五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

国内最古の仮面見つかる

2013年05月31日 | 第2章 五感と体感
今朝の新聞の一面に、嬉しい話題が掲載されていました。

奈良県桜井市、大福遺跡で、木製の仮面の一部が見つかった記事です。卑弥呼の邪馬台国の候補地であるマキムク遺跡にも近く、仮面は弥生時代~古墳時代初頭、二世紀後半あたりのもののようです。

しかも、コウヤマキの木が使われており、高貴な香りがぷんぷんします。

山間の道抜けると大阪へ行くことが出来、地形的にも都となるには納得できます。海外との交流も盛んで、諸々の文化や思想が入り混む中、独自の文化が育まれた事を想像すると、楽しくて仕方ありません。

能楽の謡曲では、室町時代に世阿弥が描いた幽玄美の世界の背景に日本の歴史の深い隠喩が籠められていることを感じ取ることで、古事記以前の神話や事象が、いかにバラエティに富んでいたかが、窺い知れるのです。

人間の感情と森羅万象の解釈は、時空を超えても何ら変わりはないのです。

変わりないからこそ想像し得ることが、人の想像力を育んでいくのかもしれません。

斉明天皇、天智天皇、天武天皇、持統天皇、大化の改新あたりから更に四百年前の都の様子を妄想しつつ、今日もちょこっと奈良の学びを深める一日となりそうです。

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滴の落つる国

2013年05月30日 | 第2章 五感と体感
松本清張の火の路を再読しながら、40年前に目覚めたシルクロードと歴史と宗教の興味の自分の原点を思い出しています。
丁度、その頃にNHKのシルクロードが大ブレークしました。喜多郎さんのシンセサイザーの音楽と共に毎週ワクワクし、その当時は自由に行き来出来たイランに行きたい夢がふつふつと湧いていた時、私は中学生でした。

結局、美術の道を選んだことで、ライフワークで勉強していたチベット仏教や比較宗教及び比較文化をなぞりながら、決して没入することなく生きてきたように思います。

本当に掴みたかったものを掴まず、衛星のように廻っていた時間が長すぎて、今になって没入できているのは私の自己実現の一つであり、とても幸せなことだと思っています。

歴史的な諸々の解釈が新しく科学的に立証されてくる時期に勉強できているのは、幸せといえば幸せかもしれませんが、小説「火の路」のように、東西の歴史に見えないもののほうが多く含まれている当時の仮説のほうが夢が広がり面白かったかもしれません。

20代にお世話になったアジアに携わる仕事をされていた多くの先輩方から定期的に学習させて頂いた経験が、大きな糧になっているようにも思います。
ある出版社でアジア美術から政治までの出版物を手掛けていた編集者のOさんがいつも口にしていたことが、12年前から奈良に足繁く通い、ここ数年持統天皇の足跡を辿る学びをしている私に蘇っています。

