五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

皆様に感謝

2011年12月30日 | 第2章 五感と体感


photo:ルーブル美術館


今年もあと二日となりました。今日は晦日です。

このブログに毎日お付き合いしてくださっている皆様に感謝申し上げます。

時々能楽の事、表装の事を書きながら「生き甲斐の心理学」を基に、美術や歴史や文学や漫画、音楽、日常のこと、人とのやりとりから感じたこと、街で見かけたこと、旅の記録等をつらつらと書き5,6年が経ちました。

今年は3月11日の大震災以来、なるべく休まずに書こうと決意し、朝起きたらすぐにパソコンを開け書くよう心がけるようになりました。たまに休刊すると、友人が心配してくれるのが励みととなっています。

学校や各施設や講座の皆様、NPOを支えてくださる皆様、通信講座生の皆様、友達、表装の皆様、能楽の皆様、ツイッターやfacebook、ミクシイから読んでくださる皆様、そしてブログランキングから入ってくださる皆様、今年も一年間ありがとうございました。

与えられた大切な命を「私という個性」がどんなふうに私自身が活かしていくかは、人の普遍的なテーマです。

また来年もブログを通して共に歩んでくださることを願います。

感謝をこめて。

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感情移入と表現の美

2011年12月29日 | 第2章 五感と体感




Bon Noel!↑Paris

遅ればせながら物凄く気になっていた映画「ブラックスワン」をようやく観ました。

ナタリーコールマンが「白鳥と黒鳥」可憐な少女から悪魔的な女の二役を舞台で演じるバレリーナを演じています。

芸術家として一人のナレリーナが舞台に臨む「精神的成長」と「感情移入」を表現している映画です。

映画を観ながら、狂気と芸術を考えていました。

ゴッホにしてもムンクにしても、草間弥生さんにしても、出来あがった作品を観て、狂気と芸術は紙一重だと思う事はしばしばあります。
でも、狂気という錯乱の中では絵は描けないし、音楽も奏でられないし、舞台で舞う事もできないのです。
芸術家は芸術、つまり表現の中で自己統合しています。他者がどう思おうと自分が統合されていなければ画一的な個性としての表現は生まれないからです。

舞台にしても美術にしても、表現される画一的な個性の美は、孤独と修練と気付きをひたすら繰り返し、螺旋状が上がったり下がったりしながらそれでも上に昇っていくのが自己統合した人の表現だと思うのです。螺旋状が下がったままであったとしたら多分表現を生みだすことはできないはずです。

プリマの「完璧」という言葉は、果たして相応しかったのか否か、ちょっぴり考えさせられた映画した。

でも、美を追求しようとする表現者の孤独や嫉妬や恐怖の感情は、私自身感情移入させていただきました。

年末の忙しい時期に、まどろっこしい映画を観るのも私の防衛機制「逃避」のひとつ、かも^^;

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天国を信じている人

2011年12月28日 | 第1章 意識と知覚
「そろそろ携帯電話を持ったら?」

と、単独行動の多い親しい来年88歳になる神父さんに問うと、「要りません」と、きっぱり。

彼はスロベニア人です。共産党政権の国になった母国に40年間入れなかったどころか、その立場上、自由に他国をいったりきたりすることができないことを覚悟で、日本に渡り55年経ちました。
スロベニアとなってからは、ユーロにも加入し、国が開かれました。神父さんもここ10年毎年母国を訪問しています。とても幸せそうです。
もともと、天性の明るさのある神父さんなのですが、鎖された国の重荷はあったようです。毎年徐々に更に色々なことを話してくださるようになってきました。

普段は、某大学の敷地にある修道院に住まわれていますが、夏の季節になると涼しい土地に移動します。ものすごいぼろ屋に一人で住むわけです。

神父さんをお世話してくださる方々が亡くなったり、病気になったりして、私達も神父さんの住まう環境を心配しつつあります。
そんなわけで、「一人で暮らしている中、何かがあったら心配だから、携帯持ったら?」と問うわけです。

