分が意識できているか?と問われると、あやふやに覆われているどっちつかずの感情のほうが多いように思います。
確かに、白黒はっきりさせて、好きと嫌いを区別しすぎていたら、かなり生き難いだろうなとも思います。

世の中のしがらみで色々な役割を担って生活している内は、そんなあやふや感覚でも充分にやっていけると思います。でも、ひとたび自分の肩の荷が下りた時に,感ずる感情を自分自身がキャッチできるだろうか、と思うと、その時になってみないと正直解りそうもありません。

体力とか気力において、自分自身の事で精一杯になるような時期が到来した時に、今まで勉強してきた事柄が役に立つことを期待しながら、あやふやに覆われている感情をやり過ごすのも一つの考え方であるように思います。

一人の人と対峙した時に、その人のあることについての本音の感情が一言吐露されただけで充分であり、何度も何度も同じ感情を吐露されれば、聞いている側は、段々とストレスが強まってきます。

本音の感情を誰に一言漏らすか。。。
それも大切な選択でもありましょう。
一言だけ言って、全てを理解してくれる様な人に出会えば、今際の際は幸福感に満たされるでしょうが、これも成るようにしか成らない事のように思います。

本音の感情の吐露するのも生き抜く知恵の一つだと、最近しみじみ思います。

一言だけ吐露したら、後は天にお任せである、と、思うのも楽天の極意でもあるかと思いつつ、神や仏に手を合わせ天を仰ぐのが一番の効用やもしれません。

そういえば、奈良には一言主神社がありますね。一言主の神様に一言だけのお願い事をすることもアイデンティティの統合の道しるべと言えそうです。

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夏の大イベントも終わり

2015年08月26日 | 第2章 五感と体感
夏の大イベントも終わり2015年8月26日

毎年恒例の横浜金剛会が終わりました。個人的に思いの強い好きな演目を舞わせていただいたのですが、思いばかりが先行し、一ヶ月後に開催される10月の会までにもっともっと稽古に励まねば、と、反省と希望が半々の八月最後の週を過ごしています。
その上、急に涼しくなり、長岡の大花火のようにパッと大きく咲いて、散っていくような寂しさも同時に感じます。
この夏は、大きな行事も重なったので、気も張っていたのでしょう。さすがに気力が尽きたと思いスケジュール帳を眺めると、突っ走っていたことを認めざる得ないと観念しました。
今週は、溜め込んでいる仕事を消化しながら身体を休め、体調を整える事に専念します。

近所の商店街も段々と子供の数が減り、電車は制服を着た中高生が目立つようにもなりました。毎日のご飯作りでへとへとになっている方達も開放される日を指折り数えていらっしゃることでしょう。

猛暑から一気に気温が下がりましたので、体調管理を意識する事を大事にしたいですね。
皆様、お身体ご自愛ください。

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原初感情という危機管理

2015年08月24日 | 第1章 意識と知覚
原初感情という危機管理2015年8月24日

世の中の風潮だから~
皆やってることだし~

世の中の風潮から自らを断絶し、世間の流行や習わしに全く興味を持たずして暮らすことは、余程の信念を持たなければ、その暮らしを叶える事は難しいように思います。
しかし、社会で起こっている危険なことは、世の中が守ってくれると思う考え方と危機を想像せず流行している機械や機器にどっぷりと自らを委ねてしまっている風潮がすっかり蔓延していることに私は驚いています。

我が子を守るのは親や保護者の責任です。その責任についての法律について甘さがあるのも先進国であろうかの国でありながら、独特なものかもしれません。
家族の危機管理を遂行するのは基本的に家庭の役割であることの意識が薄れているような風潮は、海外の生活を知る人にとっては信じられないものです。

人間の原初感情を大事にすることを教えるのは、最低限、感性を育む時期に必要な事なのです。
夜の闇が何故怖いか、ということは、生物が誕生した頃から備わった生命を連鎖させるための感情であると学びました。
そして、各地方での言い伝えや民話、童話を周囲から聞かされ、読んでもらい、闇は怖いという感情が、恐怖の想像を育んでいったようにも思います。

せめて、生物に与えられた原初感情「怖い・怖くない」という感性を幼い頃から身につけることが如何に生物が生き延びるために大事なことであるかを改めて話題にしたいと思うのでした。それを教えるのは共に暮らす身近な人々なのです。
原初感情を体得する事が希薄になっていることに、世代の差異を感じ、二学期からの仕事の準備を整えるためのよい刺激になっています。