「朝鮮半島から滴のようにぽたりぽたりと落ちてきたものが、僕は気になるんだよ」

この言葉が、何かお守りの様な気がして、私の学びのenergyとなっているのです。

カウンセリングの理論を学ぶために勉強を始めたら、その導きの師匠の専門がオックスフォード大学の宗教心理学であったことも、必然の出会いだと解釈しています。

私が歩くところにいつも偶然の出会いがあるのですが、それは成りたい自分が導く無意識の選択であるように思っています。

昨日のブログ同様、棚から落とす牡丹餅は、結局は自分の目的性がそうさせているようにも思うのです。

フィールドに立ち、又は自分が帰属する環境から、どう比較考察していくかという学びは、面白くて仕方がありません。

シルクロードの滴落つる国の滴を拾う作業をし、自分の魂と心がどんどんと腑に落ちていく体感を重ねる事は、「私自身」の存在の裏打ちであることであること間違いなしです。



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棚から落とす牡丹餅

2013年05月29日 | 第2章 五感と体感
「棚から牡丹餅」ということわざがあります。

確かに、偶然に得した経験は少ないけれどあるにはあります。そのような時に「棚から牡丹餅」と口にしたりします。

インドでは「人は成りたい人に成る」ということわざがあるそうですが、半世紀生きてみると、なるほどそうだなぁ~と、感じます。

遠い将来にしても近い将来にしても、「こう成りたいなぁ。。。」と、願っていると、それを掴むことはよほど夢のような話でない限り、案外叶っているのです。

目標を設定すると人は努力を意識的にしていきます。目標がなければ、進み方は闇雲です。遠い彼方の目標であっても「自分はこうありたい」と願っていると、自分の行動もそれに沿ったものになっていきます。

そうしていくと、無理やり棚から牡丹餅を落とすのではなく、程好い加減で牡丹餅が棚から落ちてくるのです。

目標を直接掴みとる努力も必要でしょうが、目標の手前あたりでコテの力を使うほうがすんなりいくことも多いように思います。

掛け軸制作で、裏打ちした紙や裂を剥がす時、ヘラの力加減が、まさにその事をさしているかもしれません。剥がす場所にヘラ先を置きそこに力を入れても上手く剥がすことはできません。でもヘラの腹あたりに程よく力を溜めて、ヘラ先を当てると簡単に剥がれます。

耳にタコができそうな言葉でしょうが、目標設定は自分の行動を変えていきます。でも、その目標設定と自分の行動が噛み合わないと、牡丹餅は違う方向に落ちてしまいます。

自分の目標への進み方は、コテ先に力が入りすぎていないか、時々自分の力の配分を考えてみる余裕も欲しいものです。

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道教と持統天皇の旅

2013年05月28日 | 第2章 五感と体感
道教は4世紀に日本に伝えられたと云われています。
その後斉明天皇、天武天皇、持統天皇がその道教に執心し、仏教が流布される前に道教が大切されたようです。

道教と仏教と儒教は、中国の三大宗教です。日本には道教と仏教が交じり合った寺院も多くあり、役小角(えんのおずぬ634年)が修験道を確立し山岳宗教を開きます。そららが色々と太極のごとく交じり合い、神仏習合と共に普遍的な日本の寺院の形となったと私は解釈しています。
今更、それを分けて考えるのは至難の技ですが、敢えて道教のみを意識するには老子や荘子、太極拳や気功、陰陽五行を思い浮かべてみるとイメージが湧くかもしれません。。。

能楽では道教や山岳宗教をモチーフしているものも多く、羽衣、西王母、枕童子や葛城、土蜘蛛等、能楽を学び始めの私でも謡曲に籠められている隠喩を刺激的に感じます。
身近に知られている三保の松原の「天女の羽衣」や、竹取物語等、日本のお伽話は道教的な匂いがプンプンします。

先日、天武天皇持統天皇の野口王御陵が、八角形の五段様式、つまり仏塔(ストゥーパ)であるこことが公表されました。斉明天皇御陵にも八角形の土台が確認され、道教の思想が珍重されていたことが裏付けされたようです。

6月に持統天皇をテーマにした大人の修学旅行を計画しています。奈良明日香の天武天皇持統天皇御陵の御前でいつか太極拳をして、どんな体感がするか感じ取ってみたいという思いがありました。
嬉しいことに今回の旅のメンバーは、私達のNPOの支援者や勉強仲間であるとともに、太極拳の師範や武術家、武術、太極拳修行者、能楽愛好家です。

大和三山から談山神社、吉野に至る盛り沢山の旅で、仏教、道教、神道、山岳宗教を感じ取りながら、最後に薬師寺で持統天皇の締めくくりをし、唐招提寺で鑑真和上忌を礼拝し、勿論、大好きな東大寺で締めくくる予定です。

奈良は、何度行っても、学べば学ぶほど、日本人のアイデンティティを育てた原初の地であることを深く感じ地です。
私が愛してやまない地を皆さんと歩くことができ、わくわく感が増長しています。