そうしたら、昨日はこんな言葉が帰ってきました。
「もし、誰かと二人で死んだら、そっちのほうが問題でしょ。一人で死ぬなら、とっても幸せです。」

孤独と常に向き合ってきた人から紡ぎ出る言葉だな、と納得致しました。

ほんとうに幸せなんだと思います。

こっちは、心配だから、時々はお節介を致しますが、それはそれで、本当に楽しいひと時なのです。

人は、どんな人でも一人で死んでいくのです。よくよく考えてみると、そうなのです…。私だってそうなのです。

65年もののナポレオンで乾杯し、紅茶にカシスのリキュールをたっぷり注ぎ、意気揚々と帰って行かれました。

65年前は、祖国を逃れ、ローマで神学を学んでいらした頃。。。人生は、面白いと思いました。
当然、私はまだ生まれていませんが、思いもよらぬ日本の地で繋がる不思議さ…。これも必然です。

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喪失の只中

2011年12月27日 | 第2章 五感と体感
先日、被災地の雇用事情について報道されていました。

「被災地の経営者が会社を復興させ、稼働するにあたり雇用をしようにも人が集まらない。生活保護で生活している方々が働こうと思っても、会社から支払われる給料が見合わない。それだったら生活保護を受けていた方が良いから働くことを躊躇する」という内容でした。

お金だけの問題なのでしょうか?
と、いう疑問が私の頭に浮かびました。

「事実は事実」として報道することは大切ですが、「個人的解釈を強調してほしくない」と不愉快な気分になりました。

確かにお金は大事です。生きていく上でなくてはならないものです。

でも、震災からまだ一年も経っていません。
心の中は、これから新年を迎えるにあたり、去年のことを思い出すと、あまりの落差に不安感が増して来られる方のほうが多いかもしれません。
今までの暮らしを思い出し、そこから湧き出してくる不安感は、私達が簡単に表現できるものではないはずです。

大きなショック体験を生きていくために前向きな解釈が出来るまで、まだまだ時間のかかる方が多いことを忘れてはならないと思います。

画家シャガールは、最愛の妻ベラを亡命先のニューヨークで亡くしました。あれだけ絵を描くことを空気のように感じていた画家であっても、その空気を吸う事ができなくなりました。画筆は止まり、一年間筆を持つこともできず、ようやく描くことができた作品は、私達がイメージしているシャガールとはかけ離れた暗く孤独で寂しく真っ暗な絵でした。

恐怖感、喪失感、孤独感、無気力感…

事あるごとに押し寄せてくる底なし沼のような不安感は、誰が何をケアーしようともまだまだ拭えるものではないはずです。

活動することで乗り越えようと必死になっている人も、
動くことができず、毎日が不安な人も、
「私は何のために生きているのか」「私の生き甲斐は何か」「私は魂と身体と心を大切にしているか」という「三つの思索」を心の中で自分に問うてみることが大事なようです。

大きなショックを受けている人々の乗り越え方はその人の個性そのものです。
画一的な解釈をするのではなく、それぞれの方々心の深さを配慮することは、私達の想像力にも繋がっていきます。

報道する側も一方的な情報を流すことに囚われず、観点を変えながら総合的に捉えて報道してほしい、と思いました。

まだまだ精神的なショックが大きく、動くことが出来ない方々も大ぜいいらっしゃることを心に留めていたいものです。

損だ、得だ、ということばかりを強調して報道するのは、胸が痛みます。

人を大切にしたいと思う一人の納税者の意見として、述べさせていただきました。

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美しいものをつくる

2011年12月26日 | 第2章 五感と体感




Bon Noel!↑Paris

私の「物」に対する愛着は、高円寺の民芸品店「ねじめ」から始まっていることを何度かブログで書いていますが、

小学一年生の子供が惹かれる「物」も大人が惹かれる「物」は、そう変わらないように思います。
これは、私の体験から言っているだけのことなので、いろいろ異議があるかもしれませんが、私はそう思っています。

