五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分の時間

2009年04月27日 | 第2章 五感と体感
夢中になると、時を忘れます。

嫌な授業を受けていると、なかなか時計の針が回ってくれません。

私自身、何かに集中すると、そのことだけで頭がいっぱいになり、他のことに目がいかなくなります。

前回のブログで、パチンコ玉が身体の中でジャラジャラしている感じ、と書きましたが、ようやく解消されました。
丸二日間、一歩も外に出ず、ひたすら掛け軸作りをしていたからです。
食事もせず、家事もせず、電話も取らず、人と話さず、メールも開けず、、、が理想的ですが、集中し出すと、ほぼそれに近い状態になります。

放浪癖でありながら紙と鉛筆さえあれば、黙々と絵を描いている子供時代を送りました。自分の時間を自分らしく使える時と場所を持っていたとしたら、こんなに素晴らしいことはありません。
私が云う「自分の時間」というのは、「自分のペースが守れる」時間です。

自分の時間、時計の秒針の速度が違ってもいいじゃないですか。。。
私も世間の時計の秒針通りに動いていると、ときたま、自分の時計を出したくなります。

二日間、ひたすら創る作業をしているとまるで浦島太郎です。
もう少し、頑張っちゃおうかな・・・

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不安の感情

2009年04月24日 | 悔いのない人生とは?
不安感。

もやもやしていて、何が不安なのかわからない。

でも胸のあたりに重たい石があるみたいで。。。。

「胸のあたりの重たい石」

その石、どのくらいの大きさかな・・・

どんな色なんだろう・・・

その石をどんなふうに取り払いたい?

思いっきり投げるとか、空に放り投げるとか、投げた石を粉々にしてしまいたいとか。。。

魔法のようにいつの間にか消えてしまうとか。。。

言語化できないことや言いたくないことを何かに例えてみると、自分がいま、どんな不安を抱えているのか、自分自身気付きやすくなるかもしれません。

ちなみに、今日の私は、身体の中にパチンコ玉のようなものがたくさんジャラジャラと動いているような感じです。なんとなく音まで聞こえてきます。

ジャラジャラと音を立てながら、うるさく歩いている私は、せわしなくガサガサ暮らしているような・・・

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放っておいて

2009年04月23日 | 第1章 意識と知覚
人と関わること。
私はどこまで関わるか。

どこまで関わるか、ということを意識しておくと、自分のできること、できないことを測ることができます。

人との関係において
「お願いだから、私を放っておいて・・・」
そう言われたら、私はこの言葉をどう解釈するだろうか・・・

ほんとうに放っておいた方がよいのか、それとも相手の甘えの構造からか・・・
言われた自分は試されているのか?それとも嫌われているのか?

状況によって、言われた自分は、いろいろな想いが湧き上がります。

ただ、私がどのくらいその人と関わるか、どんな関わり方をしたいのか、何のために関わるのか?それらの自問自答は生き抜くことに必要な要素でもあります。それでゆえ、目的があいまいだと、巡り過ぎ、しまいには堂々めぐりになっていきます。

もし、「その人の答えはその人の内に宿っている」ことを信じることができるならば、見えてくるのは「愛と信頼」のように思います。

「愛と信頼」、これを信じていれば、放っておいて大丈夫かな。。。
揺らぎながらも、相手を信頼することは、あなたと私の気付きの一歩に近づくものであるように思うのです。

「放っておくこと、さりげなく、厭味なく、自然体、愛する、などなど。。。、」どれもこれも修行の重ねが必要なようです。

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NHKプロフェッショナルの感想

2009年04月21日 | 第1章 意識と知覚
NHKのプロフェッショナルに、師匠の関わる団体の方が出演しました。
海外の紛争地に赴き、武装解除の支援をされている方です。女性です。若いです。

どのような活動をされているのか、具体的な活動映像を見ることで、多少理解することができました。

「Sさんは、究極のカウンセラーだ・・・」これが私の感想です。

「生きるか死ぬか。」

家族を殺され、子供が一人で生き抜く姿は、日本に住む私には、信じられないものです。

紛争地帯で武器を持たずに生き抜く方法の答えは、必ずその人自身に宿っていると言い切ります。

その選択は、甘いものではありません。
選択し、決意しなくては生きていけないからです。

長年における失意が重なり、希望も夢も持てなかった子供が、彼女の論理的、かつポイントをついた働きによって、選択と決意を自分自身で実現していきます。

私は、この番組を見て、大きな流れのなかにいる弱きひとりの人間をケアすることで、どうしようもない流れを変えることができることを知りました。
できる、というより、可能性を信じることができるという表現の方がしっくりくるかもしれません。