陰と陽、光と影、善いことと悪いことが共存している世の中であることを教えることは、子育てをしている保護者や教育に関わる人々の大切な役割でありましょう。
「風潮」と「根本」をごちゃまぜにせず、意識していたいものです。

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掛け軸文化・表装のお話

2015年08月23日 | 第2章 五感と体感
掛け軸文化・表装のお話2015年8月23日

何でもチャレンジできる都市の生活は、もしかしたら「自分が出来ているつもりの勘違い生活」と等しいかもしれない、とつらつら思います。

職人の仕事に敬意を表することは、つまり、職人がその仕事で食べていけるということであり、家族を養うことができる環境であることを周囲が支える事のようにも思います。

先日、浄土真宗東本願寺寺院の親戚に問い合わせると、浄土真宗は位牌は作らず、故人の法名(戒名)は、小さな掛け軸に仕立て、仏壇の奥に掛けることが解りました。今さらながら、そんなことも知らないということは、無知であった、、、と、恥ずかしくもなりましたが、そこでハタと自分が表装をしていることに気付き、「掛け軸だったら私作ってますけれど。」と言うと、寺でお願いしている表具屋さんが店をたたむという事で路頭に迷っていたとのこと。
「表具屋が無くなり、困っている人もいらっしゃるのだ。。。」と、嬉しくも思いました。
風習を面倒くさがる傾向の昨今と文化が衰退すると懸念し憂うことが上手く噛み合っていないことを改めて実感する事となりました。

祀りと祭を大切にすることに回帰することは、日本の文化を継承することに繋がるのです。

風習を継承する事をきちんと繋げてゆくことは、日本の文化の価値を知らせ、高める大事な役割なのです。

手間暇かけて拵える物と量産した安価な物は、やっぱり価値が違います。
「同じ用途のものが百円だろうと一万円だろうと同じよ。だったら百円を選ぶわ~」と安易に思うこと自体が文化を衰退させることを心に留めていたいものです。

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夏目漱石で教養を身につける

2015年08月21日 | 第2章 五感と体感
夏目漱石で教養を身につける2015年8月21日

「教養」という言葉が、このところ新鮮な言葉として響いています。
つまり、「養う」ことは、対象は自分自身であり、他者から見聞した事、書籍で学んだことを自らのものとしてゆくことでもあるように思います。

辞書を引いてみると、食物等を与えて育てることや生活させることのほかに段々に作り上げる。培う。と書かれてあります。
「培う」を調べてみると、力や性質等を養い育てる事、と書かれてあります。

影響力を持つ強い誰かの言葉だけを信じることよりも、自らを養うことを考えてみると、もっと自分に相応しい自分の養い方があるはずです。

自分を養い培うことは自分の個性の美や、自分の傾向、自分らしさにも繋がっていきます。

そのためには教養を身につけることも大事なことでありましょう。
自分の是非に関わらず、世間のことを知り、歴史を学び、文化を学ぶことは、自分の器を広くすることでもあるのです。

7月から行きつ戻りつ夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んでいますが、自分の教養を計るにはちょうど良い小説だとしみじみ思うのです。
この小説の内容を本当に面白いと思えるまでにようやく達したようですが、足りない教養のお陰で、注釈やインターネットや諸々の本の力を借りつつ、読んでいるあり様です。流し読みのできないち密な文体にハマっているとも云うことができそうです。
小説に惹き込まれながら、知らない言葉が登場すると自分の好き嫌いだけでは済まされないわけで、教養の世界を漂うことで、今まで如何に自分だけの好みで読み聞きしてきたかも見せつけられているようです。
それでも、昔よりは、多少は知識があるがわけで、この絶妙な皮肉だらけの小説をクスクスと含み笑いしながら読むのも結構な快感であるのです。
8月中に完読できそうもありませんが、読み終えたら感想文でも書こうかな、と。。。もう少し早くに夏目漱石の文章の偉大さに気付いていたら小説家になれていたかしらん(笑)



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のんびり気分で前を向く

2015年08月19日 | 第2章 五感と体感
のんびり気分で前を向く2015年8月19日

そろそろ夏休みもお終いです。
普段通りの生活をしているつもりですが、学校と関わりのある仕事をしていると、どうしても夏休みの気分を拭うことはできません。
電車の中で、のびのびしている夏休み中の人々の姿を眺めながら、なんとなくこちらまでのんびりした気分になるのです。

