五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

解釈が変わると

2009年07月31日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
今、ここでの自分の感情を自分自身が捉えることができたら、次に行う作業は解釈です。

湧き上がった感情は、解釈へと移行します。

たとえば、不安な感情が湧きあがるとします。すると、その不安を克服すべく、自分は何らかの考え方が頭に浮かびます。

その考え方は人によって違います。

倫理道徳に関係なく、湧き出す感情をいったんそのまま自分の心の中で湧きっぱなしにしてみると、だんだんと、感情が具体的にみえてきます。

もし、「湧き出した感情に対しての自分の捉え方」に不服を感じたら、ちょっとばかり意識的に解釈を変えてみると、違った世界が見えてくるかもしれません。

自分の心の中は、自分以外の人が立ち入ることのできない聖域です。
自由意思を与えられた人間は、いかようにも解釈次第で現状を変えていけるはずです。
人類誕生から5万年かけて地球全体に住みついた「ヒト」。
生きる知恵が、ヒトの遺伝子に備わっていることを信ずると、ひ弱な自分も案外逞しいと感じられるような気がしてきます。


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感情をとらえる

2009年07月30日 | 第1章 意識と知覚
自分が悲しいのか悔しいのかわからずにやみくもに周りにあたり散らされるとたまったものではありません。

自分の湧き上がる感情が意識化されていないからこそ、当たり散らしちゃうもかもしれませんが・・・

当たり散らされた方は、それが続くと段々と自分の感情を抑え込んでしまいます。

気付くと、心がすっかり暗闇の世界に。。。

私と私以外の人との関係は、そうやって互い影響し合って成り立ちます。

夫婦、舅、子供との関わり、同じ屋根の下で暮らしていれば、それがもっと密度の濃い人間関係となります。

「私」の感情をとらえることは一番大切な作業です。

自分がその感情によってどのような「言動や行動」をしているか・・・ちょっと立ち止まって観察してみる時間を持ってみるのは如何でしょう・・・

30秒くらいかければ、自分の内に留まる感情が見えてくるはず
もし、見えてこなければ、ちょっぴり疲れているかもしれませんよ~~

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自我との関わり

2009年07月29日 | 第3章 無意識の世界
ふわふわした状況の中で「自我」というものに衝撃的な出会いをしたのは、過去に数回あります。

どういうことかというと、自分が自分であることの出会いという意味です。

現在の私は、ある場合においては逃避しているものもありますが、自我との関わりの中でしっかりと自我を意識している率が高くなってきたように思います。

思春期の長さは、人によってまちまちですが、私の場合は30歳くらいまで思春期だったように思っています。
自分の中で起こることへの決定、決断、責任感・・・
かなり欠落していたように思います。

自分の責任で行う諸々のことは、考え方も行動も感情もいつも何かによりかかっていたように思います。

だから、何か所在なしにフワフワしている、そんな表現が正しいかもしれません。
フワフワしていると自己を管理する自己責任の所在もフワフワしています。

一番衝撃的な自我との出会いは、「神様は私たちに自由意思を与えてくださった」ということを知った時です。

ということは、自分が選ぶことも、決定することも、行動することも、自分という身体が自分でやらなきゃ始まらないことだ、ということです。

答えは、自分の内にあることに気づかされた瞬間でした。

このことを「当たり前だ!」と思われている方は本当に幸せです。

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相手の理想化

2009年07月28日 | 第1章 意識と知覚
おだてに乗ると、あとで大変なことが必ず起こります。

自己過信による大失敗です。

たとえば、仕事場で「先生、先生!」と言われ、分をわきまえず、相手の「理想化」に乗っかってしまうというようなことです。

あなたと私の関係において、相手の私に対する「思い込み」をどの時点で意識できるか。

謙遜という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、「身の丈を知る」ことはどんなときでも意識していたいものです。

それと、自分が相手に対して「どこまで責任を負えるか」または、「どこまで関われるか」、自分の現実吟味力を測ることも大切です。

天まで昇る嬉しい気分の後は、ちゃんと地面に着陸したいものです。

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余計なエネルギー

2009年07月27日 | 第2章 五感と体感
幼少期に引っ越しが多かったせいか、それぞれの土地に馴染むには、自分自身の目で見たこと、聞いたことを信じて行動するしか他に方法がなく、自分の目の前で何かが起こると自分は自分である、と言い聞かせる癖もついていったように思います。そんなわけで単独行動が私の基本です。