「できないことを言い訳する人は、プロではない。」
Sさんが茂木さんの質問に最後に答えた言葉です。

久しぶりに、きっぱりと言い切った言葉に真の迫力を感じました。

なかなか人には言えない私の想いを 言語化してくださった気持ちよさも同時に感じました。

今後のご活躍をお祈り申し上げます。

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南北一直線

2009年04月20日 | 第2章 五感と体感
奈良の山奥に天河大弁財天社という社があります。
秘蔵の翁の面があるそうで、私もいつかは訪れたい場所です。

地図を見ながら、「奈良にいきたいなぁ~」と思いが募る今日この頃。

もし、日本地図があったら開いてみてください。

若狭湾の小浜市、ここは東大寺の三月に行われるお水取りのお水送りをすることろです。

そこから真下に、鞍馬寺があります。その脇に貴船神社。
鞍馬寺は、義経や源氏物語にゆかりがありますが、もともと鑑真和上の弟子の高僧が建立したのが始まりです。近くに比叡山もあります。

そして、また南に向かっていくと、東大寺、春日大社があります。

またまた南一直線上には、吉野があり、そしてそのちょっと下に天河大弁財天社があります。真西を辿ると、高野山です。

その次、最後に辿り着くのは新宮市・那智の滝。

南北一直線に社を建てた古の人々の自己実現への実行力は、現代の私たちには及ばないものだとしみじみ思います。

信じて見えてくるものは、人の身体に宿ります。

古来からのDNAが、この南北一直線に懐かしさを感じるのです。

身体で感じる見えない歴史、身体に宿る無意識は想像力を無限に広げます。

見えているものだけで、あれこれと思うよりも、見えないものの中から見出すもののほうが、はるかにスケールがおおきく、夢があります。
物を持つ喜びよりもはるかに喜びが深いです。

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やっぱり居たのね・・・

2009年04月19日 | 悔いのない人生とは?
復活祭の次の日曜日。

アイルランドが拠点であるコロンバン会のアメリカ人の神父様が私の所属する教会に来られました。人事異動で・・・

噂通り、人間味溢れる、お喋り好きな、温かい雰囲気を醸し出したサンタクロースみたいな神父様です。

久しぶりに、ミサ中、ジョーク溢れる説教を聞いていたら、「あれれ??・・・」

サンタクロースのはずの神父様が、一昨年帰天されたI神父様に入れ替わってるじゃありませんか。。。

「あーーー、やっぱりね・・・ちゃんとこの聖堂に居るんだ・・・」

嬉しさのあまり、目が霞んできました。

同時に自分の中で我慢していたものが、すうーっと浄化されていくのを感じました。

ありがとう、ありがとう、

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この漫画で笑う

2009年04月17日 | 第2章 五感と体感
対象との違いがわかると「笑い」が生まれます。
自分が当たり前だと思っていたことを異文化で生活した人が疑問に思った時に、その違いの違和感に「笑い」が生まれることもしばしばあります。

最近、友達に教えてもらったマンガにハマっています。

「聖(セイント)☆お兄さん」

有給休暇をもらったブッダとキリストが、立川のアパートで共同生活する、という内容です。

まじめな言いまわしで表現すると、「比較文化的、比較宗教学的、文化人類学的見地による差異から生ずる解釈の相違」または「現象による比較考察」

聖なる人が、今現在、日本の限定された地域に住み出したら、どんなことが起こりうるか。。。
ひとりひとりの個性もそれぞれですが、世界中その地域によってさまざまな考え方、概念で人々は生活しています。

八百万の神様を大切にしてきた日本であるからこそ、この漫画が「笑える」ものとしてベストセラーになっているのかもしれません。

日本人の感性は、素晴らしいと思います。

大陸からの文化をそのまま写す努力を経験をすることで、長い時間をかけ、繊細で格調高い独自の文化が定着しました。

違いを受け容れること、違いを比べ検証する習慣が、現代を生きる私たちにしっかりと根付いていることをしみじみ感じます。

さて、この漫画、これから先、どのようなネタが登場するか、、、大いに楽しみです。

笑いのハードルが、かなり高度であることを密かに自負し合う傾向も、日本人の特徴であるかも・・・

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経験

2009年04月16日 | 悔いのない人生とは?
新学年、新学期、初めて出会う友達、先生。。。

どんなことでも初めてのことは、緊張します。不安感も増大します。

この人は、私のことをどう見ているだろうか?
あの先生は、私をどう思っているのだろう?

