五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

江戸表具を愛する会

2012年07月31日 | 第2章 五感と体感
本日正午から8月5日まで 世田谷美術館にて「江戸表具を愛する会」の展覧会です。

10時~18時までですが、本日は正午から。最終日は16時まで。

女性表具師の仲間に入れていただいての展覧会です。

和綴じ本を作るコーナーもありますので、お子様の工作の宿題にもお役に立つかもしれません。

猛暑ですので、砧公園を歩かれる際には、水分補給をお忘れなく^^気をつけてくださいませ。

私は本日正午~と3,4,5日に会場におります。

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陰気と陽気

2012年07月30日 | 第2章 五感と体感
自分が引き受けた仕事をいつまでも嫌だ嫌だ・・・と、言っている人に出会うと、快適な気持にはなりません。

自分が引き受けたのなら、楽しくやりましょうよ。
ほんとうにやりたくなければ、やらなければいいのです。

嫌々やっていると、周囲に陰の気が漂っていきます。

陰気な空気は、段々と全体にまとわりつきます。

引き受けたからには、自分の役割を楽しくできるよう心がけることも、引き受けた仕事の役割の一つであると考えたいものです。

自分自身が楽しく仕事をしていると、「なんだか楽しそうだな~」と、周囲が感じ出し、人が寄ってくるのです。

ありがたいお仲間と活動でき、私は幸せだと思いました。
と、同時に陰気さは、周りを不幸にしていくな、と改めて感じました。

ふと、昨日、「陰陽ありき」のある場所で感じたことです。

昨日の大河清盛もそんな回でした。
保元の乱以来、讃岐に流された崇徳天皇の陰の気は、日本人の祀りごとや風習に影響していったようです。

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降り注いでいる答え

2012年07月28日 | 第2章 五感と体感
かれこれ10年近い付き合いの友人との会話の中で、何度も何度も私が言っているはずの「ある言葉」に昨日初めて「ヒット」しました。

答えは自分の内にあります。

天の神様は、悩んでいる自分に、いろいろな投げかけをしてくださっているはずですが、それをキャッチするのは自分自身です。

あることが自分の中で腑に落ちない限り、自分の中からほんとうの意味で納得できる答えとはいえないようです。

だから人間は面白い~、、、

と、心の中で「フレーフレー」と、旗を振りました。

ある言葉とは、「愛の孤独感」という言葉です。
「自分がどのように人に愛され、愛するか」は、他者に要求することや、自分自身の何かに関しての解釈、つまり自分の思考と感情と行動に大きく影響しているのです。

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かみさまほとけさま

2012年07月27日 | 第2章 五感と体感
お天道さまがみてらっしゃる。

という言葉は、私達世代ではよく耳にした言葉のように思います。

乃木坂に住んでいた時、お隣の日舞の師匠が木戸をカラカラと開け、毎朝、昇る太陽に一心に手を合わせていました。その姿を拝見し続けることで、私に安心感が芽生えてきたものでした。

日本は八百万の神様を大切にしています。祭事があるごとにいろいろな神社仏閣を巡ります。キリスト教も一神教とはいえ、カトリックの場合、祀られている聖人様が教会によって違うので、それぞれ個性があります。

スロベニアを旅した時に入った教会には聖堂の壁一面に、お参りにきた人々が奉納した絵が所狭しと飾られてありました。ある人が教会に自分が描いた絵を奉納したら病が治ったそうです。以来、絵を携えてやってくる人が後を絶たず、教会は絵だらけとなったわけです。

かみさまほとけさまを信仰する気持は、人に宿る情動であるように思います。実際「見神欲=デジデリウム」という学問用語もあると宗教心理学で学びました。

大地を崇め、月や太陽を崇拝することは、普遍性のあるものへの畏敬に他なりません。

「畏れる」ことは、畏敬の念を持つことです。

「畏れることを教育すること」は、日常の生活での学びで充分でしょう。
我が家のかみさまほとけさまを大事にしたいものです。

祈りによって、自分自身の力を信じることができ、勇気とか希望が与えられます。
手を合わせることは、人の中にあるデジデリウムがそうさせているように思います。
自然と、手を合わせたくなる時があることもあります。