放っておいてほしい、というのは、そんなところから出てくる感情だと自己分析しています。

不安感が湧き出すと、やたらと人に対して「ある一定の自己の防衛機制」を発揮する人がいますが、私はその逆です。とことんまで一人になりたくなります。根本的なことは誰をあてにしても何もならないということを幼いころに気づいてしまったようです。
心理学の学びをひたすら続けているのも、そんな所以だからこそかもしれません。

幼いころからの傾向が、今の私を成り立たせていることを多少は意識化しているので、それをもとに対策を練れば、余計な感情のエネルギーを放出せずに済みます。

「自分の湧きだす感情」の傾向と対策を「意識化」するだけで、余計な不安感に悩まされることが減ってくるように思います。

自分自身、どんな感情が湧きやすいか。。。
感じる違和感を意識化できるか。。。
そんな自分が好きか嫌いか・・・
真夏の昼下がりに居眠りしながら、こんなことつらつら思い巡らせることも良い機会かもしれません・・・

じたばたしても始まりません~

心の省エネ対策、如何でしょう?

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自分の感情表現

2009年07月26日 | 第2章 五感と体感
「自分自身から湧き上がる本音の感情を大事に。。。」と言うと、
子供への要求、夫への要求、職場の上司への要求、同僚への要求、、、
つまり、こうしてほしい、ああしてほしい、、、、ことや、こうしてくれない、ああしてくれない、、、と、いう言葉が出てくる方がとても多いのです。

それって、要求=思考であって、感情ではありません。

感情とは、その「要求=思考」が満たされないときに湧き上がる「感情」のことです。

こうしてくれないから、私はこういう感情が湧きあがる。。。

例えば、「宿題をしてよ、夏休み終わった頃に焦るのがいつものパターンじゃない!!、早くしなさいよ!!」、これは感情ではなく「要求=思考」です。このときの感情は、どうでしょう。。。
「不満感」「焦り」「不安感」、私ならそんな感情が湧き上がります。

だから、子供に対して本音の感情を語るのであれば「お母さんは、宿題を放っているあなたをみていて、‘不安,を感じるわ。。。」と言えば、感情の言語表現が相手にできたということになります。

「あなたのためよ!」と言う前に、「私の感情」の意識化をまずは大切に
「あなたのためよ!」は「私のため!」の裏返し

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聞くことは大事

2009年07月25日 | 第5章 和解と平和
心に不安がよぎったら、素直に聞いてみるのが一番かな。

案外、相手も同じことを考えていたり、まったく気づいていなかったり・・・

家族も友達も職場人間関係も、お客さんも、皆、心と魂と体で成っています。
人は皆、おんなじ条件で生きています。

傾聴ということも必要ですが、ちゃんと聞く、ということも大事なことです

不安が膨張する前に、ね

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ことだま

2009年07月24日 | 第2章 五感と体感
ギリシャ神話のナルシスは、水面(みなも)に映る我が姿に恋い焦がれ、死んでしまいます。そんなナルシスを愛するエコーは、自分の思いも届かず死んでしまったナルシスを想うあまり、体が消えてしまい、この世に声だけが残ってしまいます。

ヨーロッパ文化が育んだ心理学。ギリシャ神話と心理学は切っても切れない深い繋がりがあります。それは、当たり前のことで、神話は、その地に住まう人々の思考と感情と行動の原型になっているからです。

日本に生まれ育った私も、日本で語り継がれる神話は、必ず自分の心と体にしっかりと根付いているはずです。それは、意識・無意識に関係なく宿っているものだと解釈しています。

最近、能の謡いの稽古がちょっぴり楽しくなってきました。
腹から出す声が体内の器官を通るとき、円柱の筒をそのまま抜けるように声を出します。言葉でいえば簡単なのですが、いざやってみると、出し方、引き方の感覚がなかなか掴みくいのです。でも、これがうまくいくと至福の気分に至ります。