そんなのんびり気分な中、昨日は知り合いのある仕事場を訪問しました。

与えられた環境の中で大切な事を迷わず大切にしている皆さんの仕事ぶりに、前に進んでいることの無理のなさを改めて心地良さを頂いて帰宅しました。
気負わず、前を向くことは、私自身、好きな自分の立ち位置でもあり、続けてゆくことでの出会いと、吸引力的に整えられていく環境は、やっぱり求めていなければ与えられるものではないなぁ、と思います。

人との関係をぞんざいにすれば、それなりでしょう。
人との関係を大切にし、誠実にしてゆけば、やはり、それなりの環境が整えられてゆくのです。

自分の行動は、他者はちゃんと見ています。自分の思いや感情も関係性を持ち付き合ってゆくと、しっかりと推察もできます。

良い仕事をなさっている人に会うと、私も前向きな気持ちが湧きます。

お盆明け、のんびり気分を徐々に解除しながら二学期の準備です。

何は無くとも丁寧に暮らすことを大事にしたいものです。


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ほんものと対峙する

2015年08月18日 | 第2章 五感と体感
ほんものと対峙する2015年8月18日

久しぶりに美術の話題で一日を過ごしました。
私もそれなりに時代を経て見て重ねる行為を繰り返してきたな、と改めて感じました。
そうはいっても心が動かされる作品は、時を経てもそうそう変わらないことも思うわけですが、確かに比較考察する力は養ってきたようです。

昨年2014年にロンドンで行われたキーファーの大規模な展覧会のカタログを見せて頂き、30年前にニューヨークのあるプロジェクトで簡易的に設置されたアトリエを訪ねた事を思い出しました。
コンテンポラリーアートが面白い時代でもあり、私が訪ねたプロジェクトは、活躍している選ばれた世界中のアーティストがニューヨークの廃校に招待され、一人ずつに教室が与えられて、そこで表現するというものだったように記憶しています。そのプロジェクトに東西に分離された西ドイツからやってきたのがキーファーでした。
コールタールで描かれた大きな作品は、とても衝撃的でしたし、描くマチエールに一気に引き込まれました。そんなエネルギーを持つとは思えない華奢でハンサムな青年は、その頃既に大きな美術館で回顧展をやるほどの美術界で知られたアーティストであり、私自身帰国してから何とはなしに気になるアーティストの一人として垣間見てきました。
キーファーが、訪ねた私に自分の作品カタログを自ら見せ、その時代の感情を作品に籠めている事を話してくれました。

1989年にベルリンの壁が崩壊した時、真っ先に思い浮かんだのは、キーファーでした。彼は、これからどんなことを表現していくのだろう、と。

30年ぶりにキーファーの足跡を追ったような展覧会の大きなカタログを一枚一枚捲るとニューヨークのアトリエのあのコールタール臭いアトリエと華奢で物静かな話し方のキーファーがまざまざと蘇ってきたのです。
表現者としての役割と情動が、その時代にピタリと焦点付けされ、心と表現が一致した内から湧き出す力強さが私の好む何かと性が合った、という表現が一番相応しいかもしれません。
次はいつ、どこで、展覧会を行うのでしょう。
30年前に置いてきた感情と向き合う不思議さを実際に作品に対峙して感じ取りたいものです。

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火祭

2015年08月16日 | 第2章 五感と体感
火祭…2015年8月16日

お盆休みもそろそろお終いですね。
今日は京都の大文字さん。京都五山の送り火です。今年も行きそびれ、来年こそは、と、思う気持ちに、本当に来年こそは叶えないと永遠に見る事ができないように思います。
8月末には富士吉田の火祭が行われます。
年明けから春分あたりまで行われる修二会(しゅにえ)も松明を振りかざします。
その中で私が思いを深くするのは、やはり東大寺二月堂のお水取りです。

各地で行われる行事には、火を焚くものが多く存在しています。

お正月の祭儀や祀ったもの等を高く積み上げ、焚き上げるどんど焼きも火を焚くことで祈願したり祓ったりします。

空海・真言宗、最澄・天台宗の護摩を焚くことも、「火」が大切な役割を持っています。

お盆の送り火も玄関の外で祖先の霊を送ることを火を焚くことで表します。

炎を魂の化身又は置き換えであると思うと落ち着くのは、見えないものを見た気になるからでしょう。

太古の宗教、ゾロアスター教の影響を受け、伝わった国や地域が、それぞれの環境で個性化されていった説がありますが、火を焚くことがあの世とこの世の橋渡しであることは、人間の条件として与えられた情動でもあるようにも思います。

ラ・トゥールの蝋燭の火を灯しシャレコウベを撫でる女性の横顔の画をふと思い浮かべ、あの世とこの世を「死」という概念で繋げた人間の情動と知恵の深さを改めて思うのです。