生活の中で生まれた道具や物は、人々の生活の営みの中から創意工夫され、使い勝手良く形作られ、いつしかその形が普遍性を帯びた物になっていきます。

スプーンやフォーク、ヤカン、お醤油注し等、当たり前に使っている物は、実は当たり前では無く、その形作りに従事する人の探究心や物を愛する精神から生まれている物であることを忘れてはならないのです。

芸術もプロダクト(工業)デザインも精神性は一緒です。

今年は、震災直前に彫刻家「佐藤忠良」の展覧会が世田谷美術館で行われました。忙しさにかまけて行きそびれ後悔している展覧会です。そして展覧会直後に佐藤忠良師は逝去。佐藤忠良氏は創作のシンメトリー的な美を私に教えてくださいました。

そして、先日は、横浜そごう美術館で「柳宗悦展」が開催されました。久しぶりに手で慈しみ、目で慈しむ物の暖かさが蘇り、自分の生活の在り方を再考するきっかけを頂きました。
日本の高度成長を共にしてきたプロダクトデザインの象徴といえるご子息の柳宗理師が手掛けたデザイン(意匠)も改めて拝見し、暮らしの中で普段使いしている物の形の美しさを再確認しました。

民芸運動から始まり、それを継承し、美しい意匠をたくさん生み出してくださった柳宗理氏のご冥福をお祈りします。

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私らしく生きるためのギフト

2011年12月25日 | 第2章 五感と体感


Bon Noel! ↑Paris

与えられている環境は、天からのギフトだと思っています。

ギフトだからといって、それが自分にとって与えられたものすべてが「嬉しいもの」とは云えないことはしばしばあります。

与えられている環境の中で、哀しみ、悲しみ、怒り、嘆き、憎しみ、苦しみ、不満を抱くことも天から与えられた人間の感情だと思っています。

大変な思いをしているのに、無理やり「これは天から与えられた試練だから、我慢しよう」なんて思ったところで、どうでしょう…。自分を抑制し、どんどん追いこんでいき、そのうち抑制が自分の個性となっていきます。つまり、これが抑圧です。

「この世は天国だ」と言われても、自分がほんとうに感じ、思っているのなら、こんなに素敵なことはありません。
「この世は天国だ」と思いたいあまり、無理やりこじつけているのでは、それは天国とはいえません。

私という一人の人間が、私らしく生きるために与えられた環境を生かすも殺すも私次第なのです。

自分の感情が深ければ深いほど、感情の幅は深くて広くて大きいはずです。
自分の感情が平坦で幅が少ないよりも、感情の幅が深く大きい方が、喜びも深く広く大きいようです。

今年のクリスマスに与えられた自分のギフトを静かに見据えることが、私が解釈しているクリスマスです。

✚主の御降誕おめでとうございます✚

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新月から始まるメリークリスマス

2011年12月24日 | 第2章 五感と体感




Bon Noel! photo:ノートルダム寺院のツリー

イエスキリストの誕生は、冬至に深く結びついています。

エジプト、メキシコ、ペルー、UK、ヨーロッパ等、世界中にある名だたる遺跡は、太陽の動きを重視して建造されているものが多いですね。。。

冬至は、一年で一番日が短いので日が一番長い夏至に向かうための、つまり「闇から光」を象徴するに相応しいのです。

闇から光は、イエスキリストの誕生を祝うに相応しく、キリスト教が整い始めた4世紀に誕生日として制定したようです。

仏陀の誕生日もキリスト教の復活祭とほぼ重なり、2月あたりから修二会で罪を贖い、懺悔を繰り返し、仏陀の誕生に向かい修行に入ります。これは、キリスト教の復活祭に向かうための四旬節も同じです。

漫画「聖☆お兄さん」のように、キリストとブッダが立川のアパートで共同生活をするのもさもありなん。。。と思うわけです。

このような説明を理論的に解りやすく楽しく説明すれば、「信仰とは」というアレルギー性の強い問いかけに人が耳を傾け、「自分は何のために生きているのか」という哲学的な自問自答がしやすくなるように思うはずなのに…と季節のイベントごとに思います。