できることなら、興福寺さんが作っている話題の精進弁当「心」を是非、食したしと思いつつ、、、^^//

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若きチェリストの音色

2013年05月26日 | 第2章 五感と体感
幼い頃から才能を発揮されている上野通明さんは、只今17歳。

友人の紹介で上野さんの存在を知り、上野さんが高校一年生になったばかりの時に初めて聴かせていただいたのは丁度二年前です。
お父様の仕事の関係で中南米、スペインバルセロナで生まれ育ち、今は日本で暮らしています。

今回の舞台はホテルオークラ東京。月に一度25日に催しているロビーコンサートです。このロビーコンサートも今年で25年になるとか。先日が318回目のコンサートだったそうです。お陰でこのような素敵なメセナ事業をしていることも知り、得した気分でもあります。

土曜日の曲目は、ベートーヴェンのチェロソナタから始まりました。

そして、二曲目。

黛敏郎の「文楽」という現代音楽。

琵琶の音が聴こえてきたり、三味線の音が聴こえてきたり、上野さんが奏でる音色が音色を越えていることに驚きました。チェロの音色は常々ヒトに近いと思っていたのですが、まるで筆で油絵を描くようにマチエール(筆のタッチ)が変わっていくのです。

演奏会後に、ご本人から話を聴くと、去年は出雲大社で雅楽とのコラボもされたそうです。

才能のある若手チェリストであっても、経験の少ない中から邦楽の音の本質を捉えることは、多分身体全体で感じるものから探っていくしかないと思います。
身体全体で感じ取る感性を「音色という投影」で表現することの素晴らしさを改めて感じました。

邦楽を意識した「文楽」を練習し始めたのは最近とのことです。

文楽も好いでしょう。
歌舞伎も好いでしょう。
能楽にも是非触れていただきたいとも思いました。

それにしてもチェロから聴こえてくる琵琶の響きは、能楽蝉丸の哀しき音色にも聴こえ、これからどのくらいになっていくのだろう、、、と思う中、17歳という若さに大きな希望を見させていただきました。

若きチェリストと握手をすると、二年前も感じた柔らかい手が蘇りました。
修行を続ける人の手であるとしみじみ思いました。

今後の更なる成長と活躍を楽しみにしています。

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どんな時代に生育したか?

2013年05月25日 | 第2章 五感と体感
昨日は東急セミナーBEたまプラーザの講座でした。

先週の雪谷教室と同じく、お題は「時代性」。

「自分が生き延びてきた理由を理論武装せよ」という固い大テーマを背景に掲げながら、実際は「生き甲斐の心理学」を身の丈にあわせて和やかに学び合っていく講座です。

理論ばかりに気を取られたり、一般的な見識ばかりに気を取られて、大切な個々の個性を見失い、そうしているうちに自分が一体誰なのかが解らなくなっていくことも人の自然な成りであるように思います。

子育てをしているうちに、仕事を続けているうちに、又は退職したり、子育てを終えて自分の時間を持つことが出来たとき、自分とは一体何者なのか?私とは何なのか?と悩むようにもなることは、何も特別なことではないのです。

悩むことは、より良く自分が生きていくための自分への問いかけでありましょう。

でも、悩むことはできても、それを解決するための術がお手上げ状態であれば、ますます悩みが深まります。

平素の勉強会では、今の自分に焦点を当てて、自分を諌めず、ほじくらず、無理せず意識化することを展開するのですが、今月は「自分が生まれた頃の時代性」に焦点を当てることで、「こんな時代に育った自分の解釈」を講座生の皆様と対話しました。

自分や自分が育った家庭環境ばかりに気を取られるのではなく、もしかしたら「こんな時代に育ったおかげで、自分の持っている解釈が構築された」ということに気付くと、自分の器が今までよりも大きくなるように思います。