能楽の所作で拝む所作があるのですが、私はその所作がとても好きです。

こんなことを話してくれる人が身近にいたら、人を大切にすることが身体に沁み込むはずなのですが…。
社会全体が「宗教」という用語に惑わされ、いつしか、かみさまほとけさまが消えてしまった事を残念に思うのです。

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自分の役割

2012年07月26日 | 第2章 五感と体感
[自己主張]の仕方について、日本人のアイデンティティには根付きにくいように思います。

「相手に言いたい事をハッキリ言おう。
自分が思った事は行動に出そう。」

等と、呼びかけても、果たして、「それがはいそうですね、明日からやります!」というふうになるとはそうは上手く事は運ばないのが現状です。

自己主張と行動が思うようにいくことが出来れば、悩むことなんてないはずです。

できないから悩むのです。

私達がこの地球に生まれてきたことだけでも奇跡ですが、生き延びていくことも大変なことです。

自分の湧き出す感情を上手く表出できない…
自分の考えや思いを自己主張できない…
自分のイメージしたことを行動に移すことができない…

一人の人間が出来ることは限られています。

「人の身体は神の神殿」という聖書の言葉があります。自分の心身をどうにかするのは自分自身です。
答えは自分の内にあります。

自分の身体の中に宿る「尊い何か」を守るのも捨てるのも自分自身なのです。

でも、小さな子供はそのやり方がわかりません。中学生くらいになると、どうやったら自分が生き延びることができるか、必ず自分自身に答えを持っています。何が危険で何が安全かも判別が充分に付くはずです。

もし、自分の中にある答えを自分で導き出すことができなければ、きちんと聴くことのできる大人を見つけなくてはなりません。

大人がこのような子供に出会ったら、真摯に、そして謙遜に対応し、そして倫理道徳に関係なく、組織云々に関係なく誠実に関わることがとても大事なことなのです。そのためにある法律であって欲しいし…。

私自身も自分自身の役割をもっとシンプルにしたいな....。
「自分の身体さえあれば、自分を生かしていくことができる」という根本的なことを時々は意識に上げたいものです。

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幸福感を求め続ける人

2012年07月25日 | 第2章 五感と体感
幸福感を死ぬまで持続させたい。

この理想は、果たして叶うのでしょうか?

光と影が無くては、感情も湧き出しません。

不安感があるからこそ、幸福感が湧き出してくることを考えると、「湧き出す不安感を自分がどう解釈してるか?」を意識化することで、どんな幸福感を感じたいのかが見えてくるのです。

理想を求めることに執着するだけでは、幸福感はたぶん永遠に辿りつかない憧れになってしまうことでしょう。

ここにある幸福感になぜ気付かないのか?
気付いたとしても、なぜ感じる幸福感で満足できないのか?

「自分の幸福感とは何か?」
この問いかけを思索するにあたり、
「自分が何のために生きているのか」という問いを思索する必要がありそうです。

幸福感を求め続けることと、あくなき理想を希求する人が居たとしたら、もしかしたら「愛する・愛される」という根本的な体感的イメージが生まれてから今日まで親から教育されていな可能性もありそうです。

光と影のいったりきたりを経験せず、光だけを与えられてもどうでしょう…。
影が解ってこそ光を感じるのではないでしょうか。
光が解ってこそ影を感じるのではないでしょうか。

根本的な体感的イメージが体得されていないと、たぶん永遠に幸福感を永遠に求め続けていき、感謝の中で湧き出す満足感も得られないかもしれません。

もし、このような人に出会ったら、出会った人が相手の理想に振り回され、呑まれていくかもしれません。もし、そのような人と関わっていたら、ちょっと距離を置いてみたほうが良さそうです。