メメントモリ「死を想う」に合掌。

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終戦の日に思う

2015年08月15日 | 第3章 無意識の世界
終戦の日に思う2015年8月15日

猛暑が続いたせいか、少しでも涼しい風が吹くと嬉しくなります。
寝る時にクーラーは付けない習慣でしたが、さすがに今年は数回利用し、何とか寝苦しい夜を回避する事はできました。
終戦の日は、じりじりと暑いイメージがあり、70年前の今日の朝はどんな気候だったのだろうと思いながら70年後の今朝、命を繋がれて生きている私はパソコンに向かっています。
朝晩の涼しい風は日中の暑さを忘れさせ、夜の凌ぎ易さは安堵の心地をもたらします。
戦争に翻弄された青春の不安感を今際の際に表わし7月に亡くなった伯父を思うと、その湧き出す感情を目の当たりにした私自身、この夏の新盆は、今までとは違う正された思いの強い日々を過ごしています。

戦争を知らない私達に戦争によって育まれた傾向を見せてくれる人々が段々と少なくなってきました。
戦争の体験を直接聞くことも大事な事ですが、戦争を体験した事によって分化された個人の強い傾向を窺い知ることは、体験談をピンポイントで聞くことよりもリアリティを感じます。
そして、戦争を体験した人々によって育てられた私達は、知らず知らずのうちに何かの考え方を自分のものにしていることも忘れてはならないのです。

つまり、戦場又は戦争を体験した人々の遺伝子は、私達の内に息づいており、それが何かの拍子に「感情」として表れることは当然のことでありましょう。
祖先が見てきた事、体験した事、そして両親が見て体験した事は、何かの形で私の内に生きているのです。

戦後70年の節目に長岡の花火を見る事ができたことも、私自身の節目にも繋がるように思います。

終戦の日が被昇天マリアの日であることを心に留めて今日を過ごします。

戦争とお金に惑わされない日が訪れる事を願い、。

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必要なものだけ

2015年08月13日 | 第1章 意識と知覚
必要なものだけ2015年8月13日

今年も毎年恒例の山中湖に。渋滞が無ければ2時間もかからずに行くことのできる場所ですが、下界とは大違いの涼しさに心身緩む三日間を過ごしました。
毎年恒例のメンバーと過ごし、やることといえば食事とお喋り。森の中で過ごしながら、お喋りは尽きません。
6月から滞在中の91歳の某人は、お昼は頂きもののジャガイモを茹でるだけ。そのジャガイモは軽く洗い水からコトコトと茹でるのだそうですが、何故か一個のジャガイモを茹で上げるのに一時間もかかるとか。
人が訪ねてきた時だけワインを開け、あとは原稿を書いたり勉強したり、近所の修道会の朝ミサを一日おきに司式して、生活を崩すことなく暮らしていらっしゃいます。
戦前から戦中にかけての故郷スロベニアでの話も、終戦から時が離れるごとに詳細な思い出話をしてくださいます。隣国の国々との複雑な関係は、日本が経験したものとは違い、網の目の様なものでヒトラーだけでなく、チトーやスターリンが関わることで、第二次世界大戦後アメリカの介入が無かったことで長きに渡る共産国となっていく様も、私自身段々と頭の整理をしながら理解できるようになってきました。12.3年のお付き合いの中、歴史の点と点を結びながら話の内容を理解できるようになったのは、ここ数年の事です。

自分にとって必要なものと言えば、「自分の身体と心と魂」と「自分が大切にしている人々の身体と心と魂」との関係性だけで充分かもしれません。
美味しい料理と美味しいお酒がそれらを引き出す役割りになっていたとしたら、自分と他者との関係とパンと葡萄酒だけで存分に幸福であるはずなのです。
今年も例年通り自分にとって最低限必要なものは何かを豊かな時空で思索出来たように思います。俗人は、年に一度、このことを心に留める程度で良いのかもしれません(笑)

私の夏休みは、これにて終了です。助走を付けながら働くと致します。
必要なものを選択する知恵は、少し前よりはましになってきたかなと、思いつつ。

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老いの渦中

2015年08月10日 | 第3章 無意識の世界
老いの渦中2015年8月10日

自分の老いについて他者から指摘されることは、嫌なものです。
何を言われても「そうだねぇ~」と言うことができるようになれば、もう人としての修行にやることはないかもしれません。でも、どんなに年齢を重ねても他者からあれこれ言われることを大らかに受け容れることは、かなりのお手上げ状態でなければ、難しい事なのかもしれないと思います。