今年のクリスマスは、19年周期の新月だと聞きました。まさに闇から光へ…です。闇から光は復活と再生を意味します。
東日本大震災、原発事故、紀州の台風被害…
今年は他に何があっただろう、と記憶が無いくらいの大変な災害に遭っている被災者の方々。
そして、津波で被害に遭わずとも、地震当日は帰宅困難となり、原発事故で翻弄されている私達も被災者の一人であることを意識化したほうがよいと思っています。

乗り越えることをイメージし、復活と再生を信じて、明日、そして明後日を生きることを今日の祈りに籠めたいと思います。

αからΩ

メリークリスマス
✚主の御降誕おめでとうございます。

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心の鎮め方

2011年12月23日 | 第2章 五感と体感






Bon Noel! ↑Paris

この2,3日間は、心の平安を意識して厳かに過ごしたいなぁ~、と思っています。

心の中を平坦にしてみると、自分の呼吸だけが意識できるのですが、もう少し平坦な心を持続してみると、平坦から静寂へと移行していきます。
座禅とか瞑想に入る時や祈る時、いつもこんな感じで自分の内を整えていきます。

つまり、平坦は落ち着くということと同じかもしれませんが、落ち着くまでに平坦を意識してみると、落ち着きやすいのです。
なんだか、禅問答のようですが、落ち着くためには、心の中に自分の持つイメージを広げると良いかもしれません。

最近、私がイメージするのは、金剛流だけで舞う能楽「雪」の風景です。

謡いの言葉が、自分の静かで平坦で、何もないイメージとピタリと合い、心の抑揚が鎮まってくるのです。

カッコよく言えば、こんな感じですが…;

自分なりの心の鎮め方を意識できていると、年末の忙殺をバランス良く過ごすことができるかもしれません。

砂漠の夜に一点の星を見る環境もあれば、冴え冴えとした雪の風景に雪の精を見る環境もあるわけです。

待降節と冬至と天皇誕生日。お祝いを心に留めながら「明かり」の方向に向いていきたいな、と思います。

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冬至と甘いもの

2011年12月22日 | 第2章 五感と体感




Bon Noel! ↑Paris

今日は冬至です。

一年で一番夜が長い日です。
そして、明日からは夏至に向かって日が少しずつ延びていきます。

フランスでもクリスマスになると「ギー」(宿り木)という名の常緑樹の枝を飾る風習があります。
日本の榊に似た感じです。
街にギーの露店がでて、手にしている人が目につきます。

日が短くなり、寒くなってくると朝起きる時間が段々とずれ込んでいきます。そして、この数日はやたらと甘いお菓子が頂きたくなります。寒くなると身体に必要なエネルギーを自然と身体が欲するのでしょう。

昨日は午前中から「ほくほくとした栗饅頭」を頂きました。表面に艶やかな茶色いテカテカを塗るのは栗饅頭独特の意匠です。
でも昨日頂いた栗饅頭には表に餡子がたっぷり。中に栗がコロンと入っています。
或る亡き方を偲びながら、一緒に頂いた栗饅頭の味が、その時間のすべてを暖かくしてくれました。故人の魂と共に憩いの時間を共にした感じです。

夜は、富良野のパン屋さんが作っているシュトーレンを一切り頂きました。
シュトーレンはクリスマスを待ち望みながら頂くケーキです。
これもまた或る亡き人を偲ぶために毎年頂いているお菓子です。

色々な想いあっても、甘いお菓子のお陰で幸せが訪れてきます。

しかも、ある修道院から小包が届き、開けてみると、シスターが作ったクッキーが入っていました。
慈しみ深い心遣いに、ほんのりとした愛情を頂き、一年頑張ってきた御褒美のようでとても嬉しく…。

甘いもの尽くしのクリスマスウィーク!