昨日は、自分自身、そして自分の身の回りの環境のせいではなく、時代が自分をそうさせた。。。という解釈もあることを学び合いました。

年代の違う参加者の皆様の言霊(ことだま)ひとつひとつが尊く、この二週間、私自身、自分の器がちょっぴり大きくなった様な気がしています。

「生育史における時代性の解釈」を深刻にならずに思い出し意識化してみると、今の自分の悩みの解決の糸口になるかもしれません。

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新曲キャンペーン

2013年05月24日 | 第2章 五感と体感
最近、テレビでお馴染みになったミッツマングローブさんのユニット「星屑スキャット」が新曲を出しました。
ミッツさんは友人の甥御さん。思い返せば彼?が中学生ぐらいの時からの友人とのお付き合いです。友人は友人というより審美眼の鋭い姉と慕う人といったほうが良いかもしれません。

そんなわけで地元横浜の鴨居ららぽーとでの新曲キャンペーンの応援に行ってみました。

新曲は、コスメティックサイレン♪切れの良い曲で、なかなかのもの。前回のCDよりも費用がかかっていそうですし、「星屑スキャット(3人)」としての活動は、今年で8年目。ミッツさんの活躍が、このユニットの認知に繋がることを祈りつつ、そうはいっても、マニアックな大人のエンターテイメントが大衆化してしまうこともちょっと残念にも思い、でもでも、売れっ子になってほしいなぁと。。。私も期待を大きく持ちたいと思うのです。

今回のCD「コスメティックサイレンス」には彼女?たちのお得意の昭和歌謡曲、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」のカバーが入っており、さすが、昭和の歌謡曲好きのお三人の個性がよくよく引き出されています。

大人のエンターテイメントが世間に広まることを期待し、益々活躍されることを願っています。

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貴重な朝時間

2013年05月23日 | 第2章 五感と体感
夏至まで一カ月です。一年の中で一番日照時間が長い季節。
日が長いと得した様な気分になります。

世の中がまだ動いていない時間にあれこれとPC関係の仕事をすることで、今日やるべき仕事に集中できます。

去年の夏あたりから夜中にPC画面を見ないようにしたら、老眼鏡をかける回数が減り、しかもすんなりと爆睡することがでいるようになりました。やるべき仕事もよほど急いでいない限り、夜仕事をすることを止めました。

私の場合、夜中に脳みそを動かしていても仕事は進まず、早朝にPCを開けたほうがサクサクと仕事が進みます。

いくつも案件を抱えていると尚更です。

暖房を付けることなく、冷房付けることなく、爽やかな風が室内に流れてくる時期は、これから梅雨に入ることを考えると、とても貴重な時期かもしれません。

快適な季節に旅をするのも好し。
快適な季節に仕事を進めるのも好し。

「やらねばならないことを先延ばしにしていると梅雨になっちゃうよ」と、我が心に呼びかけて、シコシコと仕事を進めるべし。。。

「雨音を愉しむ余裕を持つためにいつやるの?」

「今でしょ!」

そんなわけで、今朝も早くからゴソゴソ、ガサガサ動いております((笑))私の朝活開拓まだまだ進化しそうです。

親愛なる神父さんは、8時に寝て4時に起きるそうです。ほんとうはこれが理想です。

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なーんちゃってセレブの抑圧

2013年05月22日 | 第2章 五感と体感
景気回復が本当か否かは経済評論家に任せるとして、このところ「見た目に派手さを装う人」も街中で目立つようになってきました。

株価が上がり円安になったからといって、これだけ短期間で顕著に社会に投影されるのは、ひょっとしたら日本人の傾向による特徴的な現象かもしれない、、、と、私は左眼子的に眺めています。

いくら株価が上昇し儲けたからといって、こんなに顕わに世の中の雰囲気が変わるわけもなく、つまり、潜在的なお金持ちが表層に出現しただけの話かもしれません。お金持ちの思考と感情は一夜にして成るべからずです。お金の使い方を知らない人が大金を手にするのとは違うものがあります。私は大金を手にしたことはありませんが((笑;))