先日、年上のシスターから「老いは円熟」というお医者さんが書いたエッセーをプリントした冊子を頂きました。
家に帰り、読んでみると確かに老いと向き合う渦中の人々のために、思いやりとユーモアをこめて書かれてあります。もしかしたら、どこかで講演したものを編集したものであるかもしれません。
先日、実家に行く際、この冊子を持っていこうかと思いましたが、思うように行かなくなればなるほど、他者に対する言葉に敏感になっている両親には読ませられないな、と、思い、持っていくのを止めました。

案の定、実家に行くと、思うようにならないために起こした数々の出来事を娘に言わずに隠していたことも判明し、実の親だからこそ言えていたことをそろそろ引き気味に見守った方が良いのかもしれないと感じながらその日を過ごしました。
つまり、こういうことを子供に思わせることこそ、老いの渦中に入っている証拠なのであり、講和めいた話を聞かせても、返って本人が傷ついてゆくようです。

よくよく世間を見渡してみると、お歳を重ね本を出版し、ベストセラーになっている著者の皆様は一筋縄ではいかない意思の持ち主ばかりです。他者から言われる前に、自分で言っちゃえ!と云わんばかりの強さを感じます。
どう考えても、他者の話を「うんうん」と素直に聞きそうもありません。

「歳とったらこうはなりたくないねぇ」と言えている自分の将来を「こうなった時」に「思考と感情と行動」がせめて現実吟味する力を備えておきたいと願うのですが、はてさて、老いの渦中、自分はどうなることやら…。

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お盆休みと伝承

2015年08月09日 | 第2章 五感と体感
お盆休みと伝承2015年8月9日

夏休み真っただ中。
東京や横浜は7月にお盆のお参りをする風習が主ですが、やはりお盆と言えば、この時期でありましょう。
長岡の花火大会で見た白菊の花火は美しく、咲いた花から散りゆく花弁一枚が闇夜に消えゆくまで静かに見届けた体験は、日を追うごとに心の視覚に強く留まりつつあります。
東日本大震災から4年半が経とうとしており、いつもお世話になっている宮城県山元町の施設にお電話すると、元気に活躍している皆さんの様子が手に取るように解り、心に残る菊の花弁が改めてパッと花咲くのでした。

家族が集まりお墓に手を合わせ、祖先を語ることは、大切な行事でありましょう。
祖先を語り、伝承する事は、たとえそれが毎回同じ話題であっても、同じ話題であるからこそ、伝承する意味があるように思います。
祖先と家族のセルフイメージは、伝承しながら誇りという感情をもたらすことで、自分に自信もついてくるはずです。
お盆休みにおじいちゃん、おばあちゃんから、祖先の武勇伝でも聞く機会があれば、きっと、生涯の宝物になることでしょう。
自分一人に関係する祖先は、単数ではありません。両親の両親、そのまた両親の話題をだせば、かるく8人の祖先が浮かび上がります。

魂も天から帰省するこの時期、親族と祖先を語りながら「ああ、今年もまた同じ話だ、、、」と、飽き飽きしながらもその伝承をしっかりと体得している自分を伝承者の一人として意識してみると、案外違う思いも湧いて来るやもしれません。
伝承することは同時に魂を繋ぐこと、と云う事ができそうです。

皆様、よきお盆休みを。。。

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立秋

2015年08月07日 | 第2章 五感と体感
立秋

今年の立秋は8月8日。
暑さを超えた暑さをどう表現するか考えてみると、月並みな猛暑や酷暑、はたまた超暑い!ぐらいの言葉しか思い浮かびません。

今年も我が家の名物萩はぐんぐんと枝葉を伸ばし、大きくおおらかに成長しました。こぼれた種から出た芽は、小さな鉢で大切に育てていますが、日中の日照りが強すぎて日陰に移して何とか管理しています。

酷暑のさ中に立秋を意識することは、少々無理強いのような気もしますが、早起きの私は、お天道さまの上る方向と朝の空の柔らかさに秋の気配を感じます。
暦を大事にすることで、前倒しの心構えをすることが暑さを凌ぐためのコツであるかもしれません。
7月末から旅が続いたので、溜まった仕事をひとつひとつ減らしながら、萩の鉢を視線の内側に置き、今日も酷暑を静々と過ぎ越すことと致します。

暑さは今日がピークと天気予報では伝えておりますが、立秋と言えど、八月は始まったばかり。
水分補給と睡眠を充分取って、無理は禁物、慌てず騒がず行きましょうや。。。

☆☆ ☆☆
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