光と影を行ったり来たりすることに喜怒哀楽を表し、これが人生さ。。。と、言えるような人は、きっと「理想を希求し続けること」をしないように思います。

「理想を叶えること」と「幸福感」は、同じ位置にあるわけではないようです。

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自分の言葉

2012年07月24日 | 第2章 五感と体感
自分の言葉で、言いたい事を表現できないでいると、「怒りの矛先」に対しての文句をつけ、他者の注意を引くことで、あたかも自己主張しているかのような気持になることは、自分を守るための「人の傾向の一つ」かもしれません。

でも、それはここで私が言う「自分の言葉」とは違います。

自分の言葉とは、一体何でしょう。

自分で感じ、自分で考え、そのことを自らの言葉で表現することができると、案外怒りの感情の取り扱いが、もう少し穏やかになるかもしれません。

小学校の頃から、自分で考えたことを言葉でしてみましょう。。。と、教えられてきてはいても、聴き方を教えてもらっていないと、自分の考えたことを口に出すことが出来にくい、ということもありそうです。

自分の言葉で感じたことを伝え、考えていることを伝えるということは、他者の反応を気にすることにも繋がります。
否定されることなく「うんうん、なるほど」という反応があれば、もう少し自分に自信を持つことができるようにも思います。

自分の言葉で自分のことを表現することは、まずは聴くことから始まっていくようです。

息を吸う事から始めるのではなく、息を吐くことから呼吸の練習をすることとちょっぴり似ているように思います。

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お母さんの子への要求

2012年07月23日 | 第2章 五感と体感
小さなことでも達成感を味わうことを重ねていくと、いつしか自分の中に自信が芽生えてきます。

小さな達成感を味わうことを感じないことを重ねていくと、未達成感から感じる自信の無さが自分をストレスに追い込んでいきます。

夏休み。。。

勉強の点数や習い事等の結果を誉めたり、怒ったりすることに囚われることをちょっと小休止し、家庭の中での小さな達成感を子供に持たせることを心がけてみることが、将来の希望の持ち方に影響していくことに繋がるように思います。

「良く眠れてよかったね~」
「ご飯が美味しくてよかったね~」
「1時間、ゲームができてよかったね~」
「食器を片付けてくれてありがとう~」
「買い物の荷物もってくれてありがとう~」
等々…

親から言われる褒め言葉や感謝の言葉は、幸福感を導いていくでしょう

お母さんやお父さんから言われる感謝の言葉が「子供の達成感の素地」に成っていくことを忘れてはなりません。

感謝の言葉の後に、裏を返すように次の要求をしているとしたら、それは子供の不信感を生んでいくかもしれません。

褒める時は褒める
そして、
怒る時は怒る。。。要求する時は、別の時間に要求する…

「褒める」と「怒る(親の要求)」は、時間を空けて、分けてみるとよいかもしれません。

褒めた後で「でもね・・・」というお母さんの言葉は、子供に矛盾感を与えていき、どうしても褒められた幸福感より要求されたストレス感のほうが、強く心に残存していくように思います。そのことが「自分の未達成感」に繋がっていくのは、私自身も体験していることです。大人になっても未達成感が心を支配するのは、このような体験からだと解釈しています。

わかっちゃいるけど、言っちゃうのよ~、、、という経験も、親である私自身もちろん体験中です…。

今週金曜日の東急セミナーBEたまプラーザの講座では、上記のことをモチーフに「自己実現と幸福感&ストレス感の関係」を予定しています。

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平家物語から想う

2012年07月22日 | 第2章 五感と体感
吉川英治氏の新平家物語と岩波ワイド版の平家物語を一年以上かけて読み進めています。全16巻の15巻目となり、いよいよ義経が頼朝に追い詰められていく場面が描かれています。