昨日、電車に乗っていると、来年小学校受験風の格好をした女の子と年少さんくらいの男の子がお母さんとベビーシッター的な女性と4人で乗ってきました。電車の中で落ち着きの無い子供をずっと注意しているお母さんの言葉使いは、それこそ一夜にしてセレブになった感じでは無いと見受けられます。そして子供はといえば、時々バタバタとしながらベビーシッターさん風の落ち着いた女性にずっとダイヤモンドの指輪の話題を提供しています。

本を持ち、読むふりをしていた昨日の私は、麻のさらりとした服を着て、刺繍のついた夏の帽子なんぞを被り、いかにも楽そうなおばちゃんの格好をしていたので、隣に据わる子供も一層無防備になるわけです。

電車の中の子供の様子は、平素の生活の傾向がマザマザと見えてきます。親子で居ると尚更興味深く観察してしまいます。決して凝視はしません;いや、もしかしたら無意識にしているかもしれませんが;;

人の傾向は、環境や経験と共に育まれていきます。

育まれるものが気に入らなければ捨ててしまうということはできません。気に入らなくても、自分は自分以外とすり替えることはできないのですから…。

自分の傾向や強化される情動、つまり理想が、自分の素と違えば違うほど、潜在的な違和感が地熱のように溜まっていくのです。その溜まった熱を時々放出しないともっともっと深いところで溜まってしまい放出すらできなくなっていくようです。

公共の場で溜まった地熱を放出する子供の姿を見るのは、私にとっては辛いものを感じますが、他人の人生の一コマに一時のちゃちゃを入れるつもりはもうとうありません。(公共の場で子供同士が嬉しくて大興奮していることとは違います。こういう場合は目を細めてニコニコ眺めるわけです。)

そうはいっても、ダイアモンドの指輪に執着し、電車の中で大声を出して落ち着きないお子様の心身ともに健やかな成長を祈らずにはいられませんでした。合掌&アーメン。

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24節気72候の小満

2013年05月21日 | 第2章 五感と体感
最近、めっきり夜が苦手になってしまい、朝方の生活となっています。24節気72候の立夏が過ぎ、今日21日は「小満」。

小満とは、「万物次第に長じて天地に満ち始める」 歴便覧の万物盈満(ばんぶつえいまん)からきている言葉だそうです。

草木が繁り、蚕が眠りから覚め桑を食するとうになり、そろそろ梅雨がやってくる頃。

昨日の雨で今朝の湿度は高く、しかも繁る草木の香りが空気に混じり、重たい匂いの中に包まれている体感を感じます。
しかも、夜の明ける前あたりから鳥がちゅんちゅんと鳴き、自然界が一層賑やかになってきました。

一年の営みの中で、目に見えて草木が成長する時期です。
人の営みも、それと同時に忙しくなっていきます。

森羅万象に目をこらし、耳を澄まし、香りを聴き、大地の恵みを味わい、草木茂る土を触り、「暮らす」ことを大切にすることこそ人の営みと言えるのかもしれません。

そういえば、小学生のころ、学校から預かった蚕を育てるのに学校の裏庭の桑の木の森に入り桑の葉を採ったことを思い出しました。あの頃は常駐の用務員さんが居たから、学校の庭はいつも綺麗に整えられていました。懐かしい事を思い出した小満の朝です。

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「八重の桜」は重いよ

2013年05月20日 | 第2章 五感と体感
昨日、大河ドラマ「八重の桜」を久しぶりに見ました。

戊辰戦争に向かっていくことが解っているので、暗さに耐えきれずドラマを見ているうちに憂鬱になり、このところ見るのを避けていました。
でも、昨日は「鳥羽伏見の戦い」ということで、見ずにはいられずテレビをつけました。

