五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

天国からのイタズラ

2008年06月30日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
信頼する人との別れから丁度一年が経ちます。

その人は、いまだにブラジルに住み、元気に活動し、私が書くブログにもいつものように突っ込みやヤジを飛ばし、でもたまには優しい言葉で励ましてくれたり、素直な自分を語ってくれたり・・・。それはそれは、賑やかで楽しく、まじめで正直で、気遣いのある聖職者です。

、、、と云いたいところですが、今は天国で私たちを見守ってくださっています。

この一年、Hさんを巡る人たちとの交流が私にとってとても大切な経験でした。
横の繋がりが如何に心のよりどころになるかを、身をもって体験したように思います。

先日、不思議なことがありました。
世田谷美術館にて行った表装の作品展に、たまたまお散歩で立ち寄ったシスター方が入ってこられました。いつもなら、声など掛けないのですが、その時は、なぜか話かけました。お話を聞いているうちにその中のお一人が今年の春ブラジリアから帰国したばかりだとおっしゃいました。そのブラジリアのある修道院で、一晩だけHさんを泊めたそうです。彼は、日中陽の差すなか話を聞いてほしいという若者を木陰に誘い、熱心に聞いていたそうです。ポルトガル語で、話すことすべてを聞きとれるわけでもなく、彼はひたすらその人の目を見ながらウンウンと頷いていたそうです。話を聞いてもらった若者は明るい表情で帰っていったそうです。

その姿が未だに深く印象に残っているそうです。

表装の作品展で、そんな話題で涙するとは思ってもいませんでした。しかも、Hさんを知る人がその会場に数人居たときでした。

きっと、この出会いもHさんのイタズラに違いない。。。

そう思うと、パッと明るい気分に導かれるのです。

たぶん、この一年、そのようなイタズラを感じ取り、「あ、ここに居るな~」
と思われた方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

7月1日。

この日がまた訪れることに、ちょっとした緊張感はあるのですが、これもまた、Hさんのイタズラのようです。ちょうど、腰越での勉強会があり、そこで彼を知る人たちと時を過ごします。云い知れない孤独感を一人で過ごさないで済みそうです。

今日から明日にかけて、祈りのうちに過ごします。

イタズラ好きのHさんのサプライズを今後も期待しながら、皆と微笑み合いたいと思います。
7月1日に、一緒にいられない私のお友達に、ブログを通してメッセージです。

手を繋いで、共に居ようね。

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諫早湾と移民1千万人

2008年06月27日 | 第1章 意識と知覚
原因と結果、そして裏付け。

今なぜ、これが必要なのか?

そのための裏付けは?

私が活動しているNPO法人も、いま補助金申請のためのプレゼンをやり続けています。

生き甲斐の心理学は、平素暮らしている中で、不安に思ったり、イライラしたり、そんな自分の内に湧き上がってくる感情を自分自身が向き合うことで自ら解決していけるよう、共に学んでいく学習です。

心の問題は、誰もが何かしなくては、と思いながらも、具体的に見える問題ではありません。
何か、問題が起こった時に背景に浮かびあがってくるのが心の問題です。
でも、心の問題をどうにかすることは今の日本社会にとても大事なことだとわかっていても、見えないものに税金を使っていくことはなかなか至難の業です。

苦労は承知の助で始め活動ではありますが、前例のないものに前例をつくるのも私たち。声を出し、アピールをし続け、勉強会を開くことで、少しずつ理解してくださる方々も増えてきました。

「見えて初めて、裏付けが立証できる」では、遅いのです。

道路を造って雇用を広げるは如何なものか・・・。そろそろ違う形でのインフラを整備する時期にきているのではないでしょうか?

諫早湾の今日の判決から、今後農水省がどう動くか。
そのうえ、日本への移民、優秀な人材中心に1千万人構想というのも、日本の雇用体系の現状がしっかり見えているうえでの構想だとしたら、かなり無謀なものだ、と首をかしげます。

見えるもの、見えないものに枠を作らず、想像する力が国の豊かさになっていくのではないでしょうか?

だからこそ、これからは、見えないものに対してのインフラ整備に力を注ぐべきだと思うのです。

・・・ともかく、諫早湾という目に見える大きな問題、一石を投じる判決に、今の私の仕事を重ねつつ、ちょっと固めのブログとなってしまいました。。。
御許しを!