初めて表装教室を一人で任された時、生き甲斐の心理学の勉強会を初めて自分一人で世話人した時、とてもじゃなけど、自然体でなんかいられませんでした。

前日、何度も何度も、表装の行程をシュミレーションしたり、カウンセリングの理論を再点検したり。。。
でも、なかなか教科書通りにはいきません。

その場の雰囲気、思わぬ失敗、話題、傾向、流れはどんどん変化していきます。

えいやっ!!と飛び込んだ先で、経験する大変なこと。。。。それらを自分なりに克服していくと、それが経験に繋がります。

経験が重なれば、応用力も身につきます。

4月、新年度は、まだ始まったばかり。。
無理に頑張ることもありません。

経験が重なれば、身体に沁みついていきます。

自分にとって都合のよいこと、都合のわるいこと、
好きなこと嫌いなこと、これらが意識の上に上がるだけで、何かが変わるかも

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できること。

2009年04月15日 | 第2章 五感と体感
日々の生活の中、やるべきことが次々と現れてきます。

一日のサイクルの中で。
一週間のサイクルの中で。
一か月のサイクルの中で。
季節ごとに。
一年間という区切りで。
そして、突発的なこと。。。。

仕事や家庭のことなど、考えてみれば、私たちはとっても忙しい。。。

「自分ができること。できないこと。したいこと。したくないこと。」
これらをちょっとだけでも意識してみると、身体と心が繋がるような気がします。

身体と心が繋がると、春爛漫のお花を愛でる余裕が少しはできるかな・・・

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自分の内にある答え

2009年04月13日 | 第1章 意識と知覚
良かれと思って、アドバイスし続けても、結局、その人が言われていることに意味を感じなければ、その人にとってのアドバイスではありません。

おんなじところでつまづいて、同じ失敗を繰り返す。。。
この「私の傾向」を愛することができたら、生き易いのになぁ~と思うことがしばしばあります。

私が「うん、これこれ!」と腑に落ちたとき、何かとやっかいだった自己の傾向を受け容れる体制ができつつあるチャンスかもしれません。

親が私の答えを持っているわけではありません。
友達が私の答えを知っているわけではありません。
占い師が答えを出せるわけでもありません。

でも、一人で悩むことに不安があるならば、否定も肯定もせず聞いてくれて、しかも説教しない友達に話を聞いてもらうのが一番かな・・・

話を聞いてくれるのは、なにも人ばかりではありません。砂浜に座って、海と語り合うのも良し、仏像と向き合うのも良し・・・

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イースター

2009年04月12日 | 悔いのない人生とは?
✚御復活おめでとうございます

今日は、復活祭(イースター)です。

ここ数年、想いがつのる悲しい感情の聖週間でしたが、なんでしょうか、不思議なほど身体の軽い一週間を送りました。

時とともに、この週に湧き上がる悲しみの重さから解放されてきたようです。

また、何が起こるかわかりませんが、自分の心と体のスケールは、こんなふうに浄化し、解決していくように感じています。

「私」にしかわからない体感や感情をじっくり見つめると、信じて見えてくるものが顕れてくるから不思議です。

信じて見えてくるもの。
信じて見えなくなるもの。

この二つをいったりきたりしながら、自分の選んだ道を歩んで行きたいものです。


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どうせなら

2009年04月11日 | 悔いのない人生とは?
旅は好きです。

太平洋の孤島にインドの砂漠、ヒマラヤの山々やエーゲ海の紺碧の海・・・

学生の頃、早稲田小劇場を主宰されていた鈴木忠志氏の演劇に魅せられ、おっかけといってよいほど、のめり込みました。社会に出てからしばらくすると、私の演劇熱もすっかり冷めてしまい、今では、なんでもあり!の大らかな観劇をしています。
鈴木忠志氏は、今でも活躍されています。、と、わかったようなことを書きましたが、最近それを知りました。

もう30年近く前の話です。富山の利賀村、いまはどこかの市に統合されているようですが、そこで、前衛的な演劇祭が行われ、いまでは定着して毎年続いているようです。
岡山の直島にできた地中美術館も同じですが、その場所に向かう人は、それなりの雰囲気を持っているので、地元の人とは明らかに判別できます。
学生の私も、どう考えても、インド帰りのヒッピーみたいな装いで、人とは違うことを誇示していたようです。

今から考えると、ぞっとするくらいの若者で、しかし、十代の頃に芽生えた自己の思考や傾向は、私の身体にしっかりインプットされているので、着る服と年齢相応の身体はあのころとは違いますが、根本的な中身はあの頃のままなわけです。