冬至の今日はカボチャを甘く炊いて、小豆も炊いて、太陽と共に生きる一年の終わりと始まりを祝う事とします。

柚子湯も、もちろん入ります。

オークションでどんどん値上がりしている冬至祭の意匠のムーミン・マグカップ。今日はそれも出してお茶頂きます^^。

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年の瀬に思う事

2011年12月21日 | 第1章 意識と知覚


Bon Noel! Paris↑

今年度の学校の冬休みは、いつもより長いように思います。

雪国は、すでに冬休みに入っていることと思いますが、雪の無い地域は22日あたりから1月10日くらいまであるのではないでしょうか。

今年は、去年とは違う思いの年の瀬です。

こうやって通常通り働いて暮らしていけること自体が幸せで、他に望むものはありません。

今年もあと11日…
一日を大切に、一気に駆け抜ける事と致します。




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生姜と紅茶で免疫力アップ

2011年12月20日 | 第2章 五感と体感


Paris ↑Bon Noel!

いよいよ今週と来週を残すのみとなりました。

今年は、年末ぎりぎりまで、仕事と修業になりそうですが、その間のイベントもしっかりと楽しみたいので、健康管理に気をつけたいと思っています。

健康管理と云えば、私の場合、「低体温」です。
35度の前半をうろうろしているので、風邪ウィールスに対する免疫力になんとなく自信がありません。
先日、友人から生姜の粉末を頂き、毎朝紅茶にほんの少し入れ、飲み続け出しました。
すると、違うのです。

身体がぽかぽか…^^/

あまり自信を持って自慢すると、とたんに風邪をひくので、これくらいにしておきますが^^;
身体をいかに温めるか、という課題を持ち続けていた私にとっては、ありがたいことです。

毎年、冬になると冬眠したくなるのですが、人間にはそれは許されないようなので、なんとか乗り切りたいわけです。

今日も生姜紅茶を頂き、お正月に仕事を残さないために頑張ります♪

(ネパールのトレッキングした時の峠の茶屋で教えていただいたチャイの作り方:小さな鍋でミルクを温め、紅茶と生姜と砂糖を入れます。それを漉して出来上がり。寒い時は甘さもかなりのものです。)

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襲う不安感

2011年12月19日 | 第2章 五感と体感


写真は、Parisの確かサンシュルピス教会だったような気がしますが、間違えていたらごめんなさい…。もしかしたらサンジェルマンデプレ教会だったかもしれませんが…
聖母マリアが、十字架からイエスを抱いている「ピエタ」です。でも、普段目にするピエタとはちょっと違います。よく目を凝らして見てみるともう一人抱かれている人がいます。
宗教学的には、ヨハネと言われているようですが、私はマグダラのマリアであってほしいな、という思いがあるので、マリア様に抱かれているのは、イエスとマグダラのマリアだと信じています。
キリスト教以前の諸々の宗教が混じり合う中、二ケアコンスタンチノーブル信条を基に聖書が編纂されていきます。教会を見て回る毎に感じるのですが、キリスト教以前の太陽や母神信仰が心の奥底に根付いているヨーロッパの人々は、マリア信仰の傾向が強いように思います。

(小説ダビンチコードにも登場する教会です。だから、やはりサンシュルピスだと思います…^^;書いているうちにそんな気に成ってきました…)

さて、
大事な人を亡くしたり、ショッキングな出来事に遭った経験があると、それが起こった日が近づくにつれ、得も知れない不安感が自分を襲います。

思い出したくなくても、その時の気候、歳時、その時自分がやっていたこと等、抑圧し封印していても、ある瞬間、ふと湧き上がり、底無しのような不安に落とされていくのです。

東日本大震災においても同じです。

昨年の暮れを思い出し、ふと、元気に暮らしていた家族の姿が蘇り、大きな不安の渦に呑まれていくのです。

暮らしの中で感じる事のなかでショックな体験は、ふとしたきっかけで蘇ってきます。

その苦しみは、体験していない人には理解してもらえないものだと思います。

湧き出してくる感情の処理は、他人を頼ることはできません。湧き出した不安感が治まるまで、自分自身で何とかするしかありません。本当に孤独です。

そんな時に、自分が大切にしている考え方が自分を救っていきます。

私の場合、このピエタに出合った時に心と身体が自由になる体験をしました。いつも自分の魂と心と身体に添う存在を信じていることに強みを感じたのです。
東大寺の盧遮那仏の光も私を統合させてくださるものですが、聖母マリアのマントに包まれる感覚も同じ効用があります。