「うまくいく」体感を覚えていくしかないようです。
この感覚は、自分でしかわかりません。まさに「自分の内に答えがある」です。

某教会の聖歌隊のおばあさま方は、皆さん「謡い」を稽古しているそうです。
90歳過ぎても、聖歌隊の現役と聞きました。
口を閉じつつ謡うので入れ歯がはずれる心配はないか。。。と余計な心配がよぎりましたが、「ことだま」を体感しながら「謡曲と聖歌」を歌えるなんて、こんな素敵な日々をおくることができるなんて「なんと幸せ~」と思います。

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体感

2009年07月23日 | 第2章 五感と体感
昨日の皆既日食は、勉強会と重なり準備をしながら観ようと思ったNHKの中継を結局は見入ってしまいました。

11時半過ぎでしょうか、「太陽と月がどうなる」ということよりも自分が見えているものと体感を観察したく、しばらくじーっとしていると、外は曇った空のために暗くなるのではなく、光線のトーンが抑えられたような妙な静けさを感じる色合いに確かに変化しました。暑い日ではなかったのですが、肌に刺す冷たい空気が体感を通して感じられました。

硫黄島での風景を眺めながら、中継する方の言葉の的確さに感心し、おかげ様で共有する感覚を味わうことができました。

インドのバラナシから南太平洋までの数時間の天体ショー。
良くないことの前兆と捉えられていたヒンドゥ教、チベット仏教では良いことの前兆と捉えられており、変化する空を見上げた地上の人々は、それぞれの解釈と行動で、それぞれの土地で生き延びてきたわけです。
稀に起こる天体現象は神秘的な現象として人の心を揺さぶります。

そして、人に湧き上がる「思考と感情と行動」が「祈り」であるということは、どの場所に住もうと同じようです。

「体感」から感じる「感情」、そして、その「感情」から自分が「解釈」して起こす「行動」を「吟味」するには、こういった現象から自分自身の傾向「思考と感情と行動」を眺める絶好の機会であると思います。

世間の喧騒に惑わされず、自分の体感を信じてみると何が見えるでしょうか。

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必要なものだけ

2009年07月22日 | 第2章 五感と体感
生きていくのに必要なものってなんだろう。。。。

昨晩、急に以前から気になっていた引出しの整理をしました。
整理、というより、必要なものとそうでないものを振り分けただけですが。

「これは、取っておかないと・・・」と思って引出しに入れっぱなしにしていたものは、保険や税金。。。全て、生きていくための書類上の安心感をもたらす関係のものです。

だいたい、そういうことに鈍いわりには、「いつか読むから取っておこう」という気持ちが湧き上がり、何年も積み上がっていき、しまいに引出が閉まらないほどパンパンになってしまったわけです。

昨日のブログで南の島をふと思い出し、生きていくために必要なものは、自分が生きていくための意欲のみだ、ということを改めて感じたのが、整理のきっかけとなったのでしょう・・・

人生設計も必要ですが、芭蕉の木から採れるバナナを食しながら、必要なものだけを入手して生活することの大切さももう一度考え直したいものです。

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時間と体

2009年07月21日 | 第2章 五感と体感
沖縄のサンシンの音を聴くと、急に自分の体内時計が入れ替わります。
鼓の音も同じです。

「おぉぉぉぉぉぅーーー」人の声は、この音から始まったそうです。
森の民も海の民も、こうやって神様との対話がはじまったようです。

神様がいたるところに宿る日本は、古来から自然に精神は含まれていると考えられていたそうです。

太陽の光が降り注ぐ真夏の島。打ち寄せる波はとても静かで、それ以外は時間の止まったように風景が動きません。
自分が動くと、自然が作り出した動きを穢すように思ってしまうほどです。

自然の中にポツンと佇むと、動的な自己が急に自然の中に溶け込んで消えてしまうような体感を感じます。
このまま身体が自然に溶けてしまっても魂は居残る、そんな体感です。

都会の動きの中に身を置くことに慣れてしまうと、動いているものに気を取られ、自分の身を守るためにどうしても自然と自己の距離が離れてしまいます。

自然に含まれている自己。

眠る体感を呼び起こす時間は、人には必要です。

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夏の目標

2009年07月20日 | 第1章 意識と知覚
与えられたことを、ひたすらやっていたここ数年。
ひたすらやっている時期を少し脱してきたように思う今日この頃。

そうすると、次にまた表れてきます。。。課題が。
これが私の性分だからしょうがない、と苦笑いするばかりです

「ほんとうにできない」「嫌だ」「やりたくない」、、、と思うことは手をつけません。「やる」「やらない」の判断は、自分の中でうずく好奇心が私のスケールかな、と思います。その次に、時間という問題。関わる時間があるかないか。