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奈良の季節

2008年06月26日 | 第2章 五感と体感
今、奈良国立博物館にて、法隆寺展が開催されています。

法隆寺好きの友人がいます。
彼女は、思い立つと、早朝、新横浜から新幹線に乗り込み、夕方まで法隆寺の境内に佇み、日帰りするそうです。
私は東大寺好き。
二月堂から東大寺の裏手続く小路、雑司町界隈は何より自分の前世を感じるといった体感からくる懐かしさを感じます。
1千年前が自分の深い記憶として蘇るのです。
そんなわけで、二人の会話は、簡単に時空を超えてしまいます。
おめでたいといえばおめでたい・・・
そうはいっても、五感と体感が本当に自分を呼び覚ますように感じてしまうのです。

法隆寺。
7世紀初頭、推古天皇と聖徳太子が創建、と云われていますが、解明されていない謎も数多いそうです。
世界最古の木造建築。

ちょうど、6年前に小学6年生だった息子と訪れ、ご朱印を頂いて以来久しく斑鳩方面に足を伸ばしていません。

普段は金堂に安置されている諸仏や壁画を明るい場所で間近に鑑賞できる良い機会の展覧会。

梅雨空の三笠山。とりあえず今日は、大好きな緑深まる奈良のお山の風景を思い起こしながら、久しぶりに家でのんびりすることしよう。

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信じる道を歩む

2008年06月25日 | 第1章 意識と知覚
自分はいつから「信じる道」を意識し出したかなぁ~と思いながら本日一日過ごしました。
というより、そう思うきっかけのあった一日でもありました。

好きと嫌いを分別するには、自分の信じる道を検討する必要があります。

人生、どんなことが起こるか、将来のことは予測しようがありません。
でも、「どんなふうに生きたいか」という希望は持ち続けられます。

自分が信じていることから逸れると、途端に違和感を感じます。

自分自身が違和感を感じたときに、フレキシブルに軌道修正することができたら、それが自分の信じている道に繋がっていくように思います。

人は変えられません。

でも、自分自身はいくらでも考え方や見方を変えることで、変えることができます。

自分の信じる道は、悔いなき人生と隣り合わせ。
だから、悔いなきことを意識して、取捨選択していければ、と思うのです。





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現実吟味力と恩寵

2008年06月23日 | 第1章 意識と知覚
週末、不思議な出合いで納得した経験をしました。

子供の学校の関係で、合唱のメンバーを募るちらしを頂きました。
学校の創立記念に催すコンサートで歌うのです。しかも横浜の大きなホールで行い、オーケストラも指揮者も魅力たっぷり。

歌うことにはコンプレックスを感じながらも、合唱は、聴くより歌うほうが楽しいだろうなぁ~、と憧れ続けていました。
何度か、合唱のチャンスを失いつつ、今回のようなチャンスに恵まれることは滅多にないと思いつつ、ぐだぐだと決意し兼ねていました。

既に、4月に結成された合唱団。
「モーツァルトの戴冠ミサ曲」、合唱未経験の私には、見事に高いハードルです。
組まれている練習日程を見ると、練習に参加できるのは半分くらい。
そうはいっても、「やりたいなぁ」と思う気持ちは募ります。
そんな気持ちを引きずりながら、土曜日に学校の行事がありました。親しくしている方が、帰り際、「これから、合唱の練習なの」と。。。
そんなことから、私も一回だけ練習に参加させていただくことにしました。

プロテスタントの教会でパイプオルガンの伴奏。
男性のメンバーが意外にも多く、テノールは、ほぼ出来上がった状態。
ソプラノはお一人だけが抜きに出て、誘導役。
アルトは、まだ譜読み状態。
・・・そんな状況・・・

「できるか・・・」
と思いましたが、問題は山積。
譜読みはできても、合唱という体質上、アルトを選んだとして、自分のパートを歌いきれるか。
訳を知れば、なるほど、という内容ですが、ラテン語を自分のものにできるか。

本番は10月上旬、一時間、楽譜とにらめっこしながら思索。

夏のあいだ、ひたすらミサ曲を呪文のように聴き、歌い続ける時間はあるか?