昇る太陽に手を合わせ拝むことも、山に帰る魂を信じることも、湖に住む龍を信じることも、心の平安を求める私達に共通した統御感であることに変わりありません。

その時に体感する統御感は、他者に知られることもなく、理解できるものでもないのです。

深い不安感を感じる時と同じなのです。

一人、静かに手を合わせ、天と会話する時間を大切すると、自分の深い不安感に添ってくれている存在に気付くかもしれません。

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語り継ぐ事は繋がる事

2011年12月18日 | 第2章 五感と体感


Bon Noel! Paris♪

☆「小さな町を呑みこんだ巨大津波「-語りつぐ・証言 … やまもと民話の会 ☆
☆「小さな町を呑みこんだ巨大津波」ー語りつぐ ー 第2集・声なき声に寄りそう…やまもと民話の会 ☆

この2冊が昨日届きました。

2011年12月8日の経済新聞に掲載された庄司アイさんの記事を読み、真っ先に山元町に電話をかけ、この2冊をお願いしました。

昨晩から、じっくりと拝読させていただいております。
どちらかというと読む速度の速い私は、今回ばかりは、一文字一文字、つまり一言一言の言葉を語りを聞くように読んでいます。

人の言葉は、その人の声の出し方、その地方独特の言い回し、抑揚、間、そして語る方の表情が表象という側面において表現されます。
そして、聞く人は、その言葉を生みだす背景が深く大きく裏打ちされているのを感じます。

大変なことを経験された方々が、このように言葉に出していらっしゃること自体が奇跡としか言いようがありません。

やまもと民話の会で活動されていらっしゃる方々も被災者であり、しかもこの会の使命と役割に早く気付き、「寄りそい、聴き取る」を始められたことは、世の中に知らせ、後世に残すためにもとても貴重な「真実のことだま(言霊)」だと思います。

心理療法を学び、宗教心理学を学びながら、生き甲斐の心理学の教育活動を行うことと学校のカウンセリングルームで働いている私にとって、人の発する言葉は「宝石がちりばめられた宝物」だと思っています。

経験している只中の人の魂と心と身体に触れながら、その人の「思考と感情と行動」を傾聴していくことは、「語る」「聴く」つまり語りを聴くことと同じなのです。
言霊に寄りそう事は、その人の真実と共に時間を共有することと同じことだと考えています。

体験していない私が、何ができるか、ということを9カ月考えてきました。
「カウンセリングやってるのに、なんで動かない!」というご指摘も随分頂きました。
でも、私には私の仕事があり、役割があります。生半可な気持と期間で関われるものではありません。心の問題は、特にそうなのです。しかも一年、二年で解決なんてするものではありません。

震災後、すぐに行動を起こす方もいれば、私のように、流れを見ながら自分の持っているものをどのように生かしていこうか、、、と、長い思索をする人も居るわけです。

その思索の最中に出合った「語り継ぐ・声なき声に寄りそう - 小さな町を呑みこんだ巨大津波」よ拝読させていただくことで、真実と向き合いながらやっとのことで言葉に出せた方々の本を読むことから自分の活動が始まることを悟りました。

本を読み、この存在を少しでも多くの方に知らせることが、私の微小な一歩かな、と思います。

華厳の思想ではありませんが、小さな粒子が繋がり、隣と隣が関係を持ち、それが、さらに関係を繋げていくことで宇宙が成り立っていることと人の繋がりも同じなのです。
小さな一粒の砂である自分ができることは、そんなことです。

偶然なのか必然なのか、それは解りませんが、一月末にカトリック宮城県白石教会での講演会(私達の師匠)が実現することとなりました。それを実現するべく動いてくださった山元町のNPO法人で働く勉強仲間に感謝しています。彼女の事務所も津波で流され、同僚の方々が亡くなりました。
これから、どのように繋がっていくかは未知ですが、兎にも角にも人との繋がりを最も大切にしていきたいと思います。

人は考えた通りの人に成る…という、ヒンドゥーの教えは、ほんとうだとしみじみ感じています。それを信じて、繋がってきた御縁からは、きっと何かが生まれるのだと思うのです。

皆様、よき待降節をお過ごしください^^//

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昔の経験を生かすこと

2011年12月17日 | 悔いのない人生とは?