先日、たまたま、利賀村の演劇祭に毎年通われている方に出会いました。
通ずるものにご縁を感じました。

場所を巡るの旅と年齢を経て経験した人生の旅は、結局、時を経て自己の内に統合されていくものだと、改めて考えさせられました。

だから、何が言いたいかっていうと、、、

どうせなら、好きなことをしちゃいましょ!ということです。

めぐり巡って、自分の都合の良いように、私自身、感情が湧き上がり、考えて、行動しちゃっているわけです。

理想と現実のはざまに立たされることは、生きている限り経験し続けることです。
でも、「どうせなら!」と選択していく人生は、自分にとって「悔いのない自己実現」への道しるべかもしれません。

今日はキリスト教の復活前夜祭の日です。
聖木曜日の主の晩餐、最後の晩餐から翌日十字架にかけられるイエス。そして三日後に復活するまでの行程は、ミサの中で正直な自己と向き合うよき機会です。

同時に4月8日のお釈迦様の誕生日と重なり、我の道を我が進むことを意識できるだけでも、私は幸せを感じます。

どうせなら、好きなことを選びながら生きていこう。

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私の感情

2009年04月09日 | 第2章 五感と体感
10年先、20年先の不安、メメントモリ、死を想うことへの不安、地球滅亡の不安、

遠い将来の不安は、どんなに健康な人でも不安解消は難しい・・・

それよりも、今日をどう生きるか。一カ月後の自分の目標のほうが、不安解消の一歩に近づくように思います。

さきほど、ようやく映画「木更津キャッツアイ」を観ました。

友との別れに、自分がどう向き合うか。。。とても難しいテーマのようでしたが、観終わった後、爽快感が湧き上がりました。

悔いのない人生。今の自分の感情の言語化。
相手を責めるのではなく、「私の感情」をどう伝えるか。。。

たまたまですが、朝からこのテーマを意識しながら仕事をしていたので、なおさら爽快感を味わったのだと思います。

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笑顔の余韻

2009年04月08日 | 第9章 愛
月に一度、江ノ電に乗って腰越まで行きます。
昨日は、腰越勉強会の日でした。

始発の藤沢駅から、江ノ電に飛び乗ると、スペイン人の家族が6人、席に座りおしゃべりをしていました。荷物をたくさん持った私を見るなり、手招きをして、どうぞどうぞと促されるまま、横に座らさせていただきました。すると、こんどは、よたよたとおばあちゃんが乗ってきました。もちろん、そのおばあちゃんにも「どうぞどうぞ」と手招きして、おばあちゃんも嬉しそうに「あらまぁ、私のお尻、ここに入りますかね~」と言いながら皆でぎゅうぎゅうに座りました。

その時のみんなの笑顔、湘南に降り注ぐ太陽が、私たちに幸福をプレゼントしてくれたようです・・・心から奥から湧き出る笑顔は、どんな優しい言葉を掛けられることよりも、解放感が得られます。

席を譲っていただいたおばあちゃんは、日本語を勉強しているらしき高校生の女の子にビニール袋に入った飴玉を渡していました。
これもまた、楽しい異文化交流。

私も腰越駅で皆さんに挨拶して、電車を降りました。

楽しい家族の旅、ボンボヤージ

さて、腰越漁港は、久しぶりにしらすの豊漁で賑わっていました。
お山の勉強会も参加者が増え、おかげ様で盛況です。
もちろんです。ここでも笑顔の勉強会。

にこにこ笑顔の余韻は、24時間以上続いています。
そんなわけで、今日も、なんだかウキウキと楽しい一日でした。

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ゴミ置き場から

2009年04月06日 | 第2章 五感と体感
一月に亡くなった近所のおじい様は、とても品のある優しさあふれた、礼儀正しい方でした。

ひょんなことから、一度、一緒に食事をしたことがあります。

戦時中は燃料関係の仕事をしていたので、呉に滞在。
戦火をくぐりぬけながら生き伸びてこられました。

それはそれは、謙遜を絵に描いたような方でした。

亡くなれば当然やらねばならぬ遺品の整理。そのおじい様の生活用品から思い出の品々まで、毎回毎回ゴミ置き場に置かれます。

私も、ゴミに出された書物には興味がありました。
でも、家族の方が、思いを巡らしながらやむなく捨てたものを拾うことは、さすがに遠慮していました。

しかしです。

先日、夫の机の上に、見なれない古本が・・・

ある心理学者の有名な本です。

拾ったそうです。

パラパラめくると、おじい様が引いたであろう鉛筆の線。。。

近所の人が、一冊、いやいや、二冊くらい我がものにしても、いいか・・・

魂は、ひょんなところから受け継がれるものかもしれません。

私の父がよく口にする言葉をふと思い出しました。
「ゴミは文化だ」

おっしゃるとおりです。父上様・・・


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