出した結果は、「無理!」

その日は、後ろ髪を引かれながらも、納得し結論を出しました。

そして、翌日の日曜日。

夕方の電車で、偶然にも、その「戴冠ミサ曲」の楽譜をおもむろに出し、何度も何度も繰り返し、昨日練習した箇所を口ずさんでいる男性が、私のまん前に座られました。法事の帰りのようです。
「なるほど、ここまでの努力なくして、あそこまでの完成には至らないよね。。。」私の出した結論に更に「無理!」が重なりました。

やりたい、と思っていれば、またチャンスは必ずあるはずだと信じて、この偶然の出合いに諦めがついたことも、恩寵かな、と解釈した週末でした。

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人の本質は不安感

2008年06月22日 | 第1章 意識と知覚
人の本質は不安感。

この概念を生き甲斐の心理学で教えられたとき、目からウロコでした。

不安感や孤独感を感じだすと、疎外感を感じたり、気分が沈んだりと不安な感情が次々湧き出してきます。

自分の信念で仕事を遂行しようとすればするほど、責任感も重くなり、孤独感も深まってきます。
芸術にしてもそうです。自分の心の世界を表に表現しようとすればするほど、自分の内側に籠り、神経質になり孤独感に陥っていきます。
カトリックの洗礼を受ける時もそうでした。自分が世の中に打ち捨てられたような深い孤独感に陥りました。
出産時にも感じました。私は一人なんだな、と。

でも、そうはいっても世の中は、自分の感情とはうらはらに淡々と時が刻まれ、人々の生活も営まれていきます。

個人個人、どの人も、私もあなたも、一面だけで生きてはいません。多角な面を持ちながら、生きています。
自分が不安だからこそ孤独だからこそ、人を大切にできるし、思いやることができるように思います。

ともかく、与えられた自分の命を生かしていくのは自分自身です。

私自身も、何かに向かって、進んでいこうと思った時に現れる不安感は、
「ミネルバの神は黄昏とともに飛び立つ」(簡単にいえば、落ち込んだ時にこそ、知恵(ふくろう)が生まれる)と解釈して、乗り切るコツがつかめてきたように思います。

だからこそ、自分の不安感に踏みとどまる勇気も時には必要かもしれません。

自分の人生は自分のものです。

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毎日の思考と感情と行動

2008年06月20日 | 第2章 五感と体感
ここ数か月、24時間身体と心がフル稼働でした。

本日、ようやく今月二回目の作品展に出品する掛け軸を宅急便で送りました。
ひと段落した思いもあり、今晩は、何も考えなくてよい夜です。

この何も考えなくてよい夜。というのが如何に大事な時間であるか、しみじみ感じています。

「~せねばならない」という日々。次から次へと山のように課題が現れ、それをこなしているうちに、感情がどこかに追いやられてしまいます。
寝ても覚めても仕事のことばかりが気になり、脳を休ませることに自責の念がで出したら、「ちょっと待って!」と自分の心にブレーキをかけないと本当に身体を壊してしまいます。

でも、「自分の心にブレーキをかける」という作業は、意外とできないもの。動き出すと、そのことばかりが気になり、意識から離れなくなっていくのです。

特に私は、その傾向が強いらしく、集中し出すと止められません。

だから、そんな自分の性格を少しでも健康体に保つためには、何かのことが一つクリアーできたら、脳味噌の開放を数時間でもするように心掛けると良いことに気づきました。特別なことをするのではなく、何も考えない時間を自分に与えるだけでよいのです。

「何も考えなくてよい夜」

自分の仕事に対する傾向と性格を考えると、これが一番の休息方法のようです。

どうせ明日になったら、またワサワサと動き出すのだから。。。
脳味噌が働かないように、今晩は鍵を閉めてお休みです。



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草茫々

2008年06月18日 | 第9章 愛
この時期、草の成長が著しく、忙しさにかまけて庭の手入れを怠っていたら、緑茂る、雑草の庭と化してしまいました。
日中にブログを書く暇があるなら、草の一本でも、、、と思うのですが、指は、パソコンのキーボードに乗っかったまま、庭に出る気がしません。

毎年、伸び伸びと成長する萩も、5月に一番枝を剪定し、ずいぶん短くしたのですが、すでに隣のモミジが迷惑そうに葉っぱをくねらせています。ツワブキも日陰という劣悪な環境に押しやられるのは時間の問題です。