平家物語を能楽の諸々の謡本と重ね合わせながら読んでみると、曲想のイメージがより具体的になり、どっぷりと惹き込まれていく心地良さを感じ得ています。そして、世阿弥のエンターテナーとしての脚本作り、そして演出力の類い稀なる才能をひしひしと感じるのです。平安時代の歴史的な出来事を語り継いだ琵琶法師の存在も大きいわけですが、語り琵琶で継いできたものや舞楽をストーリー化し舞台で表現し、普遍的な価値を高めた世阿弥の国、日本に生まれた私はほんとうに幸せだと思います。そして平安後期の私達の祖先の生き抜き方を現代に生きる自分に投影しながら、読みふけていることに気付くのです。

源氏物語を散々読み更けた祖先、つまり平安後期の人々が、源氏物語が無くてはならない文化を作り上げ、そして史実を基にした悲喜交々の平家物語が語られる、、、こんな面白い繋がりを知らずして私は死ねないぞ、と強く思うわけです。

平家物語を読み続ける事で、西行法師と芭蕉をもっと知りたくなり、長年学び続けている奈良時代の歴史上の人物にも深く繋がっていくことが面白く、私の興味をどんどん助長させているようです。

夏草や兵どもが夢の跡

義経堂が建つ高舘の丘から北上川を眺め、源平の戦い後、ついに果てる義経を想う芭蕉の気持も、もしかしたら私感じていることと似ているのかもしれません。
歩いて旅した芭蕉と車や電車で気楽に訪れる自分との感情移入は雲泥の差でありましょうが、西行が詠んだ歌を想う芭蕉の気持の背景は、多分私とそう変わらないのでは、と、ちょっと偉そうですが、ほんとうにそうだ、と思います。

高校の授業で暗記させられた平家物語の最初の一節を知っているだけでも、私達のアイデンティテイの大きな部分を担っているような気がするのは大げさなことではないように思うのです。

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感情に焦点をあてる・傾聴

2012年07月21日 | 第2章 五感と体感
昨日は東急セミナー雪谷BEでの「生き甲斐の心理学講座」でした。

東急セミナーBE雪谷講座開設から、早いもので10カ月が経ちました。
学び続けてくださっている皆様と作り上げてきた雰囲気は、たぶん雪谷教室が持つ独特な個性となってきたことでしょう。

生き甲斐の心理学は、自分自身のための勉強です。
カウンセリングの理論を楽しく学びながら、自分の感情や考え方、そして行動を落ち着いて意識に上げていきます。

普段の生活で、改めて自分自身の思いや感情を思い巡らす時間はなかなか持つことができないのが現状ようです。不安な感情が蠢きながらも、同じ感情でグルグル回っているとしたら、そのグルグルをどうやったら止められるのでしょう。きっと誰もが経験していることだと思います。

傾聴のために必要な6つの条件(六条件)の中に「否定も肯定もせず聴く」という文言があります。

「他者が話すことを否定も肯定もせず聴く。
自分自身から湧き出してくる感情も否定も肯定もせず、そのまま意識に上げる。
そして、自分の不安の理由や内容ではなく、それから湧き出してくる感情に焦点をあてて意識化してみます。」
・・・、そう言われても、なかなかできるものではありませんね。でも、これはとても大事なことなのです。

夏休みがいよいよ始まりました。

家事で大忙しのお母さんも、自分に湧きあがっている感情を否定も肯定もせず、意識化してみるだけで、自分の今の状態が自分自身で把握でき、少しばかり余裕がでることもあるかもしれません。

10月27日と11月24日に東急セミナーBE雪谷にて「パパとママの生き甲斐の心理学講座」を開催いたします。
家族を傾聴する前に、自分自身を傾聴するための講座内容にしたいと考えています。広告が整いましたら改めてお知らせいたします。

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源氏と平氏の取ったり取られたり

2012年07月20日 | 第2章 五感と体感
今の政治と国民の関係は、律令制度を制定した奈良時代とさして変わらないなぁ・・・、と思います。
奈良時代の頃の国家形成が、私達日本人のアイデンティティとして備わっているように思う事がしばしばあります。