あんまり先のことを考えず、とりあえず8月いっぱいに「せねばならない」ことを中心に、蝉の鳴き声と一緒に真夏を楽しむことにしようっと

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夏休みのはじまり

2009年07月18日 | 第2章 五感と体感
天国のRくんから贈られたひまわりの種が、梅雨明けと同時に開花しました。
16本中、8本の花が咲いています。

私の仕事も夏休みモードになりつつあります。
春から続いていた仕事も一段落したので、ここ数日、家の用事をいろいろと済ませています。

家業の取引先からも「明日から夏休みに入りますので、何かありましたら携帯にお電話ください。」との連絡が入り、「あーーー、世間は、ほんとうに夏休みなんだ~」と改めて実感。

この春までは、高校の制服を着ていた我が子もその必要が無くなり、大学生ともなると子供の行動をいちいち気にして生活することもなくなりました。
15年間、お弁当作りの生活をしていたことにハタと気づき、子育てする親の役割は、何気なく終わってしまうものだと、自分の環境の変化をこれまた改めて実感。

夏休みのはじまり。
この一か月は、じっくりと掛け軸作業をし、のんびりと仕事をし、生活速度を落としながらゆったり時を過ごそうと思います。

・・・とりあえず、夏の行動計画はこんな感じです。

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自己分析型ドラマ

2009年07月17日 | 第2章 五感と体感
小説・映画の「西の魔女が死んだ」は、受け取る側が自分の内に秘めた思いと重ね合わせながら静かに意識化していくことができます。
それとは反対に、
ドラマ「ダンディダディ」は、自己の感情を正直に表出しながら父親としての悩みを意識化していきます。「あからさまとはこのこと!」と半分呆れながらも、これだけ自分の思考と感情と行動を一致出来たら「心を病む」ことはないだろうな~という思いが湧き上がりました。言いたいことが言えないお父さん、必見かな?

主人公の売れっ子恋愛小説家は、高校生の一人娘と二人暮らし。娘の恋愛を巡って自分の小説とは正反対の考え方が自分に湧き上がり、心療内科に飛び込みます。
そこで、長椅子に仰向けになり精神分析の自由連想法で湧き上がる想いを話します。そうはいっても、自分の理想と現実のギャップは埋まりそうもありません。

自由連想法なんてしなくても主人公の無意識の意識化はとうにされており、わかっちゃいるけど、やめられないお父さんが素直に描かれています。

わかっちゃいるけど、、、、

そろそろ世間は夏休み。

親子で顔を突き合わせながら、言いたいことを我慢しつつ、夏休みを送るご家庭も多いかもしれません。

ダンディダディを親子で観ながら、本音の感情をポロッと呟いてみるのは如何?
互いに聞いてないようでいて聞いてるものです


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アイデンティティの統合

2009年07月16日 | 第2章 五感と体感
人は、揺れながら立つ姿勢を保っています。
常に揺らめいているそうです。

脳から発信される指令と人生の経験がどのようなタイミングで表面上の動作に信号を送るのかは私にはさっぱり分かりませんが、心も常に揺らめいています。

揺らめきが無くなってしまったら、きっと「意識」も無くなってしまうのでしょうね・・・

小さな揺らめきから大きな揺らめき、衝撃的なゆらめき・・・
その度ごとに一喜一憂、そして満足、不満足を味わい日々暮らしている私たち。

そんなゆらめきの日々でも、自分の見据えた目標を基準に何かを選んで生きているのです。
「自分の内にある答え」というのは、いつも自分の内に宿っていて、そこから選択して決定しているはずです。
自分では気付かなくても「○○さんらしいなぁ」と思うのはそんなところからくるのかな、と思います。

アイデンティティの統合は、他人と共有できるものではありません。

自分と他人、自分と子供、自分と夫(妻)、自分と親、自分と舅・・・

人の揺らめきを気にする前に、まずは自分の揺らめきに「気」を留めてみると、きっと何かが見えるかも

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