結果が解っているので見なければ良いのでしょうが、どのような脚本かは気になるところです。

結局はまた気分が悪くなり、途中は食事の片付けなどをして、テレビ画面を凝視できませんでした。

歴史考証やイケメン俳優の登場による視聴率考えるとこの時期まで引っ張るのはショウガナイのかもしれませんが、日曜日の夜に毎回陰鬱になるのは嫌だなと思います。

でも、このドラマは主人公の八重さんが明治時代を本音を大事にして強くかっこよく生き延びていく物語なので、早くそちらのほうにドラマが展開することを待つことにします。早くオダギリジョーさんと出会わないかなぁ。。。

強くかっこよく生きる八重さんを期待しながら前向きに日曜の夜を過ごしたほうが、精神衛生は格段に違います。

生育史上の自らの思い出したくない出来事や一生口に出したくない事等は、いちいち思い出さなくても良いし、口にしたくないことも他者に話したからといって、全て浄化されるものではありません。
思い出したり、口にしたことで、自分のストレスが深まるのであれば、掘り返すことで自分の心身を痛めていきます。

「今、この時」に湧き出す感情には必ず意味がありますし、それ以上の事を突っつく必要なんてありません。

会津に元気をもたらすドラマがどのように戊辰戦争を描くか期待していただけに、心無い人から重箱の隅を突かれているようで一層暗い気分になっていく自分を感じています。

映画「寅さん」でも見て「まったく!しょうがないなぁ~~」と、笑い飛ばしたほうが勝ちかもしれません。


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お祭りの季節

2013年05月19日 | 第2章 五感と体感
京都では葵祭。江戸では神田から始まり、ただいま三社の真っ最中です。

そのような季節に能の隅田川が催されるのも、人の喜びと悲しみは常に隣り合わせだと、ふと感じたり。。。

田植えを終え、梅雨を迎える季節でもあり、五穀豊穣を祈り、神を祀ることは人の営みの自然な流れであるように思います。

住宅地で埋め尽くされている場所に住み、その中で日々暮らしていると、田んぼの稲の成長を眺める機会もありません。

電車の車窓から眺める住宅地の谷間にある田んぼをよほど目をこらして意識しない限り無理なことです。

季節の人の営みと祭の賑わいを繋げて見ていくことは、自然の森羅万象と人の営みを共に意識出来るよき機会でもあるかもしれません。

今日の浅草は、大賑わいであることでしょう。

神様仏様を祀りながら、今年も生きる糧が得られますよう御輿のうねりをテレビで拝見すると致します。

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情動と行動と幸福感の関係

2013年05月18日 | 第2章 五感と体感
自分の情動をどのように行動に移すかによって、自分の個性の傾向が見えてきます。

言葉に出す前に、行動することも一つの方法かもしれませんし、即行動することで、気持の整理がついたり、何かが解決することも私自身多々経験してきました。

行動したうえでの心模様を言語化すると、自分の中で納得した言葉が生まれてくることもあります。

自分自身を成り立たせているのは、自分です。

「自分の心と身体と魂を大切にしてるか?」という、問いかけを自分自身にし続けていると、まとわりつくような孤独で不安な自分に、一筋の光が見えてくるように思います。

「ほんとうに自分を大切にしているか?」

そのためには、何を選択し、どんな行動していけばよいのか?

他者には答えはありません。

他者の考えやアドバイスは、自分の答えを導き出すためのきっかけにしか過ぎません。

「自分の情動が自分の魂と心と身体にどのように働いているのか」ということを考えたら、言葉である言霊に責任が持ててくるようにも思います。

できることなら自分の情動と行動は、幸福感の方向へ向けていたいものです。

幸福感の相互作用が上手く働くと幸福感が累積していくようです。
人との関係性が尊いものであると感じ合える人とお付き合いしていくと、自分の幸福感は益々増していくと信じています。