平安後期、政治を変革すべく立ち上がった平氏と源氏も元を辿れば、桓武天皇、清和天皇なわけですが、皇位継承(後白河と崇徳)を争った保元の乱を皮切りに武士の存在価値を高めていったのが、源氏平氏です。

ここから平清盛が優勢となり、源義朝は平治の乱で敗れ、結局身内に殺されるわけです。

平家物語を読んでいると、戦いがあるごとに、落ち武者となり源氏が平氏に寝返ったり、平氏が源氏に寝返ったりと、大物の武将が生き延びるために自分の身の置き所を変えていく話が沢山盛り込まれています。

負けた武将に付く兵が、深い山の闇に紛れて、散り散りになっていく様を想像すると、果ててゆく最期までボスについていくことよりも落ちて生き延びることを選ぶことを良しとすることは、私の身体の中にも落ち延びの正当性がしっかりと根付いているように思います。祖先が生き延びてきた方法が自分の遺伝子の中に記憶させているからのように解釈しています。

奈良時代から生き延び、源氏と平氏、取ったり取られたりの戦乱の世を潜り抜けてきた祖先を思うと、今現在生きている自分は奇跡の生命だな。。。と、思うのです。

武士であった私の祖先が、大政奉還によって家臣を引き連れ北海道に渡ったことも、生き延びるための方法だったわけです。

「何か重大な岐路に立たされた時、自分は何を柱に行き抜いていくか。。。」
日頃の暮らしの中で自問自答してみることは、つらつら思う程度で良いとは思いますが、何か突発的な事が起こった時の判断に役立つことは嘘ではないと思います。平素考えていることが、生き延びる事に繋がるとしたら、自分は自分の心と魂と身体を大切にしているかをふと思い返してみるだけでも良いかもしれません。

源氏、平氏に囚われることなく、自分自身を大切にし、生き延びていきたいものです。

今日は、東急セミナーBE雪谷、第10回目です。本日7月期初回です。

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夏休みのお母さんの心がけ

2012年07月19日 | 第2章 五感と体感
何かのきっかけで怒り出すと、どんなことが原因で怒り出しても結局は、その人の捉えている現状の解釈に不満感が消えない限り、治まりがつかないようです。

何かの思いに支配されていると、日頃の些細な出来事でさえ、支配された思いとくっついた感情が湧き出してくるようです。

不安なことがいくつあるか、数えてみても、不安な事が多くても少なくても、感情の行き着くところはきっと同じであるように思います。

これから夏休みです。

お母さんと子供の関係において、お母さんの何らかの悩みが解決していないと、例えば、『子供がご飯を食べるのが遅いだけでもグダグダと説教し、子供は、「ご飯を食べるのが遅いだけのことなのに、何故お母さんは全然関係ないことに触れるのさ!」と混乱していく』というような図式が出来上がります。

自分自身の問題と子供の問題が混同し、一色単にならないよう心がける夏休みであってほしいなぁ~~、というのが私の願いです。

自分は自分

子供は子供

独立した一人の人間あることを忘れないようにしたいものです。

お母さんは、子供にイライラするのか。自分自身が抱えている何らかの問題に対して不安感がつのっているのか…、ほんの少し思い巡らし、そのあたりの感情の整理をしてみる余裕があるといいかもしれません…

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いつもの感情につまづく

2012年07月18日 | 第2章 五感と体感
違う環境に自分の身を置いても、いつも同じような感情がふつふつと湧き出してきて、結局それが同じことの繰り返しの原因になることはないでしょうか?