今年は、雑草と間違えられずに生き残ったミズヒキが去年よりハバをきかせ、オカメ蔦を押しのけて増えてきました。
庭の草花も、せめぎ合いながら、生き残りをかけています。

そんなことを考えながら草茫々の庭を眺めるのも悪くないと思うのは明らかに私の言いわけめいた独り言。

夏至間近の梅雨の晴れ間。日が陰り風も涼しくなったことだし、少しだけでも草刈りでもしよう。。。かな、

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友は宝

2008年06月16日 | 第9章 愛
思春期の子供と親の関係は、時代が変わっても同じです。
親は子供の成長を喜びながら、期待も膨らみます。
一方、子供のほうは、だんだんと自分に目覚め、自由に行動する機会も増えていきます。

「良かれと思って、子供のために」と思う前に、親である「私」と子である「あなた」を切り離して考える努力が必要かもしれません。

「親の望み=子供の望み」ではないことを意識しているか否かで、日々の生活がずいぶん変ってくると思います。

ただし、親の意見や考えは、きちんと伝達する必要はあるし、子供の意見や考えももちろん聞く必要があります。

親が危険を感じたら、子供を守るのは、本能でもあるし、義務でもあります。

心と体が急成長する時期、心の急成長は見えない分、親も戸惑います。子も同じです。

こんな時期に大切なのは、やはり友達。
親も同じく。

友達のお母さんにお世話になることは、とても大切なことだと思います。
作ってくださった料理をいただいたり、自分とは違う家庭の雰囲気を味わったり、
ちょっとした世間話をしたり・・・。親も、子の友達と関わることで、なんとなく平素の感じが掴めたりするものです。

「よそのお母さんにお世話になる。」

我が子も、幼稚園のころから今に至るまで、友達のお母さんにお世話になりながら、すくすくと育ってきました。

特に中学から高校にかけての時期は、そんな関係性が、親の不安の解消にも繋がったように思います。

自分の子だけ見つめて「ああじゃない、こうじゃない」と悩む前に、子供の友達にご飯を食べさせてあげると、結構、次のステップが見えてくるかもしれません。

親も子も、友は宝です。

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ストレスの解放

2008年06月14日 | 第2章 五感と体感
一仕事終えたものの、まだ来週まで仕上げなくてはならないものがあり、気になりだすと安眠できません。

そのことが夢にまででてきます。

ああ、こうやって、体調崩して、うつ病になるのかな~、と思ったりします。

しかし、ここで、身体に空気をいれないと、ほんとうにストレスまっしぐら。

ミイラ取りがミイラになる、という言葉を思い出しつつ、ふと、YOU TUBEでモンマルトルの丘を検索しました。石畳の路、サクレクール寺院の裏手にあるエリックサティが住んでた場所、寺院の下のメリーゴーランド、生地屋が並んだアメ横みたいな商店街、モンマルトルのカフェ。。。懐かしい懐かしい・・・

しばらくボーッとしながら懐かしい風景を眺めていたら、脳味噌がパッと開くのを感じました。

束の間の息抜き。

時々、五感を取り戻し、軌道修正するのも自分の責任かな。
自分の身体と心は、他人のものではないものね。

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見えないものの価値

2008年06月13日 | 第1章 意識と知覚
私は、大まかに分けると二つの事柄を同時進行しながら生活しています。

ひとつは、表装。
これは、職人的な技術を要する仕事です。目で見て、身体を使い、作業するものです。そうはいっても、作品をいかに生かすか、という精神的な作業はとても大切。
作品を生かすも殺すも表装次第です。
先日の表装展で、「その精神性の緊張感や思索の時間にこそ、値段の価値がある。」とおっしゃった方の言葉が印象に残っています。
確かに、預かった作品と自分との相性と裂く地の取り合わせ、形式、それらの思索の時間にものすごく時間がかかります。

かといって、私自身、技術的に優れているわけではありません。職人ではないので、あいまいな立場です。どちらかというと芸術と工芸の狭間のスタンスで納まっています。
とはいえ、仕上げるものに関しての責任と精神性は職人と同じだと思っています。

そして、二つ目は、
カウンセリングの教育事業。

目に見えるものは「人」。それに「共に過ごす時間」があって初めて成立するものです。
しかし、時間を共有する他人から生み出すものは、物ではありません。
心の世界は、目にみえません。でも、見据えることはできます。