Bon Noel! Paris ↑↑

昔の経験に囚われて、自信をつけているものもあれば、自信がないものもあります。

これをやると、また失敗しちゃうんじゃないだろうか…

また悲しい思いをするんじゃないだろうか…

いくつかある失敗の経験、怒られた経験、親から躾けられたことなどが頭に過り、二の足を踏むことは、案外多いような気がします。
それらが自分の命を守るための術だとしたら有難いことです。
でも、それらが自分の一歩を踏み出すための足かせになっているとしたらどうでしょうか?

一歩踏み出せないことが、昔の経験の囚われだとしたら、とてもったいないことかもしれません。

自分の人生は一度しかありません。

私は、人は亡くなる瞬間まで一歩踏み出せること信じてはいるのですが、自分の行動の力には限界があります。身の丈に合う行動は、自分の過去の経験の積み重ねで、多少は要領良くなっているようです。

年齢を重ねるにつれ、自分の要領の悪さを受容しながらも、自分の経験は宝物だと信じ、自分自身を生かしていこうと思うのです。

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自分を踏み留めているもの

2011年12月16日 | 第2章 五感と体感


Joy EU Xmas! Bon Noel ・・・・Paris

「自分を踏み留めているもの」って何なのでしょう?

その一歩が踏み込めない…

何故なんでしょう?

「行動できない…」時の自己評価って、どんなものでしょう?

自分の「心と身体と魂」を肯定しているでしょうか?
自分の「思考と感情と行動」を肯定しているでしょうか?

逆に、自分が何の疑いもなく、ためらいもなくやっている事は何でしょう?

自分にとって簡単に楽に当たり前のようにやっていることでもある人にとっては奇跡だったりします。

朝起きて、ブログを書いて、食事をし、洗濯物を干し、仕事に出かける…。これは私の通常の朝の行動です。
自分が自由に動くことができること自体が、私が行動するための「整った条件」なのです。

具合が悪かったり、急な用事ができたり、普段通りやりたくてもできない事情があったり、、、そうなると、一日の始まりは自分をストレスに追い込みます。
ちょっとのことで、凹んだりします。

自分が一歩踏み出し動くための条件は、あとは何が整えば良いのでしょう?

過去を振り返ることにより、自分の不安感を意識化することができたら、それを何年も引きずることを一旦心に仕舞い、明日できることを考えてみることを考えてみたいものです。

「いつもの言いわけ」という「防衛機制」の裏にある「不安感」を一旦、忘れてみる、と、どんな自分が見えてくるでしょう?

それが、5分でも10分でもできたら、毎日、その時間を増やしてみると、「防衛機制」の苦しみから解き放たれる時がくるかもしれません。

カウンセリングの現場では、クライアントの不安感を重点に聴きながらも、徐々に、幸福感を意識していただきながら、自分が前に進むための条件を自分で整えていかれるような傾聴をしていきます。
自分自身で整えた条件の中で自分の行動に責任を持っていくと、いつしか気になっていたことが気にならなくなってくることにある日気がつくようです。
そのようなハッピーなことを経験させていただくたびに、「ほんとうに答えは自分の内にあるんだ…、」と感動を覚えます。

一日で解決できるものもあれば、数年かかるものもあります。一生抱えざる得ない苦しみだってあります。
それをどう解釈していくかを共に学んでいける時間を大切にしたいものです。

今日は、東急セミナーBE雪谷の勉強会です。
年末のあれこれを皆さんと語り合いながら、「自己実現」をテーマにしたいと考えています。

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