それが自分の個性であり、性格であるから変えようが無い、と言い切ってしまったら進歩がないように思います。

自分の性格や傾向は、そうそう変えられるものではありませんが、考え方を変えてみることで同じことの繰り返しから脱却できることもありそうです。

いつもの感情で躓いていると、もし解釈しているとしたら、その解釈が、自分自身の良い方向に向かう一歩かもしれません。

気付かないで繰り返していることは、他者から指摘されたとしても何故指摘されているかの意味さえ考える時間を持たないからです。

もし、ちょっとでも自分の湧き出す感情の傾向に「あれ?」と、思うことがあるとしたら、自分の中に表れてくる違和感を、防衛機制で跳ね退けるか、違和感を落ち着いて見据えてみるか。。。、きっと、それが良い方向への岐路になるのではないでしょうか・・・

他者からの指摘や批判は、あまり役に立たないかもしれません^^;

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FMサルース体験

2012年07月17日 | 第2章 五感と体感
昨日は、横浜のFMサルースに生出演しました。

アナウンサー小林佳果さんがパーソナリティの番組で、東急セミナーBEたまプラーザの講師をインタビューするコーナーに登場させていただきました。

三日前に原稿を頂き、やり取りしながら臨みましたが、佳果さんの素晴らしいセンスに導かれ、結局は居心地良くお話しさせていただくことができ、あっという間に終わってしまいました。

何よりも打ち合わせの際、佳果さんのお名前が「けいか」さんなので、「空海の師匠も恵果ですよね」と聞くと、ずばり「恵果」から名前を頂いたという答えが返ってきたので、私の想いは空海モードになってしまい、とても佳果さんを身近に感じさせていただきました。…こんな時でも私の視点はぶれていない?(笑)

生き甲斐の心理学講座の内容を説明するにあたり、ディレクターさんにも大いに神経を使わせてしまいましたが、とても温かな原稿に仕上げていただき、東急セミナーの担当者の皆様のご努力にも感謝感謝の体験となりました。

何を話すか?
何を聞いてもらいたいか?

その焦点付けを、即座に判断していく佳果さんの仕事っぷりに、私の方が整理統合され、カウンセリングを受けているような気持になり、久しぶりに短時間で落ち着いて統御感を感じる体験もさせていただきました。

美しく、自然体な佳果さんの番組は、月曜日16時~17時の番組と火曜日は鉄道の番組を持たれているとのこと。
詳しくはFMサルースのHPからタイムテーブルをご覧ください。

東急セミナーBEのIさん、Oさん、ありがとうございました。

うーーん、でも、きっと、次の機会のほうがもっと話したい事が話せたかな・・・^^という思いもあったりして…

決められた時間内で簡潔で固くなくアピールすることの練習を積ませていただき、ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。FMサルースにてツイッターで呟いてくださった皆様にも感謝です^^

小林佳果さんのお仕事の繁栄を期待し、益々のご活躍、お祈りしています。

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我が家での勉強会

2012年07月16日 | 第2章 五感と体感
昨日の午後は、我が家での勉強会でした。
この勉強会は、私がプライベートで親しくしている友人限定の勉強会です。

もともと、この勉強会を始めたきっかけは高校の先輩達からのリクエストだったように記憶しています。

皆さん、それぞれの職業でフルタイムで働き、子育てし、より良く生きたいという思いを受けて始めました。

生きている過程、特に大人になると自分で自由に動くことができます。自由に動くことができるのに、何故か不自由になるのが興味深いところのように思います。

何故、自分自身を自分が不自由にさせているのか…。

私自身も、この学びを続けている過程で、随分自分の考え方を整理することができるようになってきました。

心理療法の理論を学ぶことも大事ですが、知識を得ることによって自ずから導き出す答えと学び続けている自分の人生そのものが大切なのだと思っています。

牛歩の歩みで無理なく続けて、この勉強会は9年目くらい続いているのだと思うのですが、学び続ける事と、学び続けたい意欲が、私をふくめた皆さんの思い描いている将来のビジョンに繋がっていく感じがしています。

答えは自分の内にあるけれど、自分が描くイメージは、答えを導き出すためにとても大事なことのように思います。
イメージが無くては、理想と現実のギャップのストレスも生まれないからです。

何事も続けてみると、ある日何かが見えてくるものかもしれません。

そのためには、自分はどう生きたいのか?生き甲斐は何なのか?を意識してみることが大事なわけです。

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