日々の出会いを大切にしていたいものです。

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自分は孤独で不安なのよ

2013年05月17日 | 第2章 五感と体感
人は一人では孤独だし、不安は人の本質です。

孤独で不安な自分を自分自身が受け容れているか否かで、自分の取り扱いが違ってくるように思います。

孤独な自分、不安な自分の取り扱いは、自分自身で見つけていくしか方法がないようです。

揺れ動く自分のアイデンティティを見つめようとするとき、否定も肯定もせず、しかも暖かく見守ってくれる人の存在があると、どこか芯の部分での安心感が、彷徨う自分の軸となり、答えを求めいく環境を整えていくのです。

暖かく見守る相手を誰しも構わず複数に求めていても、それは自分の内で混乱を生むだけかもしれませんし、もしかしたら相手である他者を傷つけていくかもしれません。

彷徨う自分は、一体誰から愛されているのでしょう。

愛されている感覚は、愛することを育みます。

当たり前のことのようですが、人は時々忘れてしまいます。

ブログで何度も書いていますが、「愛は訓練である」という宗教学者の言葉は、ほんとだな、と、思います。

自分の心身に備わっているものを信じることから少しずつ重ねてゆく訓練し、私は死ぬまでその訓練が続くのだと思っています。

「自分と自分ばかりに」気を取られ、「自分と他者」「自分と神仏もしくは森羅万象」の関係性を忘れてしまうと、自分の孤独はますます不安の方向へ向いてしまいます。

人は孤独だからこそ、人は不安だからこそ他者と関係性を結んでいくことは、人の役割の要であるといっても過言ではありません。
と、私は思うのです。

自分の心と身体と魂を大切にしていたいものです。

思春期と云われる時期に「自分の孤独に気付いた人」は生き抜くために大切な恵みを天から頂いたわけです。
喜ばしいことなのです。


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求める対象は正しいか?

2013年05月16日 | 第2章 五感と体感
自分が理想とする母親像、父親像は、ある時期は反面教師であっても、いつしか自分の希求する大元は自分の父であり母であることに気付くのは、自分の人生50年間が過ぎてからでした。

そんなわけで、両親が生きているうちに、自身の中で腑に落ちるまで親子関係をみつめる作業ができてよかったと思っています。
家族のそれぞれが精神的に希求しているものが見えてくると、自分の感情の取り扱い方にも変化がでてくるのです。

こうして欲しかった、ああして欲しかった、という子の要求は、あくまでも子供自身から働く感情であり、親に求めに応じてもらうことは、親であっても他者であるわけで、無理な話なのです。

希求する思いが強くなれば強くなるほど、自分の欲求は強くなりますが、求めに応じてくれない親、またはこの世にいない親の理想を求めても叶わない思いが、感情転移となって第三者に向けられると、向けられた方はたまったものではありません。

このことは難しい問題ですが私達が抱える普遍的な問題であると思います。

自分が希求していることが叶わないために、その要求を他者に求めていることに気付く人はそうそう居ないし、他者に求めていることが自分の生育史の問題であることを自分自身受け容れることもそう簡単にはできないと思います。

自分の個性、自分の傾向は一夜にしてできるものではありません。

「自分が求めて、叶えたい何らかのこと」は、果たして本当に叶うものなのでしょうか?

叶わないことを他者や世間にに希求していくことで、他者を傷つけていないでしょうか?

自分の求めに応じて欲しい人は、本当にその人なのでしょうか?

ほんとうに解ってもらいたい相手に言語伝達し、求めていることが叶う日がくること祈りつつ、自分の理想を時々検証してみると、解決や納得に繋がるかもしれません。

どんなに人類の文明が発達しても、人の心と身体の生育は、いつの世も同じなんだと思います。

しみじみと、「人の身体は神の神殿」とは、よく言ったものだ、、、と、思うのです。
ミネルバの神は、暗闇と共に飛び立つ。。。(ミネルバは知恵の神)
いつもこの言葉を胸に留め生活しているのも、私の生きる知恵と言えそうです。


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