この二つのことを考えると、「見えるものの価値」と「見えないものの価値」は、双方、一体化しているのです。どちらかに重きを置くと、たちまちバランスが崩れます。

見えるものの価値に気を取られ、見えないものの価値をおざなりにすると、本当の意味で貧しくなるように思います。

見えないものの価値をそろそろ「心のインフラ整備」として、動きだす時期に来ているように感じています。
「できることをやっていく」私のスタンスが、このところ、ちょっと過剰気味です。でも「見えないものを見据えるようにする」ことに私の働く意味があるのだと思うと、この時期は逃せません。

見えないものの公共事業を実現すべく、もう少し、がんばります。
いつもの皆様の応援、さらによろしくお願いします。

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上質な時間

2008年06月05日 | 第2章 五感と体感
この数日間、多様な人々との交流が続いています。
どの人も、それぞれの道を一筋に歩んでいらっしゃる方々です。

先週までは、ひたすらに仕事をこなしていたので、自分の体が五感を渇望していたらしく、今週は、その穴埋めのように、五感の貯金をしています。

観ること。聴くこと。香りに、味覚、そして触感。

それぞれの道を歩み、その生活を楽しむ人との交流は、それを垣間見る私に豊かさを与えてくれます。

自分の身体はひとつしかありませんが、時と場所を変えれば、自分の色も変わります。

琵琶を奏でるお坊さんとの対話に、時を忘れ、

ボルドー音楽祭のコンサートで洗練されたジョークともてなしの中、素敵な音色を愉しみ、

現在、会期中の表装の展覧会に関わる方々、そしていらしてくださる方々との会話、

いつもお世話になっているクロネコヤマトのお兄さんたちが楽しんでいるサーフィンのお話、

イタリアワインを頂きながら、バールのママと勉強仲間の笑い声。。。

でも、
どの体験も、やっぱり待っていただけではやってはきません。

「自分がどんな時間を過ごしたいか。」

この思いがなくては、歓喜の時間は訪れません。

ちょっとした努力と、多少の気遣い、それと思いやりを自分が意識すれば、相手とともに喜びを分け合えるはずです。

「自分が今すべきこと」を思い巡らしてみました。

今週はもっともっと楽しんだほうがよさそうです。

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猫の○○

2008年06月02日 | 第2章 五感と体感
「生き甲斐の心理学」の勉強会では、いろいろな問いかけをしていきます。
特に、五感については、そこから自分の成育史が蘇り、改めて気づきを得ることも少なくありません。
一つのことに囚われていると、その奥に潜むもっと大きな大事なものが見えなくなっている場合が多いのです。これは、私自身言えることで、人の性質でもあると思います。

最近、我が家の周辺に見知らぬ猫が数匹出入りしています。
家の周りをくるくる回り、時には我が家のテラスや門柱で日向ぼっこをしたりしています。
季節がらそうなのでしょうか。
猫の行動範囲が広くなっているように感じます。

今日、朝目覚めて、二階の寝室から一階の居間に降りたところ、懐かしい香りがするのです。

私の母の実家は、中央線の早稲田通りにほど近い杉並区の住宅密集地。古い家も多く、私が生まれる前から今に至るまで、古いまんまの家が、まだあります。
猫が堂々とのんびり暮らせる住宅地でもあるのであちらこちらで主のような顔をした猫が居ついています。

香り。懐かしい香り。。。
祖父母の家の、あの匂いを嗅ぐと「おばあちゃんの家にきた!」という気持ちになり、わくわくしてくるのです。
カビくさいような、ドクダミの香りのような、ニカワや油絵の具の香りに混じって香ってくるものです。決して新しい香りではありません。

記憶の襞の表に出てはいましたが、この懐かしい香り、わかりました。

猫のおしっこの臭い。

決していい匂いではないのですが、この香りは、まさしくおばあちゃんの家の香りなのです。

祖父が生きていた頃の、あの摩訶不思議なアトリエと一緒に、知らない人が出入りする賑やかな食卓の風景が蘇ってきました。

ふるさとの香りは猫のおしっこの臭い。あまり美しい話ではありませんが、私の愛の原型のひとつであることは間違